HOME > 全文掲載 >

「臓器提供とドナー家族の悲嘆心理――内外の文献研究から」

岡田 篤志 20030320
『医療・生命と倫理・社会』大阪大学大学院医学系研究科医の倫理学教室 2:62-82.


 国内において脳死状態からの臓器移植は、1997年の法整備以後、一例また一例と事例が数えられている。今や報道で伝えられるのはごく一部を除いて、日付と病院名、提供臓器の種類程度の形式的なものだけとなり、そこにどんな人間的な実相 [1]があるのかを想像することが難しくなっている。特に、肉親の臓器提供に承諾し、死を看取ったドナー家族の存在は、移植の成功やレシピエントの快復といった福音の陰に隠れがちである。ドナー家族は、肉親が脳死状態に陥るというこの上ない衝撃とストレスの中で、提供に関する決定をしなければならない。もし同意したならば、ライフサポートによってではあれ、なお呼吸と血流のある肉親のからだから心臓等の臓器を摘出することに耐えなければならない。さらに、臓器提供をして死を看取ったという心理的事実は、その後の「悲嘆心理」あるいは「喪の過程」に長期にわたって強い影響を与えることが予想される。

 現在、国内では現行法で不可能になっている15歳以下の子供の臓器摘出を可能にするための法改正の動きがある。年少者の突然の死は、とりわけ家族に強い衝撃と悲嘆反応を引き起こし、その喪失への対処は困難を極める。法改正の論調が、一方の移植を待つ子供達の窮状を訴えるだけであったり、また、脳死判定に関する医学的な検討や提供意思条件に関する単に法学的な議論のみに終始するなら、ドナー家族の心理的リスクに対してはあまりにも無防備なままである。今回の法改正への動きが、子供の臓器提供を可能にすることを主な目的とするならば、以前にも増して、ドナー家族が直面する諸問題に真剣に取り組む必要があるだろう。[2]

 欧米では現在、ドナー家族への精神的なケアやフォローアップの取り組みと同時に、その理論的作業として、肉親の臓器提供の過程を体験するドナー家族の観点perspetiveに関する調査や考察が多くなされている。また、国内ではまだごくわずかであるが、同種の研究や文書が存在する。本稿は、これらドナー家族の悲嘆心理を主題とした内外の論考やドナー家族自身の手記をもとに、脳死移植における提供後のドナー家族の心理的負担とリスクの見積もりや、精神的なケアの姿勢に関して、いくつかの報告と指摘を行うことを目的とする。

T 好影響と臓器獲得

 ドナー家族の観点に関する調査や考察に共通して見受けられる印象的な点は、肉親の臓器提供は概して家族の悲嘆心理に対して良い効果を与えているという報告である。具体的には、臓器提供によって誰かが助けられたのだから、肉親の死という無意味な喪失に肯定的な意義が与えられた。あるいは、肉親の死という不幸から何かしら良きものが得られ、肉親の死が無駄にならなかった。そのことによって突然の喪失という悲嘆が和らげられ、家族の悲嘆過程に有利な効果が与えられた、などである。

 「多くの悲嘆する家族にとって、臓器、組織提供の選択は無意味な喪失に意義を与える効果的な方法である。ほとんどの家族の悲嘆に対して、臓器、組織提供が有利な効果をもたらすことは、よく記録されている。そして死別の過程にある家族にとって数少ない慰めのひとつになることがしばしばである。」(Riley & Coolican 1999)

 具体的な数字を挙げているもので、例えば、Bartucci(1987)は、回答者41人中29人の85%は肉親の臓器提供は自分たちの悲嘆の期間に何か肯定的なものであったとしている。さらに、31人の91%は肉親の臓器提供を決心したことに後悔していないことを報告している。また、肉親の臓器を受け取ったレシピエントに対して、全ての回答者は非常に好意的な感覚を持っているという結果が出ている。なぜなら、肉親の一部が生き続けていて、誰かの命を改善するのを助けていることを知って慰められているからだという。[3]

 Pearson et al(1995)によれば、家族に対する臓器提供の依頼は、肉親が脳死に陥るという衝撃と当惑のただ中でなされるために、依頼が家族の悲嘆を悪化させたり、家族の分裂を招くことが心配されるという通念があるため、医療者には臓器提供の依頼を躊躇する心理が働く。「しかし、このような心配は、実際の経験による検証に基づいていない。現在、臓器ドナー家族や友人の経験を検証している研究が多く存在する」とし、他の研究者によるいくつかのデータとみずからの調査結果を報告している。Pearson et al自身の調査によれば、臓器提供に同意した84%(31人中26人)の家族が、臓器提供は悲嘆過程に手助けになったと回答しているという。

 Pearson et alの研究意図は、突然死に対する通常の悲嘆心理と、その際に臓器提供の依頼がなされた場合とに違いはあるのか、依頼を受けることないし臓器提供をすることによって悲嘆が増すことになるのか、というものである。Pearson et alはこの課題に対して、「われわれの調査結果が示唆しているのは、臓器提供の依頼も臓器提供も、それだけが、このような家族を他から区別する唯一の基準として定めることはできず」、「臓器ドナー家族への面談報告から得られた総括的な結論として、臓器提供は助けになるのであって、害になるものではない」と結論づけている。

 肉親の臓器提供がおおむね遺族の悲嘆心理に好影響を与えることを報告したこのような調査、論考群は、好結果を与えるという報告内容自体は一定の信憑性を持つとしても、多くの場合、それらは深刻化する移植用臓器の不足への対処からの要請を強く反映しており、次のような一連の趨勢を形成していると言ってよいだろう。つまり、まず移植用臓器の不足の対応が迫られ、不足の原因は単に提供意思や同意の不足ではなく、或る瀕死患者をポテンシャル・ドナーとして特定し、家族に提供依頼をすることを怠っていることから由来することが指摘される(Bart et al 1981a,b)。そして、臓器提供は家族の悲嘆を悪化させるのではなく、むしろ悲嘆心理に有利に働くという調査結果を背景に、家族に対して積極的に臓器提供の依頼を行うことが肯定される(あるいは依頼することの躊躇が否定される)。論調は、ここからさらに二つの方向への決定的な歩みだしを促しているように思われる。一つは、家族に対する肉親の臓器提供の依頼の義務化、あるいは国によっては反対意思表示方式への移行、また、ポテンシャル・ドナーのスクリーニングを法規的に制度化する方向である。[4] もう一つは、臓器提供を遺族の悲嘆過程に組み込むという心理的な制度化である。この点は後述する。

 肉親の臓器提供が悲嘆心理に有利に働くことを理由として何らかの主張を行う論調は、国内でも、移植コーディネーター関係者の文書において同様のものが見られる。

 移植コーディネーターである廣田典祥氏は、みずからが心臓死後の腎臓の提供依頼を担当した遺族を訪問した経験や、海外の調査結果を傍証に挙げながら、「おおむね遺族にとって臓器提供したことが、その後の悲嘆過程によい影響を与えていると考えられる」とし、提供依頼は家族の悲しみを増すことになるという危惧を、条件つきではあるが否定している。そして、提供は家族の悲嘆心理に有利に働く以上、提供依頼は家族に「大変尊い選択肢」を与えることになり、また、臓器提供は家族の悲嘆に対して「悲しみの癒しとしての治療的な意味を含む」とさえ結論づけている(廣田 1994)。

 移植コーディネーターに対する教育的意図を持って書かれた文書でも、提供依頼は家族に精神的な負担を強いるという懸念を、「この見解に反論するドナー遺族は世界中に多数存在する。また、わが国においても同様な考えをもつポテンシャル・ドナー遺族は多い」ことを理由に斥けている(白倉・若杉 1997b)。また、提供依頼は、「遺族に一つの社会的貢献のチャンスをさし示している」ことであり、遺族にとって臓器提供は「尊い権利」であるとしている(白倉・若杉 1997a)。

 他に、日本移植者協議会による移植法改正を訴える文章には以下の文面が見られる。

 「幼くして子供を失う親にとって、その子がこの世に生存した証として、何らかのかたちで社会貢献できる事は、心の安らぎとなる。また、個人として生存する事はなくとも、どこかで、分身としていきつづけている事は、親としての心の支えにもなることであり、その心情は汲み取られるべきである」。[5]

 協議会は、子供の臓器提供が親の「心の安らぎ」あるいは「心の支え」となることを、親権者の承諾によって15歳以下の脳死患者からの臓器摘出を認めるべきであることの理由の一つとしている。これも、肉親の臓器提供がドナー家族の悲嘆心理に肯定的に作用することを理由にした論理と言えよう。

