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障害者反差別論序説

―「障害−障害者とは?」―

三村 洋明

last update: 20160125



第1章 障害−障害者とは?
第1節 様々な障害者規定について
(1)「〇〇の不自由な」という規定批判
(2)「障害をもつ」という論理批判
(3)WHO(世界保健機構)の障害者規定批判
(4)「障碍者」という規定批判
(5)障害=レッテル貼り−障害=スティグマ論批判
(6)「」をつける論理批判−「障害」者と「障害者」                                        
第2節 運動の方向性に直接的につながる障害者規定−障害・障害者観
(1)発達保障論とその批判
 (2)障害個性論の歴史的意義とその限界
(3)障害個性論から障害関係論へ
(まとめ)
第2章 障害者差別はどのようなこととしてあるのか?−障害者差別の存在構造−
第1節 障害者差別はどのようなこととしてあるのか?
(1)障害者規定について
(2)障害者差別における「できない」−「できる」を巡る言説
  (イ)どのような「できる」−「できない」が問題になるのか?
  (ロ)なぜ「できる」−「できない」が問題になるのか?
  (ハ)「生物学的事実」の問題
 (3)ICIDH2との対話
第2節 障害者差別はどのようにして生まれるのか?
第3節 障害者差別の三つの性格
(1)方法論−脱構築することとしての三つの性格
(2)三つの性格
(イ) 経済的性格/(ロ)政治的性格/(ハ)文化的性格
(補節)障害者にとっての「労働」
第3章 障害者差別の形の違い−差別形態論
第1節 絶対的排除と相対的排除
第2節 排除型の差別と抑圧型の差別
第3節 差別の型−差別形態論各論
(1)抹殺/(2)隔離/(3)排除/(4)抑圧/(5)融和/(6)同化
(補節) マージナリティと差別形態論
第4章 障害者差別各論−「障害別」分断を超えるために!
第5章 障害者反差別運動論
第1節 人権論−倫理主義批判
第2節 「融和としての共生論」批判
第3節 政治利用主義批判
第4節 「障害者運動における排外主義」批判
第5節 反差別運動論−共生論
あとがき



 わたしは、ここ何年にもわたって、「障害とは何か?」という問いかけをしてきたのですが、ほとんど反応が返ってきませんでした。欧米では、議論を始めるときには、言葉の定義から始めるというはなしがあります。日本にはそういう習慣は無い、と言ってしまえばそれで終わりでしょうか? しかし、少なくとも学を問題にしている人たちからは、そのあたりの問いかけへの反応は何かあるはずだとの思いを抱いています。そして、そもそも障害者運動ということをちゃんと問題にし、語る人たちにとって、その方向性をだしていくためには、「障害とは何か?」という問いかけをしないままに、方向性が出せるのだろうかという思いがあります。まずこの対話が成立しないということから問題にしたいと思います。

(1)
 まず、障害者運動が起きる以前の障害者規定のとらえ返しの作業をしてみます。この時代には、障害の規定をしてきたのは、障害者ではなく寧ろ健常者であったと言う歴史があります。健常者が障害者を自分たちと違うと規定して、区別―差別することの中で、障害者差別がおき、そしてそれを障害者自身も受け入れていったと言う歴史があります。'障害者'という言葉自体は新しいもので、最初は個別「障害」をさすことばから始まり、「障害者」に近い総称としては、「不具」「片輪」と言う言葉となって現れていたと、文献的には、はっきり示しえないままに書いてしまいますが、ずれは起きないだろうと思えます。ともかく、「障害者」という規定をしたのはほとんど「健常者」と言われるひとたちで、しかもその規定内容を深化させる必要を感じたのも、政事をおこなうものだったと言えるのではないでしょうか? だから障害規定をしてきたのは健常者で、障害者にとっては押し付けられたものだから、障害者自身が自ら「障害とは何か?」という問いかけをすることもなかったという「最初の歴史」を押さえます。
 ともかく、親や関係者の代行主義的な運動の中で、健常者から押さえこまれていた中から、障害者差別を問題にする障害者自身による新しい障害者運動が生み出されます。なぜ、その中で障害者自身によって、「障害とは何か?」という問いかけがなされなかったのでしょうか? いや問いかけはあったのかもしれません。わたしが不勉強で、ちゃんと過去の資料を当たっていないだけかもしれません。わたしがはっきり押さえているのは、「障害者とは障害者差別を受けるものである。」という全障連の規定です。この規定には深い意味があります。しかし、「障害者という言葉を障害者という言葉で説明している同義反復だ」という批判があり、それにどう応えたのでしょうか? その批判との対話の中で、それ以上に深化していく必要があるにもかかわらず、「そもそも差別とはレッテル貼りで、レッテル貼りに中身など無い」というようなとらえ方もあったのか、深化の停止に陥っています。もうひとつ、チャント問いかけがなされなかった理由が考えられます。それは、新しい障害者運動の流を生み出した中心にいたのが脳性マヒ者の団体「青い芝の会」で、彼らの運動は、絶望からすべてが始まるというような性格の運動だったということがあります。彼らの「生きるために」と突き出された行動綱領の中には、「わたしたちは問題解決の道を選ばない」という項があります。「問題解決の道を選ばない」となれば、運動の方向性と言う議論が希薄になります。彼らにとっては、障害とは自らが抱える自明なことで、そこで開き直るしかないことだったといえるのではないでしょうか? だから、当時の時代情況からしても、「まず行動ありき」で、「あーだこうだと小難しいことを言うのではなく、寧ろ、自分たちの現実の生活―生き様をぶつけていく」という心情だったのではないかと、慮れます。そして、彼ら自身が差別はなくならないというような差別のとらえ方をしていたこともあります(注1)。それは、それまでの障害者差別の重さからきていることなのですが、差別を差別としてとらえるようになったとしても、まだ新しい思想を生み出すまでにはいたらなかった時代制約性ともいえるでしょうか?! 彼らの運動をリードしていたメンバーが依拠していた仏教思想からは、そこまで問題にしえなかったと言う事情も考えられます。
 今現在世界的にみると、障害規定を障害者自身がなそうという動きが出ています。それは、障害者施策を障害者自身で担っていこうという動きにつながっていて、その中で障害規定の必要性も語られるようになっています。しかし、そのことを障害規定から、チャントしていこうと言う動きは、まだ活発になっていませんし、一部なされてきている規定自体も、健常者から規定された大枠から脱しえる内容にもなっていません(注2)。またその障害規定をチャントなしえぬままに、政策論争に巻き込まれていくことには、わたしは寧ろ疑問をもっています。障害者が置かれている差別の構造そのものを問題にし、差別の構造そのものに働きかけるのではなく、「対処療法的」な働きかけに終ってしまうことを危惧するからです。政策研究というところでの、障害規定というのは、差別の構造そのものを根源的にとらえ返していくことには向かわず、具体的にどのような要求を出していくのかというところでの研究となり、相手の土俵に乗ったところでの分析になります。だから障害規定そのものを抜け落とすか、問題にしえたとしても、相手の土俵に乗ったところでの分析にとどまってしまいます。だからこそ、「まず障害者規定を!」というわたしの思いがあります。
 ですが、「自分たちはまず生きる事自体の困難性があり、そんな小難しい議論などしている余裕が無い!」という批判が返ってくるかも知れません。ですが、果たしてそうなのでしょうか? むしろ福祉などほとんど無かった時代、まず介助者を自分たちで探す事なしに生きられなかった人たちの中で、障害者運動の原理論的なことが今よりも活発にかたられていたような気がします。「福祉の充実」は、生きる事自体の軽減からより活発に活動する条件を作っていったというより、全体的運動の衰退ということを鑑みる必要があるにせよ、むしろ運動の衰退につながっているというようにしかとらえられません。いや、むしろ、これから再度の大きなうねりを作り出す過渡期なのかもしれません。議論がなかなか進まないという事も、大きなうねりを生み出す、嵐の前の静けさの時期として押さええることでしょうか?

(2)
 「障害とは何か?」という問いかけが充分になされないという中でも、いくらかは障害、そして差別について語られてきました。しかし、その内容はというと、とてもちゃんとしたとらえ返しにはなっていません。
 今日、ろう者の一部から、「わたしたちの問題は障害者の問題というより、寧ろ手話という少数言語の使用者という民族問題である」というような提起が出てきています。「障害者ではない」という主張は基本的に共鳴しえることですが、「自分たちとは別に障害者と呼ばれるひとがいる」というような主張になっていて、「そもそも障害とは何か(更に民族とは何か)?」というとらえ返しを欠落させた論理です。更に、少数言語使用者という表現は、差別のマイノリティ理論というべき内容になっていて、差別を数ということの中に現れる自然性の問題としてとらえてしまい、その事の中から、差別をちゃんと問題にしえない構造がみ生み出される恐れがあります。
 今、障害規定の最前線はWHO(世界保健機構)の障害規定ICIDH2を巡っての議論としてすすんでいるようです。しかし、本論で述べますが、生物学的決定論を超えると称し新しい規定を生み出そうとしたのに、逆に多くの混乱を生み出し、また当の生物学的決定論を超える内容にもなっていません。
 更に、差別は脳の中に組み込まれているとか、差別は遺伝子の中に組み込まれているとかいう何の根拠も示さない臆断とか言いようのない主張も出てきています。
 今日差別の問題では、先に1つの結論ありきと言うところで、論が進んでいく傾向が繰り返し出てきています。たとえば、差別はなくならない、今の社会構造は変わらない、ということを前提にして、すべての論がくみたてられていくのです。まだ、「わたしは現実に今生きている社会がそんなに簡単に変わらないと思うから、そして、今をどう生きるかと言う問題を立てざるを得ないから、とりあえず、そこで論を進める」と言うのなら話は分かるのです。ところが、なくならない、変わらないと言う臆断が先にくるのです。そこで、分析自体も、今の社会構造を固定的にとらえたところで、分析の深化を途中でやめてしまうのです。だから、障害の規定もちゃんとなさぬままに、現実的に今ある差別的現状にどう対処するかというところで動いて行っている情況があります。
 障害の規定もずっと医学的規定と言うことを軸になされてきました。そして、障害者を中心にこの医学的規定から何とか脱しようという試みがなされてきています。しかし、まだ、その軛から脱しえていないのです。

(3)
 さて、「障害とは何か?」という問いかけの困難さは? 色々な理論の蓄積の無さというよりは、むしろ、ひとが先入観をもってしまっていることにあります。それはいわゆる生物学的な決定論として端的にあらわれています。「障害それ自体の否定性はゆるぎなくある」という言葉で端的にあらわされます。ここでいう障害は障害者が属性として持っていることというとらえ方があります。尤も、これに対してはイギリスの障害者主導の障害学グループから「障害とは社会が障害者と規定した人たちに作った障壁である」という規定がでています。尤も、この規定はWHOの機能障害という規定自体をどうとらえるのかということで、結局それ自体は括弧にくくってしまい、もうひとつ煮詰めえていないのではないかという、わたしサイドからの思いがあります。しかし、まさにこの規定自体が、今日、よく使われるようになった「パラダイム転換」という内容をもっています。
 'パラダイム'とは考え方の枠組みとでも訳せるでしょうか? それは、哲学、物理学を主導として、科学全般に起こった、起こっている事として、最近頓に指摘されていることです。
 発想の転換と言う事は、具体的によく語られてきました。たとえば、吃音者を主人公にした漫画(岩明均「風子のいる店」(講談社)の中で、教室の中で風子がどもりながら本を読んでいるときに、クラスメイトから「(授業が遅れて)迷惑だ」と言われ、別のクラスメイトが、「「迷惑だ」というお前の方が、俺には迷惑だ」と切り返すシーンがあります。このような、いわば反転と言えることは、様々な形でつきだされています(例えば、「障害者に迷惑な社会」というフレーズ、「障害者を世の光に」というフレーズ)。
 そのことを、単なる発想の転換のみならず、考え方の枠組みからとらえ返し、転換していこうと言うのが、「パラダイム転換」と言われることです。
 差別問題では、性差別の問題で「性差自体というものは歴然とある」というとらえ方をくつがえすような理論が生まれて来ています。そして、フェミニズムを中心にしてパラダイム転換を認識論的なところで掘り下げた本も出されています(注3)。部落差別においても、「被差別部落民とみなされることによって、被差別部落民になる」というような、「部落問題のパラダイム転換」が主張される本が出ています(注4)。
 実は、障害者問題でも、新しい流の障害者運動がうまれたときに、先に述べたように「障害者とは障害者差別を受けるものである」と言う規定がでています。これが実はパラダイム転換の内容をもっていたのですが、そのことをより明確に突き出しえず、運動の衰退局面の中に埋もれてしまいました。それ以降、障害者問題をパラダイム転換と言う観点からとらえ返す試みはほとんどなされてきませんでした。わたしは障害規定の中におけるパラダイム転換は、医学的・生物学的批判として実行されると思っているのですが、わたしの知る限りでは、堀正嗣『障害児教育のパラダイム転換』(明石書店)という本の中に示されていて、また、様々に医学的・生物学的規定を越えようと言う試みがなされてきているのですが、決してうまくいっているとは思えません。今回わたしがここでやろうとしていることは、この「障害(者)問題のパラダイム転換」ともいうべきことです。
 「哲学」的なところからとらえ返せば、そのパラダイム転換の中身は、実体−属性というとらえ方自体の批判、いわゆる実体主義批判として進んでいます。今日、そのパラダイム転換を推進しようとする思想的な流として、3つの流を押さえることができます。ひとつは、ポスト構造主義といわれる流で、脱構築という概念で、実体主義批判を進めています(注1)。もうひとつは、反差別論の流れの中で、1つの大きな勢力を形成してきているエスノメソドロジーという現象学からきている流、これは共同主観性なり間主観性という事をとらえ返しつつ、批判に入っています。この二つの流はかなり融合してきています。 もうひとつは、マルクスの流で、物象化という概念を用いて、その批判に入っています。わたしのパラダイム転換のとらえ返しの中心は、最後の流れのなかに掉さしています。
 わたしの物象化という概念との最初の出会いは、マルクスの『資本論』です。マルクスは、『資本論』第1章の最終節で、「商品の物神的性格」を展開しています。物神というのは、ド・プロスの『呪物崇拝』の「フェティシズム」から来ている概念ですが、まさに資本主義社会では商品−貨幣―資本が神のように立ち現れると言うことの秘密を展開しているのです。また、神としてたちあらわれるまではない(絶対化しない)「倒錯」を物象化と言う言葉で表しています。『資本論』は国民経済学の完成というとらえ方もされるのですが、マルクスは資本主義社会の仕組みを展開しつつ、それは、歴史的相対性の中にあり、その資本主義社会の中に生きるひとの意識にどうたち現れるのかを『資本論』で展開しているのであって、『資本論』には、物象化ということがつらぬかれています。マルクスは、資本主義社会の中で生きる人たちの当事者意識として、『資本論』の叙述を展開していて、それを決してそれを固定的にはとらえませんでした。いやむしろ、それを止揚すべきこととしてとらえているのです。マルクスは、『資本論』の中で、物象化という概念を「ひととひととの関係が物と物との関係のようにあらわれる」「社会的関係が自然的関係のようにあらわれる」というように説明しています。
 マルクスを更に突っ込んで、廣松渉というひとが、独自の物象化論を突き出しました。すなわち、物象化という概念を、関係性から切り離せない<もの>を自存視すること、関係性が第一次的に存在し、その関係性の網の中の網の目として、関係性の項としてとらえられるものを、逆に{もの}が先にありそれが関係性を形作るという転倒、{もの}を自存視することを批判しています。ことばの存在構造というところにつながる、ことば−ものとして浮かび上がる異化ということも、物象化としてとらえます。
 このことは障害者の問題でいえば、障害を障害者という実体の属性としてとらえ自存しすることとつながっています。そういう{障害}として異化すること、浮かび上がる構造自体を問題にする必要があります。一言でいえば、わたしが突き出そうとしているのは障害関係論的立場という事で表せます。
 このようなわたしの論を組み立てることで認識論的に一番影響を受けたのは廣松さんですが、彼の理論をどこまで、ちゃんと理解しえているかはおぼつかないものがあります。彼は博学のひとでしかも「文献主義者」という批判を受けるように、厳密に文献を当たり、論をくみたてていったひとです。わたしは、学的な基礎も何もなく、彼の文の表面をなぞったにすぎません。ただ、彼の理論をそのまま、受け入れたわけではありません。彼には、マルクスの影響を受けたおおくのひとがそうであるように、差別という問題を殆ど対象化していません。そして、そういう中で、反差別論的にいくつかの「おや!」と思う文を書いています。しかし、もちろん認識論的なところでの、廣松物象化論とでも言うべき、彼が残したものは、反差別論の中に活かしていけることとしてあります。
 廣松物象化論から吸収しつつ、わたしが独自に展開したこと−オリジナリティをもちえたことは、廣松物象化論では、四肢構造論における「客体」の側の<そのもの>と「それ以上のもの−それ以外のもの」としてあらわれる二肢として示したことを、反差別論的に差別の端緒の「差異」というところからとらえかえし、"差異"として現れる以前の<そのもの>としか言い様のないことを<差異>として表し、もうひとつの肢、価値付けられてある「差異」を"差異"、すなわち差別の根拠としての「差異」として示したことです。更に、差別問題における、価値両義性の問題や差別における垂直的区別ととりあえず区別すべき水平的区別の問題をおさえるために、異化が自然的におきることではない、その社会のありようによって、同じ事が異化する場合も異化しない場合もあり、異化する場合も両義的である場合があるという事実から、とりあえず、命名判断的「差異」を差別の根拠となってあらわれる"差異"と区別して、{差異}という中間的段階を設定したことです。このあたりのことは、廣松物象化論をとらえきれなかった限界として、逆に批判される事かもしれませんが・・。
 このあたりのことは、「人は言葉をもつ限り異化―物象化から逃れられない」として、差別はなくならないという主張に対するわたしサイドからの批判にもつながっていることです。また、障害ということも、決して自然的なものではありません。社会的関係性の中で立ち現れることです。障害を自然的なこととして、障害者の側に押し付ける中で、障害の物象化が生まれます。このことへの批判が、わたしのこの文の核心です。

(4)
さて、文全体の構成について、説明します。
 第1章は導入部です。第1節で今様々に語られている障害者規定との対話という形で、論を進めました。第2節では運動に直接つながる発達保障論と個性論との対話という形で、障害概念の深化を図りました。
 第2章では、障害者差別の構造をとらえ返す作業です。第1節の第1項で改めて公式的な障害者規定をとりあげ、第2項で障害者の土台としてある、「できる―できない」を巡る言説を取り上げ深化を試みました。第2節で、3つの動詞を巡ってという形で、差別の発生論的な掘り下げを試みました。発生論といっても、実際は存在論的なことにすぎないのですが、・・。更に、分析の方法論として、差別の3つの性格という形からの、差別のとらえ返しの作業も試みました。
 第3章は、差別の形態論です。障害者運動では障害の「重い−軽い」という事を巡って分断と排外主義が繰り返しおきています。また、差別の形態において、一面しかとらえられない、抑圧型−相対的排除の型の差別をとらえられない中で、単に形態変化してきていることを、差別がなくなる方向に進んでいくと錯覚する中で、融和主義的に組み込まれていく傾向が生まれてきています。また、抑圧型の差別をとらえられない中で、障害者宣言をなしえない障害者にとって、この形態論を押さえる事は、運動を出発させるためには必須なこととしてあります。
 第4章は、各論です。わたし自身の吃音者の立場での各論は別の形で、出しています。当事者性の問題があるので、このあたりは協働作業として他の人から出して貰えたらと、ここでは略しています。別の機会にこの各論的なことは試論的に書いてみようとも思っています。
 第5章は、運動論的なところでの対話です。最後のわたし自身の方向性については、もっとちゃんと展開すべきことですが、ここではあえて概略に留めました。これも別の機会にまとめたいと思います。

(5)
 わたしが、なぜ、障害規定にこだわりつづけるのかという話をここに記しておきたいと思います。
 いわゆる「重度の障害者」にとっては、障害の規定はさほど問題にあがりません。かなり幼いときから、障害者であることを意識し、運動を始める人は、障害者であることにそれなりの開き直りから出発するので、「障害とは何か?」と言う、問いかけをさほどしないままに、先にそれなりの開き直りの作業をくぐってしまうからです。
 今、「重度の障害者」という書き方をしましたが、「重度−軽度」という規定は、あくまで、差別者側の論理として出てくることです。厳密にいうと、「重度」というのは、排除型の差別を多く受ける、絶対的排除という形の差別をより多く受けるといういみです。「軽度」と規定される障害者は、抑圧型の差別、相対的排除の型の差別をより多く受けるというとらえ方をわたしはしています。
 そういう意味で「軽度の障害者」と規定されたわたしがこの「障害とは何か?」という問いかけにこだわり続けてきたのは、吃音者としてのわたし自身の運動の総括から出てきているからです。わたし自身、15年くらい前まで障害者宣言をなしえませんでした。私は、30になった時やっと、当時の障害者運動のインパクトを受けて、障害者宣言をなそうという衝動にかられました。しかし、その時見事に失敗しました。当時わたし自身「どもりは治るもの治すべきもの」というとらわれから十分に脱していませんでした。また、大枠として自分を言語障害者ととらえつつも、「どもりというのは、気持ちの持ち方の問題だ」という社会的意識にもとらわれ、吃音問題における差別の構造をとらえられないでいました。
 また、自らの吃音者としての存在を抹殺したいという思いをひきづりつつ、思想的にも「劣った人間」云々という、優生思想そのものにとらわれていました。それでも、障害個性論の地平までは到達していたと想います。しかし、その個性論は、「吃音は私の欠点だけども、欠点を含めてわたしの個性だ。まるごとのわたしを認めて欲しい。」というようなことでしかありませんでした。そこで、わたしは結局、「吃音の負価値性」にとらわれ、開き直れず、障害者宣言をなしえませんでした。それから5年かけて、やっと「なぜ、「どもりは悪いもの劣ったもの」と価値づけられるのか?」という怒りをもつところまで到達しました。しかし、そこでは、まだ個性論から脱していませんでした。しかし、その「価値づけられる」ことを固定的にとらえない、それを関係性の中でとらえた時、やっと個性論の軛から脱したのです。それには、「アメリカ先住民のある部族には'吃音'に相当する言葉がない」<吃音>が{吃音}として異化しないことがある(今、学説的には疑問が呈されていますが)、という話がヒントになり、そこから認識論にまで掘り下げて、そこからフィールドバック(還流)してくる作業が必要でした(注5)。わたしは、障害者運動の出発点につくためには、「吃音−障害とは何か?」と言う問いかけをせざるをえませんでした。わたしは、まさに、「「障害の否定性」を否定する」(注6)ことなしには、障害者として出発できなかったのです。
 同時に障害者と一緒に運動を進めていくためには、健常者のみならず、他の障害者から吃音者に突きつけられる、「あなたたちの問題はたいした問題ではない」とか、「勝手に問題を大きくしているだけだ」とか、「あなたたちの問題は気持ちの持ち方の問題だ」とかいう問いかけにちゃんと反論していくことなしには、障害者宣言(注7)さえなしえなかったのです。

(6)
 福岡安則という人が、最近の若い学者は差別の問題をとりあげようとはしないと、もう20年近く前でしょうか、嘆いている文を書いていました。確かに差別問題を取り上げるということ自体が反体制的になり、学者として生活しにくくなるという面がありますが、それだけではありません。おそらくその学は、「反差別学」となずけられることですが、(反)差別学という分野自体が、学として成立しにくいということがあります。なぜかというと、差別の根拠としての「差異」―"差異"ということで、差異論には哲学が不可欠で、差別の構造をとらえるには社会学、経済学も必要、差別の発生論的観点から存在論をやろうとすると、民俗学−文化人類学が必要になる、更に、「個別」差別逸れ自体の深化も必要になり、「個別」差別自体もまた、色んな領域があり、更に、色んなところへ拡大していくとなると、昨今の学問の専門化という流では、反差別学の専門家などは生まれようもない、という事情があります。
 前々項で書いたように、わたしは、廣松渉さんの物象化論に牽かれ彼の本は殆ど目をとおしてきました。彼の専門は哲学ですが、色んな分野に越境し、それぞれ、その分野の専門家とも細かい議論をしえる博学のひとでした。彼には、色んな分野の文献に当たり、その基礎の積み重ねはおそろしいものがあります。わたしは、彼の本を表層的に読んでいっただけで、読めば読むほどその到達点が遠のいていくようで、絶望感に襲われます。反差別学には博学であることを必要としますが、わたしは寧ろ薄学というところで勉強していっただけです。
 その様な中で、文を書くことにためらいがつきまといます。さらに、わたしがかかえてきたコミュニケーション障害という中での、対話をちゃんとやってこなかったということがあり、人を説得することになれていません。文においては、それなりに書いてきたのですが、対話のなさというところから規定されて、自己了解的文に陥っていく傾向が生まれます。また、自己表現なれしていないところでの、臆することからもぬけきれません。そして、短い文章をコンパクトにまとめるのは、まあそれなりにやり切れるのですが、長い文を大きく構成していく論理構成になると、とてもおぼつかなくなります。
 更に、先に書いたように、この文は、これまでの一般的な考えを根底から覆そうとする文です。わたしの書いている文の難解さは、その文のこなれなさもあるには違いないのですが、既製の観念を壊し新たに築き上げようとする(脱構築する)ことであるからだとも思っています。いわば知識がないからわたしの文が理解できないということではなくて、むしろ既製の知識にとらわれているがゆえに、理解できないこととしてあるのではと思います。ですから、わたし自身も、こなれた文を書くことを努めつつ、読者の皆さんにも、既製の観念に固執しないで、読み込んでいって欲しいと願います。否定的なことばかり書いていますが、そんな中でも、障害者であったからこそ、この社会の矛盾がとらえられ、その矛盾に耐えられないととう思いの中で、差別的現状を変えようということで動き始め、さまざまな挫折の中で、もっと根底的にとらえ返す必要を感じ勉強し、また、文を興していくという作業をやってきました。
 これは、わたしがこれまで書いて来た「「吃音−吃音者とは?」ノート」と「反差別論序説草稿」の中間に位置する文です。この二つともノート的な意味しか持ち得ませんでした。この「障害者反差別論序説」は広く障害者運動を進める人達へ訴えかけるものにしたいと思って、わたしの「個人誌」−「反差別(S)に連載していたものです。当初、分かりやすさやすさを追求しようとしていましたが、これは、理論的深化というところで書いた文で、どうしても、みんなにわかりやすくというのはとても書ききれません。少しでも多くの人に読んで貰い批判をもらいたいという思いもあり、全面的に書き直しも考えましたが、もう一度書き直すという作業は、全く別の文を書く作業ににしかならないと、あきらめざるをえませんでした。分かりやすさを追求した文−広げる作業の文は、これから少しずつ書いて行こうと思っています。ということで、分からないことは、できたら、色んな形で後でフォローしていきたい、批判を寄せて貰って対話の中で、・・・という思いをいだいています。
 この文章はあくまで、障害者運動の方向性へつながる議論として、そして、障害者のおかれている被差別の情況どう変えていくか、そして反差別の運動をどう進めて行くか、反差別の運動の連帯−仲間づくりをどう進めて行くのかというところで、問題を掘り下げるというところで書いたものです。このような事を書いてしまうと、学的な探求論理的な探求をサボタージュし、批判から逃れようという蛇足的なことになりかねません。たしかに、ちゃんと論理的な思考なり、資料の整理をしてこなかった怠慢を、少しでも解消していく訓練なり作業なりをしていく必要も感じてはいます。ただ、どちらにしても、理論的作業というのは、通時間的、共時的協同作業です。わたし自身資料の整理をきちんとしきれていないこともあるのですが、そもそもどこまでがわたしのオリジナリティなのか、何処までが過去や他者の理論を影響をうけた事なのか明白な線引きができません。むしろ、対話の中で、色々批判を貰う中で、障害者運動、反差別の運動の前進につながる理論的協働をしていきたいと願っています。

(注)
注1 ニワトリの突っつきの話として、青い芝の会を引っ張った人たちの本の中で書かれています。
注2 これはICIDH批判がまだちゃんとなされていない現状に端的に表れています。
注3 上野千鶴子編『構築主義とは何か』(勁草書房)の序で、上野さんはポスト構造主義の流のパラダイム転換のキー概念になる「脱構築」について、「脱構築とは、構築の過程を遡及して自然視(したがって本質視)されたものを、脱自然化する実践の事である」と書いています。そして、「わたしたちは「自然」と「本質」とは、それ以上期限を遡って問うてはならない禁止の別名であることを知るのだ。」と続けています。まさに、この「自然」と「本質」と言うタームを使って障害者を差別する根拠が構築されたとも言い得るのです。これが障害者を巡る生物学的決定論の中身なのです。
注4 野口道彦『部落問題のパラダイム転換』(明石書店)の中で、筆者は全障連の「障害者とは障害者差別を受ける者である」という規定を想起させる。「部落民とは、部落民と規定される者である」というような規定をおこなっています。これがこの本のタイトルになっているパラダイム転換の内容としてあります。
注5 この問題はまだわたしはよく整理しきれていません。そもそもないと言う証明をどうするのかということで、最初から疑問をもってはいました。ですが、何故最初「ない」ということになったのか、と言う事自体の検証の作業も必要です。あることはあるけれど、それほど普遍化していなかったという可能性も考えられます。それはそれで、またその意味をとらえ返さねばなりません。
注6 「「障害の否定性」を否定する」は、「障害の肯定」とは意味が違います。そもそも何故"障害"が現れるのか、しかも障害者がもっているものとして、・・・というとらえ返しを意味します。
注7 障害者宣言−被差別者宣言というのは、単に被差別者として認識するということではなく、差別と闘う立場に立つという事を意味します。


第1章 「障害−障害者とは?!」

 最初、第1章は、障害者問題の根底的とらえ返しの章です。難解さを少しでも解きほぐすために、第1節で、「様々な障害者規定」を書き、第2節で、障害−障害者観の概略を追う作業として、「発達保障論から障害個性論、障害個性論から障害関係論へ」を書きます。第3節でまとめます。

第1節 様々な障害者規定のとらえ返し

(1)「○○の不自由な」という論理批判(注1)
 障害者を指す言葉は、かっては、むしろ「障害別」の個別性において示されていました。それらの多くが、障害者への差別の歴史的蓄積の中で、その語自体の差別が如実になり、差別語として規定され、差別者と障害者自身が開き直り的使う以外には公には使われないようになりました。その中で現れて来た一つが、「○○の不自由な」という表現です。
 この表現のおかしさの指摘は、サリドマイド児に対するアンケートへの回答の中に明らかです。大野智也『障害者は、いま』(岩波書店)という新書の本の中で、「あなたは自分で不自由だと思ったことがありますか」「あなたは自分が障害者だと思ったことがありますか」という質問に対して60%のサリドマイド児が「ない」と応えています。サリドマイドの障害者や「先天性四肢欠損」で「手がない」障害者に、よく、「頑張って努力して足で何でもこなせるようになった」と感嘆の言葉を送る人がいるのですが、確かに努力や回りの人達が訓練したということもあるのかも知れませんが、むしろ、自然に身につけたという側面が多いのではないかと想います。生まれた時から「手がない・短ければ」、自然に他の方法を身につけることとしてあるのではないでしょうか? 今、ここで「手がない・短ければ」という書き方をしました。だが、そもそも、「手がなければ」「短ければ」という表現自体がおかしなことです。これ自体が、「ひとには手があるものだ」「ある長さであるべきだ」というとらわれからきているからです。ひとには「確率的には低い」とされるのでしょうが、必ず「手がない」「短い」と言われる人が生まれています。「ひとには手があるものだ」「ある長さであるべきだ」という考え自体がおかしいのです。
 以前テレビを見ていた時に、ある手話通訳者が、「一度、ろう者に音楽を聴かせてあげたい、音楽の素晴らしさを感じさせてあげたい」と発言するのを見て、一体この人は手話を学ぶ中で、何を学んだのだろうと愕然としたことがあります。そもそも、ろう者を、聴者が自分の価値観で、「音のない世界にいる不幸な人だ」と決めつけるような論理は信じられない事です。例えば、そのような発想をする人は、「超音波の聞こえる世界の素晴らしさとか、紫外線、赤外線の見える世界の素晴らしさを感じさせて上げたい」と言われて、一体どう感じるのでしょうか?
 これらのことは、差別ということの中に、一つ「比較する」、しかも自分の世界−価値観を絶対的なこととして、そこで比較するという行為があることを教えています。また、そういう中で、標準的人間像を描いている、そしてその標準的人間像から外れる者に「障害者」というレッテルをはっているのではないか、という指摘がここでできます。

(2)「障害をもつ」という論理批判
(a)「障害をもつ」とは?−どちらが障害者?−
 「障害をもつ人」という言われ方があります。ですが、そもそも「障害をもつ」ということはどういことでしょうか? 以前朝日新聞のあるコラムに聴障者を主人公にしたマンガを書いている山本おさむという人の記事が載っていました。彼は、そのマンガを描くために、手話サークルに通って手話を学んだのですが、そういう中で、「手話ができないという障害を克服しました」という発言をしています。聴覚障害者が必ずしも手話を知っているわけではないのですが、手話を第一言語とする人達をろう者とする規定が、かなりひろまって来ています。そのろう者と手話を知っている聴者には「障害」はありません(厳密に言うと色々指摘が出てきますが、「障害」とは言えないことです(注2))。多くの聴者が「手話ができない」ということと、ろう者が「聴こえない(聴くことができない)」という中で初めて「障害」が生じます。こういうとらえ返しがあってか、今ろう者の間で、「自分たちは障害者ではない」という主張が起きてきています。「自分たちは使う言語が違い、文化が違うだけだ。自分たちの問題は障害者問題でなくて、むしろ民族問題だ」というような趣旨の発言をしています。さて、問題は、そこでその主張をしているろう者が指している障害者とは誰を、どのような人を指しているのか? ということです。例えば、「車椅子の障害者」といわれるひとがいます。そのひとは例えば「階段を歩いて上れない、だから障害者だ」とされるのですが、そこで、そもそもなぜ、車椅子使用者が移動できない交通機関、建物、まちを作ったのかという問題があります。そこで、まちや建物や交通機関を設計企画する仕事から障害者が排除されていて、その設計・企画した人達が、そしてそれらのひとたちを支持する多くの健常者が、障害者の存在を考えることができなかったという問題があります。二つのできないという問題の上に、「障害」が生まれているわけです。そして、この「障害」を車椅子使用者の上にかぶせて、「障害者」と規定する社会なわけです。
 先ほどのろう者の主張は、「ろう文化宣言」として突き出されて来ているのですが、その文化ということで、もうひとつ想起することがあります。食事の時に、箸を使う、ナイフとフォークを使う、手で食べるという色々な民族があり、昔はそこで自分たちの文化を絶対化したりして、文化の序列をつけたがったのですが、今はそれらのことを文化の違いとして互いに認め合うというような傾向が生まれつつあります。だとすれば、障害者が介助をえて(介助者を使って)食事することや皿に口をつけて食べることも、そのようなことの一つとしてとらえられないでしょうか?!(注3) なぜ、他の多くの人と違う方法で食事をしたり生活することで障害者と規定されなければならないのでしょうか?!

