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障害者のマスターベーション介助をめぐる「語り」

−介助者への聞き取り調査から−

大阪体育大学短期大学部 草山太郎
『大阪ソーシャルサービス研究紀要』創刊号(2001年5月)掲載予定



1.はじめに

 障害者のセクシュアリティをめぐるさまざまな事象の中に、マスターベーション介助1)というものがある。
 このマスターベーション介助については、各国でさまざまな取り組みがなされている。たとえば、デンマークでは社会省の発行した指導書にマスターベーション介助に関する規定があり、また、オランダで障害者にセックス・ケアを提供しているSAR(Stichting Alternatieve Relatiebemiddeling)も、サービスの一つとしてマスターベーション介助を行っているという(旭:1996、障害者の生と性研究会編:1996)。
 現在の日本には、制度的に確立されたマスターベーション介助に関するサービスは存在しない。しかし、このことは日本でこれまでマスターベーション介助が必要ではなかった、あるいは、行われてこなかったことを意味するものではない。それは、施設に住む障害者が職員や障害者にマスターベーション介助をしてもらっている話や、在宅生活をしている障害者が介助者に頼んで驚かれたり逃げられたりしたという話が、障害者自身の体験談として語られてきたことからも明らかである。ただ、このようなマスターベーション介助については、公には多くのことは語られていない。
 一方、マスターベーション介助に関する研究に目を向けると、旭洋一郎(旭:1996)や宮内洋(宮内:2000)による研究はあるが、ごくわずかである。その中で、将来介助者になる可能性のある学生のマスターベーション介助に対する意識を分析している宮内洋の論考は興味深いものがある。しかし、介助の対象を介助者の性的指向性(sexual orientation)に沿った者に限定している点、調査の対象が日常的に介助に関わっているわけではない学生である点など、この論考には限界がある2)。
 このような状況の中、マスターベーション介助に関する研究において必要なのは、まず、その実態を明らかにし、介助者がマスターベーション介助に与えている意味を読みとくことである。
 なぜならば、たとえば、食事介助や排泄介助は行えてもマスターベーション介助は行えない介助者は、後者に特別な意味づけを行っていると考えられるためである。
 このような問題意識から本稿では、介助者がマスターベーション介助をどのようにとらえているのかということについて、介助者の「語り(narrative)」をとおして検討することを目的とする。

2.研究方法

 マスターベーション介助の経験のある介助者を対象に、行った理由、行うまでの状況、行った際の感想などについて聞き取り調査を行い、その「語り」から介助者がマスターベーション介助をどうとらえているのか分析した。
 調査対象者はAさん(30歳・デイケアセンター職員・マスターベーション介助経験人数3名(全て男性)・ヘテロセクシュアル)、Bさん(39歳・作業所職員・マスターベーション介助経験人数約15名(全て男性)・ヘテロセクシュアル)の2名である。
 なお、聞き取りは、Aさんは2000年9月24日(日)にAさんの職場で、Bさんは2000年9月27日(水)にBさんの自宅で、それぞれ約1時間30分にわたり半構造化面接で行った。

