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自己決定の前提となるもの

−カリフォルニア州の発達障害者制度にみる−

寺本 晃久 20001031 『家族研究年報』24


 近年、介護保険の導入や福祉の基礎構造改革に伴って、高齢者そして障害者の介護体制の組立・調整(ケアマネージメント)の方法が検討されてきている(奥野[1997]等)。これによって、福祉サービスが、施す側が一方的に行う“恩恵”や“措置”によるものから、利用者の“権利”や“利用選択”によるものへと変わる、とされている。
 しかし、利用者の選択が重視されるほど、能力的に選択できない人は福祉サービスを利用する際に困難をきたしてしまうという問題が生まれる。だから、たとえば、痴呆性高齢者や知的障害者に対しては成年後見制度を利用しやすくして、後見人をつけることが必要だとされる。けれども、「自己決定ができない(難しい)」ということは、自己決定主体のもつ能力に原因を求める他に、他者がその自己決定をどのように受け取るか、または他者がどのように行動するかという問題でもある(江原[1999])。実際、最初から一律に自己決定できる者/できない者を区別し、能力がないからといって自己決定の権利を奪ってしまうのではなく、自己決定を「支援する」方法が考えられてきている。ただし、日本ではいまだ一部の新しい取り組みにとどまっており、具体的な実践としてあるものは多くない。
 けれども、米国のカリフォルニア州では、1990年代に入り、発達障害者1)への福祉サービスに関する法律が改正されたことを機に、サービス利用者の自己決定権が拡大されてきている。本稿では、合衆国、特にカリフォルニアで具体化してきている発達障害者制度2)について検討することで、自己決定を可能にするための条件とその限界について考察する。

1.ランターマン法における自己決定権の規定

 カリフォルニア州における、発達障害者に対する各種制度は、福祉・施設法(Welfare and Institutions Code)第4500項以下に規定されている。この第4500項以下の規定は、ランターマン発達障害者サービス法(Lanterman Developmental Disabilities Services Act)の通称で呼ばれる。同法は、1969年にランターマン精神薄弱者サービス法(Lanterman Mental Retardation Services Act)として成立し、77年に大幅な改正がなされた。
 しかし、当時すでに条文の上では地域生活の権利が謳われてはいたが、実際には地域生活を支えるだけのサービスが充分でなかった。たとえば1987年度、地域で福祉サービスを受けていた75,000人に対する予算が4億1000万ドルだったのに対して、発達障害施設(developmental center)に入所している6800人には4億8900万ドルがかけられていた。そこで、州の財政負担と、施設と地域の間のサービスの格差から、各種サービスの効率性が問題とされた。
 1989年6月、州議会の発達障害に関連した委員会が合同で公聴会を開き、行政、当事者や親の団体、サービス提供機関、権利擁護機関などから、制度のさまざまな問題が指摘された(California Legislature[1989])。これをきっかけとして、1993年1月、ランターマン法が大きく改正された。主な改正点は三点ほどあげられる。すなわち、(1)サービス利用者の自己決定権を大幅に拡大、明確化した。(2)地域で生活する権利をより具体的に規定・拡大し、サービスも地域生活を可能にするために提供されるべきこととした。(3)サービス利用者やその家族の、サービス策定・提供への参加を拡大した。
 こうした方針の下で、まず権利規定が明確化された(第4502項)。具体的な権利としては、(1)最も制約の少ない環境でサービスと支援を受ける権利。その支援は、より自立し、生産的で、普通の生活を送る可能性を最大限にのばすためのものである。(2)尊厳のある、個人的で、人間的なケアを受ける権利。そのため、支援は地域の中で提供されるべきである。(3)障害の程度に関わらず、公教育における適切なプログラムに参加する権利。(4)医療を受ける権利。(5)宗教の自由。(6)地域の活動に参加する権利。(7)スポーツや余暇活動をする機会の権利。(8)不必要な拘束、隔離、過度な薬物投与、虐待、放置を含む、危害を加えられない権利。(9)不利益になる手続きを受けない権利。(10)生活の仕方や人間関係、暮らし方(教育、就労、余暇活動)、将来の目標の設定などを自分で決める権利。
 そして、サービス担当機関におけるサービス調整と理事会の委員構成に関する規定が大幅に書き換えられ、利用者およびその家族の参加・参画が進められた。たとえば、州知事の諮問機関である州発達障害審議会(State Council on Developmental Disabilities)3)の19名の運営委員のうち10人が、発達障害者・またはその親や後見人などでなければならない。また、サービスの窓口であるリージョナルセンターや権利擁護機関の「エリアボード」では理事会の過半数は、発達障害者またはその親・後見人でなければならない。(第4521、4576、4622項)

