HOME > 全文掲載 >

アフリカを覆うエイズの影

http://www.cnn.co.jp/
2001.02.15
Web posted at: 10:00 PM JST (1300 GMT)

last update: 20160125


アフリカを覆うエイズの影

TIMEasia
------------------------------------------------------------------------
In this story:
土曜日ごとに葬式
支配する沈黙
病気は「ただの結核」
家族からも見放されて…
トラック運転手が語る性
売春と女性の地位
小児病棟、17番のベッドで
関連サイト
------------------------------------------------------------------------

By ジョハンナ・マクギアリィ

  25秒にひとり、アフリカ大陸でHIV感染者がまた増える。これまで
に感染した人数は、すでに2540万人を超えた。
土曜日ごとに葬式

  この生活が想像できるか――。いつものように朝起きて、3人の子ども
と朝食をとる。子供の1人は、幼いうちに死ぬ運命にある。夫は、300キ
ロも離れた町で働く。家に帰ってくるのは年に2回。それ以外はあちこちの
女のところを泊まり歩く。あなたにとって、セックスは常に命がけだ。

  朝食を終えて、仕事に出かける。途中で色々なものを通り過ぎる。収入
のない十代の若者が幼い弟妹の面倒をみて暮らしている家。その先には、夫
にコンドームを使うよう頼んだからと、隣近所に売春婦扱いされている女性
の住む家。この女性は、夫に気絶するまで殴られて、道に放り出された。そ
の道の上には、重病の男性が倒れている。医師の手当も、薬も食糧も毛布も、
そして優しい言葉さえ与えられず、ただそのまま横たわっている。

  やがて職場につく。昼休みに一緒に食事をする同僚のうち、3人に1人
は病気で死にかかっている。ひそひそと交わすのは、友人の噂話。彼女は病
を告白したために、近所の人たちに石を投げられて死んだらしい――。

  週末も忙しい。土曜日ごとに、誰か知り合いの葬式に出なければならな
いからだ。夜になって床に就くたびに、ふと考える。自分たちの世代は、誰
も40代まで生き伸びないのではないか――。しかし、あなたも友人も、政
治家や指導者たちも、まるで何事も起きていないようなふりをして、そのま
ま暮らし続けるのだ。

  アフリカ南部では、こんな悪夢のような生活がまさに現実となっている。
誰も口にしようとしない、恐ろしい病気の名は「エイズ」。人類史上でも例
をみないほどの惨劇が、ここで繰り広げられている。中でも最も悲惨な事実
は、何が起きているのかを誰も知らない――あるいは知りたがらない――と
いうことだ。

支配する沈黙

  HIVウィルスが、アフリカ大陸を容赦なくむしばんでいく。だがほと
んどの者は、ただ目をそむけるばかりだ。満員の病室で、人里離れた小屋で、
病人の体から肉がそげ落ちていく。安置所にでは死体がうず高く積まれてい
る。下の方の死体は、押しつぶされて顔の見分けもつかない。名前も番号も
ない、盛り土をしただけの墓があちこちで増え続ける。働き盛りの親を失っ
た子供たち、兄弟姉妹を亡くした子どもたちが、途方に暮れて泣いている。


  患者はひっそりと死んでいく。医師はその死因を口にせず、記録にも残
されない。遺族はただ恥辱感に身を縮め、指導者は責任逃れに奔走する。あ
たりを支配するのは、否定と沈黙。このままではエイズという病に立ち向か
うことさえできず、敗北を認めるしかないだろう。

  先進諸国もまた、沈黙に支配されている。他の些細な問題には口をはさ
んでも、アフリカのエイズとなると、国際会議の時だけスポットライトのス
イッチを入れ、終わればさっさと切ってしまう。中には寄付を続ける支援者
もいるし、各国政府も「もっと対策を」とかけ声だけは上げる。だが、同じ
ことが欧米で起きていたら、対応はまったく違うはずだ。

