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障害者と健常者の関係から見えてくるもの

−障害者役割についての考察から−

山下幸子(大阪府立大学大学院博士後期課程) 2000年12月23日



障害学研究会関西部会第9回例会
日時:2000年12月23日(土・祝)
場所:大阪市立大学杉本キャンパス内田中記念館3階3A会議室
報告者:山下幸子 (大阪府立大学大学院博士後期課程)
コメンテイター:田垣正晋(京都大学大学院博士後期課程)

記録:土屋貴志
【記録者注:以下、配布レジュメとそれに対する補足を記す。当日の補足は★で示す】

I. 研究の目的
 障害者は、その障害があるがゆえに、健常者と比べて社会経験の積み重ねや人間関
係の構築に課題を抱えていることが多い。それは健常者が障害者を弱く無能であると
みなし、様々な経験を積み重ねる機会から障害者を遠ざけていたことが大きく関係し
ている。そしてそれが障害者の中でも支配的となり、障害があるからできないのだと
自信をなくしてしまっている。そこで健常者が障害者に与えるステレオタイプの障害
者観が、障害者の生活やアイデンティティにどのような影響を及ぼしてきたのかとい
うこと、そして健常者は、障害者にとってどのような存在なのかということを考察す
る。また、調査において、障害者役割の付与、健常者との関わりの中で揺れる障害者
のアイデンティティについても検討していく。
★自立生活センターで介助・プログラムに関わりながら、プログラムだけでは解決で
きない問題【記録者注:ここは誤筆記】を考える。


II. 研究方法
 障害者役割とは何か、障害者役割がどのように付与され、それを障害者がどのよう
に認識していくのかという考察を行うにあたり、文献研究とともに、3名の脳性マヒ
の障害をもつ女性障害者へのライフヒストリー調査を行った。
 調査対象者のプロフィールは以下の通りである。また彼女たちは全員、24時間介
護が必要な重度障害者である。
・Aさん
 1953年生まれ。養護学校卒業後は親元で生活を送りながら、障害者運動に参加して
いく。現在は24時間の介助ローテーションを組み、自立生活を送りながら、地域での
障害者の自立生活支援に携わっている。
・Bさん
 1959年生まれ。養護学校卒業後、親元での生活を送っていた。その後彼女は5年間
重度身体障害者更正施設に入所している。その後また親元に戻り、その時に現在関わ
っている障害者団体と出会う。彼女は現在、主な介助者であった母親の高齢化から、
24時間の介助ローテーションを組み、自立生活を送っている。
・Cさん
 1955年生まれ。養護学校卒業後は親元での生活を送っていたが、27歳の時、自立障
害者との出会いがきっかけとなり、自立への準備を進め、8年後に自立生活を始めて
いる。. 調査対象者の選定については、大阪府内の障害者団体で知り合った方や紹
介していただいた方に、調査依頼書を送付し、そこで了解をいただいた方を対象とした。
 調査期間は1999年7月から9月までの2ヶ月であり、1回のインタビューで1時
間から1時間30分(休憩を含め)。それを2,3回行った。
★文献研究と3名(40代の女性)に対する聞き取り調査。3名とも現在自立生活を送
っている。


III. 結果と考察
1. 障害者役割についての理論研究
(1) 基本的用語の確認
役割:
 人々は属する集団の中での地位に対応した行動様式を社会や集団によって期待され
、また自身のそのような期待されている行動様式を認識し、行為を通してそれを実現
していく。役割とは、このような期待、そしてそれに応えていく行動様式のことであ
る。役割期待と行動とが調和し、相補性が成立した時に社会構造は安定する。
障害者役割:
 障害者への役割期待、そしてその期待に応える行動のこと。
★力関係などによって、好まないのに役割を遂行しなければならないことも起こる。

