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「<語り>と<コミュニティ>の生成――障害を持つ人々の語りを通して」

瀬山 紀子

last update: 20151221


1998年度 お茶の水女子大学人間文化研究科 発達社会科学専攻応用社会学コース 修士論文 『<語り>と<コミュニティ>の生成 −障害を持つ人々の語りを通して』

                                 瀬山紀子

◆目次+序

 全文のテキスト・ファイルは別掲
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◆目次



第一章 ライフヒストリーからストーリーズへ
 第一節 方法としての個人への注目
  1.個人に注目した研究の流れ
  2.『口述の生活史』が持った二つの意味
  3.「フィールドとしての個人」
 第二節 相互行為としてのライフヒストリー:ストーリー論の展開
  1.語りの真実性
  2.構成される語り
  3.経験のせめぎあい
 第三節フェミニスト・エスノグラフィの方向性
  1.フェミニスト・エスノグラフィの方法
  2.「女=私たち」への問い
  3.フェミニスト・エスノグラフィの転換
 第四節 ライフヒストリーが生み出される場
  1.コミュニティへの注目
  2.コミュニティと語りの相互補完性:ストーリーズの社会学
 □小括

第二章 ライフヒストリーが生み出される場:セルフヘルプグループ
 第一節 セルフヘルプグループとは何か.
  1.セルフヘルプグループ,自助グループ,当事者グループ
  2.セルフヘルプグループの系譜
  3.個人モデルから社会モデルへ
 第二節 セルフヘルプグループの機能
  1.関係性の質:体験の類似性と差異性
  2.経験的知識
  3.援助者治療原則
  4.セルフヘルプグループの規則
 第三節 セルフヘルプグループの社会的役割
  1.利用者運動
  2.多様な決定を生み出す場
  3.セルフヘルプグループの位置
 □小括

第三章 障害を持つ人々の語りとコミュニティ
 第一節 障害を持つ人々のコミュニティの成立過程
  1.自立生活運動の始まり
  2.優生保護法撤廃要求と「障害の肯定」
   2.1 障害者の生存権
   2.2 優生保護法改正をめぐる動き:女性運動と障害者運動の対立
   2.3 女性障害者運動と女性運動の共闘
  3.「CP女の会」
   3.1 成立
   3.2 障害を持つ親にとっての「脱家族」
  4.子宮摘出と女性障害者運動
   4.1 子宮摘出合法化要求をめぐって
   4.2 「向かい風」:女性障害者の語りの場
   4.3 「子宮摘出」をめぐる議論が提起したこと
  5.1980年代後半からの活動:自立生活センターの広まり
   5.1 IL運動(アメリカの自立生活運動)の影響
   5.2 自立生活センター
  6.日本における障害者福祉の転換
   6.1 国連・障害者年
   6.2 障害者プラン
  7.小括
 第二節 ピア・カウンセリングに見る「障害の肯定」
  1.ピア・カウンセリングとは何か.
   1.1 ピアとしての支えあい:広義のピア・カウンセリン
   1.2 心や精神面の支えあい:狭義のピア・カウンセリング
  2.広い意味でのピア・カウンセリング
   2.1 自立生活プログラムの実践
   2.2 アサーティブ・トレーニング
  3.狭い意味でのピア・カウンセリング:コウ・カウンセリングの方法
   3.1 傷からの回復
   3.2 対等性を作り出す
   3.3 感情の生成とその意味
  4.小括
 第三節 ピア・カウンセリングでの語り
  1.「怒ってもいいんだ!」:「運ばれる介助」
  2.対等感:「自分のままでいい」と思えるまで.
  3.認めること:障害を持つ自分を認める
  4.分断の最前線:ピアになること
  5.感情の解放:「辛くて辛くてしかたなかった」
  6.障害に対する認識の転換
  7.「障害者」としての自分を認める
  8.小括
 第四節 ピア・カウンセリングのこれから
  1.生活支援事業とピア・カウンセリング:カウンセラー認定制度
  2.障害を持つ人々の運動の広がり
 □小括 「障害の肯定」から「差異の肯定」へ

終章 語りとコミュニティ
 第一節 生成される経験と道具としての差異
  1.生成される語りと経験
  2.差異によって見いだされること
 第二節 障害を持つ人々の語りが意味すること
  1.障害を持つ人々の「道具としての差異」
  2.語りが開く語り

文献表
謝辞





 障害を持つ人々が肯定的な語りを作り出してきた.彼/女らは,「障害者」に付与されてきた「障害=不幸」という否定的なイメージを覆し,障害を持つ自己を信頼した肯定的な語りを多数生み出してきた.彼/女らは,どのようにして肯定的な語りを生み出してきたのだろうか.またその語りはどのような問いを生み出しているのだろうか.

