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障害との共生・障害者との共生

―なぜ障害者として哲学するのか―

大津留 直
2002/12/11
大阪大学での講義原稿

last update: 20160125


はじめに

 テクストは三部に分けました。まず、第一部においては私の生い立ちと障害者としての若い頃の経験を簡単に述べます。第二部においては、私にとって、障害と哲学がどのように結びつくのかを述べてみたい。そして、第三部においては、そこから障害者の社会参加をどのように考えていったらよいのかを、私なりにまとめてみます。

1 私の経験から

1-1.難産の後遺症・脳性麻痺

 私の障害の原因は、おそらく、出産の際、難産で鉗子分娩によってやっと生まれたものの、しばらく仮死状態が続き、その時の酸素不足によって脳の運動神経を傷つけられたことにあると思われる。しばらくしても産声をあげないので、看護婦さんが逆さにして、お尻を叩いたらやっとおぎゃーと泣いたということである。一才半になっても首がすわらないので両親が心配してある大学病院で診察してもらったところ、脳性麻痺だということが分かったのだった。それは私の両親にとって非常にショックなことであったにちがいない。一時は親子心中すら考えたようだ。思いあぐね、考えあぐねた末、結局、私をなんとか一人前の人間に育てようと思い直したと聞いている。その大学病院の先生から都立光明学校という肢体不自由児のための学校があると教えられ、私はかなり高い競争率の入学試験になんとか合格し、一九五四年そこへ入学した。

1-2.光明養護学校

 光明の指導の根本傾向は、生徒たちが将来なんとか一般社会で自立して生きてゆけるように指導することにあったようだ。先生たちがそれを強いて強調したというわけではないと思うが、われわれ生徒の頭の中には「普通の人」という言葉がまるで絶対的な行動の基準であるかのように居座っていた。何をやっていても、「なるべく普通の人のように歩きなさい、話しなさい、振る舞いなさい」という声がどこからか聞こえてきた。これはおそらく親の心配、望みから来ているところが多いのではないか。

 親の望みには、子供がなるべく自然にのびのびと育っていくようにということも片方にはもちろんある。普通の子供の場合にも、親はこのような矛盾した望みを持つものだが、体が悪い子供の場合はこの矛盾が特に極端な形で現れるのではないか。光明の先生方はこの矛盾した親の希望をなんとか調和させることに苦心されていたのだろう。「自然にのびのびと」というほうにあまりに重きを置き過ぎると、子供を甘やかせてだめにする危険がある。他方、「普通の人と同じように行動できるように」というほうに重きを置きすぎると、きびし過ぎて、喜びのない教育になると同時に、生徒たちの間に陰湿な競争と「差別の中の差別」を引き起こしてしまう。

 しかし、休み時間や放課後、われわれはよく校庭で野球をして遊んだことを思い出す。障害があるのにどうやって野球をするのだろうと思われるであろうが、そこは、遊びに熱中するときの子供の思いつきや工夫で障害を吹き飛ばすわけである。歩けない者には最初から代走をつけた。飛んでくるボールを打てない者にはゴロで投げる。そのような独自のルールを作って重度障害の人たちも引き入れて大いに楽しんだ。

1-3.短歌との出会い

麻痺われに春早蕨のやまと歌教へたまひし師も麻痺の人

 当時、光明養護学校中学部には、ご自身、軽い脳性麻痺者でありながら、国語を教えておられた長沢文夫先生がおられた。先生は万葉集の歌の響きの素晴らしさを、志貴皇子の次の歌を例にしてわれわれに教えて下さった。

いはばしるたるみの上の早蕨の萌えいづる春になりにけるかも

「障害者として生きてゆくことは確かに大変なことで、今の君たちには想像もつかない辛いこともあるかもしれない。しかし、何か一つこれはというものを持って、一生かかってコツコツやってゆけば、それが励みになって耐えてゆけるものだ」と言って、先生はわれわれに短歌を薦めて下さった。私がその後ドイツでも時折歌を作り、今も細々とでも歌を続けているのは実に、今は亡き長沢先生のお蔭である。

1-4.ドイツ留学

 その後私は、早稲田大学の修士課程を修了した後、ドイツへ渡り、そこで二十四年間過ごす間に、『正義とディケー。ハイデッガーのニーチェ解釈における自己批判としての思索の道』という題の博士論文を書いた。それによって、チュービンゲン大学から博士号を授与された。もっとも、ドイツにおける博士号というのは、ただ自力で学問的課題を開拓し、それを遂行してゆく能力が認められたというだけのことだと私は理解している。