  これまでにもエイズ患者やエイズ孤児の写真を見たり、死者数などの統
計を聞いたことはあるだろう。だが、悲惨な実態を把握するためにはそれだ
けでは不充分だ。今回われわれが試みたインタビューに耳を傾けてみてほし
い。エイズをめぐるタブーや無知、貧困、性的暴力、出稼ぎ労働、政治的背
景などの問題点が見えてくるはずだ。アフリカのエイズは、単に医学上の問
題にとどまらない。病は患者の体だけでなく、社会全体を蝕んでいる。人類
に感染したエイズ・ウィルスは、ただ人間の健康だけでなく、社会・経済・
政治のシステムそのものを汚染する病原体へと変異した。ここにアフリカ独
特の社会構造が追い討ちをかけるようにウィルスの蔓延を助け、有効な対策
を妨げる結果となっているのだ。

  われわれが訪れたのは、エイズ被害のまさに中心地のボツワナ、南アフ
リカ共和国、ジンバブエの3カ国だ。この国々では過去10年近くにわたり、
エイズが密かに蔓延し続けていた。しかし死者が至る所で続出し、被害の衝
撃的な全貌が明らかになってきたのは、ごく最近のことだ。

  エイズは米国でも問題になっているが、啓蒙活動や政府の対策、高価な
治療薬などによって一応の落ち着きを見せている。しかしアフリカの状況は
全く違う。働き盛りのおとなたちが、老人や子どもを残して死んでいく。感
染リスクの高い社会グループが決まっているわけでもない。セックスをする
人間はすべて、危険にさらされる。それだけではない。母子感染のケースも
多い。感染者が1人もいない家庭などほとんどない。自分がいつどうやって
感染したのか、大部分の患者にはわからないし、感染していること自体を知
らない者も多い。たとえ知っていても、まわりの者には告げないまま死んで
いくケースがほとんどだ。

  患者たちは治療のすべもなく横たわり、免疫力をなくした体を結核や肺
炎、髄膜炎、下痢に襲われ、命を失う。統計上の数字は衝撃的だが、実態は
さらに深刻化しているとみられる。組織的な検査はされていないため、感染
率は主に妊婦のHIV感染のデータをもとに算出される。また、死亡証明書
にエイズが死因として記されることはない。プレトリア大学のメアリー・ク
ルー氏は、「どの統計も信頼性に欠ける。推測するしかないのが現状だ」と
語る。

病気は「ただの結核」

  南アフリカ共和国のクワズール・ナタール州。トゥゲラ川を見下ろす高
台に、フンディシ・クマロさん(22、仮名)の小屋がある。クマロさんは、
急ごしらえのベッドの中で擦り切れた毛布を顔までかけ、ガタガタと震えて
いた。目は異様な光を放ち、苦しそうな息を繰り返す。1人でここに暮らし
ながら、訪問看護を受けているという。本人は知らされていないが、病名は
エイズだ。

  話そうとするたびに喉をつまらせて、激痛に胸を押さえる。吐き気の方
は少しおさまっている、という。膝は結節で倍ほどに膨れ、外に出る体力も
ない。最後に食事をしたのはいつだったか、記憶がない。いつから病気なの
かという問いには、「もうずっと前。6カ月くらいになるかもしれない」と
答えた。病名は「ただの結核」だと言う。「ただの結核」にしては症状がひ
どすぎないかと尋ねると、「ただの結核だと思うようにしている」と答えた。
その目から、恐怖の色が消えることはない。

  ヨハネスブルクの美容室で働き、男性用の簡易宿舎に住んでいた。何人
かの女性とつきあいがあったという。同じ宿舎の若者が時々病気になり、重
症になると故郷の村へ帰って行った。クマロさんもその1人となったが、「
病院には行きたくない。入っても死ぬだけだ」と言う。

  「彼の言うことは正しいんですよ」と、取材斑を小屋まで案内してくれ
たトニー・モール医師も、これにうなずく。近くの町で350床の病院の院
長をつとめるモール医師は、「病院にエイズの薬はありません。患者には、
『エイズだが、治すことはできない。帰って死になさい』と言うしかないの
です」と語る。治療法がないのなら検査も意味がないと、拒否する患者が多
いという。

  アフリカのあちこちの集落で、同じ事が繰り返されている。患者や家族
は「エイズ」を認めようとしない。病気になったのは貧しいからだ、と言い
張る者がいる。あるいは、「悪いことをしたのでばちがあたった」「知り合
いに呪いをかけられた」「先祖の供養をしていないせい」などと主張する者
もいる。アパルトヘイトの廃止後、白人が黒人支配の手段として病気を広め
たのだという説さえある。

