「支援者が有するパターナリズムの活用と支援者に期待される変容過程――A.M.サリバンによるH.ケラーへのかかわりから」
市川 和彦 2002 『キリスト教社会福祉研究』第34号
last update: 20160125
1,はじめに
利用者のかかえる障害の軽減と回復、社会復帰を目指しての指導、訓練は更生施設
の役割であるが、指導・訓練過程のなかで、パターナリズムに基づく指導・訓練が行
われたり、かつては時として「体罰」「拘束」が行われたことは否定できない。これ
らの行為の背景には、いずれ利用者が施設を出た際、地域社会に充分適応できる生活
能力を身につけさせたいとの支援者側のパターナリズムがあった。
G.ドゥオーキン(Gerald Dworkin.1971)はパターナリズムを「もっぱら強制さ
れる人の福祉・幸福・必要・利益または価値と関係する理由によって正当化されるよ
うな、ある人の行動の自由への干渉」1)と定義し、T.L.ビュウチャンプとL.B.マッ
クロウ(Beauchamp,T.L.&McCullough,1984)は「(1)ある個人の自律を他者が故意
に制限することであり、(2)自律を制限する者は専ら自律を制限される者へ恩恵を
授けるという姿勢をもっていなければならない」2)と定義した。花岡はさらに簡潔
にパターナリズムを「被介入者自身の利益のためになるという理由による介入行為」
3)とした。すなわち本稿で扱うところのパターナリズムとは、前述の各定義を基に
社会福祉施設利用者の利益を志向するが故の支援者による強制的な介入のことであ
る。 筆者はパターナリズムを否定するものではな
い。むしろ児童や強度行動障害をかかえた知的障害者とのかかわりにおいては時とし
てパターナリズムによる強行なかかわりも必要とされる。緊急対応を求められる場面
では、支援者の素早く適切なパターナリズムによる行動制限などの強制的介入が必要
とされることもあろう。よって、パターナリズムの否定は無責任なネグレクト(放棄
・放置)へとつながりかねない。問題とされるべきは、パターナリズムによって発動
される行為とその方法論である。
筆者は本稿において、A.M.サリバン(Sullivan, Anne Mansfield 1866〜
1936)とH.ケラー(keller Helen 1880〜1968)との間に展開された初期のかか
わりを事例として取り上げ、サリバンのパターナリズムがいかに形成され、ヘレンと
のかか
わりを通してかかわりの方法がいかに変容していったかを考察する4)。そこから紡
ぎだしたものが、処遇現場で専門職としての価値観、倫理観と現実とのディレンマに
苦悩しつつも奮闘しておられる支援者の方たちへの一助の種子になれば幸いである。
2,教育の絶対条件としての「服従」
視覚・聴覚障害を併せもち、全くの無秩序の世界に生きていた少女を、自らの意志
と人格、品位と知性を有し、教育と福祉に国際的に貢献する女性へと変容させた教師
サリバンの業績は後生に評価されて足るものである。しかし、この偉業とされている
サリバンの教育内容を再考してみるに、特にその初期の実践、考え方に筆者はいくつ
かの疑問を抱かざるを得ない。それは、おおよそ以下の点についてである。
@教育を可能とする絶対条件として「服従」をあげており、「支配ー被支配」関係
を 前提としている。
A自己の教育における効果に若干過剰に反応している。
B初期において体罰(暴力)・拘束を用いている。
これらの点が、サリバンの熱心さとヘレンを変容させた実績のもとに美化されてい
る。
ケラー家に赴任したサリバンは、当初、次のように決意する。「私はまず、ゆっく
りやりはじめて、彼女の愛情をかちとろうと考えています。力だけで彼女を征服しよ
うとはしないつもりです。でも、最初から正しい意味での従順さは要求するでしょ
う」2)。しかし、実際にヘレンと対したサリバンは前述の決意が通じない相手であ
ることを知る。若干21歳。約半年間、ハウ(Howe,Samuel Gridley 1801〜1876)に