 論文の第一の関心は,スティグマを付されてきた人々が,それをはがし肯定的な語りを作り出す過程とそこで生み出される語り/ライフヒストリーにある.またライフヒストリー論の中に,彼/女らが自己を再定義し創造する過程で作り出してきたコミュニティの存在を位置づけることにある.
 ライフヒストリー論は,差別的なまなざしを向けられ,自らも自己を否定的な存在として位置づけてきた人々が「どのようなプロセスをたどり語り出すことが可能になるのか」に注目することが必要である.しかし,従来ライフヒストリー法は,聞き手である調査者が語り手との間に「親密な関係」を作ることによって聞き出すことのできる自明で固定的なものであるかの様に捉えられてきた.このことは,ライフヒストリーを対象とする研究が,「語られた内容」やその構造に焦点を置き,語りが語られる社会的文脈や語りの変化,語りが果たす社会的な役割を重視してこなかったことを意味する.
 マイノリティとされてきた人々の語りは,コミュニティ:ピア・グループを生み出してきた.彼/女らは,自己の属性に付された否定的な意味を「自己嫌悪」として,また,同じ属性をもつ人に対する否定的なまなざしとして獲得してきた.しかし,コミュニティの中で,それまで自らが受けてきた差別や恥と感じてきたことの原因が,自分にあるのではなく,そのような状況を作り出す社会の側にあることを確認する.それは,自分を社会に合わせて変えることではなく,差別を生み出す社会の側に,何らかの問いかけを始めることを意味する.
 被差別状況に置かれてきた人々が語り出すことは,事実や経験がそれを意味づける人によって別の意味を持ち,別の経験として現れることを明らかにする.つまり,このことはある人の経験が自明なものではなく,作り出され作り替えられていくものであることを意味する.また,彼/女らがどのような契機で経験を作り出していくのか,そのプロセスに注目する必要性があることを明らかにする.

 論文のもう一つの関心は,障害を持つ人々のセルフヘルプグループにある.
 障害を持つ人々は,差別的なまなざしの中におかれてきた.彼/女らの多くは,これまで「在宅」か「施設」かの二つの限られた選択肢を与えられてきた.そのような実際の生活上の極端な選択肢の少なさが,彼/女らの否定的な自己像をつくる原因ともなってきた.また彼/女らの否定的な自己像は,生活の多くの部分で介助を必要とすることへの否定的な意味づけや(健常といわれる人々と同じように働くことで)「経済的な自立」をすることができないことに対する否定観によっても作られてきた.さらに日本では,1996年まで優生保護法が存在した.旧優生保護法とは「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに,母の生命健康を保護することを目的」とした法律で,遺伝性精神疾患や遺伝性奇型を持つ人々の優生手術を行ってきた法律であると同時に,女性の人工妊娠中絶を「許可する」法律だった.この法律のもとで「優生手術」が行われ,法律とは直接関係ないものの「子宮摘出手術」が行われた.それらは,障害を持つ人々の生を脅かし,障害を持つ女性の性と生殖に関する権利を否定してきた*1.
 しかしその後,障害を持つ人々の権利獲得運動や自立生活運動が彼/女ら自身によって進められてきた.日本で1970年代に脳性まひの人々がつくった「青い芝」の運動,アメリカでの自立生活センターの活動,イギリスでの施設隔離反対運動などがそれに当たる.それらの運動の中で,「障害」という言葉の意味が作り替えられてきた.
 彼/女らは,第一にこれまで個々人の「障害」と捉えられてきたことの多くは,社会的な環境によって作られているものであることを示した.そのことは,社会環境を変えることによって「障害」とされてきたことの多くを取り除くことができるという主張である.その主張によって,駅や建物の段差が解消されてきた.第二に,社会的な規範が「何が「障害」であるのか」を規定している(にすぎない)ことを示してきた.このことは、現在ある「社会の規範」を変えることによって「損傷」から生じるとされる「障害」の多くを取り除くことができることを明らかにした.「社会的不利益」を生む障壁もこれまで「障害」とされてきたことも,社会が作り出したものであると主張することは,「社会」を変えることによって「障害」を取り除くことができるという主張である.また,「障害」に付されてきた否定的な意味を取り除くことができるという主張でもある.
 しかし,第三に社会的な障壁や社会の規範を変更してもなお残る個人の身体的な差異をどう考えるかという問いがある.つまり,否定的なものと見なされてきた「障害」は,障壁や規範を変えることによって全て取り除かれるべきものなのかという問いが生じた.もちろん,多くの社会的な不利益は,取り除かれるべきものとして存在する.また,彼/女らの取り組みによって実際に社会の障壁や規範は変化してきた.そのことによって,彼/女ら自身の生活の幅が広がっていることも事実である.その上で,「障害」という身体的な差異を持つことことを受けとめ,認めることはどのような意味を持つのかが問われてきた.彼/女らが持つ身体的な差異は,社会の規範に問いを発する「道具」でもある.そのような社会の在りようを顕在化する道具としての「障害」を彼/女らは手放さなかった.

