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「結論と今後の課題」

中根 成寿 20010131 「『障害がある子の親』の自己変容作業――ダウン症の子をもつ親からのナラティブ・データから」,立命館大学大学院社会学研究科,修士論文

last update:20130719


結論と今後の課題


 本稿の目的は「障害がある子の親」はどのような存在であるか探ることであった。障害がある子どもとは独立した存在として親を捉えることは、言葉で表現するほど簡単なものではない。それほど、親と子は愛情という規範や社会制度により結びつけられている。子どもに障害があればなおさらである。だからこそ、障害がある子の親たちが子どもの障害をどのように理解していくかを見ることは、障害理解の手がかりになると判断したためである。
 はじめに挙げた問題意識で親は保護者であり、世間の代表であり、差別者でありつつも子どもの理解者として代弁者となりうるという仮説を提示した。データで見た上での総括を行う。第3章の最後で見たように、障害がある子の親はいったん、「障害児の親」の役割である保護者であり愛情を持って世間の価値から子どもを守るという作業を行っていた。佐賀さんの「子どもに届こうとする行為」や明石さんの「こんな子にならないでほしい」や「私しかいないと思う責任」というラベルに象徴されるような、子どもに近づいて子どもを守ろうとする作業や差別者としての思いは確かに存在していた。しかし、親たちはいつまでもこの作業を継続していては子どもにとって「善意の差別者」になる可能性を秘めている。
 だが、本稿のデータで見た親たちは、世間の代表として子どもに「障害児役割」を与え続けてはいなかった。たとえば、明石さんの普通学級入学という試みや、宮本さんの「子どもとの距離の模索」が挙げられる。3人の親たちは子どもの生活年齢により直面する課題は違うとはいえ、障害がある子の親として子どもと切り離して捉えることで、仮説の「保護者・世間の代表・差別者」という見方が同化作業を示すものであり、「理解者・代弁者」が異化作業を示すものであることが確認できた。もちろん、個別に起こりうる様々な感情はさまざまであるが、親たちの個別の感情への対処や子どもとの距離の取り方は子どもや自分を理解しようとする試みの実践でもあった。
 障害に対する理解が日常のレベルでも大きく変容していく昨今、親が子の障害をどう理解するかを見ることで、「障害がある他者」をどう理解していくかという大きなテーマの一端を担うことができたのではないかと思う。日常の生活の中に医療や心理学が突出してくる場面が多くなっている社会だからこそ、関係性の中で他者を理解しなおす試みがより重要になってくる。
 障害に関する問題は、障害がある人とそうでない人との関係性の問題であるとするならば、障害による機能的な制限だけが問題にされるだけではなく、相互がどのように理解しあうかがより重要な問題となる。その理解を見るには、一番近い距離を期待される障害がある人とそうでない人、すなわち親と子の関係を見ることが必要であると筆者は判断した。しかし、障害がある人の親たちを個別に捉えた研究は少ないことが日本に限っては明らかとなった。これは「障害に関する問題」を関係の問題として捉える障害学的な理解が日本に育っていなかったことを証明している。個別的なアプローチから相互作用的なアプローチへの明確なパラダイム転換は、障害がある人とそうでない人の関係や距離を射程に入れていくはずである。
 本稿が限りなくデータに密着して個別性を重視して論じたのは、本稿が「親と子の距離」を問題にしてきたからだった。子どもの年齢や親の自己変容の段階により、親と子の距離はそれぞれによって違う。それにも関わらず、そのことが「障害児の親」という濃密な親子関係を求められた存在を見るときにはすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
 個別の「障害児の親」という対象を扱おうとした要田洋江が親を表現した感覚を筆者が持てなかったのは、要田が「障害を持った子の親」を「障害児の親」という被差別性を押し出した立場として扱おうとした点にある。被差別者は存在証明に縛り付けられる。だから被差別者を存在証明から解放しよう、ということが要田の主張であった。だが被差別性からの解放だけでは、「障害理解」の射程にはとどかない。要田の「障害児」と「障害児の親」という捉え方では、親が子をどう理解しているか、また親が子から離れていく過程を表現しきれていなかった。
