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「第1章 「障害児の親」という対象把握の諸相」

中根 成寿 20010131 「『障害がある子の親』の自己変容作業――ダウン症の子をもつ親からのナラティブ・データから」,立命館大学大学院社会学研究科,修士論文

last update:20130718


 第1章 「障害児の親」という対象把握の諸相

   第1節 医療モデルにおける「障害観」と「障害児の親」という存在
      第1項 リハビリテーションにおける障害観
      第2項 精神医学が語る「障害児の親」の存在
   第2節 療育活動における「障害観」と「障害児の親」の役割
      第1項 療育活動における障害観
      第2項 療育活動における親の役割設定について
   第3節 自立生活運動における障害児者と親のおかれた位置
      第1項 自立生活運動における障害観
      第2項 自立生活運動における親の位置
   第4節 「障害児の親」という対象把握へ



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第1節 医療モデルにおける「障害観」と「障害児の親」という存在

第1項 リハビリテーションにおける障害観

 近代医学における最重要の目的は「疾患を治療する」ことである。医学は疾患の原因を明らかにしその疾患を治療することで発展してきた。そして治らない疾患に対してはそれを軽減する方向で対処をしてきた。石川憲彦は障害と医療の関係を「直す側と直される側の力関係以上に、直すことと直ることの間に存在している1」」と指摘している。また石川は障害がある側からの「障害は病気ではない」という指摘に対して、その指摘の正しさを認めた上で「しかし病気と『障害』との差異を強調するだけでは不充分である。それはたちまち『障害』だけを孤立させることになる2」」と述べ、従来の医療と障害の関係性の非平等性を批判する。これは医療的なアプローチの必要性を述べた上で、障害と医療が対立することの無意味さを指摘していることになる。
 その上で医療モデルは治らない障害に対しては、障害による機能的な制限を緩和するために、「リハビリテーション」という対処方法を採ることになる。上田敏は「すべての疾患が障害を起こすのではない」とした上で、障害を「疾患によって起こった生活上の困難・不自由・不利益3)」と定義している。そして客観的な障害としての3つのレベルを設定している。すなわちimpairment(機能・形態障害)、disability(能力障害)、handicap(社会的不利)である。上田はこのうちで、handicapを最も重要なものとして位置づけている。これは能力障害から生じる社会的不利こそが人間の生活の質(quality of life)をもっとも脅かすと認識しているためである4)。
 上田は「障害によって生じた社会的不利(handicap)の回復」を「リハビリテーション rehabilitation」と定義している。1965年の厚生白書によるリハビリテーションの定義は「心身に障害のある者が社会人としての生活ができるようにすることである。実際には、心身に障害のある人の社会復帰−職場への復帰、あるいは、学校への復帰−を促進することにより、身体的、精神的、社会的、職業的にその能力を最大限に発揮させ、最も充実した生活ができるようにする事を目的としている(厚生白書昭和40年度版(1965))」。さらに1981年の厚生白書では「リハビリテーションとは障害者が一人の人間として、その障害にもかかわらず人間らしく生きることができるようにするための技術及び社会、政策的対応の総合的体系であり、単に運動障害の機能回復訓練の分野だけをいうわけではない(厚生白書昭和56年度版(1981))」と定義している。この変化は、リハビリテーションと社会復帰という能力のみに限定した見方から、人格的な回復への流れを示している。
 また上田は障害がある人の問題は、「玉ねぎの皮のような5)」というたとえをしている。これは障害がある人の社会的不利はたんなる身体的精神的機能の異常からだけもたらされるものではなく、仮に障害が直ったとしてもそれらの問題が完全に消え去ることはないとしている。その上で、リハビリテーションを「全人格的復権」と位置づけ、リハビリテーションの理念を主張する。
 介護保険に関連した専門職養成のテキストにも「地域リハビリテーション」という言葉が多く見られる6)。これはリハビリテーションが医学的な固有機能の回復から、社会的な総合的行動能力回復へと移り変わっていることを示している。
 この点から見ても、上田のリハビリテーション理論は機能回復を訴えるだけでなく、常に社会と個人の関係を意識している点において評価することができる。同時に上田はリハビリテーションへの批判も自ら行っている。「リハビリテーションが障害者の『自立』を強調するのはよいが、それを唯一の価値あるいは目標とするあまり、実際上自立が不可能な重度の障害者にまで自立を強要し、その結果自立のできないものは『脱落者』として正当な生活保障まで切り捨てることに力を貸してきたのではないか、すなわち、『自立』の美名のもとに、障害者の真の福祉に逆行するような方向に協力してきたのではないか7)」と自己批判する。治らないものを無理やり直そう、あるべき姿に近づけようとするのには批判が向けられるべきである。さらに医学という立場上、障害に対して回復や治療という方向に目線が向かいがちであることを自覚しつつ、障害の受容にも明確な定義を与えている。彼によると障害の受容とは「あきらめ」や「居直り」とは明らかに異なるものであるとされる。「あきらめ」や「居直り」は現状の是認であるだけであり、なんら積極的な受容ではない。上田の定義によると「障害の受容とはあきらめでも居直りでもなく、障害に対する価値観(感)の転換であり、障害をもつことが自己の全体として人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得をつうじて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずることである8)」としている。
 上田の自己批判をみてもわかるとおり、リハビリテーションは個人への個別的アプローチを基礎としている。杉野昭博は個別的アプローチ型リハビリテーションに対して「個別的経験としての『障害impairment』を重視しすぎること」という批判を行っている。そして医学リハビリテーションも地域リハビリテーションも「折衷モデル」としていくつかあるリハビリテーション理論の一つにすぎないと指摘する。さらに、「『障害者集団』による障害問題の政治解決を正面からとらえたリハビリテーション理論は存在しない」と言い切っている9)。これは障害を肯定的にとらえるリハビリテーション理論は存在しないと言いかえることもできる。
 また杉野は「リハビリテーションの守備範囲を、本来は医療モデルが通用しないはずの病院外の領域へと拡張しながら、理論的には医療モデルのパラダイムをそのままひきずっていくという矛盾を今日のリハビリテーション学は犯している10)」と批判している。障害がある人々が医学的価値を含んだリハビリテーションをどのようにとらえてきたかは「障害者に関する世界行動計画(1982)」の中に見ることができる。
 リハビリテーションとは、損傷した者が精神的、身体的及びまたは社会的に最も適した機能水準を達成することを目的とした、目標志向的かつ時間を限定したプロセスであり、これにより、各個人に対し、自らの人生を変革する手段を提供することを意味する。これには、機能の喪失あるいは機能の制約を補う(たとえば補助具により)ことを目的とした施策、及び社会的適応あるいは再適応を促進するための施策を含みうる。(障害者に関する世界行動計画1982)、(傍点は引用者による)
 これはリハビリテーションを制限することの宣言である。また「自らの人生を変革する手段」という言葉に見られるように、リハビリテーションはあくまで手段にすぎないと明確に限定している。

