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「近づくことと、遠ざかること−『障害がある子の親』の自己変容作業」
「UFをめぐる問題と顔にアザやキズのある人々の自己呈示の語り」
障害学研究会関西部会第11回研究会

20010610 京都文化センター.


■障害学研究会関西部会第11回研究会

日時:6月10日(日) 午後1時30分〜5時
会場:京都教育文化センター

●報告A:「近づくことと、遠ざかること−『障害がある子の親』の自己変容作業」
 報告者:中根成寿(なかねなるひさ・立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程)

【レジュメ】([ ]は当日のレジュメにはない、報告者による補足)

「近づくことと、遠ざかること−『障害がある子の親』の自己変容作業」
                      立命館大学大学院博士後期課程
                       中根成寿(なかねなるひさ)

1. はじめに
○ 自己紹介
基本となる論拠は、社会病理学、ラベリング論、演劇論、構築主義…
 ただ、社会病理学の限界というか、「結局どうしたいの?」の問いに答えられずに、困っている。可能性としては臨床社会学に可能性を感じている。
○ 「私が」障害学とどうつきあうか
「障害」=ネガティブでない、とはっきり言ってくれるところに最大の魅力を感じる。少なくとも学部で学んだ「社会福祉学」や「発達心理学」からはこうした視点を感じなかった。私は非常に素直な人間なので、この問題を保留したまま前に進むことができなかった。
 障害学は、自立生活運動から誕生した学問故に、まだまだ「運動論」的な側面が前にでていると思う。いずれ(いや、もう既にか)障害学に携わるものは「障害学」を洗練させるための課題に取り組まねばならないだろう。ただ、数十年前フェミニズムが興ったときと同じように、これは実践の中で答えていけばよい問題であると思う。


2. どうして親を対象とするか
[おそらく、「障害を理解する」という体験を一番持っているであろう存在だからである。また障害を持つ本人の理解の仕方とは全く違う理解、すなわち子どもができてから初めて障害を理解しようとする気持ちをもつため。おそらく先天的な障害とも中途障害とも違うのではないかと思う。]


3. 「障害児の親」へのアプローチと「障害がある子の親」へのアプローチ
○ 「社会問題」としての「障害児の親」はどう語られてきたか?

* 医学的言説
医学的立場からは、ほとんど明確な対象とされず。かろうじて「精神医学」の対象として語られてきた。Ex)久保紘章、渡辺久子
* 心理学的言説
発達心理学的立場からは、「療育活動」の積極的担い手であることが求められている。伝統的な母子相互作用(アタッチメント理論)から。「子どもの発達のために」献身的に尽くす親役割を期待される。
* 障害学的言説
自立生活運動において、親は否定される存在だった。「我々は愛と正義を否定する(横塚)」という言葉の「愛」と「正義」を実践する存在として親は否定された。

第一に障害者が独自の人格として周囲のとの対等な関係を作りつつ、自分の責任で望む生活を営むと言うこと。第二に、彼らが真の意味で社会に登場し、障害を持って生きることの大変な側面を家族という閉鎖空間にのみ押しつけないようにするということ。第三に、障害を望ましくない欠如とし、障害者を哀れむべき弱い存在としてのみ理解しようとするような否定的観念を排すること。第四に、愛情を至上の価値として運営されるべき家族、といった意識がもたらす問題点を顕在化すること。第五に、家族関係の多様なあり方を示すこと。1)

* 被差別者としての親を巡る言説
「障害児の親」の社会学的考察としては、現在要田洋江の業績を避けて通ることはできない。『障害者差別の社会学』という大著は「障害児の親問題は障害者差別と女性差別の複合問題である」という観点から、丁寧で広範にわたる議論によって構成されている。

社会問題としての「障害児の親」という立場がどのように構築されているか、という課題は、以上のようなさまざまな言説を丁寧に分析することで明らかにできるはずである。しかしこうしたアプローチは従来、社会病理学が本職としてきたことである。だが社会病理学が社会問題の定義と分析の厳密さに重きを置くあまり、それにどのように対処するか、という問題は忘れ去られがちであった。
 故に私は、社会問題としての「障害児の親」を念頭に置いた上で、彼らの臨床的現実へ「ナラティブ」を通してアプローチする方法を選んだ。

[あくまでも当事者が物語の主役である。しかもその物語には正解がない。真実がない。紡ぎ出される物語が、その人の理解そのもの。
物語を書き換えることこそが、まさに「障害を理解すること」につながる。
もちろん、書き換えはたいていスムーズに進まない。ドミナントストーリーは実に執拗に個人にへばりついている。どんな些細なことばにもきずつき、ほんの些細な変化にも影響を受ける。
社会学者は「無知という専門性」をもってここへ立ち会い、物語の承認者という立場をとる。]


○ 「障害がある子の親」の日常的世界の再構成−修士論文から−

「自分をないがしろにするストーリーを他者から無理に与えられ、その中に生活することを強いられてきた女性が、それと反対にもし自分には自分のストーリーを書き直す資格があることに気付き、その資格を取り戻し、「自分のストーリーを語る権利」を得たら、いったいどういう変化が彼女に起こるだろうか。」2)

人は何らかの「ネガティブ」な経験をそのまま放っておくことはできない。「存在証明」を求めて、自己や他者になんらかの行為を仕掛け始めていく。たとえば、ピア・カウンセリング・グループがその代表例である。人がそこにまず求めるのは「語る場所」、そして「承認されること」である。そこで語られるのは、親たちの「物語」である。子どもが生まれたときのこと、ダウン症であることを知らされたときの記憶、医師の対応、周りの反応、子どもに対する思いを親たちは自分の言葉で、迷いながら紡ぎ出していく。

A「あ、病院の先生と看護婦さんどっちかに言われたのが、「若いからね、そんなことはないと思ってた。」って言い訳したんですよね。先生が。だから、そのことを聞いて、なんかすごいそれが頭に残ってて、その後看護婦さんが、「二人目の時は検査があるからね」ってすっといわはったんですよね。でそれもずっと残ってて、まあ今は二人目のこと考えるより、今前の子でしょ。だからそんな、今聞いたら、もうすごい言い返すと思うんやけど、まあその時は、うーん、みたいな流して聞いてた。まあ今から思えばそういう病院やったから、二人目は違うとこで産んだんやけど…やっぱりなんでM病院で産みたくないって思ったかは、やっぱりその出産したときに、そういうことを言われて、傷ついた自分がいたからかなって。やっぱりその時点で、もう生まれてその時点で、命は大事なんやなって自分でも思ってたんかなって。例えば、絶対障害持った子なんかいやって思ってたとしたら、その看護婦さんがそういうこといわはったときに、ほんまやなって思ったと思う。何で検査しいひんかったや、二人目なんか絶対検査しなうめへんって多分そう感じてたんやろうと思う。もしそうなら。だけど、○○(長男)が生まれて、障害持ってるって言われれても、「看護婦さんなんであんな事言うんやろ」って思った自分がいたから…」