2.障害と哲学

2-1.選民意識

 私は、脳性麻痺によるかなり重度の歩行・言語障害を持っている。それで、子供の頃、気が付いてみると一方では、「なぜ自分がこのような身体で生まれてこなければならなかったのか」という問いと闘いながら、自分が天によって徴を付けられた、どこか特別な人間であるという選民意識のようなものを持っていた。次の歌は、そのような状況を振返って作ったものである。

麻痺の身を意識し初めし遠き日のわが目に沁みしあかき夕暮れ

 それと同時に、他方では出来るだけ「おかしくないように」普通の人のように歩け、話せという声が、あたかも絶対命令であるかのように聞こえていた。

2-2.掛け替えのない命と競争

 しかし、このことは障害のある子供に限ったことではなく、むしろ、ごく一般的な現象で、だれしも一方では自分が天から与えられた掛替えのない「命」であるという声を聞いているのである。しかし、他方では、生き延びるためには「競争」に身を呈さざるを得ないということがあり、その競争の中で自分が掛替えのない「命」であることを忘れてしまいがちなのである。わたしにはそのことが後になってやっと分かってきたのだが。

 自分の掛替えのない命に気付くと言っても、それで競争がなくなってしまうわけではない。逆に、競争がなくなってしまったと幻想されるところに、最も醜い陰湿な競争が起る。このことは、浅間山荘事件、オウム真理教事件、あるいは、もっと広く社会主義体制一般の崩壊が教えてくれている。(障害のある子供たちが競争から守られていると思われている養護学校や養護施設において、しばしば非常に陰湿な競争や当事者同士の差別が起るのだ。)

2-3.競争の問題

 では、問題の焦点はどこにあるのか。恐らく、競争自体が抑制されるべき悪なのではない。しかし、競争はわれわれを絶対的に支配してしまい、掛替えのない命であることを見えなくしてしまう傾向があるのだ。人間社会においては、特に、遊びやスポーツ・芸術において、競争を媒介にすることによって逆に命が輝くことがある。そのことはもちろん、否定されたり無視されてはならない。フェア・プレイの精神は公平な競争を前提とする。競争が公平に闘われるとき、そこに闘っているのはわれわれ人間ではなく、むしろ神々だという思いを抱くのは古代人ばかりとは限らない。今日では、スポーツに医学、薬学、マスメディアなど他の要素があまりにも多く介入している。そして、そこにもやはり、経済的利潤追求の影が付き纏っていることがわれわれを現代スポーツに懐疑的にさせる。それでも、われわれはそこに何か人間の力を超えたものが働いているとさえ感じることがある。

2-4.競争と自己超越。絶対の静寂

 ところで、あらゆる競争には、実は、自分との競争、つまり、絶えざる自己更新と自己超越への欲求が隠れている。あらゆる「停滞」は、絶えざる自己更新と自己超越としての生にとってはすでに死を意味する。このように把握された生においては、競争が絶対視され、「生=命」と同一視されている。

 しかし、最大の自己超越は、自己との競争として解されたあらゆる自己超越をも超越した絶対の静寂のなかに求められるべきなのではないか。あらゆる競争は、その自己超越という存在の構造からして、超越そのものの超越を目指している。その意味で、競争は常にすでにこの絶対の静寂に担われている。前に言った掛替えのない命とは、結局、この絶対の静寂におけるわれわれ自身のことでなければならない。それゆえわれわれは、大学の勉強でも、競争がなければ怠惰になってしまうことを知っていると同時に、勉強が競争のためだけに行われるならば虚しいこともどこかで知っている。

2-5.現代の機能主義

 この絶対の静寂がわれわれに欠けているのは、現代という時代がある過渡期に在ることを物語っている。この過渡期においては、まず、これまで堅固な「実体」と考えられてきたすべてのものがその権威を失ってゆき、それがいつでもどこでも代替可能な「機能」に置き換えられる。たとえば、この日本で一昔前まで絶対の権威と考えられてきた「家」や「門閥」はその権威を失い、「家庭」は社会という機能する全体の最小単位であり、その育児、家事、老人介護などの機能の一部はすでに機械化やいわゆる専門機関によって代替可能である。つまり、家族の単位が大家族から夫婦へと移行してゆくにつれて、家庭が担いきれなくなった機能を機械や公の専門機関が分担してゆく傾向が進んでゆく。その場合、夫婦関係を中心とする家族が社会の最小単位であり続けるかどうか、それとも、先進諸国においてすでにその傾向が強いように、個人同士が共同生活を営む多くの可能な形態の一つに過ぎないまでに家庭と家族の代替可能性が進むのか、予断は許されない。

 このすべてのものの機能化は、同時にあらゆる競争のグローバル化を意味することとなる。なぜなら、機能は原則的にいつでもどこでも代替可能であるからである。これまでそれぞれの地域の特殊性に根付いて営まれてきた文化・経済活動が、いつでもどこでも代替可能な機能という性格を帯びることによって均質化され、地球規模の競争に巻き込まれていく。