  しかし、たとえエイズという病を否定したとしても、人が次々と死んで
いく事実は否定のしようがない。毎週土曜日、そして時には日曜日にも、あ
ちこちの墓地で葬式の列が見られる。遺族は言う。息子が、妻が、赤ん坊が
死んだのは「肺炎」、「結核」あるいは「マラリア」のせいだったと。「そ
れでも、参列者たちは『本当はエイズだったのさ』とささやき合っているよ。
家族は認めなくてもね」と、在宅看護ボランティアのブシ・マグワジさんは
語る。

  アフリカでエイズがこれほどの猛威をふるっている原因のひとつは、エ
イズに関する「無知」だろう。調査によると、「エイズという性病があり、
不治の病である」という知識は少しずつ広がっているとされるが、それを自
分の身に当てはめて考える者はいない。エイズの話題がオープンに語られる
ことはなく、知識もあいまいなままで、危機感を抱くこともないのだ。アフ
リカの人々にとってエイズの恐怖は、貧困や飢餓、戦争、人種間の憎悪など、
ほかの差し迫った危機の陰に隠れてしまっている。
家族からも見放されて…

  自分がエイズ患者であることを認めれば、怪物扱いされることになる。
ラエティティア・ハンバラネさん(51、仮名)もその1人だ。兄弟にもエ
イズ症状を示している者がいるが、本人はそれを認めようとしない。その母
親も、「息子はただの結核」と言い張り、熱心に看病を続けている。一方、
ラエティティアさんは自がエイズにかかっていると認めた結果、まず家族か
ら、そして社会全体からも見放されてしまった。

  感染する前のラエティティアさんは、ダーバンで住みこみの使用人とし
て働き、収入はすべて母親に送金していた。その間、何人かの男性と恋をし
て、4人の子どもをもうけた。最後の男性と別れたのが1992年。「最後
の人を愛していた。それ以来、誰とも性交渉はない」という。だがラエティ
ティアさんはその時すでに、HIVに感染していた。

  1996年に発病し、送りこまれた病院で「エイズ」の宣告を受けた。
「その場で死んでしまいたかった」と、ラエティティアさんは語る。こけた
頬を涙が伝う。「薬はありますか、と医者に尋ねても、ないという。『私の
命を救ってくれないの』と問い詰めました」

  しかし医師にできることは何もなく、ラエティティアさんは家に帰され
た。「現実に直面できず、眠れない夜が続きました。ベッドの上に坐って、
考え、祈り続けました。昼も夜も誰にも会わずに、神様に『どうして』と問
いかけていました」

  雇い主は、診断を聞く前にラエティティアさんを解雇した。何週間かた
って、ラエティティアさんはついに勇気を奮い起こし、子どもたちと自分の
母親に病名を告げた。子どもたちは「恥ずかしい」「こわい」と反応した。
母親は「おまえが働けなければ生活に困る」と怒り狂い、ラエティティアさ
んを家から追い出そうとした。ラエティティアさんが出ていくことを拒否す
ると、今度はベニヤ板で仕切りを立て、窓のない暗い部屋にラエティティア
さんを閉じこめた。現在ラエティティアさんは、この部屋から裏道に通じる
ドアごしに、ビールやたばこ、キャンディーなどを売って、何とか自分と子
どもたちの食べる分を稼ぎ出している。

  一歩外に出れば、近所の人々から白い目で見られる。少年たちには財布
を取り上げられ、幼い子どもにも嘲笑される。ラエティティアさんの子ども
たちも「もううんざり」と、病む母に冷たい目を向ける。「私が起きられな
いでいる時に、食べ物も持ってきてくれません」と、ラエティティアさんは
悲しげに語る。地元の若者グループが部屋に乱入し、ラエティティアさんに
罵声を浴びせて殴りかかってきたこともある。警察に通報すると、若者たち
は「家に火をつけてやる」と捨てぜりふを残して去って行った。

  だが、ラエティティアさんにとって何よりもつらいのは、母親からの拒
絶だという。長い間、一言も口を聞いてくれない。「なぜ、私のために何も
してくれないのでしょう」――やせ細った体にかかるキルトのカバーを、指
先でせわしなくつまみながら、ラエティティアさんは涙を流す。「母はきっ
と、私をきちんと埋葬してくれることもない。子どもたちの面倒も見てくれ
ないでしょう」