 また自立生活運動では一方的に悪者とされ、詳しく描かれなかった「障害がある子の親」を表現することも本稿の目的となっていた。自立生活運動が「障害がある子」からの半ば一方的な親離れの宣言であったのに対し、本稿は「障害がある子の親」の必死の子離れの模索ににじり寄ったといえる。「障害がある」ことで「できないことが多い」子どもの存在は、親心として手を貸したい、愛情を持って接したいと思う気持ちがより多くなるだろう。そんな「障害児の親」たちの親心に、自立生活運動に参加した人々は反発した。親は「最大の敵」とまで言われた。しかし、無条件に愛情を注ぐことに疑問を感じる親たちの存在は自立生活運動やこれまでの障害に関する研究ではほとんど省みられてこなかった。「障害児の親」の差別性や悲劇性のみを大きく取り上げ、日常のレベルで親が子どもをどう理解するか、親自身が他者にどう自己提示していくかは、あまり言葉が尽くされてこなかった。石川准が「これまでの障害者運動は親たちを過小評価しすぎてきたのではあるまいか1)」という指摘に筆者も賛同する。
 石川の言う親たちの「アイデンティティ問題」を「生きる様式」へと昇華させる試みは、「障害児の親」という同化の圧力にさらされながら、「障害がある子の親」として自らを異化していき、最後に「障害がある子の親」というアイデンティティそのものを脱構築することと言いかえることができる。
 同化の圧力とは、障害に関する問題が福祉制度の貧しさとの関わりでしか論じられなかったり、障害に対してネガティブな感情を向けられたときに起こる現象である。福祉制度の貧しさの指摘、親の子への献身的な保護への圧力を強める。また障害に対するネガティブな感情は、親と子を被害者へとおとしめる。
 しかし実際の親たちは同化の圧力の中で、それをかわして「障害児の親」役割を拒否し、異なる自己へとみずからを変容していこうとする。変容作業の中で新しい親と子の関係を身につけることができる親がいるならば、その親はより自分に立脚した「障害理解者」となる。おそらく当事者よりも客観的に障害を理解している人となるだろう。
 問題は、社会が親たちからなにを学べるかである。本稿で繰り返し述べてきたように、障害の理解の方法が医学的な理解から社会的な理解へと確実に変化しつつある。これは障害に対して「治して本人ができるようにする」対処法から「本人ができないことをおぎなう」という具体的な方策の転換へとつながる。では、誰が補うのか。
 これまでは「とりあえず」親や家族が補ってきた2)。「障害児の親」が「障害児」と強く結びつけられてこられた理由もここにある。障害が個人的な疾患と考えられていれば、それを援助する根拠は愛情による親、とりわけ母親の援助にしか期待できない。しかし自立生活運動に参加した障害がある人たち本人は、愛情と父権的温情主義に基づく純化された親子関係を拒否し、家を出た。そして残された親たちは、これまでの研究では描かれてこなかった。
 本稿で見た親たちは、「障害児の親」に求められる強い愛情をいったん持ちつつも、だんだんとそれから距離をとっていく作業を行っていた。3人のうちで子どもの年齢が最も高い宮本さんは親子の精神的距離がやがて物理的な距離に変化しようとする段階にある。物理的な分離が可能になった段階で、宮本さんの長男を支えるのは、親である彼女ではない。おそらくデータで見たように、彼女と長男を支えてきた人々たちがまた長男の生を支えていくことになるだろう。親でも専門家でもない人々が彼を支えていくことになる。
 この時必要なのは、社会がその選択を認めることである。認めた上で、具体的な援助の方策を見つけていくことになる。この具体的な方策はすでに先駆者がいる。家族を拒否し、施設を拒否した自立生活運動を行った彼らの「生きる方法」の蓄積からヒントを得て具体的な援助の方法を探していけばよい。知的な障害がある人の当事者組織「ピープルファースト」もそういった試みを進めている。だが具体的な方策の前に必要なのは、望んで分離した「障害がある人」と「障害がある子の親」の選択を、社会が認めることである。当然のこととすることである。当然のこととすれば、具体的な援助の方法は後からついてくる。
 現在の日本社会において、まだこの段階は終了していないと思われる。社会は新たな「生きる様式」を身につけた親たちの作業をなぞる必要がある。「障害がある子の親」たちが行う他者理解を行い、まず生きる様式を認めることである。障害がある人を理解し、存在を認めあうこと、または親と子にも距離があることをふまえずに制度を論じてしまうと、どこかで本人だけで完結した能力主義や資本の効率主義といった身も蓋もない議論に回収されてしまうことになる3)。