2.自己決定権を具体化する方法 −個人別策定プラン(IPP)

 (1)IPPの改正
 ランターマン法を施行する担当行政機関として発達障害者サービス局(Department of Developmental Services(DDS))がある。しかし、DDSは法律の施行と財政を担当するだけで、具体的な福祉サービスは州に21あるリージョナル・センター(regional center)という非営利団体が窓口となって、それぞれの地域にあるサービス提供機関からサービスを購入するかたちで、無料で提供している。
 リージョナルセンターが福祉サービスを提供するためには、まず希望者が法の対象者であるかどうかを審査する。そして、サービス受給資格があるとされた場合、「個人別策定プラン(individual program plan(IPP))」を作成する。IPPとは、発達障害者が州からサービスを受ける際の基礎資料となるもので、サービスの種類・提供方法・量などを個別に調整し取り決めた文書である。
 ランターマン法の改正により、IPPの実施方法も大きく変更された。1977年改正時点での第4646項では、IPPに記載されるべき項目として、(a)当該障害者の能力と問題についての評価、そして(b)能力を高め問題を解消するための個別的で期限付きの目標、を定めていた。しかし、1993年の改正ではこの項目はほとんど削除され、代わりに生活上の目標、好み、関心、ニーズなどを盛り込み、障害を矯正するための目標ではなく、希望やニーズを満たすための目標を設定することになった。また、IPPの作成にあたっては、利用者の自己決定の権利が明文化された。IPPに書かれた種々のサービスを実際に調整し履行させるサービス・コーディネーターは、通常はリージョナルセンターの職員などの専門職であるが、サービス利用者あるいはその親・家族・後見人もコーディネーターとなることができるようになった。
 つまり、個人の障害や問題のみに注目しそれに対する医学的モデルに基づく(客観的な)判定による計画策定に代わって、本人の好みや選択やニーズに重点を置いた計画策定へと、改正されたのである。サービス利用者の呼称が、福祉の対象者である「クライエント(client)」から、利用者がサービスを選択し購入するという「消費者(consumer)」へ変更されたことは象徴的である。
 また、IPPは法的な効力をもつ契約でもある。したがってリージョナルセンターからサービスを受ける場合、必ずIPPを策定しなければならない。これは契約の相手に強制力を及ぼすことができ、記載されたサービスは必ず提供されなければならず、反対にサービス提供側に問題があればIPPを楯に争える。