 感謝状の授与程度の形式的なもののみで、まともなフォローアップケアのないままに放置されてきた国内のドナー家族の苦悩を考えるならば [6]、ドナー家族への好影響を強調するこのような論調には危うさを感じざるを得ない。ドナー家族への支援体制が国内よりはるかに進んでいる海外の報告を、ドナー家族への支援を欠いた国内においてそのまま鵜呑みにできないし、医師や公的機関の権威のもとに心の内を明かしきれないドナー家族もいるだろう。たしかに、これらの論考では、ドナー家族への精神的なケアの重要性が説かれてはいる。しかし、今後、ドナー家族への精神的ケア、フォローアップへの取り組みが本格的に開始され、支援体制が整備されるとしても、移植医療関係者によるドナー家族の悲嘆心理に対する認識やケアの取り組みが、上に見た諸外国の論調にあるような臓器獲得の目的を動機としたものとなることによって、何らかの見落としやバイアスをはらむものとなる危険がないだろうか。

U グリーフサポートに対する姿勢

 Mongoven(2000)はドナー家族に対するグリーフサポートの姿勢や位置づけに関して、OPOスタッフ(Regional nonprofit organ procurement organizations)とチャプレン(諸派からなるキリスト教チャプレンのみ)の聞き取り調査から双方の姿勢の違いを際立たせている。

 Mongovenによれば、OPOスタッフは、明確に臓器獲得と提供率増加の課題を背負っており、ドナー家族へのグリーフサポートを臓器獲得の意図の下に従属させている。OPOスタッフによるグリーフサポートへの取り組みは、いわば臓器獲得のための手段となっているという。一方、病院付チャプレンは、スピリチュアルな問題や社会的問題に関して患者・家族を擁護することを使命としており、場合によっては、雇用されている施設の方針を問題視することさえ必要となる。それゆえに、ドナー家族に対するグリーフサポートへの取り組みは、臓器提供を越えたより広い課題となる。つまり、優先されるのは、家族が肉親の喪失を受け入れ、立ち直っていく過程へのサポートであり、それは臓器提供の決定如何にかかわらない。OPOスタッフとは逆に、臓器提供はグリーフサポートに従属させられている。また、臓器提供があったとしても、そのことが六ヶ月後、一年後にもドナー家族にとって満足であるかというように、家族の長期的な悲嘆過程の展望の内に捉えられている。OPOスタッフにとって「成功した」場合とは、提供依頼に同意があった場合であり、一方、チャプレンにとっては、提供の如何にかかわらず、家族が悲嘆からの立ち直りに成功した場合である。前者は臓器獲得という「成果」outcomeに注目した姿勢であるのに対し、後者は、「事の運び方」processを重視した方針であるとも言える。[7]

 このような姿勢の違いは、提供の拒否に際しての反応にも表れている。OPOスタッフは「怒り」すら感じる場合があるという。OPOスタッフは臓器提供を「市民の義務」と考えており、また、提供拒否によって自分たちの使命が否定されたと感じるからである。他方、グリーフサポートを優先するチャプレンたちは、「評価は差し控える」nonjudgmentか、あるいは移植医療に積極的であるチャプレンでも「残念である」regretに留まるという。また、チャプレンは家族の精神的、心理的な福利を第一に置くために、臓器獲得に関しては「脇に置く」ことを心がけているにしても、同時に、移植の必要性にも配慮しないわけではない。移植待機患者にも精神的サポートを行っているチャプレンにとっては特にそうである。そこで、チャプレンたちは、移植待機者への配慮と移植可能な肉親の死を看取る家族へのグリーフサポートとの間で、「葛藤」tensionを経験していると述べている。しかし、興味深いことに、チャプレンたちは、この「葛藤」をよきものであると捉えているという。

 しかし、だからといって、MongovenはOPOを告発しているのでも、逆に、チャプレンたちを神聖化するつもりでもないことを注意している。OPOスタッフでもドナー家族のグリーフサポートに熱心に取り組むことも可能であるし、提供率のアップのために始まったグリーフサポートであるにせよ、実際に悲嘆する家族のニーズを適切に満たすことも可能であるからである。結果からみれば、OPOスタッフとチャプレンの悲嘆家族に対する効果ははっきりと区別がつかないかもしれない。しかし、背景になっている臓器獲得とグリーフサポートの優先順位の違いや、「葛藤」の存否にMongovenはこだわりを見せている。

 「私はチャプレンたちが共通して繰り返していた『葛藤を感じることはよいことだ』という言葉を忘れない。これに比べて、臓器提供を促進する機関の内部では、葛藤を『よい』とする感覚が不在であることに驚きを感じる。チャプレンたちの声は預言のように聞こえるかもしれない。その声は、政策方針的議論の中ではしばしば覆われ見えなくなっている問題を考えるようにわれわれを促す。」(Mongoven 2000)

 臓器獲得の課題を担っている組織の者による、提供率増加の意図を背景に持ってなされるドナー家族へのグリーフサポートであれ、結果としてドナー家族の悲嘆心理に対して効果的に作用するとしたなら、殊さらに事挙げて問題視する必要はないのかもしれない。しかし、Mongovenが指摘するOPOスタッフとチャプレンのグリーフサポートへの姿勢の差異に象徴されるような悲嘆家族への姿勢、さらには移植医療そのものに対する姿勢の違いは、現実的な結果としては区別できないものであったとしても、理念的には決定的なものではないだろうか。臓器移植医療は、提供の諾否に対する決定の自由が、医療環境的にも社会環境的にも繊細に確保されている条件の下でのみ真正なかたちで成り立ち、また、その条件においてのみ多くの人々の理解を得ることができるだろう。Mongovenの指摘するように、OPOにとって、悲嘆家族は臓器獲得のための手段や道具になっているという事実は、たとえドナー家族へのグリーフサポートが適切に行われていたとしても、はやり移植医療に対する不信感を招来することになるだろう。

 このように、移植医療におけるドナー家族ないし潜在的ドナー家族に対する精神的ケア、グリーフサポートは、移植医療そのものの自然な要請から、提供を前提としたり、提供を促進したりする意図によって常に圧力を受ける可能性に曝されていると言えるだろう。それゆえ、その純粋性を保つためには、この種のケアの位置づけ、姿勢に慎重さを要することがわかる。さらに、このようなケアが、肉親の死を看取る物語、喪の物語というようなものの方向づけに関与する可能性があるだけに、臓器獲得と移植医療に携わる者たちに対しより重大な責任を投げかけることになるだろう。

V 臓器提供と悲嘆心理の分離不可能性

 さらにMongovenの報告を見てみよう。臓器依頼に関わるチャプレンの聞き取り調査から報告さてれいるもので、肉親の死と、臓器提供に関する決定との分離の難しさがある。従来、脳死移植の方針として、死を伝える過程と臓器の提供依頼とを情報的に分離することがなされている。つまり、肉親が脳死状態にあることや、脳死は人の死であることを家族に告知することは、臓器提供の依頼に先立って、それとは分離したかたちでなされなければならないということである。それは、家族が肉親の死を納得するためであったり、臓器摘出のために救命が十分になされなかったのではないかという疑念を払拭するためである。しかし、このような死と臓器提供の「情報的な分離」informational decouplingにもかかわらず、肉親の脳死という出来事に対して心理的に対処しようとする家族の視点から見るならば、「心理的な分離」psychological decouplingは困難であると、チャプレンたちは指摘している。

 「ほとんどのチャプレンは、情報的な分離がなされていた場合でさえ、また、家族のメンバーたちが脳死の概念を正確に頭ではわかっている場合でさえ、『心理的分離』(私の用語)の難しさを強調している。何人かは次のことに注意している。つまり、どんな悲嘆の過程においても、知ることknowingと受け入れることacceptingとは異なる段階に位置している。脳死あるいは臓器提供の問題は別にしても、肉親が死んだと言われることと、その肉親が死んだことを真に受け入れることことは別物であるのが常である。」(Mongoven 2000、挿入原文)

 肉親の死についての、知ることと受け入れることとの時間的なずれは、特に脳死という死においては顕著なものとなる。なお体は温かく、胸郭が上下している状態で、脳死という死は告げられるからである。また、移植がなさるのであれば、かえって臓器保護のために呼吸と循環が維持され続けることも、死と臓器提供との心理的分離を困難にするだろうと、Mongovenは指摘している。

 われわれは臓器提供というものを、肉親の死を看取った後に、家族に提示される一つの選択肢として存在するものだと漠然と考えがちではないだろうか。脳死を経て亡くなる場合でも、脳死を人の死として理解し、その後、場合によっては提供が選択されるというように、臓器提供を死と区別して、死の後に位置づけているのではないだろうか。しかし、実際に肉親の脳死と臓器提供の選択に直面したドナー家族の視点からするならば、両者は心理的には渾然一体となった一つの出来事、あるいは、少なくとも心理的に強い連鎖で結びついた一連の出来事と言えるのではないだろうか。つまり、突然死を看取ることと臓器提供は二つの別の事態ではなく、提供に関する決定は付随的なものではないということである。このことは、二つの事態が単に時間的に近接しているということではなく、心理的に密接な関連を持っているという意味において理解される必要がある。したがって、家族にとっての臓器提供に関する決定は、決して肉親の死を看取ることと切り離して考えることはできず、肉親が生命の危機に陥っている事実と直面した時から始まる一連の喪失体験の内部に位置づける必要が出てくる。このことは、ドナー家族の悲嘆心理、つまり、臓器を提供して肉親の死を看取ることがもたらすドナー家族の心理への影響の重みを理解するためには、また、そこから由来するドナー家族の特別なニーズを認知するためにも重要な視点であろうと思われる。