よるローラ・ブリッジマンの教育実践報告書から学んだうえでの初めての臨床経験で
あったのだから無理もない。
サリバンにとって「建前」論が崩壊するのに時間は要しなかった。「私は、力尽く
でおさえつけないように懸命に努力しましたが、避けることがとてもむずかしかった
のです」6)「(ヘレンが)私をつねりましたので、そのたびに私は彼女をぴしゃり
と平手打ちにしました」7)。そして彼女は次のように決意する。「私が教えること
のできる二つの本質的なこと、すなわち、服従と愛とを彼女が学ぶまでには、この小
さな女性と今日のような取っ組み合いのけんかを何回もやるでしょう」8)。
赴任当初、一筋縄には行かないヘレンに手を焼いたサリバンは、まずヘレンを自分
に「服従」させようと試みる。その「服従」の意味は、いかに抵抗しようとも無駄で
あること、結局抵抗しても自分にとってなんの利益もないことを学習させるというこ
とである。サリバンは「小さなあづまや」に約17週間ヘレンを隔離し、ふたりだけの
拘束教育をはじめる。やがてサリバンは以下のような喜びの声をあげる。「(ヘレン
は)大きな進歩ー価値ある進歩ーをしました。この小さな野生児は、服従という最初
の教訓を学び、そして、拘束が楽なものだと気づきました」9)。「服従」を学んだ
ヘレンは両親が驚くほど静かになるが、同時に食欲も減退する。娘の健康を案じた父
親が、家に連れて帰ることを希望するが、サリバンは拒否する。サリバンには「おふ
たりが(両親)認めないわけにはいかないヘレンの進歩」10)という実績があっ
た。そしてこの拘束状態から脱するには「服従」しかないというのがヘレンの下した
結論であったのだろう。
「服従」を前提とする処遇、あるいは治療教育は現代の処遇現場においても意識す
るしないは別としても極めて一般的なものではあるまいか。サリバンがのべた「拘束
が楽なもの」というのは支援者にとっても「楽なもの」ということである。
3,自らの感情の投影と利他主義
彼女の熱心さは、ある意味で評価に値する。家族の同情と溺愛の中で、野生児同様
に育てられてきたヘレンを、品位と知性ある女性へと教育しなければならないとのパ
ターナリズムが当時のサリバンを動かしていた。と、同時に、サリバンの熱心さには
サリバン自身の悲惨な体験が少なからず影響を与えていると推察する。
マサチューセッツ州、スプリングフィールドの貧しいアイルランド移民の家庭に生
まれたサリバンは10歳の時に救貧院に入れられている(1877頃)。そして不衛生極ま
りない救貧院で、彼女は眼炎に犯され強度の弱視となる。自らの悲惨な体験で彼女が
抱えることになった心的外傷から来る感情をヘレンとその家族に投影し、その投影し
た自らの課題を何とか解決しようとする、いわゆる利他主義につきうごかされた”熱
心”である。
志向性をもつことは極めて一般的なことである。しかし、その結果とられる言動が
一線をこえてしまう場合、例えば体罰や拘束、心理的外傷を与えるような強い追い込
みや挑発といった言動であらわれる場合、また、「自分一人で何とか解決しよう」
「彼を救えるのは自分しかいない」と思いこみ、あたかも自分が「救世主」であるか
のように振る舞ってしまう自己愛的言動には何らかの個人的感情が影響していると思
われる。
4,劣等コンプレックスと自己愛性
「彼女(ヘレン)に、髪をとかしたり、手を洗ったり、靴のボタンをかけたりする
ごくごく簡単なことをさせるにも、力尽くでしなければなりませんでした。言うまで
もなくその結果、痛ましい場面がくりひろげられました」11)。
首席で卒業したとは言え、盲学校卒業の学歴、そして視覚障害という劣等コンプ
レックスがヘレンの教育に確実な成果を及ぼさなければならないとの焦りへとつな
がったと言えまいか。
劣等コンプレックスから派生するサリバンの自己愛性を念頭に置けば、サリバンが
なぜ自らへのヘレンの「服従」つまり、「支配ー被支配」関係にこだわったかが理解