 運動の社会的な広まりは,「障害」定義についての再検討を促した.英語では(少なくとも)「障害者」にあたる言葉が3つ存在する*2.現在でも定義は定まっているとはいえない.しかし,障害を持つ人々による権利獲得運動の一つの結果として1983年にDPI(DPI=Disability People's International:障害者インターナショナル)は,第三回世界評議会で「ディスアビリティ(障害)は,身体的,精神的,感覚的インペアメント(損傷)により起きる個人の機能的制約」で,「ハンディキャップ(社会的障壁:不利益)は,物理的社会的障壁により他の人と同じレベルで地域社会の通常の生活に参加する機会が失われているもしくは制限されていること.」という定義を作り出した(長瀬[1996b])*1.
 この定義やそれに先立つ運動は,「障害」に関わる問題の焦点を「障害(インペアメント)」を持つ個人から「障害(ハンディキャップ)」を生み出す社会環境と,それがもたらす社会的不利益にうつす大きな転換だった。この転換は、「障害」の「個人モデル(医療的な側面で個人を問題対象とする捉え方)」から、「社会モデル(「できなくさせる社会」を問題にする「障害」の捉え方)」への移行と捉えることができる。
 アメリカでは,障害者運動の結果の一つとして「障害を持つアメリカ人法(ADA法)」が1990年に成立した.また現在,自立生活運動などを背景にした「障害学=disability studies」という分野がイギリスやアメリカで広がっている*3*4.「障害学」とは,「従来の「障害者に関する」学術研究を批判するために創出された「障害」者による,また「障害」者に関係する学際的な研究分野」と定義することができるだろう.また,1996年に障害を持つ女性たちの国連人口会議での働きかけなどによって日本政府は,旧優生保護法の「優生条項」を取り下げ名称を母体保護法に改正した.
 このように,障害を持つ人々の運動は大きな広がりをもち,社会的な政策も基本的には彼/女らの「自立生活」をサポートするものへと変わってきた.ノーマライゼーション*5,バリアフリー*6,インクルージョン*7という言葉は,社会的障壁の解消を目指す障害を持つ人々の権利獲得運動の中で生み出され,現在も「まちづくり」や法制度の改正,教育の機会均等などの権利獲得を目指すキーワードとして大きな役目を果たし続けている.
 しかし,障害を持つことを否定的なものとしてきた社会的な状況がなくなったわけではない.その一つの例として,出生前診断技術(特に,母体血清を使うトリプルマーカーテスト=TMテスト)の急速な普及が上げられる*8*9.また,旧優生保護法下で行われていた「優生手術」と非合法で行われていた「子宮摘出」などに関する調査や報告,謝罪などの「批判的総括*10」を国に求める障害を持つ人々の運動なども行われている.
 上述した障害を持つ人々による運動は、「障害」の「個人」モデルから「社会」モデルへの転換を図ってきた.それは,社会制度や環境の変化の面で成果を見ている.しかし,第三の問題として示した身体の差異としての「障害(とは呼ばないと考えられるが)」は,個々人の身体に依然として存在する.彼/女らの運動は,一方で社会的な障壁の解消を訴え,一方で差異を抱えた身体を「ありのまま認める」ことを訴えてきた.このことは,彼/女らが自らの身体を肯定しそこにある何らかの差異を認めることを意味している.