第2項 精神医学が語る「障害児の親」の存在

 前節では医療モデル、とくにリハビリテーションにみる障害の捉え方を見てきた。こうした「障害観」で「障害児の親」を見るとどうなるか。そもそも医療モデルは固有な存在としての「障害児の親」に対しての分析を行ってきたのであろうか。個人の疾患を対象とする医療は、「障害児の親」にまでの視野を持っていないのではないかと筆者は考える。唯一「障害児の親」を対象に据えた医療的なアプローチは精神医学である。そこで対象となる「障害児の親」は悲劇に苦しむ存在としてとらえられている。
 久保紘章によれば心身に障害がある子どもを持つ家族に対して精神医学者が注目し研究するようになったのは、1970年代以降のことであるとされる11)。そして久保は障害児は家族に「身体的影響」、「心理的影響」、「社会的対人的影響」、「経済的影響」を与えるとしている。以上の影響は全てマイナス要因である。しかし、障害児は家族にマイナスの影響ばかり与えるものではないと言うことも久保は指摘しており「今後重要視すべき課題」としている12)。また渡辺久子は障害児を持った家族が達成する「悲哀の仕事」について考察している13)。
 確かに障害がある子どもは親に大きな影響を与える。とりわけ親にとってその子どもが初めての子どもだった場合、そのショックはそうでない場合に比べて大きいと渡辺は述べている。その上で精神医学の果たす役割を渡辺は次のように述べている。「期待していた健康な子どもを失うという対象喪失と、多大な労力と時間がかかる障害を持つ子どもの養育の二つを同時に引き受けることは、それ自体が深い持続的な努力を要する人間的な営為である。障害を持つ子どもの家族の遭遇する深い苦悩に対し、適切な人間的理解と援助をさしのべるための研究と実践は、家族精神医学の一つの大切な分野であると考えられる14)」。
 精神科医が行う親への援助に「障害は治療すべきもの、異常なもの」という価値観が含まれていては、いつまでも親は「慢性的な悲哀(chronic sorrow)15)」から抜け出すことは困難である。数的なデータによって家族から医療への不満を提出することができる。現状では病院で出産する人が9割以上である。そしてその中で出産、診断、告知の過程で「病院の対応に不満がある」と答えた人の割合は65%を数えた。一番多いのが配慮不足、ついで説明不足、差別的態度、知識がないとなっている16)。
 現在の医療では、全人格的な対処というのがなされていない可能性が強い。もちろん科学的な見地から障害を判断し、生命の危険を避けることができるのは医療だけである。しかし、その価値観が親や社会を支配していくことは批判されるべきである。
 医療は「障害」を異常、治すべきものとして扱ってきた。医療は「健康」とはなにかや「障害」とはなにかを科学的にを決定する力を持っている。だが医療は人の「幸・不幸」まで決める力は持ってはいない。人の幸不幸とはあくまで主観的なものであるし、少数であることは不幸であることと直接的にはつながらない。医療はこれまで、障害を個人の悲劇や不幸として見てきた。それと同時に、障害がある子の親にも無条件に同じ視線を向けてきたのではないか。それは親個人の価値観を無視し、「障害児の親」という悲劇的な立場だけを作り上げる結果となる。