できる。まず、自己愛的パーソナリティの特徴で主なものをあげてみる。
@他人からの賞賛に固執する。
A自分の考え方、方法論に確信をもっている。
B他人の批判に対して過敏に反応する(怒りや恥辱感)。
C他人に頼らない。他人への不信感。
D劣等コンプレックスに裏付けられた嫉妬深さ、ねたみ。
E共感することが苦手
F他人に対する理想化と軽蔑の両極端
などがあげられる12) 。
ヘレンとのセッションを開始してから、サリバンは親友のホプキンス婦人(パーキ
ンス盲学校の寮母)に頻回に書簡を寄せている。その中で、ケラー家に赴任後、約2
週間後にヘレンが新しい単語を3つ覚えたことを大きな喜びとともにホプキンス婦人
に報告している。「私の試みがうまく運んでいることを知って、あなたも喜んでくだ
さるでしょう」13)その1週間後、ヘレンがステッチを覚えたこと、自分に愛情を
示しはじめていることなどから、次のように喜びを表現している。「今朝、私の心は
うれしさで高鳴っています。奇跡が起こったのです!知性の光が私の小さな生徒の心
を照らしました。見て下さい。すべてが変わりました」14)。さらに「この小さな
野生児は、服従という最初の教訓を学び、そして拘束が楽なものだと気づきました」
15)。ヘレンを支配下に置き、服従させるという当初の目的を達したことに過剰と
思えるほどの喜びを示している。さらに、自らの実績を「ヘレンの教育がもしかした
らハウ博士の業績をしのぐことになるかもしれないと私は考えているのです」16)
とまで評価している。
なお、この”良き結果”をもたらした方法として前述した「小さなあづま家」への
拘束がある。これは、ヘレンの両親への逃げ道を断つことにより、強制的にサリバン
に服従せざるを得ない環境を作り出すことを目的としたものである。
自らの教育について両親に説明し納得してもらうための両親へのはたらきかけはみ
られず、両親との対立という構図でヘレンへの教育を展開しているように筆者には思
える。サリバンの両親への希望は「どんなことがあっても私に干渉しないでくださ
い」17)ということであった。「おふたり(両親)が認めないわけにはいかないヘ
レンの進歩が私への信頼を高めてくれたのです」18)という自己賞賛の裏に両親の
どのような思いが隠されているのだろうか。しかしその一方「私は罰せられたり、不
本意に物事をさせられて悲しんでいる子どもを見るのがつらいことはわかっていま
す」19)と両親への共感も示している。この感性の豊かさが、サリバンの”熱心
さ”が暴走するのを防いだのかもしれない。
いずれにせよ、サリバンが自己愛性をもつパーソナリティであったことは容易に推
測できる。さらに、生涯にわたるヘレンとの共生関係と呼んでもおかしくないサリバ
ンの献身的な密着した関わり方は自らの自己愛をヘレンの成功や功績によって満たそ
うとする「自己愛的同一視」20)と理解することができよう。
5,サリバン教育の理論的背景
サリバンのパターナリズムに強い影響を与えていると思われるのが恩師ハウの教育
理念である。ハウの教育理念を知らずしてサリバンの教育を理解することはできな
い。 ハウは視覚障害者の救済に関して、従来のあわれみによる施しは彼らに
石を投げるより悪いとし、教育により彼らを自立、自活させコミュニティの負担にな
るのを防ぐことが大切であるとしている21)。 ハウの指導によるパーキンス盲学
校の規則は厳格であり、非行や不品行をなした生徒で改善の意志がみられないものに
は退学に処するだけでなく、他校においても入学を拒否するよう通知した。規則も健
常児と同様のものが用いられた。これはいずれ卒業後、一般社会で適応可能な人間に
教育しようとのハウのパターナリズムに基づく教育理念からであった22)。ハウは
教え子に事前に頼ることなく自らエンパワメントし、職業をもって働き自立すること
を期待した。
また、ユニテリアンであるハウは障害を神からの賜か罪の報いとするカルビニズム
