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「インパクトのあったアジア大平洋障害者の十年」

中西 由起子 2002/01/03 『点字毎日活字版』

last update: 20160125


「インパクトのあったアジア大平洋障害者の十年」
『点字毎日活字版』2002年1月3日

アジア・ディスアビリティ・インスティテート  中西由起子

 今年で最終年となるアジア大平洋障害者の十年は、1983-1992年の国連障害者の十年と比べると、国連や政府、専門家団体がその成果を自画自賛するように、少なくとも日本のみならずアジアの国々ではその名称は浸透し、何らかの取り組みがなされてきた。
 十年は何故そのようなインパクトをあたえたのか。それはESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)がイニシャティブをとった到達目標の設定にある。ESCAP主催の十年の進捗状況に関する1995年の第一回目検討会議で、十年の行動課題(アジェンダ・フォア・アクション)実施のための12問題分野にわたる優先的到達目標73項目とそれぞれの到達年が採択され、政府にその達成が課せられた。
 しかし1997年に韓国ソウルで開催された第2回検討会議は、2年間での進展が少ないため参加に積極的でない政府もあったため、中間年の会議として位置付けられ、73項目の実施に直接触れられなかった。「アジア太平洋障害者の十年到達点の達成とESCAP地区での障害者の機会の均等化」という名称からESCAPの意欲が十分に汲み取れるように、バンコクで1999年11月に開催された第3回会議では再度73項目が真剣に討議された。1995年以降の進展に制限されていたものの、大半の到達目標を到達年までに実施したと述べたフィリピンなどの優等生を含め、政府は多くの成果を発表した。いくつかの項目での到達は難しいとのバングラデシュなどの意見もあったが、73目標は見直されて強化され、残り3年間での実現を期する107項目として採択された。
 このように細かな目標設定は外部圧力となり、政府を動かし、以下のような成果をみたのである。
・障害者法の制定
  十年の開始前に、タイや中国で法律が作られモデルが提供されていたとは言え、インドの障害者(均等機会、権利保護、完全参加)法(1995)、スリランカの障害者権利保護法(1996)、インドネシアの障害者法(1997)、バングラデシュの障害福祉法(2001)、ベトナムの障害者に関する政令(1998)、モンゴルの障害者社会福祉法(1998)、香港の障害差別禁止条例(1995)など新しい法律が続々誕生した。
・バリアーフリー環境の整備
  アクセスの問題は途上国では優先事項とならないのではないかとの懸念にもかかわらず、ESCAPは「ハンディのない環境」と題したプロジェクトを立ち上げ、タイ・バンコク、中国・北京、インド・ニューデリーで町の一角をバリアーフリーのモデルとして整備を行った。
  1994年のマレーシア・クアラルンプールでの狭軌鉄道(LRT)や1995年のバンコクでのスカイトレインなどの交通アクセスの運動もこの動きに拍車をかけ、「アジア太平洋障壁からの解放運動(Asian and Pacific Movement for Freedom from Barriers)」と名づけたアクセスの十年を新たに推進しようという提案もなされている。
・障害者への各種サービスの推進
  障害児の5% 以下しか教育の機会がない状況を変えるべく、統合教育が進められている。施設を中心としたリハビリテーションの対極のアプローチであるCBR(地域に根ざしたリハビリテーション)の主要な活動として採用されていることがその特徴である。
  雇用割当制を取る国がふえているが、多くの国では農村人口が70-80%を占めるので、障害者の一般雇用でのチャンスは少ない。そのため融資制度による自営業が奨励され、政府やNGOが小規模事業を始めるための資金を貸与・供与する制度を設け、必要な経営技術などのノウハウも得られるようになっている。
  簡単に保健、医療、社会サービスをえられない障害者の農村での生活の質の向上を目的に、CBRを政策に組み込んでいる国も多い。NGOも厳密に言えばCBRではなくアウトリーチ活動ではある場合が多いが、CBRと名付けた活動を展開している。
 世界レベルでは、障害者の権利条約制定の運動が盛り上がってきた。その基礎となるのが1993 年に国連で採択された「障害者の機会均等化に関する基準規則」である。十年の行動課題の影に隠れ22の基準規則はあまりアジア太平洋では関心を集めなかった。アクセスの十年が推進されることになれば、アクセスを最も身近な権利として条約制定運動の盛り上がりが期待できると思う。
 この運動には積極的に大平洋の島国も組み込む必要がある。十年はアジア主導で実践され、地理的に遠く、過疎の人口のためにプロジェクトの費用効率の悪い島々が後回しにされる傾向にあった。十年の反省から、アジア太平洋の障害者の平等な参加は、十年後の運動の発展にも重要である。
 アジアの途上国の農村で、CBRや障害者の自助活動の奨励をしてきた経験は、大平洋の島で活用できるはずである。日本でのアジアへの関心は高いが、大平洋の島国は観光と結びついてしか語られない。そこにもアクセスの手段がなく、家族に依存して生きて障害者がいることを心に留めることは、今からでもおそくない。

*「プロフィル」

アジア太平洋DPI(障害者インターナショナル)やESCAPでの勤務後、ADI(アジア・ディスアビリティ・インスティテート)を創設し、代表を務める。

……以上……

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