(b)「障害」の反転−ルビンの図形の援用
 この問題をもう少し細く説明します。
視覚における反転ということでは、ルビンの図形といわれる杯と向かい合った顔との白黒反転図形を用いるのですが、このテキストファイルでは省きます。
 一言だけ説明しておくと、ルビンの図形はゲシュタルト心理学における、異化−ひとつのことが(図として)浮かび上がる、問題になるということの説明に使われているのです。
 ルビンの図形は視覚における反転を問題にしています。反転という事は他の感覚に於いても示されます。触覚においては、自分の右手と左手を握りあった時の反転の話として出せます。すなわち、右手に左手を感じている時は、右手自身は地になって無化していて、それが、逆に、左手に右手を感じている時は、左手が地になって無化している。その反転が交互に起きます。もう一つ、反転ということと違うのですが、白杖の話があります。手に白杖を握った時には、手に白杖を感じるのですが、実際使い始めると、白杖を握った手の感覚は無化して、白杖の先に地面を感じます。これは、身体の延長性の話として出される例ですが、反転ということの応用的な話です。味覚・臭覚に於いては、無味・無臭ということがあります。無味・無臭とはどんな味・どんな臭いなのでしょうか? これは、図としての色んな味・臭いに対して、地を反転させた表現になっています。聴覚に関し言えば、「雪が深深と降り積もる」という表現があります。深深がシンシンと擬音的になっていくのですが、シンシンという音があるわけではありません。これも色々な音を図として、地の静寂を反転させた表現になっています。
 さて、わたしはこのルビンの図形なり、反転ということ更にそこから、異化−浮かび上がるということをずっと前から使っているのですが、この異化はかなり多くの人が使っていて、知る人ぞ知るというところで広まっていて、「なんで今更こんな話を持ち出すのか?!」と詰問されたことがあります。なぜその人が詰問したのかを考えているのですが、一つは「そんなことを言っても、実際、多くは浮かび上がり方に差異があり、前述の例では、音なり味なりが浮かび上がるのが常であり、静寂とか無味無臭の方が浮かび上がることもある、反転することもある、反転する見方もあると言っても何になるのだ」という指摘だと想います。確かに、それはそうで、わたしがこの「ルビンの図形−反転ということは、こういうとらえ方もあるのですよ」ということで、反転させてみて、「こういう考え方もあるのだから、気持ちをしっかりもって(もしくは気持ちのもち方を変えて)生きていこう!」ということで持ち出しているわけではありません。反転する場合もあるけれど、一般的には反転しない、なぜしないのか、そこにおける関係性をとらえ返そう、そのことが、なぜ、図として浮かび上がることの「一定性」の解明になるのではないか、また、反転することがあるならば、必ずしも、障害者問題が固定的なこととしてあるのではない、ということになるのではないか、それらの中から障害者問題の解決の途を見いだしていこうということでの、一つの例として出しているわけです。

(c)どのような「できる−できない」が問題になるのか?−ルビンの図形からの展開
 そこで、この図形そのものから離れて、もう少し応用的に使ってみます。
 問題を煮詰めるのに対話方式が一般的に「有効」だと思っています。わたしは言語障害者なので、寧ろ不得手なこととしてあって、もっぱら文を書いているのですが、まあ、冗談的な脱線はさておき、・・・。分かりやすさを求めて、そのような対話場面を想定したことがあります。
 「障害者問題とは何か?」というテーマで講演があるとします。その講演者は、「皆さんの、実は自分の、緊張をほぐすために、ちょっと遊びをしましょう!」と言って黒板に、この「ルビンの図形」の印刷された紙をはります。そして、みんなの方を向いて、まっすぐの姿勢で(身振り手振りをつけないで−つけているのを気づかれないで)、「これは何ですか?」とききます。何という応えが返ってくるでしょうか? 「ルビンの図形」、「向かい合った顔と杯の反転図形」、ちょっとトンチのきく人だと、「紙」、「黒い図形の印刷された紙」、というところ位まで広がるでしょうか? 応えられたことを黒板に書きながら、演者は「まだありませんか?」ときいて、何も返事が返ってこないのを確かめて、自分で更に書いていきます。「黒板」「空気」・・そして、最後に「靴」と書いて、「実は、みなさんは気が付かなかったのですが、わたしはわたしの左手の人差し指で、靴を指していました」と言います。そして、「ルビンの図形」と応えたひとに、「なぜ、あなたは、「ルビンの図形」と応えたのですか?」とききます。そのひとの応えは「あの紙をはってから、「これはなんでしょう?」ときいたから、てっきり、あの紙についての話だと想った」です。そこで、演者は「私があの紙をはったのは、あとで話すのに使うのだけれど、緊張をほぐす一連の作業の一つとしてやっただけです」と言って、「冗談はこのくらいにして」と、本題に入ります。「ここで、ルビンの図形やそれに類することとして、ほとんどの人が応えたのは、一つの役割期待−役割遂行としてあったわけです。「この紙」をはったら、それについて話すものだというみんなの期待があった。わたしは、それらの期待を知った上で、ルーティン化された(型に嵌まった)行動を外す−役割遂行しなかった−ことによって、冗談を作ったわけです。さて、この役割期待と遂行の話は、後ほどに話すことになると想いますので、さておいて、この遊びの中に障害者問題の根底的なことがあります。」と話に入ります。
 さて、「演者の想定の話」はこのくらいにして、素での展開に戻します。ここで「この紙」自体の多くのとらえ方があります。「紙」「黒い図形が印刷された紙」「向かい合った顔」「杯」「ルビンの図形(白黒反転図形)」。これを障害者問題で言えば、一人の障害者のとらえ方が色々ある、例えば、ある障害者は「歩くことができない人」−「下肢障害者」−「車椅子使用者」−「福祉のまちづくりということで適切な提言ができる人」といろいろな形で表現できるし、また別の障害者は、「自分で食事のできない人」−「脳性マヒの障害者」−「食事の介助の必要な人」−「介助を得て食事をする人」−「介助という関係の中で、ひととひととの関係のあり方を提起しえる人」と表現しえます。これらの表現のし方の違いの中に、その表現する人の障害者観−世界観の違いが現れているのですが、ここでもルビンの図形で話した反転の問題があります(最後の項目が反転させてみた項目です)。ここで、もう一つ押さえておきたいのは、いずれも最後から2番目の項は、価値判断がくだされていないニュートラル(価値中立的)な表現のようにとらえられますが、わたしはそもそもニュートラル−客観的表現などないと思っています。そもそもそのことがなぜ浮かび上がっているのかという問題があるからです(浮かび上がる−異化するということには、名付けられること−命名判断に繋がっていきますが、命名判断には既に価値判断が付帯しているという問題です(注4))。そこで、なぜ「黒板」や「空気」や「靴」ということが浮かび上がらないで、「紙」に関することが浮かび上がったのかという問題があります。「障害者問題」に話を戻せば、色々な「できる−できない」ということで、なぜ、その「できる−できない」ということがとりたてて問題になるのかということです。さらに、もう一つ、その一つの「できる−できない」ということ自体がなぜ浮かび上がってくるのか−問題になるのかという問題があります。
 例えば、昔E.H.エリックとかいうタレントがいて、耳を動かせました。しかし、その「できる−できない」ということは宴会芸的にもてはやされることはあっても、たいした問題ではなく、ましてできないということで「障害者」という規定は受けないわけです。
 百mを10秒以内で走れる人がいますが、20秒以内で走れなくても「障害者」とは言われません。しかし、移動に時間がかかるということで、ある一定程度から「障害者」という規定を受けるようになります。一体どの程度で、その線引きがなされるのでしょうか? その線引きがなぜなされるのでしょうか? そのことのとらえ返しの中で障害者の問題がとらえられます。逆の関係性で言うと、絶対的多数の聴障者の社会があってその中に聴者がいたとしたら、浮かびあがるのは、聴者の方です(誤解のないように書いておきますが、わたしは差別の根源的とらえ返しにおいて、差別のマイノリティ−マジョリティ理論に組しません(注5)。これはあくまで、一つの側面だと押さえています)。どんな形で浮かび上がるでしょうか?! 「変な人」としてとらえられるか、「超能力者」的にとらえられるのでしょうか?!
 一体、どのような「できる−できない」ということが問題になるのか、どのくらいの「できる−できない」ということが問題になるのか、なぜ、その「できる−できない」ということが問題になるのか、それらのことを押さえることによって障害者の問題ということが明らかになるのではないでしょうか?(注6)

(d)異化の問題
 こんなことを書くと、人の自然性ということで、「何が浮かび上がるか−上がらないかということは一定だ」という主張がでるのですが、そのことはある話で容易に反論できます。
 ノーラ・エレン・グロース『みんなが手話で話した島』(築地書館)という本の中で、アメリカのある島でかなりの比率でろう者がいる島があり、そこの島では時には聴者同士で話す時も手話を使うようになった(メキシコ近くのアメリカ合衆国の州で、子供達が自然にスペイン語を身につけ、バイリンガルになるように)。その島で、あるろう者に関する聞き取り調査をしたところ、そのろう者の特徴ということをきいていっても、ろう者であるという指摘が出てこない。そこで、聞き手が「その人はろう者でなかったか?」という質問をしたところ、やっと「そういえばそうだった、しかしそんなこと関係なかった」という返答がかえってきた。その島では、少なくとも日常的には<ろう者>が{ろう者}として浮かび上がらなかった(異化しなかった)、という話です。こんなことを書くと、「それは聴覚障害という特殊性において成立しているのであって、他の重度と言われる障害者の場合は必ず異化するのではないか!?」という問いかけが返ってくると思います。このことについての反論をいくつか提起できます。一つは、歴史的なとらえ返しです。ずっと歴史をさかのぼると、障害者が異化していても、それが必ずしも負価値的に異化しているのではなく、畏怖というところで異化している場合があるということです。価値的に両義的に異化しているということです。障害者は政事の主催者として現れていたことと繋がっています。それは他の差別の問題からも援用しえるのですが、ケガレという観念がオソレと卑しいという二つの内容をかってはもっていた、両義性をもっていたということと類比しえます。しかも、この異化ということは、現在社会でとらえられている"障害者"ということとはかなり掛け離れたところで異化していたのではないでしょうか?! 二つ目は、この異化ということが、例えば、『みんなが手話で話した島』のろう者のように、異化する時もあるけれど、異化しない時もあるというようなところで、とらえられる可能性。三つ目は、異化するけれども、それが鼻がおおきいとか、ほくろがあるというレベルでの異化のし方になるということ。すなわち、{障害}というようなところで異化しなくなる可能性はあるのではないかと指摘できます。この異化という問題の、もう少し掘り下げた分析は別の節に譲ります。

(e)個性論としての「障害をもつ」論批判
 大分掘り下げもしたのですが、話がこの項自体から外れてしまいました。もう一点この項について、押さえることがあります。それは、後の障害個性論とも重なるのですが、「障害者という規定は、障害ということでそのひとの全人格を規定するような表現でまずい、障害はその人の一つの個性−側面であるという意味で、「障害をもつ」という表現の方が良い」という主張の存在です。これは、この項で既に展開しているように、「障害」を障害者の方へ内自有化していることでおかしいと思うのですが、単にそれだけでなく、「障害」と言われること、厳密に言うと、<障害そのもの>を"障害"につなげてしまって、その否定性に乗っかってしまっているというところで、おかしいと思います。障害者という規定をどうとらえるかという、問題がそもそもあるのですが、それは、後に展開するので先取り的になってしまうのですが、敢えて押さえておくと、基本的に「障害者とは障害者規定を受ける者、障害者差別を受ける者」という規定をするならば、「障害者という表現より、「障害をもつ者」という表現が良い」とは言い難いのではないでしょうか!?

(3)WHO(世界保健機構)の障害者規定批判(注7)
 WHOの障害者規定は
    @機能障害(impairment)
    A能力障害(disability)
    B社会的不利(handicap)
 となっています。色々な障害者規定が錯綜している中で、この規定はかなりまとまった規定として、障害者問題を語る多くの人から引用されています。
 しかし、この規定のもっともおかしいという点は、@の機能障害ということを、生物学的−生理学的事実、客観的事実として、これ自体をとらえ返そうとしていないことです。
 これに対しては、(2)(d)の中で、『みんなが手話で話した島』を援用して、既に書いたのですが、「聴覚障害という生物学的−生理学的事実」が、浮かび上がらないことがある、そのことをどうとらえるのかという問題です。誤解がないように、断って置きますが、「生物学的事実」ということがないといっているのではありません。第三者的には「障害」としてとらえられることが、当事者意識としてないと言う場合もあるということを主張しています。「障害」として浮かびあがること<そのもの>が、時と場合に浮かび上がらないことがある。浮かび上がっても、それが両義的であったり、ニュートラルに近い形でしかとらえられない場合がある(例えば、ほくろなどのように)。そのことをおさえておかねばなりません。そのことから、なぜ「障害」として浮かび上がったのか、そして、明確に"障害"として負価値的におかれるのか?そのこと自体を問題にしようとしています。
 このことは、科学批判にもつながることです。わたしたちは科学というと絶対的真理のようにとらえがちですが、科学とは「社会」的意識を高次化しようとしたものにすぎません。そのよってたつ社会意識が立場性によって異なるならば、科学自体が時には抑圧的に働きます。文化人類学が、他の学と同じように、研究者から女性を排除してきた歴史の中で、女性が新しくその分野に進出した時、文化人類学の大きな変換が起きたと言われています。これまでのアメリカの歴史が、差別する側の歴史でしかなかったという批判がネイティブ・アメリカン(アメリカ先住民)から出され、歴史の全く逆の見方が出されたということもあります。障害者運動においては、発達保障論が、生物学的発達の法則−発達の弁証法を指し示しましたが、それに対して「そもそも発達とは何か?」という問いかけの中で、「発達」そのものを問い返す 山下恒男『反発達論』(現代書館)というアンチテーゼ的に素晴らしい本も出されています。「発達の弁証法とは、科学という装いをもった神の別名だ」という批判もできます。
 科学的ということで出されることを、その背景にある社会凡通的な意識−世界観からとらえ返して問題にしていく必要があります。

(4)「障碍者」という規定批判
 もう大分前ですが、'障害'の'害'の代わりに、壁という意味の'碍'という字をあて
て、「障碍者」という表現がかなり見受けられました。最近、ほとんどみられなくなったのですが、この表現はWHOの障害者規定のBhandicapを強調した表現です。そのことの強調は意味があるのですが、他の項目をどう押さえるのかという観点が落ちてしまいます。更に、「障碍」の方は良いのですが、「障碍者」という表現になるとなぜ、障碍が「障碍者」と呼ばれるひとにかぶせられるのか(内自有化されるのか)ということが問題になります。これについては、もう(2)で述べました。更に、「障碍」ということにおいても、これは差別形態論の先取りになるのですが、差別ということを排除型の差別、隔離・排除という観点からしかとらえなくなるという落ちこぼしの問題が起きて来ます(もうちょっと詳しく書くと、排除型の抹殺という形態についても落ちこぼしています)。抑圧型の差別とりわけ同化ということでは、この「障碍」という言葉は適切ではありません。
(差別の型については第3章)

(5)障害=レッテル貼り−障害=スティグマ論批判
 「障害規定とはレッテル貼りだ」という提起があります。差別ということすべてにそのようなことが当てはまるのですが、これは「言われなき差別」という論理につながっています。これは被差別者間の分断につながるのですが、「すべての差別が根源的には言われなき差別である」という意味では一理ありますが、すべてその社会の中で起きていること−根拠があるという意味では、「言われある差別」で、「レッテル貼り」という言葉が内容のない規定だという意味では、「レッテル貼り」という規定はぴったり当てはまりません。
 もうひとつ押さえておかねばならないのは、「障害者とは障害者と規定された者(名付けられた者)−障害者差別を受ける者である」という規定との関係です。かなり前から使われていて、私もこの規定には共鳴しています。この規定には、「レッテル貼り」という規定と通じることがあります。ただ、「障害者とは障害者規定された者−障害者差別を受ける者」という規定は同義反復的で、もう一歩突っ込んだ内容規定を必要とします。障害者規定を、その規定が行われる社会的意識(共同主観性)に沿って、明らかにしていく必要があります。「レッテル貼り」という規定も、{障害}ということで異化した後に、負価値的に規定しているという内容になっていますが、もう既に述べているように、異化すること自体に価値判断が働いています。そういう意味ではぴったり当てはまりません。
 この話は、障害スティグマ論とも重なっています。「スティグマ」というのは、ローマの時代に奴隷に押した烙印を意味しています。そこから、「スティグマ」を「烙印を押されたアイデンティティ」という内容で、差別の問題に援用する人が出てきています(長ったらしいので、私は「スティグマ」を一言で、「負価値性」とか「負価値項」と訳しています)。
 この「スティグマ」という概念も、異化したものに烙印を押すというイメージがあり、そういう意味ではしっくり来ません。ただ、この「スティグマ」という言葉には、「聖痕」というような訳があてられることがあり、「ケガレ」という言葉の両義性と同じようなニュアンスがあります。そのような意味合いで、このスティグマ論には魅力があるのですが、根本的なところでは、ぴったり合いません。

(6)「」をつける論理批判−「障害」者と「障害者」
 かねてから、障害者に「」を付けて「障害者」という規定がありました。これは、「そもそも障害−障害者とは何か?」という問いかけの中で、「障害者と呼ばれる者」、「障害者と規定される者」という意味というところでとらえていこうという内容が、以前からあり、その脈絡で出されて来たことと理解しています。
 最近'「障害」者'という言い方が出てきています。どのような内容規定なのか、よくつかめていません。'障害'に括弧を付けて「障害」ということは、理解できます。「そもそも障害とは何か?」ということを考えると、「「障害」は関係性の中で初めて障害であり、そのことを抜きにした、実体主義的「障害」などない」という意味で、個別'障害'も、それに準じて、「 」をつけて表現します。しかし、'「障害」者'という表現は納得できません。おそらく(2)(e)の内容で、「障害」ということに疑問を呈した規定で、そのことにおいては意義があるのですが、そのことを拡大して'「障害」者'としてしまうと、「障害」の内自有化が、なぜ「障害者」側になされるのか、ということで不適当だと思っています。
 もう一つ言えば、名付けられたものという意味で「」をつけるとしたら、認識論的に言語学的に言えば、総ての名詞に「」をつけなくてはいけなくなります(動詞に関しても同様ですが、特に名詞が顕著になります)。更に、「障害者とは障害者差別を受ける者」という規定をすれば、「」を付けるという意味はなくなるし、また運動主体というところで障害者として自らを突き出す時、括弧をつけることが逆におかしくなります。「」つきの存在は、自らの主体性を、疑問に付するということになるからです。
 話がごちゃごちゃしてきたので、結論的にあえて、まとめれば、名付けられたという意味を強調したい時は、「」を付けるということを残す意味があると思います。また運動の主体性というニュアンスのあるところでは、括弧を外した方が良いと思います。その他、各障害者の「障害別」の個別性があり、その個別性を表現する時には、その主体性を尊重するという意味で、その個別を表現をその当事者が表すのに沿って、表現していく必要があると思います。そういう中で、障害者同士の交流、更に他の被差別者との交流という中で、問題の整理を図っていくこととしてあるのではないでしょうか!?

第2節 運動の方向性に直接的につながる障害者規定−障害・障害者観

 第1節で様々な障害者規定について述べましたが、この第2節では、障害者運動の方向性に直接的につながるところで出てきた、障害−障害者観にも直接つながる障害−障害者規定を明確化し、そこから障害者規定を煮詰める作業の一助としたいと思います。
 この社会の一般的な障害観−障害者観は、端的には、優生思想として現れる思想です。この優生思想自体がこの差別社会に根底的に広がり、この差別社会を支える意識です。そして、この優生思想の歴史は、優生思想そのものとしては、帝国主義の成立と共にあり、また、ダーウィニズムと深い連環をもっています。ここで押さえておきたいのは、これは、本節(1)の発達保障論批判とも繋がるのですが、その創始者たちの中には、当時進歩的と言われていた人達や、自称社会主義者たちがおおく含まれていたという事実です。優生思想そのものに対する批判は、この文章を読まれる読者には、共通の批判的認識があると想えます。そしてまた、内容的にはこの節の中でも展開できるので、ここでは、障害者運動が起きて以降、障害運動の方向性にまつわる、障害−障害者観をとらえておきます。

(1)発達保障論とその批判
 発達保障論批判に対する核心は「そもそも、発達とは何かというとらえ返しが全くない」ということです。
(イ)そもそも発達とは何か
 問題を明らかにするために、'発達'という言葉の社会的通念を押さえ、'発達'という言葉の概念をとらえなおす作業をします。手元にある辞書をひいてみます。『広辞苑』(第三版)です。
@発育して完全な形態にちかづくこと。「筋肉の−」A進歩してよりすぐれた段階に向かうこと。「産業の−」「−した低気圧」B[心]個体が時間的経過に伴ってその身体的・精神的機能を変えてゆく過程。人類の文化遺産の習得によって身体的・精神的に変化する過程。成長と学習の二要因を含む。
 同じ『広辞苑』の第二版では、@は同じですが、A進歩して完全な域に向かうこと。B個体がその生命活動において、環境に順応してゆく過程。成長と学習の二要因を含む。
となっています。
 '発達'という概念自体のとらえ返しをしていくと、時代的変化も感じますが、そこに通時的なことを押さええます。一つは、発達には「完全さ」に近づいていくという概念があります。その完全さとはなんでしょうか?この完全の反対語として不完全があり、このことが障害という概念につながっているのですが、近代以前は、その完全さの対象は神であると押さえ得ます。しかし、少なくとも哲学が神の存在の否定を宣言以降、「完全」とか、「絶対」とかが措定できなくなります。現在的には一つの標準像なるものを設定するなり、一つの到達点なりを設定してよりそこに近づくということとして、押さえることができます。その「目標」ということは、いかなることとしてあるのでしょうか?
 この目標なり、標準像ということを明らかにする前提的作業として、発達ということををいくつかのモデルで表現してみます。@子供が大人に成長していくことA進化論における下等動物から高等動物への発達B原始共産制−奴隷制−封建制−資本主義−社会主義−共産主義という図式による生産様式の変化を発達としてとらえること。
 さて、ここであげた3つのモデルをもう少し掘り下げて、批判的に検討してみます。
 @に関しては、フィリップ・アリエスの『<子供>の誕生』(みすず書房)という著作の中において、子どもは近代以前は「小さなおとな」としてとらえられていて、大人になることを発達としてとらえる考え方が、歴史的にそんなに古くから続いているわけではなく、近代の成立−資本主義の成立位からおきてきているという指摘をあげることができます。
 子どもがおとなになるのを尊ぶというのは、労働という概念が凡通的になって、労働力の再生産たる教育の普及の中で、子どもが未熟な大人としてとらえられる考え方が広まるということと相即的です。ひとが、労働力として物化される中で、その労働力の価値が人間の価値を規定していくという中での、大人になることを促すという価値観の中での、大人の子どもへの抑圧の構造の完成をみてとれます。(注8)いずれにしても、大人の子どもにたいする支配−抑圧ということを背景にしていて、その支配から脱するということの中で、'発達'という概念にむすびいついていることです。労働ということが、これは現在的には、受験戦争といわれる労働力の再生産過程での抑圧の激化が、子ども時代を灰色の生活の時代として、そこから脱することを良しとすることになります。尤も、子どもから大人になることは、大人−子ども関係の抑圧から逃れ得ても、別の形での抑圧の全体的構造の中に直接投げ出される事になります。もう大分前ですが、「ブリキの太鼓」という映画が上映されました。その中で、大人になることを拒否して子どものままにとどまる主人公がえがかれていました。このような映画がつくられるに至った時代的背景として、必ずしも大人になることを良しとしないという考えがあらわれてきています。子どもが社会化の中で、確かに一般的には労働力の価値を高める方向へ進むのですが、子ども時代にもっている、ものをあるがままにとらえる感性とか、色々な素朴ですばらしい疑問をもっていることを脱ぎ捨て、知識を蓄積することの反面として固定観念にとらわれていくことを、何故、「発達」と一面に評価しえるのでしょうか?
 また、心理学的なところで、「いまここで」とか「あるがままに」、ということばが流行語のように出てきています。これからのことが差別の固定化につながるという意味では、必ずしも同調するわけではありませんが、老後のために今を生きているというような若者があらわれてきている一方で、このような主張が出てくることの意味をとらえ返す必要があります。そういう意味での'発達'という概念をとらえかえす時代にはいっていることは明確に押さええます。
 Aの進化論モデルについては、進化論自体がいろいろな批判にさらされている現実があります。種が自然の中で、働き掛け合いの中で、適合的に変化していったという事実そのものの否定には及ばないとは思いますが、自然淘汰説−優秀な個体が生き残る中で、より優れた種として進化していった、という説−への批判は、かなり起きて来ているようです。この自然淘汰説が、優生思想形成へ及ぼした影響は大きく、そのことの批判を、もう少し学習する中でやりきりたいと思っています(注9)。その中でも、ここで指摘しておきたいのは、そもそも'進化論'というネーミング自体の問題です。そこには'下等動物−高等動物'という概念があり、それ自体の問題があります。「単純な」細胞的生物から、「複雑化した」生物へということをなぜ、'下等−高等'という概念化の中で分類したのでしょうか?シンプル イズ ビューティフルという価値観に立てば、「単純な」細胞的生物を「下等」とは言えないわけです。それを「下等−高等」と区分するところに、何らかのこの社会の価値判断がくだされているわけです。 
 そのことをひとつは、「人間中心主義」という指摘される内容で、人間により近いものを「高等」とするという世界観として指摘できます。今、生態学が隆盛になり、エコロジーがブーム化する中で(その底の浅いブームとしては批判をする必要はあると思いますが)、その中で、'進化'という概念自体が問題にされるのではないでしょうか?
 Bは生産様式の変化と、いわゆる生産力の「上昇」を発達ととらえるところからくるモデルです。先に、優生思想の歴史についてふれた時に、その思想の創成にかかわった人達の中に、自称他称社会主義者や進歩的といわれる人が存在したと書いたことにつながっている内容です。これは、所謂「マルクス−エンゲルスもとらわれた進歩史観」という内容で端的にあらわしえます。これは、ダーウィンの進化論に対するエンゲルスの全面的な賛美ともつながっていることです。マルクス−エンゲルスは、共産主義社会の到来のために、生産力の発達とその過程でたどらなければならない筋道として、各生産様式を展開しました。その筋道が発達とされたわけです。ですが、マルクスが後期において、アジア的生産様式を発見し、その生産様式を巡る論争において、生産様式が単線的なことで変遷してきたのではない、というとらえ返しにつながっていることを指摘できます。今日の生産様式の変遷を巡る論争をもう一度押さえ直す必要はあると思いますが、それと一方で文化人類学的研究によって、環境的に豊かな世界で、ほとんど生産様式の変化なしに、生活してきた民の存在が、エコロジー的なところで、あこがれをもってとらえかえされていることを押さえておく必要もあります。そのことは、マルクスが『資本論』執筆と平行して、古代社会・民俗学的研究に何故力を注いでいたのかという問題にも繋がっています。そもそも、生産様式の変遷ということが、自然的なことや絶対的法則などではなく、ひとつの条件下においてなされてきた、社会的なことだと押さええます。誤解のないように書いておきますが、マルクス−エンゲルスが創始者になった共産主義論そのものを、反差別論を展開するわたしとしては否定するつもりはありません。共産主義社会を、差別の根源的な問題としてある分業と私有財産制の止揚としての差別なき社会(注10)としてとらえるところにおいて、それそのことは、むしろ積極的に評価しています。しかし、生産様式の変遷をたどらなければならない必然的な途として押さえることには疑問を呈しますし、また、共産主義までの過程での各生産様式から他の生産様式への展開を「発達」とは押さえません。奴隷制から労働力を売る自由と共に、「飢え死にする自由」をえた賃金奴隷制たる資本主義の社会への変遷を決して発達とは押さええないことで、そのことは端的に示し得ます。確かに、資本主義の社会は、そして、資本主義が更に展開した帝国主義の時代においては、資本主義的生産様式は他の生産様式を駆逐する性格をもっています。しかし、それは自然の法則ではなく、あくまでも資本主義がこの世界を規定していく、社会的法則としてあるわけです。その自然と社会のとりちがえが(注11)、'発達'という概念にまとわりついています。
 これらのモデルについて批判を展開し、発達概念のとらえ返しをしました。しかし、誤解のないように書いておきますが、一般的に'発達'と言われる中身について、全面否定しているわけではありません。何かを習得していくことそのものを否定するわけではありません。最近フェミニズムを中心に'オルタナティブ'という概念が使われています。選択性とでも訳せるでしょうか!?この'オルタナティブ'という概念を使うと'発達'という言葉のもつ意味を明確にできます。例えば趣味と言われること−自己表現的なことはオルタナティブなこととしてあります。ところがオルタナティブでないことがいくつかあります。例えば身辺自立というとを巡っては、オルタナティブなこととしてとらえられなかったし、また「労働力の価値」ということを巡ってのことは、「標準的労働力」ということが問題になり、そこから外れると排除されたり、抱え込まれても、最低賃金の対象外にされるということの中で、標準的労働力に近づくことを、発達の名のもとに強制されたり、リハビリテーションの対象にされ、健常者に近づくことを第一義的に強制され、または、排除・隔離(時には抹殺)の対象とされて来ました。
 発達ということの中身がオルタナティブなこととしてあるならば、別に発達ということに対する反発や批判はありません。いや、むしろオルタナティブではないということにおいて、発達という概念があると押さえ得ます。

