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例外の再編

寺本 晃久 199910 『発達』80:39-44


 ●自己決定の尊重
 特に1990年代に入ってから、知的障害をもつ人の自己決定があらゆる場面で問題となってきている。
 英米圏で発達してきた自己決定・自己主張(セルフ・アドボカシー)の考え方が日本にも広まったり、知的障害を持つ人達自身による当事者活動が活発になったりしてきている。援助者の側も、一方的に療育や管理をするのではなく、自己決定を尊重した支援のあり方を探り始めている。

 また制度上においても、判断能力(意思能力)が低いとされる人に代わって後見人に法律行為を行わせる、いわゆる成年後見制度が改正されようとしている。これまでの制度では、後見人がいれば、障害者本人は法律上ではまったくの無能力とされたが、このたびの改正では、本人の必要に応じて後見の内容を選べる「補助」や、成年後見人を前もって指定しておける「任意後見」が新設され、自己決定の尊重が条文にもりこまれたり、補助決定における本人意思の確認が規定されたりしている。

 あるいは、福祉のしくみが措置から契約に移行することによって、より利用者の選択の幅が広がると言われる。しかしその反面、選べない人、契約能力のない人が取り残されることが注目される。

 これまで、知的障害をもつ人の自己決定は通りにくかった。しかし、知的障害と一口にいっても、その障害の程度などはさまざまであり、決定ができる者もできない者も一緒にされて、自己決定権を奪われてきた。けれども、当人ができる範囲のことについては自己決定に任せる、あるいは情報提供などの支援をすることによって自己決定ができるようにする、という考えがなされるようになってきている。

 
 ●自己決定の条件としての知的能力
 だが、制度を柔軟にして自己決定権を認めたり、支援を行うことだけで解決できるのだろうか。知的障害を持つ人については、そもそもの自己決定能力がまず特有な問題として語られてきた。自己決定を勧めるといっても、それはすべての事柄において可能ではない、あるいは障害の重い人はどうなるのだ、といった意見は依然としてある。能力の低いことによって自己決定ができないという現実があり、それによって自己決定の制限が正当化される。これまでの民法における禁治産者制度は、それが制度化されたものである。民法第七条は「心神喪失ノ常況ニ在ル者ニ付テハ家庭裁判所ハ本人、配偶者、四親等内ノ親族、後見人、保佐人又ハ検察官ノ請求ニ因リ禁治産ノ宣告ヲ為スコトヲ得」とし、自らのことについて判断能力のない者の保護と関係する第三者の安全(特に取引、そして家族の生活の安全)のために、財産管理や諸契約、投票といった行為の権利を剥奪する代わりに、後見人をつけて、後見人がすべての決定を下し、行為する。

 こうした自己決定能力の不在の前では、たとえば「差別」によって自己決定権が奪われている、といった議論は無効だとされる。
 たとえば、J・ロックは次のように述べた。
 「個人に何かの欠陥の起こることがあり得る。そのために何人かが、法を知りその規律に従って生活するだろうと想定される程度の理性を獲得しないとすれば、その者は決して自由人となり得ず、決して自分自身の欲するままには放任されない。…中略…むしろ彼自身の理解力がその責任を引受けることができない間は、絶えず他人の後見支配の下にあるのである。だから精神病者や白痴は決してその両親の支配から解放されない。」(Locke[1690=1968:63])

 また、J・S・ミルは自由を語るときに、次のように述べた。
 「この所説を、諸々の能力の成熟している人々にだけ適用するつもりであることは、恐らくいう必要はない。われわれは、小児のことを述べているのではなく、また、男女の成年として法律で定めているであろう年齢よりも下にある若い人々のことを述べているのでもない。いまだ他の人々の世話を受ける必要のある状態にある人々は、外からの危害に対して保護されなくてはならないと同様に、彼ら自身の行動に対しても保護されなければならない。」(Mill[1859=1971:25])