(2) 文献から
@ゴッフマン『スティグマの社会学』から
「肢体不自由の者は人々が期待している仕方とは違った仕方で行為しないように注意
しなくてはならない」
「人びとは、障害者は障害者らしく、無能で弱々しいもの、彼らに劣るものと期待し
ている。肢体不自由の者がこのような期待に背こうものなら、彼らは怪しみ、不安に
なるのだ」(アーヴィング・ゴッフマン『スティグマの社会学』せりか書房、180頁)
 ゴッフマンはスティグマをもつ者ともたない者との間の気づまりな関係を緩和する
ために、スティグマ者がより一層の調整を必要とすると述べる。その調整が健常者か
ら期待される役割の遂行である。
 ゴッフマンはスティグマ者がとる4つの調整について述べている。
・常人から排除されることがあるかもしれない人間として自分自身を捉えておく。
・常人はスティグマ者にどのように接してよいかわからないために、監視や冷遇をし
てしまう。その時スティグマ者はそのことには注意を払わないですませるか、スティ
グマのある者は外見とは違って中身は十全な人間だということを穏やかに教える。
・常人がスティグマを無視しがたく思っていると気づいたら、意識的にその場の緊張
を解消するための努力をしなければならない。
・スティグマ者にとって自体が気楽なものになるようにと配慮する常人たちの努力が
効果的であり、理解されているかのように行為する。

Aスコット『盲人はつくられる』から
 障害者への偏見として、無能、依存、陰鬱、自主性のなさ、内的世界の厳粛さ、耽
美主義をあげている。健常者は障害者と接する時はこれらのステレオタイプ化された
障害者像を信じ込み、それに依拠した行動をとることになる。また、障害者は社会的
に合意を得ている障害者らしい振る舞いを行うと賞賛され、行わなければ制裁を受ける。

B石川准『アイデンティティ・ゲーム』から
 愛やヒューマニズムへの服従を障害者役割としてあげている。愛とヒューマニズム
ゆえの行為は容易に正当化され、疑念をさしはさむ余地のない絶対的な理念であると
する。

C障害者役割からの脱却を目指す運動−青い芝関連の文献から
C−1青い芝による減刑嘆願反対運動(1970年)
 横塚晃一は世間的には障害者は哀れに振る舞うと健常者は納得すると述べる(横塚
晃一『母よ!殺すな』すずさわ書店、30頁)。障害者役割を遂行し、社会のアウト
サイダーとならないことで障害者は健常者との関係を円滑に結んでいこうとする。し
かし彼らは
健常者からの愛やヒューマニズムに基づく行為こそが、障害者の存在を否定すること
になるということを、この事件によって認識していった。
→健常者社会への糾弾、脳性マヒ者の世界観の構築
*青い芝の行動綱領
一、我らは自らが脳性マヒ者であることを自覚する。
一、我らは強烈な自己主張を行う。
一、我らは愛と正義を否定する。
一、我らは問題解決の路を選ばない。

C−2健全者幻想
「障害者の意識構造は、障害者以外は全て苦しみも悩みもない完全な人間のように錯
覚し、健全者を至上目標にするようにできあがって」おり、「健全者は正しくよいも
のであり、障害者の存在は間違いなのだからたとえ一歩でも健全者に近づきたい」と
いう意識。
 糾弾の対象とした健全者の価値観を、障害者自身が内面化してしまっている。その
ため、健全者から求められる自己のあるべき姿に反発しつつも、完全に反発すること
は難しかった。


2. ライフヒストリー調査結果
(1) 障害者役割の付与と内面化
Aさん
(養護学校時代の機能訓練についての語りから)
A:「別になんか歩きたいと思ってなかった気がするなあ。だから緊張きつかったか
ら、それを和らげたいなとは思ってたけど。あんまり健常者に近づきたいとか、そう
いうのあるやんか、それはなかった気がすんねんけどな。」
 Aさんは、BさんやCさんと比べて、特に障害者役割を付与されていると考えられ
るような語りはみられなかった。Aさんは親や周囲の健常者から特に何も強制されず
、自由に育ってきたと語り、そのため自身の障害についても負担に感じることは、あ
まりなかったと語った。

Bさん
(幼稚園入園拒否についての語りから)
B:「うちの親は幼稚園に私を行かせたいと思って、公立の幼稚園に話にいってんけ
ども、障害者やから無理やって断られて、幼稚園に行けなかった。それを親は私には
言わなかった。なんで幼稚園いかれへんのって私は聞いてんけど、あかんとしかゆえ
へんかった。そのことしかゆわへんかった。何であかんのかなって思ってたんやけど
、私もそれ以上言われへんかったから。私もうすうす感じてたんちゃうかな、障害者
やからあかんのかなって。親に聞くのはかわいそうかなって思ったんちゃうかな。」