 以上で本論の問題関心として二つの方向を示した.この論文の目的は,<障害を持つ人々のセルフヘルプグループ>を<ライフヒストリーが生み出される場としてのコミュニティ>であると捉え,それが生成される過程とそこで生み出される語りの意味,社会的な役割とその方向性を捉えることにある.
 語りはコミュニティを生み出す役目を果たすものであると同時に,コミュニティによって作り出され続けるものである.そのような相互補完的な要素を持つ語りとコミュニティの関係を障害を持つ人々のセルフヘルプグループの実践を通して書くことで,彼/女らが語ってきたことの方向性を明らかにしたい.また,彼/女らが語りを開くことは,まだ沈黙している人々の語りを支える力になるだろう.特に,介助を必要として生活する多くの人々の語りを新たに作り出す契機となるかも知れない.
 この論文のテーマに取り組むきっかけとなったのは、私自身が介助者として障害を持つ人々に関わり、彼/女らの語りを聞く経験をしてきたことと深く関係している.

 本論文の大まかな見取り図を示す.
 第一章ではライフヒストリー論のレビューを行う.ここでは,ライフヒストリー論に,語りの契機となるコミュニティの存在を位置づけることを目的とする.そのためはじめに,個人に注目したライフヒストリー研究が見いだした<フィールドとしての個人>という概念に注目し,それが創出される過程を見る.次に,ライフヒストリー論において「語り」がどのようなものとして扱われてきたのかを批判的に検討する.特に,調査倫理の重要な概念であるラポールが「正確で深い語り」の存在を前提とすることや,この方法論が「語りと事実との整合性」において「語り」を捉えてきたことを批判する.次に,語りが現在における過去の再構成であるとする論を取り上げ「いかにして語り手は過去を語る言葉を獲得するのか」という問いに置き換える.同時に経験が社会の権力構造の中に位置することを示し,コミュニティの必要性を提示する.また,同様の変遷を見せた方法論の一つとして,フェミニスト・エスノグラフィを取り上げその方向性を示す.
 第二章では語りが生み出される場(コミュニティ)の一つとしてセルフヘルプグループを取り上げる.はじめに,セルフヘルプグループ論を日本での生活記録運動などに見られる社会運動の系譜の中に位置づける.次に,セルフヘルプグループを構成する人々を同質性と差異性の観点で捉え,そのどちらもが語りを生み出す契機となることを示す.また,セルフヘルプグループを利用者運動の側面から記述し,特に語りによって生み出される多様な決定の方向を支える場としてセルフヘルプグループが持つ意味を記述する.また,セルフヘルプグループでつくられていく語りが社会的にどのような力を持つのかをみる.
 第三章では,障害を持つ人々の運動をセルフヘルプグループの運動と位置づけ日本での障害者運動の系譜を概観する.特に障害を持つ女性たちの運動が,どのような過程で語りを生み出してきたのかに注目し,その語りの持つ意味を検討する.また,障害を持つ人々のセルフヘルプグループの一つである自立生活センター*11の活動を取り上げる.中でも,ピア・カウンセリング*12の実践を取り上げ,障害を持つ人々の語りがどのようなプロセスで語り出されてきたのか,またそこでどのようなことが語られてきたのかを検討する.特に「障害の肯定」が均質性を生み出そうとする社会に対する抵抗(「差異(違い)の肯定」)であることを提示する.
 終章ではコミュニティと語りの関係を整理し,障害を持つ人々の語りがどのような意味を持ち,今後それらがどのような語りを支える可能性を持つのかを検討する.


