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UFをめぐる問題と顔にアザやキズのある人々の自己呈示の語り

松本学 2001/06/10
障害学研究会関西部会第11回研究会


松本学
障害学研究会関西部会第11回研究会

日時:2001年6月10日(日) 午後1時30分〜5時
会場:京都教育文化センター

●参加者自己紹介

●報告A:「近づくことと、遠ざかること−『障害がある子の親』の自己変容作業」
 報告者:中根成寿(なかねなるひさ・立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程)

●報告B:「UFをめぐる問題と顔にアザやキズのある人々の自己呈示の語り」
  報告者:松本学(まつもとまなぶ・京都大学大学院教育学研究科博士後期課程)

【レジュメ】

UFをめぐる問題と顔にアザやキズのある人々の自己呈示の語り 
    松本 学(京都大学大学院教育学研究科・ユニークフェイス大阪世話人)

○顔にアザやキズのあるということ
 ユニークフェイス 「疾患固有の容貌」(松本1999)をもとに石井政之氏(ユニー
クフェイス東京世話人/ジャーナリスト)と松本が相談して決めた言葉。以下に説明
する顔の状態を指すとともに、筆者たちが世話人をつとめるセルフヘルプグループを
も指し示す。以下、適宜「UF」と略記。

ユニークフェイス=顔に「ふつう」から逸脱した特徴のあること。
  これは、以下の2つに大きく分類される。
  ・先天性 リンパ管腫(松本)、単純性血管腫(石井氏)、太田母斑、レックリ
ングハウゼン病、小耳症 等々
  ・後天性 熱傷、太田母斑の一部、裂傷、顔面麻痺(ビートたけし)など
  
○ユニークフェイスの特徴
 ・概念の範囲は?
  可視性の身体の違いという大きな枠を作っている。心的な「違い」は含まず、身
体的な「違い」のみを想定している。
  ただし、顔の特異性は可視性のみに規定されているのではなく、倉本の言うよう
に、言説によって規定されている部分が多いにあると思われる。
 ・「障害」か否か?
  少なくともアメリカにおいては障害と認められているようである。
   →雇用保障 cf.映画「ペイフォワード」
   障害と健常の狭間に位置する「どっちつかず」さ。
   →いわゆる「軽度障害」が「障害」に含まれるのに対し、UFは
 ・一般的な顔論の中でこぼれおちるUF
   美しいー醜いの文脈にとりこまれてしまう危惧。
    単に「醜い」のではない。一般の「醜さ」とは違い、顔の
 顔=身体の中でも特権的な場所・アイデンティティの窓
 例)ユニークフェイスの極限形 松本の顔で、オリンピック選手の完成された身体
   ユニークボディの例 乙武氏 顔は「??似」身体は極度に短い手と足。
  ←この対比は、以下に顔が他者に与える印象に大きな役割を果たしているか、と
いうことを示している。
  
 一方、個人的なこと
  私の意識の中では、顔の違いよりも身体の違い(肥満傾向)の方がより意識化さ
れている。これは、また別な話である可能性あり。

○セルフヘルプグループとしてのUF(配付資料参照、会報、案内のリーフレット)

○「私」の立場 
 リンパ管腫を抱えるユニークフェイスの当事者
 セルフヘルプグループの世話人
 ユニークフェイスを抱えることについて考察しようとする大学院生
 
 →ここで、どのような立場で研究をしているのかということを明示する必要がある
と思われる。
 
 ・当事者性を明示することで問題となること
   1研究の客観性が疑問視される。
   2論文の筆者としての「私」はセルフヘルプグループUFの「御用学者」「宣伝
部員」(笑)なのではないかという疑念。
   3当事者の特権性
  
  1について
   そもそも研究の客観性などは存在しない。私の専攻は心理学ということになっ
ていて、学術誌などでは、当事者性の明示自体問題となる可能性が大いに考えられる
が、では、非当事者による研究には客観性が保たれているのだろうか。そうは思えない。
   
  2について
   「御用学者」「宣伝部員」であることを防ぐためには、その可能性について記
述する他はないと考える。
  3当事者が「同類」の研究を進めることは、反論を回避するためではないかとい
う説    必ずしも当事者による研究が、当事者の「世界」の最も優れた記述では
ない。当事者が記述することで、当事者的視点から「問題」が見える可能性があると
いうだけである。特権性というならば、その視点の固有性について言うべきである。
「健常者」には、マイノリティについて配慮する視点が欠如しているとしか思えない
場合が往々にある。
  
   例)6月8日の大阪教育大学付属池田小学校の事件における小泉首相の発言
 
○当事者の自己呈示
 UFであることをどのように他者に呈示するかということ

・「隠す」ストラテジー
1.他者とのコミュニケーションの機会を避けること
2.UFの程度が「軽い」と説明すること。
3.自分なりの信念を形成形成すること。
4.他の「障害」と比較すること。
5.他者への働きかけをおこなうこと。
6.化粧をすること。