(養護学校時代の機能訓練についての語りから)
B:「障害が軽くなったらええなと思ってやってたけどな。小学校までPTとかやっ
たことなかったから、ほんで(養護学校に)入ってやりだして、座れるようになった
し、立てるようにもなったから、ほんで平行棒で歩けるようになってきたから、だん
だん障害が軽くなってきたから、いけるやんかとゆうて、思ってた。」
Y:「障害が軽くなったら、どう自分が変わると思ってたんでしょうか。どうなると
思ってたんでしょう。」
B:「一人で何でもできるから、楽になるかなって。」
Y:誰がですか?
B:「親が。」

(養護学校中等部時代についての語りから)
B:「訓練が少なくなってきて、勉強しろって言われて、きつかった。何でこんなに
勉強せなあかんねんって思ってたけど、私ようゆわんかったし、いい子ぶってたから
。親の言うとおりにしてたら楽やから。」
Y:「楽っていうのは?」
B:「何も考えんでも親が決めてくれる。私、ほんまはその時は、親に反対したかっ
てんけど、それができへんかった。」
Y:「どうしてですか?」
B「いい子でとおってきたから。やっぱりそれも障害があるから、いい子にしとかな
あかんって思ってたんかな。」
(中略)
Y:「いい子っていうのは、」
B:「反感をもたずに、自分の心を押し殺して、人の言うことにはいはいって言って
、そういうのがいいと思ってた。」

 Bさんは自分の障害を、親との関係において否定していた。親に迷惑をかけてはい
けないと思っていた。
 そのためBさんは「いい子」になったが、それは本来の性格ではないことが語りか
ら分かる。この背景には、介助をする親への遠慮、Bさんばかりに注意がいき、なか
なか親にかまってもらえなかった弟への申し訳なさがあった。

Cさん
(養護学校時代の機能訓練についての語りから)
C:「やらなあかんもんやって。嫌やけどやらなあかんって。」
Y:「どういうところが嫌やったんでしょうね。しんどかったんですか?」
C:「しんどいのと、痛いとか。」
Y:「痛いのか、、、。でもやらなあかんって思ってたんや。それは先生が何か言っ
たりするから?」
C:「普通の人と同じようになりたいと思ってたから。」
(中略)
C:「完全には治らへんやろけど、ちょっとはましになるって。そういうのはあった
と思う。」
Y:「ましになることでのメリットって何なんでしょう。」
C:「だから、健常者に近づくこと、多分。」
(中略)
Y:「健常者になりたかったと。」
C:「なりたかったんやな。小さい時から、親にそうなるようにって言われてたから
。隣のおじさんとかは、Cちゃん頭いいから本書いたらって。健常者に負けないよう
にって。」

 Cさんは親や周囲の健常者から「健常者に近づくこと」を求められていった。また
Cさんの通う養護学校では障害が軽度であり、勉強ができる障害児はエリートであり
、それが目指されていた。そのような状況の中で、Cさんはその役割を内面化し、健
常者に近づくことを目指した。

(和文タイプの専門学校時代の語りから)
C:「2年間通ったわけよ。3年間かな?ほんで、就職を考えていく時にやっぱり断
られて。ほんで障害者のサークルの手伝いとかやってたのよ。機関誌とか和文タイプ
で。私それ(和文タイプ)で食べていこうって思ってたのよ。そこで頑張りすぎて寝
込んでしまったの。1年間寝たきりになってしまって。
Y:「なんでそこまで頑張りすぎたんでしょう?」
C:「これで食べていく。就職したいしっていうのがあったのよね。」
Y:「そこまで何か、体壊してまで頑張らざるをえない状況だったんかな。」
C:「多分ね。」
Y:「やっぱり人よりずっと頑張らないと一般企業にはついていかれへんってことと
か。」
C:「そうそう、そうやなあ。そやから遅いんやから、人の倍頑張らなあかんって。」
Y:「それで頑張りすぎて、結局ダウンしてしまって。」
C:「そうよ。でも健常者に負けるもんかって気持ちもあったから。」
Y:「その頃は自分の障害ってどう思ってはったんですか?」
C:「だから、障害があっても頭では勝てる。」
(中略)
Y:「ダウンしてしまったことで、身体的にしんどくなってきて。その1年間ってい
うのは、、、。」
C:「だから、もう頑張るとか、健常者にはどうやっても負けるわけやんか。だから
同じように進んでも、対等にやろうと思ってもあかんよなって思ったわけよ。」

 彼女たちは健常者から求められる役割を遂行しようと努めたが、それにより身体を
こわし、また精神的に多くのストレスを抱えるようになってしまった。つまり彼女た
ちは、社会から求められる自己のあるべき姿と本来の自己との間に生じるギャップに
苦しんでいたのである。


