障害文化を検討する前に、まず障害文化が注目された経緯を簡単に振り返りたい。従来、障害者の問題は障害者個人の問題であり、障害は治療やリハビリテーションを通じて治されるべき、克服すべきものであるという、「個人モデル」や「医学モデル」と呼ばれる考え方が支配的であった。これに対して、障害者の問題は、障害者を取り巻く社会環境にあるという、いわゆる「社会モデル」が提唱された。社会モデルは、障害の医学的な側面や個別心理的な側面を否定するものではないが、障害者問題を問題を個人に還元せず社会関係に起因する社会問題として捉える点で、前述の医学モデルや個人モデルとは大きな差異がある(6)。
このような中、障害をimpairment、disability、handicapの3つの水準に区分したWHOのICIDH(国際障害分類)に対し、障害を環境との関連で捉える見方がICIDH-2(国際障害分類第2版案)として提起された。そして、2001年のWHOの総会において、ICF(ICIDH-2から略称変更。The International Classification of Functioning, Disability and Health)として正式に承認されている。ICFでは、障害に対する環境の役割を重視しており、各次元間や各要因間の相互作用を強調し、生涯に対する否定的なイメージを払拭するなど、医学モデルと社会モデルの統合を目指している(7)。医学モデルと社会モデルの違いについて、ICFでは、医学モデルは個人的問題として障害をとらえ、医学的ケアを必要とするものと見なすのに対し、社会モデルでは、主として社会的に作られた問題として捉え、障害は、個人の特質ではなく、むしろ社会環境によって作り出される数々の状態の複合として見なすと述べられている(8)。
そして近年、障害に対して「文化」の視点を導入した、「障害文化」という概念が提起されている。特にアメリカを中心に「障害者として生きることに誇りを持つ」運動としての障害文化運動が高まりをみせており(9)、日本においても、「障害学」(10)の領域を中心に、障害文化に関わる取り組みが始まっている。
このような経緯を踏まえ、本論文においては、「障害文化」という用語を、障害を文化的な側面から捉えた定義全般を指す概念として用いたいと考えている。そのため、各論者による実際の文章表現には、「障害文化」の他にも、「障害者文化」や「障がい文化」、「障害の文化」などの多様な表記を含むものとする。さらに障害文化は、必ずしも障害者だけが担うものではないと考えている。詳しくは、「3.1 分析的関心」で論じるが、障害文化の担い手の中心が障害者であることは間違いないものの、場合によっては、非障害者が障害文化を有する場合もあると考える。また「障害者」という概念は、いわゆる医学モデルには依拠せず、構築主義的な捉え方をして用いたいと考える。つまり、「障害者」という社会的地位を付与された人々が、障害者」であり、言い換えれば、マジョリティ社会によって「障害者」という範疇に区分された人々が「障害者」であると考える。なお、表記上の問題として、「障害」ではなく、「障碍」や「障がい」と記述する論者もいる。これらは「障害」という文字が持つ否定的な意味に配慮した表記ではあるものの、未だ一般化しているとは言い難く、また本論文のテーマである障害文化そのものも新しい概念であることから、混乱を避けるため、本論文では、「障害」という表記で統一した。ただし、本項での概念規定は、筆者の視点を明確にするためのものであり、当然のことながら、引用文においては、原典における表記のまま引用している。そのため、それぞれの論者による理解を伴って「障害」や「文化」等の用語が使用されている点に留意する必要がある。
さらに本論文においては、特定の障害を有する方々やその文化について、「ろう者」「ろう文化」「盲人」などと表記しているが、これらは、当事者がそのような表記を求めており、また出典の文脈に沿って用いている表現であることをはじめに断っておく。