(ロ)発達保障論批判
 さて、ここで問題にするのは、発達保障論です。そもそも発達保障論は、ロシアのヴィゴツキーらの研究を下敷きにしていると言われています。ロシアが、ドイツ革命への連動に至らず、帝国主義列強の反革命干渉の中で、一国社会主義路線を打ち出し、資本主義経済原理の導入をネップという形でなし、資本主義の論理そのもののテーラーシステムの導入さえなしていく中で、発達の研究がなされていったことを押さえておかねばなりません。
 これは、帝国主義の成立と相即的に優生思想が生まれて来たことと類比できます。確かに、マルクス−エンゲルスが、進歩史観にとらわれていたという指摘もできますが、その思想の中には、今日の生態学的観点があったし、『資本論』が'経済学批判'という副題をもち、マルクス−エンゲルスの思想が科学批判的に開いて行く内容をもっていたとの指摘もできます。人の名を冠した思想など止揚すべきですが、その提起した思想を常に脱構築していく構えこそが必要だと思います。この発達保障論も科学的社会主義の脈絡の中でとらえられるのでしょうが、この科学的社会主義自体が、科学批判を欠落した宗教的ドグマに至っている現状をはっきりと押さえておく必要があります。
 発達保障論は、「そもそも発達とは何か?」という問いかけを欠落させています。その中で、ひとの多くが変遷する筋道を、発達の法則たる「発達の弁証法」として絶対化し、それにあわない者を「障害者」と研究者らが自ら規定し、「法則にできるだけそうことが、障害者の幸せであり、障害者の役割だ、その発達を保障するのが関係者の役割だ」として、障害者に同化と融和(注12)を強制する、障害者への抑圧の論理以外のなにものでもありません。誤解のないように書いておきますが、ひとの多くがたどる筋道のようなことはない、と言っているのではありません。確率的なこととしてあったにせよ、なぜその確率的に多いということが問題になるのか、その指標としてあらわれることの中身(項目)が、色々な他の多くの「項目」の中で、とりたてて浮かびあがっているのかを問題にしているのです。例えば、かって耳が動かせるタレントがいましたが、耳が動かせるということが、「発達」の指標や項目としてあがることはありません。どのような項目が発達の指標としてあがってくるのか?そのことをとらえ返していくと、前述した労働力の価値や生産性第一主義的な社会における身辺自立ということがその核心にあるはずです。そして、そもそも労働とは何かというところまで、とらえ返していくならば(注13)、発達保障論のドグマ的破綻が明確になるはずです。

(ハ)発達の弁証法
 さて、もう一つ、発達の弁証法なるものについて、書き置きます。発達の弁証法を主張する人達は、その弁証法をマルクス−エンゲルスの弁証法と主張しています。
 弁証法という概念は古くからあります。しかし弁証法を法則的にとらえるとらえ方は、ヘーゲルに由来すると押さええます(アリストテレスにもそのような傾向が押さえ得るようですが、哲学史的には一度断絶しているので、ヘーゲルから論じます)。ヘーゲル弁証法は、認識論と存在論と論理学の三位一体として成立しています。絶対精神の自己展開としての弁証法がそこにはあります。絶対精神に対する批判は、近代以降は、大かた神学批判として共有化されています。マルクス−エンゲルスはヘーゲル左派として出発しました。だから当初は、「ヘーゲルは逆立ちしている」という批判だけで、この三位一体的弁証法のとらえ方の枠内にありました。発達の弁証法の論者は、この流れの中にあります。その後、ヘーゲル左派の中での論争を経て、少なくともマルクスは、このことから脱しました。弁証法を認識論−論理学的にとらえて、絶対精神の自己展開の内容になっている存在論的なところでとらえることからは脱したと言い得ます(後期エンゲルスは、元来た途へ後戻りし、そのとらわれを明確に示しています)。そのようなところからとらえると、弁証法を法則と同一化することははっきりと誤りだと指摘できます。そして、その法則を絶対化するところで、絶対精神の自己展開と同一化します。マルクスの名を語りながら、まさにマルクスが展開しようとした内容とは全く逆の、宗教的なドグマに陥っていると指摘できます。発達の弁証法の弁証法とは、まごうことなく神の別名で、神学が抑圧の体系になるように、発達の弁証法は抑圧の論理そのものなのです。

(ニ)発達保障論の実践的破綻
 障害者運動の歴史をひもとくと、60年代後半からはじまる新しいながれの障害者運動が起こる以前は、障害者が主体ではなく、親や教育者や研究者、施設の職員などの関係者の運動として始まりました。これを厳密に運動と規定できるかどうかが問題になりますが、障害者問題という意識性があり、そのことの解決として一応問題にしているので、運動として規定して措きます。その運動は、障害者がいかに健常者に近づくか、近づくことが障害者の務めであり、それが幸せなのだとして、いかに教育やリハビリテーションにおいて、発達や回復を勝ち取るのか、そのことをどう保障するのか、というところで、問題がたてられていました。そういう中で、発達の法則性を見いだし、それを発達の弁証法と称して、その筋道にそって、科学的な教育・リハビリテーションをおこなうことがはかられました。
 それを理論的に推進した人達が、いわゆる進歩的と言われる人達でした。前出した、マルクス・エンゲルスの弁証法を口にし、科学を口にする人達でした。
 これに対する批判は、既に色々な形でなされていています。その一つが障害個性論として展開されたことです。それに対する発達保障論の論者側の反批判もなされてきましたが、問題を摩り替えて他者に対するレッテル貼りでごまかそうということに終始しています。これに関しては、わたし自身も吃音者の問題に引き寄せて一文を書いていますが(注14)、その破綻は明々白々です。発達保障論批判の端緒であった障害個性論の論者を、発達保障論の論者は「障害者運動の撹乱者!」と罵倒したことを、すっかり忘れ、発達保障論の流れで障害者運動を進めてきた実践の現場の人達(障害者や実践的関係者)から、「障害者は個性である」という主張が出てきています。過去の総括をちゃんとするならば、発達保障論は自らを歴史の屑籠に捨てざるをえないでしょう!?また、発達保障論を支えに活動していた人達が、79年養護学校義務化の際に、養護学校義務化を支持し、分離−別学に棹さしていたことが、世界的な障害者運動の流れの中で、インテグレーション(統合教育)(注15)に進んでいくことを押さえるならば、このことからも、発達保障論の破綻は明らかです。

(2)障害個性論の歴史的意義とその限界
(イ)前置き
 さて、障害個性論の批判を始めるにあたって、どうして書いて置きたいことは、個性論批判を展開するとしても、決して個性論がもった歴史的意義を否定し去ろうとするわけではないということです。逆に、その評価は充分評価してもし過ぎることはないと押さえています。個性論が登場して来た時、それまでの障害者に対する考えは、極めて否定的なものでしかなく、そのような情況下で、個性論を突き出した障害者は、ものすごいインパクトと軋轢をもたらしました。そのことは、新しい流れの障害者運動をひっぱった「青い芝」の二人の先達の本(横塚晃一『母よ!殺すな』(すずさわ書店)、横田弘『障害者殺しの思想』(JCA出版))などを見ればそれは明らかです。その個性論がもった歴史的意義ということは、強調しても強調しすぎることはありません。そのことは、私自身が、障害個性論のインパクトを受けて、やっと障害者運動の出発点に立てたということ、そして、長く障害個性論的な突き出しを続けていたという自らの歴史性からもとらえ返すことができます。それは、「吃音者宣言」が色々な形で批判されているといっても、その「宣言」が、「どもりは治すもの、治すべきもの」ということが一辺倒であった時代に、与えた大きな影響いうことことでは、大きく評価しえること。また、Dプロの「ろう文化宣言」が色々な批判にさらされているとしても、この「宣言」が、手話が言語として認められなかった時代から、言語としての当然視されていく、大きなターニング・ポイントを生み出して行く、というその意義はこれから更により大きく評価されるだろうと指摘できます。それらのことと、個性論の歴史的意義は類比しえます。障害者全体に拡がり勇気づけた突き出しであったと。
 しかし、今日、役人さえが個性論を突き出してくる現在(これに関するコメントは(ヘ)で述べます)、その個性論のもつ限界を明確にする必要が迫られて来ています。またその限界は、様々な問いかけの中で、個性論では闘えないということで、明確になってきています。すなわち、個性論が障害の負価値性というところにとらわれ、ひきづられていて、そこにとらわれている限りは(関係性を切って生き得ない以上)、差別をする者に対して差別をしないでくれという倫理的な突き付けしかなしえず、その相手の意思にすがるというところへ収束してしまい、自分も卑屈さをひきづってしまうということです。
 これまで個性論批判を部分的に展開してきていますが、ここであらためて、展開を試みます。歴史的な展開を押さえるには、過去に読んだ本をもう一回整理しなおし、もっとちゃんといろいろな文章にあたって、整理していく作業が必要ですが、ここで、問題になっているのは、障害者規定の問題ですから、その概略で足りるということで、私が概括的にとらえているおおまかな歴史を示しながら書いていきます。

(ロ)個性論の生まれて来た背景とその個性論の二つの内容
 障害者は長い間その存在を否定的にとらえられて来ました。障害者には二つの役割期待がありました。一つは、「社会の迷惑にならないように社会の片隅で、健常者の恩恵にすがって生きよ!(時には、死ね!)」ということと、もう一つは、「努力して障害を克服しろ! −健常者に近づけ!」ということです。そういう差別的な役割期待に応えることが障害者の役割として、担わされて来ました。そういうことに反発して、反抗して生きたしたたかな障害者がいたにせよ、多くの障害者がそのような役割期待に沿う、アンクル・トム的な生き方 −「愛される障害者」像に沿った柔順な生き方を強いられる中で、60年代から、そのような差別に反発する流れが形成されてきます。最初はまだ、恩恵にすがるような、親や研究者の「障害者の人権」というところでの人権擁護運動としての活動で、それは同時に障害者に障害の克服ということを迫ることを一方でなしつつの、障害者の人権擁護でした。発達保障論はこの流れの中にあると押さえています。そういう中で、その明白な「障害の否定性」に対する単純な即自的なアンチテーゼ的な反発として出されたのが、障害個性論でした。
 障害個性論と言っても大きくわけて二つの内容をもっています。まず、「障害はマイナスの価値としても、短所ということも含めてその人の個性である」という突き出しが最初の内容です。もう一つが、「人の個性にプラスだのマイナスだのかってな評価をしないでくれ」というような内容です。
 前者は、まだ「障害の否定性」にとらわれていて、人権擁護という流れの中で、「恩恵としての福祉」というような流れと相即的であり、人権ということも既にある人権という概念に乗っかろうとしたものでしかありません。後者は、そのような人権擁護というところから、抜け出そうとする衝動を感じます。人権ということに関しても、既にある人権ということではなく、人と人の関係を差別ということがない社会を作り出して行こうということを(物象化したところで)、人権という概念をもちだして運動を進めよう内容であると押さえ得ます。しかし、これとて、そもそも「障害の否定性」が現になぜあるのか、というとらえ返しを欠落しています。その否定性があらわれてくる構造をとらえ返すことなしに、「否定性」に対する反発をぶつけても空回りに終わり、結局その「否定性」にからめとられてしまいます。(後者に関しては、個性論ということをはみだしていくこととして押さえていますが、詳しくは(ホ)に展開します。)
 さて、このあたりを展開していくと、第5章の人権論批判の内容にだぶってしまうのですが、そもそも人権論と個性論とはだぶっているので、そのあたりは、後に整理することにして、続けて書いていきます。誤解を生みそうなので、ちょっと補足しておきます。厳密に述べれば、人権論と個性論は完全にかさなるわけではありません。個性論の二つの内容のうち後者の「人の個性にプラスだのマイナスだのかってな評価をしないでくれ」ということは、人権論である必要はありません。ただ、現実に規定される関係性がまだはっきりととらえられていないという面では、人権論と同じ土俵にあるといえるのではないかと思います。

(ハ)人権論としての個性論
 人権論というのは、資本主義社会の成立の中で、それまで、「共同体的紐帯(結び付き)」の中で生きて来た人達が、資本との契約の中で「自由に」自らの労働力を売る個我として、労働者−労働力商品として立ち現れてくることの中で生まれた思想です(もっとも労働力の商品化ということを、はっきりと押さえるには、マルクス・エンゲルスの登場をまたねばなりません)。(注16)
 人権論は、啓蒙主義であり、意識の変革によって差別をなくそうというところでしかたてられていません。差別は意識の問題だけではありません。それを成り立たせている土台というところを問題にしたのが、マル・エンの唯物史観です。今日、マル・エンの唯物史観を曲解したロシア・マルクス主義的な唯物史観が広まっていて、その批判から唯物史観そのものをほうむりさってしまおうという流れになってきています。それは意識だけの変革ですべてをなしえる幻想にとらわれています。例えば、障害者差別の土台として、すなわち、経済的性格としては、人が労働力商品としてあつかわれ、その労働力の価値を巡って、価値づけられるということにあるということを押さえるならば、労働力の商品化ということを止揚することなしには、労働力の価値を巡る差別の極にある障害者差別はなくならないし、そもそも人の日常的活動が、労働と家事労働と個人的営為ということに分離していく構造そのものを問題にしなければなりません。人権論はそのような観点が欠落し、差別を差別意識の問題にきりつめ、人権という倫理によって、差別をなくそう、差別を押さえ込もうとするものでしかありません。倫理は利害社会において、利害が表面に出た時に、つぶされていくという現実をはっきり押さえているならば、人権論は反差別の理論としては時として意味があっても、根源的には使えないものでしかありません。そのことは、人権論の内容をつかむ作業をしていくと明らかになります。
 人権の根底的なことは自己決定にあるという主張があります。確かに、人権ということの根底的なこととして自己決定があると言えます。しかし、「自己決定」と言っても、例えば、女性の障害者が自ら決定して子宮摘出をするという事実をどう押さえるのかという問題があります。これらは、そこへ追い込まれて行くという構造と同時に、障害者が自ら健常者の論理、健全者幻想にとらわれていくというところで、自己決定ということがどのようにとらえられるかというところが問題になるのです。近代的個我の論理では、このあたりの問題がとらえられなくなります(決して当人の主体性−自己決定をないがしろにしてもよいという意味ではありません)。これは人権論なり、個性論的な世界観では解決できなくなる問題です。
 人権論を過渡的なものとして評価しようという提起もあります。確かに、差別が当然視されていた時代に、人権論はそれなりの意味をもっていたし、現在的にまだ意味があるという側面を全面的には否定しません。しかし、人権論をどう評価するかということは、資本主義社会において、その社会において、いわゆる「民主主義」を進めれば差別が解決しうるかどうか(差別が差別一般で語られるかという問題がありますが)、という評価の問題であり、資本主義社会においても差別ということが解決しうるとすれば、人権論は意味をもつでしょう。しかし、(これは先程簡単に述べた、そして、これは次の章の問題なのですが)若干先取りして言えば、現在社会の差別の構造を押さえれば、そして少なくとも障害者差別において限定して言えば(私は他の差別もほとんど同様に押さえています)、資本主義社会において、障害者差別の形態の変化はなしえても、資本主義社会の根源的性格において、すなわち、ひとの生きるという営為の中で、労働ということが特異的に浮かびあがり、その労働が商品経済の中で、労働力の価値ということの中に規定される限りは、労働力の商品化ということがある限りは、障害者差別はなくならないとはっきり言い得ます。だから資本主義の止揚なくして、障害者差別がなくならないとい観点にたてば、資本主義の論理の枠組みの中にある人権論では、反差別ということを反差別意識ということにきりつめてしまい、根源的には障害者差別の解消にはつながりません。
 人権論は、ルソーの人権論の中にその出発点をとらえられるようです。そのルソーの人権論は、女性差別と障害者差別が端的にあらわれています。それを彼個人の限界のようにとらえ、人権論の枠組みを広げて行けば差別が解消しえるようなとらえ方もあります。確かに、人権ということの枠組みは広がっていますが、その中に、労働動力の価値を巡る序列という差別を含み得るでしょうか? ADA法が能力の違い以外の差別をしてはならない、逆に言えば能力の違いということを差別としてとらえられなかったことは偶然ではありません。資本主義の近代的個我の論理は、能力の問題を個人の実体としての属性(=個性)としてとらえ、その能力において、同一視することは逆差別だという主張をすることになります。これが人権論の限界で、人権論は、資本主義社会における差別の土台に、この能力の問題があり、差別ということがこの能力の問題に収束していく傾向をもつ時、その能力の問題を問題にしえない個性論−人権論は、根源的に反差別の理論になりえません。
 それは運動の方向性の問題にもつながっていきます。例えば、現在的な障害者運動の問題で言えば、障害者の社会参加ということが、排除型の差別を問題にしえても抑圧型の差別がとりあげられず、相対的排除の中にからめとられる、すなわち融和主義にからめとられるというその危険性と構造を押さえなければなりません。能力差別の問題が人権ということでは解決しえないとしたら、「重度の障害者」への排除(−絶対的排除)や障害者総体(とりわけ「軽度の障害者」)への抑圧(−相対的排除)という形での障害者差別はなくなりません。障害者の排除を許さないという意味で、障害者の社会参加ということが闘いとして必要になってはきますが、それは根源的な社会変革−資本主義の止揚と結び付いたところでの闘いとして位置づけなければ、他の差別でも多々おちいっている障害者(−被差別者)にも差別する権利を与えよという、差別の転化や差別の構造への組み込まれ、融和主義への屈服に陥るしかありません。

(ニ)人権論の個我の論理の背景にある世界観
 人権とは近代的個我の論理でなりたっています。それは個性論においては、実体−属性における、属性=個性という論理になっています。ここで、思い出して欲しいのは、この個性−属性なり、実体がいかなることとしてあるのかということです。すでに第1章第1節(3)でWHOの障害者規定で述べている内容です。すなわち、生物学的事実として、機能障害ということを歴然たる事実としてとらえ、「障害」という「もの」が実体に備わる属性としてとらえがちです。これに関して、わたしはルビンの図形を用いて、その属性ということが、関係性における項の実体化の中で、その「実体」への内自有化としてあることを示しました。即ち、「障害」とは関係性の阻害・矛盾であり、その矛盾の項を実体化した「障害者」への内自有化として、浮かび上がったということです。
 もう少し説明します。私たちは「生物学的事実」は、歴然たる事実としてあるようにとらえがちです。ですが、そもそも生物学的事実ということが、以前から生物学的事実としてとらえられていたのでしょうか? 過去において、障害ということが何か、怖れの対象として、両義的にとらえられていた、「障害」ということが必ずしも否定的にとらえられず、そこにあるひとつの霊能のようなこととしてとらえられていたことがあります。それを近代科学は非科学的なこととしてしりぞけてきました。その科学はとりわけ自然科学はニュートラルな客観的事実としてとらえがちです。しかし、あえて、逆転の発想から展開しますが、そもそも<障害>(「障害」として浮かびあがり名づけられる以前の障害そのもの)が「障害」として浮かび上がるということの中に「いくつもの条件がある(必要)」ということを押さえた時、例えば、車椅子の障害者が障害者であるということの条件として、意思疎通のできる介助者が容易にあつまらないこと、街が(電動ということも含め)車椅子で自由に移動できないように障壁をもうけていること(街や建物や乗り物を作ったひとたちが障害者の存在を無視してきた歴史性があったこと)、障害者がまちづくりや社会の運営から排除されていること、こういうことの条件を満たす中で障害者は初めて障害者であるわけです。聴障者の問題でも同じです。手話通訳者が十分いないこと、精神的交通(情報の提供)ということの中で聴障者の存在が考えられていないこと、「社会」の運営の中心から聴障者が排除されていること、これらの条件がととのって、初めて<聴障者>は「聴障者」として浮かびあがるのです。このような書き方をすると、そもそも、色々な配慮をするということ自体が既に、障害者ということで浮かびあがっているのではないかという批判がでると思いますが、それは他の色々な問題についてすべて「配慮」があるわけで、そのようなことの一環としてあるわけで、とりたてて浮かびあがるわけではない、という意味では、浮かびあがりかたの違いではありません。それはいまある「障害者問題」とはまったくことなった地平でしかありません。実際は、逆にとらえられています。「浮かび上がるのは自然だ」というとらえかたです。しかし、その批判のひとつは、『みんなが手話で話した島』という本の中で、ろう者がとりたてて浮かびあがらない ―異化しない社会の存在が示されています。
 誤解のないように書いておきますが、生物学的事実といわれることの事実関係が一切ないといっているのではありません。しかし、「生物学的事実」としてゆるぎのないとされることさえも、時と場合によっては浮かびあがりはしない、浮かびあがる構造があるがゆえに浮かびあがっているのだといっているのです。そして、その構造は、超歴史的な固定的なことではないと主張したいのです。
 自然科学を学んでいる人の多くは、自分は客観的事実を価値中立的につかもうとしているのだと思い込んでいます。しかし、その多くの人が、自分の社会の世界観の中で生き、それにひきづられています。そして、研究の業績をあげるという名目で、その社会に役に立つ研究をというところで、経済的にしばられ、そこへ収束させられる傾向をもっています。そういう中で、一つの研究さえ、時代拘束的です。例えば差別論と密接な関係がとりだたされるダーウィンの進化論とりわけ自然淘汰説は、資本主義的な競争原理の浸透ということ抜きには、出てこなかったとわたしは類推しています。自然科学だけではありません。フロイトの心理学が、近代家族の成立ということを抜きにして語れないだろうということ。そういう中で、一方でその時代拘束的に生まれた科学やイデオロギーがまた、時代を作り上げていくというその歴史性を押さえておかねばなりません。わたしたちは、科学ということの理論や法則が、それらの危うさの上に仮説としてなりたっていることを忘れ、それが一端理論として出されると、絶対的真理のように自律して動きだしてしまう。そのような危うさをはっきり押さえた上で、科学ということをとらえ返しておく必要があります。イデオロギーというものは、その時代の支配的なイデオロギーにとらわれている時は、イデオロギーとして浮かびあがってきません。それが客観的事実のようにとらえられてしまいがちです。そして、その時代から新しいパラダイム・チェンジを図ろうとするイデオロギー、その社会を批判し変革しようとするイデオロギーのみがイデオロギーとしてとらえられます。しかし、そのいずれもがイデオロギーであることをおさえた上で、いかに自らのイデオロギーを固定化しないで、常にとらえ返していく(脱構築していく)のかが必要になって来ます(ルビンの図形の反転がそのようなことの心理学的なところからのアプローチを示しています)。それが学批判ということではないか―学の生み直しとしての学ではないかと思っています。
 実体主義批判をもう一つ別の側面から展開してみます。
 それは、スティグマ論批判として展開した内容です。スティグマということは、「烙印を押されたアイデンティティ」という規定の仕方がされています。スティグマ論は、差別が生み出されたものという指摘として、その性格を言い当てているという適確性の魅力がありますが、逆にスティグマとされることを実体主義的にとらえ、その負価値性にひきづられるという弱点をもっています。「烙印を押されたアイデンティティ」という言い方は、アイデンティティという「もの」が歴然たる事実としてあり、それに烙印をおすという論理構造になっています。しかし、それは事実に反しています。すなわち、「スティグマ」と言われることが浮かびあがるとき、既に価値付帯的です。浮かび上がってそれに烙印を押すのではなく、浮かび上がる時に既に負価値性をもっているわけです。烙印を押すという構造ではありません。もちろん、一つのことが浮かびあがる時、両義性をもっていたり、価値的にゆらぎがあるということがありますが(民俗学的にいうケガレという概念に端的にあらわれています)、いずれにしても価値付帯的なことには変わりはありません。そういう意味では、スティグマ論はぴったり当てはまりません。アイデンティティといわれること自体が価値付帯的に浮かびあがってくる構造自体を問題にしなければなりません。それがそれが障害関係論につながっていくことです。

(ホ)個性論の二つのなかみと関係論への架橋
 「欠点も含めて私の個性だ」という個性論については、負価値性が負価値性としてあらわれてくる構造ということで問題にしました。そもそも資本主義的な厳密にいうと商品経済的な価値判断ということ抜きに、すなわち競争原理が凡通的になったことを抜きに、比較ということの中における負価値性ということが、凡通的にはあらわれてこないのではないか、ということを根本的な疑問点として投げかけておきます。
 さて、問題は「人の個性にプラスだとマイナスだのかってな評価をしないでくれ」という内容の個性論です。これは先に述べたように、そんなことを言っても、負価値性としてあらわれてくる、それが超歴史的事実、生物学的事実としてあるということで、反論されて終わります。だから、個性ということ自体を問題にしていく必要があります。そこから問題にしていかなくては、その個性ということを、ひいてはその負価値性を歴然たる事実としてとらえてしまうことになります。この端的な例が反差別の立場で論を展開しようとしつつ、失敗した柴谷さんの論であり、そして、運動的にも初期の障害者運動がニヒリズム的な傾向をもったこととしてあった背景でもありました。そのことに対する批判は、すでにわたしとしては、生物学的事実の成立根拠として、生物学的事実が浮かび上がってくる構造ということ自体を問題にしていくこととして指摘しました。この「構造」ということばを使うと、「構造」ということ自体が固定的にとらわれてしまいます。より厳密なことばを選ぶならば、「関係性」という言葉で表現し直すことができます。ここまで来ると、障害個性論がもってきた歴史的意義はその終止符を打ち、障害関係性論へその位置を譲ることになります。
 しかし、今日、まだ個性論が主張され、さらに運動的には人権論が叫ばれています。それは、理論的には、繰り返し個性論から関係性論ということを繰り返し提起していくこととしても、実際、社会変革ということの困難性から、人権論の枠組みでしか運動をすすめたくないというところで、そこで運動を収束させようということが起きて来ます。これは実際的に、具体的課題を巡っての共闘というところでは、人権論を目の敵にすることではありません。しかし、繰り返し「障害者差別とは何か」ということを語る中で、その障害者差別を根源的にとらえた時には、資本主義社会の中では解決不可能な問題として、その資本主義社会の論理の中にある人権論では闘えないということを、折りにふれて提起していくしかない、そのことの中には世界観的なところへ掘り下げた提起をもふくみつつ、繰り返して提起していくこととしてあるのではないかと思います。

(3)障害個性論から障害関係性論へ
 関係性論の内容については、個性論や発達保障論批判の中で随時出してきています。ここで押さえておきたいのは、この関係性論は、哲学界、自然科学界、社会科学界を貫いておきてきている、世界観のパラダイム・チェンジ(認識の基本的な枠組みの転換)の中で出て来ているということです。例えば、主−客を分離したところで、客観的真理を追求して来た自然科学は、量子力学における観測者の問題などで、観測するという行為が観測結果に影響を及ぼすという「不確定性の原理」の中で、客観的であるということがどのような意味をもつのか、ということで問われてきました。また、それは、武谷技術論のいう「技術とは(延長すれば、科学とは)客観的法則性の意識的適用である」という規定における、客観性とは、実は共同主観的な間妥当性に過ぎないとしておくことで、科学は、間妥当性という日常的な「常識」的なことの延長線に沿って、弁証法的に(フェア・エスとフェア・ウンスの交互的な重なり合いの進行の中で)それを高次化していったことに過ぎないとおくことです。そもそも社会科学においても、(これはパラダイム・チェンジそのもの内容ではありませんが)文化人類学的研究に女性が進出する中で、大きな180度的な転換がおきていくとか、歴史が先住民の側から語られることによって180度ことなる歴史としてあらわれてくるなどとして、語られていることにも通じます。断っておきますが、懐疑論的に真理といわれるようなことは一切ない、科学など意味がないと主張しているのではありません。客観的真理ということは、実は主観的な、共同主観的なことに過ぎず、それは絶対的真理ではなく相対的な真理でしかない。法則といわれることは、そもそも仮説に過ぎない。その仮説をたてるということで、何らかの意味ある研究を進めること、科学ということの意義自体は否定しないけれども、それが仮説であるということを押さえた上で、論をたてていかなければならないと主張しているのです。その仮説の上にたった構成的な進行は、その論理矛盾の指摘なり、部分的不整合性は指摘できるし、体系そのものの矛盾を批判するとしても、またパラダイム自体の転換をなしえるとしても、その対局に絶対的真理をたてることはできません。そこでは、真理という意味で(真理ではない−)正しくないとは言えても、正しいと断定できることではありません。せいぜい適合性をもっているというところでしか評価しえず、お互いの(体系的なことも含めて)整合性を突き合わせながら、対話の中で、論を刷り合わせるということが、学の進行としてあるのではないかと思います。
 そのことが、具体的には「生物学的」事実ということで「障害」をとらえることについて批判してきたことです。そもそも人が社会の中で生きている限り純粋に生物学的事実などありえはしないのです。生まれたばかりの人間の子どもは、周りの世話なしには生きられない(「進化」における直立歩行とこの他者依存性の密接な関係が指摘されています。他者依存性が故にヒトは人になれたのだと、だとすると障害者の存在はヒトの人としての成り立ちの根源的的意味をもつ存在として指摘できます。よく言われる「障害者を世の光りに!」という提言の中身です(注17)。また、ヒトは自然に規定されるだけでなく、自然に働きかけ自らの環境を変えていく中で、純粋な自然などほとんどなくなっている中で、今この産業社会の中で生きている人が、何人自然の中にほうり出されて生きことができるでしょうか? また、分業の進行の中で、一体他者にたよらず、何人の人が生物学的に生き得るのでしょうか? そのような中で、なぜ「生物学的事実」として「障害」を持ち出してくるのでしょうか? 「機能障害」が歴然とした事実のようにとらえられるけれど、どのような機能が問題になるのか、なぜその「機能」云々が比較されるのかということの中に、その社会の価値観・世界観が示されており、その社会の性格において、その機能・能力の価値付けの中で、それが「欠落している」として「障害者」として浮かび上がっているということを押さえ得ねばなりません。すなわち、障害者は、ある一定の(歴史的社会的)関係性の中で、初めて障害者なのであるという規定ができるのではないかと思います(注18)。そこで、そのある一定の関係性を突き詰める作業が必要になります。それは次章以降の課題です。

