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対談「障害の重い人の人生を豊かなものに」

『みんなのねがい』
2000年6月号
日浦 美智江・古澤 潔


 みんなのねがい 2000年6月号
 対談「障害の重い人の人生を豊かなものに」
 対談: 日浦美智江 / 古澤 潔

---------嵐山四季の家 施設長の古澤さんと『朋』にうかがいました。利用者のみなさんが帰った後の玄関からホールにかけての広い廊下には、彼らが『朋』で使用しているさまざまな形、色の車いすがズラッと並んでいます。「開所した当時は一般的な車イスも多かったけれど、今は特別の車イスやストレッチャーを使っている人が増えましたね」と施設長の日浦さん。お二人で「障害の重い人の生活、人生を豊かにするために必要なこと」について語り合っていただきました。

親があるうちに
日浦 朋は、横浜市の南部で重度重複障害者を対象とした通所事業を行っています。とりくみを始めて14年。現在17歳から41歳まで50人の人たちが通っています。年齢は20代、30代が多いですね。チューブ栄養の方が16人、気管切開の方が2名、胃ろうの方や人工膀胱の方などもおられるので、施設内にある診療所を活用して医療的なケアに心を配りながら、体験と出会いを大切にしたとりくみをしています。
古澤 嵐山四季の家は、埼玉県にある知的障害者の入所更生施設です。定員は50名。開所して2年の新しい施設です。あかつき園という埼玉県東松山市で20年以上知的障害者の入所授産施設としてとりくんできた施設がありまして、そこは労働を柱にしながらグループホームや生活ホームの事業も行なって来たんですけれど、障害の重い人や高齢の人の生活を支える場も必要だと、同じ法人が始めたのが嵐山四季の家です。
共有スペースもありますが、部屋は個室が16室、二人部屋が20室あります。一番若い人が19歳、最高齢の方が71歳です。平均年齢は30歳ちょっと。20代の方が30名以上いますから、思っていたよりも若い人たちが多くなりました。その一つの理由は、あかつき園から移ってきた高齢の人が少なかったことです。新しい施設は、部屋は広いし、設備も整っていますけれど、やはり高齢の方は住み慣れたところがいいんですね。
日浦 私たちもそうですけれど、新しい環境で生活をつくっていくというのはたいへんなことですよね。まして高齢であったり、障害があることで生活を支えてもらう必要がある人にとってはなおさらです。たとえば言葉で自分の思いを表現することが難しい人は「トイレに行きたい」「お水をを飲みたい」ということから一生懸命伝えないと行けない。職員との人間関係が出来てくれば、ある程度理解してもらいやすくなるでしょうし、自分でしっかり伝えることは大切なことではありますけれども、日々毎日のことですから、しんどいと思います。
古澤 支えてくれる人がお母さんなど家族ならば気持ちは楽かもしれません。でも、親も本人も年齢を重ねてくるとおたがいしんどくなってきますからね。
日浦 だからこそ、若いときに新しい人間関係をつくることにチャレンジさせてあげたい。若いときにさまざまな人と出会う場をつくってあげるというのは、すごく大切だと思います。もう一点、私が若いときにと強調したいのは、親があるうちに一緒にやりたいんです。親亡き後にと言われることがありますけれど、私は、親あるうちに、と思う。親ごさんと一緒に、その人の幸せを作りたいし、一緒に喜びあいたい。この間あるお父さんが「ぼくもだんだん年をとってきた。ぼくがいなくなったら、あなたがどうなるか気になるなあ」って、グループホームで生活している娘さんに言ったら「キャンバス(グループホームの名前)があるじゃない。お先にどうぞ。心配しないでよ」って言われたそうです。お父さんは「なんだか寂しいような、うれしいような」って言われて増したけれど。
古澤 昨年、作業所に通っていたある男性のお母さんが急死されたんです。それで彼は、急きょ嵐山四季の家にくることになった。彼はこれまで、何をしてほしいのか、お母さんがだいたいわかってくれる環境のなかで生活してきたんですよ。だから施設での生活はしんどいですよね。ある日、食事のときに「食べなかったらかたづけるよ」と職員が言ったら「ううー」とすごい不満の声をあげました。作業所では、今まで「彼は熱いのが好きなんだ」と、がんがん熱いお茶を飲ませていたら、熱いのはいやだと言いはじめた。他人のなかで生活していくためには自己主張しないと生きていけないと、彼なりに考えたんだと思います。もし、最初はお母さんと一緒に泊まって、安心して少しずつ離れていくなどできていれば、彼のしんどさもちがっていたでしょうね。

