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「ジュネーブ訪問」

林 達雄 2003/04/9

last update:2010408


エイズ・結核・マラリアと戦う世界基金は、2国間援助など他の感染症対策と比べてどこが優れているのだろうか?
そこにお金が入らないとなぜ問題なのだろうか?

 3月28日、29日の2日間、欧州各地、米国、カナダのNGOとともに会合を持った。特に6月初旬にフランス・エビアンで開かれるG8サミットを目標に、各国政府からこの世界基金に資金をしっかりと出してもらうための国際キャンペーンを行うためである。パリでの会合には、2年前だったら決して顔をそろえることがなかったであろう顔ぶれが集まった。感染症の地球規模の流行に対応したいという共通の目標に向けて、違いをのり越えて、力を合わせたいという機運を感じた。日本からも参戦しようと私自身も駆けつけたのだ。
 しかし、このご時世である。平和、水、アフリカなどは注目されても、エイズ・感染症が再びG8サミットの議題にのる可能性は低い。日本は不況下にあり、援助を減らそうとしている。少ない予算を日本の国益のためにいかに有効に使うか、外務省も必死である。世論がよほど盛り上がらない限り、世界基金への増額は難しい・・・・
 世界基金の意味をどう日本に伝えたらその可能性が広がるのか?日本社会への伝え手である私たちが納得していなければ、日本人の理解は得られない。そこで世界基金の本部のあるジュネーブを訪ねることにした。
 パリからフランスの新幹線TGVで3時間半、レマン湖のほとりにジュネーブはある。ジュネーブにいたる手前の駅で乗り換えると、ミネラルウオーターで有名なエビアン、6月にサミットが開かれる保養地が同じレマン湖のほとりに存在する。ジュネーブへは3回目である。一回目は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、二回目は世界保健機構(WHO)を訪ねたことがある。10年以上前にUNHCRを訪問した際、その敷地面積の小ささにびっくりしたものだ。国連機関なのに米国や英国のNGOと比べてもずっと小さい。今回、世界基金を訪ねてさらにびっくりした。日本の大手NGOと大差ない規模なのだ。ここで、事務局長のリチャード・フィーチャム氏、東アジア・東南アジア担当課長の斉藤滋子(よしこ)さんと再会した。広報・資金担当のヨン・リデン氏、市民社会担当で自らも感染者であるケイト・トムソンさんを紹介してもらう。愛すべき人々である。はじめて訪問したのに昔からずっとここで働いてきたような錯覚に陥る場所である。自から望んでここで働いているという意味ではNGO的な事務所である。しかし、そのヨンと話すうちに、基金の意味が明らかになってきた。基金は感染症問題の一部分に対応するのではなく、その全体に対応しようとしているのだ。供給サイドの都合で対策を決めるのではなく、需要に応じて資金を配分する機関なのだ。これまではどちらかというと、政府機関やNGOなど、対策を講ずる側、援助を施す側の都合を優先して、対策の規模や方法を決めてきた。自分たちのできる範囲で、得意の分野で、あるいは外交上優先する地域でやりましょうというわけである。少なくともそんな傾向にあった。しかし、この感染症という問題は、こうしたこれまでの方法で対応するにはスケールが大きすぎた。国境を超え、世界中に例外なく広がってしまう。地球を覆いつくすような大火事を止めるには、各人各様が手持ちの消火器でバラバラに対応するのは困難である。そこで世界基金が設立されたのだ。感染症問題全体にはっきりした結果を出すために設立されたのだ。
 基金の目的はとてもシンプルである。Getting people to stay alive. (感染症から)人々を生かすこと、生かし続けることである。治療やケアは、感染した人々を生かす行為だ。予防は、感染させないで生かすための行動である。
 基金は自ら行動にでようとする者を尊重し、力づける(エンパワーする)。供給サイドではなく、需要サイドを優先する。その方が現実的で効果的だからである。村や地域レベルの小さな活動にも、国レベルの大規模な活動にもお金を出す。感染者自身が担う行動にも、政府機関が担う行動にも、お金をだす。しかし、具体的な数字に示されるような成果がなければ、打ち切られる。Money for concrete result. 具体的な結果のために資金なのだ。資金の97%は直接、具体的な活動に回される。いわゆる事務管理費に使われる費用はとても少ない。だから、事務所もとてもシンプルなのだ。
 これまで述べてきたように基金はとてもシンプルだ。これまでの感染症対策の蓄積を踏まえているからこそシンプルなのだ。そして、シンプルだからこそ、巨大な現実に結果を出しうる。地球規模の感染症問題を人類がりこえることができるしたら、唯一の可能性かもしれない。しかしその一方で、多くの人々、多くの国々の決断と意志を必要とする。一度始めたら、結果がでるまでやめないという決意である。
 日本政府は2000年の沖縄サミットの際、基金創設のアイディアを示した。2001年のジェノバサミットで設立が決定した。少なくとも2002年の6月の理事会では各国が合意した。感染症問題全体に結果を出すこと。資金供出者の都合ではなく、必要とする者の計画に基づく点においてである。合意を前提に、半年ごとに計画案が募集され、厳選され、入金が待たれる状態にある。しかし、第一回目の入金もまだ終わっていない。2003年度の予算計画に対しては、いまだ八分の一の額が約束されたにすぎない。
 少ない額ならば、少ない額なりに対応したらよいではないか?と思われるかもしれない。一見もっともそうな意見ではある。しかし、対策の一部だけに着手しても、地球全体に燃え広がろうとする感染症の火の手は防げない。基金への入金は、人類の未来に対する投資である。頭金だけを入金して、途中でおりてしまえば、結果はでない。無駄金となる。

 エイズ・感染症の中で見出した希望は、感染者自らが自分を助けようとするだけではなく、他の感染者を助け、子供たちを守ろうと立ち上がったことだ。この基金に現実味を与えているのは、こうした感染者が理事やスタッフになり、感染者を対策の担い手として生かそうとしている点だ。そして、感染者を生かそうということこそが、マラリア・結核・エイズ、どれをとってみても、対策の決め手である。感染症問題の暗黒の面を見ればきりがない。若者の死、子供の死、差別と隔離、恐怖と相互不信、地球と未来の死につながる連鎖である。私たちはいま分岐路に立っている。人を生かす方の未来を選びたい。
 人を生かすために私たちの税金、私たちの資金を活用したい。
 日本の政府を生かすも、殺すかも私たち次第である。
 世界基金は私たち自身が育てる希望である。

 世界基金の事務所を出ると、雲の合間から白銀の山々が顔を覗かせた。春先のレマン湖を吹きぬける風がまだ冷たい。雪解け水で川に流れは速く、水鳥が見る見るうちに流されてゆく。世界の潮流もまた、驚くほど速い。感染症、戦争と水はまだ冷たい。基金を進めるフィーチャム氏の表情にも疲れが見えた。
希望の芽を凍えさせてはならない。と心から思った・・・・・・・

 


*本文はアフリカ日本協議会事務局長斉藤龍一郎氏あてに送信されたメールを転載しています。

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