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第2節 療育活動モデルにみる「障害観」と「障害児の親」の役割


第1項 療育活動モデルから見る障害観

 発達いう概念は障害児もそうでない子どもも分け隔てなく、子どもの成長過程に欠かせないものである。その中で特に障害がある子どもに対するものは、療育と呼ばれている。療育の定義は高松鶴吉によれば「心身に障害のある児童に対して可能な限りの回復と発達の促進を図る、組織化された総合努力17)」とされている。医療が治療しきれない「障害」に対して、治療と教育を行うという捉え方である。
 田中昌人に代表される発達心理学は、科学的認識により障害を発見し「普遍的共通性をふまえた緻密で科学的な障害者教育18)」を目的としている。その根底に流れる発達保障という理念により「障害者の権利を守り、その発達を正しく保障するために、理論と実践を統一的にとらえた自主的・民主的研究運動を発展させる19)」必要があることを田中は述べている。
 しかしこの発達という概念をめぐっては多くの批判もなされている。「反発達論」や「障害者不在論」がその代表としてあげられる。山下恒男は「ほとんど発達が期待されない重度の障害者にとっては発達は抑圧的な概念にならざるをえない。発達する存在だけが価値ある存在であるとするならば、その可能性のない者は、存在の価値がないということになる。20)」と発達概念の抑圧の可能性について批判している。また山下は発達とは「労働」と「資本活動」という価値と分かちがたく結びついているとし、「社会にとって有用でないものが、個人的、心理的なものとして個人の責任を追及される」ということの意味について次のように述べている。「『原因』が社会的なものであれ、個人的(?)なものであれ、個人の障害を問題にした瞬間から、<社会>との関係が切断され、個対個の問題と見なされてしまう」と発達という概念の抑圧性を指摘する。
 浜田寿美男は発達心理学が謳う「客観性」を疑問視している。浜田は、現在の心理学が「客観性」を重んじるあまり、「主体」と「客体」の関係性を無視していること21)、また「客観性」自身の妥当性についても問題にしていないことを指摘している22)。さらに彼は発達心理学という学問自体が生身の人間の生活との、なんとしても埋めることのできないずれがあるという、発達心理学自体の限界を述べている23)。
 障害に対する理解が、医療モデルから社会モデルへの移行の中で主張されたのは、障害を個人の欠損とする見方から、環境と相互作用的な構築物であるという見方への転換である。個人の機能障害を基点とする発達心理学は、個人への科学的な視線の注目故に、社会モデルよりは医学モデルへの距離が近くなる24)。もちろん個人への科学的まなざしは、障害による機能的制限の緩和に有効である。しかし特殊化、隔離施設化がもたらす負の効果に関する批判もまた存在する。社会学、とりわけE.ゴフマンの業績を紐解くまでもなく科学による人間の振り分け、特殊収容施設にへの収容よって起こる負のアイデンティティ形成等、社会的に構築されるスティグマへの関心を個別的なアプローチの医療モデルから感じることは少ない25)。

