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全身性障害者の語る「家族」

−「主観的家族論」の視点から−

土屋 葉 199907
『家族社会学研究』11:59-69

last update: 20151221


1.はじめに

  近年家族社会学において、ある自明の「集団」として「家族」を捉えるのではなく、行為者としての個人が捉える「家族」に注目する視角が提起されている。とくに、「家族」を人びとの日常的実践によって構築されるものとして捉え、個々人の「家族」の認識、解釈に注目して言説分析、あるいは会話分析を行う等の実証的な研究が、近年一連の流れを形成しつつある(田渕, 1998:73)(1)。本稿の目的は、「主観的家族」を捉えようと試みるこれらの論考を、方法論的な視点から批判的に検討すること、さらに田渕(1996)による「主観的家族論」の研究枠組みを援用し、全身性の重度障害者の捉える「家族」を描きだすことである。

2.「主観的家族」をめぐる論考

  (1)「家族」の範囲を尋ねる
  本節では「主観的家族」を捉える幾つかの実証的な先行研究を見ていく。まず「家族認識」に関する論考を検討する。
  山田・天木(1989)、長山・石原(1990)、西岡・才津(1996)は、質問紙調査を用いて人びとの「家族認識の範囲」をさぐるものである。後者二つの論考は特に、マクロな統計調査から得られた回答をデータとし、家族員の範囲を規定する要因は、親族カテゴリー(規範要因)や同居(状況要因)が中心であること(長山・石原, 1990:75)、また「家族」として認知する度合いは、年齢、居住地域、教育程度、収入程度等によって異なるという興味深い結果を示している(西岡・才津, 1996)。ここでは「一般的に言って」、ある親族関係にある人が家族であるかどうかについての判断が示されている(田渕, 1998:72)。これに対して同じ問題意識を共有し、当事者が実際に「家族」であると認識する範囲について考察を行ったものが池岡(1997)、上野(1991)である。池岡は、中国の都市住民の主観的な「家族認識」について、調査票を用いた面接調査のデータをもとにし、家族をめぐるいくつかの生活実態とどのように関連しているかを分析している。また上野の論考は、複数の家族成員の「家族」を成立させている意識(FI=family identity)に注目した点に特徴がある。ここではインタビュー調査において当事者が採用したカテゴリーが重視され、「実体」と意識の間に乖離が見られること、さらにFIの「境界の定義」に、家族メンバー相互にズレがあることが指摘されている。
  これらの論考は共通して「家族」を定義すること、あるいは分析概念的な集団として捉えることを留保し、「人々のなかで「家族とは何か」に対する認識がどのようになされているのか把握すること」(西岡・才津, 1996:28)を目的としている。従来、研究者による概念的な家族把握がなされてきたが、これに対して人びとの意識における主観的な家族把握に焦点を移したという点において「主観的家族」像を捉える試みの流れの一つとして位置づけることができるだろう。
  しかしながら、これらの「家族認識」に関する一連の論考を概観したとき、「家族」の範囲のみを尋ねるという方法上の限界が見えてくる。尋ねる対象が「一般の家族」であるか、個々人のそれぞれの「家族」であるかにかかわらず、これらは人びとや個人が「ある人(たち)を「家族」であるとみなしている/いない」ということを示す以上のものにはならない。したがって「主観的家族」という概念が提起する「当事者の主観的世界がいかなる過程を経て構成され、それがいかに変化していくか」(田渕, 1996:28)という問いに答える、異なる方法が求められる。

