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障害者のアイデンティティポリティクスについて

−ディスアビリティ/インペアメント概念再考−

静岡県立大学大学院
国際関係学研究科国際関係学専攻
99k101 夏目 尚 2001

last update: 20160125


目次

はじめに
第1章 アイデンティティのパフォーマティヴ・モデル
1−1 ゲイというアイデンティティ
1−2 クィアあるいは脱アイデンティティ
1−3 唯物論的問題と文化表象的問題
第2章 障害の社会モデル
2−1 インペアメントからの離陸、社会モデルの誕生
2−2 インペアメントへの再接近、社会モデルへの批判
2−3 アイデンティティポリティクスと社会モデル
第3章 ろうの文化モデル
3−1 ろう者というアイデンティティ−病理学的視点へのアンチテーゼ−
3−2 オーディズム
3−3 オーディズムへの抵抗
3−4 文化モデルによる障害者の誤認
第4章 障害者のアイデンティティポリティクス
4−1 ディスアビリティ、インペアメント概念の再検討
4−2 パフォーマティヴ・モデルの障害者における妥当性
4−3 障害の文化再考
4−4 障害者のアイデンティティポリティクス
おわりに

文献表
英文要約

はじめに

 本論文のテーマは、障害者のアイデンティティポリティクスである。そのようなテーマを設定した動機、理由と、全体の構成について説明したい。
 私は健常者であり、障害者に対するケア、或いはリハビリテーションに関心を持ってきたし、それを職業としたこともあった。その動機は何であれ、常に障害者を対象化する立場にあり、それはこの論文を執筆している今も同じである。そのような立場にあることは、必ずしも自分にとって居心地の良いものではない。特に仕事をしているときは、その職種の専門性によって、障害者を代理しその利益を判断し誘導することが正当化されており、なおさらそれは健常者の障害者に対する権力行使ではないかと疑った。専門職としてキャリアを積むことは、当然のごとくその職能を洗練させ、結果として先程の正当化を強化し、権力行使を疑う感覚は徐々に希薄になっていくはずだ。そうなる前に、そのような場から降りて考える必要があった。パターナリズムは自身に都合のいいように、その対象を捏造する。健常者のパターナリズムによって捏造された他者としての障害者ではなく、彼ら/彼女らが自分自身のことをどのように認識しているのか、をまず知らなければならなかった。そのような問題意識から、障害者のアイデンティティポリティクスというテーマを導出した。ここで私はアイデンティティポリティクスという言葉を、障害者自身による障害者に関する記述を社会的に認知させるためのポリティクスとして用いている。
 そのようなポリティクスの言説として、障害学という言説がある。障害学とは、これまで健常者によって規定されてきた障害、障害者の概念、障害者の生き方、を障害者自身がよりよく生きるためのものに作り変えていこうとする学問/運動である。その中でどのようなことが言われてきているのかをまず知ることが、本論文の具体的な作業の一つになる。
 そうしたアイデンティティポリティクスとしての障害学の検討だけではなく、他のマイノリティとの比較を試みたいと考えた。マイノリティモデルの障害者への応用についての関心からである。先行するマイノリティのアイデンティティポリティクスを参照することで、障害者のアイデンティティポリティクスにおいて内包する問題、或いは異なる事情や異なる論理を照射することができるのではないか。比較する対象としては、ゲイ/レズビアンを選択した。その理由は、アイデンティティポリティクスをめぐる諸問題が典型的に現れているフィールドであること、具体的にはアイデンティティにかかわる2つの動向、つまりアイデンティティを確立していこうとする本質主義的な動きと、アイデンティティを脱構築していく動き、が論争的な課題として立ち上げられているからである。そこで語られていることは、障害者においても妥当することなのか、あるいは違うのか。そのような角度の検討を通じて、障害者と他のマイノリティとの相違を明らかにできると考えた。また後述するが、ゲイ/レズビアンと障害者は他のマイノリティに比して近接している面も多い。双方とも、医学モデル的考え方によって治療の対象となっていたこと、マイノリティとしての社会化が他のマイノリティに比して困難であることなど、他のマイノリティにはない、共通する側面が幾つかある。
 全体の構成について少し触れる。1章では、まずゲイ/レズビアンのアイデンティティポリティクスを概観し、アイデンティティをめぐる論争における一つの臨界点として提出されている、アイデンティティのパフォーマティヴ・モデルについて述べる。2章、3章では、障害学において主要な言説である、社会モデルと文化モデルについてそれぞれアイデンティティポリティクスとの関連から検討する。4章では、2、3章の考察からディスアビリティ、インペアメント概念の再検討、パフォーマティヴ・モデルや障害の文化といった概念と関連付けながら、障害者のアイデンティティポリティクスについて検討したい。

 第1章 アイデンティティのパフォーマティヴ・モデル

 ゲイスタディーズにおけるアイデンティティポリティクスを概観すると、そこには2つの言説的勢力を認めることができる。1つはゲイとしてのアイデンティティ(1)を確立していく立場、1つはアイデンティティを脱構築していく立場、これはクィアとも呼ばれるが、である。本章ではそうした論争のひとつの着地点としてのパフォーマティヴ・モデルについて述べ、そのモデルの、経済/文化という2つの領域への効果について考えたい。

 1−1 ゲイというアイデンティティ
 ゲイのアイデンティティというのは、他のマイノリティ、例えば黒人、女性、少数民族などと比較した場合に、幾つか異なる事情がある。それには、まず次のようなことがある。1つはゲイのアイデンティティが可視的ではないことであり、もう1つは「異性愛強制社会」(Rich [1981])おいては、そうでないことが証明されない限り、人は異性愛者と見なされてしまうということである。多くのマイノリティはその特徴が日常的な文脈において可視的、顕在的であり、よってマジョリティの側から貶められたマイノリティ像を押し付けられることはあっても、マジョリティとして読み込まれてしまうようなことはない。また、他のマジョリティとは違って、異性愛者は自分のポジションを意識する必要がないほどに、マイノリティ−マジョリティ間のアイデンティティポリティクスにおいては特権的な存在(2)である。さらに、「異性愛強制社会」において設定されているところの、パブリック/プライヴェイトの別において、ゲイのアイデンティティはプライヴェイトな部分にのみ還元されることによって、隠蔽され抑圧され続けるからである。「クローゼット」(Sedgwick [1990]=[1996])と呼ばれる構造に絡め取られて、ゲイのアイデンティティはその確立において、ゲイという属性は社会的にポジティヴにもネガティヴにも顕在化されないという、特殊な困難に晒されている。
 それだけではなく、他のマイノリティとは違ってロールモデルを得ることも困難である。人間の社会化においてプライマリーな役割を担う家庭において、まずゲイ/レズビアンは孤立している(3)。教育機関においてもその不可視性からピアを見つけるのは困難であるし、「異性愛強制社会」の圧倒的な同化力のもとに、自分のセクシュアリティについてもネガティヴに感覚していくことを学習していく。長じてから、ピアやゲイ/レズビアンのコミュニティに出会うことがなければ、そのまま異性愛者に擬制して生きていくことになりかねない。ポジティヴなゲイ/レズビアンとしてのモデルを供給していく社会的なしくみは、他のマイノリティと比較すれば、圧倒的に少ないのである。
 次のようなこともある。「ところがそれら民族的・文化的マイノリティと同性愛者たちが異なるのは、マジョリティとマイノリティの権力関係が、同性愛の場合には単なる支配・被支配の優劣ではなく病理的な劣性として位相をずらしていたことなのだ。」(ヴィンセント・風間・川口 [1997:20])もちろん、マジョリティの側が、マイノリティの劣性を説明するのに生物学的根拠を捏造し、用いるという形式は、これまでに何度も繰り返されてきたことであるけれども、「治療」の対象として位置付けられることはなかった。しかし同性愛は、精神医学において病理的な処遇を受けてきており、1973年にようやくゲイムーヴメントの成果として、アメリカ精神医学会の定める「精神障害の診断と統計のための手引き第3版」(略称DSM−V)において精神障害としての同性愛は削除されたという経緯がある。このような病理化も、他のマイノリティとは異なる点である。
 異性愛社会における異性愛者の透明性、ゲイの不可視性、「クローゼット」空間、ゲイとして社会化するツールの圧倒的不足、病理化などの要因が、ゲイとしてポジティヴに社会に対して可視化することを当事者に要請するのは当然であると言える。「ビ/カミングアウト」(Phelan [1989])という行為を通じて、ゲイはゲイとしてのポジティヴなアイデンティティを構築していかない限り社会的に抹殺されたままなのであるから。なおかつ、「異性愛強制社会」の異性愛イデオロギーを相対化、脱構築していくことも要請される。そうでなければ、可視化することはできても、ゲイはホモフォビアによって貶められるだけである。このようにして、「異性愛強制社会」はゲイに対して、ポジティヴなアイデンティティを確立することを、そして異性愛イデオロギーを脱構築することを、強要するのである。これはマジョリティによってしかけられた闘いである。まずはマジョリティの土俵においてマイノリティが闘わざると得ないこと、この点については他のマイノリティと共通している側面である。そして、次に、アイデンティティの確立とマイノリティを周縁化するイデオロギーの脱構築という2つの戦略をどのように配置していくのかが、マイノリティのアイデンティティポリティクスの戦略として、問われることになる。
 このことについてもよく言われることがある。いわゆる「二段階論」である。例えば浅田は次のように言う。
 「ジャック・デリダの古典的な議論というのがあるんですね。マジョリティとマイノリティという二項対立は、マジョリティによるマイノリティの抑圧の構造である以上、まずは逆転しなければいけない。そのためには、マイノリティが自分のアイデンティティをしっかりと認識し、マジョリティに向かって主張し、マジョリティの側にそれを認めさせていかなければいけない。しかし、そうやって単に逆転するだけだと、もともとの土俵の上で優劣がひっくり返るだけでしかない。だから同時に、あるいは次の段階では、マジョリティとマイノリティといった二項対立を支えている「人間」といった一見無色透明な土俵自体を解体し、もっと多様な差異に向かって開いていかなければならない。」(浅田・ヴィンセント [1998]:131)
 このような「二段階論」戦略の段階に位置付けられているアイデンティティは、「戦略的アイデンティティ」としばしば呼ばれる。そのような最初の段階におけるアイデンティティポリティクスは、現在のゲイムーヴメントの一つの潮流であると思われる。それに抗するものとして、あるいはその次の段階を照準するものとして、クィアというアイデンティティが提出される。

 1−2 クィアあるいは脱アイデンティティ
 アイデンティティポリティクスの負の側面として、カテゴライゼーションの問題が言われる。必然的にカテゴライゼーションの狭間に置かれる人達を生み出し、そこに再び抑圧の構造を再現してしまうという話だ。例えばゲイ/レズビアンコミュニティにおけるバイセクシュアル差別がそうである。またそうしたカテゴリー間の問題だけではなく、カテゴリー内における人々への負の影響も指摘される。
 「レズビアン・ゲイ・リベレーションをはじめとした性的マイノリティによる社会運動は、否定的に扱われてきたこれらのレッテルを肯定的にとらえ返し、社会に対してそれを積極的に打ち出すことで、これまでの負の価値観を正の価値観へと転倒しようとしている。しかし、社会からの圧力に対し、自分たちのアイデンティティを強固に打ち出していくなかで、自分の「生」の可能性を同じカテゴリーの中のみに見いだす傾向はないだろうか。もしそうならば、肯定的な形で提示したはずの記号は、アイデンティティを補償するものとして機能していくことになる。社会から抑圧されるマイノリティが対抗理念に基づく閉鎖的な共同体を作り出すのは、広くみられる現象であり、マイノリティによる運動にはそうした落とし穴が潜んでいる。」(クィア・スタディーズ編集委員会 [1997:3-4])
 そのような個人間/内の多様性、この文脈で言えば性的多様性、に焦点をずらして、性的マイノリティとしてゆるやかにカテゴライズしていこうというのが、クィアという考え方である。しかし、このクィアという概念が実体視されることについては、この概念を最初に用いた、テレサ・デ・ラウレティスは現在のクィアの使用法は私が意図していたものとは違うとして、次のように語る。
 「私にとっては、人種とセクシュアリティの関係については話すのが重要でしたし、さらにジェンダーを含めて話したかったのです。私にとってクィアセオリーというのは、その言葉をもってそうした問題について話すことができるような概念なのです。それは便宜上作ったひとつの仮説、キー概念であって、つまり、ひとつの安定した概念ではありません。」(デ・ラウレティス [1998:68])
 よって、そのオリジナルな意味としてクィアは安定したアイデンティティという概念を示すものではない。が、そうしたオリジナルな意味が脱色され、そのように転用されていること自体は、現実のセクシュアリティをめぐるアイデンティティポリティクスにおいて生じていることであり、それはマイノリティの運動が、アイデンティティカテゴリーの細分化に陥り衰弱していくことを防止するためのものであるとも言える。そのように考えていくと、問題に対する分析/コミットメントという二分法に単純に当てはめるのはよくないのかも知れないが、人種、ジェンダーなどの多様な文脈におけるセクシュアリティというものを考察していくために設定されたクィアという概念が、性的マイノリティの運動にその理念として移植されたと言ってよいのかも知れない。
 移植される必然性はあった。そのような性的多様性を内包する「本質なきアイデンティティ」であるクィアという概念は、前節で述べた「二段階論」に基づくアイデンティティポリティクスの抱えるジレンマを超克する必要があったからである。それは、そうした政治運動におけるアイデンティティというカテゴリーが、「政治的パワーの源であると同時に抑圧の源でもある」ことによって、ポジティヴなアイデンティティの確立を目指す運動が二項対立の構造を強化してしまい、最終的な目標である二項対立の脱構築という点からは逆機能を結果するというジレンマ(Gamson [1995])である。このような機制から脱するために、性的マイノリティのアイデンティティポリティクスに、クィアという概念は導入されたわけである。「決して弁証法的に止揚される第三項ではなく、普遍を志向するものでもなく、過渡的で不安定な概念であり、性にまつわる既存の社会規範・価値観とそれへの同化を拒絶し、性のあらゆる二項対立を脱構築しようという志向を持つ政治的な抵抗概念」(伊野 [1997a:107])としてクィアはある。強固で均質で一貫しているアイデンティティ、いわば「一枚岩的アイデンティティ」は、アイデンティティポリティクスにおいてジレンマを起こすので、クィアという「本質なきアイデンティティ」(Halperin [1995])に代替しようというわけである。またこのような現象は、性的マイノリティにのみ共有されているわけではなく、例えば在日朝鮮人の三世四世においては、在日一世のような朝鮮という国、朝鮮という文化に対して強い帰属感を持つような強固なアイデンティティに対しては違和感を感じており、もっとハイブリッドで柔軟なアイデンティティを求めていることが報告されている(4)(金 [1999])。これは継時的な変容から生じる多様性や本質性の低減に対して、「一枚岩的アイデンティティ」が不適切なものになったわけである。
 このように従来言われてきたアイデンティティという概念は、論理的な耐用期限が切れてきているように見える。少なくともその一貫性、均質性はむしろネガティヴなものとして語られつつある。そしてそれは「クィア」という形でアイデンティティポリティクスを担う人達の範囲を単純に拡張していけば済む問題ではなく、実体として語られるようなアイデンティティという概念を根本的に見直すような思考をも誘発している。セックスはジェンダーの生物学的基盤としてあるのではなく、ジェンダーという言説の効果であると主張したJ.バトラーは、ジェンダーアイデンティティを考察していく中で、次のように言う。
 「ジェンダーの表出の背後にジェンダー・アイデンティティは存在しない。アイデンティティは、その結果だと考えられる「表出」によって、まさにパフォーマティヴに構築されるものである。」(Butler [1990=1999:58-59])
 ジェンダーに対するセックスの関係と同じように、言説実践の結果としてバトラーはアイデンティティを捉えており、よってそこには行為に先だって存在する行為主体の不変的な実在性や能動性といったものは担保されず、代わりにエイジェンシー(行為体)という概念が導入される。これがアイデンティティの「パフォーマティヴ・モデル」(伊野 [2000])である。バトラーの考察に深入りすることは避けるが、まずもってアイデンティティという概念を過程として、あるいは動的なもの可変的なものとして捉えていこうとする動きがあることを、ここでは大きく押さえておきたい。