                                       

*1優生保護法第4条及び第12条で規定された本人の同意を必要としない不妊及び断種手術実施数は1949ー1994年までに統計で明らかになるものだけを見ても16520人(内男性が5164人)にのぼる.(http://itass01.shinshu-u.ac.jp:76/TATEIWA/1.htm:強制不妊手術に関する参考資料より:『医制八〇年史』及び『優生保護統計報告』).
 また,第三章第一節で詳しく取り上げる子宮摘出に関する問題もこれと関連する.93年6月12日付の毎日新聞は「障害者から正常子宮摘出」という見出しで,国立大学付属病院での女性障害者の「生理時の介助軽減」を目的とした子宮摘出が「本人の同意を得ずに」行われていたことを報じた.その後毎日新聞は,86,87年に3人の知的障害者女性の「正常子宮」摘出手術を文部省,厚生省が調査の結果認めたことを報じている.この報道は,「旧優生保護法」の「優生手術」規定の範囲を超えた,強制不妊手術であったことが強調されている.
 しかし同時に,CP女性が障害者生活施設内で子宮摘出手術を進められ手術を「決意」した(岸田[1995:28ー46])話からも明らかなように,「子宮摘出」は,特に施設に暮らしていた経験のある障害者女性,また施設職員や親の間では「公然の秘密」であり,「強制不妊手術」が,「本人の同意(自己決定)」として行われた例が事実上の「強制」であったことを考えると,数値では明らかにならない多くの人が強制「優生」手術をしたと考えることができる.
 毎日新聞(93.6.12)の報道のなかで「ある中部地方の国立大学教授」は,「施設や親がそんなに困るならとりましょう,と摘出を決めた.病気は社会の問題.社会が困れば何らかの医学的な処置が必要.摘出の意味を理解できないから,同意書にサインはもらっていない.」と述べている.その言葉が端的に示すように子宮摘出は介護をする側また社会の側の「都合」を優先した「処置」であることが分かる.
*2現在,特に身体的な障害を持つ人々のことをより肯定的な意味で捉える
physically challengedまた,physically differentという言葉も生まれている.翻訳すると,前者は「身体的な挑戦者」,後者は「身体的差異を有する者」になる.日本でもこれに習って「チャレンジド」という言葉を使う場合もある.
*3英国の障害者運動では,ハンディキャップという言葉の代わりにディスアビリティが使われる.ディスアビリティとインペアメントの違いが,前者(disabiliy)が社会的に作られた「障害」(これが,通常ハンディキャップとされる),後者(impairment)が個々人の身体にある「差異」として捉えられている(ニック・ダナファー[1998]).
*4「障害学」という言葉は,すでに従来の「障害者福祉」一般を指す語として使われている.例えば,石部・柳本[1998]『障害学入門』では,「現在の障害児(者)の福祉・教育全般にわたる基礎知識を体系的に述べ(ibid[4])」ることを,「障害学」という言葉で表している.これは,本文で述べた障害を持つ人々の自立生活運動などに端を発し「能力主義」や「優生思想」,「均質性」を問題化しようとする「ディスアビリティ・スタディーズ」とは,別の方向をもっている.特に,『障害学入門』は,障害を持つ人々の特殊教育の在り方を模索するものであり,その意味でもいわゆる障害学:ディスアビリティ・スタディーズとは方向を異にする.
*5障害学というのは disability studies の翻訳である.the Society for the Disability Studies(SDS)という米国を中心とした学会が1982年に「障害と慢性疾病の人文,社会学的側面を研究する学際的研究の促進」をあげて「慢性疾病,インペアメント,ディスアビリティ研究学会」として発足し,1986年に現在の名称に変更されている(長瀬[1997]).
 また日本では,本文に書いた意味でのディスアビリティ・スタディーズの最初の刊行物として,石川准,長瀬修編『障害学への招待』明石書店1999年に刊行予定とされている.