B「で、やっぱり私、うちの小学校もあの、特殊学級ありましたからね。あたしらの時は。今はないけど。ダウン症の子何人も知ってました。で、とってもハーモニカのうまい子とか…でもやっぱりよう近づいていかんかった。集団で7、8人だったのかな?なんか、それこそダウン症の子が2,3人いたのかな?同じような顔した子が何人もいて、近づけようともしなかった、あの頃の先生たちも。一生懸命やってる先生みたいだったけど、だってその、(教室も)端っこの方にあったしね、そんな今みたいに交流とかなかったしね。「やだな」っていう想いは…学芸会の時の劇も、運動会の時も全部別。あ、うちの子がそこへ入るのやだな…って。腰が引ける?やだなっていうのはなくはなかった。(「やだな」っていう感覚をもう少し聞きたいのですが)なんか、哀れみとかね。かわいそうとか、こわいとか。そんなですね。自分の子は怖くもないし、かわいそうじゃないと、なんかだから、特殊学級というところがいやだな…でもそれしかないかなって思ってたんだけどね、宮本さんの話聞くまではね。だから、ええーっそんなんあるんだって。」

C「で、(医療を考える会に)行ったんや。その時に初めて脳性マヒの人、全身不随意運動や言語障害がある人、に会えると思って、楽しみっていうかね、何いわはるかとおもってね、どんな話が聞けるやろって思って。そうしたら、その人が、私に向かって「親は障害者の最大の敵やねん」っていいよってん。もう私、あの時忘れられへんわ。私はあの言葉でね、私ね、生かされてんねん、今。ちょっとオーバーやけど。でもね、私その時ね、すごい「え、なに言うてんの!?私これから無茶無茶がんばろうおもてんのにから、なんで、なんで私が敵になんねん?」ってすごい思ってん。でもね、その人がね、あの、自分はそのままの自分を認めてほしかったのに、親は僕らのことを健常者に近づけるために手術はせいっていう、施設に入れって言う、でも施設なんかはいりたない。家におりたいのに、施設に入って訓練してこいっていう。もうあんな自分らの生き方を疎外っていうか、足引っ張る親、親が最大の敵やねんっていうてね、それが1歳前後やってん。あたしはその言葉にしがみついて生きてんのやんね。あのそうならんようにって。もう常にそうならんようにって。でもね、それは正しいと思うねん。絶対的に正しいと思って、反発よりね、なんとなく妙にね、そうかもしれんって頭下げながら帰った覚えがあんねん。ほんまに、あの時あれを言うてもらえへんかったら…でもね、それでも私、あの時も療育に失敗しかけてたからかなあ。」

親たちは、差別の体験や自身への非難など多くの経験を「自らの物語」として引き受ける。引き受けた後に、それを少しずつ変更していく。「障害をもつ我が子」や「障害をもつ子の親である私」を自らの物語として理解していく。一般にいわれる「受容」とは、私の理解ではこのプロセスを指す。
だが、親たちが子に近づいていくだけでは親は子にとって抑圧者となる可能性を秘めている。「親は最大の敵」という言葉は、子に近づきすぎる親を表現した言葉である。

○ 遠ざかることを意識する親
子どもが自分とは違う存在であることを意識した親は、「子どもに近づきつつ」、「子どもから遠ざかる」。相反する二つの仕事を意識して行わざるを得ないのが「障害を持った子の親」といえる。いや、本来はすべての親がこれを行うべきなのだが、社会によって、必要以上に「近づくこと」を要請された親たちは、自らと子のために「遠ざかること」を意識して行わざるをえないのだ。

C「ほんまにあの子が無茶無茶ちっさいころから自己を主張する中で、あの…こういう活動をしながらいろんな人と出会う中で、あの…人はそんなに、悪い人ばっかりやないな、と思うこともたくさんあって、だってすごく支えられたしその助けてもらってるわけやから、そういう中で私が死んでも何とかなるんちゃうかっていう、すっごいね、それとあの子の知恵のつきかたっていうかね、そう思ったからこそ普通学級入れて、あの…一般ていう中での知恵の付け方をこうあの子なりにさせてきて、今現在大変うまいこといってると思ってんのやんか。だから、どれくらいからかな、あの、学校行き始めて私の手に負えへんっていうか、学校行っている間はなにがあるかわからへん、多分いじめられたしいやな思いもあったやろうけど、かばえへんやんか。かばえへんって思って、あの子に、結構面と向かってね、もう自分のことは自分引き受けてっていうたことがあんねん。小学校の一年か二年かそのぐらいに、言ったことがあんねん。もう…つまりそれは私の中の整理のつけかたやってんで。なんでかって、私がいっつもいっつもそれが気になって気になって気になってね、何とか手だそう何とか手だそうって、で、手だそうとすればするほどその、手出すって言うことは、あの子をコントロールしようと思うことやから、あの子から反発くらうやん、で、すごい疲れちゃって、もう、あの、自分でやってんかって言ったとたんに、あの子はさ、さささささってうまいこと行き始めて、そういう経験があんねん。」

○ 障害学とぶつかる問題の浮上
親たちの語りの中には、どこかで障害学と相容れない部分が生じることはさけられない。衝突が起こるのは、親たちが障害をネガティブなものとして考えてしまう時の言葉が生じたときである。

A「…その障害の人がこう、言ったら、あの、言い方ちょっと悪いけど、障害の人ががんばって運動会をしている場面でがーっとすごい涙を流している自分の不思議とかね、私の(こと)ね。つまり自分の中にある障害者差別、すごい、障害者差別って、そりゃ障害者だけじゃないね、自分の中にある差別にね、いつも結局は向かい合うことになったんよ。それはね、あの人が、あの親は最大の敵やと言った人がね、あの辺からか、それとも重度の障害の子をみながら何となく違和感を感じている自分に対する違和感とかね、だから、○○(長男)がどうのこうのというよりも、いつもいつもなんで私はここで立ち止まるんだろうとか、何でここで違和感を感じるんだろう、何でここで涙をながすんやろう、なんでここで、あの、どんなんかな…抱けへんやろう、触れへんのやろう、涎垂らしている人の手が握れへんのやろうとか、そういうこと。」

B「まわりもダウンの子がいっぱいいて、あ、こんなふうになるのか…それは何とも言えない思いでした。あのね…やっぱり、あの、今でも思い出すんだけど、今度合宿があるでしょ?初めての合宿からずーっと皆勤賞なんですよ、最初は9月だから半年の子ども連れて行った時はね、やっぱりね、周りの子を受け入れられなかったですね。自分の子はかわいかった。自分の子は最初からかわいかった、でもかわいいとか何とかいうもんじゃないですね、これはもうかわいいとかいやとかいうもんじゃなくって、そのここにいるわけだから。もちろんかわいいんですけど、周りの子はかわいくなかった。最初の年。やっぱり知恵遅れ?っていうそういうことですね。あのしっかりしてる子見れば、うれしいけど、ぼーっとしてる子見れば、切ない。切ない…いやだ、こんな子にならないでほしいっていうのが、あったですね、最初の年はそれは何とも言えない思いでした。」