(まとめ)
 ここまで、発達保障論から個性論へ、個性論から関係性論へとの道筋をたどってきました。いくつか書き落とし、または誤解を生むおそれなどを考え、まとめ的に書き置きます。
 まず、発達保障論の批判をしてきましたが、それは発達保障論の批判であって、「発達」といわれていることの中味そのものを一般的に全否定しているのではありません。すなわち、障害者は健常者に近づかなければならないという意味で、健全者幻想の押し付けとしての「発達」を否定しているのであって、オルタナティブなものとしての「発達」ということを追求することを全否定するものではありません。そもそも、その一つ一つのことを「発達」などという概念でくくることを否定はしますが、その中身自体をオルタナティブなものとしては否定しません。ただ、「本当に」オルタナティブなこととしてあるのかという問いかけが、なされなければなりません。それは人権論の自己決定ということの中身のとらえ返しにつながっていることです。もう一つ、言わなければならないのは、おそらく、吃音者が吃音を治したいという思いにとらわれている限りは障害者運動として出発できないし、中途障害者が「障害者にならなければ良かった」という思いにとらわれている限りは、そして障害者がリハビリテーションの論理にからめとられている限りは、障害者運動の主体として出発できないのだろうと思います。ただ、そのことを、なぜ障害者がそのような思いにとらわれるのかということを押さえること抜きに、精神主義的に障害者を追い詰めるような提起の仕方はできません。現在的な生き難さの中で、今ここに生きるという観点を捨て、未来に投機するというような自己犠牲をせまるような活動として運動を置き得ないという意味では、この社会の中に生き、その現在社会の矛盾に対する闘争としてしか出発できないという意味では(注19)、現実に動いている者が、「鹿威しのおもし」がことんとひっくりかえるような大衆的な決起が起きることを、運動の展望をきり開いていく中で、生み出していくしかありません。
 さて、もう一つ個性論=人権論の批判を書きましたが、そこにも書いたように人権論を目の敵にしているわけではありません。ただ、なぜ人権論をいまさら出す必要があるのか、ということと、障害者問題を根底的にとらえ返す提起をする中で、転換の提起をしていかなければなりません。人権論が復活してきた背景には、障害者運動のいきづまりがあり、とりわけ差別糾弾闘争が、障害者の直接行動として展開しえず、裁判等に訴えて行くということが先進的闘いとなっている現実があり(注20)、そういう中で、人権論としてしか展開しえない構造が生みだされてきています。そこには、障害者の運動が世界的なところでの進行で、ガイアツを受けて、障害者が要求をまとめ運動を蓄積をしていく以前に、行政が先取り的に施策を出して来るという中で、融和主義的に障害者がからめとられていくという構造を押さえ、また、障害者問題における理論化の作業がおくれ、障害者規定さえ、一般化された形で出されていないという現実を押さえておかねばなりません。また、それらのことから障害者が障害別で分断されている現実も乗り越えていかねばなりません。それらの現実を押さえつつ、人権論的なところで運動を進めているひとたちと現実の運動の中で関わりを作りつつ、障害者問題をとらえ返す共同作業をなしつつ、障害者のおかれている現状を変えて行く運動を共に進める中において、相互の働きかけの中で、理論的にも相互に働きかけをしていくこととしてあります。
 (障害)関係性論は、それらのことをひとつひとつ解決していく出発点的、基本的な理論とて、道筋をあきらかにしていけることとして押さえています。

(注)
注1 最近ベストセラーになっている 乙武洋匡『五体不満足』(講談社)という本のキャッチフレーズに、「障害者は不幸ではない、ただ不便なだけだ」という筆者の提言があります。筆者はテレビのインタビュー番組の中で、「心のバリアー−物理的バリアー」という言葉を使って色々話しているのですが、その主張からすると「障害者は不幸ではない、不便といわれることがあるけれど、それはバリアーが作られているからだ」という主張になるのではと思います。そもそも、不便ということ自体が比較ということからおきてくるわけで、「中途障害者」ならまだしも(これ自体が過去との比較ですが)、いわゆる「生まれつき」の障害者にとって、不便と感じるとしたら、それは「健常者社会」に刷り込まれたものだと言い得ます。
注2 例えば、反転させて、手話の便利さという指摘もできます。その例をいくつか挙げれば、水中で手話で会話ができるとか、バスが連なって走っている時、その前のバスの後部座席と後ろのバスの前部座席で会話ができるとか、ちょっと離れていて声が届かなくても会話ができるなどなど多々あります。確かに、ろう者は大きな声を出して(呼びかけて)も聞こえない、例えば、建築・土木現場で危ない、そういう意味では障害者だという指摘ができます。しかし、そこでも、そのような効率性を高めるということで危ない作業をしているから、ろう者がその現場で働くことができない状態が生まれているのだという指摘ができ、そして、そのような危険性を除去するために、ろう者が安全管理者として色々指摘できる立場にあるというとらえ方もできるわけです。何度も繰り返しますが、このようなことを書くのは、みんなの考え方を変えたら、差別はなくなるのだという精神主義的なところで、書いているのではありません。むしろなぜひとつの「できる−できない」ということが問題になるのか、また色々「できる−できない」という中で、あるひとつのことは、たいして問題にならないのに、別のことは大きな問題になるのかという非対称性を問題にしているわけです。ここで言えば、安全性より効率性を求めるということの中で、差別が起きている、その差別の構造をとらえ返そうとしているわけです。しかし、その前に、その「差別は自然的なこととしてある」として、差別をとらえ返そうとする試み自体を切ろうとすることがあるわけで、そのことの反論として(脱構築するために)色々例をあげているのです。
注3 これは実際に私が出会った障害者が、食事する時に皿に口をつけて食べるという場面に出会い、一瞬だじろぎ、そして、ああこれがひとつの文化の違いを認め合うと言うことなのだ、と思いに至るという実体験に根差していることです。ただ、なぜその障害者が介助者との関係を作る、むしろその関係作りを楽しむという方向で進むのではなく、介助者の手を借りないということを選んだのかということで、そこに自分と心が通じる介助者と出会えなかったのかというわたしの想いなども出てきます。ですが、メンドウだということは、障害者−非障害者に限らずあることで、ともかく、自己決定ということがそういうことも含めてあるということだと押さえています。
注4 価値判断が付帯していても、それが両義的であったり、またゆらぎが生じるなどの場合があります。だから、あえてその段階を抽象的概念として{}をつけて強調して表現しています。
注5 差別のマイノリティ理論というのは、差別の問題を少数派という数の問題としてとらえています。例えば、「ろう者」という規定を、「手話を第一言語とする言語的少数派」という押さえかたがあります。また、ろう学校で手話教育がなされない理由をろう者の親の90%は聴者であり、ろう者の子どもの90%は聴者であるから、ろう者の意見は社会的にとおりにくいという中で、押さえる主張もでてきます。確かに、数の問題が差別につながるモーメントにもなりますが、それが差別の根拠ではありません。むしろ差別の構造があるから、少数派は差別される場合もある、という話でしかありません。これらの事は、次の問題をひきだせば、はっきりします。例えば、数的にほぼ、同数である、「男性」による「女性」に対する差別があるのか、という問題とか、アフリカにおける「白人支配」がなぜ長く続いていたのか、世界な南北問題において、人口的には少数派の北が多数派の南を支配しえるのかとか、もっと端的な問題としては、資本家階級が圧倒的多数の労働者階級をなぜ支配しえるのかという問題がとけなくなります。このマイノリティ理論の矛盾を、マイノリティ概念を数の問題ではなくて、権力のありようの問題とすりかえるような話もフェミニストから出ていますが、これは、ギリシャ神話におけるプロテクルスのベットのような話―ベットが小さすぎるからと言って、ベットにあわせて足を切ったと言う話−です。兎も角、このマイノリティ理論と言うのは、数という自然性の問題にすり替えた物象化といえることで、「障害者問題」で繰り返し生物学的決定論に陥っていく、ひとつの流れの中に位置することです。差別を自然的なこととして、逸れが差別への諦観なりとつながっていくこととして、はっきり批判していく必要があります。
注6 このことが一番はっきりするのは、障害者の労働をめぐる問題です。これについては、第2章補節で、「障害者にとっての「労働」ということ」でいくらかなりとも書きました参照ください。
注7 最近、フェミニズム世界システム論を主張するグループの本(マリア・ミース『国際分業と女性−進行する主婦化』日本経済評論社)を読んでいて、フェミニズムの中で、セックスという概念から区別してジェンダーという新しい概念を生み出したことによって、フェミニズムの新しい飛躍が生み出された。しかし、逆にセックスということがゆるぎのない生物学的事実として、セックスの違いによる差別の合理化を生み出したという内容の指摘が出ています。このことはWHOの障害者規定に通じています。フーコーが「生物学的事実」の歴史的相対性を指摘したこともとらえ返して、impairment自体が社会的歴史的概念であることを押さえる必要があるのではないかと思います。
注8 もう一つ押さえておかねばならないのは、もっと時代を溯った、いわゆる長老支配の問題です。それはまさに、おとなのこども(この'こども'という概念は現在のこどもという概念とはおおきく違います。長老からみると他はすべてこどもになるという意味での「こども」です)に対する支配があります。わたしはやらねばと思いつつ文化人類学的研究をまだほとんどやれていません。それでもあえて仮説的に述べるならば、私有財産制が起きて来ているところにおいて、なおかつ生産性が何らかの形で第一主義的になっている社会においては、ひとの生きる営為、しかも共同体的なわれわれのためにする活動(これを他者のためにする活動−「労働」と区別して「仕事」と規定します)が、労働という他者のためにする活動として転化し、浮かび上がってきます。そこで、初めて支配−差別の構造が起きるのではないでしょうか?
注9 吃音者の団体で動いていたときに出していた個人誌『ふれあい』9号で「<ダーウィン進化論と競争原理(社会ダーウィニズム)>批判」を試論的に書きました。進化論に関する本を買い込んでいたのですが、まだほとんど読めていません。そのうち、ちゃんと論としてやりきりたいと想っています。
注10 柴谷篤弘さんは『科学批判から差別批判へ』(明石書店)という書物の中で、「差別なき社会」を実現しえない空言として展開していますが、これについては、わたしはそれこそが物象化だとして、『吃屹』11号に批判を書いています。(『吃屹』は『ふれあい』が吃音者対象だったのから、一歩障害者対象に広げた個人誌です。)
注11 これは、「ひととひととの関係をものとものとの関係として取り違えている」としてマルクスが、『資本論』の中で、'物象化'という概念で説明したことに通じることです。その『資本論』は、「物象化」ということで貫いて展開されています。この'物象化'という概念を、差別ということにおいて、わたし自身が『反差別論序説草稿』の中で、キーになる概念として展開しています。
注12 差別の各形態を、わたしは排除型の差別としての抹殺・隔離・排除と抑圧型の差別としての同化・融和と、大きく二つに分けられると主張しています。同化と融和の違いについて説明しておきます。同化というのは、「差異」そのものを消失させよう、減少させようというところでの強制。融和というのは、「差異」そのものが歴史的にしか存在しないところでの(すべての差別についていえることでありますが、ここでは一般的意識においても「差異」がないとされる場合)、差別の歴史的蓄積の現実を無視し、被差別の側に努力などを強いる差別、もしくは、「差異」そのものはそのままにしておいて、他の形での努力などを強いるという形での差別です。
注13 ひとが生きる営為としてのわれわれのためにする生産活動を「仕事」ととして規定し、他者のためにする搾取や収奪ということを伴う活動を「労働」とわたしも規定しています。もっと言えば、ひとのいきる営為が、労働・家事・生きる営為(くう・ねる)・趣味的(表現)活動と分離していったのかということもとらえ返さねばなりません。
 また、マルクスの労働論を労働価値説としてとらえ、そこから労働崇拝というところに陥り、自称他称社会主義者も含めて労働崇拝にとらわれ、進歩史観とともに障害者差別的になっていった、優生思想にとらわれていったということを押さえておかねばなりません。マルクスの経済理論を労働価値説ととらえることが誤りだと指摘しえます。労働が価値を生むのは、商品経済の社会においてです。マルクスは、それを自然的なこととしてとらえることを物象化として批判していると押さえています。
注14 『吃屹12』「発達保障論批判−言友会への関わりの中から」
注15 インテグレーションや共生という論理には、差別における融和や同化を意味する場合があります。反差別ということをおさえた上での、インテグレーションや共生としなければなりません。今、ろう教育を巡って、コミュニティ形成論が起きていて、被差別側からの分離をとらえ返す必要はありますが、運動の論理以外から出される分離は隔離以外のなにものでもなく、差別であるというのは明確です。養護学校の義務化という中での、別学ということは、発達保障のための合理性というところで行われた隔離であり、発達保障論の抑圧性とともに、今日その批判が共有化されてきています。
注16 「マルクスには人権論ということがない」という批判をしている人がいるのですが、それが、時代制約的に反差別という観点がないという意味ならば妥当します。しかし、それを「人権論がない」と表現することは、そもそも資本主義批判をしている人が、資本主義の論理そのものである人権論を展開するわけがないと反批判することでしかありません。
注17 尤も、わたしはこのような突き出し方にはなんとなく違和感をもっています。そこには、異化ということがあり、それを前提しているからです。むしろ異化しないで、障害者が生き得るということが必要なのだと思えます。しかし、現在的に障害者(運動)が人と人との関係のありようを示していく存在としてあると指摘できます。
注18 これに関しては、女性の問題で、ボーヴォワールの「人は女に生まれない。女になるのだ。」という『第二の性』の冒頭の提言を想起せざるを得ません。差別における、差別の根拠としての差異について、同じような提起がすべての差別について言えるのではないかと思っています。
注19 マルクスの『ドイツ・イデオロギー』の中の有名なフレーズが思い出されます。「共産主義はわれわれにとっては、つくりださるべき一つの状態、現実が基準としなければならない一つの理想ではない。われわれが共産主義とよぶのは、いまの状態を廃棄するところの現実的な運動である。」
注20 部落解放運動の文献を読んでいると「差別の問題を法律問題にするな」という提起が出てきます。法−国家ということ自体が差別の体系の中であることで、法−国家自体が反差別の闘いの対象としてあることを押さえれば、法−国家によって差別の問題の根底的解決はなしえません。更に、「法律問題」にすることによって、融和主義へからめとられていく危険性を指摘できます。勿論、運動自体として切り開いていけないという中で、「法」を利用せさざるをえないという情況があり、ことをドグマチックにおけないということは言うまでもないのですが・・・。


第2章 障害者差別はどのようなこととしてあるのか?―障害者差別の存在構造

第1節 障害者差別はどのようなこととしてあるのか?

(1)障害者規定について
 さて、第1章の中で、障害者概念についていくらか書き、その規定についていくつかの具体的例をあげながら、それについての批判点などを述べてきました。ここで、そのことを概括的にまとめながら、もう少し詳しく中身を、とらえ返してみます。
 障害(者)規定については、いくつかの提起された文があります。法律的なところ、「社会」一般から「認知」されている規定を中心に、社会一般的なとらえ方が実際にどのようなこととしてあるのかを押さえるために、具体的にあげてみます。a.先に(『反差別(S)1』で)述べたWHOの障害(者)規定、b.国連の「障害者の権利宣言」、c.もうひとつは日本の「障害者基本法」の障害者規定、d.さらにアメリカで制定された「ADA法」の障害者規定です。a.WHO(世界保健機構)・・国連の「障害者に関する世界行動計画」(『社会福祉 小六法(93年版)』ミネルヴァ書房)からの孫引用です。
   @損傷(Impairment):心理的、生理的、もしくは解剖学的構造ないしは機能の喪失または異常。
   A能力不全(Disability):人間として普通(ノーマル)とみなされている方法ないし範囲内で活動を遂行する能力が(損傷の結果として)制約され、または欠けること。
   B不利(Handicap):損傷または能力不全によってもたらされる特定の個人にとっての不利益で、その個人の年齢、性別、社会的ならびに文化的要素に従って普通とされる役割の充足を限定または妨げられること。b.国連の「障害者の権利宣言」(『社会福祉小六法(93年版)』ミネルヴァ書房)
    障害者という言葉は、先天的か否かに拘わらず、身体的能力又は精神的能力の不足のために、通常の個人的生活又は社会的に必要とされることを、一人ではその全部又は一部、満たすことのできない人を意味する。c.「障害者基本法」(『社会福祉小六法(97年版)』ミネルヴァ書房)
    この法律において「障害者」とは、身体障害、精神薄弱又は精神障害(以下「障害」と総称する。)があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者をいう。d.アメリカで制定された「ADA法」(90年)(『アメリカ障害者法』現代書館)
  (A)主たる生活活動の1ないしそれ以上を実質的に制限する身体あるいは精神障害(B)上記の障害の過去の記録、あるいは(C)そのような障害をもつとみなされること
 さて、WHOの障害者規定ですが、この規定は日本語に翻訳される時に@の「損傷」は「機能障害」、Aの「能力不全」は「能力低下」もしくは「能力障害」、Bの「不利」は「社会的不利」と訳されていることもあります。訳によって随分ニュアンスが違ってきます。「損傷」は、とりわけ「先天的」とされる障害者にあてはまりにくい言葉ですし、「不全」という訳自体が、「完全体」ということを想定した極めて差別的な内容をもっていて、これがこの社会の障害者差別のエッセンス的内容をもっていると示しえます。「不利」も「社会」をつけるのとつけないのとでは随分意味が違ってきます。「社会的不利」の方が、「社会的責任」の問題を明らかにしていると言えるでしょう。兎も角、そもそも原文がどういうニュアンスをもっているのか、というところで言えば、障害者運動を進める者がかってに意味付与して、自分たちの理念で意訳することは、この規定自体の過大評価を生み出します。ですが、この規定は、「障害者のかかえる問題」(この社会の通念に沿っての問題)を入れ子的に、@→Aと含みこんでいっていて、@の規定がベースになっています。そして、その@自体が、社会的な関係としてあること自体を押さえそこなっています。これについては、すでに書いていることですが、この項の最後にもう一度書きます。もうひとつ、「喪失」「異常」「普通(ノーマル)」「欠ける」という障害者差別に一般に出て来る概念が出ていることを押さえて、後でまとめます。
 「障害者の権利宣言」は、WHOの障害者規定のAの内容に集約されています。障害者運動がまだ世界的に大きな運動となっていない段階で作られた規定で、WHOのBの規定が織り込まれていません。ここで大きく注目すべきは「不足」という概念です。もうひとつ、「通常の個人的生活又は社会的に必要とされることを、一人ではその全部又は一部、満たすことのできない人を意味する」と「個人的生活」と「一人で・・」と身辺自立の概念と結びつく形ではっきりと示し、一方で「社会的に必要とされる」というところで労働能力の問題を、区別した形で出していることです。
 日本の「障害者基本法」の障害者規定ですが、これは93年に改正されたもので、以前の「心身障害者対策基本法」と呼ばれていた時の条文では、「個別障害」を網羅し(ただし、精神障害者が障害者の中に含まれていません)「欠陥」という言葉が使われていました。「障害の否定性や負価値性」を強調しなくなっているという時代の変遷(障害者運動の前進の中で勝ちとったこと)がそこには現れていますが、「障害があるため」という言葉と、「制限を受ける」という言葉が直接的につながっています。そういう意味では、WHOの障害者規定の意味していていることをとらえ返しているとは思えません。また「障害がある」ということ自体をとらえ返す必要があります。
 ADA法の特徴は、過去の記録によって差別されるということや(B)、みなされるというところで偏見によって差別されること(C)を障害者の中に含めています。しかし、「実質的に制限する」ということの具体的な中身については述べていませんが、WHO規定の A的なニュアンスが強いようです。法律の内容的にはBは含まれているのでしょうが、規定的には、はっきりと記されていません。機会の均等ということでの差別を問題にしても、差別の構造そのものを問題にするニュアンスが弱いということになります。これは、この法律の適用される「資格ある障害者」という概念で端的に現れてきます。

 さて、このような法律や「宣言」などの文言にあたっていくと、「普通」「不全」「欠陥」「欠ける」といういう言葉が出て来ます。それらの概念が「障害」という概念と結びついているようです。そのあたりを考えると、「普通」とか「完全体」「正常」という概念が先にでてきて、「障害」ということが問題になるととらえがちなのですが、認識論的なとらえ返しとして、「異化」→「同一性」(のとらえ返し)→「相違」(のとらえ返し)というように概念化がおきると言われています。この最初の「異化」をとらえられないことから、先に「同じ」という意識が生まれて、「違う」という意識が後で生まれるという誤解が生じ、それが「自然」的に起きることとされます。この「異化」ということは、「命名判断」(「これは○○である」)として、言葉が生まれるところに通じることです。このあたりのことを書き始めると本一冊でも終わらなくなるので、別の機会に文章化するなり、問い合わせてもらって本の紹介などするしかないのですが、例えば、「健常者」という言葉は「障害者」という言葉よりも先には生まれないだろう、と言いえることに通じるというところで、だいたいつかんでもらえるでしょうか?! さて、こんなことを問題にしているのは、なぜ、「障害」なり「障害者」なりが異化したのか、すなわち浮かび上がって来たのかということを問題にするためです。
 さて、話がごちゃごちゃになりそうなので、最初の障害者規定に話を戻します。私たちは、「生理学的」「医学的」「生物学的」「解剖学的」事実をゆるぎない事実、それ自体は自然的な事実としてとらえがちです。ですが、そもそも「生理学」「医学」「生物学」「解剖学」自体が、近代に入ってから起こったことです。そのあたりは、かって博物誌なり、医術的なことはあったにせよ、科学自体がついここ数世紀の間におこったこととして押さえることができます。
 フーコーの『狂気の歴史』『性の歴史』『言葉と物』の一連の著作を読んでいくと、生物学の形成そのものがキュヴィエの解剖学と共に始まり、学の形成それ自体が19世紀に入ってからという指摘ができるようです。科学論のその歴史に沿っていくと、おそらく障害者概念自体が出てきたのは、それ以降と言えます(生物学的事実という表現自体が、社会と自然の二分法に棹さしていますが、これも、近代以降におきていることです)(*注1)。 類推的にしか述べれないのですが、おそらくそれまでは、「障害者」などという言葉が一般に使われることはなく、またそのようなくくり方もなかった。確かに、今で言う「障害別」の個別「障害」と「障害者」を指す言葉があったとしても、それを「障害」などということでとらえる概念がなかったといえます。かっての日本や近代国家の「障害者福祉」の始まりが、多くは近代国家形成後の戦争で負傷した軍人への補償の問題として起こったというような言い方がされます。そこで、「欠陥」や「不全」という概念とつながって障害者規定が生まれたとしても、それ以前に、「障害」というとらえ方自体あったとは思えません。もちろん個別障害(今だから「障害」という概念でくくりますが、かっては、今は差別の積み重ねの中で、差別語として指摘される「障害」と「障害者」を同時にさす様々の言葉)で直接表現されていたのではないでしょうか? 当然、そこでの今「障害」としてくくられる以前の{障害}(記号的に区別)は、「障害」ととらえとらえられることと随分違っただろうし、差別の形も随分違った形であったろうと推測されます。この「障害」概念が固定的なことではなく、常に変遷していくことは、現在的にも新しい形で、「障害」概念が生み出されることからも検証されます。すなわち、「学習障害」や「性同一性障害」(生まれた時に「生物学」的に規定された性と自己の規定が異なること)などという新しい規定が生まれて、生まれようとしているのですが、このような「規定」をとらえると、「一体、障害とは何か?」とさっぱり分からなくなります。
 さて、話を論の深化の方へ戻します。そもそも{障害}がなぜ浮かびあがってきたのでしょうか? それがなぜ"障害"に変遷したのでしょうか?
 そこで、注目するのが、b.「障害者人権宣言」の「できない人」という規定です。他の「損傷」なり「不全」なり、そもそも「機能」や「能力」という概念自体が、この「できる」−「できない」ということを巡ってあり、「障害者」規定の土台としてこの「できない」−「できる」ということがあり、その「できる−できない」という事が何故普遍的に浮かび上がるようになったのかの問題があります。

(2)障害者差別における「できない」−「できる」を巡る言説
 障害者規定や障害者差別の存在根拠ということを問題にしていく時、「できる」−「できない」(認識論的に言うと、障害者問題においては、先に「できない」ということが問題になる(異化する)ことで、順序が逆ですが、一般的な言い回しにそって、このまま続けます)というところの問題に収束してような気がします(このことは、実は、差別の性格について、仮に三つの性格として規定するところの「経済的性格」として押し出すことにつながっていくのですが、これについては、別の節で後述します)。そこで問題になるのは、二つのことです。一つは、なぜ、「できる」−「できない」が問題になるのかということで、もう一つは、どのような「できる」−「できない」が問題になるのかということです。二つのことはつながっていることです。「できる」−「できない」ということがすべてのことで問題になるわけではない、ということからどのような「できる」−「できない」が問題になるのかを考えていけば、自ずから、なぜ「できる」−「できない」が問題になるのかが明らかになるからです。
 順序が逆になりますが、ここではどのような「できる」−「できない」が問題になるのかを押さえておきます。

 (イ)どのような「できる」−「できない」が問題になるのか?
 ひとが生きて活動している、広い意味でのひとの営みは、そのひとの中においては連なることで、そのことを区別だてする意味はもとよりありません。「もとよりありません」と書きましたが、もとよりもなにも、現実には、「できるべきこと−必要なこと」−「ふつうできること」−「できた方がよいこと(できるにこしたことがないこと)」−「どうでも良いこと」−「できない方がよいこと」などと価値づけられています(最後の「できない方がよいこと」は省きえるかも知れません。「できない方がよい」ということは「できる」ことの反転として、起きていることで、差別があるから問題になることで、それ自体が独自的に意味をもつ訳ではないことではないか、などと想っています)。また、「どうでもよいこと」は、とりたてて異化しないということや、異化しても絶対的に価値付されないというような意味をもっています。「できる」−「できない」ということの対極に、わたしも別な形での「できる」−「できない」をおいて、ルビンの図形的な反転をさせてみて、固定観念を脱構築するというようなことを試みたりするのですが(例えば、「障害者は人間関係がどうあるべきかを提起できるひと」)、そもそも「できる」−「できない」の対極にあるのは、異化しない異化してもどうでもよいこと、個人のオルタナティブな好みの問題で、そこには普遍性がないこととしてあるのではないかなどと思っています)。
 しかし、どうもひとの活動において、活動の中身が分類されているようなのです。それは往々に無自覚的なのですが、そのことを掘り下げて行くと、どうも四つの活動として分類されているようなのです。
 それは、「労働に関すること」−「家事に関すること」−「趣味に関すること」−「狭い意味でのヒト(動物としてのひと)の生きる営み」ということになります。
 これらの「できる」−「できない」ということはパラレルにあるわけではありません。趣味的なことは、おおかた「どうでもよいこと」としてあります。「家事」に関しては、昨今フェミニズムのもたらした影響もあって、家事の再評価が叫ばれていますが、これまでは、女性にとってはできた方がよいこととされる一方で、「男たるもの厨房に入るべからず」ということで、家事をしないことが男らしいともてはやされ、男(マンが同時に人を意味することで)−ひと一般として家事ができないことを否定的にとらえる思考が長くなかった、逆にできないことがもてはやされたということさえあります。逆に「女性はあんまり勉強ができると、女性として幸せになれない」という言い方がされていました。できることがなんでも良いとはされていなかったわけです。ジェンダー(性役割)における非対称性の問題として、「できる−できない」が逆に価値づけられるというようなことさえおきます。
 そこで、具体的にどこで、「できる」−「できない」ということが(障害者の問題が)浮かび上がってくるのかということをとらえれば、それは、身辺自立と労働能力というところで問題になっているのではないかと押さええます。例えば、b.「障害者の権利宣言」では、「通常の個人的生活又は社会的に必要とされることを、一人ではその全部又は一部、満たすことのできない人を意味する。」と「個人的生活」−「社会的に必要とされること」と分けています。また、c.「障害者基本法」でも「日常生活」−「社会生活」という分け方がおきています(厳密に言うと、英語の「or」の概念で、「または」が「どちらか一方もしくは両方とも」というような意味になるのですが、どちらにしても生活を分けるということが起きていること自体は指摘し得ます)。この「個人的生活−日常生活」が身辺自立的なことに対応し、「社会生活−社会的に必要とされること」が(「社会的に必要とされること」はその前提としての身辺自立という概念があるようですが)、労働の場というニュアンスが強いようです。
 そして、労働能力と身辺自立との関係で言えば、身辺自立ということが一般的には先行要件になっているようです(「特殊の能力」をもっているとされる場合(例えば有名な物理学者)は別扱いされることはあるかも知れませんが、総体的相対的には先行用件として規定されています)。それは、障害者雇用推進法の障害者枠での採用でさえ、公務員の採用においてさえ、「自立通勤自立勤務ができること」という条件が一般的についていることにもあきらかです(これも障害者運動によって、パーソナル・アシンタント制度の導入を勝ち取り部分的には崩してきているようなのですが、大枠として、相対的には生き続けていますし、これがなくなる時が総体的な変化が起きる時だと言えることです)。これはb.障害者の権利宣言の「通常の個人的生活又は社会的に必要とされることを、一人ではその全部又は一部、満たすことのできない人」の「一人では」という文言が入っている内容なのですが、そもそもなぜ、「一人で」という概念が起きているのでしょうか? このこと自体が問題です。これについては、この節の最後に書きます。

