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「全身性障害者の『家族』をめぐるリアリティ構成について・序説」

土屋 葉 『Sociology Today』9:17-27

last update: 20151221


全身性障害者の「家族」をめぐるリアリティ構成について・序説

土屋 葉
『Sociology Today』9:17-27(お茶の水社会学研究会)


1.はじめに

 「家族」という言葉から、私たちは何を思い浮かべるだろうか。「夫婦とその子どもからなる、情緒的な絆を中心とした集団」をイメージする一方で、自らの「家族」について、単身者であれば、離れて住む人物、あるいはペット等を含めて想定するかもしれない。また遭遇する場面やおかれた立場によって、これを変化させることもあるだろう。個人の捉える「家族」は、単一のものとして描くことは出来ない。
 本稿のねらいは、こうした個々人の捉える「家族」のリアリティの多様性を描くための、予備的考察を行うことである。この根底には、従来の家族社会学における研究枠組みが、家族を普遍的な構造や機能を有する一つの集団=実体として捉えてきたこと、またその中で行為者の視点に十分な注意を払ってこなかったことへの批判を有している。ここでは特に全身性の重度障害者に焦点を当て、彼らが「家族」をどのように認識し、解釈しているかを示すことを目指す。具体的には「主観的家族論」の研究枠組みを援用し、社会的なリアリティ定義と個人のリアリティ定義という、二つの水準の間における相互作用を描いていく*1。またここでは特に、障害者にとっての「障害者家庭」という社会的なリアリティ定義が、なぜ彼らにとって切実に否定されるべきものとして位置づけられているのかについて考察を行う。


2.家族という「リアリティ」

1)全身性障害者*2の「家族のリアリティ」とは?
 江原由美子は1980年代半ばの論文において「われわれの社会が複数のリアリティから成っているということは、ごく当たり前のように思われる。が、このことは社会学においてはほとんど重要視されてこなかった」ことを指摘する(江原[1985:2])。これは家族社会学においても同様であり、近年に至るまで、そもそも当事者の経験やリアリティに、明示的に触れられることはなかった(田渕[1996:24])*3。
 しかし1990年代に入り、家族社会学者が行ってきた「家族」の定義と、個々人が営む「家族」との乖離を指摘し、個人の「家族」を成立させている意識をとらえようとする動きが現れてきた。例えば上野千鶴子によるファミリィ・アイデンティティ論(上野[1991])や、山田昌弘によるエスノメソドロジーの導入の提唱(山田[1992])等が挙げられる*4。これらは個人の意識や経験に注目をしているという点において、行為者の「リアリティ」を描くことを意図する論考であると位置づけられる。
 このように、近年「家族」のリアリティを描く試みが多くなされる中で、とくに全身性障害者のとらえる「家族」を描き出すことの有意性はどこに見出すことができるのか。その手がかりを現象学的な視角を取り入れた、日常生活の現実についての記述から探ってみよう。
 バーガーとルックマンによると、「日常生活は一貫性をもった世界として人びとに解釈され、かつまたそうしたものとして彼らによって主観的に意味のある一つの現実としてあらわれる」という(Berger and Luckmann[1966=1977:33])。また「家族」という言説の呈示は、意味ある社会的世界を構築し、その中で自己を定位するための、一つの重要な手段であることが指摘されている(田渕[1996:33])。翻って本稿において注目する、日常生活に手助けを必要とする全身性障害者にとって、家族とはよくも悪くも「重要な他者」である。在宅で生活する場合には、家族の手助けがなければ、彼らの日常生活は成りたたない。このような状況にある障害者が「家族」を語ることは、直接的に彼らの日常的な世界を語るための、一つの重要な手段となる。ある脳性マヒの男性は次のように言う。

 「普通の人だと、オブラートに包んで話したくなきゃ話さなくてもすむけれど、僕ら障害を持っているってことでいえば、下手に隠しちゃうと話が続かなくなるわけよね。見せなきゃいけないわけ。そこを抜いて話しちゃうと、分かってもらえないっていう部分がある。親子関係とかどろどろした人間関係っていうもの…、それを話さないと中身がないようなものだよね」

この男性は、家族について語らないと自分を理解してもらえないという。ここからは、障害者が「家族を語る」こととは、すなわち「意味ある社会的世界」を構築し、その中で自己を位置づけるために必要不可欠な行為であることが分かる。

2)「リアリティ」の相互作用
 ここでは江原の定義を採用し、「リアリティ」を、「社会成員が現実ないし現実的と判定しているところの現象」(江原[1985:250])ととりあえず措定する*5。そのうえで冒頭で述べた問題関心に従って、「家族」についてのリアリティ定義の相互作用に焦点を当てる。以下ではこれに先だって、関連する先行研究を見ていく*6。
 現象学的方法論の観点から、制度や秩序を当事者が構成していくものとして捉えるという立場を家族に適用した初期の試みとして、バーガーとケルナー「結婚(生活)と現実の構成」(1964=1988)がある。ここでは「結婚」生活をへと突入した当事者たちが、「結婚」のリアリティを再構成することについて、次のように述べられている。