 1−3 唯物論的問題と文化表象的問題
 「言い換えれば、一方における政治的・経済的・社会的な問題と、他方における文化的な問題とを、分けて考える必要があるということです。(中略)あるいは、社会運動のロジックと、文化的な表象がそれ自体として持っている複雑性に関するロジックを、とりあえず分けなければいけないんじゃないか。これをごっちゃにすると、いろいろ問題が起こってくる。」(浅田・ヴィンセント [1998:132])
 マイノリティは様々な形で社会的に周縁化されているが、アイデンティティポリティクスの効果を、唯物論的問題と文化表象的問題とに大別して考える必要があるのではないだろうか。少なくともそのような区別に、アイデンティティポリティクスを考えていく上ではセンシティヴである必要はあるだろう。
 N.フレイザーは、「再分配/承認」(Fraser [1997])という軸を設定して、新しい社会運動、とりわけクィア・ムーヴメントについて、「彼らが受けている不公正は本質的には承認の問題」であると彼女は述べる。彼女はポリティクスを分類するために、一方の端を政治経済、他方の端を文化とするスペクトルを設定しており、レズビアンやゲイの闘いは、このスペクトルにおいて最も文化色の濃いところに位置付けられている。その根拠としては、同性愛はある分業体制において特定の層を形成しているわけでもなく階級的に特化しているわけでもなく、あらゆる階層、階級に存在している。よってホモフォビアは政治経済の問題ではなく文化的承認の問題であるというロジックが、その基礎をなしている。
 バトラーはフレイザーの考えを批判している。彼女はまず、正統派左翼が新しい社会運動、とりわけクィア・ムーヴメントを、狭量なアイデンティティ主義に接続させて批判している現状を次のように記述する。
 「階級闘争や人種差別に対する闘いが広く経済的なものと見なされ、フェミニズムの闘いですらときに経済的でときに文化的なものと見なされているのに対し、クィア(ゲイやレズビアン)たちの闘いは、文化的な闘いと見なされているのみならず、最近の社会運動のとった「単に文化的な」形態の典型例であると見なされている。」(Butler [1998=1999:227-240])
 さらに、同性愛の問題が「単に文化的」ではないことの傍証として、バトラーは1970から80年のフェミニズム批評、研究が課題としていたことを挙げる。
 「ジェンダー化された個人、すなわちいわゆる「男」と「女」の再生産が、家族に対する社会的規制に、つまりは、社会形態としての家族にうまく順応する異性愛者を再生産する場としての異性愛家族の再生産そのものに、いかに依存しているかを示すことだった。事実ゲイル・ルービンやその他の批評家たちの著作においては、異性愛と家族の再生産はまさにジェンダーの規範的再生産によってなされているという仮定が掲げられるようになる。こうして性的分業はジェンダー化された個人の再生産と切り離しては考えられないものとされ、またそのような社会構成に精神がどのように関わっているかや、そのような規制が性的欲望のなかにどのようにあらわれているかを解明する一手段として、精神分析が取り入れられた。セクシュアリティの規制はこのようにして、政治経済の作用に固有の生産様式と体系的に結びつけて考えられるようになったのである。」(ibid.:234)
  このようにクィア・ムーヴメントが照準しているのは、資本制社会における生産様式の中核に及ぶセクシュアリティの規制という問題であり、それが文化的な領域にのみ封じ込められるものではないことは明らかである。それだけではなく、「経済的」/「文化的」という二分法自体の持つ、政治的含意に自覚的でなければならない。「「物質的なもの」と「文化的なもの」との分断そのものが、いかに、ある種の政治的アクティヴィズムを周縁化させるために戦略的に呼び出されているか。」(ibid.:230)
 バトラーに示されたように、セクシュアリティの規制という問題は文化的承認の問題に還元できないことは明白であり、運動の水準においてもそれは共有されていることであると思うが、先ほどのアイデンティティに対するバトラーの考え方、パフォーマティヴ・モデルの、「経済的」領域の接合については、どうであろうか。伊野は、バトラーには「経済的」な視点が不足しているとして、次のように述べている。
 「バトラーにおいては、エイジェンシーが、シンボリックな、より狭義には言語的効果の問題に還元されがちである。たしかに、発話の瞬間に構造が呼び起こされ、あらゆる社会実践は、言語によって媒介される以上、言語そのものがすべてを端的に象徴する。経済的問題性も言語システムの中に包摂することは可能ではあるが、シンボリックな理論モデルはそれを適切にかつ充分に捉えることができない。」(伊野 [2000:251])
 バトラーのロジックを補っていくために、伊野はブルデューの分析視角、経済以外の領域、文化、象徴、言語といった領域においても資本という経済学的概念を駆使する方法をひき、バトラーに対して、ヘテロセクシズムという異性愛社会の規範と経済の規範における具体的連関についての分析を要請している。そして次のように述べる。
 「「物質的/文化的」という固定的区別の一方にクィア運動を押し込めることは不当であるが、さまざまな「場field」のそれぞれの資本のそれぞれに異なる論理を分析的に区別することは必要である。」(ibid.:252)
 本節冒頭の浅田の言は、アイデンティティポリティクスにおける経済/文化というロジックのコンパートメント化の必要性を要請していたが、伊野は単にその必要性を述べているに留まらず、ブルデューの資本という概念を援用して異なるロジック間の関係、転換を記述できる可能性を提示している点においては、有益な視点となりえる。が、一方でこの記述は、問題に対する分析/コミットメントの乖離を再生産あるいは前提としてしまっているように感じられなくもない。そもそも、「二段階論」において必然的に発生するジレンマを回避するために、アイデンティティ概念は、その強固さ、一貫性、能動性を切り詰めながらも辛うじて変革の可能性、コミットメントの可能性は担保されるパフォーマティヴ・モデルのような形にまで行きついた。パフォーマティヴ・モデルの経済/文化というコンパートメント化における分析的な弱点は伊野が述べた通りである。しかし、もう一つ問わなければならないのは、コミットメントにおける弱点である。パフォーマティヴ・モデルという概念を分析的ツールとしてのみ洗練させていくことは、アイデンティティの確立と脱構築というジレンマへのコミットメント上の要請から生まれたパフォーマティヴ・モデルを、脱政治化してしてしまう危険性がある。
  経済/文化へのコミットメントという点からすれば、マイノリティによるアイデンティティポリティクスにおいては往々にして「文化」が利用されるわけであるが、そのような対抗文化が支配的な秩序を変革する可能性は、それ自体には担保されていない。そればかりかマイノリティが、対抗文化を媒介することで自分たちの置かれている位置、カテゴリーを規定する秩序を再生産してしまうリスクもある。その好例は、ポール・ウィリスの「ハマータウンの野郎ども」(Willis [1977=1996])において活写されている。そこにはイギリスの労働者階級に所属する少年達が、通学する学校への抵抗とセットになって下層労働者の文化を価値づけ学び取っていくことが、彼らの階級移動を妨げ、結局はイギリスの階級社会を維持、再生産していることが示されている(5)。こうした問題への、パフォーマティヴ・モデルの効果も検討していかなければならない。
 経済/文化、アイデンティティ確立/脱構築という2つのコンパートメントは、各々が独立に存在しているというよりも、それぞれが相関しつつ重層的に、マイノリティのアイデンティティポリティクスに影響を与えているのだろう。アイデンティティを確立しようとすれば、「二段階論」のジレンマに陥るか、あるいは対抗文化を主体化することでマジョリティのヘゲモニーを再生産してしまう危険性がある。アイデンティティの脱構築では、イデオロギー、文化の脱構築は可能になっても、経済領域における秩序を変革する可能性は担保されない。このようないわば袋小路的な機制に、ゲイ/レズビアンのアイデンティティポリティクスは置かれている。そして、そのような機制は、障害者のアイデンティティポリティクスにも共通であると思われる。この機制と障害者のアイデンティティポリティクスの関係を検討していくために、2章、3章では、障害者のアイデンティティポリティクスに影響力が大きいと思われる2つの言説、社会モデル、文化モデルについて考察したい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 第2章 障害の社会モデル
 
  社会モデルという、ディスアビリティという現象を処理する一つのパースペクティヴは、障害者の不利益を個人的なもの、その身体、インペアメントに由来するものではなく、健常者中心の社会、障害者を周縁化する社会によって、歴史的に構造的に生産されていることを宣言するものである。そして、そのような考えは、障害学内部で言われるところの社会モデルにおいてのみ結実しているものではなくて、障害者に関係する諸理念、諸運動に、例えばノーマライゼーション、メインストリーミング、自立生活運動、あるいはリハビリテーション、世界保健機関(WHO)による国際障害分類などによっても、障害者の側から社会の側へ問題化する視点をシフトしていった点では、共有されていると思われる。本章では、障害学とくにイギリスの障害学において言われてきたところの社会モデルという一つの言説に焦点を当て、分析を試みたい。その際、やや便宜的ではあるが、社会モデルを構成する諸言説を、インペアメントへの態度という視点から、すなわちインペアメントからの離陸/再接近という形で整理し、その上でアイデンティティポリティクスとの関わりについて述べたい。
 