第2項 療育活動にみる親の役割設定について

 療育における親の存在を療育活動モデルはどのように位置づけてきたのであろうか。高松によれば療育活動においての専門家達の親への基本的姿勢として、@共感、A支援、B解放、C技術が挙げられている。
 療育者による家族へのケアも重要な療育活動の一部としてとらえられているようである。「子どもが障害児だと告知された家庭には、異常な混乱が起こることは避けられません。家族は衝撃・否認から絶望・混乱を経て、やがて障害を受容し、新しい価値観・生活設計へと向かうと言われます。可能な限りストレスを和らげ、その過程を支えていくことは大切な療育活動と考えます26)」。
 告知の段階において家族の近くにいるのは、医学従事者である。そしてその後、生活をはじめていく段階で家族と子どもの近くにいる可能性が高いのは療育者である。上記にある「障害の受容」と「新しい価値観」を得るためには療育者の果たす役割は重要な位置を占めると思われる。いわば、親の「障害」への距離を決定する要因となっているとも言える。親の会でのアンケート調査でも、「子どもの障害があるとわかったショックから立ち直るきっかけになったものは」の質問の回答の3番目に挙げられている(障害を持つ子のお母さん35%、家族が17%、療育機関((カウンセラー、医師を含む))13%)27)。生死の危険がなくなり、医療の手から離れた親と子が次に向かうのは療育機関である。そこで受け取る「障害」に対する価値は混乱期にある親と子に多大な影響を与えることになる。療育を健常児を理想においた発達に位置づけるのか、それともその子のよりよい生のための援助と捉えるのかで、親の障害に向かう態度も変化することになる。アンケート調査によると療育機関で受けたマイナスイメージとして「あまり期待しないようにとマイナスイメージのカウンセリング」「早期療育にいくらがんばっても知恵遅れは直らない。足し算はとうていできない。」という言葉を受けたことが挙げられている28)。
 発達心理学という科学的な認識に基づいた療育活動において、親は子どもの第一の援助者として位置づけられる。「発達保障」という言葉には、山下が指摘したような「抑圧的」な力に転化する可能性も含まれている。親もまたその抑圧の対象となりうる。子どもの発達を促すための療育活動には親の積極的な手助けが必要とされている。そのために親はより「親としての役割」を求められる場合もある。親自身が「子どものために」がんばりすぎると子どもにも親にも発達は抑圧的なものとして働く可能性があることも指摘できる。