  (2)なぜ「家族」であるのかを尋ねる
  「家族」を認識する「過程」を問う試みとして、言説に注目する構築主義的家族研究が挙げられる。構築主義的家族研究とは「家族を、所与の、具体的で、固定したものではなく、人々の相互作用を通じて社会的に構築される現象として捉え」(2)、その際「家族」の現実はディスコース(語り、談話、書かれた言葉等)を通じて構築されることに着目するものである。以下ではこの視角を用いた三つの論考について検討する。
  池岡他(1999)は単身生活者の「家族認識の範囲」を尋ねた論考であるが、既述の論考との大きな違いは、主観的な家族意識に加えて「家族」に対して付与された意味に注目し分析を行っていることである。まず対象者に「あなたが家族だと思うものを、思いつくままにあげて下さい」と尋ね、さらに挙げられた対象が家族である理由、通常「家族」のラベルが付与される対象を挙げなかった理由をそれぞれ尋ねている。また田渕(1998)はペットにまつわる言説に注目した論考である。「飼っている犬を家族だと思いますか」という質問に対して、「そう思う」と答えた被調査者に対してその理由を問い、また家族だと考える相手を列挙させた後にも同様にその理由を尋ねている(3)。また木戸(1996)は大学生を対象とした会話分析を行い、ある集団に対する「家族であるかないか」という議論の過程から、話者が用いる「家族である/ない」と主張するレトリックに注目している。
  これらの論考は、先の「家族認識」の論考に共有されていた、個々人の捉える「家族」へ焦点化する視点を受け継ぎ、さらに「家族」という言葉の用法に注目し、行為者としての個人が「家族」に付与する意味、そして「家族」と認識する過程へ議論を広げたという意味で、新たな家族研究の道を開いたといえるだろう。
  ここで観察される「家族」についてのレトリックは、もちろんあるコンテクストにおける「家族」という語の用法を考察する上で意味がある。しかしここで使用された言説データはすべて「操作的に」問題状況を設定した下で収集されたものである(木戸, 1996:4)。行為者としての個人がさまざまな場面において捉える、流動的な「家族」を考察するためには、研究者/調査者による状況規定がより少ない場における言説にも注目する必要があるのではないか(4)。

  (3)どの場面で語られるのか、どのように変化するのか
  これらの先行研究を踏まえたうえで、「主観的家族」像を捉える研究をさらに発展させるために、方法論的な以下の点を取り入れることを提起したい。第一に、コンテクストを考慮すること。「家族」という言葉の用法を分析する際には、それがどのようなコンテクストでなされた発言であるのか、に自覚的である必要がある。これまでの研究蓄積に加え、研究者による状況の規定がより少なく、対象者が語る際の自由度がより増すような場における言説データを収集することも重要であろう。第二に、通時的な分析を取り入れること。人びとの捉える「家族」は決して固定的なものではない。通時的な流れの中でこれが認識、解釈される「過程」が考察されるべきであろう。その上で当事者による「家族」の意味づけに注目することが、より多層的な「主観的家族」像を捉える際の有効な手段になると考えられる。
  本論文では一つの試みとして生活史法のアプローチの可能性を提起する(5)。このアプローチは個人の歩んできた人生や、遭遇した出来事について述べる口述記録(ライフストーリー)を対象とし、個人の主観的現実の構成のあり方を探るというものである。この際、聞き手は語り手の理解/解釈様式を重視するため、語り手の発話を阻害しないよう、また語りの文脈を乱さないように配慮する(桜井, 1992:47)。ここでは、語り手が過去の体験を再構成して自らの枠組みで語るというコンテクストにおいて、「家族」への意味づけが時間軸を中心として再構成される、そのあり方を探ることによって、人びとの捉える「主観的家族」を通時的に分析することができると考えるのである(6)。

3.全身性障害者(7)と「家族」

  (1)全身性障害者へ注目する理由
  ここでは特に全身性の重度障害者へ焦点化する理由を二つ挙げる。第一に、彼らが日常生活を営む上で必要不可欠である介助が、在宅の場合には専ら他の家族成員によって担われているということである。全身性障害者とは、日常動作に手助けを必要とする人びとであり、多くの場合家族がこれを担う。彼らにとって「家族」とは良くも悪くも自らの身体や生を預ける重要な他者であり、従って彼らが自らを語る際には必要不可欠な要素となることは想像に難くない。第二に、制度に関連することが挙げられる。制度上は障害者を扶養する義務が家族(おもに親)に課せられている。また家族による「自助原則」がある。この結果として障害者の介助は親をはじめとするその家族が担うことを前提とした諸制度が制定されることになる。また障害者に対する制度は、この家族の「扶養義務」と「自助原則」により、個人単位ではなく世帯単位で定められている。これゆえに障害者が公的な制度を利用しようとする際に、制度上規定されている「家族」像に出会うことが多い。これらから全身性障害者の捉える「家族」に焦点を当てる大きな意味が見いだせる(8)。

