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「〈家族のきずな〉とケアに関する一考察−全身性障害者の「語り」を読み解く」

土屋 葉
『国立婦人教育会館紀要』第2号[47-56]

last update: 20151221


〈家族のきずな〉とケアに関する一考察−全身性障害者の「語り」を読み解く

土屋 葉(お茶の水女子大学 人間文化研究科博士後期課程)
『国立婦人教育会館紀要』第2号[47-56]

〈キーワード〉全身性障害者 語り 自立 介助 家族のきずな

〈要旨〉
 従来の家族社会学においては、家族の間の「愛情」、「情緒的関係」は自然的、自明的なものとして家族定義に組み込まれてきた。また、福祉論などにおいてもこうした〈家族のきずな〉は、家族介護と重ねて論じられてきた。特に家族成員に要介護者がいる場合は、「きずながある」あるいは「暖かい」家族が介護を行うこと、とくに女性がその役割を担うことは当然の前提とされてきた。本稿はこうした立論が、家族の間に介護が介在する場において生じる問題を見過ごしてきたことを指摘する。そして、日常的に介護を受けとる側である全身性の重度障害者に焦点をあて、彼らが家族について語る「語り」から、特に親による介護そのものを問いかえす試みを行う。これは従来、被介助者である当事者の言明に注意を払ってこなかった先行研究に対する批判を含むものである。
 彼らの「語り」から、母親が介助を一人で背負っており、介助の場に父親が不在であることが確認される。また〈家族のきずな〉が、母親に対してより強く作用するものであること、これが「愛情深い母親であること」を要請するために、介助を行う際の摩擦を生じさせること、また、実際の「思いやり」の気持ちも時には介助を辛いものにさせることが明らかになる。彼らはこの解決法として、「自立」を提案する。具体的には親子関係から介助を除外させ、自分自身の介助から母親を「解放」すること、同時に「障害者の母親」からも「解放」することを目指す。そして、親子関係を他の人間関係に相対化することによってお互いに思いやる「ケア」の関係性を構築しようと試みる。障害者によって行われたこの提案は、母親に特権化されているケア役割を父親にも拡大する可能性を示唆するものである。

1.はじめに
 本稿のねらいは、「家族介護」と〈家族のきずな〉との関係を、家族から介護を受け取る側である障害者の視点から捉えなおすことである。従来家族介護と、家族の間の「愛情」「暖かいふれあい」などの言葉は結びつけて語られてきたが、これらは家族介護を無根拠に正当化させるマジックタームとなっているのではないか。この家族介護を自明視する論拠となっている「愛情」等の言葉を、ここでは暫定的に〈家族のきずな〉と呼ぶ。

 従来家族社会学においては、〈家族のきずな〉は自明的、自然的に存在するものとして家族定義の中に組み込まれてきた。現在もっともよく引用される家族定義は次のようなものである。「家族とは、夫婦・親子・きょうだいなど、少数の近親者を主要な成員とし、成員相互の深い感情的係わりあいで結ばれた、第一次的な福祉志向の集団である」[森岡・望月 1983 3]。ここで重要なことはこの定義において、家族成員がお互いの福祉を追求する集団と措定され、さらにその前提として〈家族のきずな〉が位置づけられていることである*01。
 また一方で、これらは福祉政策の提言にも取り入れられてきた。高度成長期以来、「人間的に」生活するには、家族の間の情緒的関係が大切だとする主張がなされている[岡原 1990a 77]。例えば1981年の『厚生白書』には、障害者施策として「人間にとって、基本的な生活の場は家庭であり、障害者においても可能な限り、家庭の一員として家族との暖いふれあいの中で生活するとともに、地域社会にその一員として参加できる方向に今後の施策を移していく必要がある」[厚生省編 1981 151-152]とあり、「暖かい家庭」が障害者にとって最適な生活の場であると措定されている。障害者が「家庭で生活する」ことは、彼らの世話を家族が担うことを意味する[中野 1997 79]ことから、ここでは「暖かい家族」、〈家族のきずな〉を前提として障害者の介護・介助のあり方が論じられているといえる。
 また福祉論においても、同様に「暖かい家族」による介護は望ましいものと捉えられてきた。また介護を担う家族成員は女性であることが暗黙の内に措定され、その上でそれを補完するものとしての福祉サービス(訪問看護サービス、ショートステイなど)のあり方が議論されている*02。
 こうした立論においては、家族による介護そのものは問われることはない。これらは〈家族のきずな〉を所与の前提として成立する議論であるため、一人の家族成員、主に女性が担っていることの問題性や限界は指摘されても、介護は家族で担うものなのか、なぜ家族が担うのかは問われることがないまま、家族による介護が自明視されているのである。こうした視角は家族、すなわち女性が介護を行うときの、労力以外の問題を見過ごす可能性がある。
 本稿においては、これらへの批判から〈家族のきずな〉を自明的、自然的なものとしない立場に立つ。その上で当事者の視点から家族介護を捉えなおす試みを行う*03。具体的には、家族間に介護が介在する際に生じる「問題」について考察しつつ、介護と〈家族のきずな〉との関係を再考していく。また先にも触れたように、介護=家族が担うもの=女性が担うものとされ、女性がほとんどの介護役割を引き受けている現在の状況においては、家族介護を問うことは、「女性による家族介護」を問うこととほぼ同義である。同様に、被介護者の視点からの介護者のジェンダーや、ジェンダーに関わる問題を捉えなおす。
 ここでは日常生活動作に介助を必要とする、全身性の障害を持つ重度障害者に焦点を当て、彼らが家族について語る言葉に注目する。そして彼らが日々直面する介助という行為に関わる、彼らが捉える「問題」について考察する*04。障害者に注目する理由として、彼らが〈家族のきずな〉を強調される「障害者家庭」という場にいること、そして日常的に介助という行為を介在させて、家族と向き合っている人々であることが挙げられる。つまり、介護と〈家族のきずな〉との関係がもっとも集約されたかたちで現れる場であるといえる。本稿はまた、従来「障害者と家族」を論じた先行研究に介護・介助される当事者である障害者の言明を取り入れたものがほとんど存在しないことから、これを補う試みとして位置づけることができる。