  ボツワナのフランシスタウン。HIV感染率が世界で最も高いとされる
この町に、米国の援助で建てられた診療所がある。その場で簡単に血液検査
を受けることができるが、訪れる者は1人もない。年配のボランティア相談
員、ケネディ・フゲワネさんは、「結果を外に出すようなことはしないのに
」とため息をつく。「皆、この診療所に足を踏み込むことさえ恥だと感じる
のでしょう」――HIVは、性行為を通して感染する。性に関わることはす
べて私生活の内に留めておくのが、アフリカの文化だ。「もし男性がここへ
来れば、遊びまわっていると後ろ指を差される。女性が来れば、だらしがな
いと言われるでしょう。そしてHIV感染を告白した人には、軽蔑の目が向
けられるのです」

  プレトリア大学のクルー氏も、「エイズにかかった人は何か悪いことを
した、不道徳な人間というレッテルを貼られます」と指摘する。「私たちの
言語には、性に関することを率直に言い表す表現がない。私たちは、エイズ
をきちんと語るためのことばを持っていないのです」と、クルー氏は語る。

  フゲワネさんらはパンフレット作り、ワークショップの開催、コンドー
ムの無料配布などを通して、啓蒙活動に励んでいる。だが、命を救うことよ
りも体面を気にするかのような風潮に、悩まされることが多いという。「自
分がHIV陽性かどうかを教えてくれ、と言いに来る勇気さえないのだから、
この状況を何とかしようと考える人などいるはずもない。それもいつかは変
わることがあるのだろうか」と、フゲワネさんはため息をつく。

  死亡診断書の死因の欄には、「エイズ」の病名が記されることはない。
社会的な圧力と、法律上の制限があるためだ。南アフリカのモール医師も、
「いつも結核や髄膜炎、下痢と書く。エイズとは決して書きません」という。
「公的な文書ですから。また、遺族は外に知られることを極端にいやがりま
す」――数年前までは、医師がHIV検査の結果をカルテに書くことさえ禁
じられていたが、医療従事者の健康を保護するという目的で、検査結果の記
録は許されるようになった。モール医師らは、死亡診断書についても同様の
変化を求めて運動を続けている。

トラック運転手が語る性

  この地域には、国内外で出稼ぎをする男性が多い。そのため、人の移動
に伴ってHIVも広がりやすくなる。ボツワナのトラック運転手、ルイス・
チコカさん(39)の話を聞いてみよう。

  チコカさんは、土埃だらけの大型ディーゼル・トラックをふかして「ボ
ツワナの生命線」と呼ばれるハイウェイを走る。全長550キロ余りのハイ
ウェイ沿いには、ボツワナの人口150万人の大部分が集中している。かつ
ては、ダイヤモンド鉱脈を求める探鉱者たちがここを通った。今は南アフリ
カの製品を大陸中央部の市場へ運ぶルートとして、多くのトラックが往来す
る。そして、この道はまた、エイズのウィルスを運ぶ感染ルートともなって
いる。

  フランシスタウンの端にある休憩エリアにトラックを停めて、チコカさ
んはたばこに火をつけた。各国からのハイウェイが合流するフランシスタウ
ンでは、成人の少なくとも43%がHIV陽性とされる。チコカさんは、南
アフリカのダーバンから米を運ぶ途中だった。2週間前に出発し、目的地の
コンゴには翌週到着する予定だという。この仕事を始めて12年。結婚して、
3人の子どもがいる。

  休憩エリアを歩き回っている人影がある。女性たちが運転手を誘ってい
るのだと、チコカさんが説明する。トラックや藪の中で素早く済ませる「シ
ョート・サービス」は20ランド(約2ドル84セント)。だが、チコカさ
んたちの好みは「ショート・サービス」の女性よりも「ビジネス・ウーマン
」だという。果物やトイレットペーパー、玩具などの密輸を仕事にする女性
たちが、脇にダンボールを積んで坐っている。運んでほしい荷物を運転手に
頼み、報酬を「体で」支払うのだという。「病気の心配はないのか」と尋ね
ると、チコカさんは肩をすくめて答えた。「2週間も外に出ているからね。
俺も人間だし、男だ。セックスなしではやっていけない」

