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「福祉国家の優生学――スウェーデンの強制不妊手術と日本」

市野川 容孝
『世界』1999年5月号(167頁‐176頁)

last update: 20151221


福祉国家の優生学――スウェーデンの強制不妊手術と日本

市野川容孝
『世界』1999年5月号(167頁‐176頁)

 一九九七夏、福祉先進国として他の国々の模範であったスウェーデンで、三〇年代以降、七〇年代にいたるまで、優生学を背景としたた強制的な不妊手術が実施されていたという事実が、スキャンダルとして世界を駆けめぐった。
 この直後、スウェーデン政府は、この問題に関する独自の調査委員会を発足させ、この委員会の調査部は先頃(本年一月末)、「スウェーデンにおける不妊手術問題」(Steriliseringsfragen i Sverige 1935-1975)と題する中間報告を提出した。委員会調査部は、強制不妊手術の実態を、残された記録や被害当事者の証言などをもとに調査したうえで、今日、スウェーデン政府は二百件を超えるケースについて、被害者に対する謝罪ならびに補償を早急におこなうべきであると勧告し、そのための法案を準備した。委員会は遅くとも今年七月一日までに最終報告書を提出する予定である。
 優生学と福祉国家は、これまで相互に対立するものとして語られるのが常だったが、歴史的事実をおっていくと、むしろ福祉国家の枠組みの中でこそ、優生学とこれにもどづく諸政策は発展したと考える方が正しい。本稿では、右の委員会中間報告を一つの手がかりとしながら、この問題について考えてみたい。

 ◆スウェーデン報道をめぐる問題点
 本題に入る前に、件のスウェーデン報道に関して、二点ほど指摘しておきたいことがある。
 一つは、日本のマスコミの姿勢である。右のスキャンダルは、スウェーデンの有力紙『ダーゲンス・ニヘーテル』の記事(九七年八月二十日、二十一日付)を、まずAFPとロイターが拾い、さらにこの外電に朝日をはじめ日本の各紙が飛びつくという形で伝わった。その際、私が問題と感じたのは、スウェーデンと全く同様、いやそれ以上のことが、戦後の日本でも「優生保護法」下で行われてきたにもかかわらず、日本の各紙は当初、この自国の問題を全く省略して、スウェーデンのことだけを報じたということである。
 周知のように「優生保護法」は九六年六月に「母体保護法」に改正された(と差し当たり言っておく)。本来ならば(遅くとも)この時点で、日本のマスコミは、優生保護法の何が問題だったのかを検証しながら、国内の強制不妊手術の問題をきちんと論じるべきだったのだが、それが全く素通りされたまま、九七年夏を迎えた。障害者団体や女性団体の訴えに触発される形で、日本のマスコミが自国内の問題に言及し始めたのは、スウェーデン報道から約一カ月たってからである。
 もう一つは、スウェーデン通とされる日本の識者たちの、件の報道に対する反応である。いわく、強制不妊手術の問題はスウェーデンでは、すでに周知のことであり、現在そのようなことは行われていない。それがあのような形で大々的に報じられたことには、何らかの悪意を感じる。この報道は、二〇年代以降、国政の中心にいたスウェーデン社民党を、さらには福祉国家スウェーデンそのものをバッシングするためのものではないのか、云々。スウェーデンびいきの人びとがそう思う気持ちはよくわかるし、事実、そうした副次的効果がなかったわけではない。
 しかし、こうした見方はやはり偏っている。
 九八年春に、私は、『ダーゲンス・ニヘーテル』紙で件の問題を記事にしたジャーナリスト、マーシェイ・サレンバ氏にお会いする機会をもった。彼は一九五一年にポーランドで生まれたユダヤ人だが、六九年に故国を脱出し、フランスを経由して、スウェーデンに亡命。今日に至っている。六七年六月の第三次中東戦争は、以前にもまして東西冷戦に重ね合わされた。イスラエルがこの戦争で広大な地域をパレスチナの民から奪ったこと自体は非難されるべきだとしても、当時の共産圏諸国のイスラエルに対する非難は、不幸なことに、自国内のユダヤ人にも向けられ、ポーランドでも「シオニスト排除」という名目の下、ユダヤ人に対する排他的圧力が強まった。サレンバ氏の亡命は、その一つの帰結だったという。
 福祉国家は、今日、様々な形で批判の対象となっている「国民国家」と大きく重なる。無論、サレンバ氏が現在、スウェーデンで露骨な迫害を受けているわけではないが――とはいえ、やはり件の記事によって、生粋のスウェーデン国民でないことを暗に非難されたとサレンバ氏は言っていた――彼の半生が培った「異邦人」としての目は、スウェーデンという福祉国家=国民国家の暗部を告発せずにはおかなかった。彼の記事がなければ、おそらくスウェーデン政府も調査委員会を立ち上げることはなかっただろう。