 「社会はそれまで当事者達に、婚姻関係の当たり前と見なされてきたイメージを提供してきた…(中略)…。それでもなお、このような相対的に空疎な予測は今や主人公たちによって現実化され、生きられ、経験的な内実で満たされなければならない。このことによって彼らがリアリティと自分たち自身とについての定義を劇的に変化させることが要請されるのである」(Berger and Kellner [1964=1988:98])

 この論考では、「結婚」が、当事者たちにいかなる論理に従って認識され、彼らに対してどのようなリアリティを構成するのかが考察されるとともに、リアリティの相互作用が論じられている。
 また、「家族」というリアリティに関して、二つの定義が相互に作用しあっているという点を強調し、実証的な分析を行った先行研究として、グブリアムら『家族とは何か』(1990=1997)が挙げられる。著者らは社会構築主義という立場に立ち、家族を所与あるいは固定されたものではなく、人々の相互作用を通じて社会的に構築される現象として捉える*7。
 グブリアムらは、「家族のプロトタイプ(The Family)」、すなわち伝統的な家族的価値と結びつけられた典型的な家族のイメージが、均質的で道徳的な性格を保ち続けていることを指摘し、これが我々の「(家族の)現実の相互的な認識の基盤」を形作るとする。このため「個人や集団としての私たち自身と他者とに関する知覚は、「家族のプロトタイプ」のイメージが呼び起こす典型的な家族役割や理想化された関係に照らして構築される」(Gubrium & Holstein[1990=1997:270])。この例として精神病院の牧師が、ある女性を「正常」に近づけることを、妻であり母であることや世帯の管理を行う、すなわち「家族のプロトタイプ」を参照して表現することに言及する。そしてこれらの規範的な含みを持つ言葉が、精神病棟の患者の生活に実際的な影響を及ぼすと指摘する([ibid:271])。
 この二つの先行研究はともに、「家族」あるいは「結婚」のリアリティの生成過程に注目し、「家族」のリアリティ構成における「個人的定義(主観的な経験の構成)」と「社会的定義(客観的だと個人が認知する定義、「類型化された」知識)」*8。という水準の間における相互作用を問うものである。「結婚(生活)と現実の構成」においては、婚姻関係の「当たり前と見なされてきたイメージ」が前者にあたり、当事者が経験する結婚生活がこれと対置されている。また『家族とは何か』においては、典型的な家族のイメージである「家族のプロトタイプ(The Family)」と対比されるものとして、「(家族の)現実の相互的な認識」が位置づけられている。
 こうした問題構成を適用することにより、個々人の主観的世界の多様な側面(リアリティの多元性)を示すことが可能になる。


3.全身性障害者の「家族」のリアリティ構成

 本節では聞き取りから得られたデータから、全身性障害者の「家族」に関するリアリティ構成についての試験的な考察を試みる*9。
 聞き取りにおいて、「障害者のいる家庭」や「普通の家族」という言葉が多く聞かれた。これらと対比して、自分自身の家族についての思いや親子関係が語られた*10。ここではこうした多層的なリアリティが相互作用を行っていることに焦点を当てる。特に三人の言明に注目し、社会的なリアリティ定義と自ら経験する「家族」との間にズレが生じていること、そして行為者として、彼らが「家族」というリアリティを構成する過程をみていく(下線部は筆者による。年齢はインタビュー当時)。

1)「一緒にいるのが家族」とのズレ
 Iさん(三十八歳 男性 脳性マヒ・1級)は、幼少時長期に渡って入院生活を送っていたが、ある時一旦退院することになった。その時の経緯を次のように語っている。

 「病院はまぁ四歳から小学校一年くらいまでで、一回退院をするわけね。それの次期は、まだ手術とかいろいろ残ってたんだけど、「あまり長い時間、親子で離れてしまうのは、よくないんじゃないか」、その頃でいうと、ケースワーカー、病院にもケースワーカーがいたから、「ある時期に親と離れてしまうのはまずい」と。で母親もやっぱり僕がうちの家族の中で、孤立しちゃうというのかな、家族の一員でなくなっちまうのをやっぱり、一番、母親に言わせると、恐れたと。どうしても障害者の親子っていうのは、家族なんだけど、たいてい病院に入れられて、その子がいない生活が当たり前になってしまうっていうのは、その当時から多かったんですよね。それで、家族の中でもその家族がいない生活が当たり前のようになってしまっている部分っていうのは、他の障害者の家庭にも多いと思うんですけど、…」