3.結果および考察

 3.1 Aさんへの聞き取り調査から

  3.1.1 マスターベーション介助を正当化する「介助者手足論」

 Aさんは、初めてマスターベーション介助を依頼された時のことを振り返って、次のように語っている。なお、「語り」の引用文中にでてくる(  )は、草山による補足説明である。
 「これは個人的なことなんですが、自分の中に性の話をできない関係とか、そういう関係ってのができる人と比べて浅いんとちゃうかってコンプレックスがあったんですね。僕の中に。ほんまはもっと弾けた関係で対人関係ができたらええんちゃうかなってのがあって、しゃあないなあっていいながら、まあ、生理的にはそんなええもんちゃうから半分くらいはいややったんですけど、反面、関係が深まったんちゃうかという気持ちがあって、どうやってするのとかいいながら、やったときはあまり何も考えてないですね」
このように、「生理的」という形容を用いてマスターベーション介助への嫌悪感を表明しているAさんは、初めてマスターベーション介助をした後にどう感じたか、という質問に対して次のように答えている。
「(いやだとは思わなかったが)したいとも思わなかったですけどね。ウンコ介護や摘便ってあるじゃないですか、そっちと似てるんですよ。感覚が。ウンコ介護って、したくないじゃないですか」
通常、このような嫌悪感を持っていることは行わない。しかし、Aさんはマスターベーション介助を行ったという。つまり、このAさんの行為は、「したくないけどする」というもので、矛盾をはらんでいる。では、矛盾があるにもかかわらず、Aさんはなぜマスターベーション介助を行ったのだろうか。それを解く鍵は、Aさんの次のような語りである。
 「(介助者は)一般的な手足やねんからっていう理屈はとおってるんですよ、自分の中で。おまえ手でやるやろ、この人手が利かへんやろ、でも、気持ちいいことしたいやろ、じゃ、手足がすればいいという理屈はとおっているんです」
 ここでAさんが述べているのは、いわゆる「介助者手足論」である。
 「介助者手足論」とは、1970年代に脳性麻痺者の団体である青い芝の会の運動のなかで言われてきた主張で、介助者は障害者の手足だから考えずに障害者の指示どおりに動けばいい、というものである。この「介助者手足論」の論理に従うならば、介助者はマスターベーション介助をすることに疑いをもつ余地はないように思われる。
 このように、「したくないけどする」という矛盾を、Aさんは「介助者手足論」によって正当化している。

  3.1.2「本音の関係」という意味づけ

 前に見たように、「したくないけどする」という矛盾を、Aさんは「介助者手足論」によって正当化していた。しかし、Aさんにとって、矛盾を正当化するのにこの論理だけでは不十分だったようだ。それは、以下のような「語り」が示している。
Aさんは、初めてのマスターベーション介助後一年間ほど、障害者に「(マスターベーションは)どうしてんの?」と声をかけたという。そして、その理由について次のように述べている。
「マイ・ブームやったんですね。本音の関係とかいうて。で、こっちに無理があるからやめたんですけど。そういうキャラクターじゃないから」
ここでAさんは、マスターベーション介助に「本音の関係」という意味づけを行っているが、この「本音」という言葉はポジティブな意味をもつ。
 つまり、「したくない」マスターベーション介助を「する」Aさんは、それを「介助者手足論」だけでは正当化することができず、さらに「本音の関係」というポジティブな意味づけを行うことによってそれを補強しようとした。障害者に声をかけるという行動は、そのひとつの表現だったのだろう。

3.1. 3「裏メニュー」としてのマスターベーション介助

 マスターベーション介助は介助の範囲に入るか、という質問に対して、 「感覚としてはそうですね。一人上手でやるぶんには、倫理的な問題があるわけじゃないし。介護のなかにいれますね」、と答えているAさんは、さらに次のようにも語っている。
 「理屈としてはマスターベーション介助もメニューの一つにあってええやろって、思うんです。発想としてはメニューの中に入りうると思うんです。個人契約の中で性的なことも入れようと思えば入れれるわけですね」
 このようにAさんは、「感覚」においても「理屈」においても、マスターベーション介助は介助の範囲に含まれるべきものとしてとらえている。
 しかし、Aさんの中で、マスターベーション介助が現在介助のメニューとして広く認められている食事介助、排泄介助等と全く同じ扱いがなされているかというと、そうではない。では、どのように取り扱われているのだろうか。
 「ただ、現状では裏メニュー、とくに、第三者にそのメニューをシステム化していこうとしたときに、入れてなくても障害者と相談してねって、裏にあるんですが、表に出すような状態ではないということですね」
 このようにAさんは、マスターベーション介助を「裏メニュー」と表現している。ここで重要なのは、実際にマスターベーション介助が内容的に「裏メニュー」であるかどうかがではなく、Aさんが介助を表/裏メニューと切り分けていることである。
 このことから、Aさんがマスターベーション介助を他の介助と別個のものとして扱っているということがわかる。