 ◆スウェーデンの断種法
 さて、本題に入ろう。
 スウェーデンの断種法(正式名「特定の精神病患者、精神薄弱者、その他の精神的無能力者の不妊化に関する法律」)は、「国民の家(folkhem)」を標語に、福祉国家の確立を訴えたハンソン社民党政権下で、一九三四年五月に制定された。ナチス・ドイツが断種法を制定した翌年のことである。この法律によって、法的に有効な同意能力が期待できないとされた精神病患者、知的障害者などに対する不妊手術が合法化された。法律は、その第一条で「精神疾患、精神薄弱、その他の精神機能の障害によって、子どもを養育する能力がない場合、もしくはその遺伝的資質によって精神疾患ないし精神薄弱が次世代に伝達されると判断される場合、その者に対し不妊手術を実施できる」と定めている。その際、重要なのは、手術は、保健局の審査ないし医師の鑑定によって実施され、本人の同意は全く不要であったということである。物理的な強制こそ禁じられていたが、前述の調査委員会中間報告も、この法律によって実施された不妊手術が非自発的なものだったことは明らかだとしている。公式記録によると、この法律によって四一年までに実施された不妊手術は合計で三、二四三件であり、その九割は女性で占められている。
 この三四年断種法は、四一年に大幅に改正される。
 改正の第一のポイントは、不妊手術の適用事由を三つに分けながら、手術の対象者を拡大したことである。
 まず、優生学的事由。「ある者が精神疾患、精神薄弱、その他の重い疾患ないし欠陥をその子どもに伝えると判断できる場合」、不妊手術を認めると法律は定めている。三四年法と異なり、知的障害、精神障害以外の身体的な疾患や障害も、この適用事由に含まれて、認められるようになった。
 次に、社会的事由。ある者が「その精神疾患、精神薄弱、その他の精神的欠陥、もくしは反社会的な生活様式ゆえに、将来、子どもの養育には不適当であることが明白な場合」に不妊手術が認められた。ここで重要なのは、「反社会的な生活様式」云々の対象として、「タッタレ(tattare)」と呼ばれるスウェーデン国内のエスニック・マイノリティーがターゲットにされたことである。その出自は不明の部分が多いが、「タッタレ」と呼ばれた人びとは、「ジプシー」と呼ばれたシンティ、ロマの人びとと同様、各地を放浪しながら生活し、基本的には農耕定住社会と言ってよいスウェーデンでは極めて異質な存在だった。サレンバ氏は記事の中で、三七年六月二十八日付の「タッタレ問題」と題された政府委員会記録を引用しているが、そこでは、スウェーデン人とは異なる「タッタレ」の生活様式が、多分に遺伝によって決定されており、彼らに対する同化政策はスウェーデン社会に否定的な結果しかもたらさず、むしろその子孫を減少させる不妊手術の方が望ましい、と述べられている。
 そして最後に、医学的事由。四一年法は、「病気、身体的欠陥、衰弱」にある女性が、「その女性の生活と健康を著しく危険にさらすような妊娠を予防する」場合に、不妊手術を認めると定めている。この規定そのものには何も問題がないように見える。しかし、最初にあげた「優生学的事由」に該当するケースが、戦後この「医学的事由」に流れ込むことによって、優生政策は実質的に維持されたという事実がある。