  (2)調査概要
  使用するデータは、報告者が行った全身性障害者を対象とした合計21名の聞き取り調査のテープ記録からの抜粋である。調査は1997年8月、ある身体障害者通所施設において集中的に行われた。報告者はここに一ヶ月間研修生としてお世話になり、通ってくる所員(平均約12、3名/日)の身の回りの手伝い等をしながら彼らとの関係性を築き、8月中旬過ぎから暇を見て1人ずつ別室にて対面式で話を聞く形を取った。研究目的以外には使用しないこと、プライバシーを守ることを条件に、聞き取りを行ったすべての人がテープ録音に応じてくれた。また平行して同年5月から9月にかけて知人等のつてを利用した調査を行っている。21名の対象者の属性は以下のようである。
  性別/男性13人 女性8人
  障害の種別/脳性マヒ14人 筋ジストロフィー症4人 その他3人
  障害の等級/一級20人 二級1人

  聞き取りは、まず聞き手の関心が「家族関係」にあること、質疑応答の形ではなく自由に話してほしいことを伝えた後、多くは対象者の経歴を聞くところから始めた。聞き手の側で状況や枠組みを設定することを回避するため、基本的な属性、障害の種別等を尋ねる以外には調査票を用いた調査は行わなかった。所要時間は一時間から三時間程度である。ここでは、障害者自身が主体的に語ることに重きを置き、統制された質問を行わなかったために、対象者が中心的に語る内容にばらつきが生じている(「自立」について、公的な制度について、介助者との関係について、対象者と親、あるいはきょうだいとの関係について等)。ここでは「自立」と親との関係を語る中に、「主観的家族」を捉える契機が見出せると考え、特にこれを中心に語った人びとの「語り」に注目した。
  以下の引用文の下線部、( )内の補足は筆者による。本稿で引用した対象者の簡単なプロフィールを以下に付す(年齢は当時)。
  Sさん 男性/23歳/脳性マヒ・一級 三ヶ月前から一人暮らし
  Kさん 女性/26歳/脳性マヒ・一級 五年前から一人暮らし
  Iさん 男性/38歳/脳性マヒ・一級 母親と同居
  Yさん 女性/36歳/脳性マヒ・一級 七年前から一人暮らし

4.全身性障害者の語る「家族」
  以下では「主観的家族論」のアプローチを援用し、二つの論点について考察する。一つは当事者の「主観的家族」が構成され、変化する過程を分析すること、もう一つは「家族」に関するリアリティ構成について、リアリティの社会的定義と個人のリアリティ構成との相互作用を分析することである(田渕, 1996:20-22)。

  (1)「家族」認識の変化
  ここでは「自立」を通して「家族」についての認識が変化した二人の例をみていく。全身性障害者にとって「自立」とは、主に家族から離れて一人暮らしを始めることを意味する。これを考える契機として介助に関わる、家族成員との衝突や摩擦がある。したがって彼らが「自立」を語る文脈において、それを実行したか否かに関わらず、同時に彼らが認識し解釈する「家族」が語られることになる。

   (a)「どろどろした」家族から「さばけた」家族へ
  Sさんは三ヶ月まえに一人暮らしをはじめている。聞き手の「今は一人で暮らしていて、何か変わったことありますか。お父さんとお母さんの関係とか…。」という質問に対して、次のように答えている。

  「あのね、ようするに家族の、家族って今も家族なんだけど、もちろん血縁上は。一つ屋根の下で(一緒に)暮らしていた時に見ていたような、どろどろした部分っていうのがね、なくなって、さばけてきた感じがするんだよね。親とかも、僕のご飯の時間までには帰らなきゃいけないとか、あんまり遅くまで外にいられないとか、お風呂の時間までには帰らなきゃとか、お風呂は一日おきだとか、そういう家族の間での取り決めだとか、遠慮とかいうのがあったけど、さばけてきたね。」

