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「ザキに会った」

林 達雄 2002/09/11

last update:2010408


9月11日朝9:30

 ケープタウンの中心部から車で25分、ムーゼンバーグにあるザキの自宅を訪ねた。家の1階には、彼の妹さんを始めとするスタッフが仕事をしており、2階が彼の部屋である。
不精ひげのザキは、2年前ダーバン2000年でエイズ会議を取り囲む運動を展開していたときと比べると少しやつれて見えた。健康状態は、よくなったり、悪くなったりの繰り返しだという。
 貧乏ゆすりをしながら、日本の特に政府について質問してくる。南ア大統領のエイズへの対応にいよいよ業を煮やした彼らは、12月初旬から本格的な抵抗運動を開始しようとしている。南ア政府に対する国際的なプレッシャーが欲しい彼は、『日本』の可能性を知りたいのだ。日本政府はムベキ・NEPADの路線でアフリカに対応するつもりなので難しいと応えると、左翼はどうか?と聞いてくる。・…それも困難だとわかると今度は、治療のパイロットプロジェクトの可能性を打診してくる。それは多少可能性があると応える。・…
 11月の中旬に彼を日本に呼ぼうと以前手紙を書いた。しかし、今日の面談の際、もし彼がOKしてもこちらから辞退するつもりでいた。彼はいま、南アで最も必要とされる人物だからである。彼の代わりにTACの他のメンバー、先週ジョハネスで会って好感の持てたポドコロ君を招くことを彼に頼むと、快くOKしてくれた。そして、その来日の際、日本でキャンペーンを展開してくれと頼まれた。南ア大統領への抗議とグローバルファンドについてである。韓国の運動とも連帯することを勧められた。
 ジョハネスサミットについての意見を聞いてみた。彼はアフリカ大陸を覆う環境問題を心から憂いていた。彼がまず指摘したのはエネルギーの問題だった。サミットの中で最後の最後までもめた議題である。南アの半官半民の電力会社ESKOMはいまやアフリカ大陸全体を支配しつつあるという。主に石炭そして原子力(10%)からなる彼らのやり方は、自然に優しくない。一見、空気が澄みきっているように見えるケープタウンでも、いったん風がやむと空が茶色に染まる。ESKOMと車の排気ガスのせいで、喘息が増えていることを指摘した。12歳のときから、反アパルトヘイトを始めとする社会運動に取り組んできた彼はたんなるエイズ活動家ではない。
 次に指摘したのは『なぜ今回のサミットでエイズがほとんど議題に上らなかったか?』である。過去2年間に開かれたあらゆる国際会議で、エイズは常に重要議題としてあつかわれてきた。しかし、アフリカの地で開かれた今回のサミットで無視されたことは奇妙なことである。ザキは3つの理由をあげた。第一に議長国南アのムベキ大統領がエイズ問題を故意に避けたこと。第二に議長国南アと口裏を合わせた各国が、敢えて口を閉ざした。第三に、他の運動に忙殺されるあまり、TACがのりだせなかったと。自分が怠慢だったからだとザキはもらした。
 ムベキは不正直な男だとザキは語る。ついにマンデラとも仲たがいし、マンデラの忠告を全く聞き入れなくなったという。マンデラは最近、近親者がエイズであることを告白した。マンデラはザキの事務所を訪問し、マンデラ基金をとおしてTACを応援しはじめた。昨日ジョハネスに住む友人から電話があり、保険会社の了解が得られなかったために友人は家を買うことができなくなったとザキは言う。南アでは生命保険に加入することが家をローンで購入するための条件なのである。サミットの開催中、感染者グループNAPWAが、保険会社をめざしてデモを行った理由がよくわかる。しかし、NAPWAは南ア政府から資金をもっているとザキは語る。だから保険会社に対してはデモを打てても、南ア政府に対してはデモが打てないのである。・・・・・
 ザキは飾り気のない、気持ちの良い男である。治療薬を飲むことを拒否しつつ、アフリカの感染者すべてのために運動を続けてきた。もっともHIV陽性率の高いカイリチャ居留区では4万人が感染しているが、3000人しか病院にかかれない。そしてそのほとんどが、検査を受けるだけで治療を受けることができない。
 ザキは12月からさらなる運動を展開しようとしている。そして『日本』に対しても応援を求めている。TACの友人が来日する11月が、日本に住む私たちにとっても勝負のときだ。せめて1万を超える署名を集めたい。

 cf.◇Achmat, Zackie[ザッキー・アハマット]


*本文はアフリカ日本協議会事務局長斉藤龍一郎氏あてに送信されたメールを転載しています。

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全文掲載  ◇アフリカ日本協議会Achmat, Zackie[ザッキー・アハマット]
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