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「手話と植民地──カメルーンにおけるろう教育の事例から」etc
障害学研究会関西部会第6回研究会記録

20000506 大阪市立早川福祉会館.


■障害学研究会関西部会第6回研究会

と き:2000年5月6日(土)1:30pm〜5:00pm
ところ:大阪市立早川福祉会館 2F第1会議室

内 容:

【参加者自己紹介 1:30-1:45】

a.文献紹介(1:45-2:20)
エリック・パレンス&エイドリアン・アッシュ「出生前遺伝子検査に対する障害者の批判:考察と勧告」『ヘイスティングス・センター・リポート』29巻5号(1999年9-10月号)特別付録1-22頁
Erik Parens & Adrienne Asch, "The Disability Rights Critique of Prenatal Genetic Testing: Reflections and Recommendations," Special Supplement, Hastings Center Report 29, No.5 (September-October 1999) S1-S22.
報告者=土屋 貴志(大阪市立大学)

●この論文を読む視角
(1)《日本では出生前診断に対して障害者団体の批判が強いが、欧米ではこうした障害者による批判はない》との言説がある。しかし、この言説は事実誤認である。1980年代以降、米国では出生前診断に対して障害者から批判の声がしばしば聞かれるようになっており、この論文はこうした声を正面から取り上げたものである。ただし、こうした障害者による批判が、日本のように社会の前面に出てきてはいない。それはマスメディアが、日本では障害者の批判をよく取り上げるのに対して、米国ではほとんど取り上げないからであるように思われる。

(2) この論文の論調には、自己決定中心の枠組みがよく出ている。こうした米国流の枠組みは、自己決定する個人を「大人として」尊重し力づける利点がある一方、出生前診断を提供する医療を社会統制システムとして検討する視点が弱くなる。日本では逆に、出生前診断は医療の問題として語られ、クライエントは医療に誘導される「弱者」であるかのように位置づけられて決定責任をあまり問われない。私としては、どちらかというと日本の論調のほうが分析枠組みとしては優れていると考える(ただし、実際に生活する上では、米国のほうが自己決定が尊重されて心地よいところはある)。

(3) 日本では出生前診断に対する障害者の批判に対して、表立った反論はほとんどなされず、論争は行われない。それは(私自身を含めて)「弱者」の味方でありたい、「弱者」の敵とはみなされたくない、という知識人の姿勢のゆえであるように思われる。しかし米国では上述したように障害者による批判がマスメディアにほとんど取り上げられていないことが幸い(?)してか、このプロジェクトでは健常者メンバーによる反論・反批判もなされ、論理的に議論を詰めようとする努力が払われている。これは、今回のプロジェクトのメンバーに哲学・倫理学出身の生命倫理学者が多いせいでもあろう。

●論文の内容については、レジメのポイントだけ簡単に説明。

質疑応答
●日米の事情の違いは?
:米国は自己決定のために情報提供しなければならない。日本は政策として選択肢を提供しない検査もある(たとえば母体血清マーカー)。
●遺伝カウンセリングでは、ほんとに誘導していないのか?
:建前としてはそうだが、現実には不十分で誘導もあるだろう。

●医療保険などの制約で、選択できないこともあるのでは?
:それはある。検査だけをカバーして、障害児を育てる際の医療サービスはカバーしていないという医療保険は少なくないと思われる。


【休憩 2:20-2:40】


b.研究報告
「手話と植民地──カメルーンにおけるろう教育の事例から」
  亀井伸孝(京都大学大学院)


(1) はじめに
●ろう文化パラダイムの使い方
 1995年に発表された「ろう文化宣言」によって、あるパラダイム転換が提起された。
 「ろう文化宣言」自体には、ろう教育や手話通訳の現状の持つ問題、人工内耳に関する見解など、具体的な方針や提言がいろいろと盛り込まれている。ここではろう者観と手話観に関係するところのみ抜き出して紹介する。

Aを従来の見方とする
Bを提起された見方とする

ろう者とは
 A.「耳の聞こえない者」「障害者」
 B.「日本手話を日常言語として用いる者」「言語的少数者」『民族』
手話とは
 A.音声言語を使うことのできない人のための、“不完全な”代替品
 B.音声言語に匹敵する、複雑で洗練された構造をもつ言語
デフ・コミュニティーのメンバーの条件
 A.耳が聞こえないこと
 B.言語と文化を共有すること
「ろう者」英語での呼称
 A.“deaf”
 B.“Deaf”
視点
 A.病理的
 B.社会的文化的

このBの立場「ろう者とは、手話という、その地域の音声言語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」*という立場を「ろう文化パラダイム」と呼ぶことにする。