 2−1 インペアメントからの離陸、社会モデルの誕生
  社会モデルというパースペクティヴの端緒として、そのエッセンスを簡潔に表現しているものとして英国の障害者団体UPIAS(Union of the Physically Impaired Against Segregation)によるインペアメント及びディスアビリティの定義が引用される。
 インペアメント:手足の一部または全部の欠損、身体に欠陥のある手足、器官または機構を持っていること
 ディスアビリティ:身体的なインペアメントをもつ人のことを全くまたはほとんど考慮せず、したがって社会活動の主流から彼らを排除している今日の社会組織によって生み出された不利益または活動の制約(UPIAS [1976] 訳は佐藤[1992:26-27])
 この定義においては、インペアメントと社会的不利益の因果関係は切断されている。ここでのインペアメントは、性別や人種のようにそれ自体を問題として問うことが禁じられているような一つの属性のように扱われている。問題化されるのは障害者の身体ではなく、障害者を貶める社会である。そして、ここにおそらく社会モデルという考え方のラディカリティが示されていると思う。つまり、「身体も社会も」障害者の不利益の原因であると述べているリハビリテーションや国際障害分類(1)とは異なり、「身体ではなく社会が」障害者の不利益の原因であると述べたところが、社会モデルの特性なのである。それは、障害者の不利益とインペアメントを接続する言説への対抗言説であるという性質上、社会モデルが持たざるを得なかった、あるいは強いられた特性であるかも知れないが、まずはここから出発することが、戦略的に正しい選択であったと思われる。
  早くから社会モデルという考え方を提示したきた論者にV.フィンケルシュタインがいる。彼は、唯物論的なフレームを採用しつつ、ディスアビリティという事象を歴史的に3段階に分けて記述を試みた。この整理は英国を念頭においているが、フェイズ1は産業革命以前に対応し、フェイズ2は19世紀後期から20世紀の工業化、現在に対応し、フェイズ3は近未来である。このような史的発展段階において障害者は、フェイズ1においては下位階級の一部として包摂されているが、フェイズ2ではそのような階級から分離された特殊な集団となり、ディスアビリティは個人的なインペアメントとでもあり社会的制約でもあるというようなパラドックスが生じるが、フェイズ3においては新しいテクノロジーの出現によって、そのようなパラドックスは消滅し、ディスアビリティは単なる社会的制約であると認識されることになる(Finkelstein [1980])。
  このような考え方には、歴史的単純化、テクノロジーへの楽観視など種々の批判もあるが、ディスアビリティが社会的に構築されているという宣言に留まらず、そのことを唯物論的ロジックによって説明しようとした点では意義あるものであり、またテクノロジーと障害者の解放がリンクされている点においては、他のマイノリティと障害者の差異化を志向するものとも考えられる。
 社会モデルをさらに理論化してきた1人に、M.オリバーがいる。オリバーは、「社会政策とディスアビリティ:理論的諸問題」(Oliver [1986])という論文において、これまでの障害についての考え方は、「障害の個人的悲劇論」であるとし、またそれがあらゆる社会政策の背後仮説になっているにも関わらずそれが当然視されていると批判している。個人的悲劇論とは、「ディスアビリティという問題を個人化することに奉仕してきたものであり、故に社会的経済的構造は放置されたままにしてしまうもの」である。よってこのような言説は「低い教育効果の説明としての欠陥理論、犯罪行動を説明するための疾病、貧困や失業を説明するための性格的弱さ」といったような、社会問題を個人の属性や性質から説明しようとする「犠牲者を責める理論」と同じであるとしている。であるからディスアビリティという問題を徹底的に社会化していくための理論としての「より適切なディスアビリティの社会的(抑圧)の理論」というオルタナティヴが必要であると主張する。さらに重要な指摘と思われるものとして、オリバーは次のようなことを問いとして提出している。「「能力的身体」や「肉体的正常性」といった概念については何の考慮もされない一方で、ディスアビリティを定義する試みには多くの時間と空間が割かれているのは何故か。」この論文ではそうした言わば障害者−健常者間における表象の政治の非対称性に触れている程度に留まっているものの、ここにはディスアビリティについての再定義だけではなく、正常であることを問いなおそうという姿勢が確認できる。それはゲイスタディーズが異性愛という概念を脱構築してきた姿勢と共通していると思う。しかしながら、この年代に意識されていたにもかかわらず、障害学において正常性を脱構築していくという作業は、ゲイ/レズビアンによって行われた深度にはまだ達していないのではないだろうか(2)。
 またオリバーには代表的な著作として「障害の政治学」(Oliver [1990])がある。ここでは、オリバーは、史的唯物論、メディカライゼーション、文化人類学、政策的カテゴリー化、階級との関係など様々な観点から、ディスアビリティが社会的歴史的構築物であることを記述している。どの観点が説明力のあるものとして提示されているかは必ずしもはっきりしないが、ディスアビリティという概念を脱自然化していくための言説的ツールの多様さを示した点においては成功している。ディスアビリティの社会理論の構築のためには、こうした学際的なアプローチがまずは要請されるのだと思われる。
 次に社会モデル的視点による歴史実証的な研究をいくつか見ていきたい。史的唯物論的観点からアプローチしたものの一つに、B.J.グレッソンのものが挙げられる。グレッソンは、唯心論、相互作用学派的な観点を批判し、歴史的な実証性を重要視している。彼は、イギリスの封建制社会のもっていた、non-disablingな性質を商品生産の比較的弱かったことにその主たる理由を求めている。封建制の後期、15世紀あたりから、商品経済の成長が徐々に障害者(彼は身体障害者に限定している)の労働力を侵食していったと説明する。市場関係、労働の商品化が、それまで相対的に自律していた生産単位であった農家世帯に、個人単位での労働の社会的評価を導入し、障害者の労働は低い評価を受け、貶められた。このようにして共同体において統合されていた障害者は、「障害者」として構築され排除されていったとしている。つまり、ディスアビリティは「セカンド・ネイチャー」である。また、職住分離という近代における生活空間の分割が、障害者にとって移動障害をもたらしたことも付け加えている。さらにグレッソンは、個人の労働を価値づけたり、ゆえに奪うこともあるような社会システムを変革のターゲットにすべきであると主張している。雇用の適切さを評価する中心的な役割から競争の原則を排除するために、商品労働市場は放棄されるか根本的に変革されなければならないと提案する(Gleeson [1997])。
 ディスアビリティの歴史的アプローチには、こうした経済関係を重視する以外にも、例えば慈善・医療施設との関係から説明しているものもある。例えば、A.ボーセイは、ディスアビリティを産業資本主義の生産物として捉えるフィンケルシュタインらの考えに挑戦するものとして、1739年にイギリスのバスにおいて建設された総合診療所の、温泉療法の実践に着目している。ボーセイによれば(Borsay [1998])、産業革命以前に、既にインペアメントと経済的合理性は両立しないことを、医療的慈善事業の実践が示していたとしている。このような慈善行為を成立させていたボランタリーホスピタル運動は、17世紀後半からイギリスにおいて広範に発生し、1800年までにそのような施設は、30を越えた。この運動は、フィランソロフィーに結びついたより大規模なプロジェクトの一部をなしており、それは株式会社を模したもの、すなわち施設への寄付者は、株主のように組織における意思決定に参入できるようなものである。これは17世紀後半における、イギリスの商業経済の発展の結果であり、国富は蓄積されるだけではなく、中流階級へ向けて再分配され、慈善病院事業は、野心的な専門的、商業的階級の所得の余剰のはけ口を提供したのである。
 彼女はまた、イギリスにおいては、フィンケルシュタイン、オリバーらが、図式的に封建性から産業資本主義への移行を捉えていること、つまり1780年代の産業革命以前は障害者はうまく雇用に吸収されていたという見方を批判し、イギリスにおいては、資本主義と産業主義が歴史的に少しも重なっていないことを指摘する。この指摘はグレッソンとも重なる。封建制は徐々に崩壊していったのであり、小作農経済は、次第に賃労働に、家内制工業に、そして工場労働に捕捉されていったのである。また、当時の支配的な経済哲学は重商主義であり、この重商主義的な目標の達成において、医療は重要な牽引車であった。病気は貧民救済費用を圧迫するからである。故にバス診療所においても、経済に貢献する可能性の高い若い人々が多く入院しており、男性が3分の2を占めていた。
 バス総合診療所における温泉療法は、慢性疾患のための最後の手段であったが、またここは、医療者が入院患者に対して、インペアメントのポリティクスを実行する場であった。医療者はこの診療所を、従順である入院患者についての温泉療法の効果を評価する研究所として、使用したのである。従って、医療者に従順でない患者は病院から追い出されるのであり、治療を望む患者は医療者に対して服従しなければならない状況になる。慈善は、インペアメントと貧困を接続することで、メディカライゼーションを促進した。患者を整列させて公開することも行われた。そこは貧しい者と富める者の社会的ヒエラルキーを象徴的に示す場所であった。各々のインペアメントをもった患者が、その低い地位に値する者として人格化するために利用された。インペアメントをネガティヴなものとして過剰に意味づける表象の政治が、慈善医療事業の名のもとに実践されていたのである。
 このように、社会モデルというパースペクティヴを歴史実証的に示そうとする研究をいくつか見ることで、気づかされる点がある。グレッソンの研究からは、社会モデルが採用している唯物論の説明はやや単純過ぎることが分かる。ボーセイからは、その種の単純化への批判だけではなく、ディスアビリティというよりはむしろインペアメントがインペアメントとして構築されていくこと、つまりディスアビリティ(この場合は貧困)の根拠としてインペアメントが医療者による表象の政治をとおして構築されていくことの歴史が示されているとも言ってよい。ボーセイによって示された障害者のメディカライゼーションの一断面は、さきほどのフィンケルシュタインのフェイズ1からフェイズ2への移行を示すものとして捉えることも可能であろう。またこのような歴史的事実は、インペアメントを根拠として障害者の不利益、(英国)障害学で言うところのディスアビリティを社会が生産しているという形式のみならず、その逆の形式、つまりディスアビリティの根拠としてのインペアメントを社会が構築してきた局面を照射しているようにも思われる。そしてこのことは、社会モデルという視点が、ディスアビリティのみを社会的に構築されたものとして扱っていることの不充分さを示しているのではないか。次節では、このような社会モデルのある種の限界を語ってきた言説を見ていく。
 
 2−2 インペアメントへの再接近、社会モデルへの批判
 社会モデルが戦略的ではあれ、インペアメントについて沈黙していることに対して、批判もなされてきた。ここでは、逆にインペアメントについて積極的に語っていく言説として、P.アバレイによるもの、B.ヒューズとK.パターソンによるもの、J.モリスらのフェミニスト、女性障害者によるもの、T.シェークスピアによるものを検討したい。
 アバレイは、「抑圧としてのディスアビリティ理論」(Abberley [1987])において、インペアメントについてこのように述べる。まずインペアメントが社会的に生産される側面を強調しており、それは例えば薬害や栄養失調といった直接的な生産だけではなく、労働環境におけるリューマチの悪化、あるいはフェニルケトン尿症のような、スクリーニングと適切な処置によって防止できる疾病は、そうした環境、テクノロジーを社会が提供できない場合にはインペアメントとして顕在化するとし、生得的な要因も社会的な要因と結合するとしている。これはインペアメントへの社会医学的な観点と言ってもよいだろう。また、彼は「インペアメントの両義性」という性質に触れ、現に存在する障害者への社会の処遇とインペアメントの社会的生産の問題は峻別して考えるべきであると主張している(3)。インペアメントに対するアバレイの主張の力点にあるのは、インペアメントを社会的なものとして、個人の外に括り出していこうとする点である。
 また他に検討する点として、人種的抑圧、性的抑圧と障害者抑圧の比較について述べている点がある。「性的抑圧、人種的抑圧の場合は、生物学的差異は、完全にイデオロギー的な抑圧を正当化するような実践としてしか機能しないが、障害者にとって、生物学的差異は、私が述べるようにそれが社会的実践の結果であるにもかかわらず、それ自体が抑圧の一部である」(ibid.:8)と述べ、そのような「「リアルな」劣等性」をディスアビリティの理論は取り組まなくてはならないとし、障害者の政治的意識の発展は、「インペアメントの本質化」によって阻まれているとしている。
  ヒューズとパターソンは、社会モデルが身体を放逐したと批判している(Hughes & Paterson [1997])。彼らはUPIASのインペアメントとディスアビリティの定義を引きながら、ディスアビリティとインペアメントの分割において、前者には社会的排除が、後者には生物学的機能不全が割り当てられることによって、インペアメントが本質化されたと述べる。「社会モデルにおいては、身体はインペアメントあるいは身体的機能不全と同義である。いわば、少なくとも含意としては、純粋に生物学的に定義されたことになる。身体には歴史がない。それは本質的で、時間がなく、存在論的な基礎である。それゆえ、インペアメントはディスアビリティとは反対の性質を持つことになる。」(ibid.:328-329)
 彼らはそのようなインペアメントあるいは身体の本質化に陥らないようにするために、ポスト構造主義や現象学の援用を図る。ポスト構造主義においては、バトラーらのフェミニズムの言説に触れながら、「インペアメントは換言すれば、多様な実践の生産物なのである。ちょうどセックスが起源であるというよりは結果であり、本質であるというよりはパフォーマンスであるように」(ibid.:333)と述べる。
 しかしながら、ポスト構造主義がインペアメントの社会学に有効な視座を提供するであろうことを述べつつも、ヒューズとパターソンは、それも結局は説明すべき身体を喪失してしまうと述べる。「ポスト構造主義は生物学的本質主義をディスカーシヴな本質主義に置き換えた」のであり、「身体は多様な記号化に意味を与える以上のものではなく」なったのである。こうした問題意識から、次に導入するのは現象学である。スケッチ程度であるという前提のもとに、メルロ=ポンティに添いつつ、「インペアメントとディスアビリティは、身体において内部の現象と外部の現象として二元論的に衝突し合うのではなく、インペアメントがディスアビリティと無力化(disablement)についての認識を構成する限りにおいて、「感じられた世界(felt world)」の一部なのである」(ibid.:335)とする。このような認識から、「ディスアビリティの社会モデルは解放の政治のための適切な理論的基礎を具体化しているが、それはアイデンティティの解放の政治の基礎ではない」と結論している。「フェミニズムとクィア理論が二元論的ではない思考様式を擁護しているのは偶然ではない」とも述べる。
 社会モデルによるインペアメントの戦略的隠蔽に対して、早くから自覚的であったのは、女性/フェミニストの障害者であった。ここでは彼女らの主張を参考にしつつ、社会モデルへの批判を整理することにする。まずL.クローは、まず障害の社会モデルという考え方が自分に与えた影響を次のように語る。
 「私の人生は二段階に分けられる。障害の社会モデルという考え方と出会う前と出会った後だ。私の経験についてのこの思考法の発見は、嵐の海での格言のいかだであった。それは私に人生の理解を与え、世界にいる何千の、いや何万の人々と共有され、私はそれにしがみついた。(中略)それ(社会モデル、引用者)は、各々の障害者の個人的価値、集合的アイデンティティ、政治的組織化を促進する上で中心的な役割を果たした。」(Crow [1996:206])
 このように社会モデルという考え方が、障害者のアイデンティティポリティクスに有効な役割を果たしていることが表明されている。にもかかわらず、クローは社会モデルに対して批判的である。批判点の1つは、障害者の経験の語り方、言語化における、社会モデルの専制性である。
 「私たちはディスアビリティを「すべて」として中心においてしまう。時折、そのように焦点付けることが余りにも絶対的であるために、あたかもインペアメントは私たちの経験を決定する中でどんな部分も占めていないように感じてしまう。私たちの経験の矛盾や複雑さについて正面から取り組むかわりに、私たちは運動において、インペアメントを無関係であり、中立的であり、ときにはポジティヴなものとして表象することを選択してきた。しかし、決してそうではなく、いつもそれは実際には困惑するものであった。」(ibid.:208)
 ここには、かつて障害の医療モデルが障害者の経験の言説化について成してきた暴力と同じ形式で社会モデルが作動してしまう危惧が語られている。またインペアメントを単純に隠蔽するだけではなく、戦略的に自分の感覚に反して価値づけてしまうことで、自己欺瞞が生じてしまうことが語られている。
 モリスは次のように、社会モデルを批判している。
 「不幸にも、ディスアビリティの医療モデル、社会モデルに挑戦する我々の試みにおいて、我々は時々ディスアビリティの個人的経験を否定する傾向があった。ディスアビリティは疾病や老齢や避けがたい痛みと関係している。障害者解放ネットワークは、個人的なものを政治に取り込むことについて明白な努力をしている組織であり、彼らの政治的表明においてもこのことが認識されている。この表明は次の点を含んでいる。他の抑圧の形態と違って、障害であることは、「しばしば個人の資源の余計な消耗である、すなわち肌の色が黒いことは本質的に苦痛ではないが、一方痛ましい関節炎は本質的に苦痛であるかもしれない。」ディスアビリティを経験することは、人体のもろさを経験することである。もし我々がこのことを否定するならば、我々は障害の個人的な経験が隔絶されたままであることを知るだろう。我々は我々の差異を個人的な何か特異なものとして経験し、そして個人的非難や責任といった感覚を共通に感じるであろう。」(Morris [1992:164])
 ここでは、あるいはここだけではないが、まず障害者の経験を、社会モデルという形式で言説化することの限界が語られており、それはインペアメントであるというよりも、本質的に苦痛である、つまり社会的に構築されているとは言いがたい感覚が根拠になっていると思われる。そしてそれがしばしば、他のマイノリティとの違いの根拠として語られることは、アバレイなどが指摘しているとおりである。つまり、個人から社会になるべく括り出して行こうとすることの無理が、ディスアビリティの社会モデルの批判に向かわせるのである。それはインペアメントに由来するというよりも、むしろ社会的に構築されたとは言いがたい、ネガティヴな感覚、経験であると思われる。別の場所で、モリスはこのように言う。
 「V.フィンケルシュタインやM.オリバーのような研究者は何年も障害の医学モデルについて反論し、そうすることで彼らは障害の個人的に見える経験が実際は社会的に構築されているのだと主張し、個人的なことをを政治的にしてきた。しかしながら、我々はまた違う感覚で、個人的なことは政治的なこと、にしがみつく必要がある。それは、障害の経験のネガティヴな面を含めて、障害の個人的経験の表象を所有し、コントロールすることである。」(ibid.:163-164)
 唯物論のような経済関係を重視しつつも、それとは独立した要素として文化的な要素も取り込んで、ディスアビリティを理論化する動きもある。シェークスピアは、従来の社会モデルがインペアメントを軽視してきたために、ディスアビリティにおける文化的表象の理論的追求が不足していると批判する。彼は、フェミニズム、ラカン、他者論などを下地にインペアメントとイメージについて分析している。障害者は表象の対象として客体化される。フリークショウはその一つの例である。あるいは慈善広告における障害者の客体化は、ポルノグラフィにおける女性の客体化と同じであると主張する。障害者は健常者にとって、死ぬべき運命、労働力やナルシシズムの喪失という恐怖を喚起させる存在として表象されるとしている(Shakespeare [1994])。
 このように見ると、インペアメントの社会モデルは主に3つのの動機から要請されていると考えられる。1つはディスアビリティの社会モデルからはこぼれてしまうもの或いはネガティヴな側面への着目、1つは障害者の表象という領域の分析、もう1つはインペアメントの本質化の防止、である。こうした3つの動機からディスアビリティの社会モデルは改編を迫られていることを本節では述べた。
 
