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「実践的公共哲学・公共倫理としての「祭り」――実践的的神道からのアプローチ」

鎌田 東二 2001/12/30 公共哲学研究会主催「地球的平和問題」会議・発表予定要旨
於:千葉大学

last update: 20160125


実践的公共哲学・公共倫理としての「祭り」――実践的的神道からのアプローチ

鎌田 東二
2001・12・30
公共哲学研究会主催「地球的平和問題」会議・発表予定要旨
於:千葉大学


1、「伝承文化」に見る実践的公共哲学・公共倫理

  神話・儀礼・物語・昔話・伝説・諺・格言

2、実践的公共哲学・公共倫理としての「祭り」

  1)待つ――(カミのオトヅレを)待つ行為としての祭り
2)奉る――供え物を奉る行為としての祭り
3)服ろう――大いなる存在と意思に従う行為としての祭り
4)真釣り――真の大いなる均衡・バランスとしての祭り
  art of/to dynamic harmonyとしての祭り
  神々・自然・人間・社会の大いなる調和を求め実現するワザとしての祭り

3、公共的市民の「祭り」の事例

  1) 喜納昌吉の「祭り」の実践――うるま祭り、ニライカナイ祭り、白船計画
2)「神戸からの祈り」1998年8月8日・満月、於神戸メリケンパーク
3)「東京おひらき祭り」平成10年10月10日、於鎌倉大仏
4)「虹の祭り」1999年―2001年、於東大寺・春日大社、足摺岬・唐人駄場
  5)「グローバル・ピース・セレモニー」2001年12月7日(日本時間12月8日)、於ハワイ真珠湾、ネイティブ・ハワイアンの聖地

4、同時多発テロ事件(2001年9月11日)以降の公共的市民の「平和運動」の
事例

  1)「グローバル・ピース・キャンペーン」代表・きくちゆみ
    アメリカのメディア(ニューヨークタイムズ)に退役軍人の反戦平和のブッ
シュ大統領宛ての手紙を掲載する運動、イスラム系のメディアにも掲載
  2)「平和の灯」分灯運動 山田和尚(神戸元気村・オープンジャパン代表)
    ただし、2000年3月より分灯運動を始める。
  3)「愛と平和のプロジェクト」代表・天川彩
  4)『非戦』緊急出版、坂本龍一、宮内勝典ほか

5、Art of/for peace――平和を構築する手法としての身体・芸術・宗教文化の活用
/宗教間の対話と共生の回路を求めて、あるいはワザの復権・再布置

  身体を平和にすることから心を平和にする
  気功、ヨーガ、瞑想、鎮魂、オイリュトミー、お茶(茶道)、お花(華道)、舞
踊、歌・音楽、祈り・祭り
  平和のワザオギ

6、鎌田東二の事例――フリーランス神主・神道ソングライター・宗教哲学者(神道
学者)

  宗教と芸術と学問の総合・連動・連係・相互活性化
  和とムスビの回路としての現代鎌田版ワザオギ
  CD『この星の光に魅かれて』(Moonsault Project)を2001年8月15日の終戦記念日に自主制作・発売(URL:http://homepage2.nifty.com/moon21/)
  習合主義の哲学と倫理――例「君の名を呼べば」の各種真言・唱え事
  原理主義と原理主義の対立を超える道とワザ
  曼陀羅思想と八百万主義
  鎮魂供養のワザ
  宗教NGOに向けて

7、2002年9月ヨハネスブルグにおける地球環境サミットへの提言「Art of Peace」

  身体からの平和運動・足の裏からの平和運動


真珠湾グローバル・ピース・セレモニー報告

2001年12月7日午前10時―12時実施(現地時間)

(日本時間12月8日午前5時―7時)


1、「グローバル・ピース・セレモニー」概要報告


 2001年12月7日(木)午前10時から12時(日本時間12月8日午前5時
―7時)まで、真珠湾の一番奥まったところにあるハワイ州立公園で「グローバル・
ピース・セレモニー」が行われた。日本からは「ジャパン・レインボー・ソサイ
ティ」の一行14名が参加した。日本からの参加者のほとんどが、3日か4日の断食
をしてセレモニーに臨んだ。

