アジア太平洋障害者の新10年:コミュニケーションと解放
福島 智
2002年10月25日ESCAP基調講演原稿
last update: 20160125
おはようございます。ご来賓のみなさん、参加者のみなさん、日本にようこそおいでくださいました。私は日本の福島智と申します。私はこのすばらしい会議での基調講演の機会を与えられたことをたいへん光栄に存じます。
アジア・太平洋の国々から多くのみなさんが、今日、ここ大津にお集まりくださり、「アジア太平洋障害者の10年」の成果を共に分かち合える喜びを感じています。そして、「新しい10年」に向けて、建設的な議論が展開されることを障害者の一人として心より願っています。
本日は私の体験を少しご紹介するとともに、私が「新しいアジア太平洋障害者の10年」に対して抱いている願いや思いをお話します。
私は9歳で失明し、18歳で失聴した全盲ろう者です。私が盲ろう者となったのは今から21年前、ちょうど国際障害者年の年である1981年のはじめのことでした。
そのときまで私は全盲だったわけですが、全盲の生活と全盲ろうの状態とはまるで違うということに、私はそのとき気付きました。
18歳で全盲の状態から盲ろう者になったとき、とてつもなく大きな衝撃を私は受けました。それは私の周りからこの現実世界が消えてなくなってしまったような衝撃でした。
言い換えれば、それはまるで、この地上からちょうど地球の「夜の側」の宇宙空間、つまり、太陽の光がとどかない暗黒と真空の無重力の宇宙空間に放り出されたような感覚でした。私は絶対的な虚無と孤独感を味わったのです。
なぜ盲ろう者になったとき、私はこれほど大きな衝撃を受けたのでしょうか? それは夜空の星や海に沈む夕日といった美しい風景が見えなくなったからでしょうか? それとも、朝、目覚めたときに窓から流れてくる小鳥たちの歌声やオーディオセットから流れるバッハやモーツァルトの美しいメロディが聞けなくなったからでしょうか。
私はこれらの問いにいずれも「ノー」と答えます。もちろん、「風景」や「音楽」が感じられなくなったことも寂しいのは確かです。しかし、私に最も大きな苦痛を与えたものは、見えない、聞こえないということそのものではなく、他者とのコミュニケーションが消えてしまったということでした。
私は驚きました。他者とのコミュニケーションがこれほど大切なものであるということをそれまで考えたことがなかったからです。私は深い孤独と苦悩の中で考えました。「人は見えなくて、聞こえなくても生きていけるだろう。しかし、コミュニケーションが奪われて、果たして生きていけるのだろうか」と。
このように、私は絶望の状態にありましたが、その暗黒と静寂の牢獄から解放される時がやってきました。その解放には三つの段階がありました。第一はコミュニケーション方法の獲得、私の場合は新しいコミュニケーション方法の発見でした。つまり、「指点字」という新しいコミュニケーション法が母によって発見され、私は再び他者とのコミュニケーションをとり戻すことによって、生きる意欲と勇気がよみがえってきたのです。
私にとっての解放のための第二の段階は指点字という「手段」を用いて実際にコミュニケーションをとる相手、身近な他者に恵まれた、ということでした。
そして、第三の段階は、「通訳」というサポート、私にコミュニケーションの自由を保障してくれるサポートを安定的に受けられる状態になった、ということです。
こうしたみずからの体験をとおして、私は障害者の解放、すなわち自立と社会参加にとって大切なポイントは三つあると考えています。
その第一は、生きるための基礎的な手段を提供し、生きるうえでの意欲と勇気を障害者一人一人がもてるように励ますことです。このポイントには、教育やリハビリテーションの取り組みが含まれます。
第二のポイントは、こうした手段を駆使して、障害者が生活していくうえで、実際に接触する身近な他者が協力する、ということです。とりわけ、同じ障害をもっている仲間の協力は大変有益です。このポイントには、当事者や家族の自助的取り組みや市民の差別的な意識の改革、といった取り組みが含まれるでしょう。
そして、第三のポイントは、障害者一人一人がみずからの幸福な人生を追求することを支援する仲間の協力を安定的に支えるための、社会の法制度的な枠組みです。このポイントには、障害者に対する差別を禁止し、その尊厳を大切にする法律の制定や障害者の福祉や労働を支援する各種制度の整備、といった取り組みが含まれるでしょう。
ところで、私はあえてここでみなさんにお尋ねします。