.第1節 コミュニケーション機会の回避
Bさんは、顔の変形というアザやキズを抱える女性
アザやキズを隠すために、頭髪を長く伸ばしているが、どうしても隠せない部分があ
る。Bさんは、自分のアザやキズをずっと気にしてきた。

B−1
小学校や中学校で強烈ないじめはなかったんだけど、自分の顔のことを笑われたり、
言われたりしたから、それから、「さらけ出したらいかん」と思って隠すようになっ
た。そう言う気持ちが自分の中に植え付けられてしまった。
Bさんは、手術以外に自身のアザやキズを隠す外的な手段をもたないことが語りから
伺えた。よって、Bさんの場合、アザやキズを隠すためには人との接触を最小限に限
ることになったと思われる。興味深いのは、強烈ないじめではなく、アザやキズにつ
いて「笑われたり、言われたり」というだけで、自分の意識の中に人とのコミュニケ
ーションを回避する意識が働いてきたということである。

B―2
中学、高校とクラブをやってたんだけど、みんなといるのが、しんどくて、やめちゃ
った。コミュニケーションを取るのが困難で、文化祭でも最小限のことで帰ってまし
た。大学に入っても、軟式テニスのサークルにはいったんだけど、みんなが腫れ物に
触るような態度だったから、コミュニケーションが取れなくて、みんなが「違う人種
」に見えて仲間と思えなくて、2回目からいかなくなってしまった。自分がいやだけ
ど、しんどいよりいいかと思った。
中学・高校・大学とも、クラブや文化祭などの課外活動は、極力避けていたと語る。
ここには、Bさんを「違う人種」であるかのように特別扱いする周囲の人たちがあり
、そのような特別扱いの「しんどい」対人関係を続けるよりも、接触を避けるように
なったと語っている。しかし、Bさんにも危機感が訪れる。

B-3
就職活動を迎えたとき、今までは勉強さえできればいい子だったのに、就職活動で面
接官に向かい合っても自己表現できないで、自分を否定してしまったんよ。そんで、
8月で就職活動やめて「公務員を受ける」ってきめた。でも、そのとき、「このまま
では、社会でいけてへんわ」「うけいれられへんわ、このままでは」って思って全部
顔のせいにして、大学卒業してから、手術してん、三年かかって計7回。

ずっと避けてきた自己表現をする必要にBさんは追い込まれる。しかし、ずっと避け
ていたものとすぐに向き合うことはできない。Bさんは自己表現できない理由を顔の
アザやキズに求める。そこで、大学卒業後、就職活動をせずに形成外科の手術を合計
7回受けることになる。しかし、手術後も手術前と同様に、アザやキズはBさんの顔
に残り、それがBさんにとって大変な引け目になってきた。この場合には、他者のア
ザやキズに対する否定的な反応を、「当然のもの」として認知することができず、人
とのかかわりを避けることを中心課題としてしまっていた。
もう一つ、Bさんが積極的に自己表現できない理由としてあげたのは、父親のアザや
キズに対する態度である。父親はBさんと話すとき、Bさんに目をあわせない。

B-4
父は、鏡に映ってる私の顔見てな、「おまえと初めて会ったやつは、ほんまにびっく
りするやろうな。芸術品みたいやもんな。」とかな、小さいころ、「どうせおまえは
結婚できひんから」「なんで?」「みてみ、おまえの顔!」って言ったりした。

Bさんは、父親に幼いころから、顔のことをこのように否定的に言われてきた。父親
は彼女と視線を合わせないという。「お父さんこそ私に向き合ってないわ。」とBさ
んは語る。Bさんは、現在でも父親と話すことは非常に苦手であると語る。ここであ
げたようなBさんと父親の間の葛藤が、Bさんのコミュニケーションの回避に大きな影
響を与えていると思われる。

.第2節「軽い」自分の呈示
・自分のアザやキズとその苦悩が非常に軽度で些細なものであるという語りが見出
された

*「軽度」「障害者」の語りと対照的。
 軽度の人たちは、自分たちの「障害」を既存の「障害」というフレームの中に回
収しようとする?一方、UFの人たちは自分たちの「違い」を「健常」のうちに収めよ
うとする。

 
Jさん(男性)=化粧によって顔のアザやキズを隠さない。
30歳を過ぎてからの整形外科での皮膚移植手術

J-2
小さい頃って仲間になっていってしまえばみんなで遊べた時代だから、ないな、いじ
めなんて。小学校の転校のときの挨拶では、事前にあった。班分けで敬遠してたりし
たことはあったけど、小学校のときの友達に会ったときには、いじめはなかったけれ
ども、人と違うから敬遠はしたよね。でもそれも最初だけだよね。4年12月転校。5年
生でクラス替えするときは何にもなかった。