  チコカさんが一番気に入っているのは、「ドライ・セックス」だという。
サハラ砂漠以南の地域の風習で、女性が漂白剤や塩水に腰をつけたり、収斂
作用のある薬草やたばこの葉、肥料などを膣内に詰める。内側の筋肉組織が
腫れ上がり、分泌液が止まることから「ドライ」の名で呼ばれる。チコカさ
んによれば、1回の相場は50ランド(約6ドル46セント)から60ラン
ド(約7ドル75セント)。これだけあれば、子どもの学費を払ったり、1
週間食べていくこともできる。だが、女性にとって「ドライ・セックス」は
苦痛であるばかりでなく、大きな危険が伴う。摩擦によって傷がつきやすい
上、薬品が殺菌作用を抑制してしまうためだ。1回の性交渉でHIVに感染
する確率は、通常でも女性が男性の2倍にのぼるが、「ドライ・セックス」
ではその確率がさらに上昇する恐れがある。

  自分が売春婦と交渉を持つことによってHIVに感染し、妻にもうつし
てしまう可能性があることを、チコカさんは承知している。エイズにかかれ
ば死ぬということも、わかっているという。「確かにHIVは怖い。だけど、
セックスは自然なことだ。ビールやたばこと違って、やめることはできない。
それにいずれにしても、誰だって最後には死ぬんだから」

  チコカさんのような性生活を送っている男性は、他に何百万人もいる。
田舎に妻を残して、鉱山や街、道路工事へと出稼ぎに行く男たち。男性専用
の宿舎で暮らしても、売春婦と会うのは簡単だし、愛人を作る者も多い。そ
こでHIVや他の性病に感染し、自覚のないまま地元の妻や恋人に持ち帰る
ケースは跡を絶たない。その結果アフリカ南部では、農村部のHIV感染率
が都市部と肩を並べるまでになっている。

  こうした現象は貧しい庶民だけでなく、兵士や医師、警官、教師、公務
員などの間でも起きている。単身赴任先などでの婚外交渉が原因だ。

  農村部で教師をしているシャブシさんは、きょうも葬式に参列してきた。
この数カ月の間に、6人の同僚が亡くなったのだ。式の場で「エイズ」の言
葉は出なかった。だが、「このあたりの感染率はとても高い。学校が感染の
舞台になっている」と、シャブシさんは首を振る。アフリカ南部では、他の
職業と比べ、教師の感染率が群を抜いて高い。だが、感染の事実は最後まで
隠される。

  教師はほとんどが男性だ。村の男性は大半が出稼ぎに出ている。残され
た女性たちは、子どもの学費などを払うのにお金が必要だ。そこで売春が成
立する。あるいは、教師にひいきされたり、良い成績をつけてもらったりす
ることを目的に、女生徒たちが相手になるケースも多い。

売春と女性の地位

  ジンバブエ東部のブラワーヨで、タンディウェさん(仮名)という女性
に会った。近所の人の目を避け、仮名という条件付きで取材に応じてくれた。
ひざ下丈の緑色のワンピース姿からは、きちんとした女性という印象を受け
る。だが、タンディウェさんは、売春婦として街角に立つ。繁華街の大通り
には、他にもたくさんの女性が歩いているが、ミニスカート姿やヘソ出しル
ックは見かけない。ジンバブエは色々な面で「きちんとした」社会だ。性産
業には眉をひそめ、肌を露出するような服装を嫌う風潮がある。

  それでもタンディウェさんは、売春を辞めるつもりはない。1992年、
職を求めて南アフリカに不法入国したタンディウェさんは、ヨハネスブルク
のレストランで掃除婦の仕事に就いた。同郷でやはり不法入国者だったコッ
クと知り合い、結婚。2人の娘をもうけたが、夫は仕事先でおきた発砲事件
で死亡した。

  タンディウェさんは、夫の遺体と共に帰郷した。その後、夫側の親戚が
娘たちを引き取ると言い出し、タンディウェさんには遠方に住むおじとの結
婚を迫ったため、幼い娘たちを連れてそこを飛び出した。だが、母子3人が
食べていくにはお金がいる。困っていた矢先に昔の同級生に誘われ、売春の
世界に入った。「最初はおそるおそるだったけど、今では毎日街に出ている
わ」