 ハワイ側は、日系2世のリーン・マンショー・ハワイ市議会議員、ハワイ市長の代
理としてハワイ市経済開発局のメニー・マネンズ、ハワイの姉妹都市・広島市長の代
理としてミエコ・オオツカ、ハワイ広島県人会の主婦の方々など、およそ40余名が
参加し、日米60名ほどの参加者が共に心を合わせて、戦いによる死者を追悼し、世
界平和を祈った。

この日米合同の市民の祈りは、2001年9月11日の米中枢同時多発テロによる犠
牲者、1941年12月7日の真珠湾攻撃による戦死者、1945年8月6日・9日
の広島・長崎への原爆投下による死者、そしてすべての戦争による犠牲者と未来の子
どもたちに向けて捧げられた。

セレモニーは、10時からハワイ市議会税関サービス委員会委員長のリーン・マン
ショーの挨拶と司会進行で始まった。万国旗と、1998年8月8日の「神戸からの
祈り」から起こった「五色の布」が飾られた会場に、広島の原爆の残り火「平和の
灯」が、真珠湾攻撃時の死者の慰霊碑のあるアリゾナ記念館や戦艦ミズーリ号とネイ
ティブ・ハワイアンの聖地のある山を一直線に結ぶ線上に置かれ、そこを祭壇とし
て、花と祈りと舞踊が捧げられた。

 なおこの「平和の灯」は、11月24日に神戸港を出港し、12月3日にホノルル
に着いた。このあと、灯はメキシコ、アメリカに渡る予定である。

 式典は、まず、アメリカ合衆国国歌、ハワイ州州歌、日本国歌のあと、日本の歌
「ふるさと」を“Home Sweet Home,the Earth”の歌詞に替えて全員で合唱。続い
て、ネイティブ・ハワイアンのブラ・ローガンとナヒによって彼らの母語で祈りの言
葉が捧げられ、ジュレミー・ハリスハワイ市長と姉妹都市広島の秋葉忠利市長のメッ
セージの代読、日本側コーディネーターの岡野弘幹の経過報告のあと、全員で献花。

そして、3分間の黙祷ののち、神道による祈りを鎌田東二が、仏教による祈りを日本
山妙法寺の安田順法尼が、ネイティブ・ハワイアンの祈りをカフナのシャーマンのナ
ヒが、そしてナバホ族の祈りを山口晴康と河内聡夫が捧げた。

 そのあと、神道の舞踊・浦安の舞が川西宏子によって、即興の舞が小池まなによっ
て奉じられ、ハワイアンの歌と踊りがリーンとその友人たちによって披露された。

 続いて、ハワイ名物の「七色の鳩」数十羽が全員の手で空に放たれ、音楽家・岡野
弘幹の伴奏と主導によって全員で、ジョン・レノンの「イマジン」と「我等に平和
を」が合唱された。

 このような形で、「グローバル・ピース・セレモニー」は行われ、ハワイ主婦協会
の方々提供のリフレッシュメント(いわゆるアメリカ式直会)ですべてのプログラム
を終了した。


2、ハワイでの祈り「グローバル・ピース・セレモニー」に至る経緯


 さて次に、このような祈りの催しが開かれるに至った過程を簡単にトレースしてお
きたい。

 事の発端は、1996年11月、東京都伊豆大島で行われた「野焼きフェスティバ
ル」までさかのぼる。

この「野焼きフェスティバル」は京都在住の陶芸家・近藤高弘を中心に、大島の三原
山噴火10年を期して大島町が行ったイベントである。その時、「御神火と生きる
――火山のコスモロジー」と題するシンポジウムを鎌田がコーディネイトし、地球科
学者の原田憲一山形大学教授、文化人類学者の竹村真一東北芸術工科大学助教授(当
時)らとともにディスカッションし、その席上で2000年の満月の日に、同じ環太
平洋火山帯に属するハワイのキラウエア火山の麓で、地球的規模で野焼きフェスティ
バルとシンポジウムをやろうという話が持ち上がった。わたしたちにハワイが共有さ
れたのはその時からであり、この時、火山の噴火、環太平洋変動帯を生きる感性、地
震、エコロジー、野焼き、自然への畏怖・畏敬と共生文化の模索という志向性の集結
点としてハワイが意識されたのだ。