  3.1.4 「関係」と「サービス」

Aさんは、マスターベーション介助とは何かということについて、次のように述べている。
「サービスとかアシストとかじゃなくってそこ(マスターベーション介助)はやっぱり関係なんですよね。人間が人間を支えたり一緒に生きて行くためには、そういう相手の立場とか状況とかを考えて自分が変わって行くという相互関係があってはじめて豊かな関係になると思うんですよね。そういことでサービスの溝を埋めて行かないと一緒に生きて行く関係というのはできてこないと思うんです。お互いが変わって行くという関係。その範囲にマスターベーション介助もあると思うんですよ」
 このように、マスターベーション介助を「関係」であるとしているAさんは、その位置づけについて、次のように語っている。
 「小便でなかったら病気になる。でも、マスかきに関しては病気にならないねんから、マスかくような人間関係になるかどうかっていうのは、その障害者と介護者の関係の中に残された介護ニーズでいいんじゃないかと」
 このようにAさんは、しなくても病気にならないマスターベーションの介助を「関係」というカテゴリーで説明している。また、ここでは直接語られてないが、Aさんがマスターベーションとの対比で小便を挙げていることから、しないと病気になる排泄の介助は「サービス」というカテゴリーで説明するものと推察できる。
 さらに、Aさんの語りは続く。
 「介護者が障害者のことをどのへんまで考えてできるできないを言うかということと、障害者が介護者のことをどこまで考えて頼む頼まないをいうかって言う部分は、最低限以上のことは関係性に任せたほうが面白いんじゃないかっていう理屈をもってまして、それをメニュー化しちゃうとそれはそれで障害者は楽かもしれないけど、ぼくが魅力を感じている介護関係と違ってくるんですね」
 ここでAさんのいう「最低限」とは、前の部分をふまえて考えると、「生命維持」に関わる介助のことであると推察できる。
 これらの語りから、Aさんの介助に対するとらえ方を整理してみると次のようになる。
 介助は「サービス」と「関係」というカテゴリーに分けられるが、生命維持に関わる介助で一律に提供できるものが「サービス」、生命維持に関わらない介助で個別の折衝で行う/行わないが決定されるものが「関係」である。
 このようなAさんの介助観にも、マスターベーション介助を他の介助とは別個のものとしてとらえていることが表れている。

 3.2 Bさんへの聞き取り調査から

  3.2.1 「秘めごと」としてのマスターベーション介助

 「障害者の自立生活とか介護の問題って言うのは自分の生活まるごとおおぴらにして、けつの穴まで見せてでもやってることやけども、それでもその分野(マスターベーション介助)っていうのはちょっと違いますよね」
 このように、Bさんは、「けつの穴まで見せ」るという言葉で自立生活や介護はすべてをさらけだすものであると表現したうえで、マスターベーション介助をそれとは「ちょっと違う」ものであると語っている。
 では、その違いとはどのようなものなのであろうか。
 「(食事介助や排泄介助との違いは基本的には)ない。ないっていったら少しうそがあるかな。つまり、食事介助っていうたらおれがやってもKさんがやってもあまり変わりませんよね。たぶん、微妙に違うことはあっても。でも、マスターベーション介助はその障害者と僕とのへんないいかたなんですけど二人の秘めごとというか、そこでなにか通じあえるものがあるというか。べつに、よろこんでするというわけでもないけど、なんかそこで共感するということもあるからね」
 ここでBさんの使っている「秘めごと」という表現は、公の関係のときには用いられない。この言葉が用いられるのはプライベートな関係の場合である。つまり、Bさんの言う他の介助とマスターベーション介助との「ちょっと違う」部分とは、前者は公的な関係のもとで行われるものであり、後者は私的な関係のもとに行われるものだ、というところにある。
 このような介助関係への認識から、Aさんと同じようにBさんもマスターベーション介助と他の介助を別のものとして扱っていることがわかる。