W 「受容」というトリック

 肉親の突然死を看取ることと、臓器提供を決定することは心理的に分離できない一つの出来事であることを理解するために、まず、家族によって臓器提供の同意がなされるのは、完全な意味での「死の受容」期にはありえないことを確認することから始めよう。

 脳死状態あるいは脳死状態を経た心臓死後における臓器提供が行われる場合、たいていは突然の発病あるいは不慮の事故をきっかけとし、病院に収容され脳死状態に陥り、臓器の提供に承諾がなされるのは時間的に非常に短い期間である。肉親の死と臓器提供という家族の成員にとって重大な出来事であるにもかかわらず、あまりにも瞬時の出来事である。このことは、先に触れたように時間的な近接性だけではなく、心理的な意味でも極めて切迫している。危機の発生に際する最初の反応である「ショック」を広い意味で捉えるならば、家族は、最初のショックから抜け出せないままに臓器提供に同意してしまうのではないだろうか。[8]

 先に挙げた国内のドナーコーディネーターによる文書は、悲嘆心理の知識やドナーコーディネーターとしての経験を背景にして提供依頼の時期を教示している。まず、コーディネーターの教材になっている文書では、提供依頼の時期に関して次のようにある。

 「家族が故人との生活を偲ぶように過去形の話をはじめたり、医療従事者の懸命な努力にもかかわらず、救命することができなかったがスタッフに感謝する言葉を述べたり、故人の人柄やその功績をふりかえったりするなど、現実の運命を受け入れはじめる言動を聴取できるようになる。さらに、家族が脳死に対しては、医師や看護婦の懇切な説明によって、すべての生命維持操作・延命術を断念すべき時がきたという現実を認め、これらを停止してほしいと願うようになる。(……)/一般的に、否認の段階を過ぎて、この死の受容の段階に入ってはじめて臓器・組織提供の依頼をもちだすべきである。」(白倉・若杉1997a、強調筆者)

 「いつがよいか。/親族が愛する人の脳死を理解し、それを完全に受け入れている状態(受容段階)になってからが望ましい。」(同上、強調筆者)

 臓器提供の依頼は、このように「死の受容の段階」、「親族が愛する人の脳死を理解し、それを完全に受け入れている状態(受容段階)」に行われるのが相応しいとしている。また、この段階の前には、「否定の段階」が位置すると述べられている。

 ところが、ここに奇妙な事情がある。この文書には、家族への精神的ケアのための知識として、「悲嘆過程」の五段階のステージモデルが記載されている。その五段階とは、

 @ショック(第1段階)A混乱(第2段階)B探索(第3段階)C受容(第4段階)D立ち直り(第5段階)である。

 では、先に提供依頼に適当だとされていた「受容段階」とは、このステージモデルの第四段階の「受容」期を指しているのだろうか。文書は、「否認の段階」を第三段階の「探索」の段階に位置づけており、また、第四段階の「受容」の項の説明には、「探索行動が弱まり、否認の感情が不毛だと思われるにつれて、その事実が受け入れられるのが受容である」とある。しかし、一般に悲嘆過程grief processにおける「受容」acceptanceとは、死の「認知」acknowledgementあるいは死の「気づき」awareness, realizationがなされる時期よりもかなり後に位置するのではないだろうか。[9] 脳死移植が問題になる場合、たいていは突然死であり、予期悲嘆anticipatory griefの期間さえない場合が多いであろう。文書にも、「現実を認識し、喪失を完全に受け入れるためには、かなりの時間がかかる」と説明されている。おそらく文書は、「受容段階」を肉親の脳死を死とみなし、延命措置を撤去することに納得した時点のことを意味しているように思われる。しかし、文書では、悲嘆過程における受容期と、脳死を死と理解する受容期との区別に関しては一言も述べられておらず、同じ「受容」という言葉で扱っている。しかも、「否認」から「受容」への移行の図式は、悲嘆過程と脳死を死と認める過程にも共通に(あるいは同一のものとして)用いられている。

 文書は、死別体験bereavementを「悲嘆」griefと「喪」mourningに分けて説明し、「正常な悲嘆は一般に初期の段階でみられ、喪はそれに引きつづいて行われる」とあるように、悲嘆過程を比較的に短期のスパン、一方、喪の過程を長期のスパンで考えていることがわかる。[10] しかし、悲嘆過程を初期の比較的に短期の心理過程として捉えるにしても、文書に説明されている悲嘆過程の第四段階である「受容」と、脳死状態にある肉親の死を認知することは区別されるべきではないだろうか。というのも、悲嘆過程ないし悲哀・喪の過程と呼ばれる心理過程や、さらには「危機」crisis(Fink 1967)あるいは「情緒的危機」emotional crisis(小此木 1979)と呼ばれる心理の過程であっても、それは単に認知の経過だけではなく、情緒的な要素を多分に含み、生活の意味体系の再形成に関わる心理的進行だからである。

 肉親の脳死を死と認めることが、当初は否定し、時間が経つにつれこのまま延命するのは忍びないというように家族の思いが変化し、死であると納得するというように進行したとしても、それが悲嘆過程に言う死の「受容」であるとは考えられないだろう。脳死を死と納得することは、死の認知のスタートであって、たとえばWorden(1982)のいうように「情緒的にほんとうに受け入れられる」(訳書16頁)のは、もちろん個人差があるにしても、その後数週ないし数ヶ月後、あるいはそれ以上後になるのではないだろうか。また、心臓死を待たず脳死状態から臓器提供を行う場合には、むしろ死の認知すら完全に達成されない可能性があるとも言えよう。

 ここには、両過程を混同する危険性があるのではないだろうか。さらにこう言ってよければ、この混同の可能性には、脳死を死と納得する「受容」がすでに、悲嘆過程においても肉親の死を「受容」していると考えたいという、臓器調達の任を担う人たちの願望が表れているのではないだろうか。つまり、臓器提供がなされる時点では、家族はすでに脳死を人の死と認知することだけでなく、肉親の死を情緒的にも十分に納得し受け入れているacceptanceとみなすことによって、臓器提供がその後のドナー家族の心理に大きく影響を与えることはないと考えたいという願望がである。このような「受容」という言葉のトリックに注意しなければならないだろう。そうでなければ、肉親の死の看取りと臓器提供とを、Mongovenの言う「心理的分離」を行うことによって、臓器を提供して死を看取ることが、ドナー家族の悲嘆心理に長期にわたって深く影響を与えることを過小評価することにも繋がりかねないからである。

 また、ドナーコーディネーターである廣田氏は、みずからの臨床経験を踏まえて、ドナー家族の悲嘆反応の進行を解説し、提供依頼の時期を提案している(廣田1991)。

 廣田氏の論考では、肉親の事故や発病に直面してから臓器提供を決心するまでのドナー家族の悲嘆反応の推移が、「ドナー家族の死への準備的心理過程」として図表で示されている。それによれば、出来事の認知的側面として、@事故・発病に直面―医師の説明の受け入れ、A脳死の認知―生命維持操作の断念、B臓器提供依頼への承諾―葬送の心理的準備、CDNR・心停止の確認の四項目が配置されている。また、それらに平行して心理的反応の側面として、@ショック・否認、A恐れ・怒り、B取引き・希望、C悲嘆・抑うつ、D受容・再起の五段階が置かれている。家族はこの間、最初期のもの以外にも事態の変化に際して数度のショックを受けながら、徐々に肉親の死を受け止め、場合によっては臓器提供を決断して行く。そして、「葬送の準備的段階」で、肉親の生前の思い出が語られるようになり、家族によっては、臓器提供によって他人の体の中で生き続けることができると語られるようなこともあるという。

 提供依頼の時期に関して廣田氏が推奨しているのは、この「葬送の準備的段階」である。「家族が生命維持操作を断念すると同時に、家族はすぐに心理的な葬送の準備状態にはいるので、この時点で、タイムリーに臓器提供依頼を行うのが望ましい」。ここには、家族が、肉親の臓器提供を、肉親の死を看取る一種の「物語」の一要素として捉える心理が伺えるが、この点は後述したい。