2.介助が生み出す親子関係
 介助が介在する場においてはお互いの感情の行き違いや摩擦が生じやすいこと、また特に介助の担い手が親であることに因る問題が存在することが先行研究によって指摘されている*05。もちろん親の労力の限界や「親亡き後」の介助の担い手の不足も福祉論などにおいて論じられている。しかしここでは特に、介助を受け取る側の意識に焦点を当てて論じる。
 本稿で使用するデータは、筆者が行った全身性障害者を対象とした合計21名の聞き取り調査のテープ記録からの抜粋である。調査は1997年8月、都内の身体障害者通所施設において集中的に行われた。筆者はここに一ヶ月間研修生としてお世話になり、通ってくる所員(平均約12、3名/日)の身の回りの手伝い等をしながら彼らとの関係性を築き、8月中旬過ぎから暇を見て1人ずつ対面式で話を聞く形を取った。研究目的以外には使用しないこと、プライバシーを守ることを条件に聞き取りを行ったすべての人がテープ録音に応じてくれた。また平行して同年5月から9月にかけて知人等のつてを利用した調査を行っている*06。
 聞き取りは筆者の関心が「家族関係」にあることを最初に伝えた上で、多くは対象者の経歴を聞くところから始めた。質問者の側が状況や枠組みを設定することを回避するため、基本的な属性を尋ねる以外には調査票を用いた調査は行わなかった(所要時間は一時間から三時間程度)。対象者の特徴として、未婚者が多く、家を出て一人暮らしを始めることを意味する、「自立」に意識的である人が多かったことが挙げられる。
 本稿では特に「自立」と親との関係を中心に語った7名の「語り」に注目する*07。「自立」を考える契機は、親との介助に関わる衝突や摩擦からであることが多い。したがって彼らが「自立」を語る文脈において、それを実行したか否かに関わらず、親についてまた親との関係の中での介助のあり方について意識的に語られた。聞き取りにおいては「母親の解放」や「介助というしがらみ」という言葉が何度も繰り返して聞かれ、彼らが捉える問題が浮き彫りにされていく。ここでは親が介助を行うこと自体に付随する問題の他に、〈家族のきずな〉が強調されることから生じる問題があることが明らかにされる。さらにこれを解決しようとして、親子関係と介助とを分離させ、そこに親との新しい関係をつくることを求める障害者の姿が見えてくる。ここでは障害者の「語り」にそって問題を三つに分けて論じた上で、介護と〈家族のきずな〉、そして彼らが実践する「自立」との関係についてあらためて考察する。以下の引用文の下線部、( )内の補足は引用者による。本稿で引用したインタビュー対象者の簡単なプロフィールを以下に付す*08。

Aさん 女性/33歳/進行性の筋萎縮症・1級 父母と同居
Wさん 女性/29歳/脳性マヒ・1級 父母と同居、同一敷地内の別棟に祖母が住む
Uさん 男性/45歳/脳性マヒ・1級 三年前から一人暮らし
Sさん 男性/23歳/脳性マヒ・1級 三ヶ月前から一人暮らし
Kさん 女性/47歳/進行性の筋萎縮症・1級 母親と同居
Gさん 男性/33歳/脳性マヒ・1級 母親と同居
Iさん 男性/38歳/脳性マヒ・1級 母親と同居

(1)「母親の解放」
 ここではまず、母親と子どもの間の「愛情」や「思いやり」という気持ちが、結果として親子関係から介助を除外させる方向へと向かわせる事例を見ていく。
 Aさんは母親の介助について、「ほとんど全部、何から何までやってもらってきてるし、二十四時間近く一緒にいるわけだから、言葉で言わなくても視線だけで意味が通じちゃう。何をして欲しいとか、何でそう頼んでるとかわかってるだけに、楽は楽」と話す。しかしその反面「母親に慣れ過ぎちゃうと、人に頼むのが下手になる」とも言う。他人の介助の利点を聞いた質問には次のように答えている。

