1.4.3.トータルコミュニケーションの限界
アメリカでは、トータルコミュニケーションの導入から20年近くをへた1988年にろう教育委員会(The Commission on Education of the Deaf)の報告書が出された。この報告書によれば、当時のアメリカのろう教育の状況は“受け入れがたいほど不充分である”とされている。51
ろう児は“年令が進むにしたがい、大きな投資にもかかわらず、同年令の聴児よりも年ごとに遅れていく”。そして、“高校卒業時点では平均的ろう児の学科目の成績が総体的に劣った青年として成長してしまう”のである。ギャロデット大学評価・人口統計学センターが定期的に集計した統計によれば“高卒ろう学生の平均学力は高卒聴学生よりはるかに低く、とくに英語の聞き取り、読みに関する分野が遅れている”との評価が下されている。52このように、1970年代にアメリカ中に急速に広まったトータルコミュニケーションであったが、結果的に見ると、ろう児の学力を伸ばすことはできなかったのである。
トータルコミュニケーションはなぜ失敗したのであろうか。これには2つの理由があると考えられる。一つ目の理由は、トータルコミュニケーションの中心的な方法として用いられた音声言語対応手話である。もう一つの理由はトータルコミュニケーションと口話法の関係である。
トータルコミュニケーションにおいて主に用いられた音声言語対応手話は、音声でしゃべりながら、それに合わせて手話単語を表出していくというものであった。こうした手話の目的は手話と口話を同時に発することにあり、どちらも完全な言語の表出と考えられていたが、現実にはそうではなかった。Johnson・Liddell・Ertingによれば、これは聴者が人工的に作り出したものであるが、“聴者が声に出して話をすると同時に手話をするということは心理的にも肉体的にも過重な負担”であり、このような条件下では“シグナルの一方あるいは両方が悪化”してしまう。彼らによれば、“アメリカのろう教育全部で用いられているSSS(音声言語対応手話)の手話はかなり慣れた手話使用者にも一部しか理解できない”ものとなってしまっているという。また、仮に、音声言語を完全に手指で表現できたとしても、音声言語の“統語・形態規則に基づいて組み立てられた手話表現を理解するためには子供はまず英語ができなければいけない”という矛盾が存在するのである。53
また、不完全にも関わらず、なぜ音声言語を手話で表すことが目指されたのかと言えば、口話を補助して、音声言語の習得をスムーズにするためであった。日本で広く用いられたキュードスピーチについても同じことが言えるであろう。最終的な目標には常に音声言語の獲得があったのである。その背景には手話が言語であるという認識の欠如と、聴者中心の価値観が存在する。実際、トータルコミュニケーションを主張した人々の中では、“トータルコミュニケーションは口話法の長い努力の上に提案されたもので、いわば口話法あってのトータルコミュニケーション”であると考えられていた54し、手話の認識に関しても“手話はことばとして貧弱であって、この事実は率直に認めるべき”だと考えられていたのである。55この点に関してJohnson・Liddell・Ertingは“どのような名で呼ぼうとも、教師は教える時には話をしなくてはならないという要求やろう児の発語を強調することは実際は口話法の実践である。だからTC(=トータルコミュニケーション)は“手指法”と見なすのが普通であるが、私たちは『クリプト・オーラリズム=隠れ口話主義』であると思う。なぜならTCの本質はたとえ手話がついていても、結局は口話法により理解し学習することを生徒たちに要求しているからである“と指摘している。56したがって、トータルコミュニケーションを採用しても、口話法の抱えていた問題を根本的に解決することができないのは当然と言えよう。
2.2.ろう児のためのバイリンガル教育とは何か
ろう児のためのバイリンガル教育を理論化し、世界中に実践が広まる契機となったのは、ギャローデッド大学67から出版された『Unlocking the Curriculum: Principles for Achieving Access in Deaf Education(邦題「学力の遅れをなくすためにーろう教育における学力獲得のための基本原則ー」)である。68ここでは、それまでの聴覚口話法とトータルコミュニケーションによってなされたアメリカのろう教育を批判した上で、新たな教育原理としてバイリンガル教育が提唱されている。