 Jさんの場合、アザやキズについての語り全体が、非常に軽い語り口で、語られる
。Jさんはまず、「人と違うから敬遠はしたよね」と自分が転校したときに避けられた
経験を述べる。しかし、そのあとで必ず、「でも」などの逆接接続詞を使用して、J
さんにとって「敬遠」は些細なことだったと語る。「でもそれも最初だけだよね。」
というように、避けられた時期を狭く限定することによって、避けられたことの意味
の小ささを語ろうとする。これはJさんにとって、「避けられる」ということがどの
ように位置付けられているかということを踏まえて論じるべきである。

J-3
田舎だから、助かっているのかなあ。小さいなりの仲間うちができてるから、時々は
けんかしてると「変な顔」っていうのがでたよなあ。でもそんな程度だよなあ。所詮
子どもだもんな。仲直りしちゃえば。今のように親が出てって、ていうのはないんだ
わ。小学校入って、上級生がもの珍しいから来るよね。でも、そんな程度だよなあ。
まわり仲間いたからね。そういうの恵まれとったからね。意識もしてなかったし。で
、そのままいっちゃうでしょう?だから、ないんだわ。いじめってのはないし。

ここでも、「けんかしてると『変な顔』と」と言われたことを語っているが、そのあ
とに「でもそんな程度だよなあ」と述べてアザやキズについて不快なことを言われた
ことを「軽く」意味付けしている。これは、J−2で見られるのと同様の逆接関係で
ある。Jさんが自分の顔の経験をこのように表現することで、聞いている他者もアザ
やキズに対するネガティブなイメージを軽減することができると考えられる。つまり
、この語り方は当事者本人の悩みの軽重にかかわらず、むしろ他者に対する顔のアザ
やキズについて「軽い」自分の呈示であると思われるのである。
さらに、この語り方は、当事者自身の自己イメージにも少なからぬ影響を与えてい
ると思われる。このインタビューは筆者が当事者性をいかして行ったものであるので
、このような語りが得られている可能性もあると思われる。よって、Jさんの語りは
、筆者との語りにおいて、かろうじて聞き取れる。Jさんが、一般に他者と語る場合
には、いじめや、言葉による指摘をかつて経験したことすら語ない可能性が高いと思
われる。
なぜ、Jさんはこのようなストラテジーを選択するようになったのだろうか。Jさんは
、男性であり、化粧をすることは、念頭にない。顔にアザやキズを抱え、それが化粧
などで隠すことができない人の場合、自分のつらい気持ち自体を「隠す」ことで、自
分の印象を保とうとする効果があると思われる。実際に彼は以下のように語っている。

J-4
グループUに来たから俺も単純性血管腫っていう名前を覚えたくらいで、単なるアザ
だと思っとったわけだから、それほど気楽に受けとってたのよ。だから、血管腫って
いう言葉を覚えてたから、それまでは、「生まれつきですよ」っていうことしか言っ
てないの。細かいこと言っちゃったら、自分の思いをぶつけることになるから、そこ
までしたら聞いてる方は重たくなるから、だからこっちも生まれつきなんですよって
言っとけば、向こうも「はあー」で、過ぎちゃうし、それで、もうわかっちゃうだろ
うし。だから真剣に長く付き合うやつには言ってもいいだろうけど、会社の連中には
言わないよね。だから、小学校から知ってる連中は知ってるよ。いろいろ言ってるか
らね。自分の中で生きやすくするためのすべだよね。逆にいえば。そういうのが、だ
んだんと身についてるというか、身につけてると言うんだろうね。其の辺の判断、こ
こまでは言っとけばいい、これ以上は必要ない。

「気楽にうけとってきた」というように、Jさんの場合、ある程度顔についてのこだ
わりが弱くなってきつつあることが考えられる。しかし、こだわりが少なくなってき
つつあると仮定しても「細かいこといっちゃったら、自分の思いをぶつけることにな
る」という語りは、Jさんが顔について悩んでいる事実を示すとともに、この話題がJ
さんにとって語るに落ちる話であると考えていることを示している。これは、さらに
明確な「その辺の判断、ここまでいっとけばいい、これ以上は必要ない」という語り
によって、「いきやすくするためのすべ」、つまり自分が「いきやすくなるための」
ストラテジーであることが明らかになる。つまり、この「軽く」語る語り方は、すで
に他者とのコミュニケーションを円滑にし、自分が苦悩していないことを自分に確認
するためのストラテジーなのである。以下にJさんの他者に対する自己呈示の仕方に
ついての語りを見てみたい。