こうした「親の感情」を私が否定することはできないと思う。その感情を否定することができるのは、唯一その感情を持った親自身である3)。
 親は子にとっての他者である。障害の当事者ではない。このことから生じる「なにか」は文化の溝として残しておいて良いのか。「異なる」ということから生じる「なにか」まで抹消しなけばならないのだろうか。

4. まとめ
○ いったい私は何がしたいのか?
おそらく、親と子の間にある「なにか」に言葉を与えることだと現段階では思っている。杉野昭博が「私は、『健常者』と『障害者』との間には、『翻訳』によってのりこえられるべき『文化の壁』が存在すると考えている4」」(杉野、1997)と言うときの「翻訳」の手法とは何か、を「私が」知りたいのだ。
 この「翻訳」は親たちの物語によってなされるはずである。そしてもっとも大事なのは社会がその物語を共有することである。「援助」や「共生」を語る前に必要なことは、ここにあるような気がしてならない。

[母親は、やはり母としての「優しさ」を持っているのではないか。こんなことを言うとフェミニストに怒られそうだが、ある程度子どもを言葉で理解せざるをえない父親へのアプローチは、私の目的である「障害を巡る文化的摩擦を読み解く」ということに、必要不可欠な気がしている。]

(全くの余談です)
余談となるが、先日のハンセン病を巡る裁判とその判決に関するゴタゴタは、当事者たちにとってのナラティブ・セラピーとなりえたような気がした。当事者たちにとって生きにくい物語(ドミナント・ストーリー)を書き換えずに、援助だけを行おうとする官僚の言い分は、生きにくい物語を背負わされた人々が何を求めているかに鈍感であった。「裁判」というある程度客観性のある場所で「物語の書き換え」が行われたことに価値があると私は思う。
「これで明日から人間として生きていける」という象徴的な言葉と同時に「本当の戦いはこれから」という言葉も実に重い。「書き換えられた物語」を、社会に共有のものとするためには、まだ時間と手間がかかると思われる。

1) 岡原正幸1986「制度としての愛情−脱家族とは」『生の技法−家と施設を出て暮らす障害者の社会学・増補改訂版』藤原書店、p80
2) Epstin, D. and White, M. 1992 ;"A Proposal for a Reauthoring Therapy : Rose's Revisioning of her Life and a Commentary" McNamee, S.and Gergen,K.J.(eds.),Therapy as Social Construction. Sage Publication. pp.96-115(=野口祐二・野村直樹(訳)、1997『ナラティブ・セラピー−社会構成主義の実践』金剛出版.
3) 岡原1998「生理的嫌悪感」『ホモ・アフェクトス−感情社会学的に自己表現する』世界思想社,p230.
4) 杉野昭博、1997、「『障害の文化』と『共生』の課題」青木保ほか編『岩波講座文化人類学第8巻 異文化の共存』、岩波書店、p247-274.


【質疑応答】
(A)「親は敵だ」と主張したのは青い芝。青い芝の運動も自立生活運動ということはできるので、「自立生活運動のなかで言われた」とするのもまちがいではないだろうが、やはり不正確。それに、「自立生活運動」というと、一般には80年代後半以降の運動が想起されてしまう。(コメント)
(B)1.障害者に出会ったときに感じた「もやもや感」について、もう少し説明してほしい。一般の人々は障害者に出会うとき戸惑うことが多いので、同じなのかなと思った。
2.一般社会の目は、障害を持つ子の親は、死ぬまで子の面倒を見なければならないと期待することが多いので、親がこの面倒をすべて見なければならないと思って、子の自立を妨げるように思われるが。
:2番目についてはその通りだが、親がそれに気づきにくい。1番目については「僕が『ああ』なったらどうしよう」という単純な恐怖心。「僕が『ああ』なっても構わない」と思えるように言葉がほしい。
(C)本音で言うのはいい。パパは働くことで精一杯。しかし決断すべきところでは決断している。
(B)障害者になっても生活に困らなくなる環境になることが大事。
:環境よりも、人が人をどう思うか、という根本的問題。自分とは何か違うというものに出会ったときのもやもや。
(B)障害を持たない仲間と関わる機会をふやして、共に生活するようにしたら、もやもやはなくなっていくかもしれない。環境というが、かかわる機会があまりに少ないから、そういう環境にしていく必要がある。
:環境という言葉を制度やお金という意味で使ったが、そういう意味ならわかる。共生のためには、まず共にある場、「共在」が必要。共在なくして共生なし。ダウン症の子どもの多くが分離教育を学校側から勧められる現状では、共在するのも一苦労。。
(B)電動車椅子で梅田とかに出かけると、子供が寄ってきてお母さんに自分のことを聞いていることがある。出会わないことがもやもや感になる。出会う機会が必要。
:その通り。
(D)中根さんに合わせて語りが構成されているということをどう認識しているか?聞く前に研究目的や結果の扱いについてどう説明したか?
:聞く人によって変わるのがナラティヴ・アプローチの問題。例えば、医療の知識がある人や、心の専門家には話しにくいことも、何も知らなさそうな若い社会学者には話せると言うこともあると思う。
(E)質問紙などの調査方法は併用したか?
:インタビューのみ。調査票などは用いなかった。「あなたの話を聞きたい」と、個人的に仲のいい人にだけ聞いた。親自身の見方がどう変わったかを中心にした。
(F)セルフヘルプグループからのアプローチを取らなかったのはなぜ?
:ピアカウンセリングに参加すると発言権がないので、自分が聞きたいことを正直に聞きたかった。だから一対一で聞いた。
(G)引用されている母親の言葉はいまは肯定的になれた親が多いが、いまだに否定的な親の聞き取りはあったか?
:否定的な親は親の会に来ない。否定的な親にアプローチする方法が難しい。
(H)ドミナントストーリーからオルタナティヴストーリーに変わるが、その新しいストーリーが足かせになることもある。それがさびついたりドミナントになってしまうこともある。健常者の調査者だから語ってくれること・語ってくれないこともある。(コメント)
(E)グラウンデッドセオリー、第三者としての立場で行っている?
:データをグランデッドセオリーで分析。調査者が自分の観点で対象を記述する……
(H)いや、グラウンデッドセオリーは米国の60年代からで、第三者・客観的という立場を相対化する。
:グランデッドセオリーは看護学から。ただ、看護学の人だけでは、記述だけになり、またその記述も看護学的な観点からになりがち。記述を分析する際には社会学の知識が必要になる。入門書もたくさんある。
(A)なぜグラウンデッドセオリーのように自己の立場を消去する方法を採るのか?問題意識との整合性を考えると、他のアプローチのほうがいいのでは。
:たしかにグランデッドセオリーは客観的にしようとするが、ナラティヴで取ったテープデータの扱いに困った。主観主義を優先するナラティヴとの矛盾は気づいている。だが、質的データ分析にはいつも客観主義の誘惑がつきまとう。
(I)もやもや感はいつごろ?この場は「僕が『ああ』なったらどうしよう」と言っても安全だと思う。でも、そのもやもや感の解決を目指すのなら、それを口に出して顕在化する場が必要なのでは?それはどうやったら作れるのか?
:中学生から高校生にかけてかな?もやもやを口にできる場所が必要だと思う。現状では、正直に話すとすぐに「差別だ!」という人たちがいて怖い。文化的コンフリクトを差別といってしまう。きっかけを作って社会問題化しなければならないが、社会問題化すると、問題が自分自身から遠ざかり、語りたくない・参加しない人もいる。ここは安心して闘争できる場。ちなみに闘争と書いてふれあいと読みますけど。
(A)ここは学問的訓練を受けて相対化できる人が多い。ここ自体がそういう場になる必要がある。
(B)これまで生きてきて、どうしても障害者と健常者は対立関係になるが、そのままではいけない。共に生きていく関係が必要。
:建設的なコンフリクトも必要。青い芝のように、告発しておいて連帯を迫るやりかたもある。そして、おのおのの感情を否定しないこと。「障害がある子どもが愛せない」という親には、「そうだよね、でも大丈夫だよ」と声をかけたい。頭からその感情すら否定してしまうと、親自身が自分を責め、子どもとの関係を建設的に構築できなくなる。ピア・カウンセリングや、ナラティブ・セラピーが大事にしたいことと、障害学の言説は時に対立する。だけど、その対立の言葉の中にこそ、生産的なものが含まれていると思う。