*61950年前後に知的障害(児)者の親の会が,知的障害児者の隔離施設収容への反対運動を展開する中で生まれた言葉(石渡[1997:65-66]).この言葉の持つノーマライズの意味は,障害を持つ人々が「当たり前の生活」を営むことができるように社会の側を変革していくという意味で使われている.しかし,この語は「障害」を持つ人々をノーマルにすること,という意味と誤解される懸念があることも指摘されている.
*7バリアフリーとは,障害を持つ人々が生活して行く上で「障壁」となる,建物や交通機関などの物理的障壁(段差など)や,制度,情報面などの障壁を取り除くという意味で使われている.平成七年度の『障害者白書』では,バリアフリー社会をめざすべき社会のありようとして提起するに至っている.
*8これまでは,統合教育を意味する「インテグレーション」という言葉が使われてきた.しかし,インテグレーションの理念によって遂行される機会均等は,障害を持つ人々に対する必要な援助を考慮せず形の上での平等を目指していたことが批判され,現在ではインクルージョン(=包み込み)という言葉がより積極的な個別の援助を前提にした統合教育理念を言い表す語として使われるようになってきている(石渡[1997:73-75]).
*9日本人類遺伝学会が,優生保護法の改正に当たり厚生大臣に学会理事会声明として要望書を提出している.要望書は,現在急速に広まりつつある出生前診断技術,特に母体血清マーカーテスト(TMテスト)に対応する法的な適用基準が必要であるとし,「優生思想の排除のみでなく,生命倫理の立場から見た先端医療技術の適用基準の設定であり,その法的な対応(日本人類遺伝学会[1998])」の必要性を述べている.その後,DPI女性ネットワーク(第三章一節2.3)は,同学会に「胎児条項導入に反対する意見書」を提出している.それに対する学会理事長からの返答では,「「胎児条項反対」と唱えるだけでは何事も起きません,TMテストによる妊婦の集団スクリーニングが全国に広がり結果的に経済条項によるという理由で,ダウン症などの中絶が急増する(中込[1998:3])」とし,TMテストが非常に広まってきていることを考えれば,「胎児条項がらみ」の議論も含めて,法的な基準を作ることが必要であることを述べている(中込[ibid]).この返答によれば,同学会が胎児条項導入をすすめているとは言えない.
 DPI女性ネットワークも同学会(理事長)も出生前診断技術の非常な「進歩」とその広まり自体を問題化しなければならないというのは共通の認識だといえる.
*10厚生科学審議会先端医療技術評価部会で,現在審議がなされている.出生前診断については,1998年12月に行われた同部会・出生前診断に関する専門家委員会で「母体血清マーカー検査の存在を積極的に妊婦に知らせる必要はない」また「妊婦が希望する場合,検査前,検査後に障害を持つ子とその親の生活,社会支援のケア情報,確率の読み方などについての十分な説明とカウンセリング体制を整える」必要があることを提起した.
 審議会が開いた公聴会では,青い芝などの団体から意見書が提出されている.(先端医療技術評価部会平成10年4月24日資料および,同部会・出生前診断に関する専門家委員会平成10年10月23日:厚生省HPによる同審議会の概要を参照した.)
*11日本における優生政策の歴史研究をする松原は,次のようにのべている.「「優生思想を正当化する法律の撤廃」は障害者運動体や市民団体が長年目指していた目標であり,これがようやく実現を見たことは歓迎すべき画期的な事件であった.しかしスピード決着が優先されまともな審議が行われなかったため,強制不妊手術をはじめとする優生保護法下での人権侵害や,「国連(人権委員会)にでも持ち出されたらどうしようもない」(衛籐氏)程の反人権的な優生条項を放置してきた国の責任が国会の場で問われることはなかった.優生政策の批判的総括を欠いたまま,優生保護法は忽然と姿を消したのである.(松原[1997:8])」 また,それに関連して「強制不妊手術に対する謝罪を求める会」が,1997年に発足し謝罪要求活動を展開している.現在これに対する国の見解は示されていない.
*12障害を持つ人々の手で運営され,自立生活をサポートするための介助者派遣や生活情報を伝える非営利組織.第三章一節5.2及び二節で詳しく取り上げる.
*13ピア・カウンセリングの「ピア」は仲間同士を意味する言葉で自立生活センターの中で行われている障害を持つ人同士の「聴き合い」=カウンセリングを意味する.第三章二節,三節で詳しく取り上げる.