J-5
(初対面の人に自分から説明をしますか?)
あ、自分からはしない。どうされたんですかって聞かれたときに、「生まれつきの血
管腫なんですよ」っていうだけ。そっからあと細かい話はしてもわかってもらえない
だろうし、してもしょうがないからね。要は生まれつきでこういう顔なんですよって
ことだけを言えばいいから、という、僕は、解釈をしている。要は生まれつきなんで
すよっていう、それが一番の、ポイントじゃないかな。で、生まれつきっていえばみ
んなわかってくれるだろうって。わからん人はそれもあほやぞって思っとけばいいか
なって。だから、それだけしか。あとは細かい話はしない。
前に見たように、「軽く」呈示する語りは、他者との関係性を第一に考える。Jさん
は、「どうされたんですか」などと、自分の顔の違いを他者から尋ねられた時にだけ
、「生まれつき血管腫なんですよ」と返答する。血管腫がどのような病気なのかとい
うことはあえて語らないで、このように簡単に病名だけを答えることだけで、こうし
た場面を切り抜けてきた。とにかく他者に向かって伝えるのに必要なことは、「要は
生まれつきでこういう顔なんですよってことだけを言えばいい」、とJさんは言う。
確かに医学的な説明は必ずしも相手に対して好印象を与えるとは限らない。血管腫と
いう病名を聞いても、この病名からイメージを喚起できる人がほとんどいないと思わ
れる。しかし、ここには、先にあげたように、自分の疾患を「軽く」見せようとする
ストラテジーが働いていると思われる。

.第4節 他の障害との比較
・アザやキズ以外の障害との比較の視点を導入すること
  身体障害など、より機能的な障害を抱えているとわかりやすいものとの比較が目立つ
  
  →機能的な障害とアザやキズを抱える辛さの比較を行うことで、顔のアザやキズ
が「軽い」ものであることを、主に自分自身に言い聞かせる
  
Vさん 顔にキズを抱える人
キズを抱えているために、化粧について抵抗感があった。
V-1
(あの、その知っている友達と言うのは、Vさんに比較してひどいキズに見えた。だ
けど、ひどいキズなのに、化粧をやってると言うのは安心になりませんか。)
そうですね、安心になりますね。やっぱり、私よりも浅いキズだったら店員さん言わ
ないかも知れないですけれども、まあ、浅いキズの人がやってて、もし仮に店員さん
がそういった場合、私よりも浅いキズの人がきれいになったっていうことは、やっぱ
り私のほうがひどいんだな、なんか、あんまりきれいになれないなっていう。
(自分よりもひどいキズの人がやっていけてるということは励みになりますか。)
励みにはならないですね。その場で「あっそっか」っていって、その場で自分の気持
ちが盛り上がったという程度で、それ以降は別に、あたしよりひどいキズの人がちゃ
んと化粧できて楽しく、暮らせてるんだと言う気持ちは持ちつづけはしない。
(その場で盛り上がると言うことはどういうことでしょうか。)
その場で、自分の気持ちが、じゃその人にお化粧してもらおうかな、っていうプラス
の方向で、向かうっていう、それを盛り上がるっていったんですけど。
(プラスの方向で盛り上がる・・・・何でプラスにもりあがるんでしょう?)
(笑い)・・・・・・・・・・そこまで考えたことない。
 Vさんはかつて化粧品売場の店員に顔を見られてぎょっと驚かれるという不快な経
験をしている。そこで、化粧品売場と化粧に対して抵抗感があった。化粧はキズを隠
すためのものであり、楽しむものではなかったと思われる。そこで、ある女性の店員
に出会う。Vさんは、そこで店員の知人に同様のキズを持つ人がいることを聞く。そ
の知人はVさんよりもキズが「ひどい」状態であるが、それでも好きな化粧をしてい
るという。それをきいてVさんは、「気持ちの盛り上がり」があったと述べる。より
キズの深い人でも化粧に積極的であり、きれいになることを聞いて、自分も化粧によ
ってもっときれいになると考える。そこで、Vさんは気持ちが盛り上がるのである。
この背後には、顔にアザやキズを抱える人の、化粧に対する心理的距離が狭められた
喜びと、キズのある自分でも化粧ができるという喜びであると思われる。そして、こ
のこと自体は決して否定されるべきものではない。

★問題なのは、
・社会の価値観に影響される当事者像をみる。
1ほかの障害と比較して顔のアザやキズは「軽い」ものであるという価値観は、当事
者にとって、より耳触りのよい形で入ってくる。
2比較することで、結果的にはよりひどいキズの人を、語りかける人とともに貶める
。 3自分の位置を「健常」の側に引き寄せている可能性がある。

*注意すべき点は、語りかける人の視点からは、どちらも同じ「キズのある人」であ
り、この点で「健常」ではないのである。つまり、当事者にこのような比較の物語を
語る人は、当事者を他の当事者と引き比べることによって安心させて、あたかも「健
常」の領域に近づけておくようにしながら、実は、比較の土台には、「健常」との違
いがあり、その意味で、当事者を自分とは違う「健常」でない人として貶めているこ
とになると思われる。

.第5節 他者への働きかけ
・「フレームを変える」
当事者が他者に対して積極的に働きかける場合
  
N-1(観察事例)
Nさんが電車を降りると私は彼が電車の方に向かってぺこぺことお辞儀をしているの
が見えた。私はいぶかしく思った。だれか、知り合いでも乗っていたのだろうか。車
内に目を移すと若いカップルがこちらを見て戸惑いながらお辞儀をし返していた。私
がまたNさんの方に目を移すと、何とNさんは顔に笑顔を浮かべながらお辞儀をして
いるではないか。