 (2)当事者主体の計画法
 かくして、IPPは当事者主体に改正された。しかし、法律では、実際にどのように「当事者主体」を実現すべきかということまでは規定されていない。そこで、DDSは新しいIPPについてのマニュアルを作成し、各リージョナルセンターの担当者に研修を行っている。また、サービス利用者を含む一般向けに対しても、わかりやすい冊子を数種類作成している(California Department of Developmental Services[1994a][1994b]など)。
 こうしたマニュアルでは新しい考え方が採用された。個人将来計画(Personal Future Planning)あるいは当事者主体計画(Person Centered Planning)などと呼ばれ、1980年代後半にJohn O'BrienやConnie Lyleらによって発想されて以後、北米で発展してきた考え方・方法論である(Hagner[1996])。
 マニュアルによれば、計画を立てようとするとき、利用者とサービスコーディネーターとの間で取り決めるのが基本単位ではあるが、利用者にとって希望や必要な援助が不明確な場合、その利用者をよく知る人(家族、友人、支援者など)や、医療や法律の専門家、あるいは会議を円滑に進めたり利用者の手助けをするための支援者(facilitator)を同席させ、その人々の間での討議もひとつの手段として用いられる。
 この会議ではまず、その利用者のプロフィールを作成する。ここで認識されるべき点は、その人の個人史、現在の状況(住居、仕事、受けているサービスなど)、人間関係、健康、好み、自己決定していることとしていないこと、得意・不得意、などである。この作業を通して、当事者をとりまく状況や当事者の能力・性格・嗜好などを互いに認識し、生活する上での基礎的なニーズを明確にし共有する。
 次に、当事者が今後どのような生活を送りたいかについて、詳細なインタビューによって明らかにしていく。どこで住むか、誰と住むか、どこで働くか、どのような趣味を持つか、どんな物を持つか、誰に支援されるか、等といった事柄についてひとつひとつ将来像を描きだしていく。このとき、前段階で作成されたプロフィールを資料とすることができる。また、この段階では、実現可能性をとりあえず考慮せず、本人の希望だけを取り出す作業に徹する。こうして描かれた将来像が、計画の大きな「目標」となる。
 さらに、その将来像の中にすぐに実現できない希望が含まれるとき、その実現のためにどのようなことが障壁になっているかを検討する。障壁が明らかになれば、それをどのように改善すれば、あるいはどのような支援があれば、将来像の実現へとつなげられるのかを考えることができる。
 こうして、利用者の希望やニーズを認識し、どのような支援を行えばよいかを明らかにし、それぞれの希望の実現に優先順位をつけ、スケジュールを組み立てていく。最終的に、それらを「計画」としてまとめる。ただし、この「計画」は、一回限りで完結するものではない。計画は、周囲の状況や希望やニーズなどの変化に応じてその都度見直される。
 この計画法では、単純に個人の障害や限界に問題を帰属させない。むしろ、周囲の者がどのように行動するか、どんな支援やサービスが提供できるかが問われる。計画作成過程において、計画の実現可能性よりも、まず当事者の嗜好や希望を聞き出し、将来像を作るのは、こうした考え方による。

3.監視の必要

 このように、援助を受ける側が自分の生活やそのための援助の内容を決めることができるが、現実にはそれが十分に機能しない場合もある。希望に添わない援助が行われたり、IPPなどの計画を作るときに希望が受け入れられなかったり、必要なサービスが得られなかったり、というように。
 この場合の対策としては、第一に、リージョナルセンターに対して不服申し立てができる。しかし、それも行政的な裁量の範囲ではあり、申し立てをしたからといって必ずしも訴えが通るわけではない。ただ、申し立てのための情報開示やサービスを受ける権利とその具体的な手続きが規定されてはいる。
 権利擁護機関としては、エリア・ボード(area board) とプロテクション&アドボカシー(Protection and Advocacy Inc.(PAI))がある。エリア・ボードは州に13の支部をもち、サービス利用者またはサービスを求めている人の法的・行政的救済・その他の適切な救済を行う。PAIは連邦法によって各州に設立された機関で、福祉サービスや法律に関する情報提供、訴訟を含めた法的・制度的な弁護などを行う。PAIは集団訴訟(クラス・アクション)等の制度改革をにらんだ活動も行なうのに対し、エリアボードは個人的な仲裁や教育・啓発を行なう。
 それでもなお残る問題がある4)。何か明らかに違法な行為や、直接的な対応の不備や過失でなければ、申し立てや訴えはなかなか受け入れられない。そもそも訴える側に問題が問題として自覚されなければ問題は表面化しない。それに、訴えるためには窓口に出向かなければならない。また、一定の援助を受けてもなお、自己決定や意思表示を行うのが困難な場合には、家族や後見人がIPPの作成を代行する。しかし、そこで本人の意思と必ずしも合致しない計画が作られ、本人が不利益を被るかもしれない。そこで1996年11月にモデル事業として始まったのが「生活の質を見る(Looking at Life Quality)」という生活の質に関する調査である。調査は、サービス提供者以外のボランティアを中心として、あらかじめ定めた25項目の基準をもとに聞き取りによる。この25項目の基準は、6つの大項目−選択、人間関係、生活様式、健康と幸福、権利、満足−に分けられている(California Department of Developmental Services[1996a])(表1)。

