健音文化は、身体から発する音の言語化や基準化によって成立している。アメリカの古典・英文学者ウォルター・J・オング(Walter J. Ong) の『声の文化と文字の文化(Orality and Literacy)』によると、声には口承性、即時性、身体性が要求され、表現できる権利を持てる集団とそれを持てない集団がはっきりと二分されてしまう(2)。そして、健音文化は、音質や発音やトーンだけでなく、声の使い方や、理想とされる声についての知識、あるいは、発音・言語の分類にいたるまで、コミュニケーションのあらゆる部分を取り締まっている。健音文化には、声の規律や秩序が存在し、声に働きかける政治を構成していると考えられる(3)。
1. the sound or sounds uttered through the mouth of living creature, esp. of human beings in speaking, shouting, and singing. (動物の発声器から出る音。とくに会話・歓呼・歌のなかで人間が出す音声。)
2. such sounds considered with reference to their character or quality. (その人の特徴を持った音声)。
3. expressed opinion or choice. (音声化される意見と選択。)
4. the right to express an opinion or choice; vote; suffrage. (意見や選択を表現する権利。参政権。)
以下省略
(The Macquarie Dictionary 1990年版からの引用)
(2) Ong, Walter J. (1982) Orality and Literacy. The Technologizing of the Word. London and New York: Methuen.
オングは、声の文化と文字の文化を対立関係に置くことで、声の文化への高い評価を説明している。それは、声は表記文化に無関係に存在することが可能だが、表記文化は、声の言語構築(スピーチ)なしにその存在は不可能である。常に文字による表現の基礎には声としての言葉(スピーチ)が存在しているのに、文学研究が、「書かれたもの」を絶対視してきたことに対して批判する立場をとっている。 オングは「声の文化」に関心を持ち、ホメロスの詩の中の強いリズム・反復表現と対語・頭韻や母音韻などを声の文化に基づいた思考と表現として分析し、声の文化は人間の日常生活に密着していると考えた。このことから、オングが健音者中心の見解で声を考察していることが明らかである。(報告者の博士論文にて詳細を記す。)
(4) Hancock, P., Hughes, B., Jagger. E., Partherson, K., Russell, R., Tulle-Winton, E., and Tyler, M. (2000). The Body, Culture, and Society: An Introduction, London: Open University Press.
Shilling, C. (1997 [1993]). The Body and Social Theory, London: SAGE Publications Inc.
Synnott, A. (1993). The Body Social: Symbolism, Self and Society, London: Routledge.
Turner, B.S. (1992). Regulating Bodies: Essays in Medical Sociology, London: Routledge.
(12) 映画の中では、なぜ彼女が「音声言語としての声」、すなわち、スピーチを使うことをやめたのかという具体的な理由、および、彼女が手話をどのようにして使い始めたのかという説明は明確にされていない。映画の冒頭で聞こえるエイダの心の中の声は次のように語られている:
The voice you hear is not my speaking voice, but my mind's voice. (今、あなたが聞いている声は私の喋り声ではないが、私の心の声である。)
I have not spoken since I was six year's old. None knows why, not even me. My father says it is a dark talent and the day I take it into my head to stop breathing will be my last. (私は6歳の頃から話すことをしなくなった。誰も何故そうなったのか分からない。この私でさえも理由が分からないのである。父はそれが私の邪悪な才能であり、私が息をすることを止めると思いこんだ日が私の最期の日だろう、と言う。」…
(13) Sacks, O. (1989) Seeing Voice, New York: Vintage Books
(14) Bruzzi, S.(1995) "Tempestuous Petticoats: Costume and Desire in The Piano." Screen, vol.36.3 pp.257-266.
Dyson, L.(1995) "The Return of the Repressed?: Whiteness, Femininity, and Colonialism in The Piano." Screen, vol.36. 3, pp.267-76.