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ろう文化宣言以後世代

*1

木村素子(横浜国立大学大学院) 200301



* 1 聴覚障害児と共に歩む会・トライアングル専門家部会ニューズレター第15号(2003年1月)収録論文。

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1.はじめに

 2002年8月に、第5回トライアングル早期教育公開シンポジウムが開催された。現在、あれから、3ヵ月あまりが過ぎようとしている。かなり失われてしまった記憶を掘り起こしながら、本稿では、シンポジウムの議論に対して筆者が抱いた違和感を軸に、話を展開し、現在の聾教育にある課題へと、多少なりとも、議論が敷衍できたらと考える。

2.議論に対する違和感

 今回のシンポジウムでは、「両親援助」というテーマの下、専門家、両親、本人という立場から、提言があった。4人のシンポジストは、期せずして、4人とも、手話で教育・養育をしている/された人々であった。そのメンバーの構成が、ある意味、議論の趨勢を決定づけていたのかもしれない。
 筆者にとって、シンポジウムの議論(近日配布予定の『事後収録』参照)は、"おだやか"に終わり、なにか、"物足りなさ"を残した。なぜ、物足りなさを感じたかというと、シンポジスト・オーディエンス共に、「手話はもうそこに在るもの」とする空気が漂っており、ある種、「手話については不問」の予定調和さえ感じられ、「両親援助」のテーマでの議論があまり深まらなかったからである。この「空気」に筆者は違和感を抱いた。ただし、もともとの企画意図自体がそのような空気や議論の流れを作っていたわけではないように思う。最近、筆者の周りでも、このような「空気」が漂っていることが多いのである。
 手話の言語学的研究、手話法の是非の議論、あるいは手話による指導法の研究がある程度蓄積されれば、あえてその是非は問われなくなり、「手話はもうそこに在るもの」となって、より教育の中身を問うた議論が始まり、発展していくことになる。現在、そのような発展への過渡期にあることは、事実であると考える。ただ、シンポジウムの会場や筆者の周りに漂う「空気」は、違ったように生成されているように思われる。例えば、シンポジウムのような場面で、シンポジストやフロアの参加者が短い時間で何かを主張しようとした際に、要点がその会場においてイディオム化する。そして、その定型句化した要点(「手話が大事である」とか)が、その会場に参加した人々による伝聞や主催者による出版物に乗って、外の人々に届けられ、「手話はもうそこに在るもの」として、一人歩きしていく、というふうに生成されたのではないだろうか。

3.「ろう文化宣言以後世代」にとっての手話

 筆者は、1995年に「ろう文化宣言」が出された後、聾教育にかかわり始めた、いわば、"新参者"である。今までの聴覚口話法主体の研究等の蓄積をしっかりおさらいしておけば少しは感動できるのだろうが、"ろう文化宣言は、当時、聾教育に大きなインパクトを与えた"と先輩方に言われても、"そうなんですかあ"とピンと来ていない反応を相手に示すことしかできない。筆者だけでなく、新米の聾学校教師の多く(赴任した聾学校の指導方針に依るのであろうが)、または、ここ3,4年で聴覚障害児教育を専攻する科に入学した大学生も同じく「ろう文化宣言以後世代」に含まれるのであろうが、「ろう文化宣言以後世代」は、「手話が大事」とか「まず手話で」といったことを自明視しやすい。前述したような「手話」を巡る言説の流通過程を経て、「手話」の刷りこみを受けているからである。事実、筆者は、そのような「ろう文化宣言以後世代」を、筆者の現在、所属する大学の聾教育の専攻科の学生の中にも、多く目撃している。彼らの間では、『ろう文化』■1や『障害学への招待』■2といった本が、ごく普通に貸し借りされ、クラスメイトである聴覚障害学生の情報保障の関係もあってか、20人余りの専攻科の学生のほとんどが手話を勉強していた。手話が見直され、手話の位置付けが変わった今、わたしたち「ろう文化宣言以後世代」は、「手話が大事」ということは不文律のようで、今更、「よくわかりません」、と手を挙げづらくなっているように思うのである。その結果、わかったフリをして、ろう児にとって、手話がどのような役割を果たしうるのか、を考えなくなっていることは、ないだろうか。そのような状況と、シンポジウムの議論の"穏やかさ"が重なって見えたのである。
 筆者は、手話の勉強を始めて、もうすぐ2年になるところである。この間に、地域の手話サークルに通い、修士論文のための調査で手話が第一言語であるろう児とかかわり、ろう児のためのフリースクールのボランティアをし、また、大学で情報保障ボランティアをしたりした。まだまだ、修行の足りない筆者であるが、聴者である筆者にとって、手話そのものがどんな言語であるかを理解することは、非常に困難であるし、ろう児・ろう者にとっての手話がどんなものであるのかを理解することもまた、非常に困難である。このような困難性の壁にぶつかっているのは、筆者だけでなく、手話を学び、ろう者と交流している友人たちの口からも聞かれる言葉である。このように、「手話が大事」ということは、そんなにたやすく体得できるものではないのだと思う。

4.「わかりません」と言うことは自分ノタメナラズ

 シンポジウムの議論の話に戻るが、参加者の中に「手話はもうそこに在るもの」とわかったフリをしてやせ我慢をしていた人々がいたのだとしたら、筆者は、「わかりません」と表明してもっと根源的に考えてよいのではないですか、と申し上げたい。聴者は、手話周辺のことは、そう簡単にわからない筈なのだから。聾教育にろう者教員の参入が叫ばれる昨今、今後、聾教育を担うろう者が増加するだろう。しかし、人口比率を考慮しても、ろう児の90%の親が聞こえる親であることを考慮しても、ろう児の教育・療育に携わる人々は、聴者が多くを占めることは否めない。そんな聴者がやせ我慢をした結果、ろう児にとって適切な教育の中身の方が検討されなかったら誰にとって悲劇であろうか。それを筆者は危惧してしまうのだ。

文献

1 木村晴美、市田泰弘(2000)ろう文化宣言 言語的少数者としてのろう者.ろう文化.青土社,8-17.
2 石川准・長瀬修編著(1999)障害学への招待−社会、文化、ディスアビリティ.明石書店.


UP:20040723
全文掲載  ◇全文掲載(著者名50音順)
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