HOME > 全文掲載 >

「共生」の思想とテクノロジーの未来

福島 智(金沢大学)

日本学術会議シンポジウム「身体障害者・高齢者とヒューマンインタフェース」
1999年6月15日 於:日本学術会議講堂

last update: 20151221


 *シンポジウムの案内・プログラム


T 将来世界のビジョンとしての「共生社会」

 21世紀の世界は、個人の「多様性」と「平等性」の両立を可能にする方向
に向かわざるを得ないのではないだろうか。すなわち、「障害」の有無や「年
齢」、「性別」や「民族」といった人間がもつ種々の生物学的、及び、社会・
文化的諸属性の相違を包含しつつ、それらの「異質性」に平等な価値を見いだ
す社会をめざす、という方向である。
 なぜなら、そうした方向に進まない限り、人類の存続自体が危うくなると思
われるからである。その意味で、「障害者」や「高齢者」との共生のあり方を
考察することは、将来世界のビジョンを模索するうえで、一つの有力な手がか
りを提供する営みではないだろうか。ここでは、「障害」の問題を中心に取り
上げたい。

U「障害」の構造をとらえる「三つの次元」

 「障害」を、「ある個人が備えている諸属性のうち、心身の機能・形態等の
諸条件に関して、その個人が属する社会において、生活上の不利や困難を強い
られる状態をもたらすような諸属性の総称」(福島、1998)と定義するとき、「
障害」という「現象」がもつ意味をどのような理論枠組みで把握すればよいの
だろうか。ここでは、すでによく知られている「WHO(世界保健機関)の三つの階
層による把握」(「インペアメント」、「ディスアビリティー」、「ハンディキ
ャップ」)とも関連しつつ、しかしそれとは異なる視角に基づく、次のような「
三つの次元」による構造的把握を提案したい。

A 進化論的次元
 これは、そもそも、なぜ「障害者」は存在するのだろうか、という問題を考
えるうえでの基本となる次元である。たとえばもし、ダウン症などの「先天性
の障害」が存在しないとすれば、現在の人類も存在しなかったのではないか。
 なぜなら、人の遺伝子の突然変異やそれをベースとする遺伝子レベルの多様
性がなければ、そもそも人類は進化論的に誕生しえなかったのではないかと思
われるからである。したがって、「障害」とは、人類誕生の前から、すでに自
然によってプログラムされていたファクターであり、「障害者」の存在否定は
、そのまま、人類自体の存立基盤を否定することにつながると私は考える。

B 個人の属性としての次元
 次に「障害」を個人の属性としてとらえる次元を考える。一般に、先天的、
後天的を問わず、ある個人が何らかの「障害」をもつということは、「障害」
を個人の属性の次元でとらえていることを意味するだろう。
 それは一方で、<平等な人間存在>に「障害」という属性が付着している、
ととらえるべきであり、他方で、その「障害」は、個人から独立して、固定的
・客観的に存在するのではなく、その個人がもつ他の諸属性と複雑な「アンサ
ンブル」を奏でるファクターの一つとしてとらえるべきであろう。すなわち、
ある個人は、遺伝的に与えられた生物学的諸属性に加え、出生後の生育歴や家
庭環境等を含む広義の「社会・文化的要因」によって構成される動的な諸属性
の総体として存在するのであり、「障害」もそうした文脈でとらえられるべき
であろう。
 ところで、個人の属性として「障害」をとらえることと関連して、私が現代
社会に顕著な傾向として注意を喚起したいことは、第1に、「記憶力」や「記
号操作能力」等を中核とする<知的諸能力>が、<社会的に有用な属性>とし
て、過度に偏重されている傾向であり、第2に、ある個人のもつ「能力」がそ
の個人にのみ所属し、したがって、個人内部で完結するものとしてとらえられ
がちだという傾向である。
 なぜなら、前者は、社会的に差別されている「障害者」のなかでも、とりわ
け、知的諸能力に「障害」をもつ人への差別を強化することによって、<深刻
な二重構造>を生み出すはたらきをするからであり、後者は、こうした構造を
変革するための「他者にひらかれた共生的能力観」を否定するはたらきをする
からである。

C 社会的相互作用の次元
 「障害」をとらえるもう一つの次元は、社会的相互作用の次元である。これ
は、「障害」を個人の属性としてではなく、個人の属性と「社会・文化的諸要
因」との関係性、すなわち、相互作用のプロセスにおいてとらえる次元であり
、先のWHOの分類による「ハンディキャップ」の概念と類似している。