 さらに廣田氏は、提供依頼の時期についてまとめとして、次のようにも述べている。

 「ドナー家族の『死への準備的心理過程』には、脳死、生命維持操作などの医学的事実の認知的作業と、ショック、否認、悲嘆などの心理的反応の二つの側面がある。臓器提供依頼するには、これらの心理過程を考慮に入れつつ、家族が死を受容できる段階において、医学的、心理的、倫理的側面を考慮したアプローチの原則に基づいてタイムリーに行うことが望ましいと思われる。」(廣田 1991、強調筆者)

 このように、廣田氏の場合でも提供依頼の時期として死の「受容」という表現が用いられている。この場合の「受容」は、明らかに脳死を死とみなすという意味での受容であり、廣田氏自身が紹介している「死への準備的心理過程」における心理反応としての「受容」ではないはずである。というのも、廣田氏が提供依頼に適当としている時期は「葬送の準備的段階」であり、廣田氏が挙げている図表において、それに対応する心理反応のステージモデルでは、「受容」より以前の段階に位置づけられている「取引き・希望」ないし「悲嘆・抑うつ」の段階であるからである。しかし、同じ「受容」という言葉を用いているにもかかわらず、この区別に関して廣田氏においても一切注意されておらず、混同の危険性は否めない。

 それにもかかわらず、廣田氏の記述から明らかになるのは、臓器提供依頼や家族による承諾がなされるのは、いわゆる悲嘆過程や喪の過程における死の受容期ではありえず、むしろそれ以前の、ドナー家族が肉親の死の受容に向けて行う何らかの準備的作業、模索の段階であるということである。廣田氏の図表にも、「喪の作業」という斜線が最初期のショック期を開始点として徐々に進行して行くことが示されている。ということは、ここにおいても、肉親の死を看取ることと、肉親の臓器を提供する決定をなすことは分離できず、悲嘆心理あるいは「喪の作業」という心理過程において、両者は分かちがたく噛み合っていることが図らずも示唆されているのではないだろうか。

 国内ではじめてドナー家族の悲嘆心理と臓器提供の関係に言及している文献は、おそらく、みずからがご子息の腎臓を提供した経験を持つ杉本建郎氏のものであろう。杉本氏は長男、剛亮君を交通事故で亡くされ、その際に腎臓を提供している。『着たかもしれない制服』(杉本1986)には、事故の一報から、剛亮君が脳死状態に陥り、四日後、心停止を待って腎臓提供が行われるまでの経緯が、心境の推移とともに克明に記述されている。また、同書の終わり近くで、自身の悲嘆心理の経過と臓器提供とをKubler-Rossの死に行く心理の五段階モデルに準拠して分析している(176-178頁)。

 まず、自身が小児神経医であることもあり、予後に関して医学的には正確に把握していた。しかし、同時に剛亮君の生き生きしている体を見て、絶望的であるとは認めたくない否認の意識が起きたという。また、育児、教育面での反省と自責の念が生じる。三日目になり、「私達夫婦は剛亮の姿を見て『よくここまで頑張ったね』という気持になっていた。死の受容が始まった」。そして、四日目、容態の悪化を目の当たりにし、「私の気持は、この状態を剛亮に強いるのは酷である、可哀相であるという方向に少しずつ変わってきた。妻も『目がダメになり、脳もとけてくると思うと耐えられない』と言うようになっていた。受容が進んできたのだ」。

 臓器提供の発想はこの時、生じてきたという。

 「人間とは、絶望の中でもワラをもつかむ思いで、何かの可能性を見出そうとするものだ。やがて心停止を迎え、最愛の息子がこのまま灰になって、この世から姿を消してしまうのが、可哀相で仕方がない。それは悲しくて耐えられないことだ。やがて『剛亮がほんの短い間生きたこの社会に、何か貢献できることはないのだろうか、さらに剛亮の体の一部でもいいから、生き続けてくれる方法はないものだろうか』と考えるようになった。最後の望みであった。『死を認めなければいけない。でもその代わりにせめて臓器の一部でも生きさせてほしい』―あるいはこれは『取り引き』といえるかもしれない。親の勝手な判断と言えなくもないが、腎移植をお願いすることにした。」(杉本 1986、178頁)

 杉本氏によれば、入院三日目に「死の受容」が始まり、さらに四日目にそれが進み、臓器提供が発想された。興味深いことに、杉本氏は臓器提供の決心を「取り引き」かもしれないと自己分析している。杉本氏が参照しているKubler-Rossのステージモデルでは、「取り引き」、つまり「『避けられない結果』を先に延ばすべくなんとか交渉しようとする段階」(Kubler-Ross 1969、訳140頁)は「受容」の二つ手前に位置づけられており、順序が逆転している。もちろん、どのようなステージモデルであれ、文字通りの適用は適切ではない。しかし、この場合でも「受容」とは、脳死が死とほぼ同等であることがようやく現実的に実感されるようになったという意味であって、正確には死の「認知」の開始にとどまるのではないだろうか。あるいは、このようにも言えるのではないだろうか。つまり、杉本氏が繊細に記述しているように、まさに「死の受容が始まった」ないし「受容が進んできた」のであって、完全な意味での「受容」の完了ではなく、そこへ向けて「受容」の心理が開始され始めた段階であり、なお進行中であると。したがって、この場合でも、提供以前に悲嘆心理として十分な死の受容がなされているのではないと考えるのが適当ではないだろうか。

 このように、提供依頼あるいは提供同意がなされるのは、ドナー家族にとって肉親の死の認知がようやく始まった時点であるにしかすぎず、悲嘆過程に位置づけられる情動面を含めた意味での「死の受容」期ではありえないことがわかる。むしろ、ドナー家族はやっと認知し始めた肉親の死をどのような仕方で納得していくのかを模索しているような段階で、臓器の提供依頼を受けたり、あるいは家族によっては自発的に臓器提供を発想する。そして、このようにしてなされた臓器提供が、肉親の死を看取るドナー家族の心理過程に深く組み込まれることによって、その後のドナー家族の喪の歩みに一定の方向性を与えることになると言えるのではないだろうか。杉本氏は、次のように記している。

 「(……)親として我が子の死を受容できた時、腎提供の決断は、今後の自分達の活路を求めているうちに自然にたどり着いた『結論』だった。」(同上)

X 対処としての臓器提供

 肉親の突然死の看取りと臓器提供は分離できない事態であること、あるいは臓器提供が肉親の死の看取りの過程に組み込まれていくことを、より密接な心理的連関から見てみよう。Pelletier(1992,1993)は、肉親の臓器提供を経験した7家族9人への面談調査を行い、それをLazarusと Folkmanによるストレス・対処理論(Lazarus & Folkman 1984)の観点から解釈している。

 LazarusとFolkmanのストレス・対処理論によれば、心理的ストレスとは、「人的資源に負担を負わせたり個人の資源を越えたり、また個人の安穏を危険にさらしたりするものとして、個人が評価する人間と環境の関係から生じるもの」(Lazarus & Folkman 1984、訳24頁)であり、「対処」copingとは、ストレスある環境に対して「適切に処理し統制していこうとしてなされる、絶えず変化していく認知的努力と行動による努力」(同書訳134頁)と定義される。対処は機能的側面から、問題のある事態を直接処理し変化させていこうとする「問題中心の対処」と、その事態から引き起こされる苦悩をもたらす情動反応を宥めようとする「情動中心の対処」とに区別される(同書155頁)。特に後者は、事態が自分の力では変化させられないと評価された場合に用いられる傾向にある。また、この対処理論に特徴的なのは、ストレスある環境への評価や対処のあり方を力動的な過程として捉えていることである。

 Pelletierはこのようなストレス・対処理論を枠組みとし、予期、直面、直面後の三段階を区切って、各段階においてドナー家族が最もストレスを感じると評価した事柄や体験された情動、そしてそれらに対して選択された対処方法を挙げている。それによれば、肉親が入院して脳死が確定するまでの予期の段階においては、家族は、肉親が瀕死状態に陥るという事態に遭遇した狼狽と予後の不確定さに対する不安の中で、「情報を求めること」、「情緒的サポートを求めること」、「人々とのつながりを維持すること」、「逃避・回避」、「計画的に問題を解決すること」、「コントロールを行使すること」などの対処方法を選択している。そして、肉親の脳死が確定する直面の段階において家族は、死を納得できない「不信感」disbelief、ショック、麻痺、怒り、悲しみという感覚に圧倒されている。そして興味深いことに、Pelletierによれば、この段階で共通して或る唯一の対処方法が選択されているという。

 「家族のメンバーが、肉親の突然の病気や喪失に対処する印象的で意外な方法は、臓器提供を決心することによってなされる。二組の家族は医師から依頼されて同意しているが、五組の家族は臓器・組織の提供を提案している。これらの家族は、肉親が救急救命センターに収容されて数時間か数日中に、また脳死判定が確定する以前に医師に依頼している。」(Pelletier 1992)

 「臓器提供への同意は、それが究極的で突然の喪失の結果を、積極的な何かへと変容させる手段を与えるものとして対処方法である。」(ibid)