とは違い、社会改善、幸福実現のための神の英知によるものであると理解した2
3)。よってハウの教育理念は、教育によって障害を克服することは可能であるとす
る楽観論であった。加えてプロテスタントの勤勉、倹約、服従といった倫理観がハウ
のパターナリズムの根底に内在していたと思われる。
「体罰」に関して言及すれば、ハウは初期は体罰肯定論者であり、最後の手段とし
て体罰の有効性を認めていたが、その後、体罰を全面的に否定し、それに反した教員
は即刻解雇している24)。後に知的障害児教育にも献身するハウはセガンの治療教
育に多大な影響を受け、特に知的障害児教育において「優しさと温和」の重要なこと
を説いている。
ここで確認しておきたいのは、ハウのパターナリズムは障害を負う子どもたちに対
する愛情と子どもたちの持てる可能性に期待する思い、障害を克服する手段としての
教育に対する情熱によるものであるということ。そして具体的にはその真価は問われ
るが骨相学に基づく身体教育、線字などの教具の開発と改良そして実践(ローラ・ブ
リッジマンとのセッションでは線字と実物との対応が試みられ、後に指文字として盲
聾唖しゃとのコミュニケーションに用いられる)25) などの業績として結実す
る。つまり、体罰や拘束といった陳腐な手段とは縁のないものであるということであ
る。
6,支援者の辿る3つの段階
@混乱・試行錯誤期
ある研修会において「奇跡の人」の第1セッション、まるで野生児のようなヘレン
に平手打ち、バケツで水をかける、投げ飛ばすなど文字通り身体をはったシーンを観
てもらう。どこの障害児者施設でも頻繁に見られる光景が展開する。そのリアルさに
思わず笑ってしまうものも少なくない。格闘の末、拘禁した部屋から出てきた疲れ果
てたサリバンはヘレンが一人でナプキンを畳んだと母親に告げる。観賞後参加者の数
人に感想を聞いたところある方は次のように答えた。「とても感動しました。あのサ
リバン先生の熱心な教育が、ヘレン・ケラーを聖女と呼ばれるまでにしたんです
ね」。この方の感想は極めて一般的なものではないだろうか。サリバン自身の「痛ま
しい場面がくりひろげられました」26)「私たちはものすごい取っ組み合いをしま
した。つかみ合いは二時間ばかり続きました」27)の告白に共感を覚えるものも少
なくないだろう。しかし、共感はしてもモデルにすべきではない。
若干21歳、初めての臨床であるヘレンとのセッションでサリバンがヘレンに巻き込
まれる結果となってもそれは当然である。有効な教育方法、援助方法について気づい
ていない、ただ、志向性のみが先走りをしている段階であり、筆者はこの段階を「混
乱〜試行錯誤期」と呼ぶことにする。この段階に固着してしまう支援者の何と多いこ
とか。この段階で試行錯誤という作業を回避した者は、即効性のある体罰や拘束と
いった手段を用いやすい。しかし、サリバンは、とっくみあいのけんかと泣き明かす
試行錯誤の毎日の中で、やがて「人間にできないことをうまくやってくれる何かの力
にお任せするだけです」28)との境地に至る。
サリバンの心中にあったのは、いかにヘレンの心に近づくかということであった。
いかに問題を矯正するか、しつけるかではなく、いかに心に近づくかということであ
る。このことへの気づきは重要である。
A開拓・自己変容期
「小さなあづまや」を出てから以前のような取っ組み合いはあまりみられない。ヘ
レンがサリバンに服従したということも言えるが、サリバンが初期の混乱期から脱
し、ゆとりある独創的教育を展開するのは、ヘレンの知性の発見と着実な効果を目の
当たりにしてからである。
サリバンは以後つききりで「折にふれて」ヘレンに物事を教えていく。サリバンの
熱心さは、力づくでヘレンを押さえつけ、無理矢理食事をさせる熱心さから、一日
中、遊び時間にも勉強時間にもヘレンの手に文字を綴り続ける熱心さへと変容する。
ヘレンは全てのものは名前を持っていることと、指文字が知識を獲得する有効な手段
