HOME > 全文掲載 >

「障害学・現在とこれから」

倉本智明
20010707
リバティおおさか(大阪人権博物館)主催・リバティセミナー「障害学の現在」 第6回

last update: 20160125


記録:松波めぐみ

みなさま、こんにちは。まつなみです。

 リバティおおさかの講演記録、いよいよ最終回です。
 昨日アップした姜さんの講演もそうですが、記録をつくっていて、つくづく、
こうした内容はもっと多くの人に共有され、議論や試行錯誤が活発になったら
良いなあ、と思いました。
 以下、報告です。(1.1〜3.5 は、レジメ。レジメと、話されたこととで、
構成しています。)
 
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
リバティセミナー「障害学の現在」 第6回(最終回) (20010707)
 『障害学・現在とこれから』 by倉本智明さん(聖和大学他非常勤講師)

 今日お話することは次の3つ。@どうして僕は障害学をやっているのか。 
A障害学って、一体なんやろ?ということを、普遍化して説明する。 B障害学
に関して、この間どういうことがあって、今後どういう方向に行くのか、行って
はいけないのか。
 どうして@を最初にもってくるのかというと、障害学という学問の性格を理解
していただくため。一つの例として、僕自身の例を話したい。

 本題に入る前に、「障害」「障害者」ってなんやねん?ということを、あらか
じめ定義しておきたい。「障害者とは、その社会、その時代において、周囲の人
たちから『障害者』と名づけられ、『障害者』として取り扱われる人たちのこと
である。」−−普遍的に言おうと思ったら、これ以外にないと僕は思う。一見、
障害者って、客観的に定義できそう。「見えないでしょ、だから障害者」と。し
かし必ずしもそうではない。たとえば、「耳が聞こえない」ということが、今の
私たちのようには「障害」と見なさない社会があった。アメリカ東海岸のマーサ
ス・ビンヤード島の例。かつてその島では、聞こえない人が多く、みんなが手話
を使っていた。その島では、聴覚以外の「障害」がある人が「障害者」と呼ばれ
ていたという。時代や社会によって、何が「障害」かは異なる。このような障害
(者)観のことを「構築主義的な障害観」という。これをまず、了解事項として
おきたい。

1.私は、なぜ障害学するのか

 1.1.私の障害(impairment)に対する態度は、時とともに変化してきた。

今の自分の視力は、厳密に言えば全盲ではないが、限りなくそれに近い。しか
し二十歳ぐらいまではもっと見えていた。中度の弱視、といったところ。白杖を
使わず、自転車にも乗れていた。24〜25歳ごろに今ぐらいの視力になった。見え
方の変化とともに、自分自身の障害(インペアメント)に対する見方、態度が変
わってきた。

 1.2.弱視時代(20歳過ぎまで):それは、「背が低い」「太め」といった、ネ
ガティブな意味を割りふられた「個性」のようなものとして感じられた。

二十歳ぐらいまで、あまり自分の障害は意識していなかった。障害者であるこ
とはわかっていた。家の近所の学校ではなく、「弱視学級」のある学校に行かせ
られたから。「ああ、僕は違う取り扱いをされるんだな」ということはわかって
いた。でもふだんは意識することはなかった。「背が低い」などと同様、ちょっ
とよろしくない「個性」ぐらいの感じ。「個性」とはいっても、あまりいいもの
ではないが。(これはいわゆる「障害個性論」でいう「個性」とは全然違う。) 
 僕は要領がよかったのか、障害=インペアメントのことで「すごくしんどい」
ことはなかった。しんどいのは、「見えにくい」ことより、「近くの学校へ行け
ない」といった、社会の取り扱いのほうだったと思う。

 1.3.視力低下直後(24〜25歳ころ):それまで感じたことのない、強い否定
的感覚をおぼえてしまった。

ところが二十歳を過ぎて、視力が低下した。そうすると、身体、つまり「見え
にくい目」に対する感覚が変わってきた。以前は不利があっても要領よく、ある
いは、別のところでカバーしてきた。(例:「オレは見えにくいけど、しゃべり
が得意や」。) 
 でも視力が下がって、昨日まで読めた本が読めない、昨日まで一人で行けた場
所に行けないということになり、無力感にとらわれた。障害をもった身体がイヤ
でしかたがない。もっと言えば、自分と同じ障害者と「同じ」であることがイヤ
だった。「あんなのと同じなんて。かっこわるぅー」と。自分の障害に対してマ
イナスの感覚を持った。以前より、でっかくマイナスの感覚。「恥ずかしい」、
「イヤ」という感覚は、しばらく続いた。