 さらに、Pelletierは臓器提供に同意する動機づけの要因として、「提供したいという肉親の願いの強い尊重」、「彼らの願いを実現することへの疑いのない関心」、「臓器提供が、肉親の突然の喪失をより肯定的な何かへと変化させることができるという信念」(Pelletier 1993)を報告している。

 このようにPelletierの成果によれば、臓器提供が、肉親の突然の不幸に直面して、それに対処しようとする家族自身の心理過程から帰結する可能性があることがわかる。もちろん、このような心理的帰結は、臓器移植が社会的あるいは個人的にすでに高い認知を得ている場合に限られるだろう。脳死を死と認めず、延命維持を選択するという対処方法も十分考えられるだろうからである。だが、明らかなのは、臓器提供は、肉親の死を看取る家族の心理(悲嘆心理ないしは対処心理として)と不可分であり、両者は強く結びついているということ、また、場合によっては、依頼を待たずに家族自身から要求される可能性があるということである。[11]

 ということは、脳死を人の死と再定義することは、「患者とは無関係な利益への関心」にあるとする有名なヨナスの批判(Jonas 1980)に加えるに、「患者と無関係な利益」にはドナー家族の心理的利益 [12] も含まれることも予想されるのである。Pelletierの報告では、医師が肉親をポテンシャル・ドナーと特定するのを怠ったり、それが遅かったのではないかという疑念や、家族が臓器提供の希望を訴えたのに医師から返事が返ってこなかったことが、家族にとってストレスの一因になった例も挙げられている。また、なかには提供を懇願した家族もいたという。Pelletierは問題点として、喪失の現実が確証される時期が遅れたり、臓器摘出の後に遺体に面会していないことが、死についての疑問や未解決の疑念を生み出すことを指摘している。

Y 「死の意味づけ」、「葬りの物語」としての臓器提供

 突然死である肉親の死を看取ることと臓器提供が、心理的に強い結びつきを持つことを、臓器提供が肉親の喪失という苦境への「対処」として選択されることを見た。次に、死の看取りと臓器提供の心理的連関を、さらに具体的な体験内容に即した観点から捉えてみよう。

 家族にとって、多くの場合突然であり、また若い肉親を失うという事態は、あまりにも衝撃的で不条理な出来事である。人生を支える深い次元での意味が危険にさらされている時期であるともいえよう。そこで、肉親の突然の死を納得し、受容するためには、肉親の「死の意味づけ」あるいはその意味づけが形づくる「葬りの物語」が必要になってくる。[13] 早い時期にドナー家族へのグリーフサポートの必要性を説いているPittman(1985)は、すでにこの作業の意義にふれている。「死の意義を見出したり死を意味あるものとする(納得する)make sense試みにおいて、悲嘆する人々は、死の『物語』“the story” of deathを、それが彼、彼女の心に心地よくぴったりと当てはまるまで繰り返し語ろうとする。このことは気持ちを和らげたり距離を取る効果を与え、悲嘆の緊迫感を減らす。これは理解understandingと受容acceptanceの一部分である。」(Pittman 1985)

 意味づけ、物語は、先に見た国内の移植コーディネーターの論考において、提供依頼の時期として最良であるとされていた「心理的な葬送の準備状態」(廣田 1991)の時期に開始されるように思われる。またMagisque & Payne(1996)は、「提供についての決定は、しばしば入院期間において関係者が何らかのコントロールが与えられる最初の時間である」とし、Pelletier(1993)は対処方法の一つとして「コントロールの行使」を挙げている。

 ここで理解しなければならないのは、まず死の意味づけがあって後に死の受容があるのであって、逆に受容があって意味づけ、物語が行われるのではないということである。あるいは、意味づけつつ受容がなされる、物語りつつ受容がなされるということである。そこで問題になってくるのが、肉親の死の意味づけ、物語の骨格として肉親の臓器提供が入り込んでくるということである。臓器提供によって「不幸な出来事からよいことが引き出された」、あるいは「無意味な喪失に意味が与えられた」というような、多く報告されているドナー家族の感想は、このような事情を意味していると思われる。Fox & Swazey(1992)は、提供の心理的強制を指摘する文脈で次のように書いている。

 「死体臓器のほとんどは、交通事故で致命傷を受けたか、自殺するかした若くて健康な人たちからのものである。これらの突然で予期せざる死は、とくに悲劇的であり、納得するための意味づけの問題をかかえている。このような死に直面して悲嘆にくれる家族は、ややもすると、若い肉親の臓器を提供するような強い力で促されがちになる。というのは、提供でもしなければ、道徳的にも実存的にも不条理な体験から、いかなる救いも見出せないのではという強い思いがあるからである。」(Fox & Swazey 1992、訳78頁)

 もっぱら臓器獲得にのみ関心を置くなら、家族からの自発的隷従とでも言えるこのような現象は好都合に映るだろう。提供依頼や移植用臓器の必要性を説明する労を払わずに、家族自身が肉親の死を意味づける方法として、臓器提供を自発的に死の看取りの過程に組み込んでしまうからである。移植用臓器の摘出という状況、つまり、若い患者の突然死では、このような心理が働くことが注意されなければならない。しかし、このような心理を外部から指摘し、批判するのは容易であるが、ドナー家族にとってみれば、強烈な悲嘆感情の中で肉親の死を納得する意味づけを行おうと必死であるはずである。その際、意味づけに臓器提供が選択されたとしても不思議ではない。問題なのは、このような意味づけあるいは物語の影響がドナー家族にとって臓器提供の後も長期にわたって持続し、そこから由来するドナー家族の特殊なニーズが存在し続けることへの考慮が十分であるか否かであろう。

 では、具体的に意味づけ、物語を創ることはどのようになされるのだろうか。もとより広範な調査が必要であろうが、ここでは国内で公表されているドナー家族自身によるいくつかの手記を対象にしてみよう。

 柳田邦男氏は『犠牲』(柳田 1995)において、「物語ることの重要性」という一章を割いて(220頁)、ドナー家族として自覚的に「納得できる物語」、「受容への物語」について記述している。

 「救命医療においては、二、三日、あるいは数時間という短い時間のなかで、納得のできる物語をつくらなければならない。物語をつくるのは不可能にしても、せめてこころをその方向に向くように落ち着かせなければならない。」(柳田 1995、221頁)

 「温もりのある体全体、喜びや悲しみを表現してきた体全体に語りかけ、その体全体から最後の何かを読み取ろうとし、受容への物語を創ろうとしているのだ。」(同書223頁)

 洋二郎君の入院三日目、脳死の可能性を告知された柳田氏は洋二郎君が骨髄バンクに登録していたことを思い出し、骨髄提供を主治医に願い出る。しかし、骨髄提供に関しては適合者が見つからず、五日目に、主治医からその代わりとして腎臓提供を提案される。柳田氏はあくまで洋二郎君の意思を重視し、洋二郎君の遺した手記を読み込みながらその意思を探る。手がかりは、明確な提供意思のある骨髄提供の動機である。柳田氏は洋二郎君の文書に、洋二郎君がタルコフスキーの「それ(自己犠牲)を実現できずに死を迎えるのは実に悲しい事でしょう」という発言をみずからの問題とし、「願わくは『自己犠牲』の機会を待つ」と記されていることに注目する。しかし、洋二郎君の自己犠牲という信念の具体化である骨髄提供は実現しない。そこで柳田氏は腎臓提供を決心する。

 「だが、せっかくのドナー登録も、彼の死とともに遠からず抹消され、彼の最後の証しが消滅してしまう。これでは犬死にではないか。いま彼自身がなしうる具体的なことは、他にありうるのか。そう考えると、富岡医師が示唆してくれた腎提供という行為は、骨髄提供に十分に代わりうるものとして、洋二郎は納得してくれるに違いないという確信を持つことができた。」(同書127頁)

 まず、骨髄提供を希望していたことが、洋二郎君にとって大きな意味を持っていたことがある。そして、残念にも若くして人生を終えなければないらない事態に際して、柳田氏は、その洋二郎君の希望、あるいは洋二郎君が「この世に生きた証し」を腎臓提供として実現することによって、洋二郎君の「自己完成」、「志の成就」を助けようとした。

 柳田氏の場合を例にとれば、肉親の突然死に対する意味づけ、物語は、亡くなる肉親の人生の軌跡や生き方、考え方を主題として紡がれていることがわかる。そして臓器提供の意思は、この主題を象徴する事柄として意味づけの核となっている。「逝く肉親の意思(遺志)の実現」あるいは「自己実現の代行」としての意味づけ、物語と理解できるのではないだろうか。

 また、次の文書には、洋二郎君の腎臓提供を決心すること、つまり、臓器提供して死を看取るという意味づけがなされたことが一つの対処として効果を与えていることも伺える。

 「不思議なことに、前夜腎提供を決心してから、洋二郎と永遠に別れるのだとか、洋二郎は死んでしまったのだといった悲哀や惜別の感情が薄らいでいた。それどころか、洋二郎の志を成就させるために最善を尽くそうという前向きの感情が強くなっていた。」(同書127頁)