一人のおとな、パートナーとして
日浦 昨年、朋にはのべ2500人以上のボランティアさんが関わってくださいました。実は朋ができるときに地元の反対が少しあったんですけれど、いまでは町内会長さんが「朋があって、ぼくらは心強い。日浦さん、これからまた、みんなでいいまちづくりをやっていこうね」って言ってくださるんです。これは、朋のみんながそういう街に変えていった証しなんですね。だから、そういう彼らなんだということを、親ごさんは誇りにしてほしいし、社会にも伝えていきたい。重度心身障害者といわれる人たちは、歩くことができないいし、話すことがで着ないし、手もうまく使えない。ややもすれば、できないことだけに目がいってしまいます。でも、いま生きているということがどれだけ大きいことかを、ものすごく伝えてくれる人たちなんですね。
古澤 日浦さんの著書『朋はみんなの青春ステージ』(ぶどう社、1996年)の中に、数ある行事のなかでとりわけ成人式を大切にしているとありました。おとなになれたことを喜ぶ、いま生きていることを喜ぶというのは大切なことですよね。私は、障害のある人を成人式は、よくここまで育ててこられましたねって、これまでの親ごさんのがんばりを確認する場でもあると思うんです。そして、「これからは、一人のおとな、パートナーとして見ていこう」と、親が気持ちを切り替えていく場でもあるんですよね。
日浦 植物も鉢のなかで親と子が根っこを一つにしては生きていけないと思います。私は「鉢は一緒でも根っこは別で生きようよ。早いうちに根分けしとこうよ」と言うんです。この子は私がいなきゃ、とは思わない。やっぱり子どもの力を信じることですね。子どもはいつかは飛び立ちます。それを覚悟で子育てをする。生きる別れ、死ぬ別れ、人間きっと別れがくるんですから。

福祉と医療が対等に
古澤 朋は、施設の中に診療所をもっているというのが素敵ですよね。私たちの施設でも、精神科のお医者さんに来ていただいていますし、高齢の方は生活習慣病が出てきますから、そういう面でも医療的な支えは不可欠です。朋のように、仲間たちのいつもの状態を知っているお医者さんがいるというのは心強いですよね。
日浦 一人ひとりの細かい身体の癖まで熟知してくれているお医者さまがいるというのは、ほんとうに心強いですし、朋に通う人にとって必要なんです。本人だけでなく、お母さんの顔色を見て「少し疲れているな」とか、家族のようすにも目を向けてくれています。朋の看護婦は、携帯電話を24時間下げているんですよ。お母さんはちょっと不安だなと思ったら看護婦に電話を入れる。看護婦が自分で判断がつくことだったら指示を出しますが、判断がむずかしい場合には医師につなげて、親と医師で直接やりとりをすることもあります。それから歯科衛生士も常勤でいます。歯の問題も大きいですから。
通常、福祉が医療と組んだときには、医療の方がイニシアチブをとることが多いと思います。福祉の専門性よりも医療の専門性が優先される。朋では対等なんです。お医者さんが、できるだけ普通の生活をつくりたいという私たちの考えをわかってくれているので、やや不安なときには、ブレーキをかけるだけでなく、「わかった。調子のいいときに5分だけね」「それなら、私がついて行きます」という判断がしてもらえる。たとえ5分でも、その人の喜びになるものはやっていこうという共通理解があるんですね。