 1.4.ピア・グループ結成後(27〜28歳以降):私は、自己への信頼感を徐々に
取り戻していった。

 自分の身体に対する「イヤ」「しんどい」という感覚を払いのけることができ
たのは、ピア(=仲間)と出会ってから。同じ障害をもつ仲間と勉強会をしたり、
遊んだり。会を立ち上げて、活動する中で、「こういう面白いやつらとやれるな
ら、わるくないな」と思うようになった。「でけへんと思ったことが、結構でき
るやん」ということもあった。自分の身体に対する否定的な感覚を、ある程度、
9割がた払拭することができた。

 1.5.ピア・グループの活動を始める前と後で、世界の見え方がまったくちがっ
てしまったのはなぜか、私は知りたくて障害研究を志した。

 それ以前にも、運動には関わっていたが、障害者運動には関わってなかった。
そんなに重要なものだとも思っていなかった。ところが、(弱視者の)ピア・グ
ループを始めて、感じが変わっていった。「障害者として、外に向けて、言うて
いかなあかんねんな」と思った。同時に、「同じ障害の仲間にも言うていかなあ
かん。自分にも言うてほしい」と思うようになった。ピア・グループを「おもし
ろいな」と思えてはじめて、障害者運動にも興味を持つようになった。
 自分の障害に対する感覚は変わった。それとともに、「障害者問題」について
も、そのころ僕は大学院生だったから、「じゃあ、障害者のことをやってみよう
かな?」と。僕は、修士課程までは障害のことを(研究では)やっていなかった。
経済学をベースにした貧困研究をしていた。「障害者だから障害のことを研究す
る、なんてイヤ」と思っていた。ところが、ピア・グループの活動をする中で、
変わっていった。そうなると、逆に「なんでやろ」と思うようになった。「なん
でオレは、一時期あんなに自分のことを卑下してたんやろ。何が自分にそう思わ
せていたんやろ」と思って、本を読み始めた。それまでも、ある程度は読んでい
たが、それは横塚晃一の『母よ、殺すな』だったり、楠敏雄さんの『障害者解放
とは何か』といった運動サイドの本。これは今でもいい本だと思うが、「学問」
として障害(者)を扱った本はないか?と思ったのだ。

 1.6.しかし、既存の障害研究は、私にそのヒントすら与えてくれなかった。

ところが、たくさん本はあったが、読んでみると、9割がたはクズだった。部
分的にはそうでもないところはあるとしても。僕が知りたいことはほとんど書か
れていない。
 ごく一部に例外はあった。たとえば、障害者解放運動とも関わりのあった「日
本臨床心理学会」(現在の「日本社会臨床学会」)の人たちの仕事。山下恒男さ
んの『反発達論』など。他にも、「ノーマライゼーション研究会」(N研)の人
たち。大谷強さん、堀正嗣さんなどの書かれたものは、僕の知りたいことにある
程度こたえてくれた。いま思えば、これらは「障害学」と名のってはいなかった
が、先駆者、先駆けだったと言える。
 しかしそうした研究はごく一握り。あとの9割は、お医者さんや、養護学校の
先生、リハビリの専門家らが書いたもの。そこに描かれている障害者は、僕の知
っている障害者の姿とは違う。あたかも、障害者とは「援助なしには生きられな
い、弱い存在」、「専門家なしには、やっていけない存在」であるかのようだっ
た。そこで逆に、僕はますますやる気になった。まだやっている人が少ないなら、
「ほな、オレがやったらあ」って。

 1.7.そのとき出会ったのが、障害学だった。

海外に目を向けると、「ディスアビリティ・スタディーズ」というのがあるの
を知った。そのころまだ、日本語の「障害学」は、なかった。そのディスアビリ
ティ・スタディーズは、日本で先駆者がやってきたことと重なると思った。「お、
これはイケル」、「自分ものっていけそう」だと。これが障害学との出会い。

 1.8.私にとって、障害学とは自己解放のための学問である。

レジメに、僕は、「障害学とは自己解放のための学問」と書いた。自分が障害
(インペアメント)を「イヤだ」という感覚から自由になっていく過程で、仲間
の存在が大切だった。しかし既存の「障害」の研究では、そんなことはどこにも
書かれていない。しんどい状況がなぜ存在するのか?、どうしたらしんどくなく
なるのか?ということについても、「それは、リハビリをしっかりやればいいで
しょ」という答。大きなところ、枠組みについて語られず、局所局所のことばか
り書かれている。これでは、どうやってラクになっていったらいいか、わからな
い。自分のピア・グループの経験も、いわば局所だ。もっともっと、僕は自由に
なりたい。ラクになりたい。もっと大きな状況−−偏見とか差別とか−−を変え
ていきたい。原因から解決策までひっくるめて、トータルに考えていかないとい
けないんじゃないか? 自分はピア・グループで少しラクになったが、それでは
解決していかない問題もある。