 2−3 アイデンティティポリティクスと社会モデル
  UPIASの定義は確かにディスアビリティという問題を社会化することに貢献した。しかし、一方で気になるのは、「身体的なインペアメントをもつ人」を「黒人」、「女性」などと入れ替えても成立するような内容になっているということだ。つまり、この定義では、障害者の抱えている不利益が、他の社会的マイノリティの抱えている不利益と同じように社会的に生産されているということは説明されるが、(もちろん、戦略的にこのことが重要であることは否定しない)、違いは見えてこないのである。それはおそらく「最後の市民権運動」(Driedger [1989=2000])として出現した障害者運動が、さしあたっては、先行のマイノリティモデルを利用せざるを得なかったという事情にもよると思う。しかしながら、社会モデルのような認識は実は1970年代が最初ではない。例えば1948年の「Social Issue」誌にこのような記述がある。「身体的に正常であるマジョリティの否定的な態度に帰せられるマイノリティである身体障害者の状況は、人種的にあるいは宗教的に貶められているマイノリティとほとんどすべての点において同様であると思われる。これらのほかの貶められたマイノリティのについての問題が解決されたとき、その解決は身体障害者にも応用されるかもしれない」(Barker [1948:36])。このような言説の射程から結局UPIASによる定義も、おそらくはディスアビリティの社会モデルも出てはいない。今求められているのは、障害者というマイノリティの特性(4)を記述することであり、障害者のアイデンティティにおいてインペアメントという要素を考えないわけにはいかないので、インペアメントの社会モデルの構築は必須のものであると思われる。そして、もちろんディスアビリティの社会モデルの論客達もそうした必要性は認識している。しかしながら、気になることがある。オリバーのS.フレンチの社会モデルへの違和感に対する反駁を引用して考えたい。
 フレンチは、ディスアビリティが社会的に押しつけられたものであるという考え方、またディスアビリティとインペアメントを峻別する考え方、に疑念を表明している。社会モデル的な解決方法、自分の不利益の原因を社会的障壁として措定し、その障壁を除去するという方法、では自分が日常感じているようなある種の不全感(晴眼者との挨拶など)は解消されないし、またそのようなことを社会モデル的に解決することの違和感、を語っている(French [1993])。これに対してオリバーは、自身が車椅子使用者としてパーティーのときに感じる不便さに触れながら、次のように答える。
 「私がはっきりさせたいポイントというのは、社会モデルというのはインペアメントという個人的制約ではなく、ディスアビリティという社会的障壁を扱う試みであるということだ」(Oliver [1996:38])
 フレンチの言うような領域の問題は、社会モデルの扱う範囲外の事象であることをオリバーは述べているわけだが、一方でこの指摘は、ディスアビリティの社会モデルがインペアメントについて沈黙するだけではなく、インペアメントについて個人化することを含意してしまうことを示唆している。社会モデルは痛みを否定しているというモリスの批判に対しても、「疾病とインペアメントの用語的混乱」(ibid.)から生じていると処理している。しかしながら、これらの批判に対して社会モデルをこのように位置付けてしまうことは、障害学の理論的な発展にとっては、マイナスのように思われる。障害者の不利益を個人化していくイデオロギー、障害の個人モデルに対してのアンチテーゼとしてディスアビリティの社会モデルを徹底させていくならば、インペアメントについても同様な理論的探究が要請されるのは自明である。しかも、それはディスアビリティの社会モデルとの関係において、そのままで論理的に共存可能としてあるものではなく、ディスアビリティの社会モデルという考え方においてインペアメントの個人化、本質化というイデオロギーが内包されている以上、インペアメントの社会モデルの構築においては、必然的にディスアビリティの社会モデルも論理的に再構築される必要があるのであり、それは結局、ディスアビリティとインペアメントという事象を同時に扱うような理論が必要とされているということである。そしてそのような論理のもとに、障害者のアイデンティティポリティクスも展開されなければならないのであろう。
  今までの議論の文脈では、インペアメントを組み込むということはネガティヴなものを組み込むということと同義であるが、インペアメントという障害者の身体特性あるいはそれに付随する行為特性を、単なる差異として、あるいは肯定すべき差異として語ることは可能なのだろうか。モリスは言う。
 「我々は非障害者の世界がディスアビリティに貼りつけた意味は拒否するが、我々のアイデンティティの重要な部分である差異までは拒否しない」(Morris [1991:17])あるいは
 「我々自身のディスアビリティについての定義を要求することによって、我々の異常性、差異について誇りを持つことできる」(ibid.)
 しかし、このようなモリスの障害に対する肯定的な態度について「楽観主義」であるという批判がある。多くの障害者にとってそのような感覚を持つのは難しい。であるから、
 「必要であるのはインペアメントに対する両義的な態度であるのかもしれない。すなわち一方においてはインペアメントのある人々の価値を主張し、他方では無力を美化することを拒否すること。このプロセスにおいて重要であるのは、インペアメントとディスアビリティの区別である。」(Barnes, Mercer and Shakespeare [1999:207-208])
 この文脈におけるインペアメントとディスアビリティという区別は、従来社会モデルにおいて設定されてきた個人/社会という区別とは、やや位相を異にしているように思える。インペアメントとインペアメントのある人に認識論的区別を立てることを主張しており、それはアバレイの述べた、インペアメントの両義性に関する態度と同じ内容であると思うが、このときディスアビリティという概念は、そうした認識論的区別を可能にするための、ひとつの言説的ツールではないだろうか。つまりインペアメントの負性をインペアメントのある人全体に拡大しないための防波堤として、ディスアビリティという概念(潜在的には有能であるにもかかわらず社会がその発現を妨げている)は機能しているのだとも言える。その意味では、インペアメントへの沈黙は、単純に障害者のアイデンティティポリティクスにおいてマイナスに機能しているとも言えず(しかし、この考え方はインペアメントのネガティヴィティを本質として前提としている、そしてここがろう者の主張との分水嶺である)、沈黙によって障害者のポジティヴィティが保たれていると言える。
 このように見ると、障害者のアイデンティティポリティクスに対する、社会モデルの設定したインペアメント/ディスアビリティという区分自体も、両義的なものである。そして、そのような両義性が、インペアメントを本質的にネガティヴなものとして前提しているからこそ生じる特性であることも確認したい。このようなある種のジレンマに立たされるのは、社会モデルにもとづくアイデンティティポリティクスの論理的必然である。ディスアビリティのみでアイデンティティポリティクスを展開していくのは、インペアメントへの欺瞞という感覚を生み、インペアメントを組み込む形で展開しようとすれば、「二段階論」のようなネガティヴからポジティブへの変換が困難である以上、違う形式のアイデンティティポリティクスを模索せざるを得ない。社会モデルによるアイデンティティポリティクスは、このような岐路に立たされている。しかしながら、このような岐路もインペアメントを本質的にネガティヴであるという前提によって成立しており、3章では、そのような前提を採用しない、ろう者による障害の文化モデルを検討する。
 
 第3章 ろうの文化モデル
 
 本章では、2章において提起された問題、すなわちインペアメントをどのように社会モデルに包摂するかについて、異なるアプローチをしてきたデフ・スタディーズの成果について述べる。障害の文化と言った場合、それはろう文化のみを指すわけではないが、同じものとして扱えるかは疑問がある。ろう文化は、人類学など定義されるところの文化に近似したものであるが、それと対して障害の文化という概念は、通常学問的に定義されるような文化概念を満たさないものとして位置付けられることが多く、むしろ、障害者の社会運動を促進するための集合的な意識であるとも言われる(Barnartt [1996])。そこでさしあたって本章において文化モデルという場合、インペアメントへの態度の違いという点で社会モデルとの効果的な比較をするために、ろう文化に限定して述べることとしたい。
 
 3−1 ろう者というアイデンティティ−病理学的視点へのアンチテーゼ−
 ろうという状態は、これまで病理学的概念として記述されてきた。これにかわる視点としてろう者によるアイデンティティポリティクスは、文化的ろうという概念を主張した。
 「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である。」(木村・市田[1995:354])
 このような説明においては、病理学的なコードにのせられる、聴者とは違うろう者の聞こえ、音への反応、あるいはそこから生じる行動様式の違いも、ろう文化を構成するものとして収斂する。つまり、文化モデルにおけるろう者は、手話とろう文化を有する言語的あるいは文化的マイノリティであるとして記述される。このような自己定義は、病理学的な身体規定を覆すものであり、インペアメント、聞こえないという身体機能については、単なる身体的差異として位置付けられている。これは、「もう一つの中心点」(Padden & Humphries [1988])いう感覚、考え方で説明される。聴者の文化では、聞こえることを中心としてそこからの逸脱が聴覚障害として測定されるのに対し、ろう者の文化では、聞こえないこと、ろうの状態を中心としてそこからの逸脱として、聞こえることが測定される。"a little hard of hearing"(ibid.)という表現における、ろう文化と聴者の文化の意味の相違(1)(2)にそれは端的に表れている。
  このようなインペアメントへの感覚は、前章で言われたような「両義的な」ものはない。ろうの夫婦には、ろう文化の継承という点から、聞こえない子どもの誕生を祝福する感覚もある(Lane [1994])(3)。つまりろう者においては、社会モデルにおいて見られるようなインペアメントを本質的にネガティヴなものとする前提は成立していないのである。さらに言えば、ろう者という存在自体を、「ろう者は美しい」という表現にも伺われるように本質的にポジティヴに価値付けようという構えが見られる。また、ろう者というアイデンティティの内容は上述した通りであるが、それはデフコミュニティの存在と不即不離のものでもある。つまり、デフコミュニティに所属していることが、ろう者の社会的証明でもあるし、その成員でなければろう者とは言えない。デフコミュニティもデフファミリーと並んでろう文化を再生産し、継承していく役割を持っている。
  肯定的なデフアイデンティティを支えている大きな核になっていると思われるのは、手話が音声言語と対等な、一つの言語であるという認識である。聞こえないという機能上の特性もさることながら、「猿真似」などとののしられてきた手話へのスティグマ視自体が、ろう者を抑圧してきた。こうした社会の手話へのネガティヴな認識を変更することは、ろう者のアイデンティティポリティクスにおいて、重要な課題でもあった。
  言語としての手話という認識について、大きな影響を与えたのは、1950年代から始まる、アメリカのストーキーらの手話についての言語学的研究(Stokoe [1960])である。これはろう者自身によっても行われている。彼らの研究によって、手話は独自の文法をもった一つの言語であることが言語学的に証明された。以後、手話の言語学的研究の精緻化は進み、言語学においては手話は一つの言語であるという認識は常識となりつつある。
 しかしながら、手話を脅かすものは、そのような手話への無知に基づくスティグマだけではない。聴能主義、口話主義とろう文化の文脈において呼称されるような、聴覚障害児への教育が大きな障害であった。もちろん、この教育という領域においても、手話への無知、スティグマは存在していたが、それだけではなく、一方では手話についての誤った知識を生産し、一方では手話は一つの言語であるという正しい認識をもちつつも第一言語としては音声言語を要請するという形で、聴覚障害児が手話へアクセスすることを非常に困難にしてきた。またよく言及されることであるが、聴覚障害児の9割は聴者の親のもとに生まれるという生物学的事実があるだけに、聴覚障害児への手話へのアクセスにおいて、教育という場は大きな比重を占めざるをえない。したがって、ろう者のアイデンティティポリティクスにおいて、ろう児への教育は重要な意味を帯びるのである。
 