 (ロ)なぜ「できる」−「できない」が問題になるのか?
 さて、最後の突っ込んだとらえ返しに入る前に、そもそもなぜ「できる」−「できない」が問題になるのかを押さえてみます。どのような時に「できる」−「できない」が問題になるのか問うていくと、おそらくそのひとつは、「(身辺自立の問題として、)ひとは人として生きる以前に動物として生きねばならない、ひとの動物性−ヒトである限り、自然の中で動物が自立して生きねばならないように、ひとも身辺自立していきねばならない」という意見が出てきます。いわゆる「「生物学的」事実の問題として、「障害」の負価値性は明らかである。」という指摘です。
 これについては、最終項でコメントすることにして、もうひとつの「根拠」を指摘しておきます。それは「ひとはめしを食わねばならぬ」という意味で生産性が問題になること、そしてその延長で、「できない」−「できる」ということが問題になるのだという指摘です。これは、(あくまで人の総体としての生産性の問題で、)「最低限の生産性がなければ、多くの餓死者がでる。」という意味で言われる事です。また、「食い物がなかったら、きれいごとなど言ってられない、ひとは弱肉強食の動物性を現し争いを起こす。ひとが差別するということは、そのことに根差している。」という論理です(このことは、新しい流れの障害者運動で、その初期においてニワトリの突っ突きなどを例に出して、障害者自身から指摘されていました。そのことが障害者運動のニヒリズムへの深いとらわれに結び付いていました。このニワトリの順位性や日本ザルの順位性が、動物界の法則として、ひとも動物である以上その法則から逃れられないとされていたのですが、そもそも飼育されているニワトリから自然法則が導きだされるのか? という疑問のなげかけや、日本ザルの研究から、餌付けされている日本ザルにはボスの支配というはっきりした順位性が見られるが、餌付けされていない野性の日本ザルには、ボス支配ということはみられないという論文なども出ています)。ですが、そもそも「食い物がなかったら・・・」ということ自体がひとつの仮定と条件を示しています。逆に言うと、「食い物が十分にあるところでは、そのような争いは起こらない」と言い得る事です。文化人類学的研究は、自然条件に恵まれた人達が、私有財産制が生じることを抑止して、生活している(いた)ことを示しています。そもそも「文明の「発達」したところが、文明の発生したところや、現在的にもより自然と一体化した生活するところと分かれたのは、自然条件に相対的にめぐまれていないが故だった。」というような指摘がされています。そのような条件ということを問題にしていくと、「どのような条件の下でも差別は同じようにあるのではなく、条件によって、差別ということに変化が起こる、更に・・・」ということが言えるはずです。
 さて、もうひとつ、「(できるだけ)身辺自立すべき」とか、労働力の価値が生産性の問題として問題になる背景のようなことを押さえると、「社会主義」が「働かざるもの食うべからず」というところで突き出していたことにつながる内容を指摘しておかねばなりません。この「働かざるもの食うべからず」は、資本家の搾取に対する闘いとして突き出されたにせよ、このことが労働崇拝と労働力の価値による差別とその極としての障害者差別の根拠になっていたことは否めない事実です(注2)。このような命題の根拠となったのは、「労働価値説」です。多くの自称「マルクス主義者」が「マルクスの労働価値説」というようにとらえているのですが、マルクスの言っていることをちゃんととらえ返すと、「労働が価値を生み出す(ととらえられる)のは、商品経済が支配的な社会で起きることで、それは物象化的錯認の中で生まれる」ということになります。『資本論』は物象化という概念で貫かれていますが、それをとらえ損なって、『資本論』第1章の「商品」を、回り道−夾雑物とらえててしまうことから、そのような労働価値説などを持ち出すことになります。差別を問題にする場合、現在の社会−資本主義社会の差別が労働力の価値に収束していく傾向をもつ以上、「そもそも「労働」とは何か?」というところから問題にせざるを得ません。これについては、補説として展開します。

(ハ)「生物学的事実」(注3)の問題
 さて、ここで問題にするのは、もう既に内容的には踏み込んでいるのですが、「障害」を「生物学的事実」として押さえ、ダーウィン進化論の自然淘汰説を根拠にして、その「障害の否定性」を揺るぎない「事実」として押さえることです。
 ですが、「自然淘汰説」自体が批判にさらされています。生物が生態学的に種−「環境」の関係性の中で総体的に変化して行くという事実があるにせよ、そこで劣った個体−種が滅び、より優れた個体−種が残って行く、その中で進化が起こっていくなどということは、「棲み分け」ということの発見や、生態学的観点を入れるとどうも事実とそぐわないのではないかという批判が出ています。
 そもそも「進化」という概念自体が人間中心主義的な概念で、今の人間社会の価値観に合わせて、ヒトを最も「高等」としてそれに近づくことを「進化」としているのですが、生物それぞれが、種−環境系で、それぞれに適応していることで、どこに価値観をおくかということで、「高等」−「下等」という概念自体が崩れます。
 例えば、「生物学的な生存能力」ということにおいては、ヒトの子どもが生まれてすぐ自分でまったく動けず、サルのように自分の力で親につかまって移動することも「できない」という意味では、ヒトは「生物学的」にサルよりも下等ということになります。よく、動物社会の有り様を随意に援用して、それが人間の「本能」的なこととして、「自然の法則」として、動物であることから抜け出せない人間社会にも現れるのだと、差別の合理化や永続化の根拠とする人がいます。ですが、動物界にも、色々な種がいて、色々な生態を示しています。どこを切り取り援用するかによって、その「法則」性が大きく違ってきますし、180度違う「法則」なるものが現れることがあります。
 ヒトに近いとされる類人猿でも、チンパンジーとボノボ(「ピグミー・チンパンジー」という言い方がかってされていました。人の部族名と重なるところで、ボノボという呼び名に最近変わってきているようです)では、かなりの違いがあります。サバンナに降りた比較的厳しい生活をしているチンパンジーは、雑食化が進み狩猟のようなこともし、順位性が強く、権力争いでの殺しなどの「事実」が示されています。一方、チンパンジーよりヒトに近いとされるボノボでは、比較的豊かな生活条件で、平和主義的で、支配−従属関係もみられない、などと言われています(立花隆『サル学の現在』平凡社)。
 さて、もうひとつ指摘しておきたいのは、ヒトとサルとの違いというところで、その最も大きなメルクマールとして、「直立二足歩行」ということが端緒になっていると指摘されています。
 その「直立二足歩行」がなぜ恒常化されたのか、というところにおいて、ヒトの子どもが親につかまることができない状態で生まれることと、相作(論)的に(ニワトリが先か卵が先かという因果論的な論理でなく)子どもを抱いて移動しなければならず、直立二足歩行になった、逆に言えば、直立二足歩行ができたから、脳の容量の大きい(サルから見れば)「未熟な」赤ん坊を産めた、とされることです。要するに、ヒトの子どもは、サルからみると「未熟な」危うい、「生物学的」に弱い存在と言われるが故に、より「進化」した、より「高等」になったと言われることです(何が「高等」かが問題になります。そのような比較する事自体が問題ですが、生物全体が生きる環境を脅かしているのがヒト−人であるという観点からすれば、最も「下等動物」でしょう!?)。
 さて、もうひとつ「生物学的事実」として障害者規定がおきてくることに関して、書いておかねばならないことがあります。
 前項で、障害者規定のひとつとして、「一人で・・・できるか否か」を問題にしていることをとらえましたが、そもそも生物社会において、「社会」として規定される内容において(この「社会」という広い規定の仕方は、「種社会」という概念から、今西錦司さんが言い始めたことのようです)、また、集団−グループを作っている動物もいることをとらえれば、何ゆえに「生物学」的根拠の問題として「一人で・・・できるか否か」を持ち出してくるのでしょうか? まして「協働する動物」としてのヒト−人、「複雑な社会性をもって存在している」人が、何故に「一人でできる」ということを強いらなければならないのでしょうか? そもそも分業の進行の中で、自給自足生活をしているひとなどほとんどいず、「自然」の中に独りで放り出されたら、生きて行けるひとが何人いるでしょう!?
 そもそも「人間は動物である」ということと「人間は動物とは違う」ということが、時には同じひとからごちゃまぜになって、社会の問題を論じる時に出されるのでしょうか?! 「人」という漢字の字源は左右対称で互いに支え合う字だったと言われています。それが支配−被支配関係が生まれてくる事と関係があったのでしょうか、一方(右側)が支え一方(左側)が寄りかかる漢字に変わったという話をきいたことがあります。そのことは「負担」と言う概念が生まれる事にも繋がったのではないか、というのは論理の飛躍でしょうか? そもそもヒトの子どもが周りの援助なしには生き得ず、その時期がかなり続く、更に、そもそもヒト−人自体が周りの援助なしには生きられないような存在であることを押さえるならば、なぜ、「生物学的」根拠として「一人で・・・できるか否か」ということが問題にされるのでしょうか?
 かって沖縄では、親を亡くした子どもを地域ぐるみで育てるという風習があったそうです。沖縄に限らず、子どもが悪さをしていたら、みんなが注意するという風習はかってどこででもありました(尤も、もっと溯れば、子どもという概念自体が新しいものだという指摘もあります)。何も、昔が良かったなどというつもりはありません。共同体が必ずしも個々の利害で一致できない、支配−被支配の関係のある幻想共同体としてあるところでは、抑圧の機構として働いたということも押さえておかねばなりません。
 ただ、すべての差別を問題にして行く中で、新たなる共同性、地域を作っていこうというその共同性の中身を、障害者の存在自体が問い、障害者自身がよりよきパイロット(水先案内人)になれるのではないかと思います。既に、福祉のまちづくりの中で、「障害者が生きやすいまちはみんなが生きやすいまち」という突き出しがなされていることにも通じることです。(フェミニズムの中でも同じような言い方がされています。「バギーに子どもを乗せて移動できるまちということが、みんなが生きやすいまち」と。)
 勿論、このような形で異化すること自体が過渡的なことで、そもそも(特別に)異化しないこと、差別構造そのものをなくしていくことが問題なのだと想っています。
 さて、ここで、広義の「ひとの生きる営為」ということが分離していくことを問題にしましたが、その中でも労働ということを巡って、そこに集約するような形で、ひとが価値付けられるということを指摘しましたが、そこで、「そもそもなぜそのような分離が起きるのか?」、また、「そもそも労働とは何か?」ということを一点抑えておかねばなりません。それは(補節)として書くことにします。

(3)ICIDH‐2との対話
  ICIDH‐2については、これまで何度か論じてきました。でもその際元にしていたのは、ICIDH-2についてコメントした邦文、更にその中で引用された図とかでした。語学力の貧困の故です。今回、翻訳本(日本語版)を手にして、全体の正確な輪郭をやっとつかむことができました。英文も辞書を引きつつ部分的に参照してもう一度対話を試みます。尚、日本語版は WHO発行・WHO国際分類日本協力センター訳「ICIDH-2:生活機能と障害の国際分類 ベータ2案」WHO国際障害分類日本協力センター発行,2000(ベータ2案フルバージョン1999.6の翻訳)で、英文は「ICIDH-2 PREFINAL DRAFT 」(October 2000)、版が違うようです。かつ、最終的には、「2001年の5月のWHO総会(世界保健会議)に上程され、正式決定される予定である。」(「日本語訳へのまえがき」)とあります。ただ、過程をみているとほとんど変わらないだろう、変わりようがないと思えます。

(イ)概略図と本文との相違
 翻訳本を読んでも批判点の概要は変わっていませんでした。ただ、尤も要約した図(翻訳本では「図1 ICIDH-2の次元間の相互作用に関する現在の理解」、英文では「図2」になっています)自体が、本文の内容を正確に表現していないということがありました。この図は、一段目に「健康状態(変調・疾病)」があり、二段目に左から「心身機能・構造」「活動」「参加」の各「要素」が書かれています。三段目には「環境因子」「個人因子」の要素があります。で、一段目「健康状態(変調・疾病)から二段目の各要素(「心身機能・構造」「活動」「参加」)に相互関係を表す双方向の矢印がついていて、二段目の「心身機能・構造」と「活動」の間に双方向の矢印があり、「活動」と「参加」の間に双方向の矢印があります。かつ、二段目から三段目に矢印が複雑についています。具体的に書くと、二段目の「心身機能・構造」と「活動」の間にある双方向の矢印の真中と「活動」と「参加」の間にある双方向の矢印の真中から矢印が出ていて、それが途中で一緒になり、それから二つに分かれて、一つが「環境因子」、もう一つが「個人因子」に届いています。この矢印は双方向になっているので、「環境因子」と「個人因子」それぞれから出た矢印が途中で一緒になって、それから二つに分かれて、「心身機能・構造」と「活動」の間にある双方向の矢印の真中と「活動」と「参加」の間にある双方向の矢印の真中に届いてもいます。この図を元に、わたしはかって「まず第1は、前の規定は、障害を規定すると目的がはっきりしていたのですが、この規定は、そもそも何を規定しようとするのか、はっきりしないということがあります。いわば障害者の生活情況というようなことでしかなく、何を問題にしているのかが不明です。/ 第2に、「健康状態」「心身機能・構造」という情況概念と「活動」「参加」という実践概念がごっちゃになっているという指摘ができます。もとの規定の方がもっとすっきりしています。敢えて、実践概念をいれるとしたら、情況概念は情況概念として整理し、「活動」は「活動制限」、「参加」は「排除−バリア」というように置き換え、実践概念は別な形で入れ込むべきです。」(一部校正)という批判をしていました。本書では「心身機能・構造」に対しては「機能障害(構造障害を含む)」、「活動」に関しては「活動制限」、「参加」に対しては「参加制約」と対で論じています。これを図にちゃんと織り込むべきですし、若しどちらか一方だけしか書けないとしたら、むしろこの「機能障害(構造障害を含む)」「活動制限」「参加制約」の方を表に出すべきです。それに関しては、そもそも出版物のタイトルの名称変更、「国際障害分類」が「生活機能と障害の国際分類」と変わったこととの関係を押さえねばなりません。「日本語訳へのまえがき」には、「人間の生活に関わることのすべてを対象とするものとなっている」(EP)とあり、本文「序章」に「診断に生活機能を付け加えることによって、人々の健康状況に広範かつ意義ある像が提供され、これは意思決定の目的に用いることもできる。」(4P)とあります。けれど、ICIDHにあった、障害規定での深化においてあいまいになり、まさに障害(の種別)分類に収束して行っています。

(ロ)「標準」という言葉について
 この文書を読んでいて一番気になったのは、「標準」という言葉です。
 「機能障害(構造障害を含む)は、身体とその機能の医学的・生物学的状態に関する、一般に受け入れられている。一般人口の標準からの変異を表すものである。」(日本語版「序章」12P)その箇所が出発点的なところで、ここからやたら、「標準」と言う言葉が使われているのです。
 日本の障害者運動の中で、「標準なるものを設定し、その標準なるものから外れると規定する、それこそが障害者差別だ」と語られていました。今回この分類が障害者団体の協力の下に作られたということですが、この問題に関して障害者団体の方から意見はだされなかったのでしょうか? それとも出されたけれども斥けられたのでしょうか?

(ハ)「パラダイム」について
 もうひとつ、今回の改定の作業に関して、ICIDHが医学的決定論的になっていて、それを超えるための改定作業だとの話がありました。ですが、今回の文書を読んでいるとそのような主旨が文書の中で書かれていません。それどころか、「ICIDH-2は、これらの2つの両極端のモデル(「医学モデル」と「社会モデル」)の統合に基づいている。」(括弧内引用者の説明、22P)というような記述が出てきます。何処で、そのようにねじ曲げられたのでしょうか? そもそもそのような要求を出していたのは障害者サイドだけで、その意見を取り入れようとポーズをとっただけの話でしょうか?
 ところで、この「5-2 医学モデルと社会モデル」の項の注の中で、「パラダイム」という言葉がでてきます。「ここでの「モデル」という用語は、既出の節でのこの用語の使用法とは異なり、概念またはパラダイムのことを意味する」(22p)です。わざわざ「パラダイム」という語を使っているのです。当然、「パラダイム」という語が現在的にどのように使われているのかを承知した上で使っていると思ったのです。
 どのように使われているのかというのは、「パラダイム転換」という言葉がかなり煩雑に使われ、当然このことを意識して「パラダイム」という語を使っている可能性を考えたのです。ただ、「ICIDH-2の目的を一言でいうと、人間の健康の重要な要素としての生活機能と障害の状態を記述するための、統一的かつ標準的な言語と枠組みを提供することである。」(2P)の「枠組み」は英文ではframeworkとなっていて、paradigmではありません。そのようなところでのとらえ返しがそもそも無かったのかもしれません。
 ところで、障害者問題におけるパラダイム転換とは何かといえば、「障害を障害者が持っている属性としてとらえることから、「障害とは社会が「障害者」と規定する人たちに作った障壁である」というような提起をしたこと」ではないでしょうか? パラダイム転換とは哲学・科学を貫いて起きた・起きている「考え方の枠組みの転換」と言われ、その内容としては、要素還元的な実体主義から関係主義とでもいえるようなことへの転換です。要素が集まって関係を作っているのではなく、関係性があってその関係性の中で、関係性の網の網の目として項がある、関係性を抜きにして項が先にあるわけではない、その項を自存視したのが実体主義で、そのような実体主義を批判する転換が起きてきています。障害問題で言えば、まさに、実体主義的な世界観が医学モデルで、関係の第一次性をとるのが社会モデルと言われる事で、その間でパラダイム転換がなされたといえることです。
 ところで、パラダイム転換がなされた後、二つのパラダイムは合論理的に並存しえるのでしょうか? もちろん日常的意識として、並存していくわけですが、学的な厳密な議論・規定をするときに並存可能なのでしょうか? 「ICIDH-2は、これらの2つの両極端のモデルの統合に基づいている。」ということは、いわば天体学における天動説と地動説の並存とでもいうべきことと同じようにわたしにはとらえられるのです。
 「付属資料4」で、「障害とは、健康に関連した人と環境の相互作用による多次元の現象である。」「利用者(ユーザー)はICIDH-2は決して人の分類ではないということに留意する必要がある。それは、個々の健康状態と環境的影響に関連したひとの健康属性の分類である。」(247P)と展開しています。これも、まだ人と環境を二項対立的におく古いパラダイムの枠内にあるとはいえ、ここからでも、「活動制限とは、活動の遂行において個人がもつ困難のことである」「参加制約とは、生活(人生)状況への関与の仕方または程度において、個人がもつ問題のことである。」(9P)ということと整合性を持ち合わせているとは思えません。相互作用という考えから、なぜ「個人がもつ」という主張が出てくるのでしょうか? おそらく、この文書が一人によって書かれたものではなく、議論の中で論理的一貫性をもつには至らず。異なる世界観−パラダイムが並存してしまったのでしょうが、・・。
 結局この文書全体を通して、古いパラダイムにとらわれてしまっています。各概念の細かい分析になると、まさに要素還元主義的な分析になっているし、全体の枠組みも「相互関係」ということを継ぎ足しつつも、結局要素還元主義的な分析に留まっていると言わざるをえません。
 結局、医学モデルに収束してしまっているのです。

(ニ)「環境因子」と「個人因子」の二分法と「因子」概念について
 さて、もうひとつは、「環境因子」−「個人因子」と言う概念の導入問題です。
 これは、障害者問題を他の問題と結び付けて考えよう、社会的関係の中でとらえ返そうとしていることで、そういう意味では評価できることです。ただ、「因子」というような要素還元主義的なとらえ方と二項対立的な出し方はおかしいと思います。二項対立的に置いた事への批判は以前書いた文を引用します。「第3として、個人と環境を二項対立的に置いたこと自体の問題があります。この新しい規定は、そもそも生物学的決定論の批判からおきたのですが、障害を社会的関係性から切り離された実体化された個人に内自有化された属性とおいたところで、個人・実体―障害・属性として現れています。環境と言う言葉自体、社会と区別された環境、すなわち自然ということを頭に入れて使っていることと推測できますが、社会と区別された純粋な自然というものを置くこと自体がおかしいと指摘できます。このような置き方自体が生物学的決定論を生み出す事になります。だから「環境」などというあいまいな言葉を使わないで、「個人」と「社会」というように置くと、そもそも二項対立的に置くこと自体がむずかしくなります。個人ということは、社会という網の目・結節点といえることで、社会―網から切り離されたところで個人−網の目が存在することではなく、それを切り離したところで、実体主義が生まれます。障害自体も、社会的関係性の中で障害として現れることで、関係性と切り離されたところで障害というものがあるわけではありません。まさに、社会的関係を自然的関係ととらえそこなった物象化といえることで、生物学的決定論批判はそのような観点からなされるべきです。」
 さて、もうひとつ押さえておかねばならないのは「個人因子」と言われている事の内容が何故「個人因子」として出せるのかということです。内容として出されている「人種」「性別(ジェンダー)」は、他の被差別事項に関わる問題です。他の内容も差別に関わってくることがあり、社会的関係性の問題です。この項の最初に書いたように、他の差別の問題も含めて考えていこうという事は評価できても、これを「個人因子」としてとらえる事自体がどう考えてもおかしいことだと思うのですが・・。このような「因子」と言われることが、障害分類と同じように、また一つの分析のテーマになるようなことではないでしょうか? それをなぜ「個人因子」にしてしまうのでしょうか?

(ホ)WHOが分析主体になったことの問題性
 「何故医学的決定論の枠組みから脱しえなかったのか?」を考えるとき、「ICIDH-2は、健康の諸側面に関して、WHOが開発した「分類ファミリー」に属している。」「ICD-10(国際疾病分類10版)とICIDH-2は補完的であり、利用者にはこの2つのWHO国際分類ファミリーメンバーをなるべく一緒に利用することを奨めたい。」(3P)と「ファミリー」としてリンクさせようとしたことを押さえざるをえません(もちろん、単に切り離せばよいということではなく、「病気」概念の障害者サイドからのとらえ返しも必要なのですが、・・・)。そもそも障害者問題に関しては、障害の発生の予防とリハビリというところから出発し、その枠組みを脱しえていないWHOが主催したという事に規定されてしまっています。また、あれもこれもという目的をもたせようとしたことが間違いだったと言えます。
 障害規定は、障害者のおかれている被差別の情況を如何に変えていくのかという、国連で言えば、人権に関わるところの担当で、障害者を中心にしたプロジェクトで進めるべきです。あえて、WHOでやるとしたら、全面的に障害者団体への委託としてしか、医学的決定論の枠組みを脱する事は出来なかっただろうと言いえます。

(ト)その他の不備−差別形態論について
 最後に、もう一つだけ書き置きます。社会モデルも織り込もうという意志の上での話です。「活動」「参加」という概念を出してきているのですが、「参加」ということだけでは、障害者問題−障害者の置かれている情況を押さええません。わたしは差別の型を排除型と抑圧型と大きく二つに分け、「努力して障害を克服しなさい」というようなことでの努力を強いることや努力の非対称性も差別だと指摘してきました。ICIDH-2の分類でも「参加」−「参加制限」という対概念では、「社会モデル」としての障害ということを押さえきれなくなります。ここのところは、「参加・対等な関係」−「参加の制限(排除)と抑圧」と言うような記述になるはずです。

(チ)まとめ
 ICIDH-2は、色んな方向性を内包したもので、特に社会性により注目しているということにはわたしも共鳴できるのですが、結局ICIDHがもった障害規定というところを深化するというところでは、医学モデルと社会モデルとの関係を押さええず、結局医学モデルに収束してしまっていると言わざるをえません。
 障害規定は、障害者サイドからなしていくことです。そのようなこととして、わずかなりともその一翼を担うこととして、ICIDH-2との対話を試みてみました。批判をもらう中で、更に深化しえればと願っています。


第2節 障害者差別はどのようにして生まれるか?−3つの動詞を巡って−

 さて、全体の構成から言うとちょっと外れる感じがするのですが、差別ということを考えるひとつの脇道的なこととして、差別ということを生み出すひとの行為ということで、3つの動詞から話を進めてみようと思います。

(イ)「囲う」こと
 更に、ちょっと離れたところから話を進めます。かって読んだ本の中で、反差別という立場から考えると、日本語には一人称代名詞で使える言葉がないという趣旨の指摘が出ていました(福岡安則『マルクスを<読む>』三一書房)。「僕」という言葉は服従的なニュアンスがあり、「自分」というのは、自らを分けるということで、事項でも述べる「分ける」という言葉の差別的ニュアンスがあり、・・・。
 その中で、一番ポヒュラーに使われている「私」という言葉の起源として、「ノギヘン」が「囲う」という意味であると指摘していました。私有財産制の起源が囲うという行為から始まるという指摘とつながっているのですが、漢字文化圏の話ですが、一人称単数代名詞それ自体から、私有財産制と差別の問題が始まっているという内容です。尤も、それは農耕文化ということでの囲うという行為で、共同体の同心円的排除の構造における、円という概念自体が、農耕文化において生まれたことだという指摘をしているひとがいます(赤坂憲雄『排除の現象学』洋泉社)。非農耕文化においては、それ自体の中から「囲う」という概念が生まれるかということも問題になるのではないかと思います。
 アルベール・メンミが『人種差別』(法政大学出版会)の中で、差別の起源を「異質性嫌悪」ということとして押さえていますが、そもそも「異質」−「異なる」という意識がどうして起きてくるのかをとらえ返す必要があるはずです。新しい出会いということの中で、ひとは必ずしもオソレ意識をもつわけではありません。あくまでもそれは、「囲う」ということの中で起きる、守るものを作ってしまったところからのオソレ意識につながっていることではないでしょうか!? 非農耕文化においてはどうなるのか、そのあたりの研究もあるようなのですが、断片的にそのような指摘をしている文を読んでいるだけでちゃんと資料としての深化をなしえていません。ただ、そのようなとらえ返しが起きていることで、既製の概念に疑問をもって接するということとしては提起できます。
 この「囲う」という行為にひとつの差別の始まりをとらえることができます。

(ロ)「分ける」こと
 これもそもそも「囲う」ということにつながることです(「囲う」という行為は、私と「家族」−自らの属する共同体を、他の者−他の集団から分けるということから起きます)が、ある集団が他の集団を拒絶する−区別する、ある集団から特定のひとたちを分ける、もしくは、ある集団の中で、色々分けていくこと、しかもそれを固定化していくことが差別として現れて行くということを押さええます。恐らくは、共同体間でのわけ隔てから差別が始まると押さえ得ます(廣松渉さんは、分業の発生を、共同体内の分業よりも、地理的な特異的産物の交易の中における共同体間の分業ということに始まると、その起源を指摘しています(注4)。尤も「特異性」が、即、分業ということにつながるわけではなく、その産物が商品(的)になっていく中で、分業ということが起き、更に差別的関係性が進んでいく(という相作性)を押さえねばなりません)。
 分業の発生と言うことが差別をもたらした土台として押さえるのですが、ここで一点抑えておかなければならないのは、では協働する動物として、社会を作って来たひとの歴史を捨象してしまうのかという批判のとらえ返しです。
 これに対する応答は、協働の中における役割分担ということと、分業ということは一定区別する必要があるということです。役割分担の固定化ということが分業なのですが、役割分担−協働ということ自体を否定はできないのではないでしょうか?! その固定化、とりわけ、決定と執行の分離(その逆の、決定と執行の一致ということが実は、60年代後半から70年代の初めに起きた大衆運動の中で突き出されたことです。あの大衆運動は実はすごい内容は孕んでいたのだと指摘できます)ということが精神労働と肉体労働の分離ということに端的に現れ、その固定化が差別として現れて行くこととして、止揚すべき(なくしていくべき)こととしてあるのではないかと指摘できます。
 「分ける」ということが何を生み出すかについて障害者問題で端的に示されてきました。養護学校義務制の中で、別学態勢をひいていくことが何をもたらすのかということで端的に現れていて、今日、養護学校義務制に賛成して、別学態勢を支持していたグループ(全障研など)の理論的破綻の中にそのことは示されています。そして、「分ける」いうことのもつ否定的意味ということが、世界的な理論的な流れとしてはかなり流布してきて、インテグレーションなりインクルージョンの思想が定着しつつあります。
 その歴史的流れを押さえながら、改めて、「分ける」ということのもつ意味を再度押さえておく必要があります。(注5)

(ハ)「比べる」こと
 これについては、既に第3章第1節で手話を援用しながらふれました。「比べる」ということは自然的に起きるのだというとらえかたが一般的ですが、文化人類学的な研究で、自然の中で生きる民が、競争原理を否定していたり、私有財産制を抑止するルールを作っていたりしていることをとらえ返すと、むしろ、「比べる」という行為は競争原理の働く社会の中で(相作的に)起きてくることとして押さえる方が妥当ではないかと思えます。一般的に自然的なこととしてとらえていたことが、社会が違えば違って来る、そもそも一般的に浮かび上がる事象が浮かびあがらない社会がある、ということの中に、「比べる」という行為自体の社会性、そこに既に差別が存在している構造ということを指摘できるのではと思ったりしています。
 話がちょっと外れるのですが、例えば障害者規定の中で出てくる「社会的不利」という概念の「不利」という概念自体、既に差別がある中で出てくる概念です。差別がないところで、「不利」という概念自体ありえるでしょうか?! この「不利」という概念自体が比較概念で、それは既にある(もしくは起きて来ている)差別的関係性の中で出て来ているということを押さえておかねばなりません。
 わたしたちは、今、生きている社会の価値観にとらわれていて、言葉自体もその世界観の中で、生きている言葉であることを押さえ、その言葉ということからとらえ返したところで、差別の問題を掘り下げて考えていく必要があります。
 さて、差別にまつわる動詞ということで、かって読んだ本の中で色々な情報をもとに若干概念的に構成してみたのですが。このあたりのことは、もっと文化人類学的な研究とか、歴史をひもとく中で、もっと深化していく必要があるのではないかと、長年の課題にしているのですが、果たせないままにになっています。
 そういう中でも、あえて、概念的にとらえ返していることとして、差別の起源について、短いコメントを挟みます。
 それは、マルクスがコミュニズムを分業と私有財産制の止揚として突き出していることとつながっています。その分業と私有財産制ということが、差別の始まり、そして土台としてあるのでは!? と指摘できます。そして、その分業と私有財産制の関係については、廣松さんも指摘しているように、分業の方に先行性があるのではと、いまだ深化しえず、まとめられないなりに考えています。これは、これからの課題として整理しきれないままに、ここにとりあえず、提起しているのですが、・・・。

第3節 障害者差別の三つの性格

(1)方法論−脱構築することとしての三つの性格

 障害者差別について、三つの性格(経済的性格−政治的性格−文化的性格)という分類をするのですが、「三つの性格」とはっきりした分類できるわけではありません。ですが、差別の問題をとらえる時に繰り返し、何かとらえ方が一面的になっていくという傾向があり、そのことをどう解決していくのか、ということで、三つの思いつく側面−性格を提出し、分析から抜け落とさないための方法論として提出していることです。

(a)他の差別事項からとらえた差別分析の問題点
 差別の問題のとらえ返しの中では、繰り返し一面的なとらえ方がでて来ました。例えば部落差別の政治起源説がそのひとつです。確かに部落差別ということは政治的な性格が強いのですが、それだけで部落差別をとらえると近代になって解放令がだされた後も被差別部落が作られたという側面がとらえられなくなるということで、政治起源説というところで偏重してとらえることの疑問が呈されています(この多重的に部落差別をとらえるという観点は以前からかなり出ていたのですが、中々定着していませんでした。しかし、最近とみに突き出されてきて、かなりそのような観点がくみいれられて来ているのではないでしょうか?!)。この一面的にとらえるという問題は、部落差別の問題にとどまりません。民族・人種差別にも現れています。差別とは階級支配の手段であるという、手段論にこのことは端的に現れています。確かに手段的側面があるのですが、それだけではなく、そういう全規定をしてしまうと、差別の性格をとらえ損ないます。階級ということ自体が差別の問題であるという観点、要するに階級の経済的性格をとらえ損なっていることから、このような規定が起きて来ています。こういう誤った規定がおきてくる背景には、日本の反差別運動を引っ張ったのが部落解放運動だったということから、その政治的性格の強さから、また他の性格を捨象してしまったことから、差別総体を階級支配の手段としてとらえる政治主義(政治的性格のみで押さえ他の側面を抜け落とすこと)さえ生み出しています。
 また、一方で差別の問題を差別意識の問題に限定し、啓蒙主義的に解決しようというひとたちは繰り返し、差別のとらえ方自体で文化主義に陥る傾向がありました。確かに、文化ということを強調することの中には、差別ということを否定的にとらえるだけで、その中にある豊かな文化ということをとらえられない傾向もあり、被差別の文化を肯定的にとらえ返して行こう、その事を梃子に反差別の仲間つくりを進めていこうという積極的側面があったのです。しかし、一方で差別ということをスポイルしてしまう恐れがありました。このことは現在日本における障害学の出発に際しても同じようなことが起きています。文化ということをひとつのテーマとして突き出してきていることは、被差別の文化ということを突き出し、対抗文化ということを生み出してきた、そのことを評価するという姿勢をもっているとも言えます。ただ、対抗文化ということが差別的関係性そのものを止揚することに直接つながらないところで、文化ということに限定した強調は差別そのものをとらえにくくする側面があることは否めません。文化主義ということが差別をとらえにくくするという側面は、フェミニズムにおける文化主義批判を巡る論争の中でも明らかになっていることで、差別ということでもっと意識的に他の側面からとらえ返す必要も感じています。