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第3節 自立生活運動に見る障害観と親のおかれた位置


第1項 自立生活運動における障害観

 「障害者の自立」という言葉がある。自立生活ということは、従来福祉の対象であり日常的に援助を必要としていた人々が、それぞれの家庭や施設を出て地域で暮らすということを意味する29)。障害者と呼ばれる人たちは長い間、親と同居する家庭や施設での生活を余儀なくされてきた。その状況を拒否した人々が自らの「自立」を求めることを当然の権利として自立生活を模索してきた。「障害者」であるだけで自らの生活や生きる様式を他人に管理され規定されることは納得できないと言った人々の活動である。
 運動の発端となったのは、1970年頃から始まった日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」による社会運動である。彼らの主張の出発点は1970年の5月29日に横浜市で起こったある子殺しの事件である。2歳の脳性マヒの女の子を母親が殺害するという事件に、母親の嘆願運動が併発して起こった。この嘆願運動は同じ障害がある子を持つ親、市民を巻き込んで行われた。こうした動き自体は初めてのことではなかった30)。しかし「青い芝の会」の人々はこの運動が社会に訴えるメッセージに対して抗議したのである。この嘆願運動には「施設の不足がこのような事件を起こす」というような主張もあり国家の責任を追及する声も挙がっていたが、青い芝はその主張が覆い隠してしまう隠されたメッセージに対して敏感であった。運動の中心であった青い芝の会の中心人物である横塚晃一は以下のように述べている。
 …マスコミキャンペーン、それに追随する障害者をもつ親兄弟の動き、そしてまたこれらに雷同する形で現れる無責任な同情論はこの種の事件が起きるたびに繰り返されてきたものであるが、これらは全て殺した親の側に立つものであり、「悲劇」という場合も殺した親、すなわち「健全者」にとっての悲劇なのであって、この場合一番大切なはずの本人(障害者)の存在はすっぽり抜け落ちているのである。31)
 横塚らが危険視したのは「障害者はあってはならない存在」という主張と「施設さえ充実していればこんな事件は起こらなかった」という発言である。「障害者=施設に入所するもの」という構図と、また「障害者はあってはならない存在」というメッセージを否定したのである。障害がある者が施設に入所することは少なくとも管理の手の中におかれると言うことである。そして施設に入所しないまでも、親とともに暮らすと言うことは親の管理のもので暮らすと言うことである。青い芝の会の運動が批判したのは、事件とそれに付随する嘆願運動だけではなく、その背景にある否定的な障害観、そして親の愛情である。この運動の中で彼らが獲得しようとしたのは、自らを肯定する障害観と管理からの自由である。
 ただ、事実として障害がある人にはできることとできないことがある。だから人の手を借りる必要がある。そのこと自体はあたりまえで、しかたのないことである。しかし社会には、それを認めない能力主義が一定量残っている。「できないよりできたほうがよいだろう」という価値観である。確かにできないよりはできた方がよい。だが、それはできない人が孤立している場合にのみである。できることは必ずしも本人ができる必要はない、援助は必要不可欠であるというメッセージを自立生活運動は展開した。しかしその援助に管理がついてくることは受け入れがたい。ならば管理をともなわない援助が必要になる。そのための具体的手段の模索の中で生まれた障害に関する言説をここで整理する。
 「自立生活」というときの「自立」とは他者の手を借りずに生きていくことではない。自立生活とは、志村哲郎の定義によれば「障害者、それも24時間体制での介助を必要とする最重度障害者を前提として、彼らが施設や親がかりの在宅生活から離れ地域社会において住居を有し、自己決定権に基づいて個人もしくは共同で行う生活取り組み32)」であるとされる。この定義やこれまでに述べてきた内容を加味すると自立生活とは「家や施設を出て、他人の手を借り場合によっては頭を借りてでも、自分の生活のあり方を自分で決めること、また自分の望まない生活様式を拒否すること」というものになる。
 ここで要求されているのは、「障害者」だからといって自分の生きる様式を他人に決められること、また望むようにできないことに対する否定表明である。この運動や主張の中にあったのは「障害者だからどうだというのだ」、「できないからどうだというのだ」という障害観である。障害ゆえにできないことがあることと、それが管理の対象になることは全く別のことである。そして重要なことは「一見外部に向けてなされたこの価値観の変革要求がそのまま障害者自身に対しても自らに問いかける指摘だった」ということである。立岩真也は1970年に端を発した自立生活運動の思想的分析の中で以下のように述べている。
 この運動は、健常者を告発するものであるとともに、自らにある自らを否定する観念を振り切ろうとするもの、そして各地の障害者自身に自らを肯定することを呼びかけるものだった。この肯定の呼び掛けは、全ての人がその微少な差異を取り出されるこの社会では、全ての人に対するものでもある。ただ、もっとも厳しい差別を受ける場にある限り、そのことを隠してしまう言葉は彼らの用いるところではなかった。自己に対しては自らがこの社会で不要な存在であることを自覚しつつ、それを否定し、自らを肯定する、他者に対しては、自覚的にでなくとも自ら否定的に働きかける存在としてあること、少なくともそういう作用を及ぼす「側」にいることを攻撃し、けれども同時に、連帯を求めていく。33)
 自立生活運動の中に展開された障害観は、現状を否定することで生成されていったと言える。家族を否定すること、施設を否定すること、そして「障害」という現実を社会に突きつけ、反省を迫った後に連帯を図る。「障害」をあるがままのものとしてとらえ、それを自らにも周りにも浸透させていく。家族の世話にならない、施設の世話にならない、なおかつ一人で生きていくことはできないなら家族でもない施設の職員でもない人の手を借りる必要がある。そこで必然的に浮上してくるのは介助を通して現れる障害がない人との関係である。そこにお互いの「障害観」を巡っての違いが生じ、それは時に関係の破綻を招く。しかし、それでも彼らは違う障害がない人と関係を結び、自立生活を営んでいく。介助者は自立生活者と大きく異なる障害観をもっていては生活がうまくいかない。仕事としてだけ介助に関わるものであってもならない。障害という現実が生み出す差別に対して自覚的であり、いつもその差別を生み出すのは自分なのだという自覚がなければならない。
 差別を生み出すのは否定的な障害観である。そして自立運動が模索したのは、否定的な障害観を相対化し無条件な愛情や管理を拒否し、その上で他者との関係を自ら構築する生き方であった。自立生活運動は「親による保護を拒否し、施設をでる」という具体的なプロセスを通じて障害がある本人と、他者や社会に変革を迫ったのである。ここで見られる障害観は「できなくて何が悪い、あるがままの姿で、地域にでて何が悪い」というものである。ここには「障害」をあるべきものとしてとらえる言説が存在する。そして「障害」を個人の問題とするのではなく、あくまでも障害がある者と障害がない人との関係の問題とし、関係と制度の変革を迫ったのである。