 「…例えば一緒にどこかに遊びに行くとかっていうならあれだけど、普段の生活だって、食事作ってもらったり、食べる手伝いから、トイレから着替えからって全部やってもらってて、その上にどこか行きたい、友達に会いたいから一緒について来て、っていうんじゃ、行きたいところに行き辛くなる。向こうが拒否するわけじゃなくて、やっぱりお互い自分の時間がどうしても持てなくなっちゃう。こっちも向こうに悪いなって思うし、向こうは向こうで体力的な問題で、例えばどこか私を連れていきたいって思っても疲れてるから、外出をさせられないとか、私に悪いって思っちゃう。お互いそういう意味で精神的によくない。お互いが遠慮、っていうとおかしいんだけど、それぞれ自分の出かけたいところに出かけられなくなっちゃう。と、違う人に頼めて、その間に母親は違うことができるし、ぜんぜん私と関係ないことができるし、そうすれば私も行きたいところに行けるし。だから外出なんかはとくに、とても助かるっていうか。だから、いい関係でいるにはお互いがあんまりべったりしすぎちゃうと…。まぁ母親に言わせると、母親だから、みちゃうって言うのね、どうしても。できれば自分のできるかぎり面倒みたくなっちゃう、ていうかみちゃうって言うんだけど、こっちはあんまり、一緒にいれば疲れてる顔も分かるし、ああ疲れてるな、でも出かけたいんだけど、こんな時に頼むのはちょっとしんどいな、っていう。」

 Aさんと母親の間には、お互いに「思いやる」、そしてある意味で「遠慮」しあう気持ちがあるという。このような「暖かいふれあい」があるAさんと母親の関係は、従来の福祉論においては、家族介護の望ましい良好な状態であると論じられてきた。しかし実際にはAさんの母親への思いやりの気持ちは、Aさん自身が自らの意志で行動することを困難にしている。疲れている母親を見て、外出を言い出せなかったり、行動に移すことを躊躇したりする。また母親の側でもAさんのそうした気持ちを汲み取って、Aさんに対して罪悪感を持つ。この帰結としてお互いに遠慮しあう「精神的によくない」悪循環の状態に陥ることになる。
 またAさんは「よい関係」を保つためには、お互いに自分の時間を持つことが必要であると語っている。しかし現在のように、二十四時間体制の介助を必要とするAさんの生活を母親が全面的に支えている状態においては、これは容易に実現出来ることではない。つまりAさんの考える「よい関係」を創出、維持するために、介助を親子関係から部分的にでも除外することが求められる。これがAさんが「自立」を考える一つの理由となっている。
 Aさんと同様に母親を気遣う気持ちから、「母親を解放したい」という発言がなされている。Wさんは「自立」を考えた理由を母親の介助に関連して語っている。

 「…母に今まで私の介助に関わってきた時間じゃなくて、例えばいつでも気が向いたら、母は母の人生を楽しんでもらいたいな。このままでいくと祖母と私の介護をして、それに疲れた頃には母の人生っていうのは終わっちゃうんですよ。今までは、考えられる能力がなかったし、子どもだった時は子どもの面倒を親がみているのは別に普通のことだけども、三十になろうっていう時になってまで、私と祖母の介護をして母が介護にあけくれて、とにかく家をきりもりするだけに終わってしまったら可哀想だからっていう感じで。お母さんには自由時間あげるから好きなことしてねって、今一生懸命言ってるんです。…今まで十分やってきてもらったんだから、もう大人になってある程度分別もつくようになったら、私は大変であっても親を解放するのが…。普通は結婚して親から独立することによって、親をすべてから解放しますよね。普通の人が独立するように私も独立して、母が私のスケジュールを中心に母の生活が決まってるみたいな生活を少しやめたい。」

 Wさんにとっては、母親の介助自体に問題は全くなく、将来も母親に頼ることが出来ればそれに越したことはないという。しかし親は高齢になり、いずれは体力的な問題でWさんを介助することが不可能になるという現実がある。さらに自分の介助を引き受けている限り、母親自身の自由な時間はない。こうした母親をWさんは「可哀想」であると見ており、介助から「解放」したいと考えている。Wさんの母親への思いやりが、介助者を家に入れることによって母親を自分の介助から「解放」するという具体的な「自立」の実践へと向かうことになる。
 AさんとWさんは共に、母親が自分の介助に関わることで時間や行動を拘束することを回避する、つまり母親を自分の介助から「解放」することを、「自立」の目的としている。またAさんは母親との「よい関係」を保つために、お互いの時間を持つことを挙げている*09。ここで重要なことは、第一に介助される側の、特に母親への「思いやり」が親子関係と介助とを分離させる方向へ働いていること、第二に親との「よい関係」を導くためにも介助は部分的にでも除外させるべきだと考えられていることである。
 またUさんも同様に「自立」、すなわち一人暮らしを実行に移した理由について「やっぱり私の中に、母だけに介助の手を頼って生きるのも限界だという気持ちもありました。自分が自立をすると同時に母を少しでも、介助というしがらみから解放したいという気持ちがありましたね。」と語る。次ではこの介助の「しがらみ」に焦点を当てて論じていく。

