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『インクル―ジョンをめざす教育』

国民教育文化総合研究所・障害児教育研究委員会

last update: 20151223


1999年度日教組委託研究

障害児教育研究委員会報告書

インクル―ジョンをめざす教育

2000年4月17日
国民教育文化総合研究所



教育総研・障害児教育研究委員会

委 員 長   堀  智晴(大阪市立大学)
幹   事   落合 俊郎(元国立特殊教育総合研究所)
研究委員    中西由起子(アジア・ディスアビリティー
・インスティテート)
研究協力委員  石井小夜子(弁護士=教育総研運営委員)
  〃     嶺井 正也(専修大学=教育総研副代表運営委員)
  〃     矢倉 久泰(教育ジャーナリスト=教育総研運営委員)


目次

はじめに ……………………………………………………………………1
第1章:インクルージョンへの道 ………………………………………3
 1 インクルージョンとは何か ………………………………………3
  1)統合教育からインクルージョンへ ………………………………3
  2)インクルージョンの実際 …………………………………………4
  3)新しいWHOの障害の定義(案)より …………………………4
 2 なぜインクルージョンなのか:日本が避けられない理由 ……5
  1)超高齢化時代に向けて ……………………………………………5
  2)私たちの未来の社会:教室はどうなっているか ………………5
第2章:民主主義社会を担う市民として ………………………………7
 1 インクルーシヴな社会をめざして ………………………………7
 2 障害観、障害者観、自立観の転回と教育観の問い直し ………7
 3 「世間」の論理の支配する中での自己決定 ……………………8
 4 共に生き、共に学ぶことが欠かせない …………………………8
 5 民主主義を担う社会的主体としての子ども ……………………9
第3章:教育改革への提言 ………………………………………………10
 1 教育改革としてのインクルージョン ……………………………10
 2 教育改革への展望 …………………………………………………10
  1)意識や教育内容などの改革 ………………………………………10
  2)条件整備が不可欠 …………………………………………………11
  3)入試制度の改革 ……………………………………………………12
 3 保護者、地域の人々とのパートナーシップ ……………………12
第4章:インクルーシヴ教育のための法的整備 ………………………13
 1 本来的な法的整備 …………………………………………………13
 2 当面の法的整備 ……………………………………………………13
  1)就学指定に関する法令 ……………………………………………13
  2)特別な教育ニーズのための条件整備 ……………………………15
  3)高校への入学・大学への入学 ……………………………………15
附 法令の改正について……………………………………………………16
 3 「インクルーシヴ教育促進法」の提案 …………………………21
おわりに ……………………………………………………………………23


はじめに

 現代に生きている私たちにさえ想像をこえた発展が次々にあった20世紀。時にはあまりにも早い技術の進歩や情報の流れに振り回されながらも、子どもも大人も一緒になって、次々に出てくる新しいものに挑戦していった。そして迎える21世紀。次にはどんな思いがけないことが起きるのかという期待と興奮で、私たちは今まさにその扉を開けようとしている。

 今世紀は障害者が一人の人間としての権利が認められ始めた、障害史上の黎明期である。慈善活動の対象とされた「みすぼらしい」そして「かわいそうな」障害者たちは、今や雪のゲレンデで活躍する、子どもたちがサイン帳を片手に取り囲むパラリンピックのスターであり、テレビのゴールデンタイムに流行のファッションで登場する、あこがれの主役にかわった。

 障害者が一人の人間として初めて認められ権利を保障されたのは、1948年の国連の人権宣言である。国連はさらに宣言で唱われた社会保障の権利を、1975年に障害者の権利宣言という形で具体的に明確に示した。1981年の国際障害者年のスローガン、「完全参加と平等」に関連しての官民あげてのキャンペーン活動では、障害者の権利がさらに分かりやすい形で示された。人々は、平等な機会を享受すべき障害者の存在に対する認識を深めたのである。

 地域で暮らす障害児・者は病人ではない。またずっとリハビリテ−ションの対象者となるのでもない。またマスコミに偉人扱いをされるスーパーマンでもない。地域で暮らす普通の市民である。健康な大人や子どもが病院や種々の施設を利用するように、障害者も一時的に病院やリハビリテーション施設、教育やレクリエーションの施設、福祉センターの利用者となるのである。彼らには、単に障害があるからという理由で保護や特別な教育や管理が必要なのではなく、地域の人々と交わって自立して暮らしていくために技術、知識、情報や仲間からのサポ−トが必要なのである。このことはインクルージョンの社会を迎えるにあたって、ますます重要となってくる。
 特にこれから人生を始めようという障害がある子どもや青年にとって、障害をもって生きる力をつけることは何より必要である。子ども全般にとって過保護な環境が整いつつある現在、彼らも不必要な規制を課せられている。生きる力を得るには失敗から学ぶ経験の場やその機会を保護や管理の名の下に奪わないことが肝要である。

 21世紀にたとえ想像を超えるような発展があるにしても、確信できることは、来るべき世紀は、市民の権利が守られる、人権の時代であるということである。地域で暮らす障害者はサ−ビスの選択・決定権を手に入れ、自ら自分たちの必要とするものをどう満たすかを考えるのである。
 教育に関して言えば、21世紀の教育は、それぞれの市民が自己実現のために選択できるサービスとなるはずである。教育が義務であった時には、国民は長いこと政府が与えてくれた教育を、時には何の考えもなく、時には拒否する自由もなく、受け取っていた。

 服従の文化ではなく、自立の文化がやってくる。これからは、教育を受ける子どもも、大人も、当然教育サービスに対して市民として意見を述べ、計画づくりに参加できる。教育は教職員や行政担当者と一緒に地域の大人も子どもも参画できるサービスとなる。
 人類には、かってない程多くの選択肢があたえられることになる。その時にこそ、自らの意思で得た教育が役にたつ。自らの手で意義のある人生を創造する自由があるということはなんとすばらしいことではないか。