【途中休憩 15:19-15:30】


●報告B:「UFをめぐる問題と顔にアザやキズのある人々の自己呈示の語り」
  報告者:松本 学(まつもとまなぶ・京都大学大学院教育学研究科博士後期課程)

【レジュメ】

UFをめぐる問題と顔にアザやキズのある人々の自己呈示の語り 
    松本 学(京都大学大学院教育学研究科・ユニークフェイス大阪世話人)

○顔にアザやキズのあるということ
 ユニークフェイス 「疾患固有の容貌」(松本1999)をもとに石井政之氏(ユニークフェイス東京世話人/ジャーナリスト)と松本が相談して決めた言葉。以下に説明する顔の状態を指すとともに、筆者たちが世話人をつとめるセルフヘルプグループをも指し示す。以下、適宜「UF」と略記。

ユニークフェイス=顔に「ふつう」から逸脱した特徴のあること。
  これは、以下の2つに大きく分類される。
  ・先天性 リンパ管腫(松本)、単純性血管腫(石井氏)、太田母斑、レックリングハウゼン病、小耳症 等々
  ・後天性 熱傷、太田母斑の一部、裂傷、顔面麻痺(ビートたけし)など
  
○ユニークフェイスの特徴
 ・概念の範囲は?
  可視性の身体の違いという大きな枠を作っている。心的な「違い」は含まず、身体的な「違い」のみを想定している。
  ただし、顔の特異性は可視性のみに規定されているのではなく、倉本の言うように、言説によって規定されている部分が多いにあると思われる。
 ・「障害」か否か?
  少なくともアメリカにおいては障害と認められているようである。
   →雇用保障 cf.映画「ペイフォワード」
   障害と健常の狭間に位置する「どっちつかず」さ。
   →いわゆる「軽度障害」が「障害」に含まれるのに対し、UFは
 ・一般的な顔論の中でこぼれおちるUF
   美しいー醜いの文脈にとりこまれてしまう危惧。
    単に「醜い」のではない。一般の「醜さ」とは違い、顔の
 顔=身体の中でも特権的な場所・アイデンティティの窓
 例)ユニークフェイスの極限形 松本の顔で、オリンピック選手の完成された身体
   ユニークボディの例 乙武氏 顔は「??似」身体は極度に短い手と足。
  ←この対比は、以下に顔が他者に与える印象に大きな役割を果たしているか、ということを示している。
  
 一方、個人的なこと
  私の意識の中では、顔の違いよりも身体の違い(肥満傾向)の方がより意識化されている。これは、また別な話である可能性あり。

○セルフヘルプグループとしてのUF(配付資料参照、会報、案内のリーフレット)

○「私」の立場 
 リンパ管腫を抱えるユニークフェイスの当事者
 セルフヘルプグループの世話人
 ユニークフェイスを抱えることについて考察しようとする大学院生
 
 →ここで、どのような立場で研究をしているのかということを明示する必要があると思われる。
 
 ・当事者性を明示することで問題となること
   1研究の客観性が疑問視される。
   2論文の筆者としての「私」はセルフヘルプグループUFの「御用学者」「宣伝部員」(笑)なのではないかという疑念。
   3当事者の特権性
  
  1について
   そもそも研究の客観性などは存在しない。私の専攻は心理学ということになっていて、学術誌などでは、当事者性の明示自体問題となる可能性が大いに考えられるが、では、非当事者による研究には客観性が保たれているのだろうか。そうは思えない。
   
  2について
   「御用学者」「宣伝部員」であることを防ぐためには、その可能性について記述する他はないと考える。
  3当事者が「同類」の研究を進めることは、反論を回避するためではないかという説    必ずしも当事者による研究が、当事者の「世界」の最も優れた記述ではない。当事者が記述することで、当事者的視点から「問題」が見える可能性があるというだけである。特権性というならば、その視点の固有性について言うべきである。「健常者」には、マイノリティについて配慮する視点が欠如しているとしか思えない場合が往々にある。
  
   例)6月8日の大阪教育大学付属池田小学校の事件における小泉首相の発言
 
○当事者の自己呈示
 UFであることをどのように他者に呈示するかということ

・「隠す」ストラテジー
1.他者とのコミュニケーションの機会を避けること
2.UFの程度が「軽い」と説明すること。
3.自分なりの信念を形成形成すること。
4.他の「障害」と比較すること。
5.他者への働きかけをおこなうこと。
6.化粧をすること。

.第1節 コミュニケーション機会の回避
Bさんは、顔の変形というアザやキズを抱える女性
アザやキズを隠すために、頭髪を長く伸ばしているが、どうしても隠せない部分がある。Bさんは、自分のアザやキズをずっと気にしてきた。

B−1
小学校や中学校で強烈ないじめはなかったんだけど、自分の顔のことを笑われたり、言われたりしたから、それから、「さらけ出したらいかん」と思って隠すようになった。そう言う気持ちが自分の中に植え付けられてしまった。
Bさんは、手術以外に自身のアザやキズを隠す外的な手段をもたないことが語りから伺えた。よって、Bさんの場合、アザやキズを隠すためには人との接触を最小限に限ることになったと思われる。興味深いのは、強烈ないじめではなく、アザやキズについて「笑われたり、言われたり」というだけで、自分の意識の中に人とのコミュニケーションを回避する意識が働いてきたということである。

B―2
中学、高校とクラブをやってたんだけど、みんなといるのが、しんどくて、やめちゃった。コミュニケーションを取るのが困難で、文化祭でも最小限のことで帰ってました。大学に入っても、軟式テニスのサークルにはいったんだけど、みんなが腫れ物に触るような態度だったから、コミュニケーションが取れなくて、みんなが「違う人種」に見えて仲間と思えなくて、2回目からいかなくなってしまった。自分がいやだけど、しんどいよりいいかと思った。
中学・高校・大学とも、クラブや文化祭などの課外活動は、極力避けていたと語る。ここには、Bさんを「違う人種」であるかのように特別扱いする周囲の人たちがあり、そのような特別扱いの「しんどい」対人関係を続けるよりも、接触を避けるようになったと語っている。しかし、Bさんにも危機感が訪れる。