 表1 「生活の質を見る」質問項目
 ◆選択(choice)
  1.ニーズや必要なことや好みがわかっているか
  2.重要な生活の局面における決定を行っているか
  3.日常生活における事柄を決定しているか
  4.自分の受けるサービスや援助を選べているか
  5.自分の必要やニーズや好みが変われば、それにしたがってサービスや援助も変化できているか
 ◆関係(relationships)
  6.友達や、助けてくれるような人はいるか
  7.家族、友達、サービス提供者/専門家、その他地域の人々などによる、地域の支援体制が作れているか
 ◆生活様式(lifestyle)
  8.地域の一員となり、統合された環境で生活し働き遊べているか
  9.生活様式は、文化的な嗜好が反映されたものであるか
  10.自立的・生産的であるか
  11.安定した生活を送れているか
  12.住んでいる場所は快適か
  13.子どもの場合、家族と一緒に生活しているか
 ◆健康と幸福(health & well-being)
  14.安全か
  15.健康か
  16.健康と安全と幸福が害されたとき、どうすればいいのかを知っているか
  17.必要な医療を受けられるか
 ◆権利(rights)
  18.権利を行使し義務を果たしているか
  19.虐待や放置や搾取はされていないか
  20.尊厳と尊敬をもって扱われているか
  21.適切で一般的なサービスや援助を受けているか
  22.代弁・擁護する人(advocate)または権利擁護サービスを利用できるか
 ◆満足(satisfaction)
  23.自分の目標を達成できているか
  24.サービスや援助に満足しているか
  25.自分の生活に満足しているか

 この基準を作成するにあたっては、その過半数を利用者が占める委員会によって約3年の年月がかけられた。
 従来からIPPの監査は行われてはいたが、それは単にリージョナルセンターが、IPPに書かれたサービスが正しく提供されているかどうかを確認するだけにとどまっていた。しかし、サービスが正しく行われていることと、援助を受ける本人が生活に満足していることとは、必ずしも一致しない。新しい監査制度は、当事者の視点から生活の満足度を見るものだと言える。したがって、これによって新しいニーズがあるとわかれば、そのためのサービスを新たに作り出そうとする力も生まれる。