第1章:インクルージョンへの道

1 インクルージョンとは何か

1) 統合教育からインクルージョンへ
 ユネスコ・パリ本部の特別なニーズ教育(Special Needs Education)部の部長であったレナ・サレー氏は、サラマンカ宣言が出される一年前に次のように述べている。ユネスコは統合教育を促進してきたが、いくつかの点で困難に直面している。統合教育を障害児教育の範疇内の新しい方向性としてとらえてきたが、非常に限定された成果しか生まれなかった。そして、障害児対非障害児という考え方ではなく、より幅広い視点で学校全体を内部から見直し、全ての子どもたちのために学校を改革していく方法:インクルージョンを提案したいと述べた。さらにインクルージョンが行われている学校を以下のように定義した。
*障害児を含む全ての子どもが普通学級に就学し、援助を受けられる場であり、クラスメートや仲間たち、教職員全員にサポートされる場である。
*子どもによって学ぶスタイルやスピードが違うということを受け入れ、それを育む場である。
*適切なカリキュラム、学校組織、社会資源の利用、地域社会とのパートナーシップを通して教育の平等を保障する場である。
そして、インクルージョンを行う学校を成功させるためには、すでに障害児教育制度が発展している国においては、障害児教育の教職員は、通常の教育に組み入れられ、彼らは通常教育の中で、授業方法、カリキュラム、アセスメントの分野において専門知識をもつ教職員として活躍することを強く望まれる。
 インクルージョンに移行せざるを得ないもうひとつの理由として、発展した障害児教育の形態として統合教育に力を注いでいるうちに、通常教育の驚くべき失敗を無視できなくなり、障害児教育の改革のみに力を注ぐことの矛盾に気がついたということも含まれる。1994年6月、スペインのサラマンカにおいて、国連、ILO、WHO、ユネスコおよびユニセフの支持をもって、サラマンカ宣言が出され、次の点が明言された。
*すべての子どもは教育への権利を有しており、満足のいく水準の学習を達成し、維持する機会を与えられなければならない。
*すべての子どもが、独自の性格やニーズを考慮して、教育システムが作られ、教育プログラムが実施されるべきである。
*こうした幅の広い性格やニーズを考慮して、教育システムが作られ、教育プログラムが実施されるべきである。
*特別な教育的ニーズを有する人々にも、そのニーズに見合った教育を行えるような子ども中心の普通学校にしなければならない。
*インクルーシヴな方向性をもつ学校こそが、差別的な態度と闘い、喜んで入れられる地域を創り、インクルーシヴな社会を建設し、万人のための教育を達成するためのもっとも効果的な手段である。
 さらにこうした学校は大多数の子どもたちに対して効果的な教育を提供し、効率性をあげて結局のところ教育システム全体の経費節約をもたらすとしている。そして、普通教育と分けた場所での教育に対しては「法律ないし政策の問題として、別の方法で行わざるを得ないという止むにやまれぬ理由がない限り、普通学校にすべての子どもを在籍させる」としている。

2)インクルージョンの実際
 インクルージョンが国の施策となっている国においては、次のような展開が行われている。当面、障害児学校は、支援を行うためのリソースセンターや研修センターとしての中心的役割が与えられ、障害児教育教員は巡回教員として活動する。子どもたちや保護者が望んだ時、オプションとして、センター内の学校部で教育が受けられる。支援の対象となるのは、いわゆる障害児だけではなく、不登校など直接的には「障害」とは関係ないが、様々な原因で困難や不安をもつ子どもたち、あるいは教職員である。
 障害児教育教員には、治療教育的な技術だけでなく、カウンセリング、コーディネーション技術も必要となってくる。インクルージョンが完成された時点では、複数の通常教育教員体制が行われるとしている。これは次のようなプロセスを踏んで可能である。
まず、全ての教員養成課程で障害児教育に関する科目を必修とすることが必要である。障害がある子どもたちについての教育方法、哲学、インクルージョンの基本的姿勢、非障害児と同じクラスに入学した場合の課題とそれを解決するための方法などを全ての教職員がいわば常識として身につけることが必要である。例えばインクルージョンが国の施策となっているマレーシアでは、まだ義務教育が完全実施されていないが、すでに全ての教員養成において、30%にあたる科目が障害児に関するものになっており、先進国が行った普通教育が完成した後に障害児教育を始めるという図式とは異なった歴史を歩んでいる。

3) 新しいWHOの障害の定義(案)より
 現在、WHOにおいて、障害についての新しい定義が検討されている。1980年に作られた国際障害分類ICIDH(International Classification of Impairments、Disabilities、and Handicaps)での定義は、DisabilityまたはDisorder(疾病または変調)がその原因となり;

Impairments(機能障害)⇒Disabilities(能力障害)⇒Handicaps(社会的不利)

という直線的なモデルであった。この図式では、障害児教育の目的は、障害の軽減や克服であっても、そう大きな矛盾はなかった。しかし、新しい障害の定義では;

Impairment(機能障害)⇔Activities(活動)⇔Participation(参加)

と相互作用的なモデルへと変わる。
 さらに重要なのは、Activities(活動性)を規定する要因として、個人内因子と環境内因子の両方を位置付けていることである。個人内因子とは、個性や障害と言われていた部分で、環境内因子とはバリアフリー(物理的、心理的、社会的なものを含む)や支援体制等が含まれている。障害児教育の目的が障害児の社会的不利をなくすための教育であるとすれば、新しいモデルでは、障害の軽減や克服だけではなく、彼らが将来、生活するであろう地域の様々なバリアーを解消するための活動と支援の確保も学校教育期間中に行わなければならない。2001年には、この新しい定義が承認されるであろう。
 総理府が中心となり遂行している障害者プランで述べているように、障害者福祉が都道府県単位から市町村レベルへと移行されれば、特殊教育諸学校の9割弱は県立学校である現実を見ると、これら諸学校から小中学校へどのような貢献を行うのか考えなければならないだろう。WHOの新しい定義や障害者プランの目的を実現しようとすれば、インクルージョンが最も合理的な方法であると考えられる。