 Nさんは血管腫の当事者である。電車から降りると、すぐに電車の中の見知らぬ他
者から視線を浴びていることに気がつく。そこで、Nさんは、その凝視を緩和するた
めに、笑顔を向けるのである。この場面における笑顔について、いくつかの想定がで
きる。私たちは顔によってその人の属性を想定しようとする。顔にアザやキズがある
ことで、私たちはこの属性を想定する過程が阻害されることになると思われる。
 
 上記の例においても、Nさんは顔にアザやキズを抱えており、そのため肌の色と形
状に特異性がみられる。周囲の視線を受けたNさんはこのままでは見世物小屋的な好
奇の視線にさらされることになるのである。このような状況の中で呈示された笑顔は
、いくつかの重層的な意味を表していると思われる。まず、笑顔は、Nさんを凝視し
ている人に対して友好的なメッセージを発する。さらに、Nさんが一個の人格をもっ
た存在であることに気付かせる。
しかし、Nさんの側からみると、笑顔を呈示することで敵意のないことを表明し、ア
ザやキズにたいする不安感から解放し、他者との関係を良好に保つとともに、一方的
凝視を拒絶していると思われる。同様の例は、Cさんでもみることができた。Cさん
も顔にアザやキズを抱えている。

★近似の例
 阿部更織さんの例
  cf.石井、2001 p91-121
  *阿部さんの場合、笑顔ではなく、カツラを非常に頻繁に変えることでカツラの
意味を異化している。

・もっと積極的に他者に対して働きかける例

Tさん=化粧などをしてもアザやキズを隠すことが出来ないし、手術をしても現時点
では、根本的な解決にはならない。
→Tさんにとって不快な場合「声かけ」や「にらめっこ」などの働きかけによって、
他者の関心をそらす

T-1(E-mail)
声かけをするようになった時期は、はっきりいつ頃だったか覚えてはいませんが、多
分高校入学してすぐだったように思い出します。誰に言われたのでもなく自分なりに
考えて行動に移したのです。通学の行き帰りや私用で出かけ電車に乗るたびに人々の
視線を感じていて、いてもたってもいられなくなりました。まだ一人の人の視線でし
たら多少我慢はできますが、相手が二・三人連れの場合はじろじろと見たあげくに「
ヒソヒソ」と、何やら言っているのを見ると頭に血がのぼってしまいました。このま
までは本当にいつまでも「ヒソヒソ」話されるのかと思い何か良い解決法はないかと
、思案して出た答えが「声かけ」でした。声をかけられた方も突然声をかけられたの
で驚いたのでしょうね。「別に」と言って去って行きました。

★「自分なりに考えて行動に移した」というように、Tさんは一人で何のモデルもな
しに「声かけ」を始めたと思われる。Tさんは「通学の行き帰りや私用で出かけ電車
に乗るたびに人の視線を感じて」おり、「ヒソヒソ」と内緒話をされているのをみて
、「頭に血がのぼって」しまい、その不快さを解決するために「声かけ」を始めたよ
うである。声かけの結果、不快な状況は、取り除くことができた。しかし、「声かけ
」という働きかけには、非常に「勇気と努力」を必要とする。

T-2(E-mail)
最初は視線を感じるだけで電車に乗るのにプレッシャーを感じていたのに、「声かけ
」にはすごく勇気と努力がいりましたけれども、二・三度繰り返すうちに慣れてきま
したね。ただこの「声かけ」は一人の時に限ってでした。友達と一緒の時は話に夢中
になっていますので、あまり視線を気にせずに乗っていられましたが、途中から一人
になると、もういけませんでした。ひしひしと視線を感じました。
この「声かけ」はいつもするのではなく、あまりにも露骨に見ている人に限ってです
。いちいち一人一人に「声かけ」をしていてはこちらの方が疲れてしまいます。

★Tさんは「声かけ」をすることには、「二・三度繰り返すうちに慣れて」くるもの
といいつつ、「あまりにも露骨に見ている人」に限ると語っている。そこでTさんは
さらに他者の視線への対処の方法を考案する。「にらめっこ」である。Tさんの顔を
見る他者と「一寸たりとも視線を離さずに見つめ合う」方法である。

T-3(E-mail)
「にらめっこ」の件ですが、この方が「声かけ」よりも少し早かったように思います
。多分中学2年生くらいではなかったでしょうか。「声かけ」の方が、見知らぬ人に
声かけるのですから努力と勇気が必要ですし、声かけすることによって私に気づいて
いなかった人までが、私に視線を向けるのではないか、と思い自分なりにこれも考え
出した案です。成功率は高いですね。私の場合は100%と言っていいくらいに成功
しますね。「声かけ」と同じで最初は見知らぬ人と一寸たりとも視線を離さずに見つ
め合うのですから、ストレスがたまらないわけありません。それに何か因縁をつけら
れたらまた恐いです。中学生にしては大胆な行動を取りすぎたか、と思います。