 3−2 オーディズム
 前節で見たように、口話主義あるいは聴能主義は、ろう文化の再生産にとっての社会的障壁であり続けている。そのようなイデオロギーを具現化している主要な教育方法として、聴覚口話法がある。聴覚口話法とは、広く定義すれば音声言語獲得のために聴覚の活用を第一義とするような教育方法である。またこの方法は、補聴器というテクノロジーを利用することで初めて可能になるものである。ここでは、そうした聴覚口話法の核になっている考え方、つまり聴覚障害児が音声によって音声言語を獲得できるという考え、を技術的可能性から理論的に記述しているものとして、ウェトナルの考え方(Whetnall [1970=1977])を紹介したい。
 補聴器の性能上、音は増幅されても歪んだままであるという技術的限界がある。こうした条件、つまり言語音情報が歪んでいても、言語獲得の本質的な妨げにはならないことを説明した、ウェトナルの「理解聴覚」の考え方である。「理解聴覚」とは、「言語の理解に含まれる聴覚の形式は、比較的下級の動物の反射的保護聴覚よりもはるかに複雑なものであるから、それを言い表すための新しい名称」であるとして、以下のように説明する。
 「出生時に人間に唯一の聴覚は、比較的進化の段階の低い動物の保護感覚に似た、反射型のものである。言語の理解および生成になくてはならない理解聴覚を備えて生まれてくるような赤ん坊は1人もいないということを認識することが、聴能訓練を考える場合に何よりも大切なことである。「聴覚障害」児はいっそう多くの意識的な援助を必要とするけれども、本質的な過程は同じである。」(ibid.38-39)
 上記に見るように、「理解聴覚」という概念は、言語獲得の学習という側面が、必要とされる聴覚にも及んでいることを示唆するものである。また、音声言語獲得が健聴児にとっても、本質的に学習のプロセスであるということは、聴能訓練による音声言語獲得が可能であるかどうかという問題を、聴覚活用の範囲内での方法論の水準に回収していくことになる。つまり方法さえ適切であれば、聴覚活用によって聴覚障害児が音声言語を獲得することは、可能なのである。
 しかし、この説明だけでは、果たして方法の適切性が、歪んだ言語音情報という条件を補うことができるのかどうか疑問である。やはり、聴覚障害が言語音の弁別を不可能にするのではないか。この疑問に対してはウェトナルが、聴覚障害者がいかにして、/f/、/th/、/s/、/sh/を弁別するかについて説明している部分が参考になる。
 「2000ヘルツで70dB、4000ヘルツで100dBの聴力損失をもつものからなる聴覚障害者のグループに対してこれらの音で始まる音節のランダムな配列を用いたテストを実施した。このような聴力損失は論理的には完全に周波数手掛りを失っているし、強度の手掛りをも失う傾向があって、わずかに主に母音に依存する手掛りのみが残されているはずである。テストの結果は、それらの聴覚障害者がshを全体の87パーセント正確に認知し、sを83パーセント、fを77パーセント、thを72パーセント認知した。このことはどのように説明されるか。これらの四つの音のような無声摩擦音は、全周波数領域にわたってきわめて大きく広がった音エネルギーを有するので、2000ヘルツ以下の領域においても、いくらかのエネルギーは存在するだろう。聞こえる人がおそらく利用すると思われるすべての手掛りの大部分を聴覚障害者は奪われているけれども、彼らは受け取る音響的情報から彼ら自身の手掛りを引き出すことができる。ここでもう一度言えば、どんな手掛りでもそれが作用するかぎり利用することができるのだ。」(ibid.140-141)
 つまり、聴覚障害によって健聴者が利用する弁別のための音響的手掛りが失われていることが、そのまま聴覚障害者にとって弁別が不可能であることを意味しないことを、ウェトナルは説明している。それは、聴覚障害者なりの弁別の方法を発展させる可能性に賭けることの、論理的な説明である。そして、そうした作業は、聴覚障害者の大脳の健全さに支えられているのである。「「言語を知ること」こそ、まさしく大脳に関する問題であって、眼や耳に関する問題ではないということである。」ともウェトナルは言う。
  しかし、この説明でも、言語音情報が歪んでいること自体が弁別不可能性を構成しないことは説明できても、やはり歪みの性質によっては、聴覚障害者による独自の「手掛り体系」を作ることができないことも、論理的に示唆されるからである。結局、歪んだ言語音情報から言語を獲得することは、可能であることもあるし、可能でないこともあるしか言えない。ウェトナルは、その可能な場合、可能な範囲についての説明をしたとも言えるだろう。そして、こうした不確実性から、聴覚障害児の教育方法論におけるさまざまなメディアの問題、すなわち音声言語の訓練のために使用する記号媒体の問題が噴出してくるのである。ウェトナルの主張においてポイントとなるのは、方法の適切性が聴覚障害児の音声言語の獲得を可能にすると宣言している点であり、このような思考法が聴覚口話法を支えているのである。
 以上のような思想に支えられた聴覚口話法も、補聴器の装用効果が期待できないような重度の聴覚障害児に対して音声言語を弁別させるのは困難であって、そのような層に対しては、視覚言語である手話が必要であるという認識が、ろう教育関係者やスピーチセラピストといった人々にも持たれることもあった。しかし、そのような層に対しても聴覚口話法の適用を理論上可能にしたのが、人工内耳というテクノロジーである。それまで補聴器は、聴覚障害児の損なわれている有毛細胞を前提としなければならず、そこが限界でもあったが、人工内耳は有毛細胞自体を代替する人工器官であり、故に原理的にはどれだけ重度の聴覚障害であっても、一律に40から50dB程度の聴力を与えることができるようになった。人工内耳は、オーディズムの覇権を拡大するのに貢献したのである。しかしながら、これは身体にとって補聴器よりも侵襲性の高い技術であり、また音の弁別性という観点からも粗雑なものである。中途失聴者にとってはかつて言語音情報を弁別した経験、記憶によって、そのような粗雑さを補うことも可能であるが、先天性の聴覚障害の場合には、やはり容易ではない(人工内耳友の会編 [1992])。
 
 3−3 オーディズムへの抵抗
 聴覚障害児に聴覚を利用させて音声言語を獲得させる試みは、ろう者にとっては、ろう文化への植民地主義的侵略行為にも等しいものである。そのような侵略行為は、とくにろう教育の場において著しい。しかも、音声言語を獲得させる教育は、教育の場を障害児についても普通教育に求めることを理想とするインテグレーションの思想と相俟って、そのような侵略行為であることを社会的に認知させにくい構造となっている。しかしながら、先に述べたように、ろう教育は、ろう文化の再生産において重要なポジションを占めるのであり、教育の領域にろう者による対抗言説を浸透させていくのは、ろう者のアイデンティティポリティクスにおいて必須のことである。それが、Bilingual(Bicultural)教育(以下BiBi教育と略記)として結実している。二つの言語と二つの文化、ろう者の対抗言説のそれとしては、手話と音声言語、ろう者文化と聴者文化であり、手話とろう者文化を第一言語、第一文化として教育するものである。このような教育方法を実践している地域として、北欧諸国とアメリカを取り上げ、その実践内容を簡単に押さえておく。
 ノルウェーや、スウェーデン、フィンランド、デンマークなどで行われているBiBi教育を可能にした要因は、多言語社会という状況、少数言語に対する社会の態度、政治的教育的規模の小ささ、聴覚障害児の親の会の働きかけ、などが挙げられる。
 スウェーデンを例に取ると、ろう者協会の影響力が強く、1970年代から聴覚障害児の親の会や他の障害者団体らの協力を得て、手話を言語として認知させる運動を展開した。その後、政府によって命じられた研究者らが手話を言語として認知したり、教育手段としての有効性を主張したのを受けて、ろう者協会は手話を第一言語とすることを、親の会と共に政府に要求した。その結果1981年に手話を第一言語にすることが議決され、1983年に特殊教育の新カリキュラムが施行された。これによって、スウェーデンにおけるBiBi教育が成立した。デンマークでも、スウェーデンの影響を受けて、1982年にコペンハーゲンろう学校において、1972年に設立されたトータル・コミュニケーションセンターと連携して試行的ににBiBi教育の実践を開始した。1991年には手話をろう者の第一言語とすることが議決された(鍛冶倉 [1994])。
  アメリカでは、北欧のように国家単位ではなく、一部の教育施設においてBiBi教育が実施されている。アメリカにおけるBiBi教育の実践については、マクロ的には文化多元論の影響が挙げられる。各民族集団が独自の言語、文化を失うことなく社会に統合されることを要求してきた結果、1967年には二言語教育法が成立している。このようなマイノリティによる社会運動はろう者の運動にも影響を与えてきた。また、聴覚口話法或いはトータルコミュニケーションを批判し、BiBi教育の具体的内容を指針づけた報告書として、"Unlocking the Curriculum"(「学力の遅れをなくすために」)(Johnson, Liddel and Erting [1989=1990])がある。これは、1989年、Gallaudet Research Instituteから出された研究報告書であり、これまでのトータルコミュニケーションを含めたろう教育を失敗であると総括し、アメリカ手話による教育を提唱している。諸データにろう者を両親に持つ聴覚障害児の学力面、心理面などにおける優秀性を根拠とし、早期に自然言語、聴覚障害児にとって十分アクセスできる言語、すなわちアメリカ手話によって教育することの重要性を訴えている。
 ろう文化の再生産を擁護していくためには、BiBi教育の推進だけではなく、聴覚障害の子どもへの人工内耳適用についても抵抗していかなければならない。この問題は子どもが自己決定権を行使できない点、その親がほとんど聴者であり聴者の文化を主体化しているため、結果としてオーディズムの押しつけになってしまう点など、倫理的問題を惹起している。
 聴覚障害児への人工内耳の手術について、レインらは、3つのジレンマが存在すると述べる(Lane & Bahan [1998])。1つは、人工内耳が音声言語の獲得において有効であるという科学的データが出ていないということ、その技術が非常に新しいものであるということ。1つは、そのような技術がろう文化に対して抑圧的に機能すること。1つは、人工内耳を推奨する専門家たちの、ろう文化に対する両義的な態度。つまりろう文化を擁護すると主張しつつも、子どもに対しては、ろう文化を獲得していくようには勧めない態度である。これら3つのうち、最初のものは、子どもの自己決定の問題にも関わってくるものでもある。2つ目のものは、ろうコミュニティからの批判の中核をなすものである。このようなジレンマの提起を可能にしているのは、やはりろうという状態を、デフコミュニティにおいては、インペアメントとして認知していないということが根底にある。特にデフファミリーにおける聴覚障害児の存在は、文化的な摩擦も生じることはなく、かつろう者としての社会化も円滑に行われるので、「単なるろう者である子どもは完全に健康である。」(ibid.:303)よって、そのような健康である子どもへの人工内耳の手術は、「非倫理的」なものとなる。3つ目は、アバレイのいうような、インペアメントの両義性と関わる問題である。ここでは文脈を変えて、成人と子どもにおけるリハビリテーションのあり方という問題として現象しているが、インペアメントを本質的にネガティヴに捉えるのかポジティヴに捉えるかの問題に帰結する。
 