であることを学んでいくのである。その結果、サリバンがケラー家に赴任してから約
一か月でヘレンとの信頼関係を築くに至る。「昨夜私が床に就くと、彼女は自分から
私に腕の中にすべり込んできて、はじめて私にキスしたのです。私の心ははりさける
ようでした。それほど喜びであふれていました」29)。サリバンの教育のバック
ボーンがハウであったことの意味は大きい。盲聾唖者とのコミュニケーションに指文
字が有効であることはハウのローラ・ブリッジマンとの実践で実証されている。ここ
でサリバンはヘレンにとって最も有効な教育方法を用いることで今までのような取っ
組み合いの実践と決別することに成功していく。
サリバンはやがて「念入りに作り上げられた特殊な教育方法」30)に疑問を抱く
に至る。「子どもは好きなようにさせておくと、たとえ目だたなくても、より良く考
えるものです」31)。「服従」を絶対条件としたサリバンの教育から何という変容
であろうか。 混乱・試行錯誤期にいくつかの誤りを経験することはあろう。サリバ
ンにも、体罰や一室への隔離・拘禁という、まさに虐待と呼んでもおかしくはない行
為がみられたが、一方まず指文字を使ってヘレンと対話することを求めた。その結
果、生来の好奇心が刺激され学ぶことの楽しさを知ったヘレンにとってサリバンはな
くてはならない存在となっていく。サリバンは次のように語っている「(わたしは)
彼女の心を刺激して、興味を起こさせるために全力を尽くし、結果を待つことにしま
す」32)。支援者の専門性とは危機的状況において活用できる技術やツール(道
具)をどれだけ持ち得ているかということである。支援者はまず利用者の心に近づく
ための技術を学びツールを獲得する作業を怠ってはならない。その結果、利用者はそ
れまでは敵とさえ思っていた支援者に心を開き、支援者も利用者の変容によって利用
者に対しての感情が変化してくる。この過程を筆者は「開拓・自己変容期」とよぶこ
とにする。この時期に至ったサリバンは以下のように述べている。「ほんのしばらく
前までは、私はどうやってこの仕事に手をつけたらいいのか何の案もありませんでし
た。まるで暗闇の中にいるような気持ちでした。けれど、どういうわけか今ではそれ
がわかったような気がします。(中略)困難にどう立ち向かったらよいかわかってい
ます。私はヘレンの独特の要求を見抜くことができます。それは何とすてきなことで
しょう。」33)。
B信頼・相互交流期
サリバンが身体に触れることを堅く拒否していたヘレンだが、知的好奇心を満たし
てくれるサリバンにやがてキスをしたり、「腕の中にすべりこんでき」たり自ら身体
接触を求めるようになる34)。サリバンにもヘレンに対して「かわいい」「愛らし
い」と感じる愛情が芽生え、日に日に増していく。つまり、サリバンとヘレンとの間
に信頼関係が築かれていく過程であると同時にそれはマクギー(John
J.Mcgee,1991)のいうように「互いの交わりの中に意義を見出そうとするものであ
る」35)。この時期を筆者は「信頼・相互交流期」と呼ぶことにする。
サリバンとヘレンの関係は、生涯にわたって堅固で依存的と言っても過言ではない
ものと思われる。後にヘレンはサリバンが自分にとってどのような存在であったか以
下のように述懐している。「先生はご自分の生活を私の生活のなかに包み込んでし
まった沈黙をお喜びになり、教師としての一生が先生の一生であり、そうして、後に
残される仕事が、ご自分の自叙伝そのものだと言っておられました。思えば先生は女
性として最も尊い時代を私のために捧げてくだされ、今もなお、日夜私のために献身
していてくださるのです。」36)。
この段階に至ってパターナリズムは役割を終える。ヘレンの自律とコンピテンス
(判断能力)が、ある一定段階に達し、自律的な決定を下すに足る状態に至った時、
パターナリズム的介入から解放される。利用者との関係は、養育する者される者、教
育する者とされる者、治療する者とされる者といった関係ではなく、双方が互いを尊