 1.9.私が自身の解放のために重ねた思考は、もしかしたら、別の誰かが自らを
解き放つためのヒントとなるかもしれない。

 「障害学は自己解放の学問」ということについて、もうちょっとベタな話をし
ましょう。ごはんを食べる時、お箸を使うが、僕にはとりにくいものがある。お
箸を使うという行為は、目が見えて、手が使える人が知らず知らずのうちにやっ
ていることだが、僕らにはやりにくい。だから、お箸をほうりだして、手で食べ
ることがよくある。(いまだに、こじゃれたレストランではできないが。) 
 そうやってラクなやり方でやったら、いいはずでしょう? 簡単な話のはず。
ところが今の晴眼者中心の社会では、手でものを食べることは「行儀が悪い」と
される。僕は口達者だから、説明すればわかってもらえたりするが、口べたな人
だったら、どうだろうか。
 もともと、お箸というものは、「見えて、手が使える人」が便利に使えるもの
なんであって、それ以外の人がうまく使えないのは当たり前だ、ということを、
健常者にも言っていかないといけないし、自分自身にも言わないといかん。そう
じゃないと、ラクになれない。このように、「どうしたらラクになれるのか」と
いうことを、まず自分のために考え、僕は書く。そうしたら、他の障害を持つ人
が読んで、ヒントになることがあるかもしれない。たとえごく一部でも、「なる
ほど、そのセンで社会に訴えたらいいのか」とか、「ラクになれる」と思ってく
れる人がいれば、と思った。その意味で、僕にとっての障害学は個人的なものだ
が、個人から発したことが社会につながっていくのではないか。
 
2.障害学とは、どのような学問か

 2.1.障害学は、障害をめぐる「常識」を批判する。

 障害学は、障害について、あるいは健常について、非常識なことを言う。たと
えば「社会モデル」。車椅子の人が駅に行く。その駅には階段しかない。さて、
困った。どうしてこの人は電車に乗れないのか? この問いに、世間の人は、
「足が悪いからでしょ」、「歩けないから」「障害があるから」と答えるだろう。
しかし社会モデルは、「エレベーターがないから」、あるいは、「適切な移動手
段がないから」と答える。
 世間の常識は、「人間っていうものは、手足が動いて、目も耳も使えて、あた
りまえ」。それに対して障害学の「社会モデル」は、「足で歩く人も、車椅子で
歩く人もいる。本を目で読む人も、指で読む人もいる」のが前提なので、今の社
会が「歩ける、見える、聞こえる」人のことしか考えずにつくられていることが
問題だ、と考える。
 こう考えると、解決策が違ってくる。さっきの例でいうと、世間(別名「個人
モデル」)は、個人に対して「手術せよ」「リハビリをがんばりなさい」と言う。
「社会モデル」は、「駅にエレベーターをつけよ」。そもそも駅に、階段しかつ
けていないことが変なんだ、社会の問題なんだということ。障害学の基礎はここ
にある。

 2.2.社会モデルは、既存の障害研究と障害学を分かつ試金石である。

この「社会モデル」は、障害者問題とは何が問題か? という問いに対して、
「社会だ」と答える。これこそ、障害学かそうでないかの試金石。これまでの、
既存の障害研究は、個人モデルが圧倒的だった。「個人モデル」は、「社会の配
慮」も多少は求めるが、個人にも求める。障害学、「社会モデル」はそうではな
い。だからといって、障害学が治療やリハビリを否定しているわけではない。た
だ、「みんなが、ずっとリハビリをしなくてはならない」というのは、否定する。
どちらを選んでも、つまり(インペアメントを)治そうとしてもしなくても、リ
ハビリをしてもしなくても、障害者が不利益を被らない社会をめざす。選ぶ自由
がある。「なおさないといけない」ではない。その逆でもない。この「社会モデ
ル」の考え方こそが、障害学の基礎といえる。