  Sさんは、介助という行為を家族の間から除去したために、「とりきめ」がなくなり、さばけた関係になったと表現している。一人暮らしを始め、「距離をおいてつきあうようになった」ため、「家族」に対する認識・解釈が変化したことが窺える。

   (b)「家族」の否定から肯定へ
  またKさんは父親について、「厳格」であり、母親や自分に対して暴力をふるっていたことなどから、「複雑な家庭」、「私自身もすごく冷めているっていう家族ではあった」と語る。しかしKさんが五年前に一人暮らしを始めたことによって、関係が変化しだしたという。最近の様子や自分自身の認識の変化について次のように語っている。

  「…私が家を出てから家族がまとまりがけっこうしだしたかな、みたいなのがあって、私が家を出たことによって、母親がやることがなくなっちゃったんですよね。今度は何を生き甲斐に、っていうのが…。母親も自分の自立を向かなければならない。で、父親もどうしたらいいかわからなくて、わがまま放題をし続けてはいるんだけど、ようやくここ一、二年になって自分のことは自分でし始めてきたかな、っていうか。」

  「…でもほら、成田離婚とか、簡単に子どもを産んじゃって育てきれなかったりとか、簡単に中絶をしてしまうような、この社会的な部分ねぇ。どうやったら家族が仲良く今度、なれるの?って、ほんとに。逆にうちのようにごたごたが日常茶飯事あって、何とかやってる方が、まだなんかしらいいのかなぁって。いいのかなっていうのもへんだけど。(…中略…)っていうか、この家庭環境を否定し続けてきた自分はいたんだけど、だけど、別に否定するっていうか、あ、そうなんだって受け止められる自分がいればいいのかなって。」

  ここでは「複雑な家庭」、「冷めた家族」が、「まとまりだした」と変化している。母親がKさんの介助に費やしていた時間を「生き甲斐」探しに、同時に父親も「自分のことは自分で」するようになったことが語られる。Kさんの「自立」という契機によって両親の態度が変容し、それとともにKさんの「家族」に対する認識も変化したことが窺える。
  またここで重要なことは、「(成田)離婚家庭」や「子どもを育てられない家族/親」、「中絶をする(親)」といった幾つかの「家族」のリアリティが一般的な「家族」として示唆されていることである。これらと比較する形で、Kさん自身の「家族」が、「逆にうちのようにごたごたが日常茶飯事あって、なんとかやってる方が、なんかしらいいのかなぁ」と語られる。「家族」認識が変化する過程において、Kさん自身の「家族」とこれらのリアリティが相互に作用し合っていることがわかる。次節ではこれを中心に考察していく。

  (2)個人のリアリティ構成と、社会的なリアリティ定義
  ここでは「家族」のリアリティ構成について見ていく。「家族」に関する社会的に許容された知識体系(客観的だと個人が認知する定義)が一方で存在し、個人の「家族」はその規定下に構成される。他方で個人の行為なしに社会的リアリティ定義が確認されることもない。これらは相互依存的な関係にあることが指摘されている(田渕, 1996:22)。先に見たKさんのもつ「離婚家庭」等は社会的なリアリティ定義であり、「(ごたごたがある)うち」は個人的なリアリティ構成であったといえる。以下ではこの枠組みにそって考察をすすめる。

   (a)「がんばる障害者家庭」というリアリティ
  Iさんは「障害者家庭」という言葉を使い、次のように語っている。

  「…親は親の時間をもつことは必要だし、親に干渉されない時間を障害者もある時間もつことは必要だと思うよ。僕は今で言うと、職場にいる時間は俺の時間だし、母親は家で何をやっているのか知らないし、俺は仕事やっててどこか行ってる時間は、お袋も好きな買い物、どっか行ったり、お稽古事とかをやればいいと思ってるんだけど。いかんせん、障害者家庭の、この子のために、とかね、この子のために頑張らなきゃっていうのと、いっしょくたに、まぜこぜになってる部分がありすぎるんじゃないかと思うんだ。」