 ◆本当の「同意」か?
 さて、四一年における改正の第二のポイントは、三四年法と異なり、不妊手術の実施は原則として本人の同意が必要であると明記した点であり、この原則は右の三つの適用事由すべてに妥当した。
 しかし、前述の調査委員会中間報告は、四一年法によって実施された少なからぬ不妊手術が、本当に自発的なものだったとは言いがたいと指摘している。中間報告は、六つの疑わしいケースをあげている。
 まず第一に、不妊手術が、施設や刑務所にいる人びとに対して、そこからの退(出)所、あるいは施設内での待遇改善の条件として、当事者に提示されていたケース。この場合の「同意」は、半ば強制的に得られたものだと判断せざるをえないと中間報告は述べている。
 第二に、不妊手術が、未成年者や法的に有効な同意能力を期待できないとされた人びとに対しておこなわれたケース。とりわけ後者に関連することだが、四一年法そのものが、その第二条で、本人の「精神的障害」のため法的に有効な同意能力が期待できない場合、右に述べた適用事由のどれかに該当すれば、本人の同意は不要であると明記していた。
 第三に、五〇年代までに「精神薄弱」との診断の下で実施された不妊手術。その場合に、本人の「同意」があったとしても、そこできちんとしたインフォームド・コンセントがなされたかどうかは今日、残されている記録では確認できず、きわめてずさんな手続きだった可能性が高いと中間報告は述べている。
 第四に、中絶との絡みで実施された不妊手術。三八年のスウェーデン中絶法は、妊娠中絶を、医学的理由(妊娠の継続と出産によって女性の生命と健康が著しく損なわれる場合)、犯罪的理由(レイプ)、社会的理由(貧困など)にもとづいて各々、合法化したが、これらとならんで優生学理由(生まれてくる子どもが先天的な疾患や障害がもっていると予想される場合)によっても中絶を認めていた。そして、最後の優生学的理由で中絶する場合には、同時に不妊手術を受けることが義務づけられていた。明確な法規定こそなかったものの、社会的理由その他で中絶する場合にも、不妊手術が条件として提示されていた疑いが強く、調査委員会の中間報告は、こうしたケースでの「同意」にも問題があるとしている。
 第五に、「婚姻法」(一九一五年制定、二〇年改正)との絡みで実施された不妊手術。この法律は、てんかん患者、精神病患者、知的障害者の婚姻を禁止していたが、いくつかのケースでは不妊手術と交換条件で婚姻を認めていた。この場合の「同意」にも問題があると中間報告は指摘している。なお、婚姻に関する欠格条項は、てんかん患者については六九年まで、精神病患者、知的障害者については七三年まで存続した。
 第六に、福祉サービスを受ける条件として提示された不妊手術。とりわけ四〇年代から五〇年代にかけては、子どもを抱えて、生活に困窮した女性に生活保護や児童手当の支給を認める際、行政側が不妊手術を条件として提示したケースが少なくなかったと中間報告は指摘している。
 これらのケース以外にも、中間報告は、先に述べた「反社会的な生活様式」をとる人びと(「タッタレ」など)に対して行われた不妊手術も、半ば強制的なものだったと指摘している。つまり、当局側は、親権を剥奪し、子どもを取り上げるぞと迫りながら、不妊手術に同意させたのである。