2. なぜインクルージョンなのか:日本が避けられない理由

1)超高齢化時代に向けて
 障害者に限らず、高齢者、ケガや病気、妊娠している人など様々な人々にも特別なニーズがある。高齢者の比率については、1980年代後半、スウェーデンが人類史上はじめて18%に到達しようとした。スウェーデンの社会福祉については、賞讃する側と高福祉、高課税の国と批判する人々もいる。しかし、2002年の日本の将来推計人口では、高齢化率は18.3%になり、人類の記録を破ることになる。2020年には、27.5%になると統計上推定されている。このように、スウェーデンの人類記録をはるかに超え、2020年には四分の一以上の日本人が65歳以上になる。このような状況を目前にして、私たちに参考となるモデルはもう存在しない。私たち独自で考え、創って行かなければならない。
 さて、2020年代に30歳から40歳の働き盛りの人々は現在すでに小学生から大学生になっている。このような社会が到来したとき、この人々が特別なニーズがある人々(障害者、高齢者など)にどのような対応をするかは、今彼らが教室の中で見たり聞いたりすることに左右されるに違いない。例えば、障害児が通常の学級に在籍し、その子を無視したり分離型教育へ行けと圧力をかけるとする。この場面を他の子どもたちが見て学習し、やがて30歳になった時、高齢者を無視したり、高齢者は施設に行くべきだという社会通念を形成している可能性もあるのである。もし教職員が障害児のニーズに対応するために様々な工夫をしたり、支援体制作りに努力すれば、それを子どもたちは見て学ぶこともできる。確かに、現行法では、通常の学級の中に障害児が在籍している場合、彼らに教育的支援を配慮しなくても違法ではなく、人手不足、予算不足で何もできないと言われるだろう。しかし、2020年の超高齢化社会の状況でふんだんな人員と予算が確保できるだろうか。また、この領域は「特殊教育」のようなごく少数の専門的な人々が莫大なコストをかけないとできないものであるという社会通念を作ってしまう危険性もある。インクルージョンは、まさに未来の社会のあり方とつながっているのである。

2)私たちの未来の社会:教室はどうなっているか
 私たちの未来の社会である教室は、「学級崩壊」という言葉が示すように、きわめて危ういものになっている。授業という点に注目しても、文部省の調査からは、中学2年では、「授業がほとんどわからない」が4.1%で「わからないことが多い」が16.2%としている。これは、授業内容が余りにも高度であったり、詰め込み主義的なカリキュラム編成の限界を示している。しかし、それだけではなく生活に必要な基礎知識が保障されているのかどうか考える必要があろう。生活に必要な基礎知識が獲得されていないと社会生活に必要な情報の収集、文書や申請書の理解やその提出に不都合が生じ、社会的な不利益を被ったり、犯罪に巻き込まれる確率が高くなることも考えられるからである。
 1974年の養護学校義務制実施によって、どんな重度の障害児も学校教育で学ぶことができるようになり、高校進学率は現在96.8%を達成して、機会均等の保障という戦後民主主義の理念はあたかも実現されたかのように見える。しかし、一方では小中学校の普通学級の50日以上長期欠席している子どもの数が、すでに「特殊教育」制度に就学している子どもの数よりも多くなった事実は何を物語っているのか。これは、日本の現状は機会均等を実現する歴史的段階から、機会を与えられてもその機会を消化できない、活かせない子どもたちがいて、様々なニーズがある子どもたちをも考慮した多様な教育へと質的変換が迫られる時代に突入している証であろう。日本がかかえる将来の問題を考慮すれば、様々なニーズのある子どもたちも参加できる、インクルージョンをめざす教育は避けられない、いや出来るだけはやく実現しなければならない教育の在り方なのである。




第2章 民主主義社会を担う市民として

1 インクルーシヴな社会をめざして

 学校教育のあり方について考える時、私たちがどんな社会の建設を目指しているのかが問われることになる。今この社会を生きている子どもは、ゆくゆくはこの社会を担う存在である。私たちは現代の社会のかかえる問題を直視し、これからどんな社会をつくっていくのか、子どもと共に考えながら問題を解決していく必要がある。
 これまでの日本の社会は障害者を排除し、差別して一人の人間としてみなしてこなかった。このような社会を私たちは子どもと共に変革する必要がある。国際障害者年の行動計画(1981)においても、一部の人々を閉め出す社会は「弱くもろい社会」と述べ、そのような社会の変革を期して国連の障害者の10年(1983-1992)をはじめとして様々な取り組みがなされてきている。
 また、障害者を排除して成り立つ社会はノーマルではないとし、そのような社会をノーマライズする必要があると考えるノーマライゼーションの理念に立つ運動が1960年頃から始まった。この運動はその後障害者の問題に限らず高齢者や少数者などの問題も含めて社会のあるべき理念として拡げて考えられるようになった。こうして変革された社会はすべての人にとって暮らしやすい社会になるはずである。
 最近ではこのようなあるべき社会を、インクルージョンの実現した社会(Inclusive Society)と表現する。この社会観もノーマライゼーションと同じように社会の変革をめざしている。一部の人々を排除する(exclude)のではなく、どのような人とも共に生きる(include)社会をめざすのである。この考え方には、異常な社会を正常な社会に変えるという考え方から、より積極的に<共に生きる>社会を創造するという意味が込められている。このような社会をめざして、インクルーシヴ教育(Inclusive Education)が構想され実践が展開される必要がある。

2 障害観、障害者観、自立観の転回と教育観の問い直し

 「障害は不幸だ」という障害観、「障害者はかわいそうな人だ」という障害者観は障害者運動によって大きく転回した。障害を理由にした差別があるから、障害があると不幸とみなされ、障害者は保護する存在と考えられるのである。それゆえ、この障害を理由とする差別をこそ私たちはなくす必要がある。
 障害があっても一人の人間であり、民主主義社会を担う一市民である。今や世界的には、障害者という表現を用いず、まず人間(people first)と見なし、障害を個性として考え、「特別なニーズを持つ人」と表現するのである。チャレンジャーと表現することもある。
 また自立についても、身辺自立や経済的自立を優先する見方から、「自分の人生に関わることがらは自分で選択して決める」という自己決定を重視する自立観に変化してきた。
 このような考え方の転回を経て、教育観の問い直しが私たち一人ひとりに求められている。障害があっても一人の子どもとして、自分の人生を設計して地域の中で仲間と共に生きていく、そのような主体として子どもが育っていくのを支援するのが教育という営みなのである。子どもの主体的な学びを重視し、子どもが仲間と共に生活し学び合う中で自己決定をする力を育てていくという考え方に教育観を転換させる必要がある。