(2)「愛情規範」をめぐる葛藤
 三ヶ月前から一人暮らしを始めたSさんは、親との介助に関するトラブルについて次のように語っている。

 「親だとね、フランクな関係が作れないのね、いい意味で。ほんとだったら親でもなんでもね、もっと、親しき仲にも礼儀っていうんじゃないけど、きちんとしなくちゃいけないんだよね、介助っていうのが入ってくると、しなくちゃいけないとは思うんだけど、身内だと感情がそこに入るから。ほんとだったら親が、普通の家事とか洗濯とかでもそうだけど、いくらいくらで賃金計算してやったほうがいいかな、くらいには思うんだよね、やっぱり。家のことをやってもらうって。まして介助っていうふうになると重労働になってくるし、お金で割り切っちゃったほうがいいかなって思うこともあるんだけど、割り切るわけにいかないでしょう。っていうか、割り切れなくなってくるでしょう。」

 続けて特に、「割り切れない」顕著な介助の例として、入浴について語っている。

 「…僕は入りたいんだけど、おふくろとかおやじとかは腰痛があったりとかして、今日はだめとかね。今だったら、どうしても(介助者が)来られなきゃ、僕も風呂我慢しなきゃいけないけど、僕と他人の間で我慢するっていうのはできるけど、そこに親っていうのが絡んでくると、なんで入れてくれねぇんだよ、って甘えが出てくるでしょう、どうしても。親は親で、私だって入れてやりたいと思ってるわよ。そんな二日も三日も垢だらけの汚いままでいろっていってるわけじゃないんだから、って。で、それでぐわーっとなるでしょ。」

 Sさんは「フランクな関係がつくれない」こと、また「身内だとそこに感情が入ってくる」こと、「割り切れない」ことが、親との摩擦を生じさせていたと語っている。「他人と自分」の間では我慢できることが、「親と自分」となると「甘え」が出てくる。またこれを金銭的に解決することも出来ないという。
 Kさんもやはり介助と関連させて、「家族だから辛い」という状態について語っている。旅行に行く際には「介助者は親兄弟ではないほうがいい」という発言に続けて次のように言う。

 「…結局気を使わないで言えちゃうぶん、なんていうのかな、友達関係でも、兄弟身内以外の方だとやっぱり、一線を引いてる部分で、逆にそこまでは言わないでいいところを親兄弟だとやっぱり言えちゃうんですね。言葉一つも荒くなったりとか。今だから母と話していてもやっぱり強く言っちゃう自分がわかったりとかね。でも他の人が入ってくれる時にはそこまで言わないし、言えない、やっぱり言えない。母だから言えちゃうっていうところがありますね。だから、そういうときには特に兄弟とかじゃなく、私なんかの場合はいい関係を保って、(旅行に)行きたい。介助するにしても逆にその方がお互いにね、潤滑していけたらいいな、と。」

 Kさんが語っているのは、家族に対しては、「言葉が荒くなったり」「言わなくてもいいことまで言ってしまう」ことの辛さである。他人の介助者であったら「言えない」ことが家族に対しては「言えてしまう」という。
 二人に共通しているのは、介助者が家族であるとき、「他人」であれば生じることのない摩擦が生じ、「辛い」状態がつくり出されることである。家族の間に介助が介在することにより、家族との「距離」が上手く保てなくなるのである*10。
 また、腰痛を持つ両親に入浴介助を要求することや、「他人には言わないのに、身内には言えてしまう」ことは、「家族だから〜してくれるはずだ」という「記号としての愛情」を求めるものだといえる[山田 1994 90]*11。同様に親の側でも「家族だから我慢してくれるはずだ」という主張がなされる。こうしてお互いが「記号としての愛情」を求め合い、自己を主張し合うところに「辛さ」が生まれる。これをSさんは「甘え」、「どろどろした関係」と表現している。
 前述したように介助という行為の持つ性質から、これが介在する関係には摩擦が生じやすいことが指摘されている。また、何らかの要求が家族へ向けられる際、介助される側の「一人では何もできない」という気持ちが、「家族であるから(このような自分のために)〜してくれるのは当然だ」という感情をより強めるよう働く。しかし介助を担う人物が他人であれば、反対に「家族でないのだから〜するのは当然ではない」という規範が存在するために、こうした状態は回避される[アーレント, H. 1973 35]。さらに雇用関係にある場合には、公的な場における人間関係という性格が強くなるため、こうした感情に基づいた規範は通用しない。これに対して「家族だから辛い」という状態は、「愛しているなら〜して当然である」という家族の領域における規範のぶつかり合いである。つまり家族の間の「愛情」、〈家族のきずな〉の証としての様々な行為をお互いが要求し合うために、特に介助という行為が介在する場において、摩擦が生じやすい状態に陥るといえる。

(3)「愛情深い母親」との訣別
 前節では〈家族のきずな〉の強調が、親子関係に介助が介在する時に摩擦を生み出すことについて論じた。ここでは愛情規範が特に母親に対して作用し、母親の「愛情深い障害者の親」であることへの希求と抑圧が生じることを論じる。ここで問題となるのは、子どもの側と母親の側が捉える「障害者の母子関係」のズレである。まず子どもの側から見ていく。Sさんは次のように言う。

 「…一昔前でね、子供が大きくなって、親も介助出来なくなって、もう面倒見切れないって自殺しちゃうとかね、そこまでいかなくても、親とね、自分がセットになっちゃうっていうのが、特に母親の場合はあるんじゃないかな、この子がいなきゃ、生きていけないし、この子も私がいなければ生活なんかできないって…」