第2項 自立生活運動における親の位置

 自立生活運動において「親」は重要な存在として扱われた。自立生活運動はこれまで述べてきたように「脱施設」、「脱家族」を理念としてきた。この運動において、親による保護は否定すべきものであったのである。これは親の存在を否定するという狭い意味での否定ではなく、「障害児の親」の役割を親自身が果たそうとすることの否定である。無条件に愛情を注ぎ、愛情ゆえに保護をしようとする「障害児の親」を、障害がある人は批判した。障害がある人と障害がない人との関係の変革は「親と子」の関係においても例外ではない。もっとも障害がある人と近いところにいて世間の価値観を受けて行動する「障害児の親」は最初の攻撃の対象であった。青い芝の会の横塚晃一の「我々は愛と正義を否定する34)」という言葉にも家族と親の否定が込められている。以下の言葉は、親の愛情に疑問をもち親から自立しようとする障害がある人自身の言葉である。

 「親を否定せにゃ、あかん。親の愛情に取り囲まれていたら、何もできへん。」

 「親の人生と私の人生は別なんだからそれで自立しようと思ってる。」

 「日本の今の状況の中でさ、ほんとに変えなきゃだめだと思うのはさ、やっぱり親との決裂だね。」

 「母は、私を愛してくれました。でも盆や正月なんか、親戚や知り合いが家を訪問するとなると、父も祖母も私を離れにかくします。母もそれを手伝います。愛しているからこそ、そうするんだそうです。愛しているからこそ、親よりも早く死んでほしいそうです。私にはそんな愛情わかりません。」35)

 以上の言葉にこめられているのは、「親の愛情」の拒否である。親は愛情故に子に愛を注ぐ。子に「障害」があるならば、よりそれは顕著になる。親は愛情故に子どもを守り、尽くそうとする。しかし歴史的に見るならば、親の愛情は普遍的なものではない。アリエスの『子供の誕生』や、ショーターの『近代家族の形成』は社会史の立場からそれを明らかにしている。だが普遍的なものでないからと言ってすぐ親の愛情というイデオロギーは相対化できるわけではない。そこに自立を模索する障害がある人と親に軋轢が起きる。この軋轢が発見されたのは「障害がある人とその親」というマージナルな立場にある人たちからである。愛情という近代社会で一般化されすぎた感情は日常に深く埋め込まれている。だがこうして愛情を否定しようとするときに、その姿が立ち現れてくることになる。障害がある人が自立を求め、親の無条件な愛情を否定しようとするときには、こうした軋轢を経験しないわけにはいかない。だれもが当たり前としてあつかうことに刃向かうのは非常な困難を伴う。それが社会的に劣位な立場におかれた人々(障害があること、子であること)ならなおさらである。岡原正幸は、自立生活が脱家族を主張することについて以下のように総括する。
 第一に障害者が独自の人格として周囲のとの対等な関係を作りつつ、自分の責任で望む生活を営むと言うこと。第二に、彼らが真の意味で社会に登場し、障害を持って生きることの大変な側面を家族という閉鎖空間にのみ押しつけないようにするということ。第三に、障害を望ましくない欠如とし、障害者を哀れむべき弱い存在としてのみ理解しようとするような否定的観念を排すること。第四に、愛情を至上の価値として運営されるべき家族、といった意識がもたらす問題点を顕在化すること。第五に、家族関係の多様なあり方を示すこと。36)
 自立生活運動を行った人々が求めたのは、まず親からの離脱であった。親にも悪意があるわけではないのに、子はそれを否定する。成人であるのに、障害があるが故に一人の人間としての人格を主張できなかったこと、それが愛情というイデオロギーによってなされたことが問題の所在を見えにくくしていた。自立生活運動は親を否定することで、障害の問題を社会に開かれたものとし、親でない他者との連帯を望んだのである。言い換えるならば、「障害児と障害児の親」という関係よりも「障害がある人と障害がない人」という新たな関係の模索でもあったのである。