 ここでは病院という公的な場に属するケースワーカーが、幼少時から長期入院していたIさんについて、ある時期に親と離れて生活するのはよくないという発言をしたことが語られている。これはケースワーカーの、「一緒にいるのが家族」という社会的リアリティ定義を示している。またIさんやIさんの母親も「病院に入れられる」と「家族の一員」でなくなる、という言明から分かるように、このリアリティ定義を共有している。その時点においてIさんは長期入院をしている最中であり、他の家族成員とIさんは離れて暮らしていた。つまり現実のIさんや母親が経験する「家族」とはズレが生じており、このズレを埋めるためにIさんは一旦退院し自宅に戻ったと語られている。

2)「不幸な家族」とのズレ
 Yさん(三十六歳 女性 脳性マヒ・1級)は、公共的な場でなされた家族についての定義について言及している。それはある成人式で配布されたハンドブックの中に書かれたものであった。

 「…成人式にM市で「不幸な子どもを産まないためのハンドブック」っていうのが配られたの。私は成人じゃなかったんだけどね。そのハンドブックを見て、家出る必要があるなって思ったの。その内容はね、医学的な病気とか書いてあって、将来結婚するんだったら、障害児を産まないために医学的に、何世代までさかのぼって確かめましょうっていうの、問題なんだけどね、そういうことが書いてあって、…どうしても腹が立ったのは、普通の結婚するでしょ、子供が産まれるでしょ、障害児だったりするでしょ、そうすると障害児を持ったカップルが不幸になるって書いてあるの。それで障害児を持っている家族が不幸になるって書いてあるの。でそれを支える社会が不幸になる、それを支える国が不幸になる、だから障害児を産まないように…。それを見てて背筋がぞーっとして、うち不幸だったのかなって考えるじゃん。自分を否定されてるわけだけど、そこまで考えが及ばなくて、単純に自分がいると不幸になっちゃう、そうだったのかなって考えたの、家族が。でうち不幸じゃなかったよって思ったの。けっこう楽しくやれてたよなって思ったの。ぜんぜん不幸じゃないよなって思ってたの。それで、でもね、だから怒りに変えられたっていうかな。その記事がおかしいっていうふうに思ったんだし、医学的にこういう原因からってなってるけど、私の障害はお産の時の誘発剤だっけ、時間をコントロールするための、そういうのとかいろんな手落ちでなったわけね。だからさ、これもあてはまんなかったのよ。だから怒りが爆発しちゃったのね。
 それで、ほんとに不幸になるっていってみんなが納得しちゃうの何でだろうって思ったの。…子供の頃は家族に世話してもらうの別に苦じゃないし家族も苦じゃないけど、大きくなって普通の健常者はみんな手がかかんないていうかな、なるじゃん。障害があると手がかかるじゃん、どうしたって。それを家族単位でみてるから不幸になるだけじゃないかって思ったの。だから今は幸せだけれど家族単位でみていたらお母さんお父さんだって歳とればね、肉体的にできなくなるし、子どもの体でなくなっていくわけでさ、肉体的に、大きくなるし、あと精神的に子どもとは違うから、家族だけで障害者の介助を支えるのは不幸になるって思ったの。だからある程度たったら一人で生活しようって思ったの。」

 Yさんが手にした成人式のハンドブックは、「不幸な子どもを産まないために」というタイトルが付けられ、「障害児を産まないために」医学的な指導を行うことを目的とした内容のものだった。Yさんが「どうしても腹が立った」ことは、「障害児を持ったカップルが不幸になる」、「障害児を持っている家族が不幸になる」と書かれていたことだった。自分自身が否定されていることよりも、「単純に自分がいると不幸になっちゃう、そうだったのかな」と考えたという。しかし、Yさんは「うちは不幸じゃなかった」、「けっこう楽しくやれてたよな」と思った。だからこそ、その記事に対するショックを「怒りに変えられた」と表現する。
 ここではまた、公的な配布物の中における「障害者のいる家族は不幸になる」という「障害者家庭」に対する定義づけがなされているといえる。Yさんはこれを「不幸になるって…みんなが納得しちゃう」定義であると言う。ここからYさんがこの「不幸な障害者家庭」を社会レベルの定義として認知しているといえる。しかしYさんは自らが経験する「家族」を「不幸じゃない」と位置づける。つまりIさんの経験する「家族」のリアリティとのズレが生じているのである。しかしYさんは先のIさんの母親ように、このズレを一致させる方向に向かうのではなく、不幸であると決めつけられた怒りを、「いつかは一人で生活をする」というエネルギーに転換させていく。このことについては後で詳しく触れる。

3)「限界まで努力する家族」とのズレ
 Uさん(四十五歳 男性 脳性マヒ・1級)は二年半ほど前から一人暮らしを始めている。しかしワンルームタイプの部屋についているユニットバスやトイレは、改造されていないため使用できず、週末は入浴のために実家へ帰る、「自立生活の単身赴任」を続けている。Uさんがホームヘルパーについて語る中に、「行政」側のとらえる「家族」について触れられている。