3 「世間」の論理の支配する中での自己決定

 子ども自身の自己決定を育てるのが教育である、と書いたが、今の日本社会においては、これほど困難なことはないといってもいい。なぜなら、現在の日本はまだなお一人ひとりの自己主張を認めない「世間」だからである。今なお日本社会は「出る杭は打たれる」「長いものにまかれる」という「世間の論理」が貫徹しているからである。ましてや障害者はこれまで長い間、自分で考えることができないとみなされ、自己決定の機会を全くといっていいほど奪われてきたという経過がある。親子関係においても同じようなことが言える。障害のある我が子をかわいさのあまり庇護するばかりで、子ども自身の自己決定を認めてこなかった。
 ほとんどの障害者は非障害者から隔離され、非障害者中心の価値観のなかで「生かされてきた」というのが歴史的な事実であった。地域の中で仲間と出会い関わり合う中で自己を主張し、自己決定をしながら自分を生きるという機会が奪われてきたのであった。
 こういう状況の中で、これからの教育は、障害があろうとも一人の個人として自己決定しながら自分の生き方を形成していくのを支援していくことだと言っていい。子どもの自己決定を尊重する教育への転換が求められているのである。

4 共に生き、共に学ぶことが欠かせない

 障害をマイナスにみるのではなく、逆にその子なりの個性的な要求を持って生きている子どもとしてみなし、その子の自己決定を尊重する教育は、これまでのように障害児だけを特別な場に囲い込んで教育するという特殊教育からの決別を前提とする。
 子どもはどの子もユニークな存在である。障害がある子どももユニークな子どもの一人である。障害のある子も自分なりの要求を持つ子どもの一人として、他の子どもと共に地域の学校の普通学級で生活し学ぶことによって、お互いに自己を主張し、相手の主張を尊重し合いながら共に生きることの素晴らしさと難しさを学び、自分なりの生き方を形成していくのである。このように自己決定は他者との関係の中でより深められる。
 私たちはこのことをこれまでの共生・共学の教育実践を通して明らかにしてきた。障害のある子どもと共に日常的に共同生活をすることによって一人ひとりが深く学んできたし、またお互いに学び合うことによって人間関係もより豊かになったのである。学校教育の場で自分と異なる存在に出会い、お互いに自己のこれまでの生き方を問い直しながら、この民主主義社会のかかえる諸問題を協力して解決していく基本的な力を身につけていくのである。

5 民主主義を担う社会的主体としての子ども

 このように考えてくると、子どもの自己決定を尊重し自分の生き方を形成していくのを支援する教育は、何も障害のある子どもに限った教育ではないということが分かる。すべての子どもに対してそのような教育が必要なのである。
 現在、教育改革が進行中である。今回の改革は教職員の教え中心主義から子どもの学び中心主義への転換にその特色がある。子どもの学びからこれまでの学校教育を問い直そうという具体的な改革の中心課題として「総合的な学習の時間」も導入された。モノ知りを養成する教育から自分の学び方、考え方、生き方を形成する子どもを育てる教育に大きくシフトしようとしているのである。学校教育はこれまでのような正答主義を改め、子どもの自立(関係の中での自己決定)を支援する教育への変革が求められているのである。
 子どもの時から自分の考えと異なる仲間と出会い、相手との間でコンセンサスを形成するスキルを身につけ民主主義のルールを獲得していくことが必要となる。障害のある子どもは、どんなに重度と言われる子どもも、その存在をもって、また行動を通して、そしてからだや言葉を通して自己主張している。どの子どもも一人の民主主義を担う社会的主体として生きている。
 このような子どもの自己主張を受けとめる教職員自身の意識改革が必要とされる。同時代人として生きている私たちの一人ひとりが、社会と教育の現状に対してどう考えるのかが問われている。子どもの自己決定を尊重するということは、その子どもに出会う教員自身の自己決定(価値観)がそこで試されていると言っていいのである。
 政治の混迷、経済の不況、子どもをめぐる深刻な事件など現在の日本社会を考えてみるとき、私たちは民主主義の意義を再認識し、これからの社会の目指す方向として、一人の人間も排除しない共に生きる社会を理念として掲げ、地道な教育実践に取り組むことの重要性を再認識する必要があると考えるのである。
 そのための大きな柱として障害児教育のあり方をとらえ直したい。


第3章 教育改革への提言

1 教育改革としてのインクルージョン

 OECDが1999年に出した『インクルーシヴ教育の実際(Inclusive Education at Work)』の内容紹介を山中誠・OECD東京センター長が行った「教育のバリアーフリー」と題する新聞記事がある(注@)。障害をもつ子どもが100%普通学校で学んでいるカナダ東部のニューブランズウィック州での授業風景などを紹介した後で次のように結んでいる。「抜本的な教育改革が政府の最優先課題と位置づけられている今日、教育の不可欠の一部として、障害をもつ子供たちの教育について包括的に議論されることを期待したい」。
 すでに1、2章でも述べたように、またこの記事でも明らかなように、インクルーシヴ教育とは、たんに障害のある子どもの教育にかかわる問題ではない。それはすべての子どもの教育そして学校のあり方に関わる問題であり、教育がすべての子どもの独自のニーズに見合ったものでなければならないことを求めるものである。だからこそ、サラマンカ宣言は、まず最初に子どもたちの一人ひとりのニーズにあった学校教育を提起し、それを踏まえて、「特別な教育的ニーズ」をもった子どもを排除せずに、その子たちが障害のない子どもと共に学べるようなインクルージョンの学校づくりを訴えたのである。もちろん、インクルージョンは学校教育だけの問題ではない。国連子どもの権利委員会の日本政府に対する勧告(1998年)にも見られるように、それはインクルーシヴな社会づくりへの展望とも結びついたものである。
 この原理をもっとも端的に示しているのがイギリスのインクルーシヴ教育研究センターの主張である(注A)。同センターは「インクルージョンは変革のための枠組みが構築されるとともに、すべての障害児の教育が、基本的な権利として日々の学校教育の中にあたりまえのこととして位置づくように、はっきりと普通学校の再構築を求めるものである」と明言している。また、日本では「共生・共学」という考え方のもとに実践が取り組まれ、そこでは障害のある子どもたちを排除することで成り立っている普通学級・学校のあり方を変えることこそが基本的な課題であると、一貫して主張されてきている。