  *木村/市田1995より。原文では日本手話と日本語に関する記述であるため、
  引用者が一部改変した。

 本発表では、このパラダイムの具体的な有用性について考える。パラダイムは使ってこそ生きる。その意外性や表現のラディカルさのみについての抽象的議論を繰り返していてもあまり意味がない。「実際に使えるかどうか」を検討したい。
 ここでは特に、アフリカのろう者コミュニティと言語に焦点を当てる。ろう文化パラダイムを通してこそ見えてくる問題があることを示したい。
 発表者は、アフリカのカメルーンにおいてフィールドワークに従事した(1年半ほど)。その調査結果に基づき、カメルーン共和国のろう教育の現状と歴史について、またろう者コミュニティの言語について紹介する。


(2) カメルーンについて
●略史
 19世紀の終わりのアフリカ分割により、まずドイツ領となる。第一次世界大戦でのドイツの敗北により、フランス(東部、全体の約80%)とイギリス(西部)の分割統治に。
 1960-61年にかけて、それぞれの地域が別々に独立し、後に再統一した。

●音声言語の現状と歴史
 この地域の民族語は200種類以上あるといわれている。
 旧フランス領(東部)は仏語が、旧イギリス領(西部)では英語が普及。
 民族内の会話は民族語だが、都市部、学校、公の場面では仏語や英語が使われる。国家の公用語は、仏語と英語の二言語併用。

●聴覚障害者人口
 詳しい数は不明。政府の障害者人口調査(約15年前)では8983人。管轄省庁では「もっと多い。データはあまり信用できない」との見解。当時、全国くまなく調査したわけではなく、また障害者であるかどうか判断する基準があいまいだったなどの問題が指摘されている。
 だいたい1〜2万人のレベルでいるのではないかと推定できる。都市部にはろう者コミュニティがある。


(3) ろう教育の現状
 全国に聾学校が11校ある(都市部のみ、全部私立)。学費高い。教育を受けられないろうの子どもも多いと言われている。
 幼児部と小学校だけ。中学部以上はない。進学する場合は、地域の普通中学校へ通うことになる。進学せずに職業訓練コースに進むろう児もいる。


(4) ろう教育の歴史
 カメルーンでは、複数の欧米人/団体が関与する形でろう教育が始められ、整備されてきた。ろう教育の内容が、常に欧米の影響を受け、時代時代で変化してきた。

●口話法時代
 1972年に首都ヤウンデ(フランス語圏)に最初の聾学校ができる。フランス人エレーヌ・ルシコーという医師が作る。いまでは最大の聾学校になっている。
 ここの教育方法は口話法。音声フランス語を読みとり、発音し、読み書きすることを目的とする。

●アメリカ手指英語時代
 2番目の聾学校はクンバ(英語圏)に1977年にできる。米国人フォスター*による。口話法には限界があるとし、手話を取り入れていく「トータル・コミュニケーション」の考え。アメリカ手話の単語を使った手指英語を導入。
 国内の他の聾学校にも影響を与える。アメリカ手話が英語圏のみならず仏語圏にも広がる。

  *ろう者。アフリカ系米国人として初めてギャローデット大を卒業した
  人物として知られる。アフリカ各地に聾学校を作り援助して回った。
  1980年代に飛行機事故で死去。

●フランス手話導入と転換の時代
 1994年、ヤウンデの聾学校が方針転換。従来の口話法から、フランス手話を使う手話法教育に。フランス手話を導入。アメリカ手話からフランス手話へと手話を転換する学校も出てくる。

●二つの手話法並立の時代
 1997年、全国の聾学校長が集まるセミナーにおいて「フランス語圏ではフランス手話を、英語圏ではアメリカ手話を使う」という決議。相互不干渉の項目も含められた。音声言語同様に、手話言語の教育も二つに分けられた。


(5) ろう者コミュニティの言語
 さまざまな手話法教育が各地の聾学校の判断で導入され、ろう者の言語に影響を与えている。
 手話の言語学的調査はまだ行っていない。以下はヤウンデの聾学校の例。

●カメルーン手話
 ヤウンデの聾学校で子どもたちが使っていた手話があったらしい。「カメルーン手話」と呼ぶ人もいるが、この名前が妥当かどうかはさだかではない。つまり、カメルーン全域に広がっていたという証拠はない。ただ少なくとも、フランス語口話法聾学校の中で、ある種のスクールサインのような形で話されていた手話があったようだ。
 今も数の数え方など単語は残っているが、教師からは「野蛮な手話」として否定される傾向にある。たとえば40歳代以上のろう者や、聾学校に通っていないろう者などの間で現在も残っているかどうか関心はある。今後調査してみたい。

●フランコ・アメリカン手話
 アメリカ手話の単語が西部英語圏から伝播。その影響によって聾学校内に広まる。しかしもともとのアメリカ手話とは違い、フランス音声言語の影響を受けている。