4.支援と限界

 (1)自己決定を支える仕組み
 カリフォルニア州でのいくつかの制度や実践から、自己決定を支える条件として次の三点があげられる。すなわち、第一に、暮らし方やサービスに対する自己決定が権利として規定されていること。第二に、自己決定を容易にする支援の方法と選択肢が具体的に考えられていること。第三に、自己決定が保障されるよう監視・救済を行う仕組みがつくられていること。
 ランターマン法では、障害をもっていたとしても他の一般市民と比較して権利が制限されないこと、特に地域居住と自己決定の権利が定められている。各種のサービスはこの前提のもとに設計され提供される。そして、自己決定権が具体的に実行されるための方法や選択肢が用意される。新しくIPPに導入された計画法は、能力的に自己決定が困難な人についての支援のあり方を示そうとしている。だが、一方では自己決定に関する問題は他者の受容と行動の問題でもあると述べた。他者によって自己決定は脅かされうる。したがって、権利擁護機関や監視の仕組みが求められたのである。
 日本でも、自己決定は主張される。しかし、第一にこの国では、知的障害に限らず、障害をもつ人の自己決定権を規定した法律はない。障害者基本法や知的障害者福祉法などは、政府の福祉サービスについての施策と責務を定めたものという点で、ランターマン法と性格を同じくする。しかし、その権利規定は障害者基本法における「すべて障害者は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」の一文のみであり、自己決定権に限らず抽象的な規定となっている。
 第二に、新しい計画法は、就労や余暇活動や個人的な嗜好などを視野に入れたものである点で、サービスの利用そのものの調整のみを行うケアマネジメントと異なる。しかし、福祉サービスの選択権が利用者にあったとしても、利用できるサービスの種類と量が一定程度なければ選ぶことはできない。選択肢はあるとしても、その利用において資格、量、時間帯、地域、内容等に制限が設けられているために利用できない場合、選択肢として存在しないことと同じでもある。ランターマン法改正の作業の中でも、障害を持つ子供を育てるための家族支援や、重い障害をもつ人に対する支援が不足しているために、やむを得ず入所施設で暮らさなければならなかったことが指摘されていた。そこで、たとえば第4689項は「援助つき自立生活(supported living)」を規定し、障害の程度に関わらない地域生活の権利と援助の提供、利用者のニーズが変化した場合でも特定の場所に移って援助を受ける必要のないこと(援助は可能な限り利用者の住むところで提供されること)、あらかじめ決まったサービスしか行わないのではなく利用者の好みやニーズにしたがって柔軟に対応すること、などを定めた5)。
 第三に、福祉サービスの監視については、日本でも、入所施設で倫理綱領がつくられる場合がある。これは、主に職員の取るべき態度や禁止事項がまとめられている、施設内規則(指針)である。あるいは、東京都では1998年度から入所施設について「サービス評価基準」が定められている(評価基準は、東京都心身障害者(児)入所施設サービス評価委員会[1998])。ところが、「生活の質を見る」は、第一に、これがひとつの施設の中で通用する基準ではなく、州全体で通用し、施設に限らずあらゆる生活形態に対応するものである。第二に、それはサービス利用者にも見える形で存在しており、利用者が自分自身でこの基準に基づいて自分の生活を評価できるようになっている。第三に、調査で吸い上げられたものは個別の対象者に対する支援のあり方や州全体のサービス提供のあり方にまで反映される資料となる。各種の倫理綱領や「サービス評価基準」の場合、それは施設内だけのものであり、さらに職員に限定して、職員がどう行動するか/してはいけないかを定めているにすぎず、しかも、しばしば言葉遣いは難解で入所者が使うようなものにはなっていない。また、入所者側からのニーズや問題の提示が行われるのではなく、むしろ提供者側の一方的な約束事にとどまっている。それに対して、「生活の質を見る」は、地域生活が前提に置かれている点で、施設内の基準とは根本的に異なるものである。