 ここでは母親が子どもを一体視する傾向があること、またそのことの危険性が指摘されている。またIさんも同様に、自分自身の母親との関係を語る中で、障害のある子どもを持つ母親が「この子のために、とかこの子のために頑張らなきゃっていうのと、いっしょくたに」し、「障害者の親子関係っていうと、何でも知ってる、何でも親子そろって死ななきゃいけない」という関係に陥る危険性を指摘している。
 一方で親の側の意識については、先行研究からうかがうことができる。ここでは母親が常に障害者の親であることを要請され、「障害者の母をやる人生しか許されない」という思いを抱いていること[春日 1997 153]、また「この子の一生をしっかりと見守ることが私の使命だと思っています」、「母親として子を愛する気持を疑われるのが一番辛い」と語り、さらに外では障害者の親として常に「がんばる」ことを要請されると感じていることが指摘されている[岡原 1990a 87]。
 聞き取りにおいても、「外部の視線」を感じている母親について語られている。家にボランティアの介助者を入れる際に母親が反対した様子を、前出のWさんは次のように語る。

 「…私は将来的に一人暮らしをするためにはいろいろなところに手を借りる以外に方法はないと思っていますから、その辺はわりきるんですけれども、親としては、自分がまだ介護ができない状況になってるわけじゃないのに、人に頼んだら、来て欲しいって頼んだ人は何と思うだろうとか、自分ができるのに、人にやってもらったら悪いとかそういうことを言って…。」

 これは親の感じる、体力の続く限り子どもの面倒を見続けるという「障害者の母親」像による抑圧を示している。子どもの側は自らの切実な状況からこれを否定的に受け止める。なぜならSさんやIさんが語るように、「障害者の母親」は彼らの存在を否定し、また「愛情」によって彼らを囲い込み、極端な例として彼らの生命をも奪う危険な存在となり得るからである。また、Wさんの例は、「障害者の母親」は「外部の視線」を気にするあまり、子どもの「自立」を阻む存在となり得ることを示している。これに対して親の側は「愛情深い障害者の母親」として行動することによって、自らの存在を認められようとする。障害者が「自立」を行うことによって目指すのは、こうした状態からの脱出である。これについては後で詳しく論じる。

3.ジェンダー化する〈家族のきずな〉
 ここでは介助を受け取る側である障害者の、介助者のジェンダーやジェンダーに関わる問題の捉え方を見ていく。
 これまで見てきたように、障害者が「親」という言葉で語っているのは、ほとんどの場合おいて母親を意味している。先にも触れたとおり、女性が一人で介助を背負っているという事実については多くの論者が指摘しているが、介助の場に男性が不在であることが障害者の言明からも確認されている。母親とは対照的に、決して主介護者にはなり得ない父親の姿が二人の男性が語る中に象徴的に現れる。

 「おやじはね、いるかいないか分からない。小さい頃ってお母さんべったりだったから、べったりにならざるを得なかったってのもある。というのも、おやじが何にもしないわけじゃない。だから風呂も、おやじは入れてくれない。いつもお袋がやるもんだって決めつけてるから…。」(Gさん)

 「おやじと俺っていうのはね、それも昔の人間だから、子どものことは母親がやるもんだという感覚を持ってる人だし、自分は働くのが仕事だと思ってたから、例えば僕の風呂とか、母親ができないところに関しては手伝うけど、子育てとかそういうことに関しては積極的に関わってる人じゃなかったよね。おやじはあんまり喋らないし、しかも長い時間病院に入ってた時期もあったりしたんで、親子で話すなんてことは滅多になかったね。…だからあんまり接点ないよな。そう考えると、父親と俺って何だったんだろう、って思っちゃうけどね。」(Iさん)

 彼らの言葉から、子どもに関与しない父親と、同時に「子どもの介助を一人で担う母親」の姿が浮かび上る。またWさんによって、母親が子どもである自分だけではなく、祖母の介護も行っているという事実が語られている。これは先行研究による、「主婦」が家事はもちろん、他の家族成員の育児・介護役割をすべて担っており、心身の負担がきわめて重いという指摘[川池 1989 162]を裏付けている。
 さらに「障害者の母親」は、既に指摘したように、社会から子どもの生活に関わるすべての責任を問われ、「何か」が起きた場合、親の資格や愛情を疑われる。これは根強いジェンダー規範に基づくものである。こうして、母親は子どもへの無限の愛情を無限の行動で表すことが必要とされ、子どもの行動のすべてに配慮し、介入していかざるを得なくなる。その結果として作り出されるのが母子の閉鎖的な空間であり、まさに「愛ゆえの出口なし」の状態となる[岡原 1990a 84-95]。
 このような母親の身体を労り、自分の介助という労働から「解放したい」と語る障害者の言葉そのものが、介護に関わる問題がそのままジェンダーの問題であることを表している。しかし障害者自身は、母親の介護役割からの「解放」やその労力の軽減を提案してはいても、「母親が子どもの面倒をみるのは普通のこと」、「経済的には父に頼っているけれども、介護はしていませんので…」という言葉からも分かるように、介護・育児役割を女性のみが担っていることを問題化する視角は有していない。ここではこれ以上の言及は行わないが、ジェンダー規範が障害者自身の中にも存在することは確認しておくべき事実である。
 またここで重要なのは、父親に比べて母親の方に「愛情深い存在」であることが求められていることである。これは家族における愛情規範が、母親の方により強く働いていることを示している。つまり、「暖かい愛情のある家族」とは、多くの場合母親と子どもとの関係に焦点化されており、こうした「愛情」という言葉で表される〈家族のきずな〉とは、実は相対的に母親に対してより強く働きかけるものであることが明らかにされたといえる。
 こうした中で、障害者によって介助に関わる問題を解決する手段として提示される方法も、まず「母親の解放」という言葉で表されるものであった。これは介助と母親とを分離させることによって、母親と自分自身との関係をよくするという、極めて限定された範囲内での解決法として提示されている。この方法は実際の場面において、障害者の親子関係にどのように作用していくのだろうか。