  ここではIさん自身の「家族」のリアリティ、すなわち個人的なリアリティ定義と、「障害者家庭」についての社会的なリアリティ定義が示唆されている。Iさんは自らについて、母親は母親の時間を持ち、自分は職場で自分の時間を確保していることを語り、一方でこれと対比する形で、一般的な「障害者家庭」について、「(親の)子どものため」という気持ちと「親子一体」という事態とが混在していると語る。Iさんはこの一般的な「障害者家庭」という社会的なリアリティ定義を否定し、自らの生きる「家族」は、これとは異なっていることを確認している。

   (b)「一緒にいるのが家族」というリアリティ
  またIさんは幼少時長期に渡って入院生活を送っていたが、小学校入学時に一旦退院することになった。その時の経緯を次のように語っている。

  「…それの時期はまだ手術とかいろいろ残ってたんだけど、(…中略…)病院にもケースワーカーがいたから、「ある時期に親と離れてしまうのはまずい」と。で、母親もやっぱり僕がうちの家族の中で孤立しちゃうというのかな、家族の一員でなくなっちまうのをやっぱり、一番、母親に言わせると、恐れたと。どうしても障害者の親子っていうのは、家族なんだけど、たいてい病院に入れられて、その子がいない生活が当たり前になってしまうっていうのは、その当時から多かったんですよね。」

  このIさんの語りの中には複数のリアリティが混在している。まずケースワーカーの発言に触発され、「家族の一員でなくなる」ことを恐れたという言明から、Iさんと母親には「一緒にいるのが家族」という社会的なリアリティ定義が共有されていることがわかる。またこれと比較される形で一般の「障害者家庭」の「障害をもっている子どもが『家族の一員ではない』家族」というリアリティが示されている。Iさんと母親はIさんを一時退院させて「家族の一員」に引き入れることによって、「一緒にいない家族(「障害者家庭」というリアリティ)」を脱出し、「一緒にいる家族」というリアリティを再構成したといえる。
  ここでは社会的なリアリティ定義(これが一般的な「障害者家庭/家族」であるというIさんの思い込み)は唐突に語られているが、以下で示すYさんの「語り」からは、具体的、明示的に示されるあるものから、社会的なリアリティ定義を抱くようになる過程を見出すことができる。

  (c)「不幸な家族」というリアリティ
  Yさんは、「自立」を考えたきっかけの一つとして、ある自治体が成人式で配布した『不幸な子どもを産まないためのハンドブック』を挙げている。

  「…どうしても腹が立ったのは、普通の結婚するでしょ、子どもが産まれるでしょ、障害児だったりするでしょ、そうすると障害児をもったカップルが不幸になるって書いてあるの。それで障害児をもっている家族が不幸になるって書いてあるの。でそれを支える社会が不幸になる、それを支える国が不幸になる、だから障害児を産まないように…。それを見てて背筋がぞーっとして、うち不幸だったのかなって考えるじゃん。自分を否定されてるわけだけど、そこまで考えが及ばなくて、単純に自分がいると不幸になっちゃう、そうだったのかなって考えたの、家族が。でうち不幸じゃなかったよって思ったの。けっこう楽しくやれてたよなって思ったの。ぜんぜん不幸じゃないよなって思ってたの。(…中略…)それで、ほんとに不幸になるっていってみんなが納得しちゃうの何でだろうって思ったの。子どもの頃は家族に世話してもらうの別に苦じゃないし家族も苦じゃないけど、大きくなって普通の健常者はみんな手がかかんないていうかな、なるじゃん。障害があると手がかかるじゃん、どうしたって。それを家族単位でみてるから不幸になるだけじゃないかって思ったの。だから今は幸せだけれど家族単位でみていたらお母さんお父さんだって歳とればね、肉体的にできなくなるし、子どもの体でなくなっていくわけでさ、肉体的に、大きくなるし、あと精神的に子どもとは違うから、家族だけで障害者の介助を支えるのは不幸になるって思ったの。だからある程度たったら一人で生活しようって思ったの。」