 ◆手厚い福祉と引き換えに
 ノーベル賞受賞者として知られるグンナルとアルヴァのミュルダール夫妻は、スウェーデンの普通出生率が世界最低にまで落ち込んだ一九三四年に『人口問題の危機』を出版した。
 夫妻は、翌三五年に発足した政府の「人口問題委員会」にも加わり、出生率を上昇させるため、低所得層の有子家庭に対する経済的援助の充実を力説した。ミュルダール夫妻が提言した家族政策は今日でも肯定的に言及されることが多い。しかし、夫妻は、経済的援助と同時に、誰が子どもをもつに値する人間なのかという選別の必要性を強く訴えていた。夫妻は『人口問題の危機』の中で、「変質(退化)が高度に進んだ人間たちを淘汰する」ためには、必要ならば強制手段に訴えてでも、不妊手術を実施すべきだと説いている。
 中立と独立を守るために、スウェーデンもまた第二次大戦中、防衛費にかなりの支出を余儀なくされた。しかし、戦争が終わると、軍事費は小規模の常備軍を維持するだけで済むようになり、その分ういた国家予算を減税という形で国民に返すか、それとも社会福祉のさらなる充実にあてるかで国内の世論は二つに割れたが、社民党の単独内閣となった四五年五月のハンソン政権、およびハンソンの急死後、後継者となった社民党のエルランデル政権(四六年十月〜)は、減税はせず、福祉のさらなる充実にあてることを選択した。すべての有子家庭に対し、十六歳以下の児童一人につき一定額の手当を支給する一般児童手当は、四八年に開始される。これによって、子どもの養育の「社会化」、すなわち養育に必要な経済的負担を個々の家族が背負うのではなく、社会が引き受けるという形が徐々に整っていった。
 しかし他方で、アルヴァ・ミュルダールは「手当の支給は断種法の強化を求めるか?」(一九四六年)と題する論考で、スウェーデン国内の既婚者のうち約三%は、「精神薄弱」その他の理由によって、家計をきちんと維持する能力がなく、一般児童手当の導入によって、そうした人びとに経済的余裕が生まれ、さらに子どもを産むような事態は、何としてでも回避しなければならないと主張した。「すでに生まれた子どもに対しては手当を支給しなければならない。しかし、まだ生まれていない子どもに対してまで支給することはできない。……不妊手術は必要である。しかし、その実施件数はいまだに低い」。アルヴァの主張は、一般児童手当の導入と引き換えに、不妊手術をより広汎に実施せよ、というものだった。その結果が、右の中間報告が指摘するような、半ば強制的な不妊手術の実施(とりわけ第六のケース)だったのである。
 オーケ・ヨハンソン他『さようななら施設』(ぶどう社)という本が一昨年、翻訳された。筆者であり、語り部であるオーケ・ヨハンソンさんは一九三一年に、スウェーデンの片田舎で生まれた。九歳のときに「精神薄弱」と診断された彼は、親元から強制的に離され、三十年以上も施設で暮らすことになったが、その後、施設を出て生活するようになり、現在はスウェーデン全国知的障害者協会(FUB)の本人部会会長をつとめている。彼の半生をつづったこの本では、四〇年代末に実施された、強制不妊手術等のスウェーデンの優生政策が、一知的障害者の目線から描かれている。
 福祉国家は、少なくとも二つの理由から優生政策を正当化する。かつてM・フーコーは、福祉国家に内在する矛盾を「無限の要求に直面する有限なシステム」として表現したが、そうした矛盾ゆえに、福祉国家は、有限な財源の効果的配分を目指して、誰が子どもを産むに値するか、誰が生れるに値するか、さらには誰が生きるに値するかという人間の選別に着手するのである。と同時に、福祉国家は、児童手当の支給、あるいは障害者施設の拡充といった形で、従来は家族という私的領域に委ねられていた人間の再生産過程を支援する分、逆にその過程に深く介入する権利を手にするのである。