 ところで、柳田氏の場合、一般的に見れば、提供意思を推測するいわゆる「忖度」による提供とみなされるだろう。では、本人の提供意思がはっきりしている場合はどうであろうか。国内において脳死状態からの臓器提供であれば、看取る家族が直面する課題は、脳死が人の死であるかどうかではなく、それ以前に逝く肉親の提供意思をどう扱うのかということになる。 [14] 国内における脳死状態での臓器提供意思があった八例の報告では、「『本人の意思を尊重したい』という家族の思いは事例すべてに共通していた」(加藤 2001)という。おそらくこのような場合でも、肉親の突然死に対する意味づけは、提示された肉親の提供意思を核として、逝こうとする肉親の人柄の評価を主題として紡がれることになるだろうことが予想される。

Z 同一視から由来する問題

 吉川隆三氏による『あぁ、ター君は生きていた』(吉川 2001)には、杉本氏の事例と同様に、本人の提供意思がなく忖度すら困難な小児であるわが子の臓器提供の体験が切々とつづられている。

 吉川氏の長男、五歳の忠孝君は突然の脳出血によって昏睡状態に陥る。入院五日目、すでに脳死に近いことを告知されていた吉川氏は、ご自身が献眼、献腎に登録していた経緯から、忠孝君の腎臓提供を思い立つ。

 「『ひょっとして、他人の体を借りて、忠孝を生かす方法があるんじゃないだろうか』/ 具体的にいえば、腎臓を提供するという形をとれば、すでに絶望視されてしまった忠孝を生かしてやることができるのではないかと考えついたのです。」(吉川 2001、51頁)

 「これで忠孝が生きられる。たとえ、体の一部でも、他人の体を借りてであっても、忠孝がこの世に生きつづけられる道が見つかったのです。/ それまで、私をさいなんでいた苦しみは、霧が晴れるようにきれいに消えていました。」(同書52頁)

 吉川氏は忠孝君が摘出のために病室を出る時に、新しいところに着いたら知らせてくれるように「約束」したという。しかし、その「約束」は一年経っても果たされない。吉川氏は、忠孝君が怒っているのではないか、親の勝手で提供したしまったのではないかと、後悔と罪悪感に苛まれ自殺すら考えるようになる。原因は、吉川氏によればレシピエントからの連絡が一切なかったからである。

 「腎臓を提供した後の私たちの気持ちは、うまくいい表すことができませんが、強いていうなら、『忠孝は見も知らない家に養子に出した』という感覚でした。ところが、その家に着いたという連絡が届かない。半年待っても、一年待っても届かない……。そのために、忠孝が『行方不明』になってしまったような思いに陥ってしまったのです。(……)忠孝の腎臓がいまもたしかに生きつづけていることを、しっかりとたしかめたい、その思いがますますつのっていったのです。」(同書89頁)

 吉川氏はみずからレシピエントの情報を求め歩くが、匿名性の原則によって阻まれてしまう。その後、摘出から15年後にレシピエントから一報があり、吉川氏は救われたという。

 吉川氏の場合、ドナー家族の心理の一つとして指摘されている「ドナーとレシピエントとの同一視」the donor-recipient identificationといわれているものを顕著に見て取ることができる。この種の同一視は、古くはFulton & Simmons(1977)が触れているが、Siminoff & Chillag(1999)も、提供の動機に関して、ドナー家族によるドナーとレシピエントの同一視ないしはドナーをレシピエントの体で生かすという動機を指摘している。「臓器提供に同意する最も一般的な理由のひとつは(特に青年や子供の家族の場合は)、患者が何とか他人の体の中で生きていくことへの希望からである。」Siminoff & Chillag は、提供の動機として、同一視を取り上げているが、われわれとしては、この同一視あるいはドナーをレシピエントの体の中で生かすという心理を、肉親の突然死の意味づけ、物語の構成要素として捉えておきたい。それは、同一視の心理が提供後もドナー家族の心理を強く支配し続ける、その持続性を重視することができるからである。

 北イタリアの20組のドナー家族に対する面談を行ったSpina et al(1993)によれば、ドナー家族たちには、いわゆる「人道的な」理由を越えて、レシピエントと亡くなる肉親を同一視することによって肉親を生かし続けようとする願いが、目立たないがやはりはっきりと伺えるという。Spina et alの調査によれば、この同一視は、提供から四、五ヶ月で消える傾向があり、その際、18の家族は第二の危機を経験していた。家族たちは、二回目の死別を経験するかのようであり、それは最初のもの以上にさらに辛いことを訴えている。また、その時に「なにか故人の『行方を見失って』しまったような気持ちに由来する深い罪意識の感情」が生じている。提案として、十分に肉親の死を納得すること、提供をもっぱら公平さや人間の連帯のしるしとみなすことによって、ドナーとレシピエントの同一視の心理機制を予防することを挙げている。

 Spina et alは、匿名性の原則によってレシピエントの情報入手や面会が困難であるから、ドナーとレシピエントの同一視はやがて消失するとしているが、詳しいドナー家族の苦悩の行く末は報告されていない。この点、吉川氏や杉本氏は、レシピエントの情報にアクセスできないことに由来する苦悩を伝えている。[15]

 このようなドナーとレシピエントの同一視は誤った認識であり、たとえそのような心理が働いたとしても、匿名性の原則によってやがては消え去るであろうと楽観するなら、それは、ドナー家族の心理的リスクへの根本的な誤認であり、ドナー家族に対するネグレクトにも等しいだろう。ドナー家族が必死の思いで同一視を用いた意味づけを行うことは誤りではないし、同一視から由来するレシピエントの情報に対する欲求も、時間が経過しようとも消えずにむしろ持続するのではないだろうか。Magisque & Payne(1996)も「時間が経っても、提供の影響は、レシピエントについて持続的に情報がほしいという点において永続化すること」を示唆している。それというのも、臓器を提供して肉親の死を看取ったからであり、肉親の死の看取りへの意味づけ、物語に臓器提供が決定的に組み込まれているからである。肉親の、特に幼いわが子の突然死は、親にとってみずからの存在や生活を支えていた意味体系の崩壊を招く危機と言ってもよいだろう。そして、その崩壊しかけた意味体系は、わが子をドナーにすることによって辛うじて再建されたと言えるのではないだろうか。つまり、わが子の臓器提供は、親の存在を支える再建された意味体系の深い部分に組み込まれていると考えるべきではないだろうか。そうであれば、数ヶ月あるいは数年経てば、レシピエントの情報への欲求が消失するだろうと考えることはできない。しかし、だからといって直ちに匿名性の原則を破棄し、レシピエントの個人特定可能な情報まで開示すべきであるとか、ドナー家族とレシピエントの面会を促進すべきであることを示唆するつもりはない。そうではなく、レシピエントの情報通知の問題も含め、臓器を提供して肉親の死を看取った心理から由来するドナー家族の特殊なニーズを認知し、対応していく複雑で繊細なフォローアップへの取り組みが可能かどうかが問われているのだろうと思われる。

 そして、最後に指摘しておきたのは、肉親の死の看取りという個々人の人生にとって重大な事柄が、移植医療に籠絡されることへ懸念である。突然死と臓器提供という事態は、臓器を提供して肉親の死を看取った死の意味づけや葬りの物語を生み出す。このような死の意味づけや葬りの物語を、臓器提供の広報活動のレトリックが、あるいはドナー家族の意に添うからといってフォローアップの取り組みが、これを促進したり、ましてや強化することはできない。提供について、ドナー家族は認知され感謝されるべきであることは当然であるが、賛美、賞賛されたり、提供して看取った物語を何らかの儀式によって制度化することに対しては十分に注意が払われるべきであろう。というのも、そのことが提供への心理的強制を生みだし、また、脳死・臓器移植医療に対する不可欠な批判と警戒を封じることになる危惧があると思われるからである。



〈注〉

[1] 森岡正博氏は、中日新聞に連載されたドナー家族の手記(中日新聞 1999)を取り上げながら、印象的な表現で次のように述べている。「(……)脳死からの臓器移植について、世に伝えられている程、さっといく話ではない。人間の心とか思いとか、無茶苦茶に引き裂いたり、辛いところに追い込んでいったり、逆に救いのようなものが与えられたりしながら何かしていく、これはすごいことだ。こういうリアリティーですよ、脳死者から臓器を取り出すということは。」(森岡 2001a)この手記の分析は森岡(2001b、87-95頁)に詳しい。