  日が沈む頃、バッグにコンドームを何個かしのばせて、金持ちの客が集
まる大通りへと出かけて行く。家族には「遅番の仕事」とだけ話し、10時
には帰宅するようにしている。コンドームを使ってもらうことを条件にして
いるが、それに反発して殴ってくる客もいるという。1回の相場は200ジ
ンバブエ・ドル(約5ドル)。一晩に1000ジンバブエ・ドルから150
0ジンバブエ・ドルくらいは稼ぐ。貧民街の隣人たちにとっては、見たこと
もない大金だ。おかげで、夕食の肉から子ども用の暖かいパジャマ、テレビ
まで買うことができる。

  だが一方では、常に罪悪感を感じている。教会に通うこともやめてしま
ったという。「毎日考えています。いつこの商売をやめるのだろうと。そう、
他の仕事が見つかったら…」――タンディウェさんの声は、そこで消え入り
そうになる。「今は、他に手だてがないのです」。同業の友人が2人、エイ
ズで死にかけているという。「自分がかからないように、祈るしかありませ
ん」

  セックスをめぐる問題は、売春だけにとどまらない。娯楽として、ある
いは取り引きの手段として、結婚相手以外との性交渉が横行し、それがエイ
ズの蔓延をあおっている。ほとんどの男性は、HIV検査を受けようともし
ない。感染しているかもしれないと自覚した場合には、「もううつっている
のだから、誰と寝てもいい」という論理が成立してしまう。その結果、最初
にエイズを発病して死に至るのは、たいてい女性の方だ。だが、男性が圧倒
的優位に立つこの社会では、妻や恋人、売春婦といった女たちが、男性の求
めるセックスを拒否することは難しい。

  女は男に従うようにしつけられて育つ。特にセックスに関しては、男性
が絶対的な主導権を握る。自分の身を守るためにセックスを拒否したり、コ
ンドームの使用を求めたりすれば、暴力を受けることも珍しくない。

  ダーバンに住むある看護婦は、エイズについての研修を受け、宿題の演
習として、パートナーにコンドームを使うよう頼んでみた。それが相手を逆
上させた。男性は鍋をつかんでナイフで打ち鳴らし、隣人たちを家に招き入
れて、ナイフの先を彼女に向けながらこうわめいたという。「夕方から今ま
で、こいつはどこにいた。なぜ突然こんなことを言い出すんだ。これまで2
0年もつきあってきたが、今になってコンドームを使えとは一体どういうこ
とだ」

  このような状況では、エイズ予防のためにコンドームを無料配布しても、
実際に使われることは少ない。無料の製品は効果がないとか、中にばい菌が
詰まっているなどといった噂もある。さらには、エイズは外国製のコンドー
ムによってアフリカに持ちこまれたのだという説や、外国政府はアフリカ人
を殺すため、わざと穴を開けたコンドームを寄付しているとする説まで流れ
出す始末だ。こうした流言には、啓蒙活動もなかなか太刀打ちできない。
小児病棟、17番のベッドで

  南アフリカ共和国クワズール・ナタール州にあるスコットランド教会病
院。満員の小児病棟で、17番のベッドに横たわっているのは3歳の女の子
だ。やせ細った体に、皺だらけの皮膚が貼りついている。小枝のような骨は
体を支えることもできない。看護婦が、採血をしようと血管を探す。ようや
くこめかみに静脈を探り当て、針を刺す。女の子が、傷ついた動物のように
弱々しい声をあげる。見守る母親(25)の目から涙がこぼれる。

  結核、口腔カンジダ症、慢性の下痢、栄養失調、ひどい嘔吐などの症状
が出ていた。血液検査の結果、エイズであることが確認されたが、カルテに
は記入されない。母親は、「なぜこの子がこんな目に」と途方に暮れる。2
才までは母乳で育てた。離乳した時から、嘔吐が始まった。食べ物が悪いの
かと思っていたが、他にも様々な症状が現れ始めたため、病院に駆けつけた
という。