 制度的な問題や家族政策へのアプローチは、本稿では触れることができなかったが、今後は障害学の観点から制度や政策面からのアプローチも行っていきたい。海外ではかなりの蓄積がある障害学理論は、制度や政策面への応用も利くはずである。同時に、障害がある人自身の学問である障害学に、とりあえず障害がない筆者自身がどうつきあっていくか、障害学の「当事者優先主義」に対してどうつきあっていくかが大きな課題となる。M.オリバーの社会モデル理論が、「障害」の社会モデル化を言いつつも、個別に存在するインペアメントの体験を重視するという宣言への違和感が今の段階ではぬぐい去れない。今後の課題として、障害学という学問への取り組みは継続していきたいと思う。
 障害学は海外での自立生活運動と関わって成立してきた経緯を持つ。この点からしても障害学への理解は、障害がある子と親の関係を日本との比較で見ることにもつながる。特に家族という関係がもつ規範が違うこと、福祉の制度が違うという意味で北欧の事例との比較を今後の課題としたい。
 次の課題は、本稿で質的調査に用いたグランディッドセオリーへの理解と実践である。障害に関する研究を相互作用的な理解の中で進めていくためには、グランディッドセオリーのような、個別的なアプローチを重視する手法が欠かせない。それに、グランディッドセオリーは、これまで経験と職人技の産物とされてきた質的調査に一つの方向性を示すものである。
 たとえば、本稿で調査対象とした宮本さんは、子どもの成人と共に親と子が別々に生活することを目指し現在準備段階にある。その実践において親と子の関係がさらにどのように変化するか、また現実に生じる問題とは何かを、フィールドワークし、その結果をグランディッドセオリーで分析することは、本稿をより補足するためにも必要な作業である。
 最後に残された大きな課題は、本稿で見たような親と子の関係の変容をより大きな視点でとらえることである。親と子がほどよい距離を見つけていき、福祉的な援助の担い手が家族の内部から外にでていくという流れの中での親と子の関係の捉え方がより重要となる。程良く距離のある親と子の関係の再構築は、近い距離を期待される関係においての互いの理解にもつながっていくはずである。児童虐待や夫婦間暴力等の問題はより近いことを期待される関係で起こるからこそ、問題視される。「障害児の親」というラベルもその近さへの期待から構築される言説であった。しかし、本稿が発見したのは障害がある子どもと距離をとる「障害がある子の親」であった。
 もちろん、家族という情緒的な空間を問題にする以上、愛情や感情への視点も必要となる。親と子の距離をとる、という試みは一言で言い切れるほど簡単なものではなく、相対化することは一筋縄ではいかない。本稿で見たように親の必死の努力により、少しずつ進むプロセスである。親や子どもの個別の感情を尊重しつつ、また少しずつそれを相対化していく感情社会学的な手法も必要となってくる。
 距離をとりつつも他者を理解していく試みは、親が子どもや子どもの障害をむかえいれるということの他に、成人した子どもが親の老いやそれにともなう身体的機能の低下や「ぼけ」をむかえいれることへの理解にもつながっていく。むかえいれる、とは単純に「受容する」こととは異なる。近づくことが「受容」ならば、むかえいれることは「距離をとり遠ざかること」を含んでいる。近づくことだけではつらくなることもある。ほどよく距離をとることができる環境があれば、相手に対する援助の方法も変わっていくはずである。「障害児の親」という密着を求められた関係から、「障害がある子の親」へという変容は、単なるレトリックではない。自己に語って聴かせるストーリーや、他者への認識、または他者への援助の方法までも変える、大きな変容である。本稿でのデータが示すものは、その変容の難しさと、その方法である。

1) 石川准、「障害児の親と新しい『親性』の誕生」、井上真理子・大村英昭編、1995、『ファミリズムの再発見』世界思想社、p56. 2) 障害とかかわる人、具体的には援助する人が親や家族であることに根拠がないことは以下の人々が指摘している。立岩真也「私が決め、社会が支える、のを当事者が支える−介護システム論−」、安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也、1995、『生の技法−家を出て施設を出て暮らす障害者の社会学増補・改訂版』、藤原書店、p231.または立岩「遠離・遭遇−介助について−」、立岩、2000、『弱くある自由へ』、青土社、p221. 3) これらの実に正直な考え方には、個別に反論することができる。障害学の主張もこうしたあり方を批判するところから始まっている。立岩真也、1997、『私的所有論』、勁草書房はこうした反論を行っている。



*更新:小川 浩史
REV: 20091016, 20130719
ダウン症 Down's Syndrome  ◇全文掲載
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