 2.3.文化モデルは、アイデンティティ・ポリティクスを浮き彫りにする。

 次に「文化モデル」の話を。社会モデルがとりこぼしてきたものを扱う。典型
的には、「ろう文化」をイメージしてもらったらいい。。このセミナーでも話さ
れてきたことなので、説明は省略。
 障害学は、社会モデルと文化モデルを軸に、「どっちか一つ」ではなく、結び
つけていく方向で、いま進んでいる。(むろん、この二つがすべでではない。)
 では、もう少し障害学を細かく定義していく。あくまでも「僕はこう考える」
というもので、別の意見もあるだろう。(第一回で)石川准さんが「自分は自分
以外を代表することはできない」と言っていたが、そのとおり。

 2.4.目的:障害学は、この社会のありとあらゆる場所に潜む健常者中心主義を
あぶり出し、差別や抑圧やさまざまな「しんどい状況」を解消するためのヒント
の提供をめざす。

障害学は、この社会のありとあらゆる場所に潜む健常者中心主義−−こんなこ
と、多くの人は考えていないが−−をあぶりだし、差別や抑圧や、さまざまな
「しんどい状況」を解消するためのヒントの提供をめざしている。「ありとあら
ゆる場所に潜む」とは、たとえば「そんなお箸の使い方はダメ」とか、駅に階段
しかなくても不思議に思わないとか、そういうことも含む。
 健常者に、「実はこうなんやで」と示し、しんどい状況を変えるためのヒント
を提示できないか。実践(運動でも、「手で食べる」といった個人的行為でも)
の中で、変化は起こる。障害学は、変化のためのヒントを提供することが、仕事。
あるいは、学問の中で「秩序/常識」を組み替えていく。「それ違うぞ」と言っ
ていく。

 2.5.対象:障害学が取り扱うのは、障害/健常をめぐる社会関係であり、障害
者だけがその対象であるわけではない。

(レジメの通り。) 障害者のことだけを見ていれば、というのではない。障
害、障害者に関わる社会関係のすべてが、障害学の対象になる。

 2.6.方法:そこに潜む健常者中心主義を注意深く排除した上で、既存の学問成
果を含むあらゆる方法が動員されるべきである。

方法は、学問のルールにある程度は即しながら、これまでの「知」を総動員し
ていく。でも学問の世界に通用していかないといけないから、学問のルールは必要。
「それ、おかしい」と言うためには、それを知っていないと。無手勝流では力にな
らない。

 2.7.主体:障害−健常という関係に関わって、「しんどさ」を自らのモノとして
感覚する者なら、障害者/健常者を問わず障害学の担い手となりうる。

担い手の問題。以前は、「障害学は、障害者のもの」と僕は思っていた。でも今
は違う。障害者問題、あるいは「健常者問題」を自分の問題として、悩む(時には
楽しむ)ことができる人、そういう人なら誰でも障害学ができる。単なる知的好奇
心ではなく。

 2.8.「自分がいまいる場所」を知り得ずして、障害学することはできない。

 石川准さんは、「どこにいるかによって、人は見え方が異なる」と言った。その
とおりで、学問は「自分はどこにいるか」ということを抜きにしてはありえない。
学問は中立じゃない。結局、「どこかの場所から見えた風景」を語るしかない。い
ろんな場所にいる人の、いろんな風景を突きあわせることで、トータルな姿を浮か
び上がらせることができる。
 これまでの障害研究では、「障害者の側からの見方、見える風景」が軽視されて
きた。だから、それを大切にする必要はあるかな、とは思う。
 自分の居場所をはっきりさせる必要がある。絵を描いて、「はい、このとおり」
ではなくて。どこから見たかを言っていかないといけない。自分がどこにいるのか
自覚できない人間には、障害学はできない。「今、東経○度、北緯○度」を性格に
言えなくても、障害学をやる中で見えてくるかもしれない。でも、自分の場所を知
ろうとしない人は、障害学はできない。「わからないこと」がわからないといけな
い。
 加害/被害の認識にしろ、何にしろ。たとえばご飯を食べるとき、僕が緊張して
いることがわからない健常者がいる。いや、わからないことが悪いんじゃない。で
も自分を棚上げにしたままの学問は、障害学ではない。どこから見て書いたのかわ
からない絵は、破り捨てる。

