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池田小学校事件および特別立法に対する緊急声明

精神科医療懇話会
2001年6月27日

last update: 20160125


声明要旨

T 基本認識(精神科医療の守備範囲は適切か)
現在の精神科医療は、特に司法との関係において不当にその守備範囲を広げることを余儀なくされている。可能なことと不可能なことを明らかにしたうえで、問題を司法の側に投げ返すことも含めて対話を求める姿勢が必要である。

U 刑事司法手続きにおける精神障害者の問題
 U-1 起訴前簡易鑑定および検察官通報は緊急に是正されなければならない
まず司法実務では裁判段階と検察段階における責任能力が2重基準にされている。すなわち、起訴前鑑定と検察官の心神喪失・心神耗弱概念は拡大している。 その上で、いったん検察官通報により精神科医療の側にゆだねられると、精神科医療の側には司法に押し戻す手だてがない。結果として精神障害者が障害のみを理由として事実究明や裁判を受ける権利を不当に剥奪されたり、本来医療の対象ではない事例が混入することもある。「司法か医療か」をわける手続きを主導しているのは起訴便宜主義にたつ検察官であるが、その行動が様々なレベルの問題をもたらしている。その責任は主として司法の側にある。医療の側の責任として解決しなければならないのは起訴前簡易鑑定の問題である。
 U-2 刑事施設における精神科医療の貧困ないしは不在
 刑事施設には多くの精神障害者がいる。しかし刑事施設の精神科医療は極めて悲惨な状況のまま放置されている。受刑中に十分な医療が提供されないまま障害が重篤となり、受刑終了後にようやく精神科を受診できる者もおり、重大な健康権の侵害となっている。刑事施設における精神科医療を充実することが重要である。
U-3 精神障害者の再犯の問題
 精神医学は犯罪予測、社会防衛ないし犯罪予防を目的としていない。が仮に社会防衛の観点に立っても精神障害者の再犯率は、刑法犯全体の再犯率に比べて明らかに低い。再犯予防を課題としているのは刑事政策であり、改善を要するのは矯正一般、司法の側である。

V 特別立法について
 仮に再犯予防のために「特別施設」がつくられたとしても、精神科医療従事者は病状に伴う切迫した危険以外の再犯可能性を予測することはできない。特別施設入退所についての精神医学的判断もその例外ではありえない。現在の問題点は司法と医療それぞれの側にある。しかし司法の問題はこれまで明るみにされることがあまりに少なかった。ここに踏み込むことのない立法は、それ以外の部分の完成度を問わず、有効な解決策にはなり得ない。

=========== 精神科医療懇話会============
(世話人)
岡潔(旭労災病院)大下顕(博愛会病院)岡崎伸郎(仙台市精神保健福祉総合センター)瀬川義弘(関西青少年サナトリウム)高木俊介(京大精神科)中島直(横浜刑務所医務部)浜垣誠司(京大精神科)望月清隆(積善会曽我病院)森俊夫(京都府立洛南病院)
横田泉(済生会泉尾病院)吉岡隆一(京大精神科)
(目次:1P声明要旨、2P〜4P声明本文、5P〜7P声明関連資料)

緊急声明(本文)

 大阪・池田小学校事件は、私たち精神科医療に携わる者にとって、限りなく深い悲しみとともに強い衝撃をもたらすものでした。報道によれば、政府は、この事件を理由として重大な犯罪行為をした精神障害者を対象とした「特定精神病院」(仮称)設置を中心とする「特別立法」を検討しているということです。私たちは、本事例の詳細を解明して事実に基づく冷静な討論がされることなく、安易な制度づくりが先行してしまうことは、取り返しのつかない過ちを犯すことになると考えます。いわゆる「触法精神障害者」の問題は、司法と精神科医療との関係の全体像を明らかにし、精神科医療の守備範囲を明確にする作業を前提としなければなりません。現在の精神科医療の在り方には大きな問題があり、様々なレベルでの改革が必要とされていると認識しています。問題の所在を明らかにして、それらに対する有効な解決策を探っていくことが精神科医療従事者の責務と考えます。以下に、司法領域の問題に絞って私たちの問題意識を明らかにします。