  Yさんの場合、ハンドブックにおいて「障害児を抱える家族」に対する定義づけがなされていることが語られている。ここで重要なことは行政側が明示的に「不幸な障害者家族」を措定していること、そしてこれがYさんの社会的なリアリティ定義(「不幸な障害者家族」という社会的な定義が存在するという認識)に影響を与えていることである。Yさんはこれを否定することにより「不幸ではなく、楽しくやれていた私の家族」という自らの「家族」のリアリティを構成している。さらに「不幸な障害者家族」の社会的リアリティ定義である理由(「みんなが納得しちゃう」こと)を、「介助を家族だけで担うから」であると解釈する。そして「いつかは一人で暮らす」というエネルギーへ転換させていく。

   (d)「障害者家庭/家族」の否定
  ここで注目すべきはIさんとYさんの「語り」に見られる「家族」のリアリティの切実さである。とくに「障害者家庭」について語るとき、彼らは自らのおかれた切実な状況からこれを否定する。この理由として障害者が「障害者である自己」肯定を行うためということが挙げられる。親が子どもの介助をすべて背負うことが当然と見なされる「障害者家庭」においては、親にとって過重な負担となり「共倒れ」の事態を招くことがあるだけでなく、往々にして障害者である子どもの主体性は認められない。「障害者家庭」という社会的なリアリティ定義は、障害者にとって複合的に抑圧されるものであることがわかる(9)。

5.まとめにかえて

  本稿では全身性障害者の捉える「家族」を描く試みを行った。主観的家族論の研究枠組みを援用したことにより、「家族」が時間的経過や個々人の経験によって常に変更されている過程が示された。さらに、個人の「家族」のリアリティ構成において、社会的なリアリティ定義と個人的なリアリティ定義が相互に浸透しあう過程が明らかになった。また、生活史法の視角を援用したことにより、研究者による状況規定を完全に回避できたわけではないが、行為者としての個人の「家族」に対する意味づけが、過去の体験を再構成して語る中に、主体的に語られたことが重要であるといえるだろう。
  「主観的家族」を捉える視角は、多層的なリアリティの分析という、これまでにはない論点を提示することができるといえる。とくに「社会的リアリティ定義」と「個人のリアリティ構成」がどのようにズレているかを分析する視角は、「家族」(本稿においては「障害者家庭」)をめぐる力関係(あるいは諸利害の付置状況)を示すのに有効であるといえるだろう。これについては今後の課題としたい(10)。