 3−4 文化モデルによる障害者の誤認
 前述したように、ろう者にとって聴覚障害(蝸牛内の有毛細胞の損傷)は、インペアメントではなく、よって他の障害者が感覚するような、インペアメントについての両義的な感覚は存在しない。ゆえにデフプライドを語る上での自己欺瞞は生じない。音声言語と対等な、洗練された手話という言語を携え、歴史上の偉大なろう者の存在を発掘し、デフユーモアを語り継ぎ、ろう者としての誇り、ろう文化のポジティヴィティはいやがおうでも本質的なものとして認識される。まさに言語的、文化的マイノリティとしての同一化が達成されている。アイデンティティポリティクスの二段階論における、「一枚岩的」アイデンティティの獲得が可能になる。
 しかしながら、このような本質性を脅かすものがある。ろう者の聴覚障害という身体的属性である。この属性が治療行為を要するようなものであれば、それはネガティヴな徴として機能してしまう。ゆえに、聴覚障害に対してインペアメントであるとラベリングする病理学的なコードを否定しなければならない。例えば次のような説明である。「「ろう者」=「耳の聞こえない者」、つまり「障害者」という病理的視点から、「ろう者」=「日本手話を日常言語として用いる者」、つまり「言語的少数者」という社会的文化的視点への転換である。」(木村・市田 [1995])このようにして、他の言語的、文化的マイノリティとは異なり、自言語、自文化の価値を主張するだけではなく、自身に対する病理学的規定を排除することによってしか、ろう者としての肯定的なアイデンティティは獲得されないのである。そのような姿勢は、社会福祉の対象となることを拒否することにもつながり、障害年金の受給を拒むろう者も存在する(長瀬 [1996])(4)。
  しかし、先ほどの説明は、前章で見た社会モデルによる障害者の規定と、障害者を病理的観点から捉えている点において、抵触するものである(長瀬 [1995])(5)。このような宣言は、ろう者については社会的文化的視点を適用し、他の障害者については病理学的視点を適用している点で、ダブルスタンダードであるとも言われる。
 このような態度は、自らを障害者でないというのであれば、障害とはどのようなことか定義しろと要請される。確かに、社会モデルにおける障害というのは病理学的に措定されるものではなく、社会によって生成されたものである。その意味で、病理学的に障害者を規定しようとするろう者の振る舞いは誤っていると言える。しかし、それはどのように誤っているのだろうか。例えば近視で眼鏡を使用している人を、障害者と呼ぶことはないだろう。近視というインペアメントがあっても、眼鏡によってある程度の実用的な視力を獲得し、眼鏡を使用していることが社会からスティグマ視されないからだ。病理学的に障害者を規定するならば、このような近視者を障害者と呼ばなければならないので、確かにろう者の障害者の規定は誤りだ。UPIASのディスアビリティの定義から遡及して考えるならば、障害者を規定しているインペアメントというのは、近視のような社会的不利益の根拠にならないものではなく、あくまでも社会的不利益の根拠として、社会の側が措定するようなインペアメント、であるからだ。これを単純に病理学的に規定されるインペアメントと区別するために、<インペアメント>と便宜的に記述しよう。よって社会モデル的には、障害者というカテゴリーは、インペアメントではなく、<インペアメント>を有する人達に適用されるものとなる。すると、ろう者の誤りは全く間違っていたわけではなく、病理学的な規定のみならず社会的な視点が欠けていた、つまり不充分であったということになる。社会モデルにおける障害者は、病理学だけでは記述できないが、病理学も必要であるという点で、ろう者は完全に誤っていたわけではない。これは、結局、社会モデルはあくまでもディスアビリティということについての徹底的な社会化を目指した言説であり、障害「者」を直接に規定する言説ではないという点に由来している。
  ろう者が言説化していったのは、自らのアイデンティティに関わる部分、アイデンティティへの感覚への部分である。具体的にはアイデンティティを構成する要素としての言語と身体、である。言語においては、手話を完全な言語として社会的に認知させた。身体においては、病理学的視点を脱本質化し、いわばもう一つの正常な身体像を提出した。しかし、これは単に言説上の操作としてのみ可能になったことではなく、聴覚障害という状態が基本的に苦痛や消耗を伴わないこと、移動を阻害しないこと、視覚的な情報中心に社会が成立していること、などから、言語、コミュニケーションの問題が解決されれば聴覚障害による不快感は、他の<インペアメント>と比較して、相対的に少ないこと思われ、そのようなインペアメントへの感覚も影響していると思われる。ディスアビリティの脱本質化を目指した社会モデルは、前章でも批判されたように個人/社会という二分法の採用によって、個人=身体を本質化した。この個人=身体の水準において、社会モデルと文化モデルは食い違うわけだが、それは両者が目指した社会化あるいは脱本質化の水準が異なっているために生じていることと思われる。
 そのような水準の違いがあることを確認したが、障害者にとっても、ろう者にとっても、そして健常者にとってもインペアメントが、<インペアメント>に転化してしまうシステムこそが、まずもって問題とされなければならない。そのようなシステムのありようが、社会モデルで言うところの、ディスエイブリング・ソサイエティであり、文化モデルで言うところの聴者社会あるいはオーディズムであった。そのようなシステムが、緩和されれば<インペアメント>からインペアメントへ、単なる身体的差異へと還元されていくのであろう。
 そのように考えると、社会モデルも文化モデルも、広義の社会モデルに包摂されるものではないか。広義の社会モデルとは、障害に関するあらゆる局面を社会化していく言説と定義しておく。社会モデルがディスアビリティの水準において、文化モデルがインペアメントあるいはアイデンティティの水準において、社会化を達成していると考えられないか。どちらかの水準を唯一のものとして採用することは、例えばろう者が他の障害者を病理化、本質化してしまうような錯覚を招くことになる。社会モデルの考え方からは、ろう者は「手話を話す健常者」として抜け駆けしているように見えてしまう。よって社会モデルも文化モデルも対立しあうものではなく、広義の社会モデルの下位言説として位置付けた方が適切である。
 しかしながら、文化モデルは、社会モデルと対立する側面がないとは言えない。それは、ろう者が手話という能力を個人が身につけることで、成立しているという点である。これは、社会モデルによって批判されたところの個人モデルではないのか。歩けない人が歩行という機能を(再)獲得することによって社会的統合を達成するのと、聞こえない人が手話というスキルを獲得することによって社会的統合を達成するのは、その形式面に注目すれば、同じではないのか。ある身体機能の獲得が社会的統合の前提になっている点においては、ろう者の主張は個人モデルとも言える。この点においては、社会モデルと対立するのかも知れない。
 
 
 第4章 障害者のアイデンティティポリティクス
 
 2章、3章では、障害学の主要な言説である、社会モデルと文化モデルについて概説し、双方が障害者に対する社会的抑圧のしくみを記述するにあたって、異なる水準における脱本質化を行っていることを述べた。それぞれの言説における限界についても触れた。社会モデルは、個人/社会という二分法において、インペアメントを安易に個人の座に位置付けてしまったことにより、インペアメントを本質化してしまう、障害者の抑圧に対する社会化が不徹底に終わっていること。文化モデルでは、水準の違いを意識しないことにより、他の障害者に対する誤認を産んでいること。これらのことは、社会モデル、文化モデルがともに障害者に対する抑圧における支配的な言説、個人モデル、医学モデル、適応モデルなどに対して、その抑圧を社会化していく言説的ツールであったとするならば、インペアメント、ディスアビリティ双方の水準を同時に社会化していくための、より広義であり高次であるような社会モデルに包摂されていくべきではないか、ということを述べた。よって障害学において、インペアメントの処遇ということが理論的な課題であるけれども、そのことは障害学がディスアビリティという概念において説明してきた障害者の社会的抑圧についての説明概念の、あいまいさに由来しているのではないか、と考える。このことについてまず本章では述べて、次に第1章において扱ったパフォーマティヴ・モデルの障害者に対する妥当性や障害の文化という概念について検討し、それらの考察をふまえ、最後に障害者のアイデンティティポリティクスについて考察したい。
 
 4−1 ディスアビリティ、インペアメント概念の再検討
 2、3章において、障害学における2つの主要な言説、社会モデルと文化モデルについて概観し、両者の関係について記述した。双方がディスアビリティについて、社会化あるいは脱本質化する水準が異なっていることを確認し、どちらかの言説を絶対視するのではなく、広義の社会モデルとして包摂されるべきではないかと述べた。しかし、そのような2つの言説が生じていることは、実は、ディスアビリティという概念のあいまいさに由来しているとも言えないだろうか。概念のあいまいさとは、異質なものが一括りにディスアビリティとして扱われているということであり、それらは別のものとして分けて記述した方が適切ではないだろうか。そのようなディスアビリティ概念における異質な要素の混在を、オリバーの述べるディスアビリティという概念から見てみたい。オリバーは次のように述べる。
 「ディスアビリティとは、社会モデルによると、すべて障害者に押し付けられた制約である。個人的な偏見から制度的な差別、アクセスの難しい公的な建造物から使用できない交通システム、分離教育から排外的な仕事環境、などである。」(Oliver [1996:33])
 ここにおいてはディスアビリティを、障害者に押し付けられた制約として一括して表現されている。内容を見ていくと例えば移動障害を構成する物理的障壁や、健常者の差別意識といったものが併記されており、実在的であるような物理的障壁と、障害者を貶めるイデオロギーや意識はともにディスアビリティとして位置付けられている。私は差し当たって、これらディスアビリティの2つの側面、あるいは要素について、前者をディスエイブルメント、後者をディスエイブリズムと記述することにしたい。するとディスアビリティという概念は、ディスエイブルメントとディスエイブリズムの2つの概念が混在していると言える。このような混在自体は様々な場所で言われていることではあるが、このディスエイブルメントやディスエイブリズムの関係性や、2つの要素の異質性を検討しているものは、あまり多くない。
 しかし、マーク・プリーストリーは、そのようなことについて述べている論者の1人である。プリーストリーはこれまで、ディスアビリティの社会化に腐心してきたディスアビリティの理論化において、個人/社会の区別についてはセンシティヴであったが、クリエイション(生成)/コンストラクション(構築)の区別、或いは唯物論と唯心論の違いが意識されてこなかったと指摘する。そこで彼は、ディスアビリティの理論を2つの軸を立てて、4つのパラダイムに分けて記述する。2つの軸とは、1つは個人と社会の区別に対応する唯名論者と実在論者であり、1つはクリエイションとコンストラクションに対応する唯物論者と唯心論者の軸である。このような2軸を設定することによって、ディスアビリティの理論について4つの領域に分かれるタイポロジーを記述している。各々4つの領域は、ポジション1は唯物論者×唯名論者、ポジション2は唯心論者×唯名論者、ポジション3は唯物論×実在論者、ポジション4は唯心論者×実在論者と設定されている。
 彼はこれらの領域を別々のものとしてではなく、相互に関連しあっているものとして、議論する必要があるとしている。ポジション1とポジション2は、従来の障害学の言説で言われてきたところの障害の個人モデルである。ポジション3とポジション4は社会モデルに該当する。ポジション3とポジション4はそれぞれ、本論文で考察してきた社会モデルと文化モデルにほぼ相当する。プリーストリーは、まずポジション3とポジション4の共通性について述べる。それは、障害者の利益やアイデンティティにおける多様性は存在していても、差別や抑圧の集合的な経験における共通性があることを指摘した点であるとされている。次に、クリエイションとコンストラクションとして、ポジション3とポジション4の違いを、その説明力に着目して述べている。彼によれば障害者に対する構造的抑圧の様態を説明するのにはポジション4が適しているが、特定の歴史的文脈においてそのような抑圧が生じる理由を説明するのにはポジション3が適しているとしている(Priestley [1998])。
 ともあれ実在的な障壁を解体していくためのポリティクスと、言説構築的な障壁を解体していくのとでは、おのずとそのためのポリティクスも異なっていくと思われる。ポジション3とポジション4、社会モデルと文化モデルという言説が生じているのは、そのような質の違う2つのポリティクスからの要請である。
 このように考えていくと、2章、3章で見たような社会モデルにおけるインペアメントの本質化、文化モデルにおけるインペアメントの脱構築という各々の言説のインペアメントに対する態度の違いは、実はディスアビリティにおけるディスエイブルメントとディスエイブリズムという二面性の反映であるとも言える。ディスアビリティという概念はそうした二面性があったわけだが、結果として社会モデルはディスエイブルメントの系を特化し、文化モデルはディスエイブリズムの系を特化したということになると言えるだろう。
 
 4−2 パフォーマティヴ・モデルの障害者における妥当性
 1章において概観した、ゲイ/レズビアンのアイデンティティポリティクスにおける言説的洗練の一つとして、パフォーマティヴ・モデルが提出されているが、これは「二段階論」のジレンマを回避しマジョリティ/マイノリティの二項対立を脱構築していく理論的なコンテクストにおいては適合的なアイデンティティモデルであったが、その一方でそのような志向性は文化領域における秩序を脅かすものにはなりえても、経済領域における秩序を脅かせないのではないかという懸念も述べられている。このようなパフォーマティヴ・モデルの障害者における妥当性はどのようなものであろうか。前節で述べた障害者への社会的抑圧の2つの形式、ディスエイブルメントとディスエイブリズムは、パフォーマティヴ・モデルとどのような関係にあるだろうか。またこうした検討を行うことで、障害者というマイノリティの特性について照射することはできないであろうか。
 まず確認しておきたいことは、目下の障害学においては、パフォーマティヴ・モデル的言説はあまり語られていないということである。言語的文化的マイノリティへの同一化を志向する文化モデルにおいては、ろう者の場合には、ろう者/聴者という二項対立を強化こそすれ、脱構築的な言説にはあまり向かっていない。社会モデルにおいては、障害者のインペアメントにその原因を措定する形で個人化されていた問題を社会化した点では、パフォーマティヴな還元とも言えなくはない。しかし、ディスアビリティの社会モデルにおけるインペアメント/ディスアビリティという区別の用いられ方について、インペアメントを本質化しているという前節で見たヒューズとパターソンによる批判はある。そこでは、例えばバトラーによってなされたようなセックス/ジェンダーのパフォーマティヴな組み直しの、インペアメント/ディスアビリティに対する妥当性については、インペアメントの本質化は避けうる一方で説明すべき身体を失ってしまうとして功罪相半ばするものとして説明されていた。彼らは論理的なデッサンにとどめながら、むしろそうしたインペアメント/ディスアビリティという区別を一元化するような方向、メルロ=ポンティ的な現象学的身体観の採用に展望を見出そうとしていた。しかしこうした方向は主観/客観の認識論的な超克については有効であるかも知れないが、問題を社会化すること、つまり外在化していくことに関してはむしろ歯切れの悪いものになりはしないだろうか。パフォーマティヴ・モデルを障害者のアイデンティティポリティクスに使用することについて私も違和感があるので、以下のように考えてみたい。
 まず、次のことについての態度を明確にしなければらない。障害者/健常者という二項対立とその脱構築ということについてである。もっと平たく言えば、障害者という社会的カテゴリー/名づけの必要性についてである。まず単純に言えることは、障害者の問題は、言説的な脱構築の現実社会における達成によっても解決できない部分が残るということである。先ほどの、ディスエイブルメントとディスエイブリズムの別を用いて説明するならば、この2つは論理的には独立しているので、ディスエイブリズムは脱構築されても、ディスエイブルメントは残る。例えば重度の脳性麻痺者への抑圧的イデオロギーは存在しなくても生活をサポートする介助システムがなければ、彼/彼女は死に至らしめられる。論理的にはディスエイブリズムなきディスエイブルメント社会は存立可能であるし、現実としても途上国の極貧地域などの障害者に特化されたような形ではなくその地域成員全員においてディスエイブルメントであるような社会では、障害者の社会的抑圧を規定する要因としてディスエイブリズムの比重は相対的に低いものであると思われる(1)。逆にディスエイブルメントがなくともディスエイブリズムが存在する社会も可能であろう。先進国における福祉国家の類は、雑駁に言えば政策的にディスエイブルメントを解消しつつもディスエイブリズムを深めてきた側面もあるだろう。言うまでもなく、ディスエイブルメントの解消、ディスエイブリズムの脱構築はどちらも目指されるべきことである。
 脱構築は結局のところ、社会が何かを言語化することを、同性愛に即して言うなら性的欲望について言語化することの、必要性がなくなるような状況を(脱構築的な多様性に開かれれば、異性愛/同性愛などど言語化する必然性はない)目指しており、単純に言えばゲイ/レズビアンとしての社会的認知は最終的には不必要な状況を目指しているわけである。それと同じ状況を障害者は望んでいるのだろうか。必ずしもそれは望んでいるとは言えないのではないだろうか。例えば就職差別という問題を考えた場合、ゲイ/レズビアンであれば、制度化された偏見さえ解消されれば就職はすぐに可能になるであろう。雇用者は彼が同性愛であるかどうかを雇用するに当たって考える必要はない。むしろ考えてはいけない。人種による就職差別と同じである。車椅子使用者はどうか。職場における奇異な目や憐れみの態度は存在しなくても、彼/彼女の身体、運動、認知、感覚に合わせて就労可能な職場環境を再設定しなければならない。そのためには、車椅子使用者のディスアビリティを、雇用者やそのまわりで働く人達は、適切に意識しなくてはいけない。つまり、セクシュアリティブラインド、カラーブラインドであることが社会的に求められるのと同様に、障害者においてディスアビリティブラインドが求められるのではなく、ディスエイブリズムを伴わない、適切なディスアビリティコンシャスが求められると言える。よってコンシャスであるためにはその対象は言語化されなければならず、このことはパフォーマティヴ・モデルを全面的に障害者のアイデンティティポリティクスに採用できない根拠でもある。またこのように考えていくと、問題の機制ではなくその解決において(バトラーとフレイザーのすれ違いはこの点についての誤解にあると思うのだが)、ゲイ/レズビアンの場合は、障害者に比較して相対的に「文化的」であるとも言えるだろう。そして、ディスアビリティ「コンシャス」であることを社会に要請する点は、他のマイノリティとは違う、障害者というマイノリティの特性であるのかも知れない。
 