T 基本的な認識(精神科医療の守備範囲は適切か)
 精神科医療の責任を問題にするのであれば、その守備範囲を検証する作業が必要になる。私たちは以下の両面において現在の精神科医療の守備範囲は不適切と考える。すなわち、本来精神科医療が担うべきではない(担うことができない)領域を引き受けている部分と、本来精神科医療の責任として担うべき部分を放置しているところがある。こうした問題を前提としない精神科医療の改善策は、さらに深刻な問題を引き起こすと考える。社会防衛ないし犯罪予防は本来的には司法ないしは刑事政策の問題であって、医療の問題ではない。精神科医療従事者は、問題を司法の側に投げ返すことも含めて対話を求める姿勢が必要である。

U 刑事司法手続きにおける精神障害者の問題
 U-1 起訴前簡易鑑定は緊急に是正されなければならない
 起訴前において、不十分あるいは偏った簡易鑑定などの手段を通じあるいはそれすら省略しながら、治療歴その他から直ちに、司法の検討をまともに経ないでまたその結果も知らされぬまま、精神科医療にゆだねられる例が多い。犯罪白書によれば、心神喪失を理由に裁判で無罪を宣告される例が年間せいぜい数例、心神耗弱を理由に減刑される例が50から100例の間にとどまるのに対し、心神喪失ないし心神耗弱を理由に不起訴となる例は年間600例から850例ほどに及ぶ。この例のうち多くは、精神科医療が専門的な意見を唱える機会も保障されずに精神医療の側に送られ、手続き上引き受けざるを得ないケースである。こうした事態は、事実究明する機会を失わせ裁判を受ける権利を剥奪し、時に後述のようにえん罪を生み出すものである上、精神障害者すなわち訴訟ないし刑事責任無能力者との差別もしくは悪用機会を実質固定化ないし再生産し、また司法の充分な究明なくしていたずらに医療の場にもたらされる触法者が医療対象者でなかったり、矯正を医療に負わせる結果を生むことになっている。犯罪白書でも明らかになっているとおり、アルコール中毒、覚せい剤中毒、精神病質といった診断名で、多くの者が不起訴となっていることがそれを物語っている。

 U-2 刑事施設における精神科医療の貧困ないしは不在
 刑事施設における精神科医療に対する行政の無責任さがある。刑務所や少年院などの刑事施設には多くの精神障害者がいる。犯罪白書によれば、年間新入所・入院者の3〜5%ほどが精神障害者とされている。また全受刑者の1%ほどがM級(精神障害者)に分類されている。しかるに多くの刑事施設における精神科医療の現状は惨憺たるものである。精神科医がいない施設が多く、いてもその数は少ない。コメディカルスタッフも決定的に不足している。設備もほとんどない。本人への情報開示の不充分さ、治療よりも保安重視、職員への精神医学の教育不徹底などにより、治療は非常に低いレベルにとどまっている。本人が診察を求めても職員がそれを認めないことが非常に多い。施設としての管理上の問題がなければ精神病状態であっても有効な治療が行われないことが多い。また、刑務所等を出所する際には、財政的な援助を始めとした何らのケアもなく、場合によっては住居もないまま、一般社会に出されるのである。矯正施設の中での治療については、仮に本人が求めても、最終処方の内容すら外部に出すことが事実上禁じられている。毎年1000名以上の精神障害者が刑事施設に新入所していながら、精神障害者もしくはその疑いのある者の出所時の全例通報を施設長に義務づけている精神保健福祉法26条に基づく通報は年間300件程度にとどまっている現状は、刑事施設内で充分な精神医学的観察およびケアがなされていないことの反映とみるべきである。これらの問題は一般刑務所でより深刻であるが、医療刑務所にもあてはまる。それでも医療刑務所で受刑できた人はまだ幸せである。法務省は専門的な医療が必要な人に対しては医療刑務所や外部の医療機関の診察で対応しているとしている。しかし、例えば八王子医療刑務所に移送の依頼を出しても、仮に生命の危機が切迫しているケースであっても、断られるか非常に長く待たされる例が多いことは、東京管区の刑務所の職員には周知の事実である。検察官が病気を理由にした刑の執行停止を認めたがらないことと相俟って、受刑者の多くは常に生命を強い危険に曝しているのである。こうした現状の改善こそ先行すべき課題である。新しい制度を作ることは、その制度が矯正行政とどのような関係を持つのかが明白でないが、こうした現状の固定化につながる可能性が非常に高い。また新しい施設が「刑務所に限りなく近いもの」であれば、現状の刑務所を見る限り、それは治療には適さない施設であると言えよう。