  この病院から退院できる子どもは、ほとんどいない。だが、母親は女の
子の回復を祈り、懸命に看病を続ける。おむつを取り替え、シーツを伸ばし、
力のない唇にスプーンで食べ物を運んだり、空ろな顔に何とか微笑みを浮か
べさせようとあやしてみたり……。父親はヨハネスブルクへ働きに出ていて、
年に2回しか帰って来ない。母親は、エイズという病気の話は聞いたことが
あるが、それが性交渉で感染することも、夫や自分がかかっているかどうか
も知らない。娘がもうすぐ死んでしまうのではとおびえ、「これ以上子ども
を産むのはこわい」と話す。だが、夫が賛成してくれる見込みは少ない。

  小児病棟に運び込まれる子どもたちは、ほとんどが1―2年のうちに死
んでいく。ベルギーから来ているボランティア医師(32)は、「集中的な
治療をすればもっと長く元気でいられるのに、ここでは最低限の処置しかで
きない。時間も予算も設備も足りない」と顔を曇らせる。

  南アフリカ共和国のエイズ対策の遅れについては、自らもHIV感染者
である同国のエドウィン・カメロン高等裁判所判事が、公の場で繰り返し訴
えてきた。母子感染を防ぐのに有効とされる抗HIV剤も、政府は「高くて
買えない」と拒否した。1回分の価格が300ランド(約4400円)する
AZTを28回分だけ処方する療法を、隣国ボツワナでは、海外から資金や
薬剤の援助を受けて、無料で提供している。かつてマンデラ元大統領の報道
官を務めた故パークス・マンカラナ氏は、母親が死にかけている子どもたち
を助けるのは「効率が悪い」とし、「孤児ばかりの世代などいらない」とま
で公言した。

  HIVの母子感染で死亡する子どもの数は、同国だけで年間7万人にの
ぼる。現在では、ネビラピンという抗HIV剤を使えば、1人当たり4ドル
で母子感染を防ぐことができるとされている。この薬を5年間無料で提供す
るという製薬会社の申し出に対しても、政府はつい最近まで「有害な副作用
があるかもしれない」との理由から、許可しない方針を貫いてきた。だが今
春からついに、同国の主要な公立病院にネビラピンが配布されることになっ
た。ただし、最初はごく限られた対象だけにしぼられる。

  17番ベッドの女の子の母親にとって、「副作用」など問題ではない。
娘を抱いて床に坐り、「よくなって、どうかよくなって」と耳元にささやき
続ける母親。まばたきもしなくなった女の子の目から、空ろな視線だけが返
される。母親は、こらえきれずに「悲しい、悲しい、とても悲しい」と繰り
返す。女の子は、その3日後に亡くなった。

  死んでいく子だけでなく、親を亡くして残される子どもたちの姿もまた
痛々しい。ツェフォ・ファレ君(17)は、フランシスタウン郊外の町で、
2人の弟たちの面倒をみながら暮らしている。父親の顔は見たことがない。
母親は2年前、エイズで亡くなった。残されたのは、コンクリートが剥き出
しとなった家の骨組みだけ。ドアも窓ガラスも、家具もない。少年たちは毛
布を重ねた上に眠り、数少ない衣服は釘にぶら下げている。台所らしきスペ
ースには、地面の上に石油バーナーが2つ。その脇に、1カ月分の食糧が置
いてある。キャベツ4個、オレンジ1袋、じゃがいも1袋、小麦粉3袋、イ
ーストが少し、油2本に牛乳が2本。汚れた鍋を積み重ねた隣には、主食の
米と粉。石鹸2個とトイレットペーパ2個も、今月分の配給だ。毎月配られ
る「孤児救済」の物資を、社会福祉センターで受け取ってきたばかりだとい
う。

  物心ついた時から、生活は苦しかった。母親は細々と商売をしていたが、
収入はわずかばかり。真ん中の弟が交通事故で障害者となって保険金が下り
た時、母親はその金を使って子どもたちに家を残してやりたいと考えた。家
が完成に近づくにつれて、母親の病状は重くなった。ツェフォ君が母親を看
病し、入浴させ、食事の世話をした。母親は、親類がこの家を取り上げてし
まわないよう、遺言状を残して死んでいった。

  親類は母親の遺体の前に集まって、家を売って遺産を山分けにする相談
を始めた。ツェフォ君は遺言状を地元の行政官に提出して、家を守った。怒
った親類たちは、「一人前の口をきくなら、弟たちの面倒は一切自分で見ろ
」と去って行った。以来、親類からの援助は一切ない。ツェフォ君は料理や
掃除、洗濯、買い物まで、すべてを1人でこなす。