2 教育改革への展望

1)意識や教育内容などの改革
 すでに大阪府や広島県などで従来型の「特殊教育制度」を見直す動きもあるし(注B)、より大胆な改革構想としては日本特殊教育学会のものがでているが、しかし、いずれも普通学校制度全体の改革を目指したものではない。私たちは今この日本の学校において悩み、迷っている多くの子どもたちのことも合わせて制度改革を考えていく必要があろう。
 制度改革に先立って重要なのは何よりもまず、障害のある子どもが普通学級にいて当たり前だとする意識、エートスとして学校文化を育むことであろう。今の学校の状況では確かにいじめや差別がある。しかし、そうしたものと向かい合い、立ち向っていくこともまた学びであろう。この点では、クラスの一員であるという意識や態度を特に教職員がもつことが必要となる。こうした意識や学校文化は、異文化を身につけている子どもや外国籍の子どもが排除されることなく当たり前に学級にいる状況にもつながる。
 さて、サラマンカ宣言とともに採択された行動枠組によれば、インクルージョンの学校づくりには「教育課程、建物、組織編制、授業方法、評価、教職員、校風、特別活動」の全般の変革が不可欠であるとしている。これを参考にしながら具体的に考えてみよう。
 教育課程は異なった能力や興味に対応できるような柔軟性をもたせるようにする。そのためには教育内容は同じであるが、その学び方への支援に多様性をもたせ子どもたちの多様な学びが可能になるようにする。一斉学習や個別学習の支援、グループ学習、チューター方式、ワークショップ、コンピューターの利用などさまざまな方法を組みあわせることが考えられる。こうした方法は、例えば異文化を身につけた子どもたち、学校での学習を自分独自のペースで行う子どもたちへの対応にも役立つ。改訂された学習指導要領はかなり各学校での自主的な編成を認めてきてはいるが、まだまだ不十分である。思い切って各学校での編成にゆだねる方向での制度改革が不可欠であろう。
 評価制度は現在の相対評価中心から脱却しなければならない。子どもたちがどこまで学習したかを具体的に知ることのできる形成的評価へと切り替える必要がある。当面、指導要録、通信簿、内申書などの評価制度改革への取り組みとならんで、個人の学習の過程や成果をなるべくそのままの姿で記録し集積していく評価方法「ポートフォリオ」づくりをすすめる必要がある(注C)。

2)条件整備が不可欠
 こうした多様な方法が取り入れられ、柔軟な教育課程編成が行われるには現在のような学級定数や教職員配置では不十分である。基本的には25人程度の定数とし、「特別な教育ニーズ」をもった子どもが入ってきたら定数を減らすことなどの他、複数担任制、支援教員の配置、介護者の配置、教育ボランティア(これは学校と地域社会とのパートナーシップでもある)の協力などが目指されなければならない。今のように、障害のある子どもの保護者に学校で介護させるといったきわめて問題の多いやり方ではなく、そうした保護者も含め、協力できる保護者が子どもたち全体の学習支援に関わるという方法も工夫されてしかるべきであろう。こうした条件整備はすべての子どもの学びにとってプラスとなり、個性を大事にした支援も可能になる。
施設・設備はまさにバリアー・フリー(注D)の観点からの再点検が必要である。障害のない子どもでも怪我や病気などで階段の昇降に苦労する場合があるし、これからの学校は「地域社会の拠点」としての役割も担うようになり、高齢者の利用が進むことを考えれば、バリアー・フリーは障害のある子どもだけの問題ではない。
今は「判別委員会」になってしまっている就学指導委員会は廃止して、あらたに保護者、教職員、行政関係者などで構成される「修学支援」委員会を設け、先述したWHOによる「障害」の新たな定義づけを踏まえながら子どものニーズを見定め、普通学級で学ぶすべての障害のある子どもの学びへ支援方法や条件整備を考えるようにする必要がある。この点と関わって、就学相談や乳幼児健診のあり方も見直されるべきである。
「特色ある学校づくり」と関わって新たな動向として浮かびあがっている「学校選択制」(注E)は、インクルージョンの学校を避けるという、きわめて問題のある学校選択を認めることになる。その一方で、障害のある子どもには学校選択を認めないという矛盾した対応をとっており、とうてい認められるものではない。

3)入試制度の改革
 入試制度と高校、大学改革は緊急を要する。当面、高校入試は廃止し、日教組の提起している「地域合同総合制高校」づくりをすすめて、すべての子どもが入試というバリアーなしに進学できるようにし、子どもたちが自らのニーズに応じた学習ができるようにすべきである。
 最大の問題は大学入試である。少子化により近々進学希望者と募集定員の数が一致するようになり、入ろうと思えばどこかには入れる状況になるかもしれないが、高校と同じように不本意入学などで中退していくケースも予想され、さらには大学によっては障害のある学生の受け入れ体制ができていないところもあろう。大学間格差の問題も含め、早急な改革が求められている。
教員養成、採用の制度も見直す必要がある。教職員を目指すすべての学生がインクルージョン、インクルーシヴ教育について学ぶようにすべきである。そればかりでなく障害のある人々が教職につけるのが当たり前のことになるよう積極的にその機会を増やさなければならない。

3 保護者、地域の人々とのパートナーシップ

 以上の教育改革は教育政策、教育行財政を動かして実現することが基本であるが、そのためには保護者や地域の人々とのパートナーシップに基づく協力関係が大切である。このことは学校独自でできることに関して、より一層妥当する。
 サラマンカ宣言の行動枠組では保護者との関係を重視して「学校管理者、教員、保護者の間の協力的で支援的なパートナーシップが発展させられるべきであり、保護者は意思決定に際しての主要なパートナーとみなされるべきである」と述べている。これはひとり障害のある子どもの保護者に限ったことではない。これは全体的な学校改革の課題となっている子どもや地域に開かれた学校づくりの基本でもある。
 また、インクルージョンと密接にかかわるCBR(地域社会に根ざしたリハビリテーション)や障害者の自立生活運動には地域社会のさまざまな組織や人々の協力が必要であり、パートナーシップの確立が不可欠である。