 4−3 障害の文化再考
  2章において、文化モデルという考え方をろう文化に焦点を当てて分析したが、障害の文化はろう文化のみに代表されるわけではない。ここでは、障害の文化をもう少し広い文脈から、ディスエイブルメントとの関係で検討してみたい。
 障害の文化といった場合に、三つの領域を考えることができる(Barnes, Mercer & Shakespeare [1999])。施設、病院といった隔離施設から育まれる共同体的なもの、ろう文化、ディスアビリティアートという三つの領域である。ろう文化についてはすでに3章にて検討した。ここでは共同体的なものに焦点を当てて考えてみたい。共同体といった場合、さらに私は2つの場合を考えてみたい。1つは、バーンズにおいて挙げられている隔離施設、もう1つは文化人類学で扱われているところの非近代的地域共同体である。前者については、治療あるいは教育という目的から、同じ障害を持つ人、同じ身体条件にある人が集められる場所によって育まれる文化である。そこでは、ディスエイブリズム的な眼差しを遮断したり緩和したりすることが容易であるし、実際そのような形によって生まれた最も洗練された形のものとして、ろう文化がある。あるいは、そのような想像の形式は、SF小説家であるウエルズによる盲人国、あるいは19世紀にろう者であるアメリカ人J.フローノイによって計画されたろう者の国(Cleve & Crouch [1989=1993])、フィンケルシュタインによる車椅子使用者の村(Finkelstein [1981])に行きつくわけだが、そこにおいてはもはや盲人、ろう者、車椅子使用者は障害者ではない。それだけではなく、そこでは健常者がその「過剰」な機能によって障害者になるというカテゴリーの転倒が生じる。そのような「閉じた」コミュニティにおいては、少なくとも当該障害についてのディスエイブリズムやディスエイブルメントは存在しないであろう。このような仮定は思考実験であって、現実的な可能性としてはありえないし、そのロジックは健常という身体条件を規範としあるいは必要以上に価値付ける、現行の健常者社会と何も変わりはない。健常者の項に、盲人やろう者を代入するだけである。しかし、そこで達成されるディスエイブリズムの解体、ディスエイブルメントの消去それ自体は、障害者にとってある種の究極的な理想のようにも感じる。
 現実の例を考えてみる。シーアとグロース(Scheer & Groce [1988])による、ニューヨークのルーズベルトアイランドの例である。ここには現在5500人の健常者と60人の脊椎損傷とポリオの後遺症による障害者が生活している。そこにはアパートに住む障害者たちのコミュニティが存在しているが、その障害者たちは、もともとその地域にあった2つの公立のリハビリテーション病院の患者であった。そこで培われた関係をベースに、障害者たちの緩やかに構造化された相互援助のネットワークが形成されている。その地域は交通システムを障害者が利用しやすいように作られ、障害者アパートも車椅子使用者が利用しやすいものを建設した。また障害者たちの高い失業率は、障害者たちの公的な場所における日常的な出会いを促進している。またホームアテンダントを通じて健常者との交流も拡大している。が、ここまでの記述にも表れているように、シーアとグロースも述べているが、「ルーズベルトアイランドにおいて建築的な障壁が除去されたことが、社会的受容と統合に対して残存する社会的障壁を照らし出している。」ここには、障害の文化、コミュニティといったものが、建築的障壁の解消という、ディスエイブルメントの解消によって生じている側面と、高い失業率という、ディスエイブルメントの存在によって促進されている側面の両方が窺える。前者のような文化とディスエイブルメントの関係は望ましいが、後者のような関係はシェルターとしての機能は果たしつつも、一方でゲットー化するリスクをはらんでいる。あるいは、障害の文化が、構造的にディスエイブルメントを支えてしまうことにつながりかねない。障害の文化が果たしてしまうそのようなネガティヴな機能については、注意が必要である。
 次に、文化人類学的研究で報告されている、ある地域における障害者への態度について考えてみたい。イングスタットとホワイトの「障害と文化」(Ingstad and Whyte [1995])という、障害者(disabled)というカテゴリーは文化的に自明なものではないという問題意識によって編まれているこの本は、いくつかの非近代地域共同体における障害者に関する人類学的報告をしている。ホワイトが人類学者であるデヴィシュ(Devisch)の報告を引用しつつ述べている、中央アフリカのあるカルトを見てみたい(Whyte [1995:270-273])。それは、ザイール南西部のヤカ族(Yaka)の間に見られる、ムブウル(mbwoolu)とキタ(khita)というカルトである。そこで実践されるイニシエーションは、白子、双子、ポリオによる後遺症、事故、慢性的な熱病、などなど広い意味での身体障害児、者を対象としている。ムブウルの寺院において、系統発生のデモンストレーションの儀式が行われ、不完全な身体は完全なものとなり、能力が与えられ、性的な成熟が得られる。デヴィシュによれば「この儀式の要点は治療が必ず達成されるということではなく、インペアメントのある人と共同体が、欠陥(deficiency)の意味について新たな理解をすることで癒されることである。」「このような儀式の結果、障害者はもはや社会的定義がはっきりしていない領域の住人ではなくなるのである。」脊髄腫瘍に冒された人類学者のロバート・マーフィーが、米国の障害者について研究する中で、社会における障害者の位置について適用したターナーの概念(Turner [1969=1979])である、「リミナリティ(境界状態)」(Murphy [1987=1997 180-181])(2)から、ヤカ族の障害者たちは脱しているのである。この報告を引用するホワイトは次のように述べている。「そこ(現代西洋社会のこと、引用者)ではリハビリテーションが、個人的な努力と社会的補償を通じて同様な人々(障害者のこと、引用者)を社会に統合すること、そしてそのような差異を認めるもそれが存在しないかのようなふりをすることについての暗黙の同意をすることを強調されるが、ヤカ族では差異を劇的に強調し、そこに宇宙論的な意味を与え、普通ではない力を持った人々を創造する。」(Whyte [1995:273])このようなビリーフシステムが普遍化できるとは思えないが、少なくとも西側の先進資本主義国における障害者の社会統合というものも、やはり一つのビリーフシステムに基づいてなされているものであり、それは近代的な価値観、本人の業績や能力によって統合するという信条と思われるのだが、それが普遍的なありようではないことは分かる。
 しかし、逆に言えばそのような非西洋的地域において、障害者の能力や達成できることを文化が抑圧しているということはあり得る。オリバー・サックスによる「色のない島へ」(Sacks [1996=1999])では、先天的な色盲の人々の発生率が高い島における、色盲の人々のコミュニティの様子が記述されている。そこでは色盲の人々は昼の仕事が就けないために夜漁をするというようなある種の分業が成立しており、それはそのコミュニティの文化でもあったわけだが、オリバーらによって持ちこまれたサングラスにより、それまでよく見えなかった黒板もよく見えるようになって色盲の子ども達の授業の理解は進み、また昼もよく運動できるようになった。このようなテクノロジーの導入は、それまで文化という形で再生産されていたこと、説明されていたことを、ディスエイブルメントであると説明することを可能にする。やはり、ニューヨークのルーズベルトアイランドで確認したような、文化によってディスエイブルメントが維持されたり生産されたりする危険性は、非西洋的な地域にも当てはまる。そしてもう一つ言及しておきたいのは、文化という概念それ自体がそのようなテクノロジーによる可塑性を追求すること、あるいはそのような追求を支える感覚を低減させていかないかという懸念である。この島にサングラスをオリバーらが持ちこんだ時、その島で一番高齢である全色盲のおばあさんは、「わたしはね、80年もこうやって生きてきたんだよ」(ibid.:69)とその着用を憤然と拒否したというエピソードが紹介されている。他の大人や子どもは喜んで着用したのにもかかわらず、である。このエピソードは文化というよりは高齢者の心理的な要因としても説明できるのであろうが、私が述べたいのは、そうした可塑性を拒むような感覚は文化の擁護においては有効であるけれども、障害者の生の可能性を切り詰めるリスクもはらんでいるということである。
 
 4−4 障害者のアイデンティティポリティクス
 障害の文化とは確かに障害者のアイデンティティをポジティヴに構築するための有益なツールである一方で、ディスエイブルメントと正の相関を生じるように機能することもあり、また障害者の生の可能性を拡大するための、可塑性、またその追求のための柔軟な感覚やテクノロジーを育まない危険性がある。その意味では、障害者は他のマイノリティよりもまして、「文化」については戦略的な態度が望まれるのかも知れない。人はその生において「方法を考え、意味を与える」(石川 [1999])わけであるが、これらのことは近接しているのではないか。手話はろう者にとって単なる方法なのか文化なのか、点字は盲人にとって単なる方法なのか文化なのか。おそらくどちらの立場からも説明できることである。可塑性の追求と意味の創出は、可能にするための工夫/断念の形式と割り振ってしまうと一見相異なる方向を目指しているようだが、本当は凹凸のように組み合わさっているものである。ある方法を選択することは他の選択肢の断念において可能になる。どんな人間も普通にしていることである。これがまるで背反することのように引き裂かれること、誰でも当たり前にアクセスできる財にアクセスする方法がないこと、そのため断念することを過剰に意味づけ本質化することで、方法の工夫を阻害するというようなネガティヴフィードバックが生じてしまうこと、あるいは適切な断念の仕方ができなくなってひたすらに方法の工夫に没頭してしまうこと。こうした現象を生じないようにすることが必要なのだ。
 ディスアビリティをめぐるこうした社会の機制を解体するために必要な障害者のアイデンティティポリティクスを、どのように構想したらよいであろうか。ディスエイブルメントとディスエイブリズムという二面性をもつディスアビリティに抗していくための、障害者のアイデンティティのありようとはどのようなものであろうか。健常者中心の社会は、障害者に対して障害者としての抑圧的なカテゴリーを割り振り続ける。通常言われるところのアイデンティティポリティクスは、自らのアイデンティティのルーツであるそうしたカテゴリーを価値づけその後に脱構築を図るわけだが、前述したように、ディスアビリティコンシャスである社会が要請される以上、そのことを表示するための社会的カテゴリーは必要であるので、障害者においてそのような脱構築は必要ではないし、価値づけることにおいても自己欺瞞が生じてしまうことは、これまでに述べた通りである。ここで考えなければならないのは、アイデンティティポリティクスが前提としている、社会的カテゴリーとアイデンティティの関係、社会的カテゴリーを自らのアイデンティティとして引き受けるという態度である。このような前提があるので、アイデンティティポリティクスのマイナス面としてカテゴライゼーションが引用されざるを得ない。社会の、カテゴリーによる圧倒的なアイデンティフィケーションの機制があることは事実であるが、論理的必然として、それをアイデンティティとして引きうけなければならないということではない。自分のアイデンティティの外部にあるものとして、社会的カテゴリーと交渉していくような態度も可能であるはずだ(3)。単純に言えば、障害は引きうけても障害者であることを引き受ける必要は必ずしもない(4)。そのような選択を目指す戦略をアイデンティティポリティクスと呼ぶのは適切ではないのかも知れないが、障害者という社会的カテゴリーの適正化を目指しつつ、別の場所からのアイデンティティの供給を可能にするようなアイデンティティポリティクスを、障害者は求めてもいいはずである(5)。
 このように考えてみると、1章において述べた、マイノリティのアイデンティティポリティクスが直面していた困難、つまりアイデンティティ確立/脱構築という機制をクリアするパフォーマティヴ・モデルの効果が文化の領域に回収されてしまうということ、は、実はアイデンティティポリティクス自体に原因があるようにも思える。そもそもマイノリティにとって、経済と文化の秩序をともに変更していく必要性があるのは自明であるにもかかわらず、そのポリティクスにアイデンティティの項を挿入したことで、経済/文化というようにその効果が引き裂かれてしまうのではないだろうか。であるならば、前述の障害者についてのアイデンティティポリティクス、いわば障害/者のポリティクスは、障害者だけではなく、他のマイノリティにとっても妥当性のあることかも知れない。アイデンティティとは距離を置きつつ障害者という社会的カテゴリーの適正化を目指すことは、それは実在的なディスエイブルメントの解消だけではなく、ディスエイブリズムの脱構築も含まれる作業であるから、経済にも文化にも特化されることではない。例えば、障害者というカテゴリーは労働可能性について必要以上にネガティヴに扱われている。そのことは、マジョリティの価値の作り替えを要求しなくとも、マジョリティの側に立っても、「単純な誤り」であるのだ。しかし、その訂正のためには、実在的なディスエイブルメントの消去を必要とするし、またそのことによって、健常者によって捏造されている障害者像は変更を迫られざるを得ず、ディスエイブリズムの解体を誘導する。新たな価値創造をしなくとも、そのような「単純な誤り」が、障害者というカテゴリーには数多く含まれている。そうした「単純な誤り」を一つ一つ訂正していくこと、つまり適正化は、障害者にとって別の場所からのアイデンティティの供給を容易にするであろうし、また障害者という社会的カテゴリーと自らのアイデンティティの距離を短縮させることにもつながるだろう。しかし、それは最初から目指されたことではなく社会的カテゴリーの適正化の効果として得られることである。障害者というアイデンティティを持つことを強いられず、勿論引き受けることも可能な、そのようなアイデンティティからの自由/への自由を照準するものとして、障害/者のポリティクスは機能するはずである。