U-3 精神障害者の再犯の問題
 犯罪白書によれば、一般の刑務所出所者が5年以内に再入所する比率は40%を超える非常に高い数値となっており、なお上昇傾向である。一方、精神障害者の再犯率については明確なデータがないが、今回の事件においても触法精神障害者に対する特別な処遇を声高に唱えている山上晧らのデータによっても、5年間での再犯率は7.1%、10年間での再犯率が21.9%にとどまっている。同じ調査で、殺人犯、放火犯のそれぞれにつき、精神障害者と一般犯罪者それぞれについて再犯率が検討されているが、両者ともに精神障害者の再犯率は一般犯罪者のそれのおよそ4分の1にとどまっている。調査の方法が異なる上、犯罪という暗数が大きいものを対象にした検討であるので、単純な比較ができないことは言うまでもないが、少なくとも精神障害者の再犯が多いとする根拠はないということができる。一般受刑者では仮釈放であっても再犯率は30%を超えている。そもそも精神医学は犯罪予測、社会防衛ないし犯罪予防を目的としておらず、病状にともなう切迫した危険以上の再犯を予測ないし予防することはできない。再犯予防を課題とするとすればそれはむしろ刑事政策の側であり、それがうまくいっておらず改善を要するのは矯正の側である。

 U-4 精神障害者のえん罪の問題
 現状でも精神障害者は多くのえん罪に苦しめられている。そのことは死刑台から30年余を経て再審無罪をかちとった無実の元死刑囚赤堀政夫さんの例に象徴される。また触法行為の事実が明らかにされないまま措置入院とされている者も少なくない。触法行為を犯したとされる精神障害者を、従来より容易に拘禁することを可能にする「特別立法」は、こうしたえん罪をこれまでより増加させる可能性が非常に高い。

V 特別立法について
 新聞報道で見る限り、刑法や精神保健福祉法の改正でなく新規立法による特別施設への入退所を軸にする何らかの精神障害者対策が立案されるとの事である。いかなる法律によるとしても、経験的な事実として、精神医療従事者である私たちは以下を表明する。すなわち、第一に精神医療従事者は、病状にともなう切迫した危険以上の再犯可能性を予測する事はできない。これはかつて導入が目され多くの人々の反対を受けて頓挫した保安処分を推進する論理の最大の欠点の一つであった。第二に、再犯予防施策は精神医療の問題というよりは矯正の問題が大きいというべきである。第三に逸脱行動を反復する者を指し示す「精神病質」は、日本精神神経学会が医学的概念ではないとして排斥してきたとおりであり、類似の問題を持つ概念である人格障害、および覚醒剤をはじめとする薬物依存症は、精神科における強制医療の対象ではない。これらを踏まえた上で、精神医療従事者に理念的にも実務的にもその職務とする範囲を超えた役割を強いる立法には賛成できない。
 最後に再び強調しておきたい。現在の問題点は司法と医療それぞれの側にある。しかし司法の問題はこれまで明るみにされることがあまりに少なかった。特別施設の新設、その入退所を巡る問題について、ほかならぬ刑事政策家こそが、法的に公正かつ現実的なデータに基づく真摯率直な意見を求められているのである。


緊急声明(関連資料)

【U-1 起訴前簡易鑑定】関連資料

1)刑法犯検挙人員に占める精神障害者の実数
(平成10年、業務上過失死傷および重過失致死傷を除く刑法犯検挙人員、犯罪白書より)
総 数 精神障害者 精神障害の疑いのある者
  32万4,263  634(0.2%)    1,378(0.4%)
 この数字を多いと見るか少ないと見るかは議論があろう。但し政府が出す各種資料にお いては、この「精神障害の疑いのある者」が含まれて見かけ上数が多くされている場合 がある。実際に心神喪失や心神耗弱となる者の数は次表のとおりである。

2)心神喪失・心神耗弱者数と不起訴、裁判との関係(犯罪白書より)
  年次 総数    不起訴 裁判
   心神喪失 心神耗弱 心神喪失 心神耗弱
   (起訴猶予) (無罪) (刑の減軽)
   6 775 387 317 5 66
   7 842 403 331 4 86
   8 849 399 350 3 97
   9 735 371 277 3 84
   10 622 354 213 2 53
11 599 350 192 0 57
 心神喪失や心神耗弱の多くが裁判ではなく起訴される前の段階で処理されていることが わかる。