●フランス手話
 聾学校の方針転換後、学校内の言語はフランス手話に。
 小さな子どもはフランス手話、30代くらいまでの卒業生はフランコ・アメリカン手話。同じヤウンデの都市の中でも、世代によって異なる手話(少なくとも二種類)が話されている。


(6) 変遷の背景
 欧米でのろう教育改革の進展を参照すると、カメルーンのろう教育の背景が分かる。

●欧米のろう教育改革
 200年ほど前にフランスを中心にろう教育始まる。手話法教育。
 しかし、だんだんと口話法教育が力を得る。国民国家においては同一言語を使うべきであるという発想や、音声言語習得はろう者にとってもよいはずであるという健聴ろう教育者の思いこみなどがあるだろう。
 19世紀の終わりには口話法優位がほぼ確立する。音声言語を身につけるためには手話に頼ってはいけないと、聾学校内で話すことを禁止。ろう者教員は解雇。
 しかし、訓練しても聴者並みに口話が上達するわけではない、情報量が少なく学力が伸びにくいなど、口話法教育の限界が指摘されるようになり、20世紀後半以降改革が試みられるようになる。

 米国では早くから手話を取り入れたろう教育改革始まる。1976年に全米聾学校長会で「トータル・コミュニケーション」の決議。コミュニケーションができることをまず優先する。ただしここで言語としての手話が認知されたわけではない。
 フォスターの来カメルーンは1977年。ほぼ同時期であることがわかる。

 フランスでは、約200年前にド・レペ神父が聾学校を作りろう教育を始めた。当時は手話法。
 その後、フランス国民の言語は音声フランス語に統一すべきだという考えが台頭し、手話教育は法律で禁止される(他の少数音声言語も同様に弾圧を受ける)。1968年の5月革命でフランス国内のマイノリティが権利運動を起こし、手話を守り主張する運動が盛り上がる。法律で容認されたのは1991年。ようやくろう教育の中で手話法が復活。
 直後の1994年に、フランス手話がカメルーンへ持ち込まれる。

●手話と植民地
 カメルーンでのろう教育の変遷は、基本的には「口話法から手話法へ」という今日の世界的な趨勢に沿ったものである。が、内容はつねに先進国の教育を模した形になる。この世界の南北関係が見て取れる。
 「正しいろう教育」の基準は地域の中にはなく、先進国にある。これは植民地的状況と言ってよいだろう。
 また、ろう教育を整備しているのは聴者。
 問題の背景にある認識として、
(1)手話がその土地の言語・文化であるという認識がないこと。
 つまり、聴力を補う手段という見方であれば、どんな手話でもいいということになるだろう。
(2) 先進国の手話こそが正しい手話であるという思いこみ。地域にあるものを評価しない。
などがあることだろう。


(7) まとめ
 このようなろう者コミュニティの言語問題は、ろう文化パラダイムにのっとってこそ記述されうるものだ。

●「欧米の援助で手話教育が整備された」?
 聴力の欠損やそれを補う手段などの側面を重視する医学的な見方でこの事態をとらえるならば、「欧米の援助で手話教育が整備されました」「手話を持ってきて与えることはいいこと」という"朗報"で終わってしまうかもしれない。現実にそれらの言語の中で生活するろう者のリアリティを損なった記述になる恐れがある。
 カメルーンのろう者は決定権を奪われている。なぜ「野蛮」と言われてしまうのか?なぜこの地域ではアメリカ手話やフランス手話なのか?という様々な問題を捉えられない。ろう文化パラダイムでこそ捉えられる。

●パラダイムとしての有用性
 音声言語とは必ずしも一致しない手話言語の歴史と現状について、さらに具体的に明らかにしていくために、ろう文化パラダイムを効果的に活用していくことができるし、また、活用していく必要があると考える。

【主な参照文献】
木村晴美/市田泰弘「ろう文化宣言──言語的少数者としてのろう者」
 『現代思想』Vol.23 No.3、青土社、1995
亀井伸孝「もうひとつの多言語社会
      ──カメルーン共和国におけるろう教育とろう者の言語」
 『世界の社会福祉 第11巻 アフリカ・中南米・スペイン』
 編集委員代表 仲村優一/一番ヶ瀬康子、旬報社、2000

【休憩 3:45-3:55】

質疑応答
●「カメルーン」という地域はもとからあったのか?それともヨーロッパの国が作ったのか?
:ヨーロッパが入ってきて線を引いてカメルーンという名前を付けた。歴史的には120-130年くらい。