 ◆予想される補償の枠組み
 断種法が制定された三四年から、本人の明確な同意なしには不妊手術を認めないという法改正がなされる七五年までに、スウェーデンで実施された不妊手術の件数は合計で、六二、八八八件である。その九割以上が女性を対象としていたことに、スウェーデンの特異性があるが(ナチス・ドイツが三三年以降に実施した不妊手術は男女ほぼ同数である)、調査委員会の中間報告は、その大多数が適正な手続きによってなされ、手術を受けた本人も満足していると伝えている。
 しかし、前述のように、半ば強制的になされ、本人もそのことで深く傷ついているケースが、過去の記録からして少なくとも二百件以上あると中間報告は指摘し、そうした人びとすべてに対して、政府は一人につき一律、一七万五〇〇〇クローネ(約二八〇万円)の補償を早急にすべきであると勧告している。対象となるのは、三四年法によって実施されたすべての不妊手術、および四一年法によって実施された、強制の疑いのある前述の六つ(ないし七つ)のケースである。これまでに何人かの被害者から政府に対して補償要求があり、そのうちの十七件に対し政府は「手続きに誤りがあった」として、平均で五万クローネ(約八〇万円)の補償に応じているが、中間報告は、すでに却下したケースについても再考し、すでに補償を受けている人びとにも不足分を支払うよう勧告している。
 調査委員会は、さらに三つの注目すべき勧告をしている。
 第一に、補償の対象となる事実があったかどうかを確定する際に、当事者の言い分をできる限り尊重することである。中間報告は次のように述べている。「委員会調査部は、今日、事実の認定は、例えば当局の人間が当該者に対しておこなった処遇に関する、当該者自身の言明と経験に最大限、依拠すべきであるということを強調したい。不当な圧力がかかっていたという証拠を、公式記録から引き出すことはおそらく困難な場合が多いであろう。不妊手術を受けた本人が当局の行動をどう解釈したか、それをまず重視しなければならない」。
 第二に、被害にあった当事者の多くがすでに高齢であるため、補償を速やかに実現しなければならないということである。中間報告は、最終報告書の提出期限でもある本年七月一日から補償を開始するよう勧告しており、この勧告どおりに事態が進行しているとすれば、医療過誤補償全般の窓口であり、不妊手術の補償業務にもあたる予定の「患者損害賠償局(PSR)」は、すでにいくつかのケースについて補償の準備作業を始めているはずである。
 第三に、被害者のプライヴァシーを、補償の過程において最大限に保護することである。被害者の多くは、すでに不妊手術によって大きな心理的ダメージを受けており、その過去をひた隠しにして生きてきた。中間報告は、補償の過程で被害者がさらなる傷を被らないよう、プライヴァシー保護のための法律改正を提案している。
 以上の補償プランは、あくまで中間報告が提示したものであり、最終的な結論がどのようなものになるか、また政府ならびに議会が勧告どおりの補償をおこなうかどうかは、まだ分からない。しかし、かつて強制的な不妊手術の対象という汚名をきせられた人びとに対し、こうした補償を実現するならば、スウェーデンという福祉国家=国民国家は自らの汚名を返上し、福祉先進国としての威厳を取り戻すであろうこと、それは確実である。