  3.2.2メニュー化させないもの

 Aさんのところでも言及したマスターベーション介助のメニュー化について、Bさんは以下のように述べている。
 「(マスターベーション介助のメニュー化について)僕は反対やね。システムの中でマスターベーション介助を位置づけるということは規定を設けるということでしょ。業務としてこれとこれと。それ自身が疑問なんです。規定してしまわないとマスターベーション介助もできないのかということでしょ。もちろん、まったく知らない人が介護に入るときはこれとこれとこれをしてくださいということはコーディネートする側の責任上最低限することだけど、それ以上はその本人とその介護者の関係の中でおたがいに思ってつくっていくことやと思っているから」
 このようにBさんは、介助を「業務」と「それ以上」のものに分け、後者は「本人と介助者の関係」のなかで相互に創出していくものだとする。Bさんはメニュー化に反対だと明言するのは、マスターベーション介助を業務にすることへの疑問、つまり、「それ以上」のものととらえているためである。
 しかし、Bさんは次のようにも語っている。
 「これは頼んでもいいんですよといっておけば障害者のほうが言いやすいから(メニューとして)設けるべきなのかなとも思うけど。ちょっと違和感ありますね。ぼくの実感とは違いますから」
 このように、Bさんは、メニュー化することで障害者が頼みやすくなること認めながらも、反対の立場を取っている。この二つの立場は矛盾するものだ。これはどのように説明ができるのだろうか。
 今見たように、Bさんは、マスターベーション介助を「それ以上」のもの、つまり、「本人と介助者の関係」で作っていくものであるとする。では、その関係とは、どのようなものだろうか。それは、前に見たBさんの「秘めごと」いう認識からもわかるように、あくまでもプライベートなものである。しかし、マスターベーション介助のメニュー化とは、それを介助の中に公のものとして位置づけるということである。そうすると、マスターベーション介助をプライベートな関係である「秘めごと」だとするB氏の認識とは合わないので、結果的にメニュー化には反対となる。Bさんのいうメニュー化への「違和感」や「実感とは違う」というのは、このようなところからきているのであろう。

4.おわりに

 本稿では、二名の介助者の「語り」をとおして、マスターベーション介助に対するとらえかたについて検討を加えてきた。もちろん、今回の分析結果を一般化できるとは考えていない。それは、さらに聞き取るべき内容があると思われることと、分析に不十分な点があると思われるからである。その意味では、本稿は中間報告的なものである。
 しかし、今回の二名に限定すれば、次のことは言える。
 それは、マスターベーション介助を行った経験のあるものにおいても、マスターベーション介助と他の介助は別個なものとしてとらえられている、具体的に言うと、マスターベーション介助を食事介助や排泄介助などと同じように扱っているからマスターベーション介助が行えるのではない、ということである。
 マスターベーション介助ができる介助者というと、性について開放的な感覚や考えをもっているものと思われるかもしれない。しかし、そうではなかった。マスターベーション介助を介助に含めることができるとしつつ現状では表に出せない「裏メニュー」だとするとらえかたや、プライベートな関係である「秘めごと」という認識。これらは、表現や程度の差はあっても、マスターベーション介助をなるべくオープンな場所に出すのででなく、私的な空間に閉じておきたいというように読める。
 つまり、マスターベーション介助ができる介助者もごく「常識的」な感覚をもっているのである。
 今後、さらにマスターベーション介助を行う介助者への聞き取り調査を重ねるとともに、マスターベーション介助を行わない/行えない介助者、そして、マスターベーション介助を必要とする障害者への聞き取り調査を行いたいと考えている。
 それは、このテーマがただマスターベーション介助という場所にとどまらず、介助内容の見直し、介助関係の再考、障害者や健常者のセクシュアリティの問い直しを迫るものであると感じているからである。


1) マスターベーション介助に対して、マスターベーションとは一人でする行為なので他者の手などが介入した時点でマスターベーションではなくなる、という意見もあるが、これについてはここでは議論しない。
2) 宮内の質問は次のようなものである。「あなたはすでに現場で働いていて、ケアをする立場にあるとします。そのときのことを想像してみてください。あなたが異性愛者の場合は異性の人、あなたが同性愛者の場合は同性の人のケアをしていたとします。その人は両手を自らの意志で思うように動かすことができません。その人が性的に興奮し、あなたにマスターベーションを手伝うように求めてきました。その時、あなたはどうしますか?」(宮内洋:2000)

引用文献
・旭洋一郎(1996)「障害者のセクシュアリティと障害者福祉−人権としての「性」の実現とオランダSARのアプローチ−」,『東洋大学児童相談研究』15,pp109-125
・障害者の生と性研究会(1996),「「セックス・ケア」で得られるもの−オランダからの報告」,障害者の生と性研究会編『知的障害者の恋愛と性に光を』,かもがわ書店,p56
・宮内洋(2000)「あなたがセックスケアをしない理由」,好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』,せりか書房,pp226-244


  ……以上(以下はホームページの運営者による)……

 ◆草山太郎「障害者のマスターベーション介助をめぐる語り」
  障害学研究会関東部会
 ◆旭 洋一郎
 ◆好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』


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