 翌1997年3月、近藤高弘と鎌田は、ハワイのマウイ島に渡り、よさこい踊りの
リーダーでダンサーの国友須賀(マウイ島と高知の両方に在住)のコーディネイトに
より、野焼きフェスティバルを行った。

その後、1998年に喜納昌吉の提唱で、「神戸からの祈り」という祈りと歌・踊り
のイベントを1998年8月8日に淡路島と神戸メリケンパークで、同年、平成10
年10月10日に鎌倉の大仏殿(高徳院)で「東京おひらきまつり」を行い、ともに
超宗教・超宗派の祈りとして、ネイティブ・アメリカン、フィリッピンのイゴロット
族、アイヌ、在日韓国の人々と行い、映画監督の大重潤一郎、早稲田大学教授の池田
雅之がそれぞれ神戸と鎌倉の実行委員長を、鎌田が代表を務めた。「五色の布」はそ
の祭りにおいて、人々の祈りを五色の布に書き込むことから始まった。

 同年11月に東京の代々木公園で行われたレインボパレードに際し、「神戸からの
祈り」の実行委員でもあった岡野弘幹が、彼の率いるバンド・天空オーケストラの演
奏の最後に「1999年に、地球にごめんなさい、という祭りを行おう!」と呼びか
けたことがきっかけとなり、岡野弘幹が事務局長となって、3年間にわたる「虹の祭
り」が始まった。

その祭りの意義を話し合う中で、1999年は「地球にごめんな祭」という反省と懺
悔の祭りを、2000年は「ありがとう―お帰りな祭」という感謝と帰還の祭りを、
2001年は「旅立ちな祭」という出発と門出の祭りを行うことを決定した。そし
て、初年度の1999年は東大寺と奈良公園と春日大社で、2年目の2000年は高
知県足摺岬とハワイで、3年目の2001年は富士山麓で大きな祭りを行おうと構想
を話し合った。

1年目は、山折哲雄白鳳短期大学学長(当時、現在、国際日本文化研究センター所
長)を実行委員長として計画どおり祭りを実施したが、2年目にはもろもろの準備が
整わず、ハワイで「ありがとう―お帰りな祭」を行うまでには至らなかった。

ただし、岡野弘幹、川西宏子、ナヒ、国友須賀、鎌田らは、2000年12月7日
(日本時間12月8日)にオアフ島の真珠湾に赴き、アリゾナ記念館の庭で共に祈り
を捧げた。そして、「もっと準備をして、来年の2001年の12月7日にもう一度
祈りの時を持とう!」と心に期したのである。

このような経緯を経て、2001年の「グローバル・ピース・セレモニー」が実現し
たのである。このセレモニーの実現に果たした岡野弘幹の役割には多大なものがあ
る。

なお、その間の2000年には、広島の原爆の残り火の「平和の灯」の行脚と分灯が
行われ、それが各地のいろいろな祭りの灯や21世紀のカウントダウンの火となり、
今回の「グローバル・ピース・セレモニー」の祭壇ともなった。その分灯は神戸元気
村・オープンジャパン代表の山田和尚の提唱によるものであった。

これらのいろいろな祭りやイベントが連動しながら、今回の「グローバル・ピース・
セレモニー」に結びついた。その意味では、今回のセレモニーはここ5年にわたるさ
まざまな催しの集結点だったといえる。今回のセレモニーの規模はけっして大きくは
なかったが、これら一連の祭りの世界平和と生命の共生を願い求める精神性と方向性
には一貫したものがあり、その意義は小さくないと思う。