(2) 障害への意識の変化
Aさん
 自身の障害について、特に意識したことがなかったが、障害者運動に参加していく
中で、牧口一二の影響を受け、自身の障害観が変化したと語る。
(障害者運動に関わりだした頃についての語りから)
A:「やっぱり牧口さんかな。牧口さんが障害のプラス面って言いだしてたからなあ
。プラス面ってなんやの?って。障害をプラスに捉えていこうって感じでゆうてはっ
たし、あとあの、障害者専用はいらんってゆうてはったから。ああなるほどなって思
ったことは何度かあったわな。」
Y:「その頃はプラスでもマイナスでもなかったんでしょうか。」
A:「そうそう、そうやな。だから改めてプラスって言われたから、あれって思った
んちゃうかな。何で私がプラスなん?って。」
Y:「じゃあ、牧口さんに会ったことで、自分の障害観っていうのも変わってきたと。」
A:「うん、そうやろなあ。変わったと思うな。」

Bさん
 親子の密着した関係からの打開策として、介助ボランティアと出会う。
(介助ボランティアについての語りから)
B:「ほんでなんとか、たまたま、友達から聞いて紹介してくれて、ボランティアを
頼んだら来てもらって。そこからちょっとずつ開けていったんやけど。」
Y:「その時どんな感じでした?」
B:「思ったより世の中おもしろいって。」
Y:「どういうことがおもしろいって思ってたんでしょうね。」
B:「電車に乗ることが、親としか乗ったことがなかったから。」
Y:「お母さんとは乗ったことがあったんですね。」
B:「はい。ほんでしゃべりながら、いろんなことをしゃべって、おもしろいなって。」
Y:「同年代の人ですか?」
B:「はい。初めてこういうこともあるんかって。」
(中略)
Y:その頃ボランティアの存在ってどのようなものだと思ってましたか?」
B:「やってもらう。」
Y:「友達とかは。」
B:「そこまでは、まだ考えられなかった。やってもらう人っていう、そこまでしか
考えられなかった。だから、私も22,3の時に健常者の男の人と初めて付き合いだ
して。向こうから声かけてくれて。最初は怯えてて、私、最初にはっきりゆうたんや
んか、障害者やから同情で付き合ってほしくないってはっきりゆうたんよ。ほな相手
は同情じゃないってゆうたから、それを信用して、そこからまあ、信じられるように
なってきた。ほんでそれまでは、健常者とは絶対無理やろうって、友達とか対等で付
き合うのは無理やと思ってたから、ほんまは怖かった。でもうまいこといったから、
それからだんだん私も(友達が)増えていった。」
Y:「その出来事って一つの自信になったんかな、Bさんにとって。」
B:「そうやな。」
(中略)
B:「私は障害者やから社会なんかに出られへんって思ってたんやんか。それについ
て(健常者の友達は)いろいろ話してくれたよ。なんやそういうことなんかって、い
ろいろ出てきて。なんや私もできそうやなって。社会参加できそうやなって。」

Cさん
 1年間の療養生活の後、自立障害者と出会い、それをきっかけにCさんも自立への
準備を進めていく。しかし、家族の反発、特にCさんの主な介助者であった祖母の心
配がCさんの自立への意志を揺さぶった。
(祖母についての語りから)
C:「おばあちゃんももう87くらいやったんよ。で、まあ、おばあちゃんも(Cさ
んの)面倒みられへんっていうとこまできてたけど、私の面倒みるのが生き甲斐やか
ら、私がおらへんようになったら、もう死ぬやろなあって思ってたし。周りもおばあ
ちゃんが死ぬまで(家を出るのを)待っとけって。おばあちゃん捨てるんかって言わ
れて。おばあちゃんが元気な時に面倒みさせといて、みられへんようになったら捨て
てしまうんかって。私、3年くらいは待っとこかって。その間にはおばあちゃん死ぬ
やろし。でも友達はどっちにしても後悔するんやったら、どっちの後悔が大きいかよ
く考えろって。」
Y:「それで一人暮らしを選択した。」
C:「そう。やっぱり待つのはおばあちゃんが死ぬのを待ってることやん。私おばあ
ちゃんのこと恨むと思ったのよ。やっぱり出て行きたいのに出ていかれへんって思う
わけやんか、おばあちゃんのせいで。やっぱりそれは今まで面倒みてもらったのに、
それはできなかったわけよ。」
(中略)Cさんが家を出た1年後に祖母は亡くなっている。
C:「だから、私がおばあちゃんを殺したことになるんやけど。だから簡単には(一
人暮らしを)やめられないっていうのがあるよ。」