●「カメルーン」に住んでいる人々自身に「カメルーン人」というアイデンティティはあるのか?
:都市部と農村部とで違う。
 やや話はそれるが、私は本業として森林の狩猟採集民の調査に関わった。たとえば狩猟採集民は「カメルーン人」というアイデンティティを持っている様子はない。国境を自由に行ったり来たりしている。国籍(IDカード)を持っていない人も多い。
 ただ、都市部の生活者には「カメルーン人」としてのアイデンティティがある。都市部のろう者の発言として「ろうのカメルーン人」「カメルーンの手話」という言い方を多く目にした。

●自分は日本人とは思っていない。日本にいるだけ。日本にいるから「日本手話」といっている。外国へ行ってもまったく困らない。外国でも通じる。日本手話を使う人ということになるのは、日本にいるからであって、国家というものに左右されている。国と国というレベルとか集団・社会というレベルで見ていくより、個人(身体・言語も含めて)として考えていってほしい。これまでの歴史は聴者が中心にして作り上げられてきたという印象がある。いま、ろう者に対してどうしていけばいいのかといった問いがおきている。「ろう文化宣言」をしたにもかかわらず、山本おさむさんからのような批判では、水掛け論になる。ろうの子どもをとりまく環境も整っていないし、共生とかノーマライゼーションとかいう社会のありかたに対しても具体的な話し合いができていない。障害学研究会の活動も、社会的な取り組みを目指すものであるはず。
:今日の話はアフリカとカメルーンの大状況を描いて見せたが、それが最終目的ではない。それより、その背景の下、現場で何がおきているかのほうが興味がある。「カメルーン手話」を使う子どもを教師が叱るというような、子ども個人のありかたに関わる具体的な出来事がおきている。だからその指摘には納得する。国家間の話で終わりたくはない。

●カメルーン手話の基盤となるコミュニティは何か?
:「カメルーン手話」とは、口話法時代の聾学校で子供たちが使っていた手話。ろうの子どもが集まったところで自然に手話ができることがある。口話法だが、聾学校という場が大きな意味を持っている。聾学校ができるより前については、証言を得られていないのでわからない。

●ろう者全員が学校へ行っているわけではないだろう。何%くらいがろう学校で教育を受けられるのか?
:私立なので通えない子がたくさんいるといわれているが、学校でも把握してない。学費を出せないろうのこどものために、家を巡回して指導などをするグループか学校があるという話を聞いたが、何人くらいがサービスを受けているか不明。都市と農村の格差もあり、きちんと調べられていない。

●フランス人や米国人が聾学校を作ろうとした目的と、ろう者が学校に通う目的は?以前、カメルーン出身の人から、学校は行きたい人が行く、という話を聞いたが。
:米国人フォスターはキリスト教系団体の援助活動。黒人ろう者としての使命感があったのではないか。
 フランス系も、昔からあるキリスト教の活動。現地の教育や生活を全体的に向上させたいというような、布教と一体になった活動は多い。ろう教育もその一環であろう。
 ろうの家族や子どもにとっては、卒業しても仕事はない。口話法で音声訓練を受けても普通学校に行ってなじめるわけでない。社会参加できるわけではない。また、行きたくても行けない子もいるはず。

●学校ではない、地域で成立する「教育」として何かあるか?
:村の中でろう者がわずかにいる、というところでは、その村独自のサインがあるという例があった。日本のように障害者を自分から切り離した上で気遣うという雰囲気はない。ほっておかれることの良し悪しあり。

●手話を学ぶことにメリットがあるのか?学校へ行かないことや、カメルーン手話にデメリットがあるのか?
:学校が学習用の手話を決めてしまうため、どんな手話を学ぶかをこどもが選ぶ余地はない。教師から見れば、米国やナイジェリア(またはフランス)へ進学させるためには、アメリカ(またはフランス)手話が便利と考えてはいるだろう。

●カメルーンでろう者は障害者と思われているのか?障害者と思われているのであれば、ろうはdisability? handicap? など、どのように認識されているのか?
:全般的にはよく分からないが、比べれば日本の方がはっきりと「障害者」としてくくる雰囲気があると思う。

●さまざまな手話言語が入って豊かになった面(例えば、アメリカ南部でのクレオールや異種混交によるハイブリッド現象のような状況)はないか?カメルーン手話を話す人々が発信できるようになるための手だては?
:語彙の数は増えているといえるかもしれない。
 ただし現場で起こることを考えれば、周囲が勝手に決めて言語政策を進めるのは問題。ろう者自身が自分たちの言語を作っていくのならいいが。
 実際のろう者たちは、自分の使っている手話(フランコ・アメリカン手話など)を聴者に教えるなど、地域で活動をいろいろとやっている。

【17:00頃終了】

最終参加者数 21名(うち2名手話通訳)



UP:20090717
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