3、祭りの総括


 これらの祭りを行う中で見えてきたことは、一つの行動こそが未知なる出会いと創
造をつくるという単純で重要な事実であった。祈りは個々の心の中で成立する。それ
は誰にも侵すことのできない個人の聖域の中で起こるともいえる。

 だが、祭りは違う。祭りは祈りや歌や踊りやそのほかさまざまなパフォーマンスや
催しの総合として、祈りの共同作業として初めて現実のものとなる。そこでは祈りの
共有を通して、人の心が目に見える形となり、行為となり、共同の作業となり、祭り
の形態をとるに至る。

 しかし、こうした祈りや祭りを行おうとすると、いつもきまって、「飢えた子や、
戦争のさ中にある人の前で祈りや祭りが何の役に立つのか? それは、単なる自己満
足にすぎないのではないか? 現実的な効果のない精神的な手すさびであり、現実逃
避ではないか? もっと実効性のあることをやった方がいいのではないか?」という
疑問の声が寄せられる。

 わたしは、宗教哲学を専攻してきた人間として、また一人の市民として、人間が関
与したあらゆる物事・現象には人間の心や欲望が不可分のものとして関与していると
考える。その人間の心の澱をどう処理するか、どのように方向づけるかは、現実およ
び未来を創造していく上で根本的に重要であると考えている。そこで、祈りや祭り
は、個人の心のレベルで、また共同社会の心性・精神性のレベルで、さらには目に見
えない霊的波動のレベルで、その澱や濁りを純化し、解きほぐしてゆく一回路となる
と確信している。わたしにはそれは、目に見えないレベルと目に見えるレベルをつな
ぐ、きわめて人間的でリアルな行為であると思われるのだ。

 人間の行為に完璧なものも完全なものもありえないが、わたしは心も思想も行動と
して現れて初めて、批判や反感・反発・対立を含む対話的場に連れ出されると思う。
わたしにとっては心や思想は行動の起点と志向性ないしその表現である。それが受肉
あるいは肉化である。祈りや祭りはそうした受肉への波動調整の役割を果たすと思
う。

 そのような意味において、祈りや祭りは、生者と死者と万物の協奏ないし共同作業
として不可欠の行為であり、表出であると思うのだ。

それはしかし、宗教的な排他性を持ってはならない。信仰を持つ者だけではなく、信
仰を持たない者にも開かれた祈りであり祭りでなくてはならない。そして、特定の宗
教・宗派の枠を超えた超宗教・超宗派である必要がある。多様性を保障するものであ
りながら、しかしそこにてんでばらばらの無秩序やアナーキーがあるのではなく、寛
容と調和と尊敬がある状態が必要なのだ。それこそが新しい、われわれに必要な祈り
や祭りの根本姿勢ではないだろうか。


今回の「グローバル・ピース・セレモニー」を日米共同で行ってみて、改めて大切だ
と思ったことは、現地の人々との深い交わりと相互理解の必要である。特に、ナヒさ
んとは何度も祈りの機会を共にしてきたが、その祈りの奥にある心情や志向性や思想
性や歴史性を深く汲み取る必要を痛感した。

そのことは、今回初めて、真珠湾攻撃に先立つ米軍の振る舞いを聞いて強く思ったこ
とである。

1941年4月、アメリカ海軍はネイティブ・ハワイアンにとってもっとも大切な聖
地の神殿を破壊し、その聖地の石を真珠湾に運んで軍用石として使った。ハワイアン
たちはその振る舞いを怒り、怖れた。何かよくないことが起こるのではないかと。日
本人ならばさしずめ「祟りがある!」と怖れるところだ。