V「障害」に対する社会のアプローチの現状

 以上のように、「障害」を三つの次元において把握するとき、それぞれの次
元における社会のアプローチの現状を、私は次のように評価する。

A 最も基本的な次元であるにも関わらず、思想的にも、実践的にも、この次元
におけるアプローチがきわめて不十分であり、それが原因となって、他の二つ
の次元でのアプローチが<表面的な>ものに終わってしまっているように思わ
れる。
 第1に、「障害者」の存在や「障害」の問題について、<真剣に>考察する
思想的研究の進展がはかられるべきであり、第2に、そうした思想的営為と対
をなしつつ、現実社会における人々の「価値意識」の変革を促す各種の施策や
運動が進められるべきである。

B この次元では、まず実践的な側面において、医学、工学、心理学、教育学等
関連諸科学の研究の進展により、活発なアプローチがなされている。そうした
アプローチが、<一部の障害者>の生活の質を現実に向上させていることは確
かであるものの、反面、前述のように、知的諸能力に「障害」のある人々をよ
り深刻な被差別状態に追いやる価値観、及び、他者との「共生」を困難にして
いる「個体能力観」が支配している。
 一方、思想的な営為は相対的に不十分であるように思われる。すなわち、個
人の属性としての「能力」に関する研究は豊富にあるものの、ひとたび「障害
」の存在を想定すると、理論体系が存立しえない思想が大半を占めているよう
に思われるのである。
 確かに、たとえば、わが国を含めた現代の先進諸国における所得の再分配政
策などの「民主的」政策に、強力な倫理哲学的根拠を提供したといわれるジョ
ン・ロールズの思想を考えた場合、そこには、「障害者」の問題にも一定の思
想的貢献は認められる。すなわち、社会契約論をベースとし、「原初状態」と
「無知のヴェール」の組み合わせによって構築される「正義の理論」の体系は
華麗であり、「いかなる人も自分がどのような能力をもって生まれてくるか予
測できない」という主張などは、「誰でも障害をもって生まれてくる可能性は
ある」という発想と接続している限りにおいて、「障害者」の問題にも適用で
きそうに思える。
 しかし、ロールズがこうした前提を踏まえて提案する政策は結局のところ、
各人の「能力」(talent)によって生み出される所得をプールして、それを一定
のルールで再分配しようというものであり、「個体能力観」を脱却するものに
はなっていないというべきであろう。

C この次元においては、思想的にも、実践的にも、他の二つの次元と比較して
、相対的に豊富なアプローチがなされているように思われる。すなわち、「ノ
ーマライゼーション」、「バリアフリー」、「ユニバーサル・デザイン」等の
キーワードで象徴される思想的・実践的アプローチである。
 ただし、Bの次元と同様、ここでも、実践的アプローチが先行し、思想的営為
が立ち後れている、という図式が存在するように見受けられる。たとえば、「
どれほど健康な人でも、いつ障害をもつかわからない」、「若い人も、やがて
歳をとれば、どこか不自由になる」といった主張に象徴されるように、「障害
」を個人と社会との相互作用でとらえようとする考え方が支配的であるものの
、それに対して選択される思想的帰結は、「だから、いつ障害をもっても困ら
ないように」、「歳をとっても不自由しないように」という理由に基づく諸施
策の実施と連動するのみである。
 これは「損害保険」や「介護保険」の文脈における、「保険主義的思想」と
もいうべきものであり、たとえば、前述のロールズの思想と本質的には同じで
あるように思われる。したがって、この次元においても、「障害」のもつ社会
的意味を、より根本的に問い直す思想的営為がさらに必要であろう。