[2] 2000年3月から厚生労働省「脳死下での臓器提供事例に係る検証会議」がドナー家族の心情把握を開始している。しかし、プライバシー保護を理由に内容のある情報はほとんど公開されていない。一方、国内で初めてのドナー家族による自主組織、「日本ドナー家族クラブ」JDFCが2000年9月に発足している。また、ドナー家族による優れた手記も少数であるが発表されている。(杉本 1986、1988、柳田 1995、中日新聞 1999、吉川 2001など。)ドナー家族相互の経験の共有と、認知されにくいニーズを社会に発信する意味でも非常に有益である。
 脳死移植が普及している欧米諸国では、すでに移植に関する公的な機関がドナー家族に対するサポート活動に取り組んだり、ドナー家族自身らによるボランティアのサポートグループが多く存在している。しかし、欧米でもこのような取り組みは後発のようである。1985年の時点でオーストラリアのSusan J. Pittmanは、次のように指摘している。
 「関心はほとんどもっぱら心臓の提供を受けたレシピエントに集中した。また、多くの注目が技術的な進歩や外科医のスキルに注がれた。これらの双方によって手術がうまくいくようになった。しかしながら、このプログラムの要であるドナー家族はほとんど注目されていない。」(Pittman 1985)
 Pittmanはドナー家族へのケアを移植医療の進展を左右する「失われている礎石」missing corner-stoneであるとし、移植関係者はドナー家族のサポートを移植プログラムに組み込む責任があることを訴えている。また、90年代に入っても次のような記述が散見される。
 「ドナー家族は、移植医療の無名の英雄the unsung heroes of transplantationであるとよく言われる。彼らなしでは、驚くべき現代の臓器移植が不可能であるからである。しかし、ドナー家族のニーズの認知は、形だけの応答を与えられるのがしばしばである。」(Loughnan 1992)
 「ほとんどの文献やメディアは、医療の進歩に、つまり移植チームや臓器の提供を受けたレシピエントに焦点を当てている。残念なことに、ほとんどのドナー家族は、提供の決定をした後、無名性に消えてしまう。」(Pelletier 1992)

[3] 他に、1993年アメリカにおけるギャラップの世論調査によれば、「臓器提供は人の死から何か肯定的なことをもたらすか?」という設問に、90%の回答者が同意している(The American public's attitudes toward organ donation and transplantation, February 1993, Prepared by The Gallup Organization, Inc.)。また、National Kidney Foundationの報告(2000年)では、臓器提供をした家族の91%は、臓器提供は肯定的な経験だったと述べている、としている。その理由はほとんどが、「肉親の死は無駄ではなかったことを知って満足した」、また「誰かを助けたことに満足している」からである(FOR IMMEDIATE RELEASE: National Kidney Foundation―Survey Says Gift of Life Gets High Marks from Organ Donor Families, New York, October 30, 2000)。

[4] 第一の方向に関して、例えばアメリカの場合、90年代半ばから提供依頼を確保するための規制化の動きが現れ始め、現在ほとんどの州で、「必須依頼」required requestが定められている。また、「病院健康保険と医療扶助資格基準」Criteria for hospital Medicare and Medicaid eligibilityは1998年の改正で、病院内での死はすべてOPO(Regional nonprofit organ procurement organizations)に報告され、臓器提供に適合していないかのスクリーニングを義務づけている。さらに依頼手続きを定めている連邦規則は、最初の依頼者は、OPOのスタッフか、OPOが後援する訓練プログラムを完了した者でなければならないことを指示している(Mongoven 2000)。

[5] 日本移植者協議会「『臓器の移植に関する法』改正の要望」2001年 http://www.jtr.ne.jp/katudou4.html

[6] たとえば、杉本(1986、1988)、吉川(2001)を参照。

[7] このようなチャプレンの姿勢は、Mongoven(2000)のインタビュー調査によるものであり、生駒(2002)では、むしろ、臓器獲得に積極的に介入しているキリスト教聖職者たちがいることも報告されている。(西森豊氏の指摘による。)

[8] 「まさに最初のショックの時期に、提供の決定がなされなければならない。このことは決定をしなければならない人々にとって時期の悪い(しかし不可避な)ことである。この時期は合理的思考が退いている時期であるからである。心臓ドナーの家族に対するサポートや理解が特に重要であるのはこの時である。」(Pittman 1985、挿入原文)

[9] たとえば、「悲哀の課題」としてではあるが、ステージモデルを提示しているWordenでは、「喪失という現実を受け入れられるようになるには、時間が必要である。なぜなら、喪失は知的のみならず、情緒的にも受容される必要があるからである。遺された人は、知的には喪失という結末に気づくが、死の知らせを情緒的にほんとうに受け入れられるようになるのは、はるか後である。」(Worden 1982、訳書16頁)

[10] 悲嘆griefや喪、悲哀mourningの概念規定は、死別体験あるいは喪失体験を論じる論者によって様々であるが、或る辞書的整理によれば、悲嘆を「死によって最愛の者を喪失した際の最初の感情的、情動的リアクション」であり、喪・悲哀は「悲嘆の社会的な表現あるいは表現された行為。各々の社会や文化群の儀式によって形成される」(Stroebe et al 1998)と区別されている。平山(1997)によれば、「悲哀は喪失体験後の心理的過程であり、悲嘆は、症状ないし反応をさし、前者は悲しみを縦断的に見、後者はそれを横断的に見ているという点において差があるように思われる」とある。しかし、平山(1997)も指摘するように、「悲哀は、一般的に悲嘆と交換可能な用語としてとらえられている」、また、「実際の臨床の場ではこの区別は難しい」という。この問題領域の源流であるフロイトや精神分析学系の研究では、Trauerを用い、喪・悲哀は悲嘆をも意味する。また、この種のステージモデルを文字通りに適用することの問題や、その客観性に関する批判はすでに多くなされている。たとえばBoerner & Wortman(1998)、Silver & Wortman(1991)、Sprang & McNeil(1995)などを参照。現在では、より柔軟で流動的な基本的なステージモデルの考案や、ステージモデルに代えて、「課題モデル」、あるいは直面する各々の事実的段階を設定して心理的反応が整理される傾向にある。ところで、ここで扱っているコーディネーター文書による区別、つまり悲嘆を最初の短期の期間、喪をその後の長期の期間に割り振る区別自体は、Worden(1982、訳44頁)に類似する。死別あるいは喪失体験を初期とその後の長期の期間に区別する仕方は、平山(1997)によって諸説を整理した図表でも示されている。また、小此木(1979)も初期を「情緒危機」emotional crisis、その後を「悲哀」mourningと区別している。小島(1986、1997)はS.L.Fink(Fink 1967)に依拠して、この死別過程の初期の期間を「危機」crisisという観点から考察している。しかし、その小島氏にしても、「四週間から六週間もすれば一つの結末に辿り着くというふうに言われています。(……)死別に関しましては、急激な悲しみの状況、急性のクライシス状況というのは一ヶ月から二ヶ月だと言います」(小島 1997)とあるように、臓器提供が問題となるような数日のスパンよりもはるかに長期のスパンで捉えられている。また、文書に説明されてある悲嘆過程のステージモデルを内容的にみると、「探索」の段階が詳述されていることからして、ボウルビィの影響を強く受けたものであることがわかる。しかし、そもそもボウルビィのステージモデル(Bowlby 1980)は長期スパンで考えられている「悲哀」の過程として提示されているものである。

[11]  Magisque & Payne(1996)は、ドナー家族の心理を「不調和な喪失」dissonant lossという概念を用いて理論化を試みている。ドナー家族は、肉親の入院から脳死に至る間に、段階的に襲ってくるいくつもの葛藤状況を経験するが、その葛藤への解決がさらなる葛藤を生み出すとしている。そして、臓器提供もこの過程における「解決」のひとつとしてドナー家族によって選択されるとしている。

[12] 先の杉本氏はわが子の腎臓提供の動機に関して、次のように省みている。「当時は気づきませんでしたが、親の悲しみ・無念さを『移植する』ことで少しでも和らげたいという親の身勝手な想いもありました。6歳の子どもの固有の権利を無視した行為であったとも取れます。この行為の思想は、パターナリスム(父権主義)です」(「小児のドナーの問題点:二つのパターナリスム」、『JDFCつうしん』第2号、日本ドナー家族クラブ、2000年11月)。

[13]  Wordenも突然死と意味づけに関して指摘している。「突然死に特有の性質の最後は、理解したいという要求が大きいということである。いかなる死においても、人はなぜ死が生じたのかに関心を抱く。しかし、突然死の場合に、とくにその関心は強いように思われる。この意味を探し求めることは、死が心理的なショックであるときに、それを克服したいという要求と関連していることがある。」(Worden 1982、訳133頁)

[14] 中日新聞に掲載されたドナー家族の手記(中日新聞 1999)では、遺された肉親の提供意思をどう扱うかについての家族の痛切な苦悩が告白されている。ここではまた、逝く肉親の意思を尊重する決断そのものが、肉親の死を決定してしまうという心理が働いていることがわかる。