★このようにしてストレスを抱えながらTさんは「にらめっこ」や「声かけ」によっ
て露骨な他者の視線に対処しようとする。しかし、この二つの働きかけは、Tさんに
とって大変な負担となる。

T-4(E-mail)
慣れてくるにしたがって「今日は何分で相手が根負けするか・私は何分で勝利者にな
れるか」と思うようになりましたが、その日は精神的に疲れてしまい、何もする気が
起きませんでした。
 
 
★「にらめっこ」をした日には、そのあと「何もする気が起き」ないほど、T3を精神
的に疲労させるのである。そこで、現在では「にらめっこ」も「声かけ」もあまりし
なくなったと語る。

T-5(E-mail)
最近は両方ともあまりしなくなりましたね。多分まわりの目を気にしないようになっ
たのか、と思います。気にしていては、何処にも行けませんし、何もできなくなって
しまいますから。でもときどき、痛いほどの視線を感じる時がありますけれども、無
視するようにしています。「気の毒な人がいる」と思うようにしています。

 Tさんは最近「痛いほどの視線を感じる時」があるが、このような視線を向ける人
を「気の毒な人」として「無視するようにして」いると語る。「確実な防衛策」であ
るこの働きかけをしなくなった理由として、「まわりの目を気にしないようになった
」と語る。日常的に他者からの視線を浴びるTさんは視線を気にしていると「何もで
きなくなって」しまうのである。アザやキズやアザやキズがない人であればあまりす
ることのない「にらめっこ」や「声かけ」をしながら、Tさんは<他者は視線を向け
るものである。>という「準拠枠」を形成したと考えられる。そしてこの「準拠枠」
がTさんの視点として定着したとき、他者の視線に対処するTさん自身の心の鎧とも言
うべきものが形成されたと思われる。

.第6節 見せ方の工夫

★自己への見せ方
G-2
どうきれいに写ろかなと思ったり。どっち向いたらいいかなとか。いつも真正面から
撮るのが多いから、なんもせえへんけど、横向いたりするときは、絶えず友達と反対
の方向に行くの。上から撮ったら分かりにくいけど、ちょっと顔の角度をかえて撮っ
たら、プリクラの機械にもよるけど、ちょっと角度変えたら、普通にやってるよりひ
どく写ったり、っていうのがあるから、なるべく、光加減とか気をつけて撮ってる。
 筆者自身も無意識のうちに行っていることであるが、Gさんは自分のアザやキズが
わかりにくい角度で写真やプリクラの写り方を工夫する。また、Dさんは結婚式で花
嫁として自分をどのように見せるか悩んでいる。

D-1
結婚式だとね、ビデオをね、ホテルの人とか、親戚とか、友達のカメラマンが撮りま
くるんですよ。そうすると、特に新婦は照明のライトで浮かび上がるんです。右のほ
っぺたが腫れているでしょ。髪型をアップにして、こっちがわからみられるとわかる
わけですよね。耳のところにアザが残ってたりして、化粧で隠すといっても限界があ
るんですよね。自分が納得したいから、会場内で最低でも50人位でもいて、いろんな
角度からみられるじゃないですか。行くたびに考えてしまう。いつ結婚するかわから
ないけれど、みんなどう言うふうに結婚式の準備の進め方をやってはったんかな、自
分のときはどうしたらいいんやろ。結婚写真って一生のこるでしょ。自分の写真はや
っぱりそれなりにきれいに写ってるなあとでも思いたいわけですよ。顔のバランスと
か、自分の納得できるようにしたいな。まだ、アザだけだったらいいけれど、これ以
上手術を重ねてもふくらみを押さえることは絶対できないじゃないですか。ふくらみ
は自分の力だけじゃ絶対できないから。

★アザやキズの見せ方の工夫として、アザを化粧で隠すことの意味

・化粧には2種類のものがある
1完全にファンデーションでアザを隠す化粧
2アザがわかるように薄くファンデーションをつけるアザが見える化粧
 アザを隠す目的→
 
 化粧をはじめるきっかけ
 1親の勧めによるもの 比較的早い時期(例幼稚園入学など)が多く見られる
 2本人の希望によるもの
   社会的な規範からはずれない様に、高校卒業後などに母親が化粧を紹介すると
いう例が多い
   
   。
・アザを化粧することの背景
  1アザを隠すと言うよりは、アザがあることで自分に集まる視線を解消するため
    理由)アザをそのままにしていると、見知らぬ他者からの視線を集める。雑
踏の中、電車の中など、多くの人が集まったり、見知らぬ人と同席する場面では、人
の視線はアザに集中する。アザを隠さずに生きることは、こうした無遠慮な視線と対
峙しながら生きることなのである。ここに、アザを隠す積極的な意味が出てくると思
われる。
    