B-3
就職活動を迎えたとき、今までは勉強さえできればいい子だったのに、就職活動で面接官に向かい合っても自己表現できないで、自分を否定してしまったんよ。そんで、8月で就職活動やめて「公務員を受ける」ってきめた。でも、そのとき、「このままでは、社会でいけてへんわ」「うけいれられへんわ、このままでは」って思って全部顔のせいにして、大学卒業してから、手術してん、三年かかって計7回。

ずっと避けてきた自己表現をする必要にBさんは追い込まれる。しかし、ずっと避けていたものとすぐに向き合うことはできない。Bさんは自己表現できない理由を顔のアザやキズに求める。そこで、大学卒業後、就職活動をせずに形成外科の手術を合計7回受けることになる。しかし、手術後も手術前と同様に、アザやキズはBさんの顔に残り、それがBさんにとって大変な引け目になってきた。この場合には、他者のアザやキズに対する否定的な反応を、「当然のもの」として認知することができず、人とのかかわりを避けることを中心課題としてしまっていた。
もう一つ、Bさんが積極的に自己表現できない理由としてあげたのは、父親のアザやキズに対する態度である。父親はBさんと話すとき、Bさんに目をあわせない。

B-4
父は、鏡に映ってる私の顔見てな、「おまえと初めて会ったやつは、ほんまにびっくりするやろうな。芸術品みたいやもんな。」とかな、小さいころ、「どうせおまえは結婚できひんから」「なんで?」「みてみ、おまえの顔!」って言ったりした。

Bさんは、父親に幼いころから、顔のことをこのように否定的に言われてきた。父親は彼女と視線を合わせないという。「お父さんこそ私に向き合ってないわ。」とBさんは語る。Bさんは、現在でも父親と話すことは非常に苦手であると語る。ここであげたようなBさんと父親の間の葛藤が、Bさんのコミュニケーションの回避に大きな影響を与えていると思われる。


.第2節「軽い」自分の呈示
・自分のアザやキズとその苦悩が非常に軽度で些細なものであるという語りが見出された

*「軽度」「障害者」の語りと対照的。
 軽度の人たちは、自分たちの「障害」を既存の「障害」というフレームの中に回収しようとする?一方、UFの人たちは自分たちの「違い」を「健常」のうちに収めようとする。

 
Jさん(男性)=化粧によって顔のアザやキズを隠さない。
30歳を過ぎてからの整形外科での皮膚移植手術

J-2
小さい頃って仲間になっていってしまえばみんなで遊べた時代だから、ないな、いじめなんて。小学校の転校のときの挨拶では、事前にあった。班分けで敬遠してたりしたことはあったけど、小学校のときの友達に会ったときには、いじめはなかったけれども、人と違うから敬遠はしたよね。でもそれも最初だけだよね。4年12月転校。5年生でクラス替えするときは何にもなかった。

 Jさんの場合、アザやキズについての語り全体が、非常に軽い語り口で、語られる。Jさんはまず、「人と違うから敬遠はしたよね」と自分が転校したときに避けられた経験を述べる。しかし、そのあとで必ず、「でも」などの逆接接続詞を使用して、Jさんにとって「敬遠」は些細なことだったと語る。「でもそれも最初だけだよね。」というように、避けられた時期を狭く限定することによって、避けられたことの意味の小ささを語ろうとする。これはJさんにとって、「避けられる」ということがどのように位置付けられているかということを踏まえて論じるべきである。

J-3
田舎だから、助かっているのかなあ。小さいなりの仲間うちができてるから、時々はけんかしてると「変な顔」っていうのがでたよなあ。でもそんな程度だよなあ。所詮子どもだもんな。仲直りしちゃえば。今のように親が出てって、ていうのはないんだわ。小学校入って、上級生がもの珍しいから来るよね。でも、そんな程度だよなあ。まわり仲間いたからね。そういうの恵まれとったからね。意識もしてなかったし。で、そのままいっちゃうでしょう?だから、ないんだわ。いじめってのはないし。

ここでも、「けんかしてると『変な顔』と」と言われたことを語っているが、そのあとに「でもそんな程度だよなあ」と述べてアザやキズについて不快なことを言われたことを「軽く」意味付けしている。これは、J−2で見られるのと同様の逆接関係である。Jさんが自分の顔の経験をこのように表現することで、聞いている他者もアザやキズに対するネガティブなイメージを軽減することができると考えられる。つまり、この語り方は当事者本人の悩みの軽重にかかわらず、むしろ他者に対する顔のアザやキズについて「軽い」自分の呈示であると思われるのである。
さらに、この語り方は、当事者自身の自己イメージにも少なからぬ影響を与えていると思われる。このインタビューは筆者が当事者性をいかして行ったものであるので、このような語りが得られている可能性もあると思われる。よって、Jさんの語りは、筆者との語りにおいて、かろうじて聞き取れる。Jさんが、一般に他者と語る場合には、いじめや、言葉による指摘をかつて経験したことすら語ない可能性が高いと思われる。
なぜ、Jさんはこのようなストラテジーを選択するようになったのだろうか。Jさんは、男性であり、化粧をすることは、念頭にない。顔にアザやキズを抱え、それが化粧などで隠すことができない人の場合、自分のつらい気持ち自体を「隠す」ことで、自分の印象を保とうとする効果があると思われる。実際に彼は以下のように語っている。

J-4
グループUに来たから俺も単純性血管腫っていう名前を覚えたくらいで、単なるアザだと思っとったわけだから、それほど気楽に受けとってたのよ。だから、血管腫っていう言葉を覚えてたから、それまでは、「生まれつきですよ」っていうことしか言ってないの。細かいこと言っちゃったら、自分の思いをぶつけることになるから、そこまでしたら聞いてる方は重たくなるから、だからこっちも生まれつきなんですよって言っとけば、向こうも「はあー」で、過ぎちゃうし、それで、もうわかっちゃうだろうし。だから真剣に長く付き合うやつには言ってもいいだろうけど、会社の連中には言わないよね。だから、小学校から知ってる連中は知ってるよ。いろいろ言ってるからね。自分の中で生きやすくするためのすべだよね。逆にいえば。そういうのが、だんだんと身についてるというか、身につけてると言うんだろうね。其の辺の判断、ここまでは言っとけばいい、これ以上は必要ない。

「気楽にうけとってきた」というように、Jさんの場合、ある程度顔についてのこだわりが弱くなってきつつあることが考えられる。しかし、こだわりが少なくなってきつつあると仮定しても「細かいこといっちゃったら、自分の思いをぶつけることになる」という語りは、Jさんが顔について悩んでいる事実を示すとともに、この話題がJさんにとって語るに落ちる話であると考えていることを示している。これは、さらに明確な「その辺の判断、ここまでいっとけばいい、これ以上は必要ない」という語りによって、「いきやすくするためのすべ」、つまり自分が「いきやすくなるための」ストラテジーであることが明らかになる。つまり、この「軽く」語る語り方は、すでに他者とのコミュニケーションを円滑にし、自分が苦悩していないことを自分に確認するためのストラテジーなのである。以下にJさんの他者に対する自己呈示の仕方についての語りを見てみたい。