 

◆要約

 障害を持つ人々が「障害=不幸」という圧倒的な現実に抗して,自らの障害を
肯定した語りを多数生み出してきた.彼/女らは,どのようにして語りを生み出
してきたのだろうか,また生み出された語りはどのような社会的な意味を持って
いるのだろうか.
 本論文は大きく分けると二つの問題関心によって書かれている.第一に,ライ
フヒストリー方法論が見出した「フィールドとしての個人」の意義を積極的に受
け継ぐ方向で,従来この方法論が前提としてきた「語り」の位置やその性格に対
する批判的検討を試みることである(第一章).従来ライフヒストリー論では調
査者と調査対象者との間にラポール(=親密な関係)を成立させることの重要性
が説かれてきた.ラポールの重要性を説く論は,その成立が「正確な語り」の収
集にとって不可欠であることを提示していた.しかし過去/経験は,それを意味
づける作業を通してはじめて個々人にとっての過去/経験として意味を持つもの
となるのであり,語り手がおかれている社会的な位置から離れては存在し得ない.
被差別状況に置かれてきた人々は,社会の支配的な現実によって自らの経験を意
味づけ,その過程で自己や自分と同じスティグマを付されてきた人々に対する否
定的なまなざしを獲得してきた.被差別状況に置かれてきた人々にとって経験を
意味づける作業は社会の支配的な現実が作り出す意味に対する抵抗として現れる
のである.これまで支配的な状況の下で自らの経験を意味づけていた人々がそれ
に抵抗する過程で生みだす語りは,経験それ自体が「ただ一つのもの」として存
在するのではなく社会の権力構造のせめぎ合いの中に存在していることを明らか
にする(ストーリーからストーリーズへ).その意味で語りを対象とする研究は
語られた内容のみを対象とするのではなく,いかにして語りが生み出されるのか
に注目し,語りが果たす社会的な役割を重視することが必要となるのである.そ
の意味で特にこれまで被差別状況におかれてきた人々の語りが生み出される場と
して彼/女らが作り出してきた場に注目する必要性がでてくる.なぜなら,1.
マイノリティとされてきた人々は,自らに付されたスティグマをいったん留保す
る「安心して語ることのできる場」が不可欠だから,2.同じスティグマを付さ
れた人々が集う場は,マイノリティとされてきた人々の間に存在する差異を顕在
化させる役目を果たすものであるからである.論文ではそのような場を<コミュ
ニティ>と位置づけた.そのような<コミュニティ>としてセルフヘルプグルー
プを取り上げ,これまでの治療的側面を重視した論とは別の視角からそれが持つ
意義を検討した(第二章).第一章,第二章は第三章で取り上げる語りの位置を
明確にするための作業である.
 第二の関心は,障害を持つ人々の語りの変遷である(第三章).日本では19
96年まで優生保護法が存在し,その優生条文の下で優生手術が行われてきた.
同時に個々人の「障害」は医療によって治すべきものとして存在してきた.また
障害を持つ多くの人は,在宅か施設での生活を余儀なくされ,その状況は現在も
なお続いている.そのような状況下で1970年代に障害者自立生活運動が日本
で始まった.この運動は,家族や施設での暮らしに何らかの限界を感じた人々が
それらを出て生活することを目指した運動である.またその過程で,障害を持つ
人自身がそのような自己を肯定することが必要とされ,特に70年代脳性麻痺の
人々のセルフヘルプグループである青い芝の会は「障害の肯定」をうたった.日
本の障害者運動はそもそも障害を忌むべきものとしている社会への抵抗として障
害者/健常者の非対象なカテゴリーそのものに挑戦してきた.論文ではこの時期
に生成されたセルフヘルプグループとして障害を持つ女性たちの活動に特に注目
した.彼女らは「障害者」を一枚岩で捉えることを批判し,障害者内部に存在す
るジェンダーなどによる差異を早くから見出していた.80年代の終わりに障害
者運動は転機を迎え,自立生活センターという組織を基盤とした活動を展開して
いく.自立生活センターとは,アメリカの活動を取り入れた障害を持つ当事者に
よる非営利組織であり,より多くの人の自立生活を支えるための介助派遣,ピア
・カウンセリングなどのサービスを提供する機関である.論文では,日本の自立
生活センターの特色と考えられるピア・カウンセリング実践に1970年代の障
害者運動の「障害の肯定」を受け継ぐ方向を見,それが女性障害者運動などの提
起によって「違うこと(差異)の肯定」へと変遷してきた過程を捉えた.
 本論では被差別状況に置かれてきた人々の経験が構成される具体的な場として
障害を持つ人々のコミュニティを提示した.また,そこでの語りが「均質性」を
目指す社会に対する徹底した抵抗であることを明らかにした.



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