 ◆日本の強制不妊手術
 冒頭にも述べたように、戦後、日本では「優生保護法」の下で、スウェーデンと全く同様、いやそれ以上のことが行われてきた。最後に、この問題について触れておきたい。
 まず確認しておかなければならないのは、優生学というのは(敗)戦後になって、むしろ説得力をもつ思想だということである。今もって多くの人は、優生学が戦争のための思想であり、政策だと決めつけているが、そうではない。優生学者にとって、兵役検査にもパスする優秀な男たちを戦場で殺し、逆に戦闘の役にも立たない「低価値者」を銃後で生き長らえさせる戦争は、最悪の「逆淘汰」に他ならなかった。ヨーロッパの優生学者たちは、第一次大戦後になって、危機感を一層、強めながら、優生政策の必要性を力説していったのである。また、彼らの多くは熱心な反戦平和論者だった。例えばドイツで優生学(人種衛生学)を確立し、強制的不妊手術その他の優生政策を実現するためナチスに入党までしたA・プレッツは、同時に、ナチス首脳部との対立も覚悟の上で、反戦平和運動に身を投じ、三〇年代半ばにはノーベル平和賞の候補者にさえなっている。プレッツは、三三年の断種法によってドイツでも優生政策が緒についたことを総統ヒトラーに感謝しつつ、しかし、再び戦争が開始されれば、その優生政策の成果がすべて水泡に帰すと訴えたのである。
 そして重要なのは、ヨーロッパが第一次大戦後に経験したことを、日本は第二次大戦後に経験したということである。日本の優生政策が、ナチスの断種法をそのまま輸入した戦時中の「国民優生法」(四〇年制定)によってではなく、戦後の「優生保護法」(四八年制定)によって本格化したというのは、ある意味で当然のことであり、しかも、それは憲法第九条と何ら矛盾せずに進行したと言うべきなのである。と同時に、この時期は、二〇年代以降の社民党政権下のスウェーデンで、またワイマール期のドイツで形づくられていった福祉国家の枠組みが、日本でも憲法第二十五条を支えに確立されていった時期でもある。
 優生保護法は、不妊手術(かつては「優生手術」と呼ばれた)と妊娠中絶を一定の条件の下で認めるものだったが、ことに問題であり、九六年の「母体保護法」への改正に際しても削除されたのは、不妊手術ならびに中絶を認める事由として、遺伝性(と想定された)疾患や障害を定めていた条項、そして、不妊手術に関しては、これを本人の要請にもとづくことなく実施することを認めていた条項である。
 後者の、本人の要請にもとづかない不妊手術は、次のようにして実施された。優生保護法の定める諸疾患――「遺伝性精神病」、「遺伝性精神薄弱」などがあげられていた――にかかっている者に対して「その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要である」と認めた場合、医師はまず、行政関係者、医師、民生委員などからなる都道府県の「優生保護審査会」にその旨を申請し、この審査会が手術の可否を決定した(優生保護法、第四条)。また、遺伝性ではなくとも「精神病」、「精神薄弱」にかかっている者に対して、不妊手術が必要と判断した場合、医師は保護義務者の同意をえて、やはり優生保護審査会にその旨を申請でき、この場合も審査会がその適否を決定した(同、第十二条)。
 これらは「医師の申請による優生手術」もくしは「審査を要件とする優生手術」と呼ばれたが、その四九年から九六年までの実施件数は、公式記録にカウントされているだけでも一万六五二〇件にのぼる。そして、問題なのは、これらが厚生省の指導にもとづいて、きわめて露骨な強制によって実施された疑いが強いということである。厚生省が五三年に各都道府県知事宛に通達し、九六年まで効力をもち続けたガイドライン「優生保護法の施行について」は、はっきりこう記している。「審査を要件とする優生手術は、本人の意見に反してもこれを行うことができるものであること。……この場合に許される強制の方法は……真にやむを得ない限度において身体の拘束、麻酔薬施用又は欺罔等の手段を用いることも許される場合があると解しても差し支えないこと」。スウェーデンは、三四年の断種法でも、四一年の断種法でも一貫して、物理的強制を禁止しており、いかに不当なものであれ、「説得」を通じて手術を受けさせるよう定めていた。しかし、日本の厚生省は「身体の拘束」、「麻酔薬施用」、そして「欺罔」を「強制の方法」として認めてきたのである。