    
アザを化粧によって隠すことで起こること
1当事者は自分を見る視線の減少に驚くということ
2「化粧が濃い」という物言いにさらされること。
  この言葉のもつ意味
  1.化粧が濃いという事実の指摘
  2.本当は年齢などを隠しているということの指摘
   2は、普通の状況では、年齢を隠すことへの揶揄であることが多いが、アザを
抱える当事者の場合、当事者本人にはアザを指摘されていると感じられる。そこで、
当事者には、化粧に対する疑念が生じる。
   
   
・Aさんの場合
 もともとの生活への想起が起こる。アザをさらして生きてきたのだから、大丈夫だ
という想起。ここには、幼い頃から愛されているという自信も少なからず影響してい
るだろう。
・すっかり隠してしまうようになる場合

.参考文献
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n:Springer-Verlag 仁平義明(監訳) 1995 人間にとって顔とは何か 講談社ブル
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Glaser,B.&Straus,A. 1967 The discovery of Grounded theory Aldine 後藤隆・
大出春江・水野節夫(訳) 1996 データ対話型理論の発見―調査からいかにに理論を
うみだすか 新曜社
Grealy,L. 1994 Autobiography of a face Witherspoon Associates 実川元子(訳)
1998 顔を失くして「私」を見つけた 徳間書店 
Goffman,E. 1963 Stigma;Notes on the management of spoiled identity Prentice-
Hall 石黒毅(訳) 1970スティグマの社会学 烙印を押されたアイデンティティ せり
か書房 
Hughes,M.J. 1999 Social concequences of facial disfigurement Ashgate
Langness,L.L.&Frank,G. 1981 Lives:an anthropological approach to biography C
handler&Sharp Publishers 米山俊直、小林多寿子(訳) 1993 ライフヒストリー研究
入門  ミネルヴァ書房
Lansdown,R. et al. 1997 Visibly different Coping with disfigurement Butterw
orth-Heinemann
Macgregor,F.et al.1953 Facial deformities and plastic surgery Charles C Thom
as Publisher 石井英男・台弘(訳) 1960 顔の変形と整容の心理 医歯薬出版
Partridge,J. 1990 Changing Faces A Changing Faces Publication
足立智昭 1999 障害を持つ乳幼児の母親の心理的適応とその援助に関する研究 風
間書房
足立智昭 2000 日本発達心理学会第11回カレント・トピック配付資料 東京女子大
足立智昭 2001 障害をもつ家族のソーシャルサポート (講座心理臨床学 第6巻
東大出版  印刷中)
石井政之 1999 顔面漂流記 あざをもつジャーナリスト かもがわ出版
石井政之 2001 迷いの体 三輪書店
川喜多二郎 1967 発想法 中央公論社
佐藤郁哉 1992 フィールドワーク 書を持って街に出よう 新曜社
豊田正弘 1998 当事者幻想論 現代思想26(2) 100-113 
長瀬修 2000 障害学の散歩道 明石書店
南雲直二 1998 障害受容 意味論からの問い 荘道社
中田智恵海 2000 セルフヘルプグループ−自己再生の援助形態 八千代出版
平山 峻(編)1994 QOLのためのあざの診断と治療 文光堂
松本学 1999 容貌の自己受容―口唇・口蓋裂の場合― 現代文明学研究2 88-106
松本学 2000 隠蔽された生きづらさ−「ふつう」と「ふつうでない」の間の容貌 
看護学雑誌5月号 407-412
宮崎清孝 1998 心理学は実践知をいかにして越えるかー研究が実践の場に入るとき
 (佐伯胖 他 心理学と教育実践の間で 東京大学出版会 57-101)
宮田留理 1996 顔に変形を生じた人々の自己呈示 頭頸部癌の手術を受けて 看護
研究29(6) 485-496 医学書院
やまだようこ1996 映画「羅生門」にみる証言の場の多重性―当事者・目撃者・傍観者
の語り (目撃者の証言 法律学と心理学の架け橋 現代のエスプリ350 至文堂 18
8-194)
やまだようこ 1997 モデル構成をめざすフィールド現場心理学の方法論 (やまだ
ようこ(編) フィールド現場心理学の発想 新曜社 161-186)
やまだようこ・田垣正晋・保坂裕子・近藤和美 2000a 阪神大震災における「友人
の死の経験」の語りと語り直し 教育方法の探求3 63-78. 京都大学大学院教育学
研究科・教育方法学講座
やまだようこ 2000b 人生を物語ることの意味―ライフストーリーの心理学 (や
まだようこ(編)人生を物語る―生成のライフストーリー ミネルヴァ書房 1-38)
吉川左紀子・益谷真・中村真編 1993 顔と心―顔の心理学入門― サイエンス社

 