4.「ケア」の関係性の再構築 〜「自立」の意味するもの
 本稿では介助される側である障害者の「語り」から、介助に関わる問題について考察した。前節においてこれらは極めて介助する者のジェンダーに関わるものであることが確認された。ここではこれらの問題と〈家族のきずな〉、そして彼らが問題を解決するために行った「自立」という提案について考えていく。
 〈家族のきずな〉を所与のものとすることを回避し、介助を受け取る側の視点から介護を捉えなおすことによって、次のようなことが明らかになった。〈家族のきずな〉が自明視されることや、また特に母親に〈家族のきずな〉の証として「愛情深い母親」であることが強制されることによって、介助に関わる問題が生じること、またこうした言説レベルの問題だけではなく、実際の「思いやり」や「愛情」の存在も時には介助を辛いものにすることである。これに対して障害者が行った提案とは、こうした状態からの脱出、すなわち「自立」であった。ここで語られた「自立」とは、まず親子関係から介助を除外すること、具体的には世帯分離を行うことによって、母親を「常にがんばる障害者の親」から「解放」することであった。これは介助と親子関係を分離した上で、お互いが「ケア(思いやる)」する関係を再構築することを目指すものである。以下ではこの関係性について論じていく。
 ケアという言葉には「世話・介護をする」と、「気遣う・思いやる」という二つの意味がある[広井 1997 10]。また現在の家族には、ケア(「労働力再生産」「感情マネージ」)の機能が求められている[山田 1994 43-48]。つまり家族という場所には、「世話・介護する」という意味でのケアと、「気遣う・思いやる」という意味でのケアという、二つの要素が含まれているといえる。
 「世話・介護をする」という意味でのケアが量的に少ない、要介護者がいない世帯などにおいて、〈家族のきずな〉が持ち出されることはほとんどない。しかしこれが量的に大部分を占める場所、「障害者家庭」あるいは「高齢者世帯」などにおいては、〈家族のきずな〉が大きな意味を持つものとして持ち出され、「愛情のある家族が介護を行うのは当たり前」、あるいは「介護を行うことによって家族のきずなが生まれた」と語られる。つまりここでは〈家族のきずな〉は「家族による介護」を正当化するためのレトリックとして使用されているといえる。ここにおいては、「世話・介護する」ことの辛さ、大変さに隠れて「気遣う・思いやる」という要素は見えにくいものとなる。
 本稿で提案された「自立」とは、言いかえれば、介助を親子関係から除外することによって介助と〈家族のきずな〉との結びつきを絶ち、「気遣う・思いやる」という意味でのケアという要素だけが抽出される関係へ転換すること、すなわち家族関係を他の人間関係に相対化した上で、お互いを思いやり、気遣いながら生きることを目指すものであったといえる。
 すべての家族が、「世話・介護」という意味でのケアの占める割合が、ある日突然増大する可能性を持っている。介護が家族と、また〈家族のきずな〉と結びつけられるものである限り、本稿で見たような、〈家族のきずな〉が強調されることによる問題が生じるといえるだろう。これに対処する方法としての、障害者による「自立」という提案はどのように位置づけられるのだろうか。
 介助が介在しない場において、「気遣い」や「思いやり」のある関係性を構築するという障害者による提案は、すでに触れたように極めて母親との関係に限定されたものであった。彼らが目指す「気遣い」の関係性は、単に母親との間にのみ成立することを意図するものであったかもしれない。しかし前出のSさんの例は、この提案の持つ可能性を示している。
 Sさんはあるきっかけを得て一人暮らしを始める。そして現在の親との関係を「さばけてきた」と表現し、次のように言う。

 「家族の、ひとつ屋根の下で暮らしていた時に見ていたような、どろどろした部分っていうのがなくなって、さばけてきた感じがするんだよね。親とかも、僕のご飯の時間までには帰らなきゃいけないとか、あんまり遅くまで外にいられないとか、お風呂の時間までには帰らなきゃとか、お風呂は一日おきだとか、そういう家族の間でのとりきめだとか、遠慮とかとういうのがあったけど、さばけてきたね。…だから、親元にいるときよりも、距離をおいてつきあうようになったら、たまに実家とか帰るとナイキのキャップ買ってあるから、っておやじがね。とか、食べたいもの言いなさい、大変なんだから、とかそんな感じになっちゃってね、狐につままれたような感じ。親も親で子供に時間とられることがないから、芝居とか映画とか、おやじが有休とれれば平日とかも旅行に行っちゃうみたい。」