J-5
(初対面の人に自分から説明をしますか?)
あ、自分からはしない。どうされたんですかって聞かれたときに、「生まれつきの血管腫なんですよ」っていうだけ。そっからあと細かい話はしてもわかってもらえないだろうし、してもしょうがないからね。要は生まれつきでこういう顔なんですよってことだけを言えばいいから、という、僕は、解釈をしている。要は生まれつきなんですよっていう、それが一番の、ポイントじゃないかな。で、生まれつきっていえばみんなわかってくれるだろうって。わからん人はそれもあほやぞって思っとけばいいかなって。だから、それだけしか。あとは細かい話はしない。
前に見たように、「軽く」呈示する語りは、他者との関係性を第一に考える。Jさんは、「どうされたんですか」などと、自分の顔の違いを他者から尋ねられた時にだけ、「生まれつき血管腫なんですよ」と返答する。血管腫がどのような病気なのかということはあえて語らないで、このように簡単に病名だけを答えることだけで、こうした場面を切り抜けてきた。とにかく他者に向かって伝えるのに必要なことは、「要は生まれつきでこういう顔なんですよってことだけを言えばいい」、とJさんは言う。確かに医学的な説明は必ずしも相手に対して好印象を与えるとは限らない。血管腫という病名を聞いても、この病名からイメージを喚起できる人がほとんどいないと思われる。しかし、ここには、先にあげたように、自分の疾患を「軽く」見せようとするストラテジーが働いていると思われる。

.第4節 他の障害との比較
・アザやキズ以外の障害との比較の視点を導入すること
  身体障害など、より機能的な障害を抱えているとわかりやすいものとの比較が目立つ
  
  →機能的な障害とアザやキズを抱える辛さの比較を行うことで、顔のアザやキズが「軽い」ものであることを、主に自分自身に言い聞かせる
  
Vさん 顔にキズを抱える人
キズを抱えているために、化粧について抵抗感があった。
V-1
(あの、その知っている友達と言うのは、Vさんに比較してひどいキズに見えた。だけど、ひどいキズなのに、化粧をやってると言うのは安心になりませんか。)
そうですね、安心になりますね。やっぱり、私よりも浅いキズだったら店員さん言わないかも知れないですけれども、まあ、浅いキズの人がやってて、もし仮に店員さんがそういった場合、私よりも浅いキズの人がきれいになったっていうことは、やっぱり私のほうがひどいんだな、なんか、あんまりきれいになれないなっていう。
(自分よりもひどいキズの人がやっていけてるということは励みになりますか。)
励みにはならないですね。その場で「あっそっか」っていって、その場で自分の気持ちが盛り上がったという程度で、それ以降は別に、あたしよりひどいキズの人がちゃんと化粧できて楽しく、暮らせてるんだと言う気持ちは持ちつづけはしない。
(その場で盛り上がると言うことはどういうことでしょうか。)
その場で、自分の気持ちが、じゃその人にお化粧してもらおうかな、っていうプラスの方向で、向かうっていう、それを盛り上がるっていったんですけど。
(プラスの方向で盛り上がる・・・・何でプラスにもりあがるんでしょう?)
(笑い)・・・・・・・・・・そこまで考えたことない。
 Vさんはかつて化粧品売場の店員に顔を見られてぎょっと驚かれるという不快な経験をしている。そこで、化粧品売場と化粧に対して抵抗感があった。化粧はキズを隠すためのものであり、楽しむものではなかったと思われる。そこで、ある女性の店員に出会う。Vさんは、そこで店員の知人に同様のキズを持つ人がいることを聞く。その知人はVさんよりもキズが「ひどい」状態であるが、それでも好きな化粧をしているという。それをきいてVさんは、「気持ちの盛り上がり」があったと述べる。よりキズの深い人でも化粧に積極的であり、きれいになることを聞いて、自分も化粧によってもっときれいになると考える。そこで、Vさんは気持ちが盛り上がるのである。この背後には、顔にアザやキズを抱える人の、化粧に対する心理的距離が狭められた喜びと、キズのある自分でも化粧ができるという喜びであると思われる。そして、このこと自体は決して否定されるべきものではない。

★問題なのは、
・社会の価値観に影響される当事者像をみる。
1ほかの障害と比較して顔のアザやキズは「軽い」ものであるという価値観は、当事者にとって、より耳触りのよい形で入ってくる。
2比較することで、結果的にはよりひどいキズの人を、語りかける人とともに貶める。 3自分の位置を「健常」の側に引き寄せている可能性がある。

*注意すべき点は、語りかける人の視点からは、どちらも同じ「キズのある人」であり、この点で「健常」ではないのである。つまり、当事者にこのような比較の物語を語る人は、当事者を他の当事者と引き比べることによって安心させて、あたかも「健常」の領域に近づけておくようにしながら、実は、比較の土台には、「健常」との違いがあり、その意味で、当事者を自分とは違う「健常」でない人として貶めていることになると思われる。

.第5節 他者への働きかけ
・「フレームを変える」
当事者が他者に対して積極的に働きかける場合
  
N-1(観察事例)
Nさんが電車を降りると私は彼が電車の方に向かってぺこぺことお辞儀をしているのが見えた。私はいぶかしく思った。だれか、知り合いでも乗っていたのだろうか。車内に目を移すと若いカップルがこちらを見て戸惑いながらお辞儀をし返していた。私がまたNさんの方に目を移すと、何とNさんは顔に笑顔を浮かべながらお辞儀をしているではないか。


 Nさんは血管腫の当事者である。電車から降りると、すぐに電車の中の見知らぬ他者から視線を浴びていることに気がつく。そこで、Nさんは、その凝視を緩和するために、笑顔を向けるのである。この場面における笑顔について、いくつかの想定ができる。私たちは顔によってその人の属性を想定しようとする。顔にアザやキズがあることで、私たちはこの属性を想定する過程が阻害されることになると思われる。
 
 上記の例においても、Nさんは顔にアザやキズを抱えており、そのため肌の色と形状に特異性がみられる。周囲の視線を受けたNさんはこのままでは見世物小屋的な好奇の視線にさらされることになるのである。このような状況の中で呈示された笑顔は、いくつかの重層的な意味を表していると思われる。まず、笑顔は、Nさんを凝視している人に対して友好的なメッセージを発する。さらに、Nさんが一個の人格をもった存在であることに気付かせる。
しかし、Nさんの側からみると、笑顔を呈示することで敵意のないことを表明し、アザやキズにたいする不安感から解放し、他者との関係を良好に保つとともに、一方的凝視を拒絶していると思われる。同様の例は、Cさんでもみることができた。Cさんも顔にアザやキズを抱えている。

★近似の例
 阿部更織さんの例
  cf.石井、2001 p91-121
  *阿部さんの場合、笑顔ではなく、カツラを非常に頻繁に変えることでカツラの意味を異化している。