そして、その年の12月7日に、日本の真珠湾攻撃があり、数千人の人が亡くなっ
た。確かに、この米軍のハワイアンの聖地破壊と日本人の真珠湾攻撃の因果関係を結
びつける客観的論拠はない。しかしわたしは思うのだ。美しい真珠湾を一望の下に見
わたせるそのハワイ古来の聖地を蹂躙したアメリカ海軍は、いつしかその行為(カル
マ)の結果を引き受けなければならないと。それが日本帝国の真珠湾攻撃であったか
どうかはわからないし、そのような短絡はしたくない。だが、米軍が行った行為に対
する是非は問われなければならないと思う。

ネイティブ・ハワイアンのブーラさんやナヒさんと共に、その聖地に裸足で立ち、共
に手をつないで祈りの言葉を捧げた時、人間の行ってきた行為(カルマ)の行き着く
先を考えざるをえなかった。われわれはいったい何をしてきたのか。同種の生命に対
して。そして、異種の生命に対して。万物に対して。人間の行為の結果をわれわれは
きちんと受け止め、受け容れる覚悟があるのかと。

来年、2002年の5月か6月に、ポリネシア系の環太平洋地域から帆船カヌーが
集ってくるという。来年80歳になる、ブーラさんのお父さんのアヒさんがそのカ
ヌー大集会のチーフを務めるという。その話を聞いて、わたしもこの集会になんとし
ても参画したいと強く思った。そのカヌーの走行と集結は、ハワイアンやポリネシア
ンの祈りと願いを込めた祭りであり、部族や民族の誇りと尊厳と人類の未来への希望
を託した夢の実現でもある。

このような祈りや祭りは、はたして現実逃避の手すさびか。そうではあるまい。それ
は、新しい時代の多様性と調和を共存・協奏の形を切実に求め、表現する行為ではな
いか。

わたしたちの行ってきた祈りや祭りもそうした志向性を持つものであったと思う。今
回の「グローバル・ピース・セレモニー」に参加して、これまでのわたしたちの祭り
の一つの集結点を見た思いがした。そして、その祈りや祭りに相反するような現実の
闘争が続いていることも強く意識させられた。

今年の12月7日(日本時間の8日)は、真珠湾攻撃60周年に当たり、アメリカ政
府・米海軍はアリゾナ記念館において、戦没者慰霊と、ニューヨークテロの犠牲者の
遺族を招いて追悼慰霊を合同で行ったが、それはアメリカの「報復」戦争が常に「正
義」と正当性を持っていることをアピールする政治的ねらいを持っていた。真珠湾攻
撃とニューヨークテロをあえて同一のレベルに結びつけることによって、アメリカに
対する国際的な非難を巧みにかわそうとする戦略的な意図を持っていたのである。祈
りや祭りもまた常に政治利用されうることをそれは示している。わたしたちはそのこ
とに注意深くなければならない。

かつて沖縄の音楽家・喜納昌吉は、「すべての武器を楽器に!」と宣言した。そし
て、「戦争よりも祭りを!」、「すべての基地を花園に!」と提言した。その方向性
にわたしは心から賛同するものであるが、その実現に向けての行為を粘り強く持続す
ることの困難さも同時に強く感じている。掛け声を現実の形に仕上げていく策知と実
行力が必要である。祭りをただの「お祭り」と掛け声に終わらせない平和に向けての
祭政協働の作業が。それも、自由と多様性と創造性と共同性を調和的にバランスさせ
た平和に向けての祭政協働の作業が。少なくともわたしが志向するのはそのような祈
りと祭りの方向性である。


12月8日は、世界史的に見て大変意味深長な日である。

1980年のその日、ジョン・レノンが銃弾に倒れた。そして、さかのぼること25
00年近く前には、ゴータマ・シッダルタが菩提樹下で悟りを開き、ブッダ(覚者)
となり大悟成道したと伝えられる日であり、聖母マリア昇天の日とも言われる。

その同じ日に、真珠湾から20世紀最大の戦争が始まったのだ。ハワイの聖地の神殿
の石組みを移し変えた軍の基地から。因縁の日と言うべきではないか。

2001年12月11日 鎌田東二記

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