(b)差別の問題がなぜとらえられなかったのか?
 逆に、マルクスに影響を受けたひとたちの間で、差別の問題をとらえ返せなかった(そして政治利用主義的にしか差別の問題にかかわれなかった)歴史があります。これは、階級という問題を経済主義的にとらえる中でおきたことです。これは、唯物史観ということがタダモノ主義的に変節し経済主義−経済決定論におちいったことにもつながっていることです。
 それは、マルクスが帝国主義の問題をとらえきれなかったということにもつながっています。すなわち、本源的蓄積という問題を資本主義成立の初期段階のことだけに限定したことから、「純粋」経済学的な展開ということを想定し、それだけで資本主義が成立し、そして、またその経済法則によって、資本主義が止揚されるというようなとらえ方がおきました。だからこそ、差別というのは階級支配の道具−政治的な問題でしかないというようなとらえ方がおきたのです。そのことは、継続的本源的蓄積や政治といわれることの経済との一体化の問題をとらえそこなっていますし、そもそも階級という事自体が、生産手段の私的所有からの排除という差別の問題だというとらえ方を欠落させているのです。
 これらのことはいわゆる「経済と政治の分離」というとらえ方からおきているのですが、なぜこのようなことになったのでしょうか? 確かに、個別反差別の運動が−ほとんどない、理論的蓄積のない時代の歴史的制約と言えることもあるのですが、それだけででしょうか? そもそもは初期マルクスの、「市民社会と国家の分離」という分析からおきて来ているととらえられるのではないでしょうか?!
 確かに、市民社会が国家から一定独自的に動き得るという側面があるのですが、それこそが資本主義の成立であったのですが、だが、政治的側面と経済的側面はつながっていて、純粋に分離した市民社会などありえないのです。マルクスはあまりにも分離ということや自由な競争ということを強調的にとらえてしまったので、次の時代の独占的資本主義の時代をとらえられなかったし、差別の問題もとらえられなかったのです(そのあたりのことは、今、世界システム論としてウォーラーステインらによって止揚されてきています)。

(c)方法論としての三つの性格というとらえ返し
 ですから、誤解のないように書いておきたいのは、純然たる経済、政治、文化という領域があり、その性格から分析していくということではなく、むしろ側面を抜け落とさないように三つの性格という方法論的概念に沿って分析して、差別の問題を押さえて行く、しかも三つの性格と分けた事自体を固定化させるのではなく、「重なる部分」も押さえつつ、分析した事自体を脱構築していくということで「三つの性格」を出しているということです。このあたりはウォーラーステインも、『史的システムとしての資本主義』(岩波書店)の中で、そのように分類すること自体を問題にしつつ、あえて三つの性格として分析していった方法論にも通じることです。

(2)三つの性格
(イ)経済的性格
 さて、英語で障害者は「disable person」ですが、「できないひと」と直訳できます。これが障害者差別の意味、土台的意味で、これをとりあえず経済的性格として指摘できます。「できる−できない」ということに関しては、既にこの障害者反差別論序説の第2章1節で展開しています。ここで、問題にするのはどのような「できる−できない」が問題になるのかということです。それは労働力としての価値に収束していく傾向をもつと指摘できます。その端的に例は、事故などで死亡したり、「障害をもったり」「障害の重度化をもたらした」場合の損害賠償が、「そのひとがもとのままだったら、どれだけの収入を得ることができたのか」ということで換算されるということで示し得ます。すなわち、人権を標榜する社会ではひとの命の重さはみな同じだとか、平等だというけれど、そんなことは嘘っぱちで、明らかに序列がつけられるし、それは労働力の価値ということで序列づけされるのです。「できる−できない」ということも、労働力の価値として、序列づけされることの中で問題になるのです。
 もちろん歴史的には、ひとが労働力の価値で価値づけられるということはそんなに普遍的なことでもありません。「障害者」という概念が生まれたのは、せいぜい近代に入ってからで、資本主義の成立とともにと言い得るでしょう!? マルクスは『資本論』の中で交換価値を形成するのは、標準的人間労働というところでの労働時間が交換価値(ひいては価値)を形成すると展開しています。もちろん、厳密に言うと普遍的に労働が価値を生み出すのではなくて、歴史的相対性において、資本主義社会においては、あたかも労働が価値を生み出すかのように物象化された相であらわれるという意味に過ぎないのですが、…。 兎も角、資本主義社会においては、ひとの価値が労働ということを基準にして、「できる−できない」という分け隔てをする。そこで、障害が浮かび上がってくる、障害者規定が出てくるということがあります。また、そもそも労働力として価値評価される以前に、障害者は「身辺自立」できるかどうかが問題にされるわけです。今でも、公務員の採用規定に、「自力通勤−自力勤務ができること」という規定があることは端的にこのことを示しています(これに関する批判は第1章の注で述べました)。
 障害者差別の根拠を単に意識の問題としてとらえる傾向があるのですが、この経済的性格を押さえると、資本主義社会の基本的ななりたちにおいて、経済的性格を土台にして、障害者差別が存在することを押さええます。

(ロ)政治的性格
 障害者差別は政治的にふたつの方向性に流れて行きます。これは、障害者への差別的な役割期待−遂行と重なります。この役割理論を援用してのとらえ返しについては、(ハ)の文化的性格−イデオロギー攻撃と分離できることではありません。既に述べているし、(ハ)で再度とりあげるので、ここでは割愛して具体的に政治性の問題にしぼって指摘します。
 ひとつは、明らかに抹殺の流れです。これは文化的−イデオロギー的な性格ともつながっているのですが、優生思想というイデオロギーとつながって繰り返し出てきています。ナチスの精神障害者の虐殺がこの極としてありますが、その歴史は、障害児と分かった時点での人工中絶や障害者の不妊手術、繰り返しおきてくる親などによる障害児殺しなどに端的に現れて来ました。最近は脳死−臓器移植などとしてひとの命の序列化にもつながって出て来ています。
 もうひとつ、国民統合のために、国家という共同幻想をなりたたせるために、国家の慈愛の対象として、障害者を融和的に組み込んでいったという歴史があります。このことは、皇室(王室)が繰り返し、福祉の具現者としてたちあらわれるということに端的に現れています。赤十字の総裁が皇后が担うということを始め、障害者施設や病院を皇室が訪問すること、そして手話を使う皇室(王室)のメンバー、…。天皇が国家の象徴(更に差別社会の象徴)だとしたら、まさに慈愛対象の象徴が障害者として、まさにシンボル的に障害者が使われてきたのです。慈愛ということの差別性やその歴史については、北村小夜さんの『慈愛による差別−障害者は天皇制を見限り始めた−』(社会評論社)という本があります。まさに、戦争遂行の強力なテコとして使われ、戦争態勢に入ると様々な形で殺されて行く(−抑圧されて行く)という歴史をはっきりと押さえておかねばなりません。今日障害者団体が社会的認知を得るために皇室を利用するという手法が取られていますが、過去の歴史をとらえ返すならば、まさに自分のくびをしめるようなことだとしか思えません。障害者と接するひとたちが、繰り返し「かわいそうなひとを助けてあげる!」というようなところで接してくることに対して、障害者運動は「同情というのは差別だ!」ということをはっきり突き出してきたはずです。さすれば、生きがたさの中で、利用できるものは何でも利用しようというしたたかさがあるにせよ、皇室を利用するということが何を意味するかは自明なこととしてあります。まさに同情でも何でも福祉が進めば良いということが何をもたらしてきたのかを考えなければなりません(民間でそれを担ってきたのが笹川一族の船舶振興会という組織をもってして、ギャンブルで大衆から収奪した金をもって差別的イデオロギーを広めていた活動に端的に示されています。そのような「慈愛」的なイデオロギー自体を撃つ必要があります)。そこで何かしらのものが獲得できたとしても、ある情況の変化の中で、また抹殺というとも含めて降りかかるものを振り払う力はそこにはありません。
 また慈愛の対象として障害者を不幸な存在として、沈め石的に利用してきたことも押さえ批判しておかねばなりません。
 政治的性格ということばかりを強調していくと手段論に陥り、反差別の運動が作りえないし、利用主義的な運動をも生み出していくのですが、今日障害者運動が、国民統合支配のアメとしての福祉の一定の推進の中で、解体的状況に陥っている中から障害者運動を再構築していくためには、この政治的性格ということをきちっと押さえる必要が迫られていると言えるでしょう!?

(ハ)文化的性格
 政治的なイデオロギー、政治的な性格と結びついた、慈愛というイデオロギーについては、前項の政治的性格で既に書きました。政治とイデオロギーの不可分性がそこにあり、まさに三つの性格ということが明確に分離しえるものではないということの証左でもあります。
 さて、ここでとりあげる、もうひとつのことは美意識の問題です。障害者差別の根拠として、繰り返し出てくるのが、この美意識の問題です。あたかも美意識が自然的なものかのようにとらえて、その美意識から障害者差別は起きてくるのだというようなとらえ方が出てきます。しかし、様々な価値観の中で美意識ほど個別性や時代性があることはないのではないでしょうか?! また、負け惜しみでもなんでもなくて、障害者を美しいとする感性が、障害者と接するひとのの中に起きてくる。そのことが美意識というのは必ずしも障害者差別の根拠とならないことを示しています。もうひとつ、わたしたちは美意識ということを歴史非拘束的に、不変的にとらえてしまいがちなのですが、もうひとつ別の観点から、たとえば視覚ということのみで美意識がなりたっているようにとらえてしまいがちなのですが、視覚障害者にとって美とは何かというような観点を入れたところで、もう一度美意識の問題をとらえ返す必要も指摘できると思います。
 さて、イデオロギーということで言えば、もうひとつ障害者への差別的役割期待ということがあります。ひとつは、「障害者は社会の迷惑にならないように社会の片隅で生きよ(時には死ね)!」ということであり、もうひとつは、「努力して障害を克服しろ!」という役割期待です。とりわけ後者が差別としてとらえにくいところから、その差別に取り込まれて行く構造は、これは第3章の差別形態論で書くことなのですが、単なる、意識だけとして取り出せるようなイデオロギーでなく、この社会の価値観からくる役割期待としてあるわけです。また障害者に対して常にだされてくる「愛される障害者」像ということも押さえておかねばなりません。慈愛ということのもつ意味も含めて、青い芝が「愛と正義を否定する」と突き出した内容は、まさにこの健全者幻想にとらわれた社会−文化からくる障害者像へのアンチテーゼとしてあったことは言うまでもありません。まさに、障害者のカウンター文化としてあったし、あると押さえ得ます。
 ただ一点押さえておかねばならないのは、繰り返しになっていますが、あまりにも文化ということを突き出していくと差別ということがとらえにくくなります。これが様々の被差別事項で語られている文化主義批判としてあります。他の側面とつながったところでの文化ということを押さえておく必要があるのではないかと思います。
 差別ということを単に差別意識の問題として収束させるような傾向は常に出てきて、倫理主義の問題として啓蒙運動を進めて行けば差別が解決しえるというような幻想をばらまいたり、逆に差別はなくならないとして、倫理的にいかに差別を押さえ込むかというとろで問題をたてる傾向が繰り返し出てきます。まさに、これが文化主義の内容なのですが、ここで提起してきたように、差別の性格ということを方法論的に押さえて、他の側面との関係性からとらえ返す作業をしていく必要を繰り返して提起しておきます。
 最後にもうひとつ、障害(者)規定で、従来「機能」と言う事に絞って語られてきた事が、今日、「機能・形態の障害」と言う形で、「形態」の問題が語られている事に関して、コメントしておきます。この「形態」ということは、直接的には美意識なり、恐れ意識(注6)とつながることです。そういう意味では、文化的性格からとらえ返すということで、これまで、この「形態」という事が多くの障害者規定から落ちていた事は、わたし自身の自己批判的な事も含めて、この「文化的性格」の抜け落としとしてとらえ返しておくことです。ただ、イメージさえも商品化される中においては、この「形態」も、良い印象を与ええるかどうかということで、一定機能化されているともいいえます。また、先に書いたように、美意識なり、恐れ意識ということを強調する事自体が、それらを超歴史的なこと・超社会的なこととしてとらえてしまうことになりかねません。ただ、そういう意味での「形態」という概念を障害規定の中に入れ込むことへのためらいはあるにせよ、そもそもそんな事を言い始めたら、他のモーメントでもみんな同じになるわけで、現実に差別があるということでは、障害者差別の概念の中に、障害規定の中に、「形態」の問題は、はっきり織り込んでいく必要があると思います。本文中に必ずしもきちんと織り込めていないという自己批判も含めてここに書き記しておきます。

(補節)障害者にとっての「労働」

 わたしたちはひとの生きるための生産活動を労働というようにおおかた規定しています。しかも、フェミニズムの中で「家事労働」という概念が突き出される以前は、「労働」と「家事」と「ひとの生きる営為そのもの」、更に「趣味的なこと」と、分離していく傾向がありました。そもそも現時点でも家事労働と労働−商品生産活動は区別されています。
 一般的に言えば、狭義には労働とは商品生産活動をさしています。
 「生物学的には、「労働とは他者のためにする活動」という規定がある」という指摘を今西錦司さんがしています。資本主義的には、労働というのは、確かに搾取という概念がつきまとっています。まさに、他者−資本家のためにする活動として押さええます。問題はなぜその労働をなくてはならないものというようなとらえ方をしているかです。
 今、「労働」という概念に「仕事」という概念を対置することがおきています(「仕事」と「労働」の対置については、今村仁司『仕事』弘文堂)。世界システム論では、サブシステンスという概念(ひとが生きるための基底的活動と訳せるでしょうか!?)が出ています(ヴェルホーフ他『家事労働と資本主義』岩波書店)。まさにこのサブシステンスということと「仕事」という概念が重なっています。資本主義社会を最も効率的な社会と称するひとたち(資本主義のイデオローグたち)がいるのですが、ひとの生きるための基本的活動ということで言えば、こんなに非効率的な社会はありません(「効率」云々という概念自体が資本主義的なのですが、あえてその論理にも乗ったところで問題にしています)。もうずっと前から、資本主義社会の中の農業で作ったものを、売ると価格が下がるからブルドーザーでつぶすということなどでそのことは端的に現れていましたが、そのことのみにとどまりません。特許なりということで、「もっとよりよい」品物が作れるところを、競争の壁の中でつぶしていますし、何のためにリニューアルするのか分からないところで、欲望を過剰刺激し、よけいなものをどんどん作っています。公共事業がひとがいかによりよく生きていくための環境を作るのかということでなされるのではなく、企業献金の大口担い手である大手ゼネコンの金儲け主義のための事業になっています。ひとの将来を考えようとしないで、商品生産を優先させることから起きる環境破壊もその端的な例です。資本の論理というのは、競争に打ち勝つことなしには生き残れないとして、悪無限の競争を繰り返し、「何のために生産するのか?!」という問いかけを欠落させ、競争のための競争という陥穽におちいっています。企業の中で花形とされる部門は営業ですが、これは資本主義的には必要ですが、他の社会からとらえると、不要な部門です。そして産業部門ということからとらえても、資本主義をひっぱっているとされる金融資本は、そもそもサブシステンスというところからとらえれば、これもほぼ不要な部門です。そもそも貨幣を不要とする社会を考えたら、そのことははっきりします。労働と言われていることを、@生きるために必要な活動−サブシステンス的活動Aそれなりに快適さを求めるに意味あるものを作っている活動B社会が変われば不要となる活動というようにわけた時、Bの活動に従事しているひとたちを@に向ければ、地球上の食糧難などの問題は直ちに解決できるだろうし、Aの部門ももっと整理されて、逆によりよいものが作られるようになるでしょう!?
 よく、「資本主義社会でなければ、欲望がなくなり、社会が退化する」というようなことを言うひとがいるのですが(そもそも進化−退化という概念自体も問題になるのですが)、確かに「むだな」欲望はなくなるかもしれないのですが、逆に欲望というものが整理された形で大きくなっていくと思えます。
 労働ということばのもつ曖昧性には、マルクスの流れを組むと自称するひとも、労働価値説などというマルクスの曲解から、とらわれていっています。今日、商品経済の中で、環境破壊や教育の崩壊に示される、社会の崩壊的情況の中で、今一度、労働といわれていることの中身をちゃんととらえ返したところで、そして、「労働」と「家事」と「個的な営為」と言われることの分離ということを越えたところで、ひとに何が必要なのか、何がひとの幸せなのかということを押さえたところでの、ひとの活動自体とらえ返し、そういう中での社会の再構築が迫られていると言えるでしょう!?
 さて、そういう中で障害者にとって、「労働」と言われることがどのような意味もっているのでしょうか? そして「労働」を巡ってどのように語られてきたのでしょうか?
 障害者運動の中で、「介助を受ける時、腰をあげるのも労働だ!」とか「労働は悪だ!」という言い方がされていました。前者は、「労働」でなくて、「仕事」(サブスタンス的活動)という言葉で置き換えられることですし、「労働は悪だ!」ということは、そのまま共鳴しえて、しかし、「労働は悪だ!」と主張した時に起きるわだかまりに対して、「労働と仕事は違う、必要なのはひとの生きる営為を分離しないころでの仕事」という提起ができるのではないかと思います。理論的に整理されないままに、かって障害者から提起されていた内容は、極めてラジカルな(根源的な)内容をもっていたと言い得ます。
 サブシステンスということの出発点は、というよりその中身は、「ひととひととの関係にとって何が必要か?!」という問いかけです。その活動のおいて、障害者は「障害をもつ」と規定される存在なのでしょうか? 現在社会においても、障害者が「むしろひとの生きるとは何かを色々提起できる存在」と言われています。もちろん、言葉でまとまって提起のできないとされる知的障害者も当然含んでです。
 将来的には、差別のない社会でそのような特異性も示されなくなるかとも思いますが、とりあえず、現在的には障害者がそのような役割を担えると言えるでしょう!?
 そもそも、ひとの活動がなぜ分けられていったのか、その中でなぜ「労働」ということが浮かび上がって、特に価値のあることとされてきたのか、そのような観点から、「労働」を、そしてひとの生きる営為ということをとらえ返す必要があるのではと思います。
 むかし、障害者の労働を巡って、支援的活動をしているときに書いた文があります。わたしが労働という事で、最初に色々考えていたときの文で、難解な文を書くといつも批判されているわたしとしては比較的分かりやすい文になっているので、引用しておきます。
       自力出勤・自力勤務って何!?自力出勤って何?!
  先日、教育委員会の入っているビルでのビラまきの後での対話です。
T:ビラまきしていたら、教育委員長が運転手付きの車で出勤してきた。私のこと、自力出勤できないと首にしておいて、自分だって自力出勤していないじゃない!?
S:他の人達だって自力出勤していないよ。他の人が運転する電車に乗ってくるのだから。
T:自力出勤しているのは、歩いて通っている人だけね。
S:その人達だって、他の人達が舗装した道を歩いてくるのだから、自力出勤と言えない。 自力出勤って何でしょうか?
  例えば、勤住接近で、電動車椅子で通勤する場合。車椅子と車で通うこととどう違うのでしょうか?! 他者の運転する車で通うこと他者の運転する電車で通うことと、介助を受けて通うこととどう違うのでしょうか?! 介護人派遣制度で介助を受けて日常生活をすることとが進んでいる中で、なぜ介護人派遣制度を利用して仕事をすることが区別されるのでしょうか?!自力勤務って何?!
 自力勤務についても同じことが言えます。最近頓に機械化が進む中で、その機械を使って仕事をするということは、その機械を作った人達の手を借りて仕事をしていることを意味します。機器ということ待ち出すまでもありません。鉛筆ひとつ紙ひとつだって自分で作ったわけではありません。更に、例えば、横浜市には、立派な市長室があって、多くの秘書が働いています。横浜市長は多くの手助けを得て「執務」しています。これは自力勤務と言えるでしょうか? これはシステムだと笑って答えるかも知れません。ならば、障害者が働けるシステムを作れば良いだけです。
 機械化を一様に評価しているわけではありません。時に、機械に人間が使われるという情況を生み出すからです。しかし、機械を使うことでよりよきことが生み出せるならば、機械を人が使うことを否定すべきことではありません。機器の導入で仕事ができるというTさんの主張をとりあげようとしないのはどういうことでしょうか?!そして、多くの労働が機械に置き換える中で、もっとも大切な仕事がひととひととのふれあうこととして位置づけられる中で、Tさんが学校の現場で子供たちにふれあう時、子供たちがTさんに合わせて体を動かす、その中で生まれる創造性が、今の知識の詰め込みに偏重し、競争の中で、いじめ・「体罰」などがはびこる学校で、必要なことなのではないでしょうか?!   追記 この文章を読んだ人の中で、差別を考えてきた人たちから、差別と分業の密接な関係をとらえ、分業を肯定する論理ではないかという批判がでるかも知れません。分業とは役割分担の固定化だと押さえています。役割分担自体を否定するわけではありません。「人は協働する動物」です。分業の問題の核心は、計画・立案・決定というところからの排除が起きることだと押さえています。ここでも、「自己決定」という障害者運動が押し出している問題があります。

(注)
注1 障害者問題で言えば、科学は、因果論的にその生物学的・医学的因を明らかにしようとしてきました。それは、「発生の予防」なり、「障害の消滅・軽減」をはかろうとするところで、障害者の存在そのものを否定する論理につながり、往々にして排除型の差別の合理的根拠を作ろうという動きとなってあらわれました。ところが、最近障害者やその親のサイドからも、いわゆる素因論的な追い求めがおきています。これは、精神的「障害」ということが、えてして、本人の「性格」の問題とか、親の育て方の問題とかで、本人たちの「責任」を問題にしていくことの中で、その責任論から逃れるために、「障害」を「器質性の障害」と自ら規定しようというベクトルが働きます。カナダやアメリカなどで、「吃音」の素因論が改めて出てくることや、「自閉症」が科学的に明らかにされていないのにも拘わらず、素因論的にとらえられる傾向などにそれは端的に現れていますし、「精神病」をこの素因論−「脳の障害」としてとらえようとすることにも通じています。ここで、その論の正否について、コメントするつもりはありません。ここで押さえておきたいのは、運動の進行の中(それに対抗して)差別は排除型の差別から抑圧型の差別へ移行するということがよくあるのですが、これは逆の方向を向いています。よく、「「抑圧型の差別」は「排除型の差別」よりも軽い」というとらえ方が往々にしてあり、「抑圧型の差別」を差別としてとらえられないことさえ起きているのですが、もし「抑圧型の差別」が軽いとしたら、なぜ障害者自らが、抑圧型の差別から逃れようとして排除型の差別の中に飛び込んでしまうことが起きてしまうのでしょうか?!
注2 差別ということを問題にしているはずの左翼が、なぜこれまでちゃんと差別をとらえきれず、運動を取り組めなかったのでしょうか?! 「革新政党」と呼ばれている人達りグループ内で、階級に根差していることによって「左派」と呼ばれる位置を占めるのですが、逆に差別に関しては、「右派」の方が取り組みが積極的であり(民主主義的にとりくんだという意味しかもたないのですが)、「左派」は差別をとらえ返せないで、取り組む時は政治利用主義に陥ることを繰り返してきました。
 これらは、階級自体が、生産力の所有からの排除という差別の問題であることをとらえそこなっていること、労働力の価値のヒエラルヒー的な差別をとらえそこなっているということ、差別を階級支配(私有財産制)の属性、手段、道具などとしかとらえきれなかった限界から起きてきていることです。これは、「社会主義国」がテーラーシステムなどという資本主義の労働管理システムを取り入れていったことにもつながっていることです(『資本論』の「社会的平均労働」という概念が物象化の中でおきていることをとらえ返せないならば、「標準労働の測定によるノルマの設定」というテーラーシステムを導入することに何の違和感ももちえなかった、だろうと言い得ます。個別差別に関しては、マルクス・エンゲルスもほとんどとらえきれていないのですが、分業の止揚ということを持ち出していることの中に、差別の基本的とらえ返しを押さええます。差別のとらえ返しのなさは、民族問題を論じ、そこで差別をとらえ返したとされるレーニンの民族問題に関する論文の中で、逆に明らかになります。そこで、レーニンは差別を「階級支配の属性」として示しています。この属性論が、政治党派の差別の取り組みの弱さ、政治利用主義を生み出す根拠として、再生産されています。
注3 この「生物学的事実」ということは、単に障害者の問題だけでなく、人種−民族問題でも、フェミニズムの問題でも、常に問題になってきました。ちょうど今読んでいた、フェミニズムの本の中にもそのような文が出てきます。筆者が仮説と強調しつつ(理論というのは、すべて仮説にすぎないのですが)書いているところですが、引用しておきます。
  私たちは、ジェンダー−女性と男性の社会的位置−がセックスという(明らかに)自然的なカテゴリーにもとづいて構築されているのではなく、むしろ、ジェンダーが存在するがために、セックスが関連的事象になり、したがって、知覚対象のカテゴリーになったのだと考える。
     (中略)私たちは、抑圧がジェンダーを作り出すと考える。つまり、論理的には、分業の階層的序列が技術的分業に先立って存在していて、技術的分業すなわちジェンダーと呼ばれる性別役割を作りだしたのだと考える。人間の階層的な二分割が解剖学的差異(それ自体には社会的な意味合いはない)を社会慣行に適合した区別に変化させるという意味において、今度はジェンダーが解剖学的セックスを作りだしたのである。社会慣行が、しかも社会慣行のみが、一つの自然的事象(あらゆる自然事象と同じく、それ自体には意味がない)を思考カテゴリーに変化させるのだ。(Ch.デルフィ『なにが女性の主要な敵なのか−ラディカル・唯物論的分析−』勁草書房P183)(下線は本文では傍点)
  * この文に関しては突っ込んでおくべきことがいくつかあります。分業の発生論的問題とか、「それ自体に社会的意味はない」というところで、「それ自体」ということがどのようなところで成立するのかという論考など。しかし、ここで問題になっているのは、固定的なとらえ返しを脱構築するということであるので、そういう意味での鋭い指摘として挙げておきます。(引用者)
注4 このあたりは、廣松さん自身も、マルクスの「『古代社会』ノート」や一連の民俗学研究のノートあたりから、影響を受けていることのようです。
注5 最近、障害者教育を巡る論争の中で、統合論(注7)に対する批判がコミニティ論的なところからおきていて、とりわけろう教育において、原則分理論という意見さえ出てきています。
 これに対する疑問−批判は次のように押さええます。@ すでに語られてきたことですが、分離したとき、「教育課程を終えた後をどうするか?」という質問に、原則分離論者はどう答えるののでしょうか? これは、(イ)教育を受けているとき、そのときの楽しさ―苦しさをとるか、将来性の問題をとるかと言う議論がひとつでてきます。どちらにしても、現行の教育のあり方を固定的にとらえた議論になっています。いわば、体罰は鞭が良いか、拳固が良いかというような議論で体罰そのものをなくすと言うところでの議論をスポイルさせているようなことです。(ロ)そうならないためには、結局はろう者の独立共和国作りというようなところに行き着くしかないのでしょうが、そうなれば、国どうしの関係として、南北問題が生じるだけだということや、現実と遊離した「理想郷」建設の破綻の問題をどうとらえるのかという事に転化することになります。A 分離論は、「ろう者の第一言語は手話である」というところで、その手話による教育が必要だと言う主張からきています。それは、正しいと思いますが、なぜ聴者と一緒の学校で、手話による教育がうけられないとするのでしょうか? ろう者の数が少ないから、とりあげられないとしているのでしょうか?(数云々と言う事に関しては、第1章の注5参照)B 分離論は、聴者の第一言語は、音声言語−書記言語としているようなのですが、ろう教育初期論争における、「普遍言語としての手話」という提起をどうとらえるのでしょうか? 「普遍言語」という提起自体の持つ抑圧性の問題を考えなければならないとしても・・・。C 分離論というのは、ナショナリズム論とつながっていくのですが、ナショナリズム批判をどうとらえるのでしょうか? ナショナリズムは反差別の端緒としては、大きな意味をもっています。しかし、差別の構造総体をとらえられないナショナリズムは、自分たちは差別されるのはいやだということが、差別する側になりたいということになりかねません。差別の構造を捉え返したときには、ナショナリズムはインターナショナリズムに転化せざるを得ません。さもなければ、その内に差別の構造を生み出し・維持してしまうし、総体として差別する側に回りかねません、シオニズムのように。注6恐れ意識と言うのは、メンミの「異質性嫌悪」にもつながっている事で、これに関する批判は本文中にも書きました。そもそも、生まれたばかりのこどもが、社会的に「異質」とされている人とであったとき、恐れ意識などもつのでしょうか?注7今、現在は統合−インテグレーションというよりは、インクルージョン―包括教育とか援助付き教育と訳されたりしています―として突き出されています。インクルージョンという事の突き出しの意味は大きなものがあります。しかし、そもそもその概念が持ち出されるとき、「特別のニーズを持った子どもたち」というとらえ方があります。この「特別なニーズ」ということには、ストリートチルドレンの問題なども含まれます。このストリートチルドレンというのは、まさに社会問題です。「特別のニーズを持った子どもたち」ではなく、「特別なニーズを持たされた子どもたち」なわけです。そもそも社会的な矛盾を個人が抱える問題化のようにとらえているおかしさがあります。障害者問題も根底的には同じことです。これは現行教育の矛盾でもあります。子どもひとりひとりがニーズをもっている、それにちゃんと向き合うような教育になっていません。だから、その矛盾が一部のひとたちに端的にあらわれ担わされていきます。それが「特別の」という言葉に示されるのです。ろう教育を巡っては、手話がまず、ろう者のコミュニティが形成されているところに於いては、二言語以上の国家−多言語国家である(国家と言う概念を持ち出すこと自体に抵抗があるのですが、とりあえず・・)と言う事を、ちゃんと押さえて、情報保障なり、言語教育のあり方を突き出していくべき事です。そういう態勢が作られたとき、ろう教育はどのようになるでしょうか?