・もっと積極的に他者に対して働きかける例

Tさん=化粧などをしてもアザやキズを隠すことが出来ないし、手術をしても現時点では、根本的な解決にはならない。
→Tさんにとって不快な場合「声かけ」や「にらめっこ」などの働きかけによって、他者の関心をそらす

T-1(E-mail)
声かけをするようになった時期は、はっきりいつ頃だったか覚えてはいませんが、多分高校入学してすぐだったように思い出します。誰に言われたのでもなく自分なりに考えて行動に移したのです。通学の行き帰りや私用で出かけ電車に乗るたびに人々の視線を感じていて、いてもたってもいられなくなりました。まだ一人の人の視線でしたら多少我慢はできますが、相手が二・三人連れの場合はじろじろと見たあげくに「ヒソヒソ」と、何やら言っているのを見ると頭に血がのぼってしまいました。このままでは本当にいつまでも「ヒソヒソ」話されるのかと思い何か良い解決法はないかと、思案して出た答えが「声かけ」でした。声をかけられた方も突然声をかけられたので驚いたのでしょうね。「別に」と言って去って行きました。


★「自分なりに考えて行動に移した」というように、Tさんは一人で何のモデルもなしに「声かけ」を始めたと思われる。Tさんは「通学の行き帰りや私用で出かけ電車に乗るたびに人の視線を感じて」おり、「ヒソヒソ」と内緒話をされているのをみて、「頭に血がのぼって」しまい、その不快さを解決するために「声かけ」を始めたようである。声かけの結果、不快な状況は、取り除くことができた。しかし、「声かけ」という働きかけには、非常に「勇気と努力」を必要とする。


T-2(E-mail)
最初は視線を感じるだけで電車に乗るのにプレッシャーを感じていたのに、「声かけ」にはすごく勇気と努力がいりましたけれども、二・三度繰り返すうちに慣れてきましたね。ただこの「声かけ」は一人の時に限ってでした。友達と一緒の時は話に夢中になっていますので、あまり視線を気にせずに乗っていられましたが、途中から一人になると、もういけませんでした。ひしひしと視線を感じました。
この「声かけ」はいつもするのではなく、あまりにも露骨に見ている人に限ってです。いちいち一人一人に「声かけ」をしていてはこちらの方が疲れてしまいます。


★Tさんは「声かけ」をすることには、「二・三度繰り返すうちに慣れて」くるものといいつつ、「あまりにも露骨に見ている人」に限ると語っている。そこでTさんはさらに他者の視線への対処の方法を考案する。「にらめっこ」である。Tさんの顔を見る他者と「一寸たりとも視線を離さずに見つめ合う」方法である。

T-3(E-mail)
「にらめっこ」の件ですが、この方が「声かけ」よりも少し早かったように思います。多分中学2年生くらいではなかったでしょうか。「声かけ」の方が、見知らぬ人に声かけるのですから努力と勇気が必要ですし、声かけすることによって私に気づいていなかった人までが、私に視線を向けるのではないか、と思い自分なりにこれも考え出した案です。成功率は高いですね。私の場合は100%と言っていいくらいに成功しますね。「声かけ」と同じで最初は見知らぬ人と一寸たりとも視線を離さずに見つめ合うのですから、ストレスがたまらないわけありません。それに何か因縁をつけられたらまた恐いです。中学生にしては大胆な行動を取りすぎたか、と思います。


★このようにしてストレスを抱えながらTさんは「にらめっこ」や「声かけ」によって露骨な他者の視線に対処しようとする。しかし、この二つの働きかけは、Tさんにとって大変な負担となる。

T-4(E-mail)
慣れてくるにしたがって「今日は何分で相手が根負けするか・私は何分で勝利者になれるか」と思うようになりましたが、その日は精神的に疲れてしまい、何もする気が起きませんでした。
 
 
★「にらめっこ」をした日には、そのあと「何もする気が起き」ないほど、T3を精神的に疲労させるのである。そこで、現在では「にらめっこ」も「声かけ」もあまりしなくなったと語る。

T-5(E-mail)
最近は両方ともあまりしなくなりましたね。多分まわりの目を気にしないようになったのか、と思います。気にしていては、何処にも行けませんし、何もできなくなってしまいますから。でもときどき、痛いほどの視線を感じる時がありますけれども、無視するようにしています。「気の毒な人がいる」と思うようにしています。


 Tさんは最近「痛いほどの視線を感じる時」があるが、このような視線を向ける人を「気の毒な人」として「無視するようにして」いると語る。「確実な防衛策」であるこの働きかけをしなくなった理由として、「まわりの目を気にしないようになった」と語る。日常的に他者からの視線を浴びるTさんは視線を気にしていると「何もできなくなって」しまうのである。アザやキズやアザやキズがない人であればあまりすることのない「にらめっこ」や「声かけ」をしながら、Tさんは<他者は視線を向けるものである。>という「準拠枠」を形成したと考えられる。そしてこの「準拠枠」がTさんの視点として定着したとき、他者の視線に対処するTさん自身の心の鎧とも言うべきものが形成されたと思われる。

.第6節 見せ方の工夫

★自己への見せ方
G-2
どうきれいに写ろかなと思ったり。どっち向いたらいいかなとか。いつも真正面から撮るのが多いから、なんもせえへんけど、横向いたりするときは、絶えず友達と反対の方向に行くの。上から撮ったら分かりにくいけど、ちょっと顔の角度をかえて撮ったら、プリクラの機械にもよるけど、ちょっと角度変えたら、普通にやってるよりひどく写ったり、っていうのがあるから、なるべく、光加減とか気をつけて撮ってる。
 筆者自身も無意識のうちに行っていることであるが、Gさんは自分のアザやキズがわかりにくい角度で写真やプリクラの写り方を工夫する。また、Dさんは結婚式で花嫁として自分をどのように見せるか悩んでいる。

D-1
結婚式だとね、ビデオをね、ホテルの人とか、親戚とか、友達のカメラマンが撮りまくるんですよ。そうすると、特に新婦は照明のライトで浮かび上がるんです。右のほっぺたが腫れているでしょ。髪型をアップにして、こっちがわからみられるとわかるわけですよね。耳のところにアザが残ってたりして、化粧で隠すといっても限界があるんですよね。自分が納得したいから、会場内で最低でも50人位でもいて、いろんな角度からみられるじゃないですか。行くたびに考えてしまう。いつ結婚するかわからないけれど、みんなどう言うふうに結婚式の準備の進め方をやってはったんかな、自分のときはどうしたらいいんやろ。結婚写真って一生のこるでしょ。自分の写真はやっぱりそれなりにきれいに写ってるなあとでも思いたいわけですよ。顔のバランスとか、自分の納得できるようにしたいな。まだ、アザだけだったらいいけれど、これ以上手術を重ねてもふくらみを押さえることは絶対できないじゃないですか。ふくらみは自分の力だけじゃ絶対できないから。