 「…日本の社会福祉の基本的な考え方っていうのが、今でもそうだと思うんですけど、とことんぎりぎりまで出来るだけ家族が面倒見て、どうしても面倒みられなくなったときにやっと社会が少し手を貸すっていうのは、今の介護保険のことなんかも含めてそういう考え方に立ってると思うんですよ。自助努力という名のもとに、家族というか、所帯っていう振り分けがなわれていて、考えられているんですよ。私、ここで生活を始めるにあたって、ホームヘルパーが週に二回来るんですよ。そうするとね、ヘルパーさんが帰るとき何時から何時まで何を仕事を、掃除洗濯とかしますよね。そういうのを記入して、私が印鑑を押すわけですよ、でね、印鑑を押す前になんて書いてあるかっていうと、「家族確認」なんていうふうに書いてあるわけですよ。これは象徴的だなと思ってね。私一人暮らしですよね。家族なんかいないですよね。それでも当事者が確認をして印鑑を押すという考え方が行政にないんですね。だから、社会福祉の対象となる人には極端な言い方かもしれないですけど、当事者能力を認めてないっていうか、そういう基本的な姿勢っていうのがどうしても感じちゃうわけですよ。(…中略…)たとえば私に、母親、私がここから実家に戻ったとしたら、おそらくホームヘルパーは来ないと思うんですよ。申請しても。来て貰えないと思うんですよ。母がいるから母に面倒見てもらえばいいっていう形になっちゃうと思うんですよ。たまたま、一人でいるから言葉は悪いけど、仕方なく行政は手を貸してるみたいなところがあってね。」

 ここではホームヘルパーについての書類から例を挙げて語られている。この書類にはヘルパーの仕事に対して確認の印鑑を押す欄があり、「家族確認」と記されているという。このことをUさんは、行政が社会福祉の対象者の当事者能力を認めないという基本的な姿勢の象徴的な表れであると表現する。
 ホームヘルプ事業を統括する公的な部署がこの書類を作成したと考えると、この事業において想定されているのは、「他の家族と共に暮らす」障害者、または高齢者であろう。さらに、おそらくUさんの住む地域では、親と同居していたら申請をしたとしてもUさんにはホームヘルパーは派遣されないだろうという。Uさんはこれらから、「とことんぎりぎりまでできるだけ家族が面倒見て、どうしても面倒みられなくなった時」の状態の家族が、ヘルパーの派遣される家族像であると位置づけている。これはUさんの「障害者家庭」という社会的なリアリティ定義の一つのバリエーションであるといえる*11。Uさんが感じているのはこうした行政側の措定している(とUさんが認識する)「家族」と、自らの「家族」のリアリティとのズレであるといえる*12。
 これまで障害者の「家族」の社会的なリアリティ定義と、自らの経験する「家族」とのズレを見てきた。以下では彼らが「家族」の社会的なリアリティ定義に対して、どのように「わたしの家族」を構成していくかを見ていく。

4)「わたしの家族」と「障害者家庭」 
 Iさんの母親がIさんを一時退院させたという行為は、自宅で一緒に暮らすことでIさんを「家族の一員」に引き入れようとする試みであった。言いかえれば、「一緒にいるのが家族」という社会的リアリティ定義と、現実の「家族」の状態とのズレを埋めるために、Iさんの母親が自ら生きる「家族」を修正し再構成する、実践的な行為であったといえる。
 Yさんは、「不幸な障害者家庭」というリアリティに対して、自らの「不幸ではない家族」とのズレを感じた。しかしこの「不幸な障害者家庭」というリアリティ定義は、「家族が介護を行うから」、正しさを持っているのだと結論づけられ、自らの「家族」については、介護を家族に担わせない状態、すなわち「家を出て一人で生活すること」が目指される。そして数年後にこれを実行に移している。ある意味では「介護をすべて担う不幸な障害者家庭」というリアリティに対して、「介護を担わせない家族」の関係を構成したといえるだろう。
 またUさんも行政側の想定する(とUさんが認識する)「家族」と自らの「家族」との間にズレを感じた。そしてこうした家族像と対をなす、「家族に介助を頼って生きる障害者」ではなく、「母親を介助から解放し、他から介助を得る障害者」として自らを位置づける。さらにこうした自らの状況は「一人暮らし」で「家族なんかいない」と解釈されるのである。
 これまで見てきたように、「家族」に関する社会的なリアリティ定義を確認し、これを受容、あるいは拒否し、自らの「家族」と相互に作用させながらリアリティを構成していく障害者の姿が浮かび上がってきた。ここで注目すべきことは、YさんやUさんが語っていたような、「家族」のリアリティの切実さである。次節ではこれについて考察していく。