敬し影響を与え合う関係であり、マクギーの言葉を借りれば「すべての人を苦しみ、
人権のための闘い、連帯を熱望する対等な存在と考え、それを援助する側とされる側
の両方に癒しをもたらすものとしての交わり(companionship)」37)である。
7,まとめ
さて、以上のことからわれわれは何を学ぶか。サリバンのパターナリズムに裏付け
られた熱心さは評価されなければならない。目に余るわがまま、乱暴のゆえにヘレン
を敬遠し関わりを避け、教育を放棄するなら、それはネグレクト(放棄・放置)であ
る。パターナリズムに裏付けられた虐待いわゆる志向的自律型虐待38)は往々にし
て熱心で使命感の強い支援者によって行われることが多い。たまたま相手がヘレンと
いう豊かな知性と好奇心を有した生徒であったことがサリバンを成功者にしたといえ
なくもない。
混乱・試行錯誤期のなかでサリバンはヘレンに内在する潜在能力に気づく。「そう
なると、私たちは心のなかに何か、つまり知識や行動のためにもって生まれた能力を
頼りにするほかありません。その能力は、それが大いに必要となるまで、自分達が持
ち合わせていることに気づかなかったものです」39)。この冷静な観察力と感性が
サリバンの偉大なところである。
サリバンの理論的背景はハウの教育法である。また、ハウが教育の対象にしたロー
ラ・ブリッジマン自身もサリバンとの親交があつくパーキンス盲学校ではローラと同
じ棟に住んでおり、さらにサリバンに指文字を教えたのはローラ自身であった。ロー
ラもまたパターナリスティックであり、ヘレンの教育にあたり、サリバンに「強情を
通させて私(ヘレン)をわがままにしてはいけませんよ」40)と忠告している。ま
だまだ新米の教育者にはローラの忠告は何物にも代え難い大切な忠告であったろう。
ケラー家に赴任したサリバンは、野生児のようにふるまうヘレンと、それを許して
しまっている家族に憤りを感じ、強引な関わりと、時として有形力を行使している。
この混乱・試行錯誤期から次の開拓・自己変容期に移行するためには、自分に対する
自己検討が必要である。指文字を通して、ヘレンが自ら物の名前を学んでゆく過程に
触れる中で次のような気づきに至る。「子どもがまだ役に立つ用語を習得していない
時期に勉強の時間や場所を決めたり、また、決められた課題を暗唱するよう強いるこ
とはまちがいだと最近気づきました」41)。子どもには潜在的に学ぶ能力があり、
環境から十分な刺激が与えられれば、子どもは自ら学び取っていくことを理解する。
この気づきからサリバンは自らの教育観・教育法を確立していく。開拓・自己変容期
である。
「家の中では小さな机に向かわせる代わりに子どもたちを自由に行ったり来たりさ
せたり、実物に触れさせたり、自分で感じたことをまとめさせたりさせるべきです」
42)。この子どもの主体性を尊重したサリバンの教育法は後世において高く評価さ
れ、ソーシャル・ケースワークの母と呼ばれるM,リッチモンド(Mary
E.Richmond.1861〜1928)の理論の礎石となるのである。
リッチモンドはサリバンの優れた点として、サリバンが、その地域の社会的行事や
ケラー農園の動物たちの生活、小川のせせらぎや小鳥のさえずりといった変化に富ん
だ田舎の自然など「ヘレン自身の世界」を利用したことをあげている43)。ヘレン
は後に次のように述懐している。「私たちは家の中よりも、太陽の照っている森のほ
うが好きで、よく戸外で読書したり勉強したものです。それですから、私の幼い頃の
勉強にはすべての森の吐息、あのブドウの薫香にまじった松葉のさわやかな樹脂のに
おいといったものが染み込んでいるのです。(中略)突然ぶんぶんうなったり、羽ば
たきをしたり、さえずったり、花咲くもののすべてはなんでも私の教育の材料であり
ました」44)。リッチモンドが「無意識的なケースワーク」45)と呼ぶサリバン
の教育法・援助技術が開拓され、サリバン自身のパターナリズムも服従を前提とした