 ◆私たちは何をすべきか
 九七年夏のスウェーデン報道を一つのきっかけとして、日本の強制不妊手術の実態と国のしかるべき対応を求める市民グループ「強制不妊手術に対する謝罪を求める会」が、障害者や女性を中心に結成され、私自身も非力ながら、このグループに名を連ねている。私たちは九七年九月、そして九八年六月の二度にわたって、厚生省に対して陳情をおこなったが、厚生省の回答はいずれの場合も「優生手術は、たとえ本人の意思に反するものであっても、当時としては合法におこなわれたものであるから、謝罪も実態解明もするつもりはない」というものだった。
 私たちはこれまでにホットラインを開設するなどして、強制不妊手術の被害者から直接、声をつのった。私たちが知りえたことは「氷山の一角」と形容することさえ憚れるような、本当にわずかなものにすぎない。しかし、それでも、決してそのままにはできないケースが明らかになっている。
 例えば、施設で暮らしている女性の知的障害者が男性の入所者といちゃついているところを職員に見つかり、施設側は管理しきれないということで、本人は「お腹の病気の手術」と偽って、この女性の子宮を全摘させる。彼女は、その後、身体の不調を訴えるようになった。これは、すでに優生保護法そのものに違反した処置である。なぜなら、この法律が定めていた「優生手術」は「生殖腺を除去することなしに」おこなわれるものに限られており(第二条)、不妊化の方法として子宮摘出など認めていなかったからである。
 あるいは、生活保護を受けていたある家庭の女の子は、多分にそのことが理由で「精神薄弱者」として養護学校に入れられ、そして何も分からないうちに不妊手術を受けさせられた。
 あるいは、らいの療養所では、園内での結婚を認めてもらうために、多くの患者たちが不妊手術を受けることに同意させられた。
 あるいは、施設入所の条件として、ある女性障害者とその家族は、福祉事務所から子宮摘出を求められ、それにやむなく同意した。
 こうしたことすべては、これまで「仕方のないこと」として片づけられてきた。しかし、こうしたことをそのままにしておいて、それでも私たちは日本が福祉国家であるなどと言い続けるのだろうか。
 国連人権規約(B)締結国である日本は、規約順守状況に関する報告書を原則五年ごとに提出することを義務づけられている。日本政府は第四回目報告書を九七年に提出した。国連人権規約委員会は、日本の各NGOが独自に作成したカウンター・レポートにも目を通し、昨年十一月に、政府報告書に対する最終見解を採択した。その中で、国連人権規約委員会は、朝鮮学校が正規の学校として認められていないことなどの改善を日本政府に求めているが、その第三十一項で次のようにも述べている。「委員会は、ハンディキャップのある女性に対する強制的な不妊手術が廃止されたことを評価するが、過去にそのような対象となった人びとが新法においては補償の対象となっていないことを憂慮し、そのような法的措置が講ぜられることを勧告する」。この勧告は、日本での強制不妊手術が女性に限られていたかのように誤解しているが、それでもスウェーデンが着手しようとしているような補償を日本に対しても強く求めている。この勧告に私たちはきちんと応えるべきだろう。
 羊水検査、絨毛検査、母体血清マーカー検査、そして体外受精を前提とした受精卵診断(着床前診断)。現在、私たちが手にしている、これらの出生前診断諸技術は、人間の淘汰を出生前に完了させるという、優生学者たちがすでに十九世紀末に思い描いていた夢、しかし未発達な技術的制約ゆえに、その実現手段としては不妊手術にとどまっていた夢を、現実のものにする。しかも、これらの出生前診断諸技術は、福祉国家という枠組みの中で普及する可能性を秘めており、事実、イギリスの多くの自治体は、生れてくる障害者に自治体が生涯、支払う福祉予算よりも結果的に安く済むという冷徹な打算、福祉国家ならではの打算によって、出生前診断のいくつかを全額公費負担で実施している。こうした現在の問題を考えるためにも、私たちは過去に対する眼差しを深めていくべきではないだろうか。

※「強制不妊手術に対する謝罪を求める会」の連絡先は以下のとおり。〒一一〇‐〇〇一三 台東区入谷二‐二五‐八 池田ビル101「こらーる・たいとう」気付



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