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第4節 「障害児の親」という対象把握へ


 これまで医療モデル、療育活動モデルからのアプローチと「障害」と「障害児の親」への射程、そして自立生活運動における「障害」の捉え方と「障害児の親」の位置をみてきた。簡潔に整理しておくことにする。
 医療モデルは疾患を治療する立場である以上、治らない障害には個別的なアプローチをとる。これは医療モデルが自然科学的な認識によっているためでもある。よって医療の役割は障害の診断にとどまり、その後のサポートや親への働きかけなどに対しする射程が少ない。親の会が実施したアンケート調査においても「病院の対応に不満がある」と答えた親の割合は65%にのぼっており37)、医療従事者の障害を持つ子の親に対する対応や配慮には批判が向けられるべきである。
 順番が前後するが、自立生活運動における親の捉え方は、これまで述べてきたように「否定の対象」である。ここで誤解のないように付け加えておくが、自立生活運動において批判されたのは「親個人」ではなく、「障害児の親役割を果たそうとする親」である。そして親自身に求められたのは、「障害児の親」としての自己否定であり、自らの子を「障害者役割」に押し込めておくことなく、一人の人格を尊重される個人として、社会に送り出すことである。この意味で自立生活運動は「障害児と障害児の親」と言う関係を相対化すると同時に、「親と子」の関係をとらえ直す動きでもあった。
 上記のような障害がある人からの主張を聞くと、療育者が送るメッセージも批判的に見ることができる。子どものために発達訓練を積極的に行ったり、「子どもを丸ごと受け入れて38)」というメッセージも少し濃密すぎる印象を受ける。丸ごと受け入れるよりも、程良い距離をもつこともまた必要であるのではないか。
 世界保健機構が行った「国際障害者分類(案)」に見られる「障害」概念の3つの区分も「障害観」を語るときには触れておかねばらない。日本語では「障害」とひとくくりにできてしまう概念を「impairment(損傷)」と「disability(能力不全)」と「handicap(社会的不利)」と分けることには重要な意義がある。
 「impairment」とは生物学的に医学的な場面から見た損傷であり、これは治療の対象となる。よって「impairment」は個人的な現象として位置づけられる。また「disability」は「impairment」から生ずる能力不全である。ここから様々なことができないから受ける社会的不利、より過激に言えば差別を受けることが「handicap」となる。1980年1月に国連総会で採択された「国際障害者年行動計画」の第62項でも「個人の質である損傷と、その損傷による機能的制限である能力不全と、能力不全の社会的結果としての不利との間には区別があるという事実の確認を国際年は促進すべきである」としている。ここから言えるのは、「障害」を個人的なものに押しとどめておく「障害観」と社会の構成員全員の関係のあり方に規定される「障害観」と違いを明確に挙げているということである。日本語で「障害」と言ったときに個別にそれがどのようにな意味で使われているかを判断していくことが必要となる。
 以上のようにみても、医療モデルや療育活動モデル、実践としての自立生活運動は「障害」や「障害を持った本人」に対しては、いくつかの分析を提示してきたが「障害がある子の親」に対しては必ずしも明確なアプローチを行っていないように思える。特に医療モデルや療育活動モデルでは、個別的アプローチを重視しているため、障害がある本人にのみ注目してきた。それゆえ、親自身が射程に入っていたとは言い難い。親を子どもに付随する存在としてとらえ、「障害児の親」として扱ってきたのではないか。そして子どもに付随する存在として親を語ってきた言説こそが、「障害児の親」という存在の再帰性に寄与してきたことになる。
 明確に言葉が尽くされてこなかったにもかかわらず「障害児の親」という存在だけははっきりと意識されてしまう不思議さは果たしてどこからやってくるのか。その不思議さを教えてくれるのが社会学の仕事である。次章では社会学が「障害児の親」という存在をどのように捉えてきたかを示し、その上で改めて筆者の作業仮説を提示したいと思う。