4.「障害者家庭」のリアリティの切実さ

 ここでは障害者によって語られた「家族」のリアリティの切実さについて考察する。とくに「障害者家庭」について語るとき、彼らは自らの置かれた切実な状況からこれを否定する。以下ではこれについて二つの側面から論じていく。

1)ケアの獲得
 障害者が「障害者家庭」というリアリティ定義を否定する理由として、互いに関連する二つのことが挙げられる。第一に「ケアの獲得」に関することがある。
 前節でUさんが語っているように、ホームヘルパーによるケアは、あくまで「限界まで頑張る障害者家庭」に提供される。これを構成する一つの要素が、「面倒をみられるだけの、能力のない障害者」である。この象徴としてUさんは「家族確認」の欄を挙げている。Uさんが語るのは、まずこの「障害者家庭」の否定である。と当時にその中には「確認の印鑑を押す」ことの出来る一人暮らしを行う自分の肯定が暗に含まれているといえる。
 このことはUさんが「自立生活」を始めた動機とも関連するため、少し迂回するが触れておく。Uさんは一人暮らしを始める契機として、父親の死を挙げている。父親が亡くなった時期にちょうど「自立生活センター」の設立の話が持ち上がったことに続けて、次のように語る。

 「…まぁ、父がいれば事情が違ってたかもしれませんね。やっぱり私の中に母だけに介助の手を頼って生きるのも限界だという気持ちがありました。自分が自立をすると同時に母を少しでも、介助というしがらみから解放したいという気持ちがありましたね。」
 (聞き手)「介助についてはお母さんは何かおっしゃっていましたか?」
 「いや、特に何も。日本の障害者の親っていうのは、どこまでも自分が気持ちの上で背負い続けなければみたいな気持ちが強いんで、そういうつもりだったと思います。」

 Uさんは母親の行う介助には限界があると考え、また母親を自分自身の介助から「解放」しようと、家を出て一人で暮らすこと=「自立」を目指したという。つまり家族(ここでは母親)以外の他者からの介助を獲得し、「限界までがんばる障害者家庭」を否定することによって、「自立生活」をスタートさせたことになる*13。しかしそこでUさんが直面したものは、既に否定したはずの「障害者家庭」のイメージに付随する「面倒をみてもらう受動的な障害者」像であった。これを認めることはすなわち、一人暮らしを行う「自分」を否定することにもつながる。Uさん自身が言うように、「一人でいるから仕方なく」ケアを提供されている「障害者」として位置づけられてしまい、Uさんにとって今や必要不可欠であるケアの獲得を困難にする。こうした切実な状況から、Uさんは「障害者家庭」を否定し続けなければならないのである。

2)自己否定を越えて
 より重要な二つめの理由として、前節で考察したことと関連するが、障害者が「障害者である自己」の肯定を行うためということが挙げられる。
 Yさんが言及するハンドブックは、障害者自身を否定することを巧妙に避け、「障害者をもった家族が不幸になる」と言いかえることで、「不幸な障害者家庭」というリアリティを作り上げている。このためYさんははじめ、「障害者家庭」のみを、自分自身の「不幸ではなかった家族」と比較して否定する。しかしやがてこれを徐々に解き明す試みを行っていく。そしてこうした「不幸な障害者家庭」というリアリティ定義が「みんな」に受け入れられるのは、実際に障害者の介助を、「家族だけで」支えているからという結論に達する。そして自らもそのような状態に陥るこれを回避するため、「一人で生活する」ことを決意する。
 ここでは、「自分の存在が家族を不幸にする」から、「自分の介助を背負うから、家族は不幸になる」へという思考の転換が行われている。これによってYさんは「障害者である自己」を肯定出来ることになる。逆に「頑張って障害者を支える家族」を否定し、実際に家族から介助を受け取らない状態を創出することによってのみ、Yさんは自己を肯定することが出来るといえるだろう*14。
 このYさんの「家族だけで障害者の介助を支えるから不幸になる」という言明について、既出のIさんがインタビューの違う箇所で詳しく触れている。Iさんは「精神的な親子離れ」が自立であると語る中で、次のように言う。

 「…障害者家庭の、この子のためにとか、この子のために頑張らなきゃっていうのと、まぜこぜになってる部分がありすぎるんだよな。逆にそれがお互いの重荷になって、お互いの成長がなくなってしまう部分なんじゃないかなと思うんだ。だからある部分、お互いに知らないところがあっても面白いんじゃないかと思うんだけど。逆に言うと、障害者の親子関係っていうと、何でも知ってる、何でも親子そろって死ななきゃいけない、っていうのが当たり前だという感覚の中で親子関係をつくってると、いざ、どっちかができなくなったり、どっちかが倒れたりするとパニックになってしまう。」