  「お先は真っ暗だ」――剥き出しの壁を蹴りながら、ツェフォ君は言う。
学校には行けなくなったし、仕事もない。このさき仕事に就ける見通しもな
い。「夢はみんな諦めた。希望なんてない」

  親を亡くした子どもたちは、親類が引き取るのが昔からの習わしだった。
だが、町に孤児があふれるようになり、子どもを引き取る余裕のない家庭も
多いことから、ツェフォ君のようなケースが急増している。

  放り出された子どもたちは、自力で生きていくしかない。親を失った悲
しみに加えて、生活の重みが小さな肩にのしかかる。栄養失調を起こしたり、
精神的に参ってしまったりする子どももいる。親類や隣人を頼るか、政府か
らの配給を受けるか、あるいは物乞いや盗みをしてしのぐか。教育を受ける
こともできないまま成長し、やがて少女たちは売春へ、少年たちは出稼ぎへ
と流れていく。

  アフリカ南部を覆う惨状には、希望の光が見当たらない。感染率は上昇
の一途をたどり、エイズをタブー視する風潮は高まるばかりで、それが患者
の死期を早めている。人々の知識と行動を隔てるギャップも、広がる一方だ。
このままでは地域の人口が激減し、経済や市民社会の破たんを招いて、暴動
などにつながる恐れさえある。 各地では、善意の人々が地道な活動を続け
ている。南アフリカ・クワズール・ナタール州のモール医師は、仕事の後の
時間を利用し、自ら資金を集めて、ボランティアによる在宅看護プログラム
を主宰している。ダーバンのブシ・マグワジさんのように、無償で看護を引
き受ける人たちもいる。ボツワナのフランシスタウンでも、ツェフォ君のよ
うな孤児を救済するプログラムが始まっている。

  だが、こうした活動で救えるのはせいぜい数千人。大きな流れを変える
ことはできない。治療法がないから、感染者は発病して死を迎えるしかない。
予防ができないから、感染の広がりを抑えることもできない。悪循環を断ち
切る道は、個人個人の性行動を変えさせるしかないように思われるが、それ
も実現しそうにない。

  ここで決定的に欠けているのは、政治的なリーダーシップだ。当事国も
先進国も、今までこの問題でリーダーシップを発揮しようとはしてこなかっ
た。地域の中で比較的経済力や教育水準が高いのは南アフリカ共和国だが、
同国の政府は何年間にもわたり大失態を演じてきた。エイズが蔓延し始めた
時期は、ちょうどアパルトヘイトの廃止と重なった。政府が移行に伴う膨大
な作業に取り組む間、エイズの問題は脇へ追いやられていた。その後、全国
的な啓蒙キャンペーンを展開したが失敗に終わり、「特効薬開発」のニュー
スに沸いたのもつかの間、その薬は実は産業用の溶剤でできていたことが判
明した。政府はすっかり懲りてやる気をなくし、1998年には母子感染防
止のためのAZT投与プログラムをはねつけるに至った。隣国ジンバブエも
また、無責任な指導者に悩まされてきた。対策への機運が高まっているボツ
ワナでも、外国からの援助でようやく見通しを立てている状態だ。

  エイズという手ごわい敵に立ち向かうためには、各国が力を合わせなけ
ればならない。当事国の経済力では、有効な薬も使うことができない。大手
製薬会社は、これらの国に治療薬を安く提供する方法を探るべきだ。また、
複雑な多剤併用(カクテル)療法を施すためには、薬の処方や病状の経過を
チェックするシステムが必要だ。そのための費用も、富裕な先進国が負担し
なければならないだろう。ワクチン開発の研究費や、開発された場合の貧困
層への配布についても、同じことが言える。これは、国際社会全体で取り組
むべき問題なのだ。

  先進諸国には、アフリカの指導者や社会が問題を否定しようとする「沈
黙」の壁を打ち破ることはできない。当事国政府の腐敗や無能ぶりにも、打
つ手はない。だが、貧困という問題を解決することは可能だ。アフリカのエ
イズを撲滅するには、豊かな国が熱意と経済力をもって手を貸すことが必要
なのだ。


……以上……
REV: 20160125
HIV/AIDS  ◇全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)