W 「共生」につながるテクノロジー

 以上のような考察を踏まえたとき、「障害」の有無を越えた「共生」社会の
建設に貢献するテクノロジーのあり方はどのようなものだろうか。歴史的には
「障害」に対するテクノロジーの貢献は、Bの次元からCの次元にウェイトを移
してきた経緯があり、現代社会においては、一般的にCの次元における貢献がも
っとも望まれているように思われる。
 しかし、私はCの次元はもちろんのこと、Bの次元においても、「新たな取り
組み」が必要なのではないかと考える。それは、Bの次元における、前述の二つ
の問題点の克服につながる形での貢献を意味するものであり、逆にいえば、そ
れができなければ、「障害」に対するテクノロジーの貢献は、いつまでたって
も<表面的な>ものにならざるを得ないのではないだろうか。
 その意味で、「記憶力」や「記号操作能力」のレベルがあまり問われること
なく、しかも、そうした「能力」を個人内部に完結させないテクノロジーの進
展が望まれる。たとえば、不正確な音声やあいまいな表情をも読みとることの
できるコンピュータの開発。そして、広義の「知的生産」を、多くの人による
協同作業の形で自然に進められるような、いわば、「シンフォニーとしての新
たなコンピュータ・ネットワークシステム」の開発等は、こうした方向をめざ
しての取り組みだといえるだろう。
 また、ここでかぎを握るのは、「コミュニケーション概念」の飛躍と、その
現実的展開ではないだろうか。すなわち、コミュニケーションを「記号」とし
ての音声や文字によってのみなされるものとしてとらえるのではなく、「動作
素」や表情のダイナミックな組み合わせとしての「手話」の処理をはじめ、ジ
ェスチャーや全身の個々の筋肉、さらには呼吸や心拍等の体内の生理的諸状態
の組み合わせ等によって発せられる「ことば」の読みとりや処理を行えるテク
ノロジーの開発は、重度の「知的障害者」や「植物状態」の人たちとのコミュ
ニケーションの新たな可能性を開くのではないだろうか。そして、最終的には
、「脳内の思考や感情の総体」を個人間で媒介できるようなコミュニケーショ
ン・ツールとしてのテクノロジーの開発も展望できるだろう。
 しかし、最後に強調すれば、最も重要なことは、テクノロジーを人類のたゆ
まぬ思想的営為の基礎の上に展開する、という姿勢ではないだろうか。その意
味で、Aの次元に立脚し、最終的にはAの次元に回帰するようなテクノロジー、
すなわち、「人類と歩調を合わせて進化するテクノロジー」のあり方が常に模
索されるべきではないかと私は考える。
(以上)



◆日本学術会議シンポジウム
「身体障害者・高齢者とヒューマンインタフェース」

プログラム(予定)

■開催日時  1999年6月15日(火)午前10時より午後5時

■場 所   日本学術会議 講堂

■プログラム

10:00〜10:05  ご挨拶
 井口雅一(日本学術会議 人間と工学研連委員長/日本自動車研究所所長)

10:05〜10:35  基調講演
 林 喜男(日本学術会議 人間と工学研連 人間工学専門委員会委員長
      /人間工学会会長)

10:35〜11:30  セッションI   概説
  坂村 健(東京大学)

11:30〜12:00  セッションII  視覚障害
  長谷川貞夫(日本点字図書館)

12:00〜13:00  昼休み

13:00〜13:30  セッション III 聴覚障害
  長谷川洋(筑波技術短期大学・日本聴覚障害者コンピュータ協会)

13:30〜14:00  セッション IV  肢体障害
  河村 洋(東京都立産業技術研究所)

14:00〜14:30  セッション V  知的障害・学習障害
  立松英子(東京都立南大沢学園養護学校・東京学芸大学大学院)

14:30〜14:45  休憩

14:45〜15:45  パネルセッション
      「身体障害者・高齢者とヒューマンインタフェース」
  司会: 坂村 健(東京大学)
  パネラ:長谷川貞夫(六点漢字協会・日本視覚障害者と情報処理協会)
      長谷川洋(筑波技術短期大学・日本聴覚障害者コンピュータ協会)
      河村 洋(東京都立産業技術研究所)
      立松英子(東京都立南大沢学園養護学校・東京学芸大学大学院)
      越塚 登(東京大学)
      他

15:45〜16:00  休憩

16:00〜17:00  特別招待講演

   福島 智(金沢大学・全国盲ろう者協会)

---
■主 催  日本学術会議 人間と工学研究連絡委員会 人間工学専門委員会
■場 所  日本学術会議 講堂/地下鉄千代田線 乃木坂下車 徒歩3分
■入場無料 先着300名まで
■申込先  FAXまたは電子メールで下記にお申し込みください。
      300名を越えた時のみ、お断りの連絡をします。
      113-0033 文京区本郷7-3-1 東京大学総合研究博物館 坂村健
      FAX: 03-5804-7598 E-mail: hmi@l.u-tokyo.ac.jp


越塚登(Koshizuka, Noboru)  telephone 03-3812-2111 ex. 3880
東京大学大学院人文社会系研究科 facsimile 03-5800-6843



福島 智  ◇Rawls, John  ◇盲ろう(者) deaf-blind individuals  ◇全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)