(1) 主観的家族論は、従来の家族社会学における研究枠組みが、家族を普遍的な構造や機能を有する一つの集団=実体としてとらえてきたこと、またその中で行為者の視点に十分な注意を払ってこなかったことへの批判を有する(田渕, 1996:21)。これは既存のアプローチの乗り越えを意図するのではなく、従来の枠組みでは看過されてきた部分を描き出すことを目的とする。ただしこのアプローチがもつ、当事者が家族に対してもつ多元的なリアリティを分析する視角は、家族を自明の(「よいもの」としての)集団と措定してきた点について疑義を唱えることができると考える。
(2) (グブリアムら, 1990=1997:333)訳者あとがき。また(赤川, 1997:105)、(池岡他, 1999:)など参照。
(3) 田渕はここで、レトリカル・アプローチという視点を用いる。「レトリカル・アプローチ」の特徴は「人々が他の人々との相互行為の中で提示する言説(言明、説明)を、外在的な心理や本質に対応するものではなく、何かを社会的に達成するために構築されるものとみなす点にある」(田渕, 1998:74)と述べる。その上で「人が自分の家族についてどのように用いるのかを知るためには、何よりもまず、人が「自分の家族」についてどのように語るかを聞くべきであろう」(同:75)と言う。
(4) 構築主義的な視点から書かれたものをデータとして論じるものとして赤川(1997)、苫米地(1996)がある。赤川(1997)は明治期末から大正期にかけての「家族らしさ」の言説的構築について、その時期に出版された女性向け雑誌の言説をデータとして論じる。また苫米地(1996)は「夫婦別姓」についてのレトリックの応酬を記述しながら、賛成派、反対派それぞれのレトリックの中でどのように「家族」が扱われているかを考察している。この二つの論考は「家族」という言葉の用法に限定することなく人びとの「家族」への意味づけを考察したものであり、構築主義的家族研究のもつ可能性の広がりを示唆するものである。また両者ともに、人びとの「日常的実践」に焦点を当てるものではないが、ここで示された「家族らしさ」や「家族」が、個々の人びとにどのように解釈され、彼らが経験する「家族」にどのような影響を与えるかを考察する際のデータとなる可能性を有しているといえる。
(5) 木戸も、「知としての家族(主体にあるものを指して「家族」と言わしめる論理的で抽象的、また潜在的な知識の体系、または文節カテゴリー)」(木戸, 1994:177)を通時的に捉える際の方法として生活史法のアプローチの可能性を提起している(木戸, 1996:121)。この他に考えられ得る方法としては、自助グループにおける「語り」、自叙伝等におけるデータを収集する等が挙げられる。例えば春日キスヨは、聞き手の枠組みを含み込むことを避け、父子家庭男性たちの語りの枠組みを重視するために、あえて父子家庭男性の〈集い〉で交わされる会話に「耳をすませる」という手法を取る(春日, 1989:12-13)。また日常生活のある場面(フィールド)における家族言説を収集するという手法を用いたものとして(Gubrium & Holstein, 1990)がある。グブリアムらは構築主義の視点から、ナーシングホーム等における言説を収集し分析を行っている。
(6) もちろん生活史法のアプローチに依拠した時、研究者による状況の規定が全くなくなるというわけではない。特に筆者が聞き取りを行った際には、自らの立場を明らかにするために「家族関係に関心がある」ということを伝えている。しかしながら生活史法のアプローチは、研究者による状況規定をある程度までは回避できると考える。またこれを用いた際には、人びとが語る際の自由度が比較的増すといえるのではないか。もちろんその場に働く「権力」作用には十分注意深くあるべきだが。
(7) 本稿において「全身性障害者」とは、主として中枢神経系の障害のため、上肢、下肢、体幹、あるいは言語機能などに重複する障害を持ち、起床、洗面、食事、排泄、移動などの日常動作に介助を必要とする人びとを指す。
(8) これに付け加えて、生きていく上での主題として「親からの自立」があることが挙げられる。1970年以前から脳性マヒ者の団体「青い芝」は、「成年後の家族からの独立が当然のこととされねばならない」という主張のもとに、所得保障(年金制度の確立)を目標として掲げた(立岩, 1995:190)。また横塚晃一は「愛によって造られた施設」や殺すことが愛であるとする親への批判を行い、「泣きながらでも親不孝を詫びながらでも、親の偏愛をけっ飛ばさねばならないのが我々の宿命である」という有名な一文を提示した(横塚, 1975→1981)。これらは障害者運動においては多大な影響を与えているが、その影響の範囲は定かではなく、「自立」と障害者が「家族」を意識することは密接に関わってはいるが、直接イコールで結びつけられるものではない。
(9) これに関連して「ケアの獲得」に関することがある。ここでは詳しく触れないが、「障害者家庭」のイメージに付随する「面倒をみてもらう受動的な障害者」像はすなわち、一人暮らしを否定するものであり、ケアの獲得を困難にすることがインタビューから確認されている。
(10) 今後ある成員の提示する言説のみでなく、複数の成員の提示する言説に照準すること(田渕, 1996:33)が必要となる。本稿では親の側の「主観的家族」像に言及することが出来なかった。データを蓄積することによってこれを補っていかなくてはならないだろう。

 付記
 本稿は第71回日本社会学会大会(於関西学院大学)における一般報告「全身性障害者の語る「家族」〜「主観的家族論」の視点から」をもとに加筆、修正を行ったものである。

文献

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Gubrium, J. F.& Holstein, J. A.,1990, What Is Family , Mayfield Publishing Company.(中河伸俊・湯川純幸・鮎川潤訳,1997,『家族とは何か』,新曜社.)
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以下by立岩

家族  ◇横塚晃一  ◇『生の技法』  ◇全文掲載
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