 Aさんはそれまで特に自身の障害を意識したことがないと語っていたが、牧口との
出会いにより、障害に、より積極的な意義を見い出している。Bさんは健常者との関
わりの中で、「障害者も健常者も同じやんかっていうのがわかってきたみたい」と語
る。それまで障害を治そうとし、障害を否定してきたBさんは、自身の障害と「これ
からも付き合っていくんやな」と感じ始める。
 そして家族との関係を絶たなければ自立という自己実現ができなかったCさん、彼
女は「自立するっていったら、健常者に何がわかんねんって言えることができた」と
語る。CさんはBさんとは逆に、健常者とは明らかに異なる自分を感じながら、それ
でも障害をもちながら生きていくことを決めていくのである。


(3) 彼女たちの現在の障害についての意識
Aさん
A:「私は自分の身体、好きだよ。結構好き。」
「(好きではなかった時は)緊張きつかった時。眠れなかった時とかもあったからな
、緊張でさ。それは大きくなってきてなくなったけど。」

Bさん
B:「今は別に健常者と同等って思ってるんやけど、私は障害者とは思ってない面が
あるなあ。」
「(障害があって)別にいいとか悪いとかいうか、もってるっていう感覚がないねん。」

Cさん
C:「(障害については)しょうがないなあ。」
「子どもの頃とかは何で障害者に生んだんやって。でも今はこれが私やから。」

 彼女たちは皆、障害のある自己を認めて生きていく。しかし障害のある自己でよか
ったかといえば、彼女たちはそうは思えないと答えた。

「みんなほとんど(障害)を肯定できてないわ。私だってほとんど肯定できてないわ。」
★これはAさんの言葉。

 Aさんは障害の肯定について、次のように語っている。
「肯定する、、、。否定しても、生まれてこなかった方がよかったとか思ったことな
いもん。それでええんちゃうかなって思うけどな。だってそんな悲しいことばっかり
ちゃうやん、人生って。いろんな人がいてて、その中で障害の重たさとかあってもえ
えんちゃうかなって思うけど。全然ないのは嘘やわな。」
「(肯定か否定か)まあ、どっちがええか悪いかでいうと、私は肯定した方がええと
思うけど。価値観が上か下かとか、そこまでは私思えへんから。」
「私は好きやと思ってるから、だから私は肯定したいな、とは思ってるけどさ。そこ
は好き嫌いで判断したらええんちゃうの?」

  障害の肯定を求めた横塚が健全者幻想を抱えたように、彼女たちも健常者社会に
大きく影響を受けながら、それでも自身が望むままに生活を切り開いていこうとする
。彼女たちのアイデンティティは常に揺れ動く。健常者社会の価値観の内面化とある
がままの自己への希求とのせめぎあいをめぐって、彼女たちは葛藤しているのである。


(4) 考察
 調査結果から、彼女たちの障害者役割からの脱却を困難にした要因を指摘する。
@介助における権力関係の問題
 Bさんにとって介助者である親や家族との関係を円滑に結ぶことは日常生活に不可
欠な介助が安定して得られることにつながった。Bさんは介助する親に遠慮を感じ、
少しでも親の負担を軽減しようと努めたのである。
 また親は家族以外の者はBさんを介助することに抵抗したために、密着した親子関
係が続いた。そしてBさん自身も慣れた介助者である親以外の者に介助を頼むことに
大きな不安を抱えていた。
 このような状況の中で、Bさんは家族との関係の中で役割葛藤が生じたとしても、
そこから脱却していくことに困難を感じることとなった。

A障害者の生活世界の閉鎖性の問題
 彼女たちの庇護膜は家族であり、養護学校という場所だった。彼女たちは障害児者
と障害児者に理解を示す健常者に囲まれて生活していたのである。
 Cさんは庇護膜を出て健常者社会にふれた時に役割葛藤が生じた。障害者を保護し
、十分な配慮がなされる中で、Cさんは役割遂行の困難性や疑問に気づくことがなく
、役割を学び取っていったのである。
 しかし健常者に負けないように頑張れという役割は就労先をはじめとする健常者社
会では求められていなかった。障害者が社会に出ることの困難性を十分に認識させる
ことのない保護された環境そのものにも問題があるのではないだろうか。
★「庇護膜」はゴッフマンの用語。