関係からヘレンの自ら学ぼうとする能力を尊重して待つ者へと変容を遂げるのであ
る。
混乱・試行錯誤期から開拓・自己変容期に至らずに、つまり支援者自身に内在する
力を開花させることなく、体罰や拘束、脅迫といった陳腐な方法に甘んじる状況を回
避するために重要なのがスーパーヴィジョンである。サリバン自身、その必要性を痛
感していたことは次の彼女の叫びから明白である。「私は、この仕事に適していない
ことをますます強く感じています。(中略)私の考えは飛躍が多くて、いろいろな事
柄があれこれごっちゃになってまとまりがつきません。考えをうまく整理できたらほ
んとにいいのですが!私を助けてくれる人がいないものでしょうか!ヘレンと同じよ
うに私にも教師が必要なのです」46)。頼るべきスーパーヴァイザーのいないサリ
バンには時折パーキンス盲学校のアナグノス女子から書籍を送ってもらうことはある
にしても、自分自身の力量に頼るしかなかった。しかし、教育者としての自らの資質
を高める努力を怠ることはなかった。パターナリズムを行使するに足る専門性を有し
ているかどうか。さらに、私憤などの感情に流されない自己統率力のある人格的円熟
さと倫理観が備わっているかを支援者は問い返さなくてはならない。
最後に付け加えて述べたいのは、パターナリズムには健康なものと病んだものとが
あるということである。健康なパターナリズムは柔軟かつ可変的である。サリバンの
パターナリズムはその意味で、若干自己愛的ではあるが病んだものではなかった。パ
ターナリズムの行為とは「それがなくては諸個人が自分自身に引き起こすかもしれな
い弊害を防ぐ場合や、それがなくては彼らが手に入れることのできないであろう利益
を生み出す場合に正当化される」47)。つまり、パターナリズムの行為者ではな
く、その対象の利益が最優先されなければならないということである。そのために自
分自身の考え、技法、価値観等を場合によっては変えることのできる柔軟性が問われ
る。問題は、他人の忠告、指摘、指導を一切受け入れることのできない病んだ自己愛
性によるパターナリズムである。服従を教育の前提条件として、ヘレンの両親の干渉
を一切拒絶していた初期のサリバンの関わりは多少自己愛的といえる。私たちは誰で
も多少の自己愛性を有しており、故に人は日々成長し、よりよいものを生み出すとも
いえる。すなわちそれが、健康な自己愛性である。しかし、パターナリズムが病んだ
自己愛性の隠れ蓑である場合、パターナリズムの行使者は、確固たる理論的背景、実
績にともなう自信が欠如している、すなわち現実的な裏付けのない自信と他者への攻
撃性により利用者そして周囲の者を混乱させてしまう。さらに周囲の者の忠告、指摘
に対して自己を冷静に評価し変えることができない。
利用者を救うことができるのは自分しかいないとの思いこみと、宗教による動機付
けが付加されたパターナリズムが、病んだ自己愛的人物によって行使される時、利用
者への虐待へと至る可能性は否定できない。さらに虐待者の暴走を止めることのでき
ない責任者の偽りの寛容さが虐待を助長する。
サリバンが健康なパターナリズムを有していたことは彼女の次の言葉から理解でき
る。「私は最善をつくすつもりです。あとは人間にできないことをうまくやってくれ
る何かの力にお委せするだけです」48)。私たちは自己の能力を過信することな
く、時には自分以外の周囲の者を用いられる主のご計画にすべてを委ねることも必要
なのである。
<注>
1)花岡明正著「パターナリズムとはなにか」、澤登俊夫編、「現代社会とパターナ
リズ ム」所収、ゆみる出版、1997、p27
2)T.L.ビュウチャンプ、L.B.マックロウ著、宗像恒次、山崎久美子監訳「医療倫理
学 ー医師の倫理的責任ー」、医歯薬出版株式会社、1992、p107
3)花岡明正著、前掲書、p31
4)映画「奇跡の人ーThe Miracle Workerー1962」は、ヘレン・ケラーと、その