<注>
@読売新聞2000年3月1日朝刊。なお、報告書ではこの新聞では紹介していないさまざまな実践例が含まれている。
A同センターの英文名は“Center for Studies on Inclusive Education”であり、その主張は“Inclusive Education a framework for change”(邦訳・嶺井他訳『障害児とともに学ぶ〜イギリスのインクルーシヴ教育〜』明石書店、1998年)に簡潔に紹介されている。
B詳しくは拙稿「インクルージョンをめぐる自治体の動向」小川・嶺井編『続・共育への道』(明石書店、2000年)を参照のこと。
C国民教育総合研究所・教育評価研究委員会報告書「教育評価を問う―現状の分析と改革の方向―」同研究所『教育総研年報 '98』を参照のこと。
D新しく学校を設置する場合には、すべての人が利用できるよう最初から考える「ユニバーサル・デザイン」が不可欠である。
E具体例としては品川区の「通学区域のブロック化」で見られる。




第4章 インクルーシヴ教育のための法的整備

1 本来的な法的整備

 インクルーヴ教育を促進するために、「インクルーシヴ教育促進法」の提言を別項でするが、具体的な促進のためには、現行の学校教育法の改正や新しい法律の制定等をして、法的な整備をする必要がある。
 その抜本的かつ本来的な方策としては、学校を普通学校一本にし、現行の特殊学校・特殊学級をリソースセンターとして変革する必要がある。したがって、この観点からいえば、学校教育法1条において「盲学校、聾学校、養護学校」を削り、学校教育法第6章を全面的に削除することになる。学校教育法施行令・同施行規則もそれに沿って改正ないし削除する。

2 当面の法的整備

 社会的な同意を得られるには時間がかかることを鑑み、当面は、まず、特殊学校等への「就学指定」に強制力をもたせないための最低限の改正を提言する。また、学級定数や教職員の加配をして、子どもの特別な教育的ニーズに少しでも応じられるような支援策を、さらに、高校入学・大学入学が今なお困難なことに鑑み、学力を基準とする選抜方法を取らせないため、入学試験・選抜制を削除するなど、最低限の提言をする。
(なお、「特殊学校」等以下の用語は、現行法令にある用語をそのまま使用した。)

1)就学指定に関する法令
@ 学校教育法の規定
 学校教育法では、普通学校と特殊学校を規定し、就学義務を保護者に課してはいるが、障害のある子どもに特殊学校を強制する規定はない。
 学校教育法71条に盲・聾・養護学校の目的を規定し、71条の2で、「故障の程度は政令で定める」としている。同条を受けて学校教育法施行令22条の2でその「故障の程度」の表を規定している。しかし、学校教育法では、この表に該当する場合でも、盲・聾・養護学校に就学しなければならないとする規定はない。
A 学校教育法施行令5条1項、14条1項
 学校教育法施行令5条1項では、就学予定者のうち、「盲者で、その心身の故障が、第22条の2表盲者の項に規定する程度の者…」と22条の2の表の項に規定する程度の者以外の者について、「保護者に対し、…入学期日を通知しなければならない」と、「盲者・聾者・精神薄弱者・肢体不自由者・病弱者」以外の入学通知を規定し、22条の2表に規定する程度の「盲者・聾者・精神薄弱者・肢体不自由者・病弱者」については、別途、14条1項で「その保護者に対し、…その入学期日を通知しなければならない」と規定する。
 いずれも「入学期日を通知しなければならない」との表現からみると、22条の2表の項に規定する程度の者については、入学期日の通知を通してではあるが、あたかも、教育委員会が盲・聾・養護学校へ就学させうる権限を有するかのように読めないわけではない。
 しかし、法的な観点からいえば、子どもの教育への権利は基本的人権であり、また、保護者が子どもに対してどのような教育を受けさせるかは親の基本的人権として教育権に属するものである。それを国が一定に規制するには、合理的な理由があり、その上法律による規定がなければできない。学校教育法にはその規定はなく、保護者に普通学校か特殊学校に就学させる義務しか課していない。ゆえに、それを政令で規定して規制することはできない。
 学校教育法施行令5条1項、14条1項が教育委員会に特殊学校に就学させ得る権限があるとする規定ならば、違法としか言いようがない。
 しかし、現実に、この政令によって就学学校が規定されるのならば、直ちに改正しなければならない。それに、インクルーシヴ教育をすすめるならば、この改正は不可避である。入学予定者全員が普通学校に、うち保護者の申出がある場合のみ特殊学校に就学させるよう改正する。そのため、具体的には学校教育法施行令5条1項は、「市町村の教育委員会は、就学予定者の保護者に対し、翌学年の初めから2月前までに、その入学期日を通知しなければならない」、また、14条1項は、「都道府県の教育委員会は、5条1項の入学予定者のうち、保護者が就学先として盲・聾・養護学校を申出た場合、その保護者に対し、速やかに入学期日を通知しなければならない」とする。
 その他、盲学校・聾学校・養護学校へ強制する前提要素となりうる学校教育法施行令6条の2、11条、12条、13条は改正する。いずれも特殊学校が県立であるゆえ、市町村教育委員会と都道府県教育委員会間、ないしそれらと校長間の通知規定である。したがって、内容を大幅に改正して、特殊学級への就学申出があった場合、その氏名等の通知・学籍簿の送付で足りる。
B 特殊学級への強制を回避するため
 特殊学級に関しては学校教育法75条に、「置くことができる」という規定だけがあり、特殊学級に措置する場合の手続は法令にもない。通常、学級決定は校長権限とされるゆえ、これは法令を新設して規制する必要がある。
 たとえば、学校教育法施行令14条の2を新設して、「小学校・中学校・高等学校の校長は、保護者の申出がなければ、児童・生徒を法75条に規定する特殊学級で教育を行うことはできない」とする。
C 学校保健法
 普通学校と特殊学校との振り分け、あるいは特殊学校への強制は、事実上「就学指導委員会による就学指導」による。
 就学指導委員会は法的な根拠によらず、通達によって設置されている。法的根拠を強いて考えれば、学校保健法5条の「市町村の教育委員会は、前条の健康診断の結果に基づき、治療を勧告し、保健上必要な助言を行い、及び学校教育法第22条第1項に規定する義務の猶予若しくは免除又は盲学校、聾学校若しくは養護学校への就学に関し指導を行う等適切な措置を取らなければならない」であろう。
 そして、実際、就学指導はここから始まるもので、これが振り分けの根元になるものである。そこで、5条の削除を提言する。
 同法4条は就学時の健康診断を規定している。健康診断は学校が子どもの健康状態を知るためであって、現在、子どもの健康については就学前も就学後も保護者が責任をもっているし、入学後は、学校においても定期的に健康診断をするのであるから、この点で就学時にする必要性はない。一方、5条は4条の就学時の健康診断に続くものである。4条が「その健康診断を行わなければならない」と義務化しているのも、5条の「治療勧告、就学指導」を行うためでもある。5条を削除しても、事実としての「就学指導」が残る可能性がある。就学時健康診断が事実上の就学指導(前述したように特殊学校は申出制にしたが、事実上強制される可能性は十分に予想できる)をもたらす可能性は十分あり、4条を削除する。
 これに関連して、学校保健法施行令1条ないし4条も削除する。
D 異議申立権等の確立
 Aで述べたように改正すれば、特殊学校への強制はなくなると思われるが、事実上の強制が考えられる。その対処のため、異議申立権等を明記して確立する。
 たとえば、学校教育法施行令14条1項の保護者の申出により、同2項の学校指定がなされるが、これに対する不服申立ができる、とする制度を提案する。そして、いつでも普通学校へ転校できる制度を確立すべきである。(特殊学級の場合も同様)