1) 石川憲彦、1988、『治療という幻想−障害の治療から見えること』、現代書館、p35
2) 石川、同掲書、p35
3) 上田敏、1983、『リハビリテーションを考える』、青木書店、p73
4) 上田、同掲書、p83
5) 上田、同掲書、p12
6) 高橋流里子、1998、『地域リハビリテーションの理論と実践』、一橋出版.
7) 上田、前掲書、p22
8) 上田、前掲書、p208
9) 杉野昭博、2000、「リハビリテーション再考―『障害の社会モデル』とICIDH−2」『社会政策研究』01:140-161
10) 杉野昭博、2000、「リハビリテーション再考―『障害の社会モデル』とICIDH−2」、『社会政策研究』01、p156 
11) 久保紘章、1982、「障害児を持つ家族」『講座家族精神医学3・ライフサイクルと家族の病理』弘文堂、p141
12) 久保、前掲書、p147
13) 渡辺久子、1982、「障害児と家族過程−悲哀の仕事とライフサイクル」『講座家族精神医学3・ライフサイクルと家族の病理』弘文堂、p237
14) 渡辺、同掲書、p252
15) 渡辺、前掲書、p242、元々はオーシャンスキーの使った用語である。オーシャンスキーは「精神薄弱児をもつ親は、長期間にわたっていやされない悲しみを抱き続けるものだ」という否定的な見方をしている
16) 京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)編、1996、『「出生前診断」及び、「母体血清によるスクリーニング検査」に関するアンケート調査の結果報告書』、協力京都大学医学研究科放射線遺伝学教室、p16-23.
17) 高松鶴吉、1990、『療育とはなにか』、ぶどう社、p111.
18) 田中昌人、1987、『人間発達の理論』、青木書店、p287.
19) 田中、前掲書、p301.
20) 山下恒男、1977、『反発達論』、p20
21) 浜田寿美男、1993、『発達心理学再考のための序説』、ミネルヴァ書房、p13.
22) 浜田、前掲書、p45.
23) 浜田、前掲書、p296.
24) 田中の反発達論に関する批判に関しては、田中、1987(前掲書)、p257〜299に詳しい。しかし政治的対立の色が強くでており、実のある批判となり得ていない。互いの学問的立場の違いを認識しあうところから、新たな批判を求めたい。
25) 山田富秋、1999、「障害学から見た精神障害−精神障害の社会学」石川准・長瀬修編『障害学への招待』明石書店、p285-311.山田はここで隔離収容施設における悲収容者の無力化の過程を説明している。
26) 高松鶴吉、1990、『療育とはなにか』ぶどう社、p116.
27) 京都ダウン症児を育てる親の会編、1996、『出生前診断』及び、『母体血清によるスクリーニング検査』に関するアンケート調査の結果報告書(1996年6月実施)、京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)、協力:京都大学医学研究科放射線遺伝学教室、p25.
28) 京都ダウン症児を育てる親の会編、前掲書、p25.
29) 安積純子他、1995、『生の技法−家と施設を出て暮らす障害者の社会学・増補改訂版』、藤原書店、p1
30) 立岩真也、1990、「はやく・ゆっくり−自立性勝つ運動の生成と展開」『生の技法−家と施設を出て暮らす障害者の社会学・増補改訂版』藤原書店、立岩はこうした障害児殺しに対して起こる嘆願運動自体は初めてではないと述べた上で、ここで「青い芝の会」が行動を起こしその運動の動きを説明している。
31) 横澤晃一、1975、「母よ!殺すな」、すずさわ書店、p80
32) 志村哲郎、1991「障害者の地域自立の可能性−障害者と共に生きる母親の聞き取りを通じて−」『解放社会学研究6』、解放社会学学会、p65
33) 立岩、前掲書、p178
34) 青い芝の会綱領より
35) 岡原正幸1986「制度としての愛情−脱家族とは」『生の技法−家と施設を出て暮らす障害者の社会学・増補改訂版』藤原書店、p80
36) 岡原、前掲書、p100
37) 京都ダウン症児を育てる親の会編、1996、『出生前診断』及び、『母体血清によるスクリーニング検査』に関するアンケート調査の結果報告書(1996年6月実施)、京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル)、協力:京都大学医学研究科放射線遺伝学教室
38) 障害をもつ子どもたちの保育・療育をよくする会編、1995、『障害児を育てる−お父さん・お母さんへ送るメッセージ』、かもがわ出版、p14.



*更新:小川 浩史
REV: 20091016, 20130718
ダウン症 Down's Syndrome  ◇全文掲載
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