 このように、彼は自由の要件として能力を置き、能力の欠如によるパターナリズムを容認している。彼はまず消極的自由を主張した。しかし同時に「個人は彼自身に対して、すなわち彼自身の肉体と精神とに対しては、その主権者なのである」と述べたのだが、消極的自由においては単に自己の事柄に関して干渉されないとするだけで、それだけでは自己が主体性を持っていることとは直接にはつながらない。ここで彼は、外的な強制がなければ主体的に行為しうる能力を前提にしている。だから、彼は能力のある者についてのみ、彼の自由論を適用したのである。生きるために他者の世話を受けている者は、強制がなくても、自己のみによっては主体的に幸福を追求することができず、また、他者からの危害や自己の安全に対処できないために保護を受ける必要があるので、自由は適用されない。

 また、ミルにおいては本人の幸福は干渉の理由にはならず、あえて危険を冒そうとする場合も警告するに止めるべきであって、強制的にその行為を阻止するべきではないが、起こるであろう不利益を理解することができない者については例外とされる。なぜなら、危険があることがわかっていればその行為をやめたはずであり、彼は危険を冒すことを本当は「欲してはいないから」である。

 近年の医療に関するインフォームド・コンセントにおいても、能力が問われる。ビーチャムらは、自己決定であるための条件について定義している。つまり、(1)意図をもって、(2)理解して、しかも、(3)何かの影響下にはないこと、である(Faden
and
Beauchamp[1986=1994:186])。そして、個人の自己決定を尊重するとは、「個人的な価値観と確信に基づいて自己の見解をもつ権利、選択する権利、そして、行為する権利を含め、その人の能力や見方を認めることである」とする(Beauchamp
and
Childress[1989=1997:81])。そこで、医療において患者が受ける治療を患者自身が決めるために、医者は病気や治療方法について説明し、治療内容について同意を得ること、つまりインフォームド・コンセント(説明と同意)が求められる。彼らの条件設定によれば、医者が情報を開示するだけでは、必ずしも患者が自己決定をするためには充分ではない。開示された情報について理解し、自発的に何かを選択しなければならない。ここで、理解する能力、選択の能力などの能力が問われることになる。彼らは「たとえば、未熟であるとか、無能力であるとか、無知であるとか」などといった場合にはこの原理は適用できないと述べる。

 
 ●線引きの問題としての「知的障害者問題」
 このように、自由や自己決定を語る言明の中で、ほとんど必ずと言っていいほど、脈々と知的能力が問題にされ、自己決定を行使できる場から排除されてきている。しかし、そこで問題となる知的能力の内実は、たいした言及もなく、はっきりしない。かなり古くから名指されてはいたが、その実態は非常に曖昧なものであった。

 19世紀中頃に、「白痴」者(idiot)を収容し治療教育を行おうとした教育機関の勃興の中で、定義・分類する試みが行われ始めた。たとえば、米国で初めて「白痴学校」を設立したH・ウィルバーは、1852年に4つの種類の「白痴」を認めた。すなわち、疑似白痴者、軽度の白痴者、重度の白痴者、教育不能の白痴者、である。

 また、19世紀後半にペンシルバニア訓練校の施設長であったI・N・カーリンは、1877年に別の分類を提示した。@5〜10年で、コミュニティで戻ることができる優れた精神薄弱者、A親のない白痴者および痴愚者、B医療を適宜提供しながらも、習慣形成、娯楽、運動を必要とする重度の者、の三分類である。

 ところが、20世紀初頭、境界を明確にする道具が開発され、急速に普及した。知能指数(IQ)を最初に導入したビネーは、フランス政府により、特別な教育が必要な子供を特定することを命じられた。普通教育にのれない子供を「発見」し、分けることが知能検査の当初からの目的であった。

 米国で知能テストを紹介し普及させたH・H・ゴダードは、1910年にカーリンの分類に取って代わる新たな概念を提案した。知的欠陥の全ての形態を指示する用語として「精神薄弱(feeblemindness)」を用い、「白痴(idiot)」「痴愚(imbecile)」、そして従来の定義よりも能力は高いが通常の水準より劣るもの(精神年齢12歳以下)として「魯鈍(moron)」というカテゴリーをつくりだした。彼は、精神薄弱の数がこれまで考えられていた以上に多く存在し、しかも犯罪を引き起こすなど社会への脅威として危険視した。魯鈍は、知能テストにより「科学的」に裏づけられた。ヨーロッパからの移民をテストしたところ、ユダヤ人の83%、ハンガリア人の80%、イタリア人の79%、ロシア人の87%が精神薄弱ということがわかった。