教師サリバンとの間に展開された教育と二人のこころの交流を事実に忠実に描いて
い る。
5)A.M.サリバン著「ヘレン・ケラーはどう教育されたかーサリバン先生の記
録ー」、 明治図書、1973、p13
6)A.M.サリバン著、前掲書、p17
7)A.M.サリバン著、前掲書、p17
8)A.M.サリバン著、前掲書、p18
9)A.M.サリバン著、前掲書、pp24〜25
10)A.M.サリバン著、前掲書、p27
11)A.M.サリバン著、前掲書、p19
12)丸田敏彦著「Narcissistic Personality:KernbergとKohutーその共通点 と
相違点ー」、精神分析研究、第26巻、第1号、日本精神分析学会、1982、pp30〜
4013)A.M.サリバン著、前掲書、p23
14)A.M.サリバン著、前掲書、p24
15)A.M.サリバン著、前掲書、p25
16)A.M.サリバン著、前掲書、pp46〜47
17)A.M.サリバン著、前掲書、p27
18)A.M.サリバン著、前掲書、p27
19)A.M.サリバン著、前掲書、p27
20)特定の相手に対して、献身したり、期待をかけたりして、その人の活躍や成功を
願う ことであり、自身では満たすことのできない自己愛を、相手の活躍や成功を
通して実 現させようとする心理過程。(井上果子・松井豊著「境界例と自己愛の
障害ー理解と 治療にむけてー」、サイエンス社、1998、p34)
21)中村満紀男著「アメリカ合衆国障害児学校史の研究」、風間書房、1987、p56
22)中村満紀男著、前掲書、p150
23)中村満紀男著、前掲書、p34
24)中村満紀男著、前掲書、p257
25)中村満紀男著、前掲書、p155
26)A.M.サリバン著、前掲書、p19
27)A.M.サリバン著、前掲書、p22
28)A.M.サリバン著、前掲書、p24
29)A.M.サリバン著、前掲書、p33
30)A.M.サリバン著、前掲書、p37
31)A.M.サリバン著、前掲書、p37
32)A.M.サリバン著、前掲書、p35
33)A.M.サリバン著、前掲書、p47
34)A.M.サリバン著、前掲書、p33
35)J.マクギー、F.J.メノラスチノ著「こころの治療援助ー相互変容の実践ー」、医
歯 薬出版株式会社、1997、p41
36)H.ケラー著「わたしの生涯」、角川書店、1966、p500
37)J.マクギー、F.J.メノラスチノ著、前掲書、p1
38)市川和彦著「施設内虐待ーなぜ援助者が虐待に走るのかー」、誠信書房、2000、
pp3 1〜56
39)A.M.サリバン著、前掲書、p20
40)H.ケラー著、前掲書、p401
41)A.M.サリバン著、前掲書、p33
42)A.M.サリバン著、前掲書、p37
43)M.リッチモンド著、「ソーシャル・ケース・ワークとな何か」中央法規、1991、
p8
44)H.ケラー著、前掲書、p42
45)M.リッチモンド著、前掲書、p13
46)A.M.サリバン著、前掲書、p42
47)T.L.ビュウチャンプ、L.B.マックロウ著、前掲書、p107
48)A.M.サリバン著、前掲書、p18
内容区分:研究論文
タイトル:支援者が有するパターナリズムの活用と支援者に期待される変容過程
ーA.M.サリバンによるH.ケラーへのかかわりからー
英文タイトル:The Practical Use of Social-Workers and Care-
Givers’own Paternalism and Process of Improvement
Expected of these Social-workers and Care-givers.
ーIn Case of A.M.Sullivan Concerned with H.Kellerー
所属機関:茅ヶ崎リハビリテーション専門学校
著者名:市川 和彦 (イチカワ カズヒコ)
kazuhiko ICHIKAWA
……以上。以下はホームページの制作者による……