第3章 障害者差別の形の違い−差別形態論

 前の章、前々章では、差別がどのようなこととしてあるのか、ということについて掘り下げて述べてきました。ここで述べるのは差別がどのような形で実際にあるのかという事です。このことは、差別をとらえるにあたって、比較的容易にとらえられる差別と差別としてとらえにくい形態の差別があり、また差別の重い−軽いという論議がつねになされてきたことから、それをもう一度とらえ返そうというところで問題にしていることです。すなわちもう既に70年代の後半には、「障害の重い軽いという言い方がされるけど、差別に重い軽いがあるわけではない」という発言が障害者自身から出ていました。そのあたりのことはなかなかちゃんととらえられず、相変わらず、「障害が重い」として排除型(排除型とその対としてある抑圧型については本文の中で述べることで、論件先取になっているのですが、ニュアンスでつかんでおいて下さい)の差別を受けるひとたちを、「障害が軽い」とされるひとたちが、「自分たちよりももっと不幸なひとがいる」として、安堵感をもち、時には自分たちも差別する側にいるかのような幻想をもったり、実際に差別したりすることがあります。また、「重度の障害者」の一部には、「軽度の障害者」を「自分たちとは違う、障害者ではない」というとらえ方をしたり、また「軽度の障害者は自分たちの独自の運動をするよりは、重度障害者の介助をすべきだ」というような主張をしたりすることが出てきます。
 吃音者問題においても、「たいした問題じゃない、自分でかってにおおげさに考えているだけではないか」とか「気持ちのもち方の問題だ」という周りのひとたちの意見があり、それが吃音者へのプレッシャーになっていることがあります。そのあたりのことは、吃音者の間では、「吃音が軽いと言われるひとが重いと言われるひとよりも楽なわけではない」と一定の共通認識があるのですが、吃音者の団体でかなり古くから活動しているひとたちでも、このことをとらえ損なっているような主張が出てきています。また、重複の言語障害者からもそのような意見が出ています。これに関しては、重複の障害者の場合、排除型の差別を多く受けるので、それが前面に出て、抑圧型の差別は後ろに退くことから来ているのです。しかし、抑圧型の差別を主要に受ける者にとっては、その「差別が軽い」ということを意味しません。そのあたりのことを押さえるのに、この差別形態論が必要なのです。
 また「軽度障害者」は差別の形態の違いということをとらえられず、自分たちは差別されていないとして、気持ちのもち方を変えることによって(愛される障害者として)排除されないので、差別をのりこえられるとすることがあります。それは、自分たちが主要に受ける相対的排除の性格の強い差別が差別としてとらえられないことから来ているのです。それは、自らを障害者として突き出すことさえ拒絶しようとすることさえ生み出します。前章、前々章で述べた「差別」ということ自体のとらえ返しが必要ですが、それを押さえたところで、もうひとつ観点を変えたところで、差別の形の違いということから差別をとらえ返しておく必要があります。それがこの章です。
 しかし、ここで述べることはあくまで、差別ということをとらえ返す作業として出す概念で、色々な概念を使って分析を試みますが、それを実体化してとらえることになると、余計な混乱をもたらします。あくまで、作業仮説として押さえてもらうことを確認して、それでも、実体主義に陥るおそれを感じつつも、分かりやすさを求めて、かなりの図式化を行います。あくまでそういう理解を助ける意味での試論として押さえておいてください。
 では本題に入ります。

第1節 絶対的排除と相対的的排除

 絶対的排除と相対的排除という言葉は『資本論』の絶対的剰余価値−相対的剰余価値という概念からの援用です。援用などいう言葉よりもヒントを得たということの方が合っています。
 差別というのは、社会的に普遍性をもった上下意識を伴う、「上」とされる者から「下」とされる者へなされる何らかの排除であると押さえています。その「何らかの排除」という場合、その「何らかの排除」ということは、「共同体−共同性からの排除」とおおまかにとらえ返すことができます。そして、その共同体からの排除と共同性からの排除とを一定区別しえます。共同体からの排除という場合、明らかに何らかの共同の空間があり、その空間を同じくしない、一部の者をいれさせないというような排除を意味します。共同性からの排除には共同体からの排除を含む(共同性からの排除⊇共同体からの排除)のですが、単に空間からの排除だけではありません。たとえばある空間の文化をどういう文化にするかという時に、その文化−共同性から他のひとたちが既にもっている文化を排除するということがあります。ここで言っている具体的内容としては、端的には植民地支配−民族差別における同化政策があげられます(同化については、後の節で詳しくもう一度とらえ返す作業をします)。
 共同体からの排除を絶対的排除と規定し、共同性からの排除から共同体からの排除をひいたものを相対的排除と規定します。こんな書き方をすると差別のエレメント的にこのふたつの排除をとらえてしまいがちで、誤解を招くのですが、冒頭に書いたように分かりやすくということで、このまま進めます。
 ここで、持ち出す概念は、あくまでモーメントとして私は押さえています(モーメント−エレメントと区別するのは、エレメントというのは要素還元主義的なところであり、実体主義批判の立場から受け入れられないからです)。だからひとつの行為の中に、区別したふたつの排除(もしくは後にもっと細かい分類をして複数の概念になりますが)、すなわち絶対的排除も相対的排除もふくまれえます。例えば障害児を普通学校から排除する(絶対的排除をする)としても、養護学校に入れることによって、または福祉で施設に入れるなどで、社会全体から排除するわけではない、相対的に下位に(もしくは中心−周縁というところの周縁として)位置づけられるところへ組み込んでいること(相対的排除としての組み込み)としてあるわけです。
 相対的排除に関しては、差別を論じる時によく用いられる非対称性の概念を出すと理解できるでしょうか!?
 さて、問題なのは、絶対的排除の場合、かなり差別として一般的にとらえられても、相対的排除に関しては差別としてとらえにくいという傾向があります。もっとも絶対的排除でも区別と差別は違うとか、さまざまに差別を合理化する論理が持ち出されます。また、逆に区別と差別をごちゃまぜにする論理も出てきます。
 そこで、形態論からちょっと離れますが、差別規定にちょっと踏み込んでおきます。
 例えば、障害者運動にも関わっている国家論を論じる津田道夫さんは、「天皇も差別されている」というような論理をもちだしていますが、そもそも差別という場合、この節の冒頭で述べたように、上下意識をともなった行為で、「上」とされる者から「下」とされる者への排除が差別であって、「下」とされるものが「上」とされる者を排除することを差別と言いません。勿論、「上の者」を排除するというところの裏には必ず差別としての「下の者」を排除することがあり、そのことなしに「上の者」への区別などありえないということは押さえておかねばなりません。また、その分けるという行為が一定の普遍性をもたない行為であればそれも差別とは規定しません。例えばセクシュアリティの問題で、対的な好みにおいて、あるひとを選んで別のひとを選ばないということは差別として規定しにくいことです。なぜならば対的なことはひとの数ほど共鳴の仕方が違うことだからです。もっとも、対的な共鳴が単に対的なこととしてあるわけではなく、共同幻想的なことがそこに入り込んでいるわけで(というより、「共同幻想的なところから規定されている」という表現が妥当かもしれません。このあたりはわたしの中でまだよく整理できていません)、社会的な普遍性をもっているという意味では、単純に対的なことは普遍性をもたないからそこには差別はないとは言えません。しかも、ゲゼルシャフト(利害社会)では、「学歴」とか「家柄」とかが対的な選択に働くわけですから、なおさら差別の問題がそこに入り込んできます。入り込んでいるというより、選択自体が無縁なこととしてないということを押さえておかねばなりません。それは、発達ということがオルタナティブなこととしてあるとしたら、「発達」ということの中身は否定すべきことではないと言っても、実際にはオルタナティブなこととしてないことと同じです。それは、臓器移植や安楽死の問題についても繋がっていることです。臓器移植や安楽死がドナーや受け手のそのひとそのひとの生死観としてオルタナティブなことしてあれば、それ自体が問題としてあるわけではないとしても、それが現実には差別社会の中では人の命が価値づけられ、ゆえに、差別的な結果をもたらしてしまう現実を押さえるならば、そのようなことを反差別の立場からは現実には認められません。
 先に述べた「区別と差別は違う」という差別を合理化する論理の場合、大方このあたりの普遍性の問題をとらえそこなって、もしくは捨象しているところで出てくる論理として押さえておかねばなりません。
 さて、話を戻します。相対的排除のとらえにくさというのは、ある差別の問題、それが極めて資本主義社会の土台的な差別を差別の問題としてとらえられないことからきています。例えば女性の非対称性の問題を押さえるには、職業のヒエラルヒーにおける非対称性を押さえると明らかになりますが、逆に言うとその職業におけるヒエラルヒーを差別としてとらえなければ、差別がとらえにくくなります。
 ルソーが障害者差別や女性差別をとらえられなかったということは有名ですが、現在においては、労働力の価値を巡る差別を差別としてとらえられない、能力による何らかの排除を差別としてとらえられないことから、職業における差別や能力における差別としてあらわれる他の差別、障害者差別や女性差別をとらえられないという構造が生まれてきます(逆に言うと、差別の問題をとらえられないから、階級の問題も差別の問題であるという観点が抜け落ちることになると言い得ます)。廣松渉さんは労働者と資本の間の対等な契約という幻想を非対称性という概念で突き崩してみせました(『存在と意味 第2巻』岩波書店)。ここにも生産手段の所有からの排除という私有財産制と階級における差別問題があります。この私有財産制と階級の問題を差別としてとらえられないところから、階級政党が差別の問題を利用主義的にしかとらえられなかった歴史が綿々と続いているわけです。これについては、次章の反差別運動論で展開します。
 この非対称性の概念を用いるにも、この社会で当然とされる論理自体を批判のまな板に乗せることなしには、非対称的になっているということ自体もとらえられなくなります。そういう中で非対称性がとらえにくく、相対的排除ということがなかなかとらえられなかった歴史があります。非対称性の問題としては女性差別の例をあげれば明確になっていきます。例えば、一国の首相に女性が就いている社会は女性差別がないと言い得るでしょうか? これは、人種差別においても同様ですが、アメリカ合衆国の軍人の最高の地位にアフリカンアメリカンが就いたと言っても、それで人種差別がなくなったとは言えないわけです。そもそも役割分担の固定化があること自体において、そこに明らかな非対称性があり、更にヒエラルヒーがある、その事自体が差別であるということで、そういう中で、あらゆること(<差異>)が"差異"(差別の根拠としての「差異」)として浮かびあがってくる構造が存在するわけです。それはさておいても、個別差別事項において、非対称性が存在すること自体が差別が存在すると言い得ることです。例えば、個別において、被差別事項を有するとされるひとの中で、社会的なヒエラルヒーにおいて「上」に位置する人がいたとしても、総体的相対的にその被差別事項で非対称性があれば、それが全体を規制するわけで(いわゆる普遍性の問題)、その規制から逃れる場合も、より以上の努力が必要とされるわけで、その努力の非対称性というところに差別の存在を明らかにすることができます。
 まとめておくと、非対称性の問題としては、@役割分担の固定化ということ自体の役割の配分の非対称性A分業のヒエラルヒーの中における差別事項における非対称性B非対称性の中で被差別者が比較的上位に行くためにより多くの努力が必要という努力の非対称性、以上の3つの問題を押さえておく必要があると思っています。
 さて、ここで問題にしておかなければならないのは、繰り返し起きてくる「絶対的排除と相対的排除の差別のどちらが重いのか」という論理です。差別ということは比較から起きる、差別と比較は表裏の関係にあるという意味においても、そのような比較の発想をすること自体を批判しておかねばなりません。手話で「差別」という言葉と「比較」という言葉が裏表の関係になっているのは、手話という言語の妙として、感嘆しています。
 また絶対的排除がよりはっきりととらえられる差別であるところで、相対的排除よりも重い差別というようなとらえ方が往々にして起きるのですが、南アフリカの「カラード」(差別的な意味合いをもっていますが「混血」というような訳があてられることが多い)を対象にしたH.D.クラークの『差別社会の前衛』(新泉社)のマージナリティの研究などにみられるように(本章(補節)参照)、相対的排除のモーメントの大きい被差別者は自らの価値観をどこにおくのかということで心理的葛藤に陥ります。決して相対的排除の差別を受ける者が絶対的排除の差別を受けるものよりは楽であるとは言えないと思います。
 このあたりのことは吃音者のわたし自身の体験から、序や本文でも色々書いている事です。
 わたしはエネルギー保存の法則の「位置エネルギーと運動エネルギーの和は一定」ということにたとえて、
   絶対的排除のモーメントと相対的排除のモーメントの和は一定という仮説をたてています。
 勿論、このような自然科学のしかも古典力学的な概念を用いて説明することでいろいろな語弊をうむことを恐れます。とりわけマルクス的な意味における物象化(「社会的な関係を自然的な関係として取り違える」という錯誤)ということを考えると不安になってもいます。また「和」などという表現を用いるとモーメントということがエレメント的にもなっています。ですが、説明の困難さの中で、説明を補充するために、あえて色々踏み込んでおきます。
 さて、更に、図式化の弊害という懸念を越えて、分かり易さを追求するためにもうひとつの図式を(次節も先取りして)敢えて示しておきます。
 個別の概念については次々項で説明しますが、左から右に順に「抹殺」「隔離」「排除」「抑圧」「融和」「同化」と並べます。左から右へ行けば行く程、絶対的排除の性格が弱くなり、相対的排除の性格は強くなります。一方、右から左に行けば行くほど絶対的排除の性格が強くなり、相対的排除の性格が弱くなります。また、「抹殺」「隔離」「排除」は排除型の差別とくくって押さえることができ、「抑圧」「融和」「同化」は抑圧型の差別とくくれます。その「抹殺」「隔離」「排除」「抑圧」「融和」「同化」の個別概念自体もモーメントであるということを押さえた上での規定です。

第2節 排除型の差別と抑圧型の差別

 さて、この間、絶対的排除−相対的排除という規定はあまりホピラーではなく分かりにくいということで、わたしが差別形態論の規定で最近よく使っている排除型−抑圧型の差別という規定を持ち出して説明します。先に援用した図でいうと、絶対的−相対的のモーメントの大きい小さいということで、はっきり排除型−抑圧型という区別はできることではありません。ただ、パラダイムチェンジがおきた科学の中でも、例えばニュートン力学なり、形式論理学なりもある局面においては使えるというようなところに類比して、排除型の差別として抹殺・隔離・排除を下位区分し、抑圧型の差別として(なんらかの強制を伴う)抑圧・融和・同化ということで下位区分しています。前節にも書きましたが、排除型の差別は比較的差別としてとらえられるのですが、抑圧型の差別は差別としてとらえにくい歴史がありました。例えば融和に関しては部落解放運動の中で融和主義批判として繰り返し批判されてきたことですが、いまだに、融和主義への批判が浸透していきませんし、先日その批判の歴史をどうとらえかえしているのだろうかと不思議に思える文を見いだしました。聴覚障害者の尤も大きな団体−全日ろう連が、機関紙で「健聴者との融和」などという言葉を使っているのですが、反差別の運動の中で語られて来た、なぜ融和がいけな いのか、また同化ということを含めて批判しているのかということがちゃんととらえられないという歴史があります。これについては、個別概念について述べる時に詳しく書くことにします。
 兎に角、この排除型の差別−抑圧型の差別ということは用語的にポピュラーで、分かりやすいので、形態論を問題にする時に使えると想います。繰り返しますが、厳密には明確な二分などできないということ、エレメントでなくモーメントだと押さえた上でです。
 さて、このふたつの形の差別については、障害者への(差別的)役割期待というところで、「役割理論」を持ち出すとかなりはっきりしてきます。色々な言葉で表現しえるのですが、ここでは明確になってくる表現をそれぞれひとつずつ挙げてみます。すなわち、前者の排除型に関しての役割期待は、「障害者は迷惑をかけないように社会の片隅で生きよ(時には死ね)!」と端的に表しえます。抑圧型の方は、「努力して障害を克服しろ!」という言葉で端的に示しえるでしょう。前者の方は、比較的差別としてとらえられるようになって来ましたが、後者を差別としてとらえられないという傾向がありました。しかし、その内容は発達保障論批判として突き出されていたことで、発達保障論批判がかなり浸透している中で、理解しえるのではないかと思っています。
 この役割期待について、もう少し色々な具体的な例をあげていくと問題がかなりはっきりしてくると思いますし、二分されえない表現なども出てくるのではと思えますが、別の機会にもう少し詰めることにして、輪郭は提起できたと思いますので、次ぎに移ります。

第3節 差別の型−差別形態論各論

(1)抹殺
 抹殺ということは、ヒットラーの精神障害者の大量虐殺に端的に現れています。のみならず、日本における戦時中の精神病院での餓死や、戦後も現在まで連綿と続く障害児殺し、また、近代まで「間引き」ということで、障害者の新生児が殺されていたのではないかという色々なひとからなされる指摘の中にも現れています。また臓器移植などでの脳死判定も広い意味での障害者差別につながることとしてはっきり押さえておく必要があると思います。さらに、出生前診断や人工受精における受精卵の選択、遺伝子操作技術など、科学技術の「発達」の中での、優生思想に基づく新たな障害者抹殺であるとして押さえておく 必要があります。これに関しては、「生む自由−生まない自由」という主張とのぶつかりあいとか、また、「障害の発生の予防と生きている障害者の抹殺とは違う」という指摘なども出ています。前者のフェミニズムと交差する問題としては、障害者を生むと不利益になる現実そのものを問題にし、変えて行く必要があるということを押さえた上で、「生む−生まない自由」というのは、「生むこと−生まないこと」自体の選択であって、そこで被差別事項に沿って選択する自由などは認められないと押さえておく必要があります。後者に関しては、「発生の予防」は、「障害の否定性」が普遍的に存在するところにおいて、「発生の予防」がオルタナティブなこととしてあるわけではなく、「障害の否定性」が実際にどのような行動となって現れるのかという問題で、そこでの差別の形の違いがあるだけで、何らかの排除−差別があることには違いありません。障害者運動がかなり進んだ国や、世界的な動向でも「発生の予防」やリハビリテーションということを通して障害者の存在を否定する規定があることにきちっと対峙していく必要があります。
 さて、抹殺という比較的はっきりした差別としてとらえられるようなことがこと障害者問題に関しては、それがつい最近まで、差別としてとらえられないことがありました。それは、障害児殺しの事件が起きるたびに、自分たちも差別をしてきた、それに加担してきたという事実を捨象した、減刑運動が起きることが、抹殺をちゃんととらえきれない歴史として押さえておく必要があります。抹殺ということさえ、差別としてとらえられなくするしくみとしては、例えば、宗教的なところで、神の国に行くことが幸せとか、神の前では平等ということで、そこでは抱え込まれるという粉飾がなされることによって、その差別がとらえられなくなることがあります。抹殺は絶対的排除の性格の強い差別ですが、絶対的排除のモーメントだけではなくなるような錯覚をもたされます。そもそも「障害者は生まれなかった方が幸せとか」「生まれるべきではない存在」としてとらえられる中で、しかもこの意識が広汎に存在する中で、抹殺自体を差別としてとらえられない、抹殺を合理化して行った歴史を押さえておく必要があります。このことは、障害者が現在的に不幸とされること自体を問いつつ、また不幸にしている現実を固定化することの中で起きてくる論理です。そのあたりのことは「障害者だから不幸なのか?」「障害者に迷惑な社会」などと本のタイトルにもなっている発想を逆転させた提起などの中で、問題が明らかになって来ています。
 「そもそも障害−障害者とは?」ということをちゃんとつきつめて、そこから反論していく必要が問われていることです。これについては前々章で述べた主題です。

(2)隔離
 隔離というのは、障害者問題では、施設への隔離、学校教育での分離教育ということで端的にあらわれています。この隔離ということも絶対的排除の性格が強い差別ですが、隔離ということ自体が、社会の周縁におくという意味あいをもっているのですが、社会から完全に排除する抹殺(上記に述べたように「完全に排除する」といっても必ずしも「完全」ではありません)とは違って、社会の周縁(もしくは下層に)へ組み込まれるという意味合いをもっています。周縁−下層と言っても、例えば「裕福な」家庭(社会)の子どもが介助をつけえて、社会参加しやすいとか、能力をもっているとされる物理学者が介助者をつけて活動しているということがあります。そこには相対性の問題があります。
 ひとつ押さえておかねばならないのは、この差別を合理化するために、隔離の合理性を主張する論理が様々にでてきます。ひとつは特殊教育の必要ということで本人のためになり、これは差別ではないという主張です。これは実は、専門教育の必要ではなく、むしろ障害者を排除−隔離したところで「健常者社会」のための効率性−合理性としてあることです。施設の合理性の論理も同じようなことです。今日、隔離がかえって金がかかるということで、隔離自体が見直される傾向も出てきています。「共生」ということが、行政サイドからかなり出てきていることもこのことにつながっていますが、むしろ、合理性の追求ということでなされるこれらの転換は民間活力の利用というところで、ボランティア的なことの利用として、福祉労働への搾取の強化とつながっていることです。これらの転換は差別の形態の変化だけで差別ということの軽減にはつながりません。そのことはちゃんと押さえておかねばなりませんし、相も変わらず、隔離ということがいき続けている現実もちゃんと押さえておく必要があります。
 ただ、隔離批判をする時には、コミュニティの形成という問題を考えておかねばなりません。これは同化なり融和ということへの批判と結びついているのですが、被差別者が被差別者の立場で独自のコミュニティ形成するという時、そのコミュニティ形成をどう評価するのかという問題です。これは民族差別の中で、自らの「民族性」をとり戻すために在日朝鮮人が自らの教育機関を作っていったということに通じることです。これは、聴障者のろう学校、視覚障害者の盲学校、更に養護学校などが障害者のコミュニティというような性格をもつということで評価されていることにも通じることです。確かに、民族の学校と違って分けたのは権力者−健常者の方ですが、それでもその中で、コミュニティとして積極的に位置づけるというような指向性も出てきます。特にろう学校は手話がろう者にとって第一言語としてあるという問題があって、民族問題の「母国語」の学習を通して文化−アイデンティティを獲得していく問題に通じることもあります。これらのことは民族問題におけるナショナリズムの評価ということにもつながっています。大枠ナショナリズムということへの批判的な考えはあるにしても過渡的には被差別者のナショナリズムそのものを全面否定できないという問題があります。反差別の端緒としての、アンチテーゼとしてのナショナリズムはアンチとして固定化することはさけなければなりませんが、アンチなくしてはその後の展開もないというところで、このあたりは押さえられます。
 ゆえに隔離そのものと、その中で起きてくる被差別者の過渡的な反差別としてのコミュニティの形成を区別しつつ、コミュニティを被差別の共同性として拡げていくという拠点というところで、押さえておけることではないかと想います。(第2章注参照)

(3)排除
 ここで排除というのは、抹殺や隔離と違った、排除一般(広義の排除)の中での狭義の排除、例えば色んな法律などにある欠格条項の設定や、実際に就職や結婚の対象者から障害者を排除することなどを意味しています。これらのことはかなり幅広くなされています。前項の隔離という場合も隔離ということだけではなく、排除があって、その結果として、囲い込まれるということにつながる場合もあります。いじめ問題の中でのシカトとかいうことも排除です。
 これらのことはかなり色々な場面で行われます。例えば、福祉のまち作りの中で語られているバリアということも、まちや建物使用者から障害者を排除している、まち作りに障害者が参画していなかったことから生まれている、と押さええます。この場合、排除というのは、単に意図的(積極的)に排除することだけでなく、障害者の存在を考えない、ということの中で、消極的に排除することも含んで押さえておかねばなりません。
 もうひとつ押さえておかねばならないのは、周縁への排除ということが単なる絶対的排除だけではなく、周辺なり下層なりへの組み込みということで、他の、例えば抑圧などと表裏一体的な性格をもつということです。

(4)抑圧
 抑圧という場合、ひとつの力関係を前提にしていて、力をもった者が力をもたない者を従属させる。下位への組み込みをなすということです。この力ということ自体があいまいで、例えば階級という問題において、資本家と労働者は労働力市場で出会い対等な契約関係を結ぶというような幻想をもたらします。しかし、生産手段の私的所有からの排除ということで階級は位置づけられ、その非対称性の問題が力関係を生み出し、実質的包摂のも たらします。このあたりは権力の生まれ出る構造ということにもつながっていることです。このようにして「下」に位置づける行為−従属させることが起きる時、そこに命令する者−される者の関係があり、何らかの強制が働いています。そのことを抑圧という言葉で表現します。そのことは、単なる命令−従属関係だけではなく、「上−下」関係の中で「上」に行こうとする時、障害者がより努力をしいられるということもそのことの中に含まれます。例えば、ろう者と聴者が出会う時、そこでのコミュニケーションの障害(障壁)を克服する時に、ろう者は口話を学び、聴者は手話を学び、同じような力を注ぎ障害をとり除くというようにはなりません。そこに非対称性の問題があります。克服するのを強いられるのは、ろう者の方が主で、口話主義の教育の中で、自分たちの第一言語である手話をろう学校でさえ禁止されて来た歴史があります(このことは同化ということにもつながっています)。昨今、手話ということをろう者の言語として認めるという動きも出ていますが、現実に口話を学んで身につけた者の方が社会参加しやすいという情況が変わらない限り、暗にしいられることは続くわけです。また、何らかの特技を身につけて−より多くの努力をして、社会参加をはたしていく、その努力に非対称性の問題がある限り、努力しなければならないというひとつの強制−抑圧の構造があると指摘できます。この強いられるということを抑圧ということで一般的に指摘しておきます。

(5)融和
 融和ということと次に述べる同化ということはまぎらわしいので、ここで区別だてをしておきます。同化という場合、「差異」自体をなくすこと、なくそうとすることを同化と規定し、「差異」は「差異」として認め、そこで、対立の関係をなくしていこうということを融和として規定します。融和という場合、例えば抑圧で述べた、より多くの努力をする、生活の改善をする、気持ちのもち方を変えるというように、融和のために努力するのは、個人的レベルでは主に被差別者の側でそこにも非対称性の問題があります。部落解放運動の中で、この融和ということに関しては、長く論争があり融和主義批判として蓄積されてきました。しかし、未だに融和主義批判の意味が反差別の運動の中でちゃんと押さえられているとは思えない情況があります。誤解のないように書いておきますが、対立をなくそうということ自体を批判しているのではありません。差別の構造があるところで、差別の構造自体をなくすこと、なくそうとすることなしに、精神主義的に倫理主義的に差別を押さえ込もうというようなことを融和主義として批判してきました。融和主義というものが生まれてくるのは、差別を意識だけの問題としてとらえ、啓蒙を進めれば差別をなくせるような誤った分析をし、その方向で精神訓話的な活動をすることへの批判としてあるということです。これはそもそもひとりひとりの世界観で差別をどのようにとらえているのかということで、そこから問題にしていかなくてはなりません。
 さてこの項目で押さえておかなければならないのは、昨今役所さえもが障害個性論を突き出し、「共生」という謳い文句を突き出してきているという現況です。これはまさに、融和主義なのです。差別の構造そのものをなくしていこうということではなく、倫理的に差別を押さえ込もうというところで、「共生」ということを突き出しているのですから、そこでは、障害者がより多くのの努力を強いられるなどの、抑圧の構造に組み込まれるか、また、現実には倫理的には解決しえないところで、結局、障害者自身の責任として排除される結果しか生みだしません。この融和ということが差別としてとらえられない現実をはっきりと押さえておく必要があります。

(6)同化
 さて、最後に同化ですが、これは民族問題の同化政策として端的に現れています。先に示した、ろう者が自らの第一言語である手話を奪われ、口話主義で押さえ込まれてきたことにこの同化ということは端的に現れています。また、いわゆるリハビリテーションということもこの同化ということの端的な例としてあります。
 このリハビリテーションということは当然視されてきた歴史があります。
 これは、国際的にも障害者運動でかなりの評価を受けている国連の障害者規定で、リビリテーションの論理にすっかりからめとられていることにも端的に現れています。このことは、「障害の否定性」ということが自明の論理としておかれていることからきています。そもそも障害がなぜ障害者に内自有化されるのか、突き詰めて、「生物学的事実とされる障害」ということ自体をとらえ返す必要があります。これらのことは認識論的にはすでにさまざまな分野で問題にされていることをちゃんと理論化していけば、このリビリテーションの論理とちゃんと対峙し、「障害の否定性」の論理を批判しきることができるのではと思っています。
 さて、ここで誤解が生じるような議論として押さえておかなければならないのは、同化ということと同一化ということを混同して、同一に扱うということがなぜ差別なのかというような主張です。同化という場合、そこに対等な関係でのオルタナティブな選択というものはありません。明らかに力関係に差があり、力のあるものが力をもたない者に同化を迫るということがあります。ここで厳密に言えば、同化というのは、完全に同一化するということではありません。ある部分において同一化を迫り、別のことで何らかの格差はそのままにしておくということでしかありません。同一化ということで、非対称的に否定されるのは主に文化的なものです。経済的には、格差をそのままにします。むしろ格差を広げる場合の方が多いとも言えます。
 この同化をはっきり差別として押さえておく必要があります。そして、この同化ということがモーメント的に相対的排除の性格をより多くもつということとして押さええます。

 (補節) マージナリティと差別形態論

 さて、もうひとつ、差別形態論に関して、マージナリティ理論から(「マージナリティ」は、「境界性」と訳せるでしょうか!?)、この問題の所在を明らかにしておきます。
 私のマージナリティ理論との出会いは、H.D.クラークの『差別社会の前衛−マージナリティ理論の研究』(新泉社)でした。南アフリカのヨーロッパからきたひと(「白人」と一般的に呼ばれる)とアフリカ先住民(「黒人」と呼ばれる)との間に生まれた「カラード」と呼ばれるひとたちのアパルトヘイト(人種隔離政策)の下での意識と行動に関した論考です。すなわち、同じ「カラード」と言っても肌の色の違いがあり、時には見た目には「白人」として通る「カラード」のひとたちは、自分の価値観を「白人」社会の価値観におき、そのことから自分のアイデンティティの混乱に陥り、心理的葛藤に陥るという調査結果を元にマージナリティ理論を展開しています。すなわち、見た目に「黒人」としてはっきりとらえられる「カラード」は、はっきり排除型の差別を受け、その中で自分の価値観を「黒人」文化の中にみいだそうとする可能性が大きくなるのですが、見た目に白人としてとらえられる「カラード」は排除型の差別を受けることはより少ないのですが、自分が「カラード」であることを隠そうとし、自分の価値観も「白人」文化におき、自分を否定する気持ちが大きくなり、心理的な抑圧が大きくなり、さまざまな心理的葛藤をもつことになります。抑圧型の差別をより多く受けていると言い得ます。
 この心理的マージナリティの問題は障害者でも、軽度の障害者といわれるひとほど、陥りがちで、排除型の差別を受けるのがより少なく、「社会参加」を果たしやすい障害者ほどとらわれる傾向があります。例えば、ろう者よりも難聴者・中途失聴者が心理的マージナリティに陥りやすいわけです。また、吃音者のように「どもりは治るかも知れない」というところで、障害者としての自覚をもちにくい障害者が、陥る心理として端的に示し得ます。
 ここで、批判しておかねばならないのは、勝手にそのような心理に陥っているという主張です。断っておきますが、心理的マージナリティというのは、被差別者にとって多かれ少なかれとらわれる意識だということです。表層的な意識としては、被差別の文化の中に自分の価値観をおいているとしても、深層心理的には、差別する側の価値観にとらわれているということがあります。むしろそのことは差別があるかぎり完全には抜け出せないこととしてあります。自分の価値観としてどちらの文化を選択するのかということはオルタナティブなこととしてあるわけではありません。差別する側が差別される側より優位にあるという中で、差別されたくないというところで、何とか差別する側にはいりこみたいという心理が働きます。そのことから抜け出す途は、差別の構造にはっきり対峙するという途だけです。心理的マージナリティの問題は差別の形態の違いによる分断を越え、差別を差別としてとらえて闘っていく出発点にたつために押さえておかねばならない問題−分析作業です。そもそも差別とは何か、障害とは何かという問いかけと共に。


第4章  障害差別各論−「障害別」分断と排外主義を超えるために!

