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意のままに問いかけあう思想のパートナーになりましょう。


last update: 20160125


山崎 祐子 20010420

『花束』3号(「ご近所留学の会」交流紙)

 「新世紀 ポン マニ パドウセヨ(新世紀の福をたくさん享けとってください)。」
 韓国語で、新世紀の挨拶をお送りいたします。日本と韓国では、挨拶にも違いがあります。韓国語を使う時のわたしは、わたしの身体が言葉を発していることを知るのです。
 「ご近所留学の会」は、友人の岡部さんとわたしの二人だけが名乗ってきた会です。近所に棲まい、暮らし、子どもを育てるといった共通の話題から、ひろがり深まってきたものです。幸運にもそんな私達の目の前に立ち現れたのが、韓国の友だったのです。私達は、幾人かの韓国の友と出会い別れて、いま、それぞれに暮らしています。ともに泣いたり笑ったりした経験は、それぞれの記憶となって身体の中に宿りました。その記憶を、私達「ご近所留学の会」として語ったのが、『鳳仙花』(14号)の原稿です。これを、ソウルの友人夫妻に訳して頂きました。
 先日、ソウルへ翻訳のお礼の電話をかけましたところ、待ってましたとばかりに「いま、韓国ではたいへんなんですよ。日本の歴史教科書のもんだいです」と。言われて始めて、ハタッと気がつきました。わたしは、自分の国の歴史教科書について、「他者(よそ)から見られている歴史教科書問題の当事者」だったのです。さて、当事者ならば、当事者だけれども、どうしたらいいのでしょうか?
 現在の生の出来事は、いやおうなく飛び込んできます。それは、知るも知らずも当事者と第三者に分けてしまいます。しかし、当事者だけではやれることに限界があること、第三者は不在とされていること、当事者の作法、第三者の作法がまだできていないことを実感しています。
 豊かな時代となったいま、当事者、第三者として「じゃ、どうする?」といったときの、使うための道具は幾らでもあります。さて、いつ、どこで、誰が、「何をやる」か?

 "とびこえない、ここから、ここで""いつでも、どこでも、だれでもできる"コミユニケーションとしての「ご近所留学」では、自分を取り巻く様々なことに気づいたことを、互いに語り合う中で、身の内に「おのおのの問い」として持ちました。これを日常生活の出来事にまみれながら、その「答えなるもの」を取り出す実践として、「集いと笑い」「学びと対話」などに取り組んできました。分析や批評はあっても、具体的な実践が乏しいことに不満を感じ、瞬き一つでも腕組み一つでも「やってみること」を意識しています。「ご近所留学」という形も方法も手探りだったわたしたちにとって、新聞や雑誌などを通して語りかけられる「知」からの声は、わたしたちの学びの方向を照らし、わたしたちの歩みの支えとなりました。
 わたしは、『学び』を寄る辺とし、思想のパートナーを得ることで、社会の中で「自分がやるべきことを知り、分かり、そして自分で決める」という「意のままにやること」の自由を味わっています。『知ること』によって、自由が得られたました。自由になって、意のままに語り合いませんか?

 いま、なまの出来事に対峙しようとするわたしたちにとって、互いに必要なのは、思想のパートナーとしての隣人。隣人は思想の宝。わたしたちは、互いに問いと答え。韓国の友よ、カッチ、イゴシッポヨ。
思想のマダンを作りませんか。そこにある「思想と祈り」を見たいから。

2001年7月13日  山崎 祐子  (『花束』3号より)

 (『鳳仙花』創刊10周年を迎えられましたお喜びを、皆様方と共にお祝いさせて頂けますことを、深く感謝します。)

……以上……

REV: 20160125
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