 Iさんは「障害者家庭」においては、親が子どものためを思って行う行動、ここでは介助が、親子を一体視する方向へ導く傾向があることを指摘し、親子が共倒れし親子心中にまで至る危険性があると語っている。Iさんはこうした「障害者家庭」を強く否定する。なぜならこの「何でも知っている障害者の親子関係」とは、親は子どもを思う気持ちと、子どもに代わって行為の主体となることとを複雑に結びつけ、子どもを自らと一体視し、障害者である子どもが自ら行為主体となることや、ひいてはその存在をも否定する可能性があるからである。その最悪の結果の例として親子心中が挙げられている。Iさんは自分自身が否定され、あえて極言すれば「殺される」ことを回避するために「障害者家庭」を強く否定する必要があるのである。

3)「障害者家庭」からの脱出
 これまで見てきたように、障害者は揃って「障害者家庭」という社会的なリアリティ定義に対して否定的である。これは彼らの置かれた切実な状況に起因するものである。「障害者家庭」とは、親の「子どもを思う」気持ちによって囲い込まれ、存在を否定される可能性を常に有しており、外部からは「能力がなく、家族に世話をしてもらう」存在として受け取られ、行為主体として生きることを困難にするからである。
 これらから、「障害者家庭」という社会的なリアリティ定義は障害者にとって、非常に抑圧的なものであることが分かる。したがってたとえそれが自らが経験する「家族」と一致しないとしても、切実に否定されるべきものである。むしろ、彼らは「障害者家庭」という社会的なリアリティ定義を自らの「家族」のリアリティとして構成することを回避するために、さまざまな行動をおこすと言った方が適切であろう。既にみたように、YさんやUさんは「家族で介助を支える」という状態を回避するために、一人暮らしを実行に移している。またIさんも「親子べったり」で共倒れする事態を回避しようと、母親と同居しながら「精神的な自立」を試みる。これは「母親は母親の時間を持ち、僕は僕の時間を持つ。お互いに何をしているか知らない状態を作る」と語られるように、日常生活におけるお互いの努力の積み重ねである*15。
 ここでは障害者が、「障害者家庭」という彼らにとって抑圧的なリアリティ定義を自身の「家族」のリアリティとして構成することを回避し、各々の試みを行っていることを見てきた。ある人は、自分自身と親との関係を、「障害者家庭」におけるそれとは異なるものにしようと日々試行錯誤を繰り返していた。またある人は「障害者家庭」から脱出し、一人暮らしを実行した。しかしそこでも「障害者家庭」というリアリティ定義は避けて通ることは出来ない。彼らはこれと日々戦い、変更させながら、自分自身の「家族」というリアリティを作り上げる試みを行っているのである*16。


5.まとめにかえて

 本稿では「家族」のリアリティを描くための試論を行い、特に社会的なリアリティ定義と個人のリアリティ構成という二つの水準の間における相互作用を描いた。
 個別的には、全身性の重度障害者の「家族」のリアリティ構成を示した。障害者の語る言葉から、第一に彼らが「家族」を経験する行為者として、多層的な「家族」のリアリティを有していること、また社会的なリアリティ定義と個人のリアリティ定義を相互に作用させながら「家族」というリアリティを作り上げていることが実証された。また「障害者家庭」というリアリティは、彼らの置かれた切実な状況から否定され、自らの「家族」のリアリティを異なった形で作り上げていることが明らかになった。
 今後「家族」のリアリティ構成論をさらに発展させていくために、ある成員の提示する「家族」という言説のみではなく、複数の成員の提示する言説に照準すること(田渕[1996:33])、また本稿では触れられていない、家族の「リアリティ」をめぐる権力の付置関係について考察することも必要となる*17。
 個別的には本稿では、親の持つ「障害者家庭」のリアリティについて言及することが出来なかった。今後データを蓄積し分析を行っていくことによってこれを補っていかなくてはならない。またリアリティをめぐる権力の付置関係について、行政側の措定する「家族」とのズレに関する言明などを手がかりにして考察をすすめることも、今後の重要な課題である。