 この競争が一極集中型になるにせよ、多極分散型になるにせよ、あるいは、両者の抗争・混交という形をとるにせよ、現代世界とは、このようなグローバルな競争がますます絶対的な主導権を握ってゆく世界である。そこでは、生=命がこの競争と同一視されるあまり、われわれのいう「掛替えのない命」がますます隠れていってしまう世界である。

2-6.死の側からの光

 私がここで言いたかったのは、この講演の表題に出てくる「障害」も「哲学」もこの世界にとってはある意味で「死」を意味するということである。しかし、世界は「死の側」から照らすことによって、掛替えのない命として輝くことがある。

 最近亡くなった歌人斎藤史の歌に次のような作品がある。

死の側よりてら(照明)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも

 われわれ障害者も生き延びていくかぎりは競争に身を呈さざるを得ない。その競争への平等な参加権を求めて、差別と闘っていくことは確かにわれわれに課せられた重要な課題の一つである。しかし、どんなにこのような機会平等が進んでも、この競争世界からはじき出される重度障害者は残るに違いない。したがって、障害者との共生には、合矛盾するかに見える二つの課題が含まれている。つまり、例えば欠格条項の撤廃など競争への平等な参加権の確立という課題が一方にはある。しかし、この世界が本当に輝くのは実は死の側から照らされたときなのだという意味において、死がこの世界に属している。それと同じ意味で、障害もこの世界に属しているのではないか。このことを明らかにしていく課題が他方にある。私にとっては、この課題は優れて哲学することに属している。哲学とは、古来、日々死ぬことを練習することであったからである。

3 障害者の社会参加

3-1.現代社会の中の障害者

 現代において障害者であるということは、すべてを「健常者」という基準で推し測る社会に身を置き、その基準を満たすことが出来ない、あるいは、満たすことが容易でない自分に出会うという形においてである。そこでは、障害者は、「健常者」という基準を持つ社会に「適応」していくように、自分でも知らず知らずの内に決断させられているのである。その適応は、それぞれの障害者の障害によってさまざまに分類され、段階付けられている。そこで、Cultural Studiesの一環として「障害学Disability Studies」が登場してくる。障害学は、まず、そのさせられた「決断」とそれに対応する「適応」とが現代社会においていかに「構成」されているかを明らかにする。そのことによって、その「させられた決断」を障害者自身に取り戻し、そのさせられた決断に代わって、それぞれの障害者がそれぞれ独自の生き方へと自分自身で決断できるよう手助けすることを課題の一つにしているように思われる。

3-2.市場経済的機能性

 ところで、「健常者」という基準は、現代社会においては、ますます「市場経済的機能性」という性格を帯びてきているように思われる。

 そこで次のような課題が生じて来る。つまり、市場経済的機能性という能力とその基準が唯一絶対ではないということは、いったいどこから見えてくるのか。今日、人間の能力をそのような機能性とはちがった意味で理解する可能性などあるのか。あるとすれば、どこにあるのか。そして、どこから市場経済的機能性そのものを、それのあるべき限界において、有意義に展開させることができるのか、という課題である。これは、結局、社会全体が大地に根を張ったものになるためには、どうすればよいのか、という問題である。

 市場経済は、近代的科学技術・工業・情報を支えとして展開する。近代科学において人間が認識主観となり、人間自身と自然とが認識の対象になったのに対応して、市場経済は、自然を生産の資源Resourceに、人間をマーケティングの作戦の対象、つまり、労働・市場資源にしてしまう。市場経済が支配的になった現代において「人間」が忘れられる傾向があるということは、したがって、人間と自然とにおける、科学的に計量可能で、市場において流通可能な面だけが「現実」として通用し、計量可能・流通可能にならない、人間と自然との諸関係における豊かな多様性が「非現実」として無視され、忘れ去られる事態を意味すると言える。この事態の基礎は、計量可能な時間・空間が唯一の時間・空間として通用することにある。

3-3.芸術における時間空間。芸術と能力

 しかし、このように把握された時間・空間が人間に経験可能な唯一の時間・空間ではないことは、芸術作品が最も鮮明に示してくれているのではないか。これは、ギリシア神殿のような芸術作品を単純に「見」さえすれば、誰にでも経験できることなのだ。ギリシア神殿は、われわれがすでにそこに住んでいる天地の間の空間を開き、それによってはじめてわれわれはその都度その空間へ入れてもらうことができるのだ。別の言い方をすれば、われわれがギリシア神殿を見ることができるのは、その神殿がわれわれを見ていてくれているからで、逆ではない、と言うことができる。これは、人間主観がそれを通して自然を見、そして規定・支配する時間・空間(カントにおける「直観の形式」)とは違って、もともと人間と自然との豊かな、しかし、不可逆の関係として成立する時間・空間だ。この時間・空間の不可逆性とは、結局、その都度死にながら生かされており、物と他人とにその都度別れながら出会わされているということである。