生活が楽しめているか
古澤 埼玉県で一番新しい重度心身障害者の施設を見せてもらったことがあるんです。そのときに一番感じたのは、生活という概念があるのだろうかということでした。とりくみ全体が医療の延長なんです。ベッドがあって仕切はガラスになっている。部屋の中が全部見えるんです。その後カーテンをつけたそうですけれど、驚きました。病気ならば、しばらく我慢してよくなれば出て行けばいい。だけど障害のある人たちはそこで生活しているんですよね。
日浦 私は朋を始める前、教育委員会に所属するソーシャルワーカーとして養護学校の母親学級を担当していました。そのときに、あるお家にうかがったら、男の子がきれいなお布団に寝ていたんです。私は思わず「病気なの? 熱があるの?」って、部屋に入ったとたんに聞いてしまった。私の頭の中では、お布団敷いて寝ている人は病人なんですよ。でも彼は、熱も出ていないし、おなかも痛くない。それならば、起きようよ、布団から出ようよ、パジャマを着替えようよ。それから彼は学校にも通いはじめました。そういうことがぜんぜん不思議じゃなかったんですよね。いまはチューブ栄養をしていても泳ぎに行くし、旅行をしたり、美容院に行ったり、いろいろなことができるようになりました。これまでは障害の重い人が普通の生活をすることは不可能だとまわりが決めつけてきたんです。チャレンジしてこなかった。でも、医療的な支えなどがあればできるんですね。私は、誰かが誰かの人生に最初から枠をはめちゃいけないと思うんです。いろんなこと、やってみたっていいじゃん、というのが大切ですね。
古澤 親ごさんが入所施設に求めるのは、温かいごはんが出て、きちんと風呂に入って、あったかい布団で寝ることがで着る、そういう生活の安心感だと思います。それは大切なことですけれど、そこに、毎日の生活が楽しめているか、充実しているか、という発想がなかなか入ってきません。ややもすると、あてがいぶちの生活になってしまう傾向があるというのが、入所施設の一番の問題ではないかと感じているんです。

弱い教育とのつながり
日浦 障害の重い人の生活を支えることを考えたとき、福祉の分野だけで解決することはできません。さまざまな分野が連携しないといけない、そのときに、どうしても必要になるということもあって、福祉と医療はつながりやすいんです。ところが、福祉と教育はつながりにくい。障害の重い人のことをテーマとしたいろいろな委員会などに参加しても、教育の話しが出てこないんです。私は、学校で、親ごさんと先生がもっと子どもの将来のことを話し合ってほしいと思っています。この子たちが、将来、どういう社会生活、生き方をしていくのか。親ごさんだけでなく、学校の先生にもっと知っていただきたいですね。
古澤 たとえば、昼間は通所事業を利用して、夜から朝はグループホームで生活するなど、さまざまな制度やとりくみを活用した生活が可能になってきているのに、障害の重い人は学校を卒業したら在宅か入所施設しかないというせまい進路選択の考え方がまだあるような気がしますね。
日浦 学校教育のなかで、他人と生きていく力、社会で生きていく力を身につけ、そしてその力を発揮できる場を見つける。そこまでできてはじめて、心から「卒業おめでとう」と言えるんじゃないでしょうか。

障害のある人を真ん中のすえて
古澤 2003年に向けて、日本の社会福祉の構造を大きく変える動きが進んでいます。
日浦 そこでバトンをどう渡すか。ここ数年の動きをしっかり見定めないと、次の世代に渡せないですね。
古澤 いま福祉の世界では、生き残り戦略みたいな話しがよく出されますけど、何が求められているのか、それを実現するためにはどういうとりくみをつくっていくことが必要なのかという論議を、障害のある人たちを真ん中にすえてつくりだしていくことが大切だと思います。
日浦 私もあの生き残りという言葉はきらいです。障害のある人たちにとって必要なものは何か。その一点を押さえていれば、ある意味では後は雑音なんです。ほんとうに障害のある人のためになっているのか、いつもいつも問い直していかないといけないですね。


*作成:
UP: 20091107
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