HOME > 全文掲載 >

再び福祉工場について

――執行部発はお休みして、ちょっと個人的な雑感――

つるた まさひで 19991010 『すくらむ』(月刊,大田福祉工場労働組合発行)掲載の文章を改稿


つるたまさひで (鶴田雅英)
E-Mail:tu-ta@mub.biglobe.ne.jp


===以下、少し手を加えたもの===
再び福祉工場について

昨年(1998年)末頃に、大田福祉工場の労働組合の機関紙「すくらむ」(月刊)
にのっけた文章です。
障害学MLに出すに当たって、その後のMAIについて、OECDとしての締結はでき
なくなったという部分を補足し、HPに掲載させてもらうにあたって、ちょっと
「てにおは」を直しました。。

こんな、内輪の、しかも古いものを掲載してもしょうがないか、とも思ったので
すが、いろんな人が読んでるところに出してもらえてうれしいです。
コメントがもらえたら、うれしいので、MLでも直接メールでも・・・。

−−以下、転載(一部補足)−−

再び福祉工場について
−執行部発はお休みして、ちょっと個人的な雑感−

書記長(当時) つるたまさひで
<1>、はじめの言い訳
<2>、福祉工場の歴史と現実についてのぼくの立場
<3>、そもそも福祉工場は必要なのか?
<4>、新しい福祉工場の役割
<5>、今年の「街に出よう」で感じたこと
<6>、福祉工場で働くということ

<1>、はじめの言い訳
再び福祉工場について書きたいと思っている。以前と言ってももう十年も前にな
るが、この「すくらむ」が再刊された頃、福祉工場について考える文章を書いた。
今、それが手元にないし、あまり憶えてもいない。今まで、いろいろ言ってきたこ
との繰り返しも多く、十年前ともそんなに変わってないかもしれないが、以下、思
いついたことを行きつ戻りつしながら、書いてみた。

<2>、福祉工場の歴史と現実についてのぼくの立場
「福祉工場」という制度が出来て約四半世紀。ぼくが働きはじめてからも十四年
になる。その間、福祉工場あるいはそれを取り巻く状況のの何が変化し、何が変わ
っていないのだろうか。この制度自体は基本的には変わっていない。そもそも福祉
工場という存在は、進まない障害者雇用、とりわけ通過施設のはずの授産施設での
「滞留」を背景として生まれた。コロニーを中心とした運動の結果だと言われてい
る。このような経過の中で、雇用の場であるにもかかわらず、労働省の管轄ではな
く厚生省の管轄の下に生まれた制度としての矛盾は今も尾をひいているのではない
だろうか。中央省庁の統廃合で厚生省と労働省が一体化するようだが、その動きの
中で私たちが具体的に何を望んでいくのかという声を上げなければ、何も変わらな
いだけならまだしも、制度の谷間に取り残される可能性すらあるのではないだろう
か。
話を福祉工場という制度の話に戻そう。この間、大田工場の経営が好んで使って
いる福祉工場の定義として「意欲と能力のある障害者を雇用する場」というフレー
ズがある。(それがないものは去ってもらうという含みで使われている)。このこ
とについては以前もどこかに書いたと思うが、決定的に欠落している部分がある。
「意欲と能力があるにもかかわらず、雇用の機会のない障害者の雇用の場」という
べきだ。たいした差はないじゃないか(*注)と思われるかもしれないが、ぼくが
この欠落は決定的だと思うのは、本当に雇用の機会がない障害者の雇用の場となっ
ているかどうかが重要な分岐を形成すると考えるからだ。福祉工場での雇用と一般
雇用の差異と同一性について、従来、どのような整理がなされていたのか残念なが
らぼくは知らない。おそらく、四半世紀前、車いすを利用する障害者の一般雇用の
場が非常に限定されていた時代ならば、そのことを深く考える必要はなかったかも
しれない。福祉工場に来るしか行き場がないのだから。しかし、当時よりは確実に
選択肢は広がっているのではないか。(もちろん、それが十分ではないことは言う
までもない。)障害者が福祉工場か一般雇用かという選択肢を、一定の幅の中では
あれ持つことが出来るようになっている現状で、福祉工場に何が求められているの
か問い直すことがより重要になってきている。
大田工場の経営が「にもかかわらず、雇用の機会がない」という部分を欠落させ
たのが意図してのことかどうかは不明だが、そこには「とにかく、現状の赤字体質
を脱却させたい」という思いが明確に出ている。現状の人員を減らすことはあって
も増やさないで、なんとか利益を上げるというのが、彼らにとっての至上命題であ
り、障害者雇用の現状がどうのというのは、とりあえず、置いておきたいことのよ
うだ。
一方でそういう問題の建て方を全面的に否定できない現実も福祉工場にはあると
言わねばならない。ここに福祉工場の二律背反的な性格が現れている。東京都が設
置した福祉工場として、都が支払う経営委託料に見合った障害者雇用は進めなけれ
ばならない。その委託料は無視できない金額ではあるものの、しかし他方で基本的
には自分たちの稼ぎで給料を支払わなければならない。これが二律背反的だという
ことを改めて説明することもないかもしれないが、労働市場の中で職を得にくい、
つまり、雇用が利益に結びつきにくい労働者の採用が求められているにもかかわら
ず、利益は上げなければならないということだ。そこでの微妙なバランスの上に成
立しているのが福祉工場の特徴だし、その一筋縄ではいかないところだ。
福祉工場に税金が投入されている以上、「障害者雇用がどこまで進んでいるか」
ということに福祉工場の性格は規定されざるを得ないというのが、現状でのぼくの
立場でもある。
(*注)能力主義批判という観点からの「たいした差はない」という論議について
は、非常に重要だと思うが、今回は触れることが出来ない。