 星野富弘さんも『風の旅』の中で、花を見ていると、花に見られていることに気づかされる、自分が花を描こうというのは思い上がりで、「花に描かせてもらう」のだと、書いておられる。したがって、ここで開発され、発揮される能力も、もはや自然に対立し、それを一方的に規定・支配しようとする能力ではない。この能力は、市場経済的有効性によって計ることができるような能力ではない。この能力は、人間が自分で開発し、発揮する能力ではなく、むしろ自然が人間を通じて働く能力であり、人間にはあくまでも「不可思議」なものなのだ。星野さんも感動的に書いておられるように、障害と根気よく付き合っていくうちに、障害はもはや否定的なだけのものではなく、自然がそれを通してものを語る場になってゆくことがあるものだ。もちろん障害のつらさには変わりはないのだが。多くの障害者が障害と付き合ううちに芸術に近づいていくのも、偶然ではないと思われる。

3-4.芸術における抵抗

 芸術の能力の開発・展開においても障害は、たしかにある抵抗であることには変わりはないが、それは同時に、かの「不可思議」な出来事への変容の可能性を持ったものである。これは、芸術において一般に、身体と素材が芸術遂行の抵抗をなすと同時に、かの変容の場でもあるのと同じである。芸術における毎日の修業とは、これらの抵抗に慣れることにあり、芸術家はその修業を積み重ねることよって、かの変容があたかも骨折りなく、軽々と起こるかのごとくだ、という境地に至るのであろう。しかし、この抵抗が全くなくなるということはない。それは、抵抗がなければ、かの変容もまた起こり得ないからである。古くから、このような「毎日の修業」の基本は呼吸にあると言われている。静かに呼吸していると、いつか自分が呼吸しているのではなく、大自然が自分を通して呼吸していると知られてくるからである。しかし、そのためには、「己」という抵抗がなければならないことも確かであろう。重要なのは、「己」を消すことではなく、「己」をかの変容の場にすることなのだ。「己」を消してしまったと思っている己が最も消し難い「己」だ、ということがあるからである。

3-5.芸術と機能性

 このように芸術の経験のうちに、市場経済的に理解された人間の能力とは違った能力理解の可能性が隠れているのではないか。この経験を通して、われわれは、市場経済的機能性が持っている、唯一絶対の基準として自己主張する傾向に対して疑問符を付することができるのではないか。

 もちろん、機会平等を保証するための法規を整えていくことも非常に重要な課題であり、そのための運動をわれわれは忍耐強く進めねばならない。しかし、同時に、「毎日の出会いと修業」においてわれわれ一人一人の中の掛替えのない命に気づき、それを日々の生活において確認していくことが肝要である。この二つの課題は、実は同じことの両面なのだ。それは、人間の平等が、西洋近代の機能概念にのみその基礎を持つのではなく、実は、われわれが今まで述べてきた掛替えのない、あるがままの「いのち」にその磐石の基礎を持つからであろう。

3-6.まとめ。障害から来る光

 障害者の社会参加を市場経済的に理解すれば、障害者を市場経済的な活動に組み込んでいくことになる。それはそれなりに重要な面を持っている。しかし、社会参加がその面からのみ理解されると、社会参加しようとしても出来ない障害者に対する新たなる差別を引き起こし、特に経済的に厳しい状況になると、再び組織的な隔離・殺害(「安楽死」)へと拡まってゆく危険がある。しかし、社会参加を毎日の出会いと修業という面から理解することができるとするならば、市場経済的な活動ができない障害者、そういう機能の発達を望みえない障害者をも一般社会へと組み入れていくことの意味を理解することが可能になる。この毎日の出会いと修業には、もはや病気と障害に単純に対立するものとしては理解されない、より根源的な「健康」の概念が隠れているからである。この出会いと修業は、「人間とは何か」という問いを常に新たにわれわれに突き付けるであろう。この問いによってこれまでの健常者優先の社会に対して隅々まで疑問符が打たれることによって、大地に根付いた真の意味で人間のための(つまり、人間中心主義とは逆の意味の)社会を作ってゆくきっかけになると同時に、われわれ自身の生き方を大地と自然に聴き従う方向へ変えてゆくきっかけにもなるのではないか。まさに他者(この場合は、重度障害者)が必死で生きる姿の中にわれわれ自身の掛替えのない命が、鏡におけるように見えてくるからである。私が「障害から来る光」と言うゆえんである。

UP: 20030127 REV: 20160125
障害学  ◇全文掲載
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