B障害者の生活の選択肢の狭さの問題
 障害者は教育、就労、地域生活などにおいて、健常者よりもはるかに生活の選択肢
が限られている。健常者ももちろん役割葛藤は経験することがある。しかし健常者の
場合は、ある役割付与者と役割を期待される個人との関係で葛藤が生じても、別の場
面で自分のアイデンティティを修正・確立していくチャンスがある。一方、障害者の
場合は、生活の選択肢がどうしても物理的に狭いために、あらかじめ与えられた場所
でのアイデンティティの確立のチャンスしかないことが多くなってしまうのである。


IV. 結語
 これまで、障害者役割の内容と、役割付与者である健常者との関わりによって葛藤
する障害者のアイデンティティについて考察してきた。最後に、今後、障害者と健常
者との関係を考察していくうえで、重要であろうと考えられる視点を提示する。
 障害者は健常者から求められる自己のあるべき姿と、現実の障害をもつ身体、ある
がままの自己とのギャップに悩み、苦しみ、そして自己をつくり変えざるをえなかっ
た。障害者は、その時改めて自己についての問い直しを行っている。
 反対にこの社会のマジョリティである健常者はどうであろうか。確かに健常者も役
割葛藤を経験する。しかし役割からの脱却には障害者特有の困難性がある。そしてそ
の困難性に健常者は深く関係しているにもかかわらず、健常者は障害者と比べて、社
会の規範が自身の姿とずれることが少ないために、障害者の悩みや苦しみを、健常者
はみなくてもすむことができる。
 このように健常者と障害者との間には立場の非対称性があり、意識のずれがある。
その違いを認識することなく健常者が「ノーマライゼーション」や「共に生きる」と
いう言葉を語ることは多数派の論理であると考える。そこで健常者はもう一度、自身
の立場、社会のあり方、依拠する価値、マイノリティに対する潜在的な差別心に向き
合うことが必要であると考える。
★健常者の立場ってなんだろう?と考える必要。障害者との立場の違い(非対称性・
意識のズレ)はかなり大きい。単に同化することによって隠されてしまう問題がかな
りある。システム作りと共に問い直していく必要がある。


【15:10-15:25 休憩】

【15:25-15:42 田垣さんコメント】
 社会福祉学でのこうした研究は勇気がいるし意義がある。
 障害者同士の関わりについての研究は少ない。海外でも心理学分野ではない。
 文献+ライフヒストリー。ライフヒストリーという方法論の長所を生かすには、仮
説をデータから引き出していくという方法もある。
 障害の肯定・否定に関するAさんの語り(p.7)。実際はどうなのかを出していく点
で意義あり。
 しかし、「役割」「アイデンティティ」「自己」どう違うのか?自分の考えだけで
も出しておくほうがよい。たとえば「自己」は場面や状況によって変わると今日では
捉えられている。
 また、3人のライフヒストリーを一般化する際の限界に関して書いておいたほうが
よい。
 今後、どの分野でこの研究を発展させていくのか?
 障害の認識は二分法では捉えられない。肯定しているところと否定的に見ていると
ころを、場面や状況に応じて研究していく方法もある。
 スコットの「内的世界の厳粛さ」とは?
 Cさんの「本来の性格ではないことが語りから分かる」と断言してはいけない。「
と解釈できる」ということ。生活をメタ化した表現を使った方がよい。
「しょうがない」「仕方がない」はどういう意味なのか聞いてほしいところ。
 文献リストがほしい。