2) 特別ニーズのための条件整備
(一学級の児童数)
 学校教育法施行規則20条を「小学校の同学年の児童で編制する一学級の児童数は、25人以下を標準とする。但し、障害がある児童がいる場合は20人以下とする。」同20条の2(新設)「前条但書きの場合、さらに一人以上の教員を加配しなければならない。」等を新設する。

3) 高校への入学・大学への入学
 これも入学後の対応を含めて様々な施策を設けるべきであるが、まず、入学させるために以下のように提言する。
 学力を基準とする入学試験等を廃止するため、学校教育法施行規則59条を、「高等学校の入学は、校長がこれを許可する。」に改正する。  
 大学入学に関しては、学力を基準に選抜させないため、学校教育法56条を「大学に入学することのできる者は、高等学校を卒業した者若しくは通常の課程による十二年の学校教育を修了した者(通常の課程以外の課程によりこれに相当する学校教育を修了した者を含む)又は監督庁の定めるところにより、(これと同等以上の学力があると)認められた者とする」の括弧内アンダーライン部分を削除する。



法令の改正案(傍線部分改正)
 A:改正案
 B:現行
 (報告書では表のかたちになっている。(立岩))

■学校教育法施行規則



(一学級の児童数)
第20条
「小学校の同学年の児童で編成する一学級の児童数は、25人以下を標準とする。但し、障害(注)がある児童がいる場合20人以下とする。
注 別途定義が必要


(一学級の児童数)
第20条
「小学校の同学年の児童で編成する一学級の児童数は、法令に特別の定めのある場合を除き、50人以下を標準とする。」



(教員の加配)新設
第20条の2
前条但書きの場合、さらに一人以上の教員を加配しなければならない。



(入学の許可)
第59条
高等学校の入学は、校長がこれを許可する。


(入学の許可、入学者の選抜、学力検査)
第59条
「高等学校の入学は、第54条の3の規定により送付された調査書その他必要な書類、選抜のための学力検査(以下本文中「学力検査」という。)の成績等を資料として行う入学者の選抜に基づいて、校長が、これを許可する。」

■学校教育法


(入学資格)
56条
「大学に入学することのできる者は、高等学校を卒業した者若しくは通常の課程による12年の学校教育を修了した者(通常の課程以外の課程によりこれに相当する学校教育を修了した者を含む)又は監督庁の定めるところにより、認められたものとする。」


(入学資格)
56条
「大学に入学することのできる者は、高等学校を卒業した者若しくは通常の課程による12年の学校教育を修了した者(通常の課程以外の課程によりこれに相当する学校教育を修了した者を含む)又は監督庁の定めるところにより、これと同等以上の学力があると認められたものとする。」



3 インクルーシヴ教育促進法の提案

 障害児を受け入れる普通学校がようやく増えはじめている。それはしかし障害児とその親、支援者たちの共生・共学を求める熱い運動によって実現したもので、運動のないところ、運動の弱いところでは、依然として普通学校への入学・転学の壁は厚い。
 障害児と共にあるインクルーシヴな学校をつくっていくためには、当分こうした運動の大切さを確認し、かつ運動を補強しつつ、最終的には法律によって制度化すべきだと考える。そのことによって、すべての障害児に普通学校への入学が保障でき、インクルーシヴな学校が実現する。アメリカではすでに1975年に「全米障害児教育法」が制定されていることを想起しつつ、当委員会も独自に法制化の検討を重ね、ここに「インクルーシヴ教育促進法(案)」を提案することにした。
 「促進法」としたのは、インクルーシヴな教育を促進するための基本原則を示すためである。この促進法をまず国会で制定し、それを受けて学校教育法などの関連法を抜本的に改正するか、新法を制定することになる。
 促進法を制定するためには、まず障害当事者団体や日教組など障害児教育に関わるNPO・NGOの側で「インクルーシヴ教育促進法制定協議会」(仮称)を組織し、ここに提案する法案をもとに議論を重ね、より良い法案にしていく必要がある。一方で超党派の衆参両院議員による「インクルーシヴ教育促進法制定国会議員連盟」(仮称)を結成し、「協議会」と「議員連盟」の間で、さらに研究を進め、議員立法として国会に提出する。こういう手順を考えている。