★アザやキズの見せ方の工夫として、アザを化粧で隠すことの意味

・化粧には2種類のものがある
1完全にファンデーションでアザを隠す化粧
2アザがわかるように薄くファンデーションをつけるアザが見える化粧
 アザを隠す目的→
 
 化粧をはじめるきっかけ
 1親の勧めによるもの 比較的早い時期(例幼稚園入学など)が多く見られる
 2本人の希望によるもの
   社会的な規範からはずれない様に、高校卒業後などに母親が化粧を紹介するという例が多い
   
   。
・アザを化粧することの背景
  1アザを隠すと言うよりは、アザがあることで自分に集まる視線を解消するため
    理由)アザをそのままにしていると、見知らぬ他者からの視線を集める。雑踏の中、電車の中など、多くの人が集まったり、見知らぬ人と同席する場面では、人の視線はアザに集中する。アザを隠さずに生きることは、こうした無遠慮な視線と対峙しながら生きることなのである。ここに、アザを隠す積極的な意味が出てくると思われる。
    
    
アザを化粧によって隠すことで起こること
1当事者は自分を見る視線の減少に驚くということ
2「化粧が濃い」という物言いにさらされること。
  この言葉のもつ意味
  1.化粧が濃いという事実の指摘
  2.本当は年齢などを隠しているということの指摘
   2は、普通の状況では、年齢を隠すことへの揶揄であることが多いが、アザを抱える当事者の場合、当事者本人にはアザを指摘されていると感じられる。そこで、当事者には、化粧に対する疑念が生じる。
   
   
・Aさんの場合
 もともとの生活への想起が起こる。アザをさらして生きてきたのだから、大丈夫だという想起。ここには、幼い頃から愛されているという自信も少なからず影響しているだろう。
・すっかり隠してしまうようになる場合

.参考文献
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やまだようこ 2000b 人生を物語ることの意味―ライフストーリーの心理学 (やまだようこ(編)人生を物語る―生成のライフストーリー ミネルヴァ書房 1-38)
吉川左紀子・益谷真・中村真編 1993 顔と心―顔の心理学入門― サイエンス社


【質疑応答】
(E)研究の方向性は、隠していく・認知してもらう、のどちら?
:両方。隠すことも一つの自己呈示。
(B)ユニークフェイスは隠そうと思えば隠せるが、自分たちのような車椅子ユーザーは、社会との関わりを全くなくす以外に隠すことができない。関わりをなくすことは共に生きていくことと反対。自分の障害に向き合って、障害をわかっている人を増やすことが大切だ。隠すことは絶対にやらないでほしい。
:UFの場合は既存の「障害」に入らない。隠さないでカミングアウトできる人は、そうして頂くが、強制ではない。一方、UFの活動は、メディアを積極的に利用することで、社会的に周知をつとめている。
(B)隠しても生きていける状態。コンプレックスは残ったまま。
:おっしゃるとおり。カミングアウトの第一歩は、例会に出てくることだと思っているが、例会に出席するメンバーは固定化する。だが、強制はできないし、引っぱり出すこともできない。その根底に親との関係性の問題があると予測している。
(B)やはり障害を受け入れて障害と共に生きることが大切。
(O)コンプレックスは誰しも持っている。コスト・ベネフィットを計算して隠すのを非難しないし、責められない。自分の選択を周りが尊重するべき。
(H)隠すこととがコンプレックスの顕れとは限らない。医療関係者も親も同じように「隠すな」と言っている。隠すことによって無用な対立を避けることもセルフヘルプグループで教えるべき。「受容」とか「向き合う」も、単純にしてるか・してないかの二分法ではない。ある程度うまくいけばいい。
(G)しかし逆に親などから「隠せ」と言われ続けてきた場合は、隠さないことで解放される。自分は病名を言うことで解放されたいのだが、周りの圧力があって悶々とする。
(A)それを前提とした上で、それぞれの生き方を見つけようとしている。社会的圧力をなくしていくことは大事だが、個々の行為に関して一般論で良いとか悪いとかは語れない。
:UFはとりあえず場所を提供できた。各家庭に入ってちゃぶ台をひっくりかえすことはできない。
(K)見た目は、社会によってつくられる面だけでなく、アイデンティティ管理をし、自分でつくっていく面もある。
:この研究会で自分が当事者として話すことで反論を押さえつけているところもある。研究者としての立場になかったとしたら、隠して生きていたかもしれない。しかし活動としてはそういう対処法はNO。
(H)軽度障害の場合たしかに「障害」のほうにベクトルが向く。健常者にベクトルが向く人は多くない。このあたりを詳しく説明してほしい。
:UFの場合「健常」におさめようとするというのは、かっこよくないけど五体満足だし人間性や他のところで頑張ればいいじゃないか、というようなこと。制度もないし、健常と一緒にせざるをえない。違いと言うことが罪のような感じがある。研究を始めるときにも、この研究をして良いのか悩んだ。UFと出会って、いいんだと思えるようになった。それは問題ですらないという意識が働いていた。
(H)自分が軽度障害のことを考えたきっかけは、車椅子の人の自立とかいうのと自分とはニーズが違うと感じたこと。自ら軽度障害の研究するのに抵抗は全くなかった。
(L)UFは障害?
:「障害」と「健常」の中間点にある。健常だけれど障害みたいな困難が生じている。軽度の場合は障害のカテゴリーに入っているが障害なのか、という困難。必ずしも障害とか健常とラベリングできない。
(B)UFは個性だと考えているか?
:個性とは考えられない。「個性」ということばをつかうことで、単に「障害」を前向きにとらえているおめでたい研究・団体とは受け取られたくなかった。
(B)私も障害個性論には反対。やはり障害は生き様であって、個性で片付けられると、逆に障害を避けているように思う。
(A)それは障害個性論が語られた文脈を理解していない読み違え。障害個性論は、個性なのか個性でないのかはどっちでもいい。健常者が正しい・よい、というタテの関係を、ヨコの関係に置き換えるための戦略の一つにすぎない。牧口さんは最近は「違うことこそバンザイ」と言っている。
(M)何人に調査し、男女比は?
:23名。うち男性6名。女性17名。
(A)ジェンダーの問題が関わる。男たるもの気にしてはいけない、というのがあったりする。
:気付いており、「顔とトラウマ」にも簡単に記述しているが、今回の調査では、そこまでふみこめなかった。今後の課題として取り組みたい。
(O)ジェンダーに関連したユニークフェイス的な問題として、禿の問題がある。須長さんという方は、ジェンダーに特に注目して禿の社会学を実践している。見られる、ということには必ずジェンダーの要素がかなり多く含まれている。
(H)メディアに出ているUFの人は男性が多い。
:その通り。女性は顔を隠していたりする。世話人も男ばかり。
(K)「見た目のつくられ方」という講座を企画している。性と障害にかかわっての見た目差別の問題をとりあげたものです。松本さんにも講師として参加してもらう予定です。企画中なので、講師などいい情報があったら教えてください。
(N)他の障害との比較について、もう少し。
:例として、見せ物小屋やサリドマイドのビデオを見せるやり方などがある。日常的に励ましの方法に使う。「結婚できなくても、あなたはそれで生きていける」等としてUFの問題をなくしてしまう。

●参加者 計25名



UP:20090717
全文掲載   ◇障害学研究会関西部会 2001   ◇障害学 2001
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