 (2)自己決定の原理をとること、そこからはずれていくこと
 けれども、すべてが自己決定の原理によって形成されているのではない。ここでは次の三点を指摘しておこう。
 1)計画を立てること・基準を作ることの両義性
 計画は、計画策定の時点での利用者の希望を明らかにし、政府や周囲の者たちに対して希望の実現のために必要な支援を要求するものであり、だからこそ細かく計画として指定する。「できないこと」に対しては十分な支援を受けるが、それ以外の部分については必要のない介入を拒むために、「できないこと」の境界を明確する。けれども、「できないこと」の内容を確定することは困難を伴い、計画を立てるとは、確定しきれないものに形を与える作業を含み込む。ある障害当事者は「本当の人生を送っている人々の暮らしは、『○○はこれがほしい、○○はあれがきらいだ』などと、その人の一瞬を一枚の紙に封じ込められるようなスナップ写真ではない。よりよい生活をもたらすことができるのならば、こうしたやり方も役には立つだろうが、充分なものではない」と述べる6)。計画は、作成され実施される時点で、逆に拘束するものとして現れる。
 「生活の質を見る」では、監視するために統一した基準、望ましい生活様式を設定して、個々人の生活の質を判断する。たとえば、本人が決めたことだからといっても、それだけでは不利益を被ることがある。あるいは、自己決定の原則を採用すれば、本人が明示的に問題としないのならば、それは「問題」ではない。新しい監視制度は、こうした課題に対応するため、すべてを自己決定ですませない。その基準からはずれようとする場合の自己決定には反することになる。たとえば、「隔離された大規模施設で暮らす」という「自己決定」は認められない。不健康な生活への自由もない。だが、これはかのパターナリズムの問題を再び呼び起こす。パターナリズムでは、本人の意思に反して、しかし本人の利益になるという理由で、行為や価値選択に強制力を与えることが正当化される。けれども、その場合の本人の利益がどれほどのものなのかという問いが不問にされたり、他者への迷惑が「本人のため」という言葉の中に含み込まれる(本人が不利益を被ったときにその後始末をしなければならないなど)。なにより、たとえ不利益になるとしても、彼らは、最初から自己の意思を無視して介入がなされることに異議をとなえ、自己決定を主張し、「危険を冒す自由」を掲げたのだった。「生活の質」に統一した基準を採用することで、一方では基準の範囲において権利侵害の事実を明らかにできるが、他方では基準自体が絶対化すればそこからはずれる自己決定は認められなくなるという両義性が残される。
 2)誰が決定できるのか
 障害が重いためにどうしても自己決定が認められない場合、未成年の場合、その家族または後見人が本人に代わって決定を下せるようになっている。しかし、家族は当の障害者本人ではない。いくら「その人のため」を思っていたとしても、それは本人の決定ではなく、家族の決定でしかない。むしろ、家族(特に親)は、障害者を抑圧する側の存在でもあった。米国の発達障害者の運動の中で、親は「管理者(keeper)」として描かれる。日本でも、横塚晃一[1975]横田弘[1979]岡原正幸[1990]らが指摘したように、障害者を否定的に扱う「健全者の論理」をもつ親の差別性を問題化し、脱家族の主張がなされた。横田[1986:106]は「この[障害児の親・養護学校の教師たちによる]いわゆる権利運動の底に流れるものとして私たちが考えなければならないのは、障害当事者の意志・希望など全く顧みようとさえしなかった親に代表される健全者の論理だ、ということなのだ。誰が、山奥や田んぼの中に大きな施設をつくれという運動をはじめたのか。誰が、当たり前の学校から障害児をわざわざ締め出すような養護学校をつくらせる運動を行ったのか。障害児は、いや障害者は当たり前の暮らし、当たり前の学校は無理だ、と決めつけたのは誰だったか」と述べ、「親の権利」「親の教育権」を批判した。
 他方、家族は国家や社会に対する抵抗の拠点でもありうる。特に、教育に関する親の決定権の主張は、国家権力に対する権利として訴えられたのである(古川[1985])。要田[1996]は、「国家のエージェント」としての親性から「子の代理人」としての親性へ、と転換することを主張する。また、1972年にワシントンDCにおいて教育に関する親の権利を認めたMills v. Board of Educationの訴訟では、公的な教育機関から排除されていた障害児に教育を提供する義務を政府に要求した。そのころ相い次いで出されたこのような判決が基礎になって、75年に全障害児教育法(The Education for All Handicapped Children Act )が制定され、教育内容や手続きにおける親の参画と決定の権利が規定された。
 しかし、ここでも障害をもつ子に対する責任を負うのは家族であり、親である。家族は、一方の当事者として決定権を求めてきたが、同時に、否応なく決定するしかない立場にもいることになる。障害をもつ(恐れのある)子供を産むかどうかという選択から始まり、そして家族の中で障害者の世話・介護責任を果たすことが期待されてきた。親や家族が優先的に決め(られ)るという思想があり、一方、親や家族が決める事への疑念もある。単に家族であるからよりよく決定できるというわけではない。決めなければならない根拠、決められる根拠もない。しかし、本人に言語的・身体的に意思が認められなければ、他の誰かが決める、決めてしまう。その場合、誰が決められるのか7)。
 3)選択のための資源
 ケアマネジメントにおいても、「ニーズ」は重要な位置を占める。しかし、そこで語られる「ニーズ」を誰がどのように決めるのか。たとえば、「ニーズ」がサービスの体制を決めるのではなく、現状のサービスの量と内容によって「ニーズ」が決められてしまう(立岩[1998])。カリフォルニア州でも、いかにIPPを書こうとしても、結局は現在利用できる限定された範囲内のサービスに基づいてIPPが書かれていたことや、IPPはひとつの「願望」でしかないと受け止められ最終的なサービス提供に関する判断はリージョナルセンターの采配によって決められていたこと、などが批判された(California Legislature[1989:86-89])。
 ここで、第一に、ニーズを判断する権利を利用者側に与えることが主張されてきた。法のたてまえとしては、財政が乏しいことを理由に福祉サービスを拒否することはできないことになっている。しかし、利用者の要求するサービスがすべて得られるわけではなく、より安価なサービスで代替したり、サービスの量の制限があったり、ボランティアや親族の人間関係に頼ったりすることもある。リージョナルセンターのコーディネーターは、いかに安価にサービスを提供できるかに苦心する。計画策定とサービス提供は「ニーズに基づく」となっていても、政府の財政やサービスの種類と量は無限ではなく、それによって提供されるサービスの内容は影響される。