【15:42-16:45 質疑応答】
(D)せっかくのフィールドワークが生きていないと思う。「役割があります」とい
うことを結論にしても、それは当然のこと。障害者役割は一つではない。例えば「が
んばれ」もあれば「がまんしろ」もある。重層的なものなので、それぞれを具体的に
記述した方が実相に迫れる。
 障害者による「役割の使い方」も考えていく必要がある。たとえば横田弘さんの「
おかわいそうで結構じゃん」(「さようならCP」の中の言葉)も面白いやり方。与え
られた役割の中で、逆に居直ってしまうという使い方・戦略もある。具体的には、た
とえば訓練。どのような重層的役割を与えられ、訓練に誘われていったか、その役割
をどう使ったか、などを見ていくと面白いだろう。
(F)障害ということが役割ということにあてはまるのか?役割というのは仮面・ペ
ルソナであり、つけたり外したりできるもの。障害はそうはいかない。
 なお、私たちはこうしてここに集まってきているが、障害者に与えられた究極的な
役割が、自分たち障害者が障害者の痛みを分かち合うということだけならば、障害者
のコミュニティの中での堂々巡り・悪循環でしかない。そこから抜け出さなければな
らない。
(A)方法への疑問。依頼書の内容がわからない。過去といっても、確定した過去で
はない。力点を置いて伝えたい部分は変わる。依頼に応じた意図があるはずで、そこ
にこだわる必要がある。違う人に話していれば変わったかもしれない。意図とは違っ
たことが見えたところがあるか?

(山下さんリプライ)
 初めての調査なので、まだまだ勉強しているところ。ありがたい指摘。役割の重層
性・戦略はうまくつかめなかった。
 障害者が役割という仮面をつけたり外したりできないのはなぜかをもっと考えてい
きたい。3人だけでなく、もっと沢山の人に聞いていかなければ。
 依頼書の内容は、目的(修士論文のためということ)・問題意識・インタビューの
方法などについて。インタビューした1年前と今とでは違うだろうし、障害者同士だ
ったりすればまた違うはず。学生に教えてあげるとか、介助者を追いつめないように
、といった配慮があったかもしれない。

(F)障害は役割という概念にあてはまるのか?と聞きたかったのだが。障害は自己
の本質をかなりの部分まで規定している存在条件。役割というような軽いものではな
い。役割ならやめることもできるはず。
(A)「障害者性」と呼ばれていたものが「障害者役割」になった?
(G)「障害があるがゆえに」というのは医療モデル・個人モデルでは?
 役割概念は、それにとらわれてしんどい思いをしている人をそこから解き放って楽
にする道具として役に立つ。
(B)障害者の役割は、何に対する、誰に対するものか、を考えれば見えてくるもの
があるはず。家庭において、社会において、など。役割の定義を初めに記すべき。
(C)「障害があるゆえに」というのにやはり疑問を感じた。「障害者の生活世界の
閉鎖性」で、養護学校は、チベットの盲学校のように、座敷牢のようなところに押し
込められているところから連れ出す機能もある。
 また、Cさんは頑張りすぎて身体をこわした(→健常者なみに)ということに表れ
た役割と、就労できなかった(→働かなくてよい)ということに表れる役割は、両方
とも障害者役割として使われているので、「障害者役割からの脱却」ということとど
う結びついているのか?
(H)3人の方が自立しようと思ったわけと、調査者が理解している障害者役割がど
のように変化したと認識しているか?
(I)「自立生活プログラムでは解決されない」とは?

(山下さんの再リプライ)
 定義等、勉強が足りなかった。「障害があるがゆえに」というのは間違っていた。
医学モデルではなく、障害が社会においてマイナスのレッテルを貼られているといい
たかった。
 3人の方が自立しようと思ったきっかけは、Aさんは障害者運動の影響で、グルー
プホームを経て自立生活へ移った。Bさんは親が高齢化で介助できなくなった。Cさん
は最も早くて、2つだけ年上の自立障害者との関わりから。自立生活の前後でとくに
変わったわけではない。
 「自立生活で解消されない問題」ではなくて、社会福祉で学んできた施策や制度に
よって解決されないということが、自立生活プログラムでむしろわかってきたという
こと【記録者注:記録者の誤筆記であったことが明らかになる】。たとえば外出のプ
ログラムで気づいた。

(J)ライフヒストリーの聞き取りに当たって、「健常者」が「障害者」のライフヒ
ストリーを聞く手続きで注意するべき点は何か。具体的に聞き取りをしてわかったこ
とがあれば教えてほしい。
(山下)調査を始めてみて「健常者として聞き取るとはどういうことか」ということ
を意識したので、最初の手続きとしては考えていなかった。

(K)障害者役割と病者役割との違いは?病者役割は病気から回復することによって
外せるが、障害者役割はずっと継続する点が異なるのか?
(山下)きちんと踏まえていなかった。次回はきちんと答えられるようにする。


参加者 計35名(うち手話通訳2名、介助者1名)

====(以上)================================================


UP:2001
山下幸子  ◇障害学研究会関西部会  ◇全文掲載  ◇全文掲載(著者名50音順)
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