[15] たとえば、森岡(1991、210頁)、吉川(2001、164頁)を参照。

〈文献表〉

生駒 2002:生駒孝彰『私の臓器はだれのものですか』、日本放送出版協会、2002年

小此木 1979:小此木啓吾『対象喪失』、中央公論新社、1979年

加藤 2001:加藤冶「臓器移植における臓器提供者の家族のメンタルヘルス」、川野雅資『移植医療のメンタルヘルス』、中央法規、2001年、135-147頁

小島 1986:小島操子「看護の働きかけ」、『看護学雑誌』50(10)1986:1107-1113

小島 1997:同上「死をとりまく危機的状況の理解」、A・デーケン、柳田邦男編『生と死を考えるセミナー』、春秋社、1997年

白倉・若杉 1997a:「悲嘆から死別への過程/ドナー家族の精神的ケア」、白倉良太・若杉長英監修『コーディネーターのための臓器移植概説』、日本医学館、1997年、145-151頁

白倉・若杉 1997b:「臓器提供の説明におけるドナーコーディネーターの心得」(前掲書所収、162-163頁)

杉本 1986:杉本健郎、杉本裕好、杉本千尋『着たかもしれない制服』、波書房、1986年(現在絶版、杉本氏のホームページと新著、『子どもの脳死・移植、小児神経専門医として、父親としての18年間の模索』(仮題、かもがわ出版、2003年)で一部掲載されている。http://web.kamogawa.ne.jp/~sugimoto/ )

杉本 1988:杉本健郎『剛亮の残したものRemembering of Gohsuke's footprints』、朝日カルチャーセンター(自費出版)、1988年

中日新聞 1999:「娘が脳死になった17歳ドナーの真実(1)〜(5)」、中日新聞朝刊、1999年10月14日〜18日

平山 1997:平山正実「死別体験者の悲嘆について―主として文献紹介を中心に」、A・デーケン、柳田邦男編『生と死を考えるセミナー』、春秋社、1997年

廣田 1991:廣田典祥「死体腎移植における悲嘆家族への臓器取得のアプローチの原則」、『移植』26(2)1991:182-184

廣田 1994:同上「臓器移植のため肉親の臓器提供をされた1家族の喪の作業」、『移植』29(1)1994:104-106

森岡 1991:森岡正博『脳死の人』、ベネッセコーポレーション、1991年(増補決定版、法蔵館2000年)

森岡 2001a:同上「いのちを考える―無宗教の立場から生命を見つめて―」(東海教区仏教青年連盟主催公開講座、2001年11月11日)

森岡 2001b:同上『生命学に何ができるか―脳死・フェミニズム・優生思想』、勁草書房、2001年

柳田 1995:柳田邦男『犠牲、わが息子・脳死の11日』、文藝春秋、1995年

吉川 2001:吉川隆三『あぁ、ター君は生きていた』、河出書房新社、2001年

Bart et al 1981a: Bart KJ, Macon EJ, Whittier FC, Baldwin RJ, Blount JH., Cadaveric kidneys for transplantation. A paradox of shortage in the face of plenty, Transplantation, 1981 May;31(5):379-382

Bart et al 1981b: Bart KJ, Macon EJ, Humphries AL Jr, Baldwin RJ, Fitch T, Pope RS, Rich MJ,Langford D, Teutsch SM, Blount JH., Increasing the supply of cadaveric kidneys for transplantation, Transplantation, 1981 May;31(5):383-387

Bartucci 1987: Marilyn Rossman Bartucci, Organ Donation: A Study of The Donor Family Perspective, Journal of Neuroscience Nursing, December 1987, Vol 19, No 6:305-309

Bartucci & Bishop 1987: Bartucci MR. & Bishop PR., The meaning of organ donation to donor families, ANNA journal / American Nephrology Nurses' Association, 1987 Dec;15(6):369-371

Boerner & Wortman 1998: Kathrin Boerner and Camille B. Wortman, Grief and Loss, Encyclopedia of Mental Health, editor-in-chief, Howard S. Friedman, Academic Press,1998

Bowlby 1980: J.ボウルビィ『母子関係の理論三』黒田実郎ほか訳、岩崎学術出版社1991年[John Bowlby, Attachment and Loss, vol 3,London, Hogarth P. Institute of Psycho-Analysis, 1980]

Fink 1967: Stephen L. Fink, Crisis and Motivation: A Theoretical Model, Archives of Physical Medicine and Rehabilitation,1967 Nov;48(11):592-597

Fox & Swazey 1992: R.C.フォックス、J.P.スウェイジー『臓器交換社会―アメリカの現実・日本の近未来』森下直貴ほか訳、青木書店、1999年 [Renee C. Fox and Judith P.Swazey, Spare Parts : Organ Replacement in American Society, Oxford University Press, 1992]

Fulton & Simmons 1977: Fulton, J., Fulton, R., & Simmons, R., The cadaver donor and the gift of life, P. Simmons, S. Klein, & R. Simmons Eds., Gift of Life: The Social and Psychological Impact of Organ Transplant , Wiley, 1977:338-376

Jonas 1980:ハンス・ヨナス「死の定義と再定義」、『バイオエシックスの基礎』加藤、飯田ほか訳、東海大学出版局、1988年:223-234頁 [Hans Jonas, Against the Stream: Comments on the Definition and Redefinition of Death, Philosophical Essays, University of Chicago Press,1980]

Kubler-Ross 1969:『死ぬ瞬間 死とその過程について』鈴木晶訳、中央公論社、2001年[Elisabeth Kubler-Ross, On Death and Dying, Macmillan, 1969]

Lazarus & Folkman 1984:リチャード・S・ラザルス、スーザン・フォルクマン『ストレスの心理学:認知的評価と対処の研究』、本明寛ほか訳、実務教育出版、1991年[Lazarus R.S. & Folkman, Stress, Appraisal and Coping, Springer, New York,1984]

Loughnan 1992: Margaret Loughnan: Immediate and Ongoing Needs of Donor Families, Transplantation Proceedings, Vol 24, No5 October, 1992: 2085-2086

Magisque & Payne 1996: Magisque and Shella A. Payne, Dissonant Loss: the experiences of donor relatives, Social Science and Medicine, vol.43,no.9, 1996:1359-1370

Mongoven 2000: Ann Mongoven, Giving in Grief, Perspectives of Hospital Chaplains on Organ Donation, David H. Smith,ed., Caring Well. Religion,Narrative and Health Care Ethics, WJK Press, 2000:170-197

Pearson et al 1995: I.Y.Pearson,P.Bazeley,T.Spencer-Plane,J.R.Chapman,P.Robertson, A Survey of Families of Brain Dead Patients: Their Experiences, Attitudes to Organ Donation and Transplantation, Anaesthesia and Intensive Care, Vol. 23, No. 1, February. 1995;23:88-95

Pelletier 1992: Maryse Pelletier, The organ donor family members' perception of stressful situations during the organ donation experience, Journal of Advanced Nursing, 17:90-97

Pelletier 1993: Emotions experienced and coping strategies used by family members of organ donors, Canadian Journal of Nursing Research, VoL 25, No. 2 1993:63-72

Pittman 1985: Susan J. Pittman, Alpha and omega the grief of the heart donor family, Medical Journal of Australia, 1985; vol.143: 568-570

Riley & Coolican 1999: Linda Phillips Riley & Margaret Beatty Coolican, Needs of Families of Organ Donors: Facing Death and Life, Critical Care Nurse, Vol 19, No 2, April 1999:53-59

Silver & Wortman 1991: Roxane Cohen Silver & Camille B. Wortman, The Myths of Coping with Loss, Stress and Coping : An Anthology , edited by Alan Monat and Richard S. Lazarus, 3rd ed., New York Columbia University Press, 1991:389-404

Siminoff & Chillag 1999: Laura A Siminoff and Kata Chillag, The Fallacy of the "Gift of Life," Hastings Center Report, 29, no.6,1999:34-41

Spina et al 1993: F. La Spina et al, Donor Families' Attitude Toward Organ Donation, Tansplantation Proceedings, Vol 25, No 1 (February), 1993:1699-1701

Stroebe et al 1998: M. Stroebe, W. Stroebe, H. Schut, and J. van den Bout, Bereavement, Encyclopedia of Mental Health, editor-in-chief, Howard S. Friedman, Academic Press,1998

Sprang & McNeil 1995: Ginny Sprang and John McNeil, The Many Faces of Bereavement : The Nature and Treatment of Natural, Traumatic, and Stigmatized Grief, Brunner/Mazel Publishers, 1995.

Worden 1982: J.W.ウォーデン『グリーフカウンセリング:悲しみを癒すためのハンドブック』鳴沢実監訳、川島書店、1993年(第二版の訳)[J.William Worden: Grief Counseling and Grief Therapy, A Handbook for the Mental Health Practitioner, New York Springer, 1982]


UP: 20080516 
全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)