3)精神障害名別処分結果(平成6年〜10年の累計、犯罪白書より)
          不  起  訴   裁      判
        総数  計  心神喪失 心神耗弱 計  心神喪失 心神耗弱
 総数       3805 3402 1914 1488 403 17 386
 精神分裂病    2264 2157 1323 834 107 9 98
 そううつ病 259 216 120 96 43 2 41
 てんかん 61 51 30 21 10 1 9
 アルコール中毒 309 250 126 124 59 1 58
 覚せい剤中毒 194 166 71 95 28 1 27
 知的障害 150 88 30 58 62 1 61
 精神病質 48 36 8 28 12 - 12
 その他の精神障害 520 438 206 232 82 2 80
  覚せい剤中毒や精神病質など、通常の精神科医療の対象となりにくいものも不起訴と  なっている例が多いことがわかる。

4)1998年度の措置申請等と診察・入院
 (厚生省統計より。数字は件数、括弧内は申請等の件数に対する割合)
  申請等 非診察  措置入院
 一般 414 118(.29) 231(.56)
 警察官 4707 1500(.32) 2403(.51)
 検察官 977 284(.29) 506(.52)
 保護観察所 11 8(.73) 1(.09)
 矯正施設 311 215(.69) 52(.17)
 精神病院長 52 1(.02) 47(.90)
 合計 6472 2126(.33) 3240(.50)
  不起訴となって検察官通報により司法から精神科医療に渡された数は977人で、資料  3)に示される同年度の心身喪失・心身耗弱総数の622人を大きく上回る。この中には  医療の対象ではなく起訴されるべき人が相当数含まれている。刑務所出所者等に対す  る矯正施設長等からの通報件数は311人であるが、本来の数より少なく、この群は受  刑中の医療保障が論じられなければならない(U-2参照)。

【U-2 刑事施設における精神科医療の貧困ないしは不在】関連資料

1)新しく収容された精神障害者数(犯罪白書より)
  行刑施設/うち精神障害者 少年院/うち精神障害者  精神障害者計
 1996年  22433/1146     4208/169 1315
 1997年  22667/1007 4989/179 1186
 1998年  23101/840 5388/209 1049

2)受刑者総数に占める精神障害者の実数(犯罪白書より)
 平成10年12月31日現在受刑者総数 43245人
 うちM級(精神障害者)       444人(1.0%)
  1)、2)より、かなりの数の精神障害者が刑務所等に収容されていることがわかる。

【U-3 精神障害者の再犯の問題】関連資料

1)平成5年出所者の再入率(平成5年から各年末までの累積の比率、犯罪白書より)
 出所事由 出所人員 平成5年  6年  7年 8年  9年  10年
 総数 22036 6.4 23.6 34.8 41.1 45.4 48.2
 満期釈放 9504 11.6 34.5 46.7 53.3 57.8 60.8
 仮釈放 12532 2.5 15.4 25.8 31.9 36.0 38.7

2)5年再入率の年次推移(犯罪白書より)
 出所年から5年間における再入率
 出所事由 平成元年  2年  3年  4年  5年
 総数 41.2 42.0 42.6 44.1 45.4
 満期釈放 53.1 54.1 54.7 55.4 57.8
 仮釈放 31.9 32.6 33.7 35.3 36.0
  1)、2)は精神障害者以外も含む全出所者のデータであるが、30〜60%という高い再入所率が続いており、むしろ増加傾向であることがわかる。

3)精神障害者の再犯率
 昭和55年の精神障害犯罪者946例のうち、
  昭和60年12月末までに再犯のみられた例 68例、7.1%
  1981年(昭和56年)〜1991年(平成3年) 207例が合計487件の再犯、再犯率21.9%
  事件後に精神病院に入院294例、うち166例が5年以内に退院、うち21例が再犯
(山上皓ら:触法精神障害者946例の11年間追跡調査(第1報)−再犯事件487例の概 要−。犯罪学雑誌、61-5,201,1995。山上皓:司法精神医学の領域におけるいくつかの課 題。日精協誌、14-9,947,1995)

4)殺人、放火における精神障害者と一般犯罪者の再犯率の比較
1980年から1991年までの再犯数の比較
総人員 再犯 再犯率
殺人 精神障害者 205   14 6.8%
一般犯罪者 180 51 28.0%
放火 精神障害者 139 13 9.4%
一般犯罪者 185 64 34.6%
(山上皓ら:触法精神障害者946例の11年間追跡調査(第1報)−再犯事件487例の概 要−。犯罪学雑誌、61-5,201,1995)

 3)、4)をみると精神障害者の再犯率はむしろ高くない。調査にも限界があるので、単純に結論を出すことはできないが、少なくとも精神障害者の再犯率が高いという根拠はない。


……以上……
REV: 20160125
精神障害/精神障害者 2001全文掲載
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