*1近年家族社会学においては、個人の捉える「家族」に注目する研究が提起されている(田渕[1996]、池岡[1997]など)。これらは核家族モデルに依拠した集団論的アプローチのパラダイムを越える新しい方法論を提示するものとして位置づけられる。本報告ではこうした流れの一つとして、「主観的家族論」を援用する。田渕六郎によると主観的家族論とは、「個人の「家族」に関する認知や経験を観察者ないし理論家の枠組みに取り込むことを重視する立場」である(田渕[1996:20])。
*2ここでは全身性の重度障害者、中枢神経系の障害のため、上肢、下肢、体幹、あるいは言語機能などに重複する障害を持ち、日常動作に介助を必要とする人々をさす。以下では「障害者」と記述する。具体的には脳性マヒ、脊髄損傷、進行性筋萎縮症などの、身体障害者のことである。
*3ただし、「家族言説」「家族イデオロギー」研究において、社会的なリアリティ定義と、個人的なリアリティ定義とが相互に浸透しあっているという視角が強調され、家族という言説が表象の水準で重層的なリアリティを形成していることが指摘されてきた(田渕[1996:22])。
*4さらに構築主義的な視点を取り入れたものとして苫米地[1996]、赤川[1997]、木戸[1997]、池岡他[1997]など。
*5山田は「「家族である」というリアリティ」を、「(二者の)関係を家族であると実感する」こととしている(山田[1992:157])が、ここではそれよりも広義の意味で用いている。
*6ただし、江原は「リアリティ構成」論においては、これを社会学的営為の内に位置づけ分析用具とするために「リアリティ」の真偽判断の根拠という特性を、カッコ入れすることを行うと述べる。つまり我々自身の真偽判断の根拠と区別するために、「リアリティ」にとりあえずの定義を与え、社会成員が行っているところの「リアリティ判断」自体が考察すべき対象とする。つまり「リアリティ判断」がいかなる「常識」にしたがっているのかを取り出し、それがしたがっている規則−暗黙の「理論」を抽出するのである(江原[1985:250])。また「社会的リアリティ」を、「成員が「現実的」であり、人びとと「共有」でき、「正しい」と考えている判断の集合」と定義している(江原[1985:89])。
 人間の世界が多元的な構造をおびる、すなわち多元的なリアリティの根拠としては、江原は1)人間がさまざまな意識のあり方をもつこと、2)人間は、自らの生活世界を、対立的案意味の領域に分節するということ(「聖−俗−遊び」等)、3)われわれの生きられる世界には、複数の生活世界があり、それぞれの制度的、集団的文脈に属していることを挙げる(江原[1985:12])。
*7Gubrium & Holstein[1990=1997:333]訳者あとがきより。
*8田渕[1996:22−31]参照
*9本稿で使用するデータは筆者が行った、全身性障害者を対象とした合計21名の聞き取り調査のテープ記録からの抜粋である。調査は1997年8月、都内の身体障害者通所施設において集中的に行われた。筆者はここに一ヶ月間研修生としてお世話になり、8月中旬過ぎから暇を見て1人ずつ別室にて対面式で話を聞く形を取った。研究目的以外には使用しないこと、プライバシーを守ることを条件に聞き取りを行ったすべての人がテープ録音に応じてくれた。また平行して同年5月から9月にかけて知人等のつてを利用した調査を行っている。
 聞き取りは、まず質問者の関心が「家族関係」にあること、質疑応答の形ではなく自由に話してほしいことを伝えた後、多くは対象者の経歴を聞くところから始めた。質問者の側で状況や枠組みを設定することを回避するため、基本的な属性、障害の種別等を尋ねる以外には調査票を用いた調査は行わなかった。
*10障害者が「障害者のいる家族」について語るとき、一般的な「障害者家庭」と、「私が所属し経験する「障害者家庭」という二つの水準があり、これを区別しなくてはならない。「障害者家庭」についての社会的定義が当事者の認識において存在する一方で、「障害者である自分自身の経験する家族」は、個人の経験する「家族」のリアリティのバリエーションの一つであるといえる。したがって、障害者の「家族」についてのリアリティ構成を論じる際、「家族」についての「一般的な見解」と共に、「障害者家庭」を分析対象とすることが必要となる。これら二つはう家族についての「リアリティの社会的定義」に対応し、これに対して「私の家族」といった言葉で表現されるものが「個人のリアリティ構成」に対応する。
*11Uさんはまた、自らの経験から次のようにも言う。
 「…私二十年くらい電動車椅子に乗ってるんですね、で、十六年前くらいから電車に乗ってるんですよ。今だったらそういうこと言う人はあまりいなくなりましたけど、一人で外出して電車に乗ってたりすると、へー、一人で乗ってるの?親はいないの?ってね、そうきちゃうんですね。だからいくつになっても親とか家族の庇護のもとにいるのが障害者だっている意識が社会全体に、社会的な、文化的なこととしてそういうことがしみついちゃってるなって、感じたりしたものですから…。」
 ここから、障害者が常に「親とか家族の庇護のもとにいる」とイメージされていること、さらに本論の文脈においてはUさんが、「障害者家庭」=常に「障害者を庇護する」ことが求められているという図式を、社会全体が共有していると認識していることが分かる。これもまたUさんの持つ「障害者家庭」の社会的リアリティ定義であるといえる。またUさんがこうした他者の言葉から、「障害者である自分」を否定されるニュアンスを読みとり、非常に居心地の悪さを感じていることが分かる。
*12YさんとUさんの例において、明示的に「障害者家庭」に対する定義付けがなされていることが語られた。ここで重要なことは行政が明示的に「不幸な障害者家庭」を措定していること、そしてこれらが個人の「社会的なリアリティ定義」を規定する側面があることである。
*13Uさんのように親の年齢的・体力的な限界(あるいはもっと他の理由も含めて)を見通して、親以外から介助の手を確保しようとする障害者は多いようだ。この介助(ケア)という行為と親とを切り離す、最も単純な方法として彼らが「家を出る」ことを選択することは、インタビューでも多く聞かれた。
*14Yさんが指摘する、親の介護の限界性について、旭[1993]、岡原[1990b]を参照。Yさんも示唆している(「…子どもの体でなくなっていくわけでさ、肉体的に大きくなるし」)性的ケア、身体ケアの観点から論じられている。
*15これに対して親の側は、「障害者家庭」という社会的リアリティ定義を自らの「家族」において実践し、維持することによって、「愛情深い障害者の親」として認められようとする。また逆に、親にこうした愛情の証を求める構造も存在することが指摘されている(岡原[1990a:87])。従来障害者の「自立」を阻む壁が、こうした親の存在であるといわれてきた(安積[1990:33]他)。過去の障害者運動を振り返ってみると、有名な主張として「親の愛を否定する」というものがある(横塚[1975→1981:143])。ここでは「愛によって作られた施設」や「殺すことが愛である」とする親への批判がなされていた。しかし本稿で「家族」のリアリティ構成論を援用して明らかになったことから結論づけるとするならば、ここで彼らによって否定されるべきは「親の愛」ではなく、親がすべてを担うことを要求される「障害者家庭」であるといえるのではないか。これについては別稿を期さねばならないが、本稿は従来の議論に一石を投じるものであると位置づけられるだろう。
*16こうした「障害者家庭」という社会的リアリティ定義に対する障害者の試みは、翻ってさまざまな「家族」の社会的なリアリティ定義に対する、とりわけある範囲の人びとの態度と何ら変わるものではないのではないか。例えば「母子家庭」、あるいは「離婚家庭」に対する等、なんらかの不利益を被る場所にある人びとが考えられる。これについては別の機会に考えていきたい。
*17「家族」というリアリティ構成は、権力的なせめぎあいを示している。すなわち明白に権力を持つ者の「家族」が支配的なリアリティとなるのである。