<3>、そもそも福祉工場は必要なのか?
<2>、に書いた立場は福祉工場の存在を前提にした立場だが、そもそも本当に
必要なものなのかどうか、もう一度問い直してみたい。
年間約八千万円の経営委託料に加えて、運転資金の貸与や土地・設備に東京都が
負担するコストを考えると、どう安く見積もっても、大田福祉工場の存続のために
年間一億円以上の税金が投入されている。仮にこれを一億円だとすると、五〇人の
障害者定員を満たしていると仮定しても、一人の障害者を雇用するに当たり、毎年
二〇〇万円の費用が使われていることになる。
また、ノーマライゼーションとか「すべての人のための社会!」(Society for
all)という理念に照らすと、障害者を特定の場所に集める「福祉工場」という存在
は望ましいものではない。本来、すべての障害者に当然、働く権利と義務があり、
障害者が分けられて雇用されるのではなく、一般就労につくことが原則とされるべ
きだろう。
しかし、このことをつきつめていくと、利潤の追求を社会的な活動の第一義的な
動機とする資本制社会との矛盾が生じる。この間の世界的な規制緩和をめぐる動き
はこの矛盾を先鋭化させるかもしれない。
「グローバル経済という怪物」という著書の作者であるD・C・コーテンは以下のよ
うに述べる。
「金銭のみを唯一の価値とする巨大企業によって支配される統制されないグローバ
ル経済は本質的に不安定であり、とてつもない不平等を生み出し、市場、民主主義
、そして生命を破壊し、少数者に富裕をもたらすが、実質的には人類を貧困化させ
ている」
「アメリカの指導者たちは日本人に対して構造改革を実行し「正常な国」になれ、
と勧告している。日本人たちはこの勧告が何を意味しているか正確に理解するべき
である。それは、環境保護を棚上げにし、労働者や一般市民が公正や経済正義に訴
えることを放棄し、国や人間としての立場を考慮することのない少数の大銀行や大
企業がトップ経営者や大株主を億万長者にしていく道を意味しているのだ。」
(「グローバル資本主義が人類を貧困化させる」世界(岩波書店)98年8月号から)
また、この間、合州国を中心に日本も積極的に荷担して締結がもくろまれている
MAI(多国間貿易協定)について、
「さらに多くの国々では現地人採用や身障者など特定カテゴリーの人員採用を義
務づけることにより、投資を公共の利益に合致する方向に誘導する政策をとってい
るが、MAIはそういう措置も禁じている。」と論じている筆者もいる。(ローリ・
M・ワラック 「世界資本主義の新宣言 秘密裏に検討される多国間投資協定(MAI)
」「世界」98年5月号、ただ、ぼくはこの断定については少し保留が必要だと考えて
いる。)(追加補足、OECDによるMAI締結の動きは頓挫した)
この世界(グローバル)資本主義にかかわる矛盾を、どのように解消するのかな
んてことを語る能力はまったくないのだが、ひとつだけ書いておきたい。利潤を追
求する自由よりも人間の友愛や自然環境を守るというこに価値を置く社会へ移行が
望まれているのだと思う。そこに至る道のりは遠大だろうし、二十世紀における
「社会主義」の実験の壮大な失敗という足かせもある。しかし、それを足かせであ
ると同時に反面教師として生かしていかなければならない。非常に大きな犠牲をと
もなったこの実験、その犠牲者のためにもこの「実験」の結果を無駄に終わらせて
はならない。
話がそれてしまった。福祉工場が必要かどうかの話だ。このようにコストがかか
り、ノーマライゼーションの理念からもはずれている福祉工場ではあるが、それが
必要かどうかという問いに、まずここではためらいながら「イエス」と答えてみよ
う。