【質疑応答】
 *再録:土屋貴志

(E)研究の方向性は、隠していく・認知してもらう、のどちら?
:両方。隠すことも一つの自己呈示。
(B)ユニークフェイスは隠そうと思えば隠せるが、自分たちのような車椅子ユーザ
ーは、社会との関わりを全くなくす以外に隠すことができない。関わりをなくすこと
は共に生きていくことと反対。自分の障害に向き合って、障害をわかっている人を増
やすことが大切だ。隠すことは絶対にやらないでほしい。
:UFの場合は既存の「障害」に入らない。隠さないでカミングアウトできる人は、そ
うして頂くが、強制ではない。一方、UFの活動は、メディアを積極的に利用すること
で、社会的に周知をつとめている。
(B)隠しても生きていける状態。コンプレックスは残ったまま。
:おっしゃるとおり。カミングアウトの第一歩は、例会に出てくることだと思ってい
るが、例会に出席するメンバーは固定化する。だが、強制はできないし、引っぱり出
すこともできない。その根底に親との関係性の問題があると予測している。
(B)やはり障害を受け入れて障害と共に生きることが大切。
(O)コンプレックスは誰しも持っている。コスト・ベネフィットを計算して隠すの
を非難しないし、責められない。自分の選択を周りが尊重するべき。
(H)隠すこととがコンプレックスの顕れとは限らない。医療関係者も親も同じよう
に「隠すな」と言っている。隠すことによって無用な対立を避けることもセルフヘル
プグループで教えるべき。「受容」とか「向き合う」も、単純にしてるか・してない
かの二分法ではない。ある程度うまくいけばいい。
(G)しかし逆に親などから「隠せ」と言われ続けてきた場合は、隠さないことで解
放される。自分は病名を言うことで解放されたいのだが、周りの圧力があって悶々と
する。
(A)それを前提とした上で、それぞれの生き方を見つけようとしている。社会的圧
力をなくしていくことは大事だが、個々の行為に関して一般論で良いとか悪いとかは
語れない。
:UFはとりあえず場所を提供できた。各家庭に入ってちゃぶ台をひっくりかえすこと
はできない。
(K)見た目は、社会によってつくられる面だけでなく、アイデンティティ管理をし
、自分でつくっていく面もある。
:この研究会で自分が当事者として話すことで反論を押さえつけているところもある
。研究者としての立場になかったとしたら、隠して生きていたかもしれない。しかし
活動としてはそういう対処法はNO。
(H)軽度障害の場合たしかに「障害」のほうにベクトルが向く。健常者にベクトル
が向く人は多くない。このあたりを詳しく説明してほしい。
:UFの場合「健常」におさめようとするというのは、かっこよくないけど五体満足だ
し人間性や他のところで頑張ればいいじゃないか、というようなこと。制度もないし
、健常と一緒にせざるをえない。違いと言うことが罪のような感じがある。研究を始
めるときにも、この研究をして良いのか悩んだ。UFと出会って、いいんだと思えるよ
うになった。それは問題ですらないという意識が働いていた。
(H)自分が軽度障害のことを考えたきっかけは、車椅子の人の自立とかいうのと自
分とはニーズが違うと感じたこと。自ら軽度障害の研究するのに抵抗は全くなかった。
(L)UFは障害?
:「障害」と「健常」の中間点にある。健常だけれど障害みたいな困難が生じている
。軽度の場合は障害のカテゴリーに入っているが障害なのか、という困難。必ずしも
障害とか健常とラベリングできない。
(B)UFは個性だと考えているか?
:個性とは考えられない。「個性」ということばをつかうことで、単に「障害」を前
向きにとらえているおめでたい研究・団体とは受け取られたくなかった。
(B)私も障害個性論には反対。やはり障害は生き様であって、個性で片付けられる
と、逆に障害を避けているように思う。
(A)それは障害個性論が語られた文脈を理解していない読み違え。障害個性論は、
個性なのか個性でないのかはどっちでもいい。健常者が正しい・よい、というタテの
関係を、ヨコの関係に置き換えるための戦略の一つにすぎない。牧口さんは最近は「
違うことこそバンザイ」と言っている。
(M)何人に調査し、男女比は?
:23名。うち男性6名。女性17名。
(A)ジェンダーの問題が関わる。男たるもの気にしてはいけない、というのがあっ
たりする。
:気付いており、「顔とトラウマ」にも簡単に記述しているが、今回の調査では、そ
こまでふみこめなかった。今後の課題として取り組みたい。
(O)ジェンダーに関連したユニークフェイス的な問題として、禿の問題がある。須
長さんという方は、ジェンダーに特に注目して禿の社会学を実践している。見られる
、ということには必ずジェンダーの要素がかなり多く含まれている。
(H)メディアに出ているUFの人は男性が多い。
:その通り。女性は顔を隠していたりする。世話人も男ばかり。
(K)「見た目のつくられ方」という講座を企画している。性と障害にかかわっての
見た目差別の問題をとりあげたものです。松本さんにも講師として参加してもらう予
定です。企画中なので、講師などいい情報があったら教えてください。
(N)他の障害との比較について、もう少し。
:例として、見せ物小屋やサリドマイドのビデオを見せるやり方などがある。日常的
に励ましの方法に使う。「結婚できなくても、あなたはそれで生きていける」等とし
てUFの問題をなくしてしまう。

●参加者 計25名

(以上です)


UP:2001
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