それでは、どうして、このように障害者の生活を社会は支援しなければならないのでしょうか。障害者はどの国においても少数派です。たとえば、私のような盲ろう者は人口数千人に一人くらいの割り合いでしか出現しないと言われます。このような少数派の障害者に社会のコストをそそぎ込むことは社会の生産性の向上に反するのではないでしょうか。誰も表だっては口にしませんが、1国の国の国家全体の経済的発展を最優先に考える人たちの中には、障害者に対して社会の資源を手厚く提供するのは、無駄だと心のなかで考えている人が、日本も含めてどの国にもいるのではないでしょうか。もう1度お尋ねします。なぜ社会は障害者を支援しなければならないのでしょうか。
その答えを私たちは、すでに20年以上前、国連の文書によって与えられている、と私は思います。
すなわちそれは、「国際障害者年行動計画」の序文のなかにある次の一文です。
「ある社会がその構成員のいくらかの人々をしめ出すような場合、それは貧しくもろい社会なのである。」
つまり、ある社会がもし、その一部の構成員にすぎない人々、たとえば障害者を差別し、排除するなら、そうした社会は外見はともかく、本質的には貧しい社会なのだ、ということです。そして、そうした社会はやがて崩壊の危機に直面する可能性をはらむもろい社会でもある、という意味なのだと思います。
逆にいえば、困難を抱えた少数派である障害者を温かく包み込む社会、彼らと共にたとえゆるやかでも、しかし着実な発展をめざす社会とは、本当の意味で豊かで、しなやかな粘り強い社会なのではないでしょうか。本当の豊かさとはたとえばGDPなどの目に見える経済的指標だけでは必ずしも表すことのできないものなのだと思います。
ヘレン・ケラーはかつてこう語りました。
「この世で一番すばらしくて最も美しいものは見ることもできなければ、触れることさえもできません。心で感じることしかできないのです」
ヘレンのいう「心で感じる美しいもの」、それを人々の間で分かち合うために大切な手段がコミュニケーションだと私は思います。そして、このコミュニケーションこそが、人間にとって、生きるうえでもっとも大切な営みであり、それは障害者においても、いや障害者であればこそ、ますます重要な意味をもってくると私は自らの体験をとおして確信しています。
自然環境には生態系が存在します。私はそれと同じように、社会にも人間と人間が作り出す「共生の生態系」、すなわち、「人間の心の生態系」が存在するのではないかと思います。自然環境の生態系を支えるものは、物質やエネルギーの流れであり、多くの生物の存在や活動です。これに対して、「人間の心の生態系」を支えるものは、人と人が交わすコミュニケーションなのではないかと私は思います。つまり、「人間のコミュニケーションに根ざした生態系」だとも言えるでしょう。
この生態系は社会を構成するすべてのメンバーがそれぞれの生活において、周囲の人々と豊かにコミュニケーションをもつことによって成り立つシステムなのだと思います。もしそうだとすれば、たとえば、障害者というマイノリティーグループのコミュニケーションが豊かになることは、障害者のためだけでなく、社会全体にも望ましい波及効果を及ぼすのではないでしょうか。
これから始まる「アジア太平洋の新しい10年」に、私たち障害者はいったい何を望んで
いるのでしょうか。
私たちアジア太平洋地域の障害者が望むものは、同情や哀れみではなく、市民としての当然の権利と義務、自由と責任です。
私たちが望むものは、たんなる慈善や施しではなく、適切な教育やリハビリテーションを受ける機会と働ける場所です。
私たちが望むものは、一生過ごせる収容施設ではなく、地域で家族や友人と共に生活することです。
私たちが望むものは、社会から私たちへの一方的な情報伝達ではなく、私たちからの情報発信も含めた相互のコミュニケーションです。
私たちが望むものは、一つのカテゴリーの障害者の解放ではなく、すべてのカテゴリーの障害者の解放です。
私たちが望むものは、1国だけの障害者の生活の豊かさでなく、すべての国の障害者の生活の豊かさです。
私たちが望むものは、障害者だけの幸せではなく、障害の有無を越えたすべての人々の幸せです。
そして、私たちが望むものは、社会から愛される存在になることではなく、私たち自身が他者を愛する存在になること、愛する人と出会い、喜びも悲しみも分かちあいながら生きていく人生です。
「新しいアジア太平洋の障害者の10年」が、この地域に暮らす私たち障害者のこうした望みを実現させる10年となることを私は切望します。
みなさん、共に良い仕事をしていきましょう。ありがとうございました。