<4>、新しい福祉工場の役割
その理由は第一に私たちの雇用が守られなければならない、経営および設置主体
にその責任があるということだ。これはこれとして譲れない問題だ。しかし、障害
者雇用を進めていく上で、福祉工場の存在が養護学校や収容施設のようにノーマラ
イゼーションの阻害物になるなら、やはり、この解消を視野に入れていかねばなら
ない。もちろん、この前提として私たちの雇用と生活が守られなければならない。
では、障害者施策の中で福祉工場を積極的に位置づける方策はないのか。ぼくは
可能性はあると考える。一つのキーワードは「自立」だ。ここでは independent
というよりも self-relianceという訳語をあてたい。福祉工場における経済的な自
立をイメージしているのだが、経済的な自立については論議がある。年金や生活保
護の上での自立も確かにあり、自分たちの生産での収入に過度の思いいれを抱くこ
との是非は考慮しなければならないとは思うものの、そのことの肯定的な意味は否
定できないとも思う。
その上で、福祉工場がどのような役割を果たせるのか、ということだが、 現状で
考えられるひとつの役割として、障害者が就労していく上でのケーススタディーと
いうのが考えられる。さまざまな種別の障害を持った人々とともに働く時に、どの
ような問題があり、それをどのように克服したかということは、福祉工場は経験と
して持っているのだが、単に経験としてだけではなく、データベースにしていくと
いうことが考えられるのではないだろうか。そのためには障害が重度で雇用がより
困難な人の受け入れが不可避だと考える。そして、それが利潤をあげなければなら
ないという緊張感の上で行われることに意味があると考える。
それを実現する上で決定的に配慮されなければならない問題として、プライバシ
ーの保護ということがある。上記の目的を実行する工場だという合意が得られるか
どうか、現状のままでは、それは残念ながら不可能に近いと言わざるを得ない。

<5>、今年の「街に出よう」などのキャンペーン活動で感じたこと
なぜ不可能と考えるのか、以下 大田工場で働いている人の意識の問題を考えてみ
たい。
先日、大田福祉工場アジア太平洋障害者の10年推進委員会の主催で例年行ってい
る「街に出よう」キャンペーンが実施された。今年は従来のとにかく電車に乗って
遊びに行くというスタイルから大きく転換し、山の手線の全駅をチェックしてみよ
うという形態で行われた。そして、そのことに関する不平不満を少なからず聞いた。
ぼくもこの転換はあまりにも性急だし、やっぱりもう少し楽しむ要素があっていい
んじゃないかと感じた。まあ、こういう試行錯誤を繰り返すことはしょうがないと
も思うが、大田福祉工場でのこの手の活動に対する労働者の意識がどうなのか、と
いうのは非常に気になる問題だ。こういう活動に参加しない労働者が増えているよ
うに思う。ひとりひとりが自分で判断して、こういう活動を無視し、年休を使って
休む権利を否定は出来ない。しかし、なぜ大田工場でこういう問題に取り組むのか
という問題意識をもっと従業員にアピールする手だてがないとは思えない。そこに
ついて何ら手だてが取られていないのはとても残念なことだ。
また、さかのぼること一ヵ月、ゼンコロのアジア太平洋十年の中間年のキャンペ
ーン行事も行われた。そこでの参加者はトップダウンで決められた。十一月一日に
予定されている工場のフェスティバルのぼくの職場である浜松町での決め方もトッ
プダウンだった。こういう決め方が続く限り従業員の主体性をうんぬんすることは
出来ないのではないか。確かにボトムアップで決めていくのは簡単ではないし、そ
のように決めたからといって必ず主体性が育つというわけでもない。しかし、それ
は主体性を育むための最低限の前提条件なのではないかと考える。
ちなみに、この中間年キャンペーンのシンポジウムでもボトムアップの重要性が
語られたらしい。まず、自分たちの組織のしかたされかたを問い直さなければなら
ないのではないか。
こんな状況を見るにつけ、道は遠いことを実感せざるを得ない。

<6>、福祉工場で働くということ
しかし、ここで働くことに特別な意味付与が必要なのかどうかと問われると、ぼ
くは答えに窮してしまう。障害者にとって、あるいは非障害者にとって、ここで働
くことに利潤を追求する一般企業で働くこととは異なる特別な意味があるのだと強
制することは出来ない。ただ、障害のある人ない人がいっしょに働く中で、けんか
したり仲直りしたりしながら、いっしょに働いている人が痛いと感じていることや
うれしいと思っていることを自分も共感しようとすることが出来る、そんな関係を
創っていくことから始めることが出来れば、それはけっこう素敵なことなんじゃな
いかと思ったりもしている。

未完(たぶん永久に)
まとまりがなくて、ごめんなさい。

−−転載、おしまい−−


つるた まさひで  ◇障害者と労働  ◇Archives
TOP HOME (http://www.arsvi.com)