1) ランターマン法において発達障害(developmental disability)とは、精神遅滞、脳性マヒ、てんかん、自閉症、その他精神遅滞に関連した障害や、知的障害者に対するサービスと同様のものを必要としている人などで、障害が18才以前にはじまり一生続くとみなされその障害を持つ人にとって大きな支障となっている場合をいう(第4512項(a))。
2) カリフォルニア州の発達障害者制度については、他に秋山・斎藤による解説(People First of California[1984=1998]第2章)、定藤[1997]などを参照。
3) この審議会は、州発達障害計画の作成とその実施状況の監視・評価、発達障害者にサービスを提供している全ての州政府機関がつくる計画・予算案・規則への答申、ランターマン法の施行状況の監視などを行う。
4) 調査の委託を受けたCollective Resource Inc.のPatsy Daviesへのインタビューによる
5) 第4512項によれば、提供されるサービスの例として次のものがある。たとえば、診断、査定(evaluation)、介助、デイケア、家庭介助、居住施設、理学療法、作業療法、言語療法、訓練、教育、援助つき就労、保護雇用、精神医療、余暇活動、カウンセリング、法的支援、情報提供、付添、補助器具、アドボカシー、家庭復帰への援助、子供の世話、行動障害を緩和するプログラム、キャンプ、地域統合のためのサービス、地域支援、日常生活技術の訓練、緊急時への対応、“支援の輪”をつくる支援、ハビリテーション、家事援助、乳児の療育、有償ルームメイト、有償の隣人、レスパイト、ショートステイ、社会生活技術の訓練、医療・歯科医療、援助つき自立生活、技術援助、財政援助、旅行訓練、障害児をもつ親の訓練、障害を持つ親の訓練、移送サービス。
6) 1999年4月、英国及び北米を中心とする知的障害当事者団体のメーリングリストUSUPPORTにおいて、IPPの実態と利用者側の意識を質問(自由回答)した際の回答から。
7) 筆者が見たところでは、こうしたことについて充分に考えが展開されていないようだ。たとえば立岩[1992]は家族の成員間の権利・義務の範囲を問題にし、特に親子の間において意志に基づく私人間の契約・自己決定という原理では権利・義務関係を根拠づけられないことを述べている。どのような場で誰が・どのように決定しているのか・決定すべきだとされているのか、そしてどのような機制が働いているのかについて、もっと考えられてよいのではないか。

文献
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横塚 晃一 1975→1981 『母よ!殺すな〈増補版〉』,すずさわ書店
要田 洋江 1996 「障害者と家族をめぐる差別と共生の視角 「家族の愛」の再検討」,栗原彬編[1996:80-99]
      (てらもと あきひさ  東京都立大学社会科学研究科博士課程)


UP:2000 REV:20081127
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