 R・M・ヤーキーズらは、1917年に米国陸軍の175万人の新兵に対して知能テストを実施した。その結果、彼らの平均精神年齢は約13歳、つまり魯鈍のレベルよりもわずかに上でしかないことがわかった。

 こうした検査の結果は、後に検査の実施条件や内容に問題があったとして、妥当性が問われた。しかしその後の知的障害の定義においても、IQが70以下だとされたり、85以下だとされたり、その境界は常に揺れ動いてきた。知的障害の歴史は、線が引かれることによって認識されてきた歴史でもある。

 
 ●線が引き直される
 こうして20世紀初頭に、その時点で知的能力が低い場合にそれが単に怠慢や不勉強の結果であるのか、それとも病理的・生得的に知的能力が低いことに起因するのかを峻別し、さらに序列化する試みが始められた。これは本来的に能力のある者とそうでない者を限定したと同時に、新たなカテゴリーを設定したことによってむしろ能力の低い者の範囲は拡大した。

 自由に関する主張は同時に自由を行使する能力のない者を排除した。しかし、現代に続く歴史の中で、(本当は)能力があるのだと主張することによって、権利主体の範囲は広げられてきた。すでに1869年にJ・S・ミルは『女性の隷属』において、男性と同等の機会が与えられれば、女性もその能力を発揮し社会に貢献できると主張している。あるいはP・シンガーは、哺乳動物が苦痛を感じる能力をもっていると主張することによって動物の権利を擁護しようとした。

 日本の禁治産者制度においても、禁治産者の枠は狭められてきた。1947年に女性が、1979年に盲聾唖者が、準禁治産者の要件からはずされてきた。彼らはそれまで意思能力に問題があるとされていたのだが、それは偏見であったと、差別が禁止され、相応の配慮があれば適切に判断することができるのだという理由において権利主体として認められてきた。

 しかし、このことは逆の効果も生み出している。すなわち、ある人の能力を認め自己決定権を尊重することが、逆に能力のない者を取り残していくという矛盾である。

 ではここで、本来は能力があるにも関わらず差別されている、だから能力を正確に判断するべきだとするのか。あるいは、能力による差別はよくないからやめようというのか。しかし、ここで述べたいのはそうではない。

 何者かを「能力が低い」とする議論が成り立つには、あらかじめ「能力が低い」という線がどこかで引かれることを前提にしなければならない。「判断能力が低い」とするのは、本人が実際に判断能力が低いこととは関係なく、他の基準、たとえば他者の視点によって定義される。しかし、われわれは、ある場合にはそこに自己決定の存在を見いだし、別の場合には自己決定の不在(低下)を見いだす。自己決定として実現するかどうかは、他者がその判断を自己決定として受け入れるかどうかにかかっている。もし他者が受け入れなければ、「判断能力がない(低い)」という理由によって、その判断は(十分な)自己決定ではないとされてしまう。自己決定に関わる問題は、他者による判断の問題としてある。

 このような視点においては、正確に能力を判定しようとする努力の意味は消失する。ただ、資格を持つ者と持たざる者とを分ける線の位置が動くだけである。たとえば、「五体不満足といっても、頭がよくて主張できる人はまだいい。何もできない知的障害者はどうなるのだ」といわれるとき、われわれはどこかで線をひいている。われわれが能力について考えるとき、能力差別について何かを語るとき、すでにその前提となる能力はずいぶん前からそこに置かれていたかのようにわれわれの前にあらわれてしまう。能力による差別を問う以前に、その能力がどのように配置されるのかという問題がある。