 2.9.障害学は、一枚岩の学問体系ではなく、一定の問題意識と姿勢を共有する人
びとによるネットワーク型の「学」である。

大まかなところを共有していたら、障害学だといいたい気もする。あまり厳密に
「これは障害学、これは障害学じゃない」と言わないほうがいいだろう。だけど、
「目的」と「主体」は共有していてほしい。決して個人には還元しないで、「社会」
を問う。そこはクリアしていてほしい。その上で、時に論戦をくりひろげ、時に共
同歩調をとる。ネットワークとして。
 今回の(リバティの一連の)セミナーについても、(講演者の中で)少しずつ意
見やらは違う。中で一致しているわけではない。それは『障害学への招待』の著者
の中でもそうだろう。でも、その人たちはみな、障害学をやっていると思う。それ
は、僕の言った条件をクリアしているから。

 2.10.障害学とは、障害−健常関係をめぐる「政治学」と「倫理学」の総称であ
る。

(レジメの通り。)「政治学」というのは、一見中立的と見えることが、そうで
はなくて。そこに潜む健常者中心という、力関係を浮き彫りにするものだから。障
害学は力関係を取り扱う。「倫理学」というのは、じゃあ、どういうふうに考えた
らいいのか、どういう論理を組み立てたらいいのか、ということ。

3.障害学は、どこへむかってはいけないのか

 3.1.『障害学への招待』(明石書店,1999年)は、期待と誤解によって売れた。

1999年に『障害学への招待』が出たが、幸いにもよく売れた。専門書としては。
乙武君の何百分の一だけど。売れたことは嬉しいけど、誤解があった。もちろん、
いったん書かれたものは、どう読まれようと勝手だ。しかし中には「悲しい」誤解
もあった。一例が、「障害の文化」の宣言のようにとられてしまったこと。そこば
っかりがウケた。批判するにしろ、応援するにしろ。僕たちの側にも問題はあるが、
ちょい違うぞと思った。確かに「文化」ということはこれまで言われてこなかった。
もの珍しかった。だが、『招待』には他のこともいろいろ書かれていたのに。

 3.2.私は、まず自分のために、次いで障害をもつ仲間たちのために文化モデルの
深化をめざしたのであり、脳天気な一部健常者をよろこばすためにではない。
 3.3.私にとって「文化」とはあくまで戦略的概念であり、なにがしかの実体を
そこに見い出しているわけではない。

 「文化」論は誤解された。僕は、文化だけが大切とは全然思っていない。「社会
モデル」的なこと、考え方は大切だけど、他の人もやってると思って、バランス上、
「文化」を書いた。そしたら注目されてしまった。僕は、自分がラクになるために
「文化」を使った。ぶっちゃけた話、「手でご飯」の話。誤解しないように言って
おきたいが、たくさんの盲人がそのように(手でご飯を食べて)しているわけじゃ
ない。でも仮にそうだったとしても、それが「文化」か、そうじゃないかなんて、
実はどうでもいい。これまで「かっこわるい」「マナー違反」と思われていたこと
を、「あっそうか、インドの人と一緒やな」とでも思ってもらったら、それでいい。
実体として「文化」であるかないか、そんなことは問題じゃない。便利だから、
「作戦」として、「戦略」として、使ってみただけだ。しんどい状況があるからこ
そ、戦略的に言っただけだった。
 特に僕は、同じく「障害をもった仲間」に呼びかけたつもりだった。「確かに、
いろいろしんどい。じゃあ、こういうふうに考えてみたら、やってみたら、ちょっ
とはラクになるんじゃないか? みなさんはどう思う?」と呼びかけたつもり。で
も、他人事のまま、「そうか、盲人の文化はそういうものか」と思った健常者もい
た。まるで動物園で、オリの外から動物を見て楽しむかのように。そうじゃなくて、
「あ、盲人の人、しんどかってんな。お箸使うってこと、当たり前じゃないねんな」
と反省してくれるのはいいが、まるで、「世界 不思議発見!」みたいな受け取り
方をした人が、多かった。
 書いたものに対して、誤読はつきまとうもの。だが、僕自身、好奇心をもつ健常
者を満足させるために「障害学」してるんじゃない。健常者にも読んでほしいが、
それは「健常者としての常識」を相対化するために読んでほしい。障害学が単なる
「好奇心への刺激」になったら、僕は嬉しくない。

 3.4.社会モデルの定着なしに、文化モデルがその本領を発揮することはできない。
 3.5.医学モデルやその亜種にすぎないモデルが未だ支配的な状況下では、社会モ
デルをいったん確立することこそが急務である。

(時間がオーバーしたようなので簡単に。)「文化」が誤解されたまま、注目さ
れているが、話してきたとおり、「社会モデル」は障害学の柱として非常に重要。
そこをもっと言っていかないといけないだろう。

以上。


……以上……
REV: 20160125
障害学  ◇倉本智明  ◇全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)