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「女の自然と待ちの子産み・子育て」

刀根 卓代 20010226

last update:20111004


 戦後の日本の経済効率優先の社会の中で、また各方面からの政策により、「出産」現場における「待ち」の日本文化が失われ、「女の身体の自然」が損なわれてきている。
 現在、出産の場所は99.6%、医療施設に頼っている。本来、医療に預けるものなのだろうか? そして、その医療現場では、「異常」でない場合にも、産婦人科医師の医療行為が行われることが多く、陣痛促進剤の投与、会陰切開、縫合、帝王切開等、本来の産む力を備えた「女の身体の自然」を無視した状況にある。
 経済効率のみを考えると、陣痛時間に、人手(介助にあたる助産婦、看護婦)をとられるのは割にあわない、医療点数を稼ぐ為には薬剤投与やその他の医療行為が必要となって当然である。しかも、出産に対し、受身である産婦はそれらの実情を自分で判断できない。
 しかし、それは果たして女の身体に幸せなことなのだろうか? 哺乳類としての女の身体の完結、を意味しているのだろうか?
 女の身体が出産に対し、子どもを産み出す状態まで「待っている」こと、そして、女性ならではのホルモン物質が十分に出され、身体がゆるみ、子どもを産むこと、そして、その待っている長い長い時間の中で、母の身体へ変化し、子どもに母乳をあげることができるようになる。そして、子どもが母乳を飲んでくれる事で、子宮の収縮が進み、回復していく、、、、。
 そのような女の身体の自然が、壊されて来ている今日、子どもを愛せない母親やキレル子どもが増えてきている。出産の時から、お互い母になり、産道を出てきて子になるという関係を結ぶ時間が「経済効率優先の社会」に取り上げられている。本当に必要なのは「母と子の身体が納得して母となり、子となっていく」時間なのではないだろうか?
 日本民俗社会の中では、「産屋の語り」が残されていた。産室にいる産婦を励まし、力付けるために、近しい女たちが集まり、夜中伽(とぎ)の語りをしていたという。子育ての仕方がわからない、不安にかられている現代の産婦たちに必要なものは自然の流れに任せた「産屋」と心許せる「産室の語り」ではないだろうか。
 私は、それを現代の産婆、「助産婦」さんに期待する。女であるから、女の生理で、女の身体で、女の感覚で助けてくれる「助産婦」さんに期待する。
 ゆるやかな時の流れを必要とする出産の場において、産婦の産むためのホルモン分泌を緊張で止めさせるような「男性助産士」の介入は必要としない。







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UP: REV: 20111004
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