 Sさんの例は、Sさん自身が家を離れて一人暮らしを始め、介助と親子関係を分離させることにより、母親だけではなく、父親との関係においても「気遣い」の関係性が生じてきたことを示している。ここで見た全身性障害者の提示した解決法は「母親の解放」という言葉で表され、母親との関係に焦点化されたものであった。しかし実際の場面においてなされた実践は、逆に男性も「ケア」する関係に組み込むことができることを示すものであった。つまり「思いやる」「気遣う」ことを含めた介護役割が、女性に特権化されている事態を、転換させうる可能性を持つものであることを示唆しているのではないだろうか。

 本稿における聞き取りの対象者は、「自立」に対して非常に意識的である人々であった。このため、親子関係に対してもより意識的である人が多数を占めていたこと、また介助に関わる問題が語られ易かったことから、ここで得られた知見が必ずしも一般化されるわけではないことは付け加えておかなくてはならない。もちろん、介助を介在させながら親子関係を上手く保っている、保とうと努力している人も存在する。本稿ではAさんやその母親が、「思いやり」や「気遣い」を強調すること、具体的な方法としてはお互いの時間を持つことによって、よい関係性であろうとしていたことに表れている*12。またここでは、子どもの側から見た「親の目指す障害者の母親」を描き出したにすぎず、母親自身が捉えるものについては言及することができなかった。これについては別稿を期さねばならない。

†註
*01 森岡の立論に全く批判がなかったわけではない([立岩 1992 155]など参照)。森岡も家族における人間関係には実際には感情のくい違い緊張や葛藤があることを指摘している。また集団論的アプローチをとる森岡の立論に対しては、そもそも福祉追求のための行為がなぜ家族成員によって担われるのか、は問われるものではない。しかしこうしたアプローチにおいては、例えば家族が介護を行う際の、構造的な問題点を見過ごす可能性があることは否定できないだろう。
*02 [総理府編 1997 176]、[沢田 1990 123]、[牧里 1989 67]など参照。
*03 近年の家族社会学においては集団論的アプローチの再検討を行うという動きがある。こうした中で個人が捉える「家族」に注目する、主観的家族論や構築主義的な家族研究、また家族ディスコースをデータとする研究が提起されている(詳細は[土屋1998 12-22]を参照)。本稿はこうした新しいアプローチの潮流をふまえた上で、研究枠組みとして「主観的家族論」を援用する。主観的家族論とは「個人の「家族」に関わる認知や経験を観察者ないし理論家の枠組みの中にとりこむことを重視する立場をとる」[田渕 1996 20]ものである。
 また、「障害者と家族」に関しては心理学の領域においても多くの研究蓄積がある。家族ストレス論からのアプローチ(渡辺[1997])や、親の障害の認識と受容に関する研究(中田[1995])等参照。
*04 近年障害当事者は「介助」や「ケア」という言葉を好んで使う傾向がある[小山内 1997 7]。またこれらの用語を使用する際、行為主体としての自分自身に対する「手助け」という意味を込めているという。ここでは基本的に「介助」という言葉を使用し、文脈に応じて「介護」「ケア」を使い分ける。
*05 介助一般の問題に関して[岡原 1990b 122]。また身辺介助に関して、障害当事者である小山内美智子が言及している。小山内は、母親が障害の重い子どもの身辺介助を行うことによって、子どもの身体を自分の身体と同一視しがちになることから、母親が子離れできない危険性があることを説く[小山内 1997 97]。また性的ケアに関して旭洋一郎は、親が成人後も子どもの介助を行う際、子どもをいつまでも「未成熟の子供」として扱うため、彼らの性的欲求に対応することができず、そもそもそのような欲求が存在することを認めないこともあると指摘し、親による介助の限界があると述べる[旭 1993 17]。
*06 「全身性障害者」とは、主として中枢神経系の障害のため上肢、下肢、体幹、あるいは言語機能などに重複する障害を持つ人びとを指す。具体的には、脳性マヒ、脊髄損傷、進行性筋萎縮症などを原因とする身体障害者のことである[河野 1984 3-4]。「重度障害者」という言葉は、障害の程度が重い状態にある者を指して慣用的に使われている。1991年の厚生省による調査によると、全国で約272万人の18歳以上の身体障害者が在宅で生活をしている[総理府編 1997 251]。ここではさらに「生まれながらの、あるいは幼少時からそのような障害を負っているため、社会的自立を営む可能性をもちながら自立生活を営むための諸条件から疎外されている人びと」[河野 1984 3]に限定する。なお21名のプロフィールは以下のようである。
性別    男性    13人  女性 8人
障害の種別 脳性マヒ  14人  筋ジストロフィー症 4人 その他3人
居住形態  一人暮らし 13人  家族と同居 8人
年齢    20代    9人  30代 4人  40代 6人  50代以上 2人
*07 本稿では、障害者自身が語る言葉に注意を払ってこなかった従来の研究に対して、まず彼ら一人一人の言葉に注目すること自体に意義があるという立場を取る。従って21名による「語り」はすべて同等の重要性を持っている。しかし彼らが主体的に語ることに重きを置き、特に聞き手の側で限定した質問を行うことを回避したために、得られたデータに対象者が何を中心に語っているかによってばらつきが生じている。その内容は制度と家族について、また介助と家族、他の介助者と家族について、あるいは障害者である自分と親の関係について等である。ここでは「自立」と「親」との関係を中心的に語る7名の中に、〈家族のきずな〉と家族介護を考える契機が見出せると考え、特にこの7名による「語り」に注目した。本稿で使用した以外の聞き取りの内容については土屋[1998]第四章参照。
*08 本稿における「家族」とは、子どもとしての障害者が認識し、経験する定位家族に限定し、障害者自身が作る生殖家族には言及しない(これは障害者の婚姻率が低いなど潜在的な問題があるがここでは詳しく触れない)。また家族による介助の否定を目的としているのではない。家族が行うことよって安心感を得るといった声もあった。しかし当事者によって指摘される介助に関わる問題は、従来の議論では汲み上げられることが少なかった重要な論点であるため、ここでは問題が語られたこと自体が重要だと考える。
*09 聞き取りにおいて、数人から同様の提案が聞かれた。ある男性は「親は親の時間を持つことは必要だし、親に干渉されない時間を障害者もある時間持つことは必要だと思うよ」と語っている。
*10 立岩真也は介助という行為は「距離」が必要であること、また家族という関係にもある「距離」が必要であることを指摘している[立岩 1997 4]。
*11 山田昌弘は、感情社会学の手法を用いて「愛情」を次のように分析する[山田 1994 90-103]。「愛情(LOVE)」という言葉には二つの意味が含まれている。一つは、「コミュニケーションとしての愛情」、もう一つは「記号としての愛情」である。前者は感覚的に楽しい、かわいい、面白いなど、他者との関わりの中で生まれる体験であり、もう一つは「こうすることが子どもへの愛情となる」「子どもを愛さねばならない」といった、規範としての言葉で語られるものである。「愛情」は、「相手への依頼」を「相手への義務」に変換する言葉となる。相手に何かしてもらいたい場合、「〜してもらいたい」「〜してほしい」という代わりに、「愛しているなら〜して当然だ」と言う方が相手に対して圧力となるからである。山田はまた十八世紀のブルジョワ社会において家族の愛情に関する規範が形成され、近代社会においてこれが強められたと論じる。これを「愛情の規範化」と呼ぶ[山田 1994 90-103]。
*12 [土屋 1998]第四章第三節「家族を維持する技法」参照。