 補助類型や任意後見制度の新設によって、本人の意思能力の程度や必要性に応じて、成年後見を受けることができるようになる、といわれる。後見の必要が細かく判断され、よく保護されるかもしれない。けれども、仮に自分で決定し、その結果本人が被害を被ったとしても、なんらかの形で周囲の者にも害が及んだり、誰かがその尻拭いをすることで社会の負担になる場合があり、それを防ごうとするとき、この制度が使われるだろう。本人がうまくできないことはみな成年後見人がやってしまうので、失敗することはない。あるいは、選択を求められない環境で長年生活したり、選択肢や選択のための情報が与えられなければ、どのように選択すればよいのかわからなくなってしまうだろう。そこで、「能力が低いから、成年後見制度が必要」ということにすりかえれば、それは個人の問題として解決されうる。社会的な環境の整備や支援の問題がほとんど無視され、現時点で現れてしまった能力が判断され、社会的要因を改善する努力がなされないで済んでしまう。これまでの制度は非常に大雑把な類型であった。けれども、それが補助類型や任意後見になったところで、後見制度の範疇にある以上、依然として、「精神上の障害」に基づいて分類され、能力がある/ないの間で線が引かれるという構造は変わらない。結局、根本的なことには何も手がつけられないままになっている。

 
●自己決定の例外の再編
 近代社会は、個人の自由を基礎にしつつも、その権利享受の資格には常に無能力に基づく例外を設けてきた。 
 しかしこの論理においては、何についての、どのような能力の状態が自由に対する例外であるのかの実体的な内容は指示されておらず、その都度の理由づけによって時代とともに変化してきた。禁治産制度の変遷を翻ってみれば、その対象は身分や性差や知能以外の身体的能力を次第にはぎとり、より意思能力の障害へと純化してきている。今回の改正も、この純化の延長線上にある。補助類型の新設やその他の類型の柔軟化によって、従来のようにすべての権利があるかないかの二者択一の制度だけではなくなった。しかし、軽度の障害者にまで対象が拡大したことによって、困難ではあったもののなんとか自己決定できていた層が「補助」という新たなカテゴリーに取り込まれる可能性がある。自己決定の資格の境界は一様ではなく、一方では限定され、他方では拡大され、揺れ動くが、しかし常にどこかに例外は残される。ここでは、自己決定の範囲が広がったのではなく、むしろ自己決定の例外が再編されている。

 ともかく、制度を適用する前に、前提となる能力がどうなのか、能力がないために本人が不利益を被るから/あるいは周囲の者に危害を与えるから成年後見が必要とされるが、しかしその危害とは何か、どの行為が代理されそして制限されるべきなのか、誰がそれを決定できるのか、もっと問題にされてよい。


参考文献
Beauchamp,Tom L.
and Childress,James F. 1989 Principles of Biomedical Ethics:Third Edition,Oxford University Press=1997 永安幸正・立木教夫 訳 『生命医学倫理』,成文堂
Faden,Ruth R. and Beauchamp,Tom L 1986 A History and Theory of Informed Consent,Oxford University Press=1994 酒井忠昭・秦洋一 訳 『インフォームド・コンセント 患者の権利』,みすず書房
Gould, Stephen Jay 1996 The Mismeasure of Man, Revised and ex-panded, with a new introductions,W.W.Norton=1998 鈴木善次・森脇靖子訳 『人間の測りまちがい 差別の科学史(増補改訂版)』,河出書房新社
Locke, John 1690 Two Treatises of Government=1968 鵜飼信成訳 『市民政府論』,岩波文庫
Mill, John Stuart 1859 On Liberty=1971 塩尻公明・木村健康 訳 『自由論』,岩波文庫――――― 1869 The
Subjection of Women
=1957 大内兵衛・大内節子訳 『女性の解放』,岩波文庫
Singer, Peter 1975 Animal Liberation: A New Ethics for Our Treatment of Animals,New York Review=1988 戸田清訳 『動物の解放』,技術と人間
Trent Jr., James W. 1995 Inventing the Feeble Mind: A History of Mental Retardation in the United States,University of California Press=1997 清水貞夫・茂木俊彦・中村満紀男監訳 『「精神薄弱」の誕生と変貌(上)(下)』,学苑社


UP:1999 REV:20081127
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