 この章は、そもそもこの文章自体を協同作業としてやろうという思いがあり、とりわけこの章は当事者性の問題で、その協働作業の必要を感じていた章です。この「序説」を更に発展させた「原論」的なものにしていくときに、協働作業として、「障害別」の当事者から執筆してもらうことだと思っています。
 吃音者のわたしの立場としては、序で書いた「「吃音―吃音者とは?」ノート」が丁度ここに当てはまるべき文です。ただ、その文は丁度認識論的掘り下げの作業と平行して書いていたこともあって、極めてノート的性格になってしまっています。また、こちらの文を一番最初に書いたために、その後、「反差別論序説草稿」のころから徐々に、形成してきた叙述形式も全く取れていません。また、わたしの立場性を特に他の障害者に訴え仲間つくりを進めていくと言う意味でも、何とか読むに耐える文を書こうと何度か試みていた事があったのですが、すべて破綻しています。将来、もう一度自分の原点からとらえ返しの作業をしたいという思いがあり、ちゃんと吃音学(批判)の勉強をするときに、もう一度試みたいとの思いがありますが、果たせるかどうか・・・。
 他の障害者の問題でも、とりわけ付き合いの深い聴覚障害者の問題で、一度この「序説」の叙述展開に沿って、総体的に展開したいとの思いがありますが、なかなか時間がとれませんし、そもそも当事者性の問題で、踏み込めるかどうか? 逆に、「障害別」を超えるという意味では、そのような試論を出す意味は大きいとも思うのですが、・・・。兎に角後日に期して、ここでは略します。

 第5章 反差別運動論

 これまでは、原理論的な展開でした。最後に運動論的なところで、差別の問題をとらえ返します。

第1節 人権論批判

 人権論批判は既に色んな形で色んなひとからなされています。もう語られ尽くした感があります。最近読んだ本では堀正嗣『障害児教育のパラダイム転換−統合教育への理論研究−』(明石書店)が最もすっきりとまとめていて、この本を紹介してこの節は終わりにしたいのですが、運動的場面では人権論が逆にまだ主流を占めている事があるので、やはり、簡単に批判を展開しておきます。
 批判の観点は、以上の5点で示し得ます。(1)人権論が出て来た背景から展開した批判(2)人権論の祖とも言うべきルソーの人権の限界性からとらえた人権論批判(3)人権という概念を哲学的にとらえた批判(4)人権論の運動的限界性(5)人権論の反差別運動にもつ意味、これに沿って書き進めます。

(1)人権論が出て来た背景から展開した批判
 人権論は資本の本源的蓄積の中で、共同体的紐帯の中にあった人達が、その生産関係からきりはなされ、「自由な」労働者として登場する中で、生まれたと言われています。要するに資本主義的概念そのものとしてあります。そもそも人権とはなんでしょうか? この概念自体がキリスト教的概念に結び付いていて、神の与えたもうた権利と言うようなことから来ているのですが、そもそも人権とは何でしょうか? ひとにはそもそも人権があると言う事なのか、それなら、神があるというようなところに結びついていて、そもそも神の存在自体を哲学の対象とした以降、人権があるということ自体を疑問に付する必要が出て来ます。もしくは、人権とは今あるものではなく、人権を差別のない社会を作ろうということでの物象化した概念としたとらえ方をして、そこで作り上げて行くこととして押さえる押さえ方ができる途もあります。これが実は『障害児教育のパラダイム転換』の中で「第三世代の人権」として言われていることにつながっているのですが、でもそもそもなぜ物象化する必要があるのかということが問題になります。単に反差別と言うことだけですむはずです。要するに神の産出の構造と同じで、運動が宗派的活動になることにつながるようなこととして、人権論を持ち出す構造があります。そもそも、人権論の持ち出しは差別の構造ということをちゃんととらえ切れない中で、差別を単に意識の問題として切り詰める中で、意識の変革もしくは、意識への働きかけだけとして活動しようとすることから起きる事です。そして、差別ということひいては、人権と資本主義社会の密接な関係をとらえることなしに、資本主義社会の枠内で差別を無くそうとする働きかけという限定から、人権論を持ち出す倫理主義的な運動という限界性として存在することです。
 長年社会変革運動の思想的バックボーンとしてあった、マルクス・エンゲルスの思想とその影響を受けた活動に対して、マルクス・エンゲルスには人権思想がなかったと言う批判を、マルクスの本を翻訳したひとが書いているのを見て愕然としたことがあります。そこは、マルクス・エンゲルスが時代制約的に反差別ということで落ちている面が多々あったとすることなのですが、それを人権をとらえきれなかったとするとめちゃくちゃです。そもそも、マルクス・エンゲルスはフランス啓蒙思想−人権論批判の歴史的脈絡の中で、自らの思想を紡ぎ出しています。人権論自体がもう論理的には過去の歴史として葬り去られた思想のはずです。世界は論理で進むわけでもないので、資本主義社会の融和の思想として、人権論は生き続けているのですが、そのような人権論の生みだされた背景と、現在的位置と言うことをとらえ切れない所で、人権論批判がなし切れない現状が続いています。社会変革という観点からは、人権論は過渡的には部分的に使えるとしても、基本的に捨て去るべき思想として押さえねばなりません。

(2)人権論の開祖とも言うべきルソーの人権論の限界性からとらえた人権論批判
 ルソー批判もさまざまになされて来ています。これも文献を示して省き得る事なのですが、話の流れがあるので、簡単に指摘しておきます。
 ルソーそして日本においては福沢諭吉の差別性は繰り返し指摘されて来ました。要するにルソーは性差別をとらえていなかったし、障害者差別もとらえていません。そして、労働における差別の問題も欠落しています。それを、単に歴史的限界性ですませるわけにはいきません。というのは、今日人権論自体が、どこまで差別を問題にしえるのかということがあるからです。
 ルソーの人権論には、近代的個我の論理があり、極めて能力主義的な論理になっています。その流れの中にある人権という概念で、労働力の価値を巡る差別を問題にしえるのでしょうか? 私有財産制を問題にしえるのでしょうか?
 ルソーは前資本主義的差別は問題にしえても、資本主義的差別は問題にしえません。ルソーに時代的体制約性を取り除いて接ぎ木して行けば、反差別の思想が成立しえるとはとても言えはしないのです。

(3)人権という概念を哲学的にとらえた批判
 先項において、人権ということを既にあるものとしてとらえるのか、これから作って行くものとしてとらえるかというふたつの観点をとらえました。しかし、どちらにしても、物象化といえることなのです。すでにあることとしてとらえるというところで、キリスト教的なところでの神の与えたもうたというところでは、神自体が自然の(不思議さの)物象化なのですが、神ということをぬきにして語る時、本来あるべき社会的な平等的関係性ということは論理的にありえません。権利−義務関係として社会契約論的に射程していくことになるのですが、この権利自体現実にあるものではありません。したがって問題は、仮に措定していく問題として収束して行きます。問題はなぜ差別のない関係性ということを、この人権というかたちで物象化し、個に内自有化させるのかという問題があります。
 これは、そもそも労働力ということ自体の問題、なぜ能力ということが個に内自有化されるのかという問題にも通じることです。そもそも、差別のない関係の物象化−内自有化としての人権などという概念などをもちださないでも、反差別ということでことたりることではないでしょうか!
 もうひとつ、ちょっと話がずれますが、物象化ということで、ひとつ問題を上げておけば、最近生物学から反差別論を論じている人で、差別はなくならないという主張をしている人がいて、それをあたかも自らの専門とする生物学から論じている「風」なのですが、差別というのは、脳の中に組み込まれているというような結論としかとらえられず、なんのことかさっぱり分かりません。まさに社会的関係を自然的関係としてとらえるというマルクス的な意味における物象化そのものといえることです。


(4)差別の構造からとらえた人権論の運動的限界性
 そもそも人権ということの突き出しというのは、差別を単に意識の問題としてとらえることから起きています。そもそも差別のとらえ方の問題があります。差別を封建遺制というとらえかたをし、啓蒙啓発でなくなることとして押さえることや、差別はなくならないけど、倫理主義的に押さえることはできるということなど、意識の問題に切り詰めた時、現実は今の社会の経済構造に根差している差別には何ら有効性をもちません。またそもそも人権という概念自体では、差別をとらえられなくなります。そのような人権は、「倫理主義とはファシズムの通路である」というようなところで転化していく危険性さえでて来ます。最近出された教育改革国民会議第1分科会の審理の報告の巻頭言たる「日本人へ」という曽野綾子の文、まさに教育とは何か、国家とは何かというとらえ返しを欠落させた、ナショナリズム的な倫理主義は、まさにファシズムを想起させるものです。
 そもそもは、人権論は政治的平等を問題にしえても、経済的平等は問題にしえません。能力主義自体が差別ですが、資本主義社会をその能力主義に基づく社会ととらえているひとがいますが、とんでもない誤解です。能力主義というならば、私有財産制を廃止しなければなりません。むしろ、能力主義的な社会というならば、「社会主義」として理念化されている社会です。マルクスが「社会主義」と言う言葉をほとんど使わなかったということは、能力主義の差別性や能力ということを個人に内自有化させることへの批判があったからではないでしょうか?!

(5)人権論の反差別運動にもつ意味
 人権論の批判をして来ましたが、人権に基づく運動を全否定しているわけではありません。資本主義社会体制内的運動としての反差別ということは、法的には基本的人権ということで進み、根付いて来た現実があります。われわれは、この社会の中で生きることなしにはこの社会を変革できないという意味では、そして、現実のせめぎ合いの中では、一定使えるものは使わなくてはという意味では、人権ということを持ち出す、出さざるをえない局面があります。まして、運動の衰退的局面で、敢えて法的手段に訴えるということしか道がないならば、その中で法的根拠とするのは人権です。そして、実際に共同戦線的なところでは、民主主義者との共闘は当然必要であり、そこで人権ということで語り合う場面も当然でてきます。ですが、当然、人権の限界性と問題性をとらえ返し提起をしていく必要があります。運動ということは、理論的に硬直したことでは一歩も進みえません。そのようなこととして、人権論を押さえておく必要があります。第2節 融和主義批判
 融和主義とは、差別の構造をちゃんととらえない中で、反差別の運動を押さえ込み、また押さえ込むために、共に歩み寄ろうという名目で、結局差別における非対称性の問題で、責任を差別される側の問題として、差別する側に(より多くの)個人的努力を強いるという、抑圧型の差別として現れる事です。それは、結局差別を温存し、被差別者の中に分断を持ち込むことになります。この融和主義に関しては部落解放運動の中で繰り返し批判・論争されて来た問題です。そもそもその差別をどうとらえるのかという問題があります。部落差別の場合は封建遺制というとらえ方があり、残存する意識の問題としてとらえる中で、啓蒙・啓発を行う中で差別がなくなるとか、更に時間が経てばなくなると言うようなとらえ方があり、寝た子を起こすなというようなとことで反差別の運動に対する反発と同時に、せいぜい啓蒙・啓発の中で、互いに歩み合おうと言うようなことが繰り返し語られて来ました。これが融和主義の中身です。それに対して、融和主義批判は、差別は単に意識の問題ではないとして、その土台(主に経済的問題とされること)からとらえ返すように提起して来ました。障害者差別としての融和主義は、障害者に「愛される障害者になれ」「障害を克服しろ」と言うような内容での抑圧として現れます。そもそも障害ということ自体のとらえ返しの問題がそこにはあります。障害を「障害者」と規定されるひとに内自有化したところで、「障害者」と呼ばれるひと努力によって、その障害をなくせ、少なくとも軽減せよ言うのが同化で、それができないと認めたところで、そのことを越えて、「他の能力を延ばして健常者に限りなく近づく努力をせよ」とか「気持ちの持ち方を変えて愛される障害者になれ」というのが、融和としてかけられる攻撃です。どちらも抑圧型とわたしが規定して来た差別の形の一つにすぎません。これについては、既に差別形態論のところで、差別としてとらえ返す作業をしました。
 これに関しては、そもそも「障害とは何か?」というとらえ返しをするように提起して来ました。その中で、「障害をもつ」という概念自体を問題にして来た訳です。今「障害とは社会が障害者と呼ばれる人達に作った障壁である」という規定が出て来ています。融和主義にはそのようなとらえ返しがありません。障害を「障害者」と社会的に規定する人達がもっている生物学的・医学的事実としてとらえ、そこで差別をして来ている訳です。そのような差別の構造をとらえたときには、障害者が個人的に努力することが逆に自分たちの首を絞めることになるという構造をとらえることができます。これらのことは他の差別においても、女性差別や民族・人種差別においても繰り返し語られて来た事で、「個人的に努力することはやめよう!」という提起がはっきりとなされて来ています。そこには、差別者と被差別者(健常者と障害者)の努力の非対称性がはっきりとらえられるからです。
 今日「共生」と言う言葉が役所サイドからかなり語られるようになって来ています。その中身をとらえ返す必要があります。それは福祉のきり捨て中で、安上がりの福祉というところで社会的責任を市民個々人に担わせようということで、出て来ていることでしかありません。これがまさに融和主義です。わたしたちは差別の構造そのものをなくして行くこととしての共生を考えなくてはなりません。第3節 政治利用主義批判
 いままで、社会変革を目指し、人権ということや反差別ということを掲げる政党・政治党派が押しなべて、新しい左翼も含めて差別の問題をちゃんととらえ返せないということがあります。そして、繰り返し差別の問題を組織化・人を集めるための手段として利用するという政治利用主義が生まれて来た歴史があります。
 なぜこのようなことが繰り返されて来たのかというと、社会変革を目指す人達が、運動の軸を労働問題としてとらえ、運動の主体を労働者として規定して、差別を階級支配の手段−道具としてとらえ、差別を私有財産制の属性と規定したことから始まります。まさに政治的手段としての差別というような政治主義的なとららえ返しから来ています。このようとらえ方と言うのは、レーニンの民族問題に関する文章にまで溯る事ができます。
 これに対する批判は、そもそも階級ということも、生産手段の所有からの排除と労働力の価値を巡る差別の問題で、「差別は階級支配の手段」ということは、「差別は差別支配の手段」というトートロジー(同義反復)になるという指摘でことたります。そもそも差別を資本主義社会では必要ないこと、せいぜい政治的手段にすぎないとして押さえた間違いから起きることです。この辺りのことは、今、マルクス・エンゲルスの資本主義論の批判としての「帝国主義論」からもう一歩踏み込んだ批判として、ローザ・ルクセンブルグの『資本蓄積論』の見直しがなされています。そのことが差別のとらえ返しののなかでの従属理論や世界システム論として展開され、政治経済の一体性のとらえ返しとして進んでいます。要するに、マルクス・エンゲルスは資本主義の成立の際の、暴力的強力的な本源的蓄積を、成立の際に限定してとらえたことに対して、ローザは本源的蓄積の継続をとらえ、それを帝国主義の問題として押さえました。資本主義は、南北問題、ひいては差別なしには、存続しえない構造を明らかにしたのです。
 ゆえに、南北問題を直接的に土台とする人種・民族差別総体は、民主主義的に資本主義社会の中で解決できる問題ではないという構造が明らかになります。また、性差別も私有財産制と密接な関係をもって生まれ存在しているところで、私有財産の相続という資本主義のキーとなることに結び付いていて、これも私有財産制の止揚なしにはなくせない問題ということが明らかになります。
 そして、障害者差別の土台としては、労働力の価値を巡る差別の問題があります。まさに資本主義の根幹の問題です。
 政治利用主義は、差別を政治主義的なところでとらえてしまった、差別の経済的性格、政治と経済の一体となった性格をとらえ損なったところで、党派の政治主義と組織の物神化−運動の宗派的排外主義の中でおきることとして押さえておく必要があります。

第4節 排外主義批判

 障害者運動の中で、デフ・ナショナリズムとも表現されるようなろう者の排外主義があります。そのことは、最近『福祉労働86』(現代書館)の中で長瀬さんが紹介している車椅子の障害者のブラックジョークにつながっています。車イスの障害者が中心になった社会で、その障害者に合わせて建物を作ったので、非車イス使用者にバリアが生じるという話です。これはあくまで、つまらないブラックジョークなのです。障害者運動の中で生まれたユニバーサルデザイン的な思想ということからすれば、このようなことは生じるはずがありません。このブラックジョークにも排外主義が現れています。そもそも排外主義が生まれる処には、そこには差別の歴史的に積み重ねられた重さと言うことがあります。新しい流れの障害者運動の出発点的運動になった「青い芝」の活動におけるニヒリズムは、共生のニヒリスティクな否定というようなことも含んでいたように思われます。
 そのニヒリズムはそもそも障害者差別はなくならないだろうという絶望感から来ている訳で、その絶望感自体を解決する必要があります。これについては、本文中にいくらか表現し、他の場所でも書いているので、ここでは省きます。
 差別に反発するところからふたつの方向性が生まれます。一つは、差別の構造そのものをとらえ返し差別の構造そのものをなくしていく他の反差別の運動と結び付いて行く反差別運動ですが、もうひとつが、差別の構造をとらえ切れないで、自分(たち)だけが差別から逃れられればよい、逃れたいというところで、更に差別する側になりたいというような指向が生まれる事があります。民族問題におけるシオニズムと言われることに通じることですが、ここに排外主義の問題があります。

(1)排外主義批判と代行主義批判
(イ)民族問題からとらえた反差別運動
 このようなことを書くと、ナショナリズムの総体的否定というようにとらえられるかもしれません。また、排外主義批判ということをひとつの差別事項で独自的な被差別者の団体を作り独自的な活動を進めることの否定というようなことにとらえられるかもしれません。
 このあたりのことは、民族問題を巡るレーニンとローザ・ルクセンブルグとの論争がもつ今日的な意味としてとらえておく必要があります。概略を示します。
 レーニンとローザの間で民族自決権を巡る論争がありました。レーニンが民族自決権を主張したことに対して、ローザはインターナショナリズムを唱え自決権に反対しました。今日大きくは、ローザの誤りとして指摘されていることです。植民地ポーランドで生まれたユダヤ人であり、女性で、障害者でもあり、多くの被差別事項をもっていたローザがなぜ、差別の問題をちゃんととらえられなかったのか(ローザは女性問題についてほとんど文を書いていません)という問題があります。また、ローザは、資本の継続的本源的蓄積、ということをとらえていた訳で、今日、民族・人種差別と闘うひとたちが、また反差別ということをとらえる人達が、資本主義は今日的に差別ということを階級支配に利用しているのではなく、むしろ差別なしには資本主義は存続しえない、本源的蓄積を継続することなしには存続しえないとして、ローザの再評価をしている現実があるので尚更です。この辺りのことは、ローザはむしろ多くの被差別事項をもっていたが故に、それらを階級という観点から総体的にとらえ運動を進めようとしたのだとか、またレーニンの組織論を批判しつつ、ローザの大衆のエネルギーに依拠する姿勢に共鳴しつつも、結局ローザには組織論がなかったが故に、反差別運動をどう蓄積して行くのかという方針を持ち得なかった限界などというところで批判しえるのだと思います。言わば、ローザは歴史的限界性に規定されたという面ももちつつ、結局は、階級支配は差別ということで端的に現れると言う側面をとらえ切れず、反差別運動の各事項での独自的展開の必要性をとらえ切れず、階級闘争至上主義に陥ったと指摘できます。いわば、支配層からする融和主義とは区別された運動内部の融和主義に陥ったと言えます。
 尤も、ローザを批判していたレーニン(そして他の問題ではレーニンから批判されつつも、こと民族問題では、レーニンと協調し、理論的にもレーニンへ影響を与えていたスターリン)の民族問題のとらえ方や方針が必ずしも正しかったとは言えません。そもそもレーニンも差別を階級支配の手段としてとらえていたし、インターナショナリズムにおける夾雑物、それでもなんとかしなけばならないやっかいなことだったのです。民族問題の根拠をとらえ返す時、民族問題の解決には、内外の南北問題を解決しなければならないのですが、レーニン亡き後、「一国社会主義」路線をひた走った「ソビエト」・ロシアはむしろ南北問題を強化したし、労働力の価値における差別を取り上げはしない中で、民族問題を解決しようとしたのではなく、権力によって押さえ込もうとした−ふたをしようとしたし、時には差別意識に依拠しスケープゴートを作りだし国民統合の手段とした、差別をなくすのではなく、むしろ差別の構造を再生産してきたのです。もちろんこれも融和主義、しかも権力の側からする融和主義として指摘できます。

(ロ)個別反差別運動の必要性と一般化すること(運動の融和主義)の批判
 根底的な社会変革を訴える(左翼と規定されています)者たちは、社会変革の本隊を労働者(階級)と規定しました。それは、他の被差別の問題では、女性差別を除いて、いずれもマイノリティ(少数派)であることから規定されています。ですが、その階級問題自体を差別ととらえる観点を欠落させて行きました。そこで、労働力の価値を巡るヒエラルヒーにとらえられ、労働運動自体が解体的情況に陥っています。かつ、南北問題という世界システムの中における中枢と周縁の関係(資本主義のイデオローグたちは、「先進国−後進国」という言い方をしています)における差別の構造をとらえることがほとんどなされないまま、中枢国の労働者は相対的安定性に安住し、自らの被差別の問題をとらえられなくなってきています。したがって、中枢国においては、唯一反差別運動が社会変革の芽をもった運動として現れています。しかし、個別反差別事項から差別の構造全体へのとらえ返しが進まない中で、芽が花咲かないままになっている現状もあります。
 資本主義社会においては、差別はその中身として階級問題として収束する傾向をもちつつ、しかし同時に階級問題が階級問題から「他の」差別事項に転化して、そこで尤も極化した形で現れます。したがって、ローザのように、階級闘争至上主義は破綻せざるをえません。むしろ個別差別をちゃんととらえ、そこでの組織化をなしつつ、差別の構造総体をとらえ返し、そこから階級の問題にも攻めのぼる途を取らざるをえません。

(ハ)個別運動から出発しつつも、個別運動の枠を超えた運動の必要
 さて、そこで、問題になるのは、運動の個別利害の枠の中に収まり、個別のわくに留まるという傾向が生まれます。いわゆるナショナリズムということに通じることです。そこで、被差別者同士の利害の衝突の問題も生じます。ですが、差別の構造ということをとらえたときにはナショナリズムは同時にインターナショナリズムにならざるをえません。兎に角、一つの被差別事項からの独自的運動(ナショナリズム的運動)の定立が必要で、そのことなしには、一切の反差別運動はありえません。そこから、差別の構造をとらえ返す作業の中で連帯・インターナショナリズムが生まれます。ナショナリズム自らの解体戦略とも言えることです。
 しかし、そこで問題になるのは、差別の痛みの個別性とひとつの被差別事項においては、他の被差別事項においての被差別者が差別者になりえるという問題があります。この差別の痛みの個別性をとらえられないと、運動の融和主義に陥り、反差別運動自体が成立しなくなります。この差別の痛みの個別性については、障害者運動は当事者主義から代行主義の否定という原則を突き出して来ました。自らの差別性をとらえ返す作業ということは、かっての大衆運動の中で自己否定の論理として突き出されたことですが、そのことの中身は継承しつつも、差別者−被差別者という二項対立的な構造は止揚していく必要があります。決して、差別者として被差別者に対するのではなくて、自らも他の被差別事項において、被差別者であるということから、差別の構造総体をとらえ返したところで、かつ、差別の個別性をしっかりと押さえたところで、反差別の共同戦線を作って行く問題なのです。 障害者運動においては、アメリカのリハビリテーション法の考え方が、運動においても必要になります。すなわち、リハビリテーション法には、ある機器の開発において、一部の人達が不利な立場に陥るならば、その人たちの不利を解消する機器の開発をしなければならない、という条項が入っているそうです。まさに、障害者運動は、インターナショナリズム―障害者運動のなかではユニバーサルということばが使われますが―として、このような考え方を運動の中に取り入れなければなりません。アメリカのリハビリテーション法の精神は、ADA法の中に活かされず、逆に能力主義にからめとられ、「資格ある障害者を排除してはならない」という障害者間の分断をもたらす条項をいれてしまいました。今日、日本においても、欠格条項を巡る法改正の運動のなかで、この「資格ある障害者」の問題がでて来ています。誤解のないように書いておきますが、何も欠格条項を巡る運動は、エリート障害者の問題で分断をもたらすから、そのような運動には賛同できないなどと言っているのではありません。これは、明らかにはっきりととらえられる排除型の差別です。そのことは放置できません。ただ、他の障害者の利害というところから、その利害と結び付いたユニバーサルな運動をしていかねばならないと言っているのです。日本の障害者運動を遅れていると言うひとがいますが、既に70年代新しい障害者運動が生まれ出たときに、色々な形で鋭い提起がされた歴史をもっています。その中で、「そもそも労働とは何か?」と言う議論もされていました。これは、長期的展望をもった運動に結び付く議論です。その長期的展望をもった運動と、今ここにはっきりとらえられる差別に対する闘いを結合させて行く必要があるのです。

第5節 (融和主義的共生論と区別された)反差別共生論

 さて、ここでは様々な運動を批判的にとらえ返したところで、ではどういう方向性の運動を進めるのかを書かねばなりません。これまで、「障害とは何か?」という問いかけをしつつ、それなりにまとめてきました。また差別についていろいろ論じて来ました。そこから自ずと方向が明らかになってきます。障害者運動は、もうずっと前から、共生ということを語ってきました。今日、役所的なところから出されている融和主義的共生とは、それははっきり区別されることで、また、差別の現実の中で、安易に共生ということは語れないということがあるにせよ、また現実の差別的関係性の中で、時には絶望的な思いを抱きつつ、それでも共生ということを語ってきた歴史があります。現実には、様々な先入見が問題をとらえにくくしていますが、そのようなことを排し、自分たちの思想の枠組みをもとらえ返し、現実をはっきりとらえ返す中で、障害者運動の大きなうねりを生み出していくべく、今大きく問われているときです。わたしのこの文もその様な流の中で、そのような流れに棹差し、その様なうねりを生み出したいとの思いの中で生まれたものです。現実の様々な問題を取り上げ、それについて語り、そして総体的な方向性を書いていくべきですが、この文は、原理論的なところで書いている文です。また別な形で、そのことについては書いていきたいと思っています。あとがき
 さて、これまで、「障害とは何か?」ということで、ずっと書き連ねてきました。その中から読み取って貰いたいのですが、「結局何が言いたいの?」と言う話になりかねませんので、蛇足になるかもしれませんが、あえて、わたしサイドからの障害―障害者規定を短く提起してみようと思います。障害とは、社会が障害者と規定する人たちへ作った障壁であり、差別の構造の中で、身体(肉体と精神の二分方を超えた概念)機能・形態の<差異>を"障害"として浮かび上がらせ、それが社会的歴史的関係性の中にあることを捨象し、個人を実体化する中で、その個人の属性として障害者の側に押し付けたことである。
 最近、友人から「難しすぎる」というわたしの文への批判を繰り返し受けています。わたし自身障害者運動の基本的理念として、ユニバーサル・デザイン的な考え方を突き出しています。そういう中で、多くの人が理解できないような文を書く者は障害者運動を語る資格がないとして批判を受けるようなことです。だから、せめて「中学生が理解できるような文」を書くことを心がけるべき事だとも思ったりしています。
 今回、この文はそのようなことから大きくかけ離れていて、いやむしろ、一体誰が理解しえるのかというような批判を受けるような内容になっています。
 それでも、今回どうしても書き改めえません。内容的に問題をドンドン掘り下げていく作業として書いてきたことで、いくつかのポイントになる思想があり、その思想の説明をしていくだけでも一生かかっても書ききれないこととしてあります。例えば、わたしは「障害とは何か?」という事をとらえ返す作業の中で「物象化」という概念に突き当たりました。そして、その学習の中で、廣松渉というひとの書に出会いました。序にも書きましたが、彼は博学のひとで、多くの書を資料として使い、難解な語を使い、膨大な文を書いています。わたしは、彼の書を図書館で、10冊近くの辞書を手元に於いて読んでいきました。それでも理解しきれないままの語を多く残しながら・・・。わたしは忘れる事を特技にしていて、しかも読んだ書の整理もちゃんとしきれないままに、読み飛ばしてきました。そういう中で、わずかにひっかかったことを記憶として残し、実践的なこととの対話の中で、自分なりに理論を形成していきました。その様な事を一体どうして、みんなに分かるように提起しえるのか? わたしの読んだ書を並べ「これだけ読んで欲しい」と提起し、それを読んで貰うしかないような事かもれません。でも、そんな提起自体がなりたちようがありません。
 文のスタイルと言う事での難解さの問題もあります。「文を短く切って読みやすく」という提起は、ちゃんと受け止めるべき事だとは思います。ただ、そのような文は逆に論理的展開をするときに、逆に論理性を損ないかねません。その事を超えてどう書き進みえるか、わたしには至難の技です。
 わたしの文にはときどき、間に書くべき文がぬけおちていることがあります。これはかなり気をつけて編集の段階で入れ込むことをこころがけていますが、わたしには文を書くことの気恥ずかしさがあって、文を改めて読み返すことへのためらいのようなことがあり、なかなかやりきれません。
 それらの事を含めて、結局悪文の見本のような文しか書きえていません。
 更に、この文自体も数年にわたって少しずつ書き足していった文で、全体の構成とかめちゃめちゃで、何度もあちこち同じような文を繰り返し書くことになってしまいました。それらの事は編集の段階ですっぱり整理すべきことですが、今回寧ろ、章・節がつながっていること、また強調したいと言う意味も含めて、そのままにしました。そのような難解さを残しながら、共通の理解のない語・資料などで何か関心をもったところは、後日もし時間があれば読んでもらう事として、分からないところは読み飛ばして欲しいと思います。わたし自身が、そのような形で勉強を積み重ねてきたことです。
 結局、この文はこの文で敢えてそのままに出し、これで原理論的な掘り下げる作業に一応区切りをつけて、これからが色んな人との本格的対話をしていくことで、これからは「(せめて)中学生にも分かるような文」を書いていきたいと思っています。と言うところで、とりあえず、この文をオープンにしていきたいと思います。この文を書きながら、わたしは色んなことに関わっていました。わたしが何をやるべきか、わたしに何ができるのかということで、寧ろ、この文を書くことに集中したいという思いがありました。ですが、振り返ってみるとむしろいろいろ動いていたからこそ、その中で多くのことを吸収し、書きつづけるエネルギーを持ちえたのだとも思っています。また、色々動いている仲間から実際に多くのヒントを貰いました。この文を書いていて何度もくじけそうになりました。そのわたしを叱咤激励してくれる数少ない読者たる吃音者の友人がいなかったら、この文章は曲がりなりにも完成しなかったでしょう! 末筆ながら、その友人に感謝します。テキストファイル版へのあとがき
 これがわたしが作成した最初のテキストファイルです。まだ、その仕組みがよく理解できていません。不備があれば指摘ください。少ないながらも、色々な障害者との交流がありますが、視覚障害者はとの交流はほとんどもてていませんでした。この文書を最初作成したときにも、視覚障害者へのユニバーサルな観点がおちていて、途中で気づきあわてて注で書き足した経験がありました。障害学MLに参加したばかりのころ、倉本さんにルビンのずけいについて、点字図形で説明可能かどうかの質問をして、答えてもらいました。
 この文書が少しでもユニバーサルな内容に近づきえているとしたら、彼のおかげです。ありがとうございました。
 ユニバーサルと言いつつ、難解な文を書いて何がユニバーサルだとしかられるところですが、少しずつ、近づいていくということで色々批判をいただけたらと願っています。

……以上・以下by立岩……
REV: 20160125
障害学  ◇全文掲載
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