†参考・引用文献一覧
アーレント, H. 1973 『人間の条件』清水速雄訳 中央公論社
旭洋一郎 1993 「障害者福祉とセクシュアリティ」『東洋大学児相談研究』12[13-31]
安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也 1995 『生の技法−家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補・改訂版』藤原書店
広井良典 1997 『ケアを問い直す−〈深層の時間〉と高齢化社会− 』筑摩書房
春日キスヨ 1997 『介護とジェンダー−男が看とる女が看とる』家族社
川池智子 1989 「障害者家庭と介護問題」孝橋正一・平田マキ編『現代の家庭福祉』ミネルヴァ書房[157-180]
河野康徳 1984 「全身性障害者の状況」仲村優一・板橋賢治編『自立生活への道−全身性障害者の挑戦』全国社会福祉協議会[3-13]
厚生省編 1981 『厚生白書−国際障害者年「完全参加と平等」をめざして−』(昭和56年度版)大蔵省印刷局
牧里毎治 1989 「地域福祉の構成」福祉士養成講座編集委員会『地域福祉論』中央法規出版[56-89]
森岡清美・望月嵩 1983 『新しい家族社会学』培風館
中野敏子 1997 「障害者の在宅福祉」三ツ木任一『障害者福祉論』(放送大学教材)[78-88]
中田洋次郎 1995 「親の障害の認識と受容に関する考察−受容の段階説と慢性的悲哀」『早稲田心理学年報』27[83-92]
岡原正幸 1990a 「制度としての愛情−脱家族とは」→安積他[1995:75-100]
岡原正幸 1990b 「コンフリクトへの自由−介助関係の模索」→安積他[1995:121-146]
小山内美智子 1997 『あなたは私の手になれますか 心地よいケアを受けるために』中央法規
沢田清方 1990 「在宅福祉サービス」野上文夫・渡辺武男・小田兼三編『地域福祉論』相川書房[123-140]
総理府編 1997 『障害者白書 生活の質的向上をめざして』(平成9年度版)大蔵省印刷局
田渕六郎 1996 「主観的家族論−その意義と問題」『ソシオロゴス』20[19-38]
立岩真也 1992 「近代家族の境界−合意は私達の知っている家族を導かない−」『社会学評論』42-2[35-52]
立岩真也 1997 「「ケア」をどこに位置させるか」家族問題研究会『家族研究年報』22[2-14]
土屋葉 1998 「全身性障害者の語る「家族」 −主観的家族論の構築へむけて−」(お茶の水女子大学人文科学研究科1997年度修士論文)
渡辺顕一郎 1997 「心身障害者をメンバーにもつ家族のストレスとその要因」『四国学院大学論集』95[195-214]
山田昌弘 1994 『近代家族のゆくえ−家族と愛情のパラドックス』新曜社



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