 〔インクルーシヴ教育促進法(案)〕
 この促進法は、国連の「障害者の権利宣言」(1975年) 「障害者に関する世界行動計画」(1982年)「障害者の機会均等化に関する基準規則」(1993年)、ユネスコの「特別ニーズ教育に関する世界会議」で採択された「サラマンカ宣言」(1994年)、および「子どもの権利条約」(1994年・日本政府批准)に基づき、障害のある子と障害のない子どもが学校で日常的に共に過ごす空間と時間(共生・共学)を保障することで、障害のある子の自立と社会参加を促し、障害のない子に障害児への理解を深めさせ、インクルーシヴな学校を作ることを目的として制定される。国会・政府・自治体、および関係諸団体は、この促進法に定める内容を誠実に、かつ速やかに具体化する義務を負うものとする。

第1条 すべての障害児は、人間としての尊厳を尊重される。
第2条 すべての障害児は、その障害の原因、程度にかかわらず、いっさいの差別を受けず、障害のない子どもと同じ権利、機会、受益を保障される。
第3条 すべての障害児は、障害のない子どもと日常的に普通学校(以下、学校と略す)で過ごすことが保障される。
第4条 すべての障害児学校は廃止される。
第5条 すべての障害児は、公教育を無償で受ける権利を有する。
第6条 すべての障害児は、学校内外の施設で、障害の種類、程度に応じて機能回復訓練及び特別の教育支援を受ける権利を有する。
第7条 学校は、障害児の障害の種類、程度に応じて教育課程を弾力的に編成しなければならない。
第8条 学校は、障害児の評価、進級・単位・卒業認定にあたって、子どもの実態に則して柔軟な態度で臨み、不利な扱いをしてはならない。
第9条 教育行政機関ならびに学校は、障害のないすべての子どもに対して、障害児への正しい理解を深める教育及び障害児とコミュニケーションができる教育(点字・手話)を施さなければならない。
第10条 教育行政機関ならびに学校は、すべての障害児が普通教育および文化・スポーツ活動を受けられるように、質の高い教材、学習用具、施設設備、支援教職員の配置など、必要な支援サービスを提供しなければならない。
第11条 教育行政機関ならびに学校は、障害児が希望すれば職業教育を受けられるように前条のような支援サービスを提供しなければならない。
第12条 教育・医療・福祉・司法の従事者など子どもに関わる職業に携わる者は、その養成期間及び在職中に、障害児についての教育、実技訓練などを受け、障害児に対する理解と対応の仕方を身につけなければならない。
第13条 行政機関は障害児を持つ家庭を物心両面から支援するシステムをつくらなければならない。
付 則 この法律が制定されれば、直ちに関連法を改定しなければならない。



おわりに

 この研究委員会は全部で9回の会を重ね、半年間でこの報告書を作成することになった。ちょうどこの時期は、日本特殊教育学会の障害児教育システム研究委員会が1999年の3月に「特別教育システムの構想と提言」を提出し、また、この2000年度から文部省によって「21世紀の特殊教育のあり方」を検討する委員会が設置される時期に重なる。21世紀を迎えるに大きな節目に、我が国においても「特殊教育としての障害児教育」が根本から見直され、障害のある子も一人の子どもとして地域の普通学級で共に生活し共に学び合える第一歩がようやく始まろうとしている。
 この歴史的転換の流れは、ほんとうに「ようやく」という感がする。
 なぜこれほどまでに古い体制に固執するのか、不思議にさえ思う。しかし、他人事としてこの現実を考えることはできない。そのような現実を私たちの一人ひとりが許してしまっているとも言えるからである。
 この時期に日教組としても障害児教育の今後の方向について具体的な提起を何らかの形で行う必要があるということになった。そして教育総研の研究委員会として6人のメンバーが編成された。本研究委員会は半年間で精力的に論議を重ねてきた。メンバー間では初めての出会いもあり期間は短かったが有意義な研究会であったと思う。
 本研究委員会は、もともと小川さんの問題提起を受けて、総研の研究委員会として編成されたものであるが、彼はこの3月をもって日教組の教文局長の役職を最後に退職された。この報告書は小川さんから後進への一つの置きみやげと言ってもいいだろう。
 この報告書の内容を、これからの日本の障害児教育と教育総体の進むべき方向を考える上で一つのたたき台にして欲しい。またこの方向で現状を変革するための具体的な一つの提案として参考にして欲しいと願う。いや、「〜して欲しい」と言っていてはいけないだろう。第3、4章に具体的な提案をしたように私たちもその実現に取り組んでいきたいと考えている。この提案をさらに深め具体化する取り組みも考えている。本報告を読まれたらぜひご批判をいただきたい。そしてこれからの私たちの共同研究に参加してきて欲しい。
 各章の執筆分担は次の通りである。担当者の原稿が出たところでそれをみんなで読んで討議し、担当者が書き直し、最終的に堀が調整した。
 はじめに:中西  第1章:落合  第2章:堀  第3章:嶺井  第4章の1、2:石井  法令の改正案:石井  第4章の3:矢倉  おわりに:堀
 なお、「特殊教育」の用語については、法律用語及びその方が現状を表現できる場合には、その用語を使用したことをお断わりしておく。
 最後に、教育総研の中家さんには会議の進行と報告書に作成について大変お世話になった、この点について感謝したい。


障害児教育研究委員会の検討経過

1999年9月13日 第1回研究委員会。委員会の構成、研究テーマ、研究方法などを確認して、各人の問題意識について自由討論。
同  10月23日 第2回研究委員会。中西さんから「CBRの歴史と現状」について報告を受けて、自由討論。
同  11月2日 第3回研究委員会。ザリザンさんから「マレーシアにおけるインクルージョンの経緯と課題」について報告してもらい自由討論。
同  11月28日 第4回研究委員会。落合さんから「日本における特殊教育の課題と展望」について報告してもらい自由討論。
同  12月20日 第5回研究委員会。堀が本研究委員会の最終報告の柱立てを提案し、それについて自由討論。
2000年1月15日 第6回研究委員会。本研究委員会の最終報告の分担部分の草稿を持ち寄り検討。
同  2月12日 第7回研究委員会。最終報告の第4章の法改正の部分について検討。
同  3月10日 第8回研究委員会。最終報告の各自の原稿について検討。
同  3月25日 第9回研究委員会。最終報告の各自の原稿について検討。


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  ◆障害者と教育

REV: 20151223
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