参考・引用文献
旭洋一郎 1991 「障害者福祉とセクシュアリティ」東洋大学児童相談所『東洋大学児童相談研究』12[13-31]
安積純子 1990 「〈私〉へ−三十年について」安積他[19-56]
安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也 1990 『生の技法−家と施設を出て暮らす障害者の社会学』藤原書店
赤川学 1997 「家族である、ということ−家族らしさの構築主義的分析」太田省一編著『分析・現代社会 制度/身体/物語』[97-118]八千代出版
Berger,P. and Kellner,H. 1964 Marrage and Construction of Reality. Diogens,46[1-23]=1988 望月重信訳「結婚(生活)と現実の構成」明治学院大学論叢428教育学特集10[91-111]
Berger,P. and Luckmann,T. 1966 The Social Construction of Reality : A Treatise in the Sociology of Knowledge. Double & Company. =1977山口節郎訳『日常世界の構成−アイデンティティと社会の弁証法』新曜社
江原由美子 1985 『生活世界の社会学』勁草書房
Gubrium,J. & Holstein,A 1990 What Is Family = 1997 中河伸俊+湯川純幸+鮎川潤訳『家族とは何か その言説と現実』新曜社
池岡義孝他 1997 「単身者の生活実態と家族意識(1)〜(3)」第70回日本社会学大会レジュメ
木戸功 1996 「それは家族であるのか、家族でないのか、ではどうすれば家族であるのか「−家族」とその状況規定−」『家族研究年報』21[3-13]
岡原正幸 1990a 「制度としての愛情」安積他[75-100]
岡原正幸 1990b 「コンフリクトへの自由−介助関係の模索」安積他[121-146]
桜井厚 1996 「ライフヒストリー・インタビューにおけるジェンダー」『ライフ・ヒストリーを学ぶ人のために』世界思想社[207-233]
田渕六郎 1996 「主観的家族論−その意義と問題」『ソシオロゴス』20[19-38]
苫米地伸 1996 「「結婚」と「愛情」、どちらが先か? 夫婦別姓問題のレトリックから」『家族研究年報』21[62-73]
上野千鶴子 1991 「ファミリィ・アイデンティティのゆくえ−新しい家族現象」上野他編集委員『シリーズ変貌する家族1 家族の社会史』岩波書店[1-38]
山田昌弘 1992 「家族であることのリアリティ」好井裕明編『エスノメソドロジーの現実』世界思想社[151-166]
横塚晃一 1975→1981 『母よ!殺すな(増補版)』すずさわ書店


REV: 20151221
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