 おわりに

 これで本論を閉じてしまうことについては、忸怩たる思いがある。言い尽くしていないことがいくつかあるし、述べていることも必ずしも説得的ではない。それらのことをすべて書き出すつもりはないが、本論文の限界点、これからの私の課題に接続していくこと、などについていくつか記しておきたい。
 そもそもこの論文の出発点は、健常者としての私の感覚、ケア、リハビリテーションというかかわりにおいて、私が感じていた権力を行使するものとしての嫌悪、であった。それは、まずは障害者自身の主張する言説の検討という作業を通じて始まったものであったにしても、その着地は障害者のアイデンティティポリティクスについてあれこれ論じて終わるというのではなく、健常者という自分のポジショナリティを内省し、対象化しそれ自体を批判的に論じていくような作業につながっていかなければならないはずであった。しかしながら論文内においてそこまでは到達せず、ようやくその準備ができた、というところで終わっている。
 それから障害のある子どものことについて、あまり触れられなかった。このことは社会モデルの特性とも関係しているのではないか。社会モデルは、成人モデルでもあるとも言える。社会モデルが採用した個人/社会の二分法は、問題の所在だけではなく、問題の解決の仕方、をも設定した。つまり問題解決に当たっての可塑性の設定は、個人とくにその身体、ではなく、社会の側に設定された。このことは、身体の可塑性を問題にしなくていい成人の場合には問題ないが、子どもというのは、社会的に可塑性、それは「発達」と呼ばれるのであるが、を読み込まれる存在であるので、社会モデル的発想では困難であるように見える。しかしながら、実は問題の所在の特定と、解決の仕方というのは別のものであり、本論では論じ切れてないが、社会モデルにはその点についてもあいまいにされているのではないだろうか。例えば成人についても自立生活運動は社会モデルに基づいていると言えなくもないわけだが(消費者モデルといった方が適切かも知れないが)、そこには個人の側のスキルや感覚を改編していくことも含まれている。ピアカウンセリングはそのような営みの一つである。子どもについては社会モデル的には、統合教育が主張されることが多いものの、聴覚障害、自閉症、学習障害など障害の特性によっては統合教育よりも分離教育の方が適切な場合もある。このようなことについてインテグレーション志向である社会モデルが言明できていないのは、問題の機制の特定と解決における可塑性の設定が、癒着していることからくることではないかと思う。
 最後になってしまったが、肝心の部分を言語化できない私に対して、常に核心をつくコメントを下さった石川准先生に、記して感謝申し上げたい。


 注
 1章
 (1) ここで採用しているアイデンティティ概念は心理学的な自己同一性という概念ではない。「自己と外的社会との相互承認に基づく、自己の構造上の同一性」(鄭 [1996:32])である。
 (2) 異性愛者の特権性は、同様に通常の文脈では名乗ることの必要性がない、健常者の特権性と共通している。
 (3) こうした事情も障害者は共通する。ある障害者は次のように語った。「私たちは、ディスアビリティの養子です。私たちはマジョリティの文化、非障害者の文化で育てられ、そして我々自身のものであるかのようにマジョリティの文化を受容したのです。」(Brown [1995:7])
 (4) 在日三世で、在日二世の父親と日本人の母親を持つある男性は次のように語る。「そうやって育った子どもというのは、自分が「在日」であることを受け入れてもらえなかったら、結局、自分の他のものを出せないんです。それが否定されたら、人間関係がだめなんです。「自分は『在日』なんですよ」といって「ああ、そうなんですか。それがどうしたんですか」とそこで終わってしまう。それを拠り所にしている。相手にしてみれば「だから何やねん」という気持ちがあると思うんです。じゃあ、あなたはアピールするところは他にないのかと。ぼくらが教えられてきたのは、自分は「在日」やということをまず第一にポンと前に出して生きることがいいとされてきた。ぼくのなかでもそれはあったと思うんです。まず「在日」であることを理解してくれないと、その先へ進めないというのがぼく自身もあったんです。でも、そういうのは人間関係をつくる上でマイナスになりますね。在日朝鮮人であることに対して、こちらの期待どおりに理解を示してくれないと、みんな「差別者」になってしまうんです。」(金 [1999:173])
 (5) しかし、ウィルスは全面的に悲観的であるわけではない。「資本制社会における自由は、掛け値なしの自由へと前面展開する勢いを秘めている。そして、資本制社会は、その再生産の本質的用件を満たすために、ある賭けに出る。つまりこの自由が、個々人がみずからを見限る自由として費消されるほうに敢えて賭けるのである。それが賭けであるというのは、支配階級といえども、下からそれに応じる動きがないかぎり、自由という名のくぐり戸を上から一方的に閉じることはできないからだ。(中略)資本制社会は不確実性を引き受けながらみずから賭けに出ているのであり、別の賭けに出ることを何びとにも禁じてはいないからである。」(Willis [1977=1996:410])
 2章
 (1)1990年より国際障害分類(ICIDH)の改訂作業が行われているが、その改訂版である    ICIDH2においても、障害の個人モデルと社会モデルの統合化は強化されている。そのような統合は、障害という現象を脱政治化する(杉野 [2000])。
 (2)J.ディヴィスが正常性の構築に関して、統計学的概念と優生学の接続を述べている(Davis [1997])。
 (3)しかしながらこのような峻別は、文脈によっては危険なものともなる。1990年代の中国の障害者福祉政策の充実と優生政策の並存は、その好例である(Stone [1996])。
 (4)上で引用したバーカーは、同じ論文で障害者と他のマイノリティとの違いにも言及している。そこでは、障害者は自分の身体に障害があるために、他のマイノリティのように自らの抑圧感を完全には外在化できないと述べられている(Barker [1948:32])。
 3章
 (1)"a little hard of hearing"は、聴者文化の文脈では、聴覚障害が軽度であることを意味するが、ろう文化の文脈では、聞こえないことが基準になっているので、少しだけ聴者に近い、つまり聴覚障害としては比較的重度であることになる。だから、聴者文化の"a little hard of hearing"の意味に等しいろう文化での表現は、"very hard of hearing"(聴者に近い)になる。
 (2)加えるなら、両者の意味の相違は基準点であるだけでなく、聴者文化においては、「聞こえる」ということは数量的に計測できる概念、連続的な概念としてつまり「聴力」として把握されるが、ろう文化においては、聞こえる/ろう、という形で二項対立的なものとして把握される。
 (3)と言って、ろうの夫婦が聞こえる子どもの誕生を望まないわけではない。ろう成人に遺伝子テストに関する態度についての調査で(Middleton, Hewison & Mueller [1998])、「ろうの子どもと聞こえる子どものどちらが欲しいか」という設問で、「ろうの子ども」と回答したのは15%、「どちらでもかまわない」と回答したのは74%であった。またそのような存在はcoda(children of deaf adult)と呼ばれ、ろう文化と聴者文化を橋渡しができる重要な存在でもある。
 (4)ろう者と公的援助の関係について、B.タッカーが興味深い思考実験としている。2013年にはろうを文字通り「聞こえる」ようにできるテクノロジーが開発された。それでもなおろう者は公的援助を受けとるだろうか、と筆者は問いかけ、治療を拒否する権利はあるが、それは自らが選び取った状態であるので、その選択に関して発生する費用、例えば電話のリレーサービスやTTYなどに関わる費用、はその選択をした個人が負担すべきであり、社会が負担するものではないとしている(Tucker [1993=1993])。
 (5)このような認識は、ろう文化が、障害文化として位置付けられることへの違和感も産む。木村は「聞こえないから「ろう文化」が存在するという「障害文化」には違和感を感じる」と述べているが(木村 [2000])、ここにも障害=インペアメントという誤認が潜在している。
 4章
 (1)城田(2000)によって、フィリピンの極貧地域における障害児の現状が活写されている。「障害の文化」という語り方が有効に機能するのは、「北」の先進工業国における障害者の現状であるのかも知れない。
 (2)マーフィーが次のように引用している。「未開社会における儀礼の過程について述べる中でターナーはこういっている。「しばしばリミナリティは次のようなものにたとえられる。死、子宮の中にいること、不可視であること、暗闇、両性具有、野生、そして日食や月食」。これはまたなんと我々がみてきた諸例にピッタリあてはまることだろう。時々人々の間に涌き出る私の死の噂。社会における身障者の不可視性。彼らの性についての俗信。男女混合の病室。身障者コミュニティの性別による役割分担の無効化。身障者は単なる逸脱者ではない。彼らの声は日常生活の内側から、そして外側から発せられ響き合う。」(Murphy [1987=1997:180])
 (3)障害個性論などの文脈では、障害というカテゴリーが自体を否定されることがある(土屋 [1994:244-261])。そのことに対し「障害者問題を「個性」に解体し、社会責任を免罪する」(豊田 [1998:112])もある。それとは別に、単に適切なカテゴリーの運用だけでは不充分であるのか、という点が障害個性論からは出てこない。そこには、やはり障害=人格論を前提しているように、あるいは障害を本質的に価値づけようとする欲望を感じる。
 (4)石川の言う「障害の軽視」でもある(石川 [1999:125])。
 (5)S.フォスターは、ろう文化の形成に関連してグロースのマーザスヴィンヤード島の研究を参照しつつ、次のように述べている。「もしろう者が完全に受け入れらて言語的に聴者と適応していたら、彼らはまだ分離した社会的政治的ネットワークを必要と感じるだろうか。換言すれば、ろうが特別な意味を持たなくなったとしたら、ろうコミュニティは存在するであろうか。」(Foster [1989])


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Title: Identity politics of people with disabilities: reconsidering the concept of disability and impairment

Summary:The purpose of this paper is to examine identity politics of people with disabilities. To have better clarification of its character, I would like to compare people with disabilities with sexual minorities, gay and lesbian. There are some reasons for comparing with them. First, the discourse on their identity politics has two attitudes about their identities, that is, constructing positive identities and deconstructing them discursively. Such opposition seems to have much to offer in understanding identity politics of people with disabilities. Second, the situation where lesbian/gay's identity is placed in majority have much common with that of people with disabilities. Pathology have much power about their situations, so their problem had not been considered as social but medical. Moreover, they have many difficulties about socialization in majority's family, school and society. Other minorities, such as religious minorities and cultural minorities, have many opportunities access good model of their social role, but people with disabilities and lesbian/gay are isolated socially, so it is very hard to gain it.Disability studies which was created firstly in England have had influenced on people with disabilities. Disability studies are academic studies/movements to redefine the idea about disability, people with disabilities and the way of their life for themselves. I would like to review two different perspectives on disability and impairment in disability studies. One is the social model of disability, and the other is the cultural model of the Deaf. Because the concept of disability and impairment are very significant to speculate upon the identity of people with disabilities, I think this review is necessary and useful.The contents of this paper are followed.Chapter 1 is to give an outline the controversy on identity politics of lesbian/gay. I focus on a paradigm with regard to this. The paradigm is called "two stage theory" that discribes the process of minority's identity politics. The process is the following: Minorities must construct their positive identities at the first stage. Without this stage, the power relationships between minorities and majorities can never be changed. After this process, they are able to have an admission to deconstruct their category as the second stage.However, the first stage is contradictory to the second. Because the first stage conducts to strength the binary opposition between minorities and majorities, it makes difficult to deconstruct minority's category at the second stage.To free from this dilemma, "the performative model" of identity is discussed. This model is polished discursively and considered to have some effect on changing the cultural order, but not the economic order.Chapter 2 is to examine the social model of disability. This model is antithesis to the medical model of disability that makes problems about people with disabilities personal. To be sure, the social model of disability has made a large contribution to their identity politics, but another issue has been closed up. Another issue is that the social model of disability has a propensity to neglect, conceal or negate their sense and attitude about their impairment. Nevertheless, such a propensity is necessary for positive identity, because it is not easy to look upon a impairment as a positive element for identity. This issue urges disability studies to construct the social model of impairment.Chapter 3 is to review Deaf studies and consider the relationships between the social model of disability and the cultural model of the Deaf. According Deaf studies, Deaf is not a pathological concept, but a cultural concept. They call Deaf who use sign language and belong to Deaf community. In the cultural model of the Deaf, their impairment, namely deaf, is positive element for their identities. Hence the discourse in Deaf studies doesn't have such issues as impairment.But culturally Deaf have a misrecognition about people with disabilities. They naturalize the concept of disability. To correct such a misrecognition, the theory that can socialize both disability and impairment in its logic are needed.Chapter 4 is to examine the concept of disability and impairment and the difference between lesbian/gay and people. It is necessary for further theorizing to divide the concept of disability into two. One is the disablement, which is a real barrier against people with disabilities. The other is the disablism, which is an ideology disregarding themselves. The performative model is conformable to lesbian/gay, however is not for people with disabilities. The society has only to neglect the sexual orientation, but cope with the disability appropriately. That is, the society needs to be sexuality-blind, but disability-conscious. In conclusion, for identity politics of people with disabilities, it is desirable to correct their social category without including it in their identity.


  ……以上(以下はホームページの運営者による)……


REV: 20160125
障害学  ◇石川 准(社会学)  ◇全文掲載
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