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「障害者文化と障害者身体──盲文化を中心に」

倉本 智明 1998/12/15 『解放社会学研究』12号:31-42頁

last update: 20151221


障害者文化と障害者身体
──盲文化を中心に──

  倉本智明(大阪府立大学博士後期課程)
  『解放社会学研究』12号:31-42頁, 1998.12.15, 日本解放社会学会


 1.障害者文化とはなにか
 2.身体の切断/身体への再接近
 3.盲文化と盲人ネットワーク
 4.盲文化のなかのメディアと身体


1.障害者文化とはなにか

 感覚機能や精神活動をも含めた身体の形質・機能に関わって、他から分節され、「障害者」と名づけられた人びとが日々生きる文化を障害者文化とよぼう。民族文化ということばがそうであるように、障害者文化ということばもまた、なんらかのひとつの実体を指し表すものではない。民族文化ということばが、ケルトやクルドや、あるいはアイヌといった諸民族の文化の総称であるように、障害者文化ということばもまた、障害者らがさまざまに織りなす複数の文化の総称である。もしかするとそこに、被差別体験をはじめとする経験の共通性からくる同質性を見て取ることができるかもしれないが、そうした比較検討を行うためには、まずもって個々の障害者文化に関する充分な知見の蓄積が肝要だろう。
 ところで、どのような障害者集団が担う文化であれ、それが「障害者文化」とよばれうるのは、そこに「障害」として「健常」=支配的な身体のありようから区別される異質な身体の存在が前提されるためである。本誌掲載のましこ論文が指摘するように、障害者文化のすべてが障害者身体の特性から帰結するわけではもちろんない。そこには、社会的文脈から生じる部分が多々含まれている。あるいは、構築主義の認識論にしたがえば、身体を「異常」と「正常」に分節化する営みそれ自体が既に社会的なものだと言うこともできる。ただ、障害者文化をエスニシティや被差別部落の文化などと異なる視角から語りうる/語るべき対象として措定するからには、身体と文化との関係正はやはり中心的な主題として位置づけられねばならないだろう。身体というマテリアルな存在と密接に関連しながら構築される文化、それが障害者文化なのである。
 本稿は、そうした障害者文化と障害者身体の関係性に関するスケッチである。私自身がそこに生きる現代日本の盲文化を素材としつつ、この主題についての大まかな見取図を描いてみたい。次節ではまず、障害研究あるいは障害者運動の現状と照らして、いま、障害者身体に言及することの政治的両義性についてふれておく。続く3節以下の記述は主に、私が盲人グループと関わるようになって以来、断続的に書きとめてきたノートおよびインタビュー記録をもとにしたものである。3節では、盲文化とはなにを指すか、また、その連鎖としての盲人ネットワークはどうかたちづくられているかについて簡単にふれる。続く4節では、盲文化に重要な位置を占める点字等のメディアに着目し、盲人身体とそれとの関わりを検討する。これらをとおして、障害者文化と障害者身体の微妙な関係の一端でも探りあてることができればと思う。


2.身体の切断/身体への再接近

 英語圏では、impairment(損傷)、disability(能力障害)、handicap(社会的不利)と使いわけられている内容について、日本語では、すべて「障害」の一語で表すことが多い。こうした語法は、障害をめぐる議論の混乱の一因ともなっている。一方、同じ英語圏でも、イギリスの障害者運動および障害学(disability studies)では、通常、impairmentとdisabilityにわけて語られる内容がひとくくりにimpairmentと表現され、handicapに相当する内容にdisabilityの語があてられている。障害をいわば、身体に関わる事柄と社会に関わるそれとに二分したわけである。社会的不利を表す語としてhandicapの使用が避けられているのは、英語を母語とする人びとにとって、このことばが拭いきれずにもつ否定的な響きのためだという[長瀬,1996]。しかし、impairment/disabilityという二分法は、単にことばのもつ差別性を払拭するといったことだけでなく、障害研究および障害者施策をめぐる理論的立場の相違を説明するにあたって非常にわかりよい枠組ともなりえている。
 impairment、disability、handicapという先の三分類を定義した世界保健機構の「国際障害分類」(ICIDH)以降、障害に社会的不利という側面が存在することは広く認知されるようになっている。そのことによって、障害者問題を解決するためには、治療やリハビリテーションなど、個人を社会に適応させるといった対応だけでなく、障害者をとりまく社会環境の変更が必要だとの認識が拡まりつつある。しかし、ICIDHにおいては、社会的不利が発生する前提に、日常生活を遂行するための能力の問題や、さらにそれを制約する身体的な損傷の存在が位置づけられている(1)。この立場を布衍すれば、障害者問題の解決にあたっては、まず損傷の治療が第一に置かれ、治療不可能等でそこからこぼれ出た問題への対処としてリハビリテーションや教育が要請されることとなる。社会的不利は、その上でなお漏れ落ちた問題として理解される。この延長線上に浮かび上がるのは、治療やリハビリを通じて障害者が健常者になること、限りなく健常者に近づくことこそが究極的な問題解決であるとの考え方である。こうした立場を医学モデルとよぶ。
 一方、マイケル・オリバー、ヴィク・フィンケルシュタイン、コリン・バーンズらを理論的リーダーとするイギリスの障害学・障害者運動は、このような医学モデルの考え方をきびしく批判してきた[Campbell & Oliver,1996]。たとえば、オリバーは、労働市場からの排除を中心として障害者が被る社会的不利益を、資本制的生産関係と近代の個人主義イデオロギーによってもたらされたものとする。そこでは、損傷や能力障害といった身体的要素は、社会的不利に関与するものとしてはまったく想定されていない[Oliver,1990]。オリバーに限らず、イギリス障害学・障害者運動主流においては、社会的不利益は身体的要素から常に切り離されて語られる。社会モデルとよばれるこうしたアプローチを採用することで、彼ら/彼女らは、変わるべきはわれわれ障害者の側ではなく、障壁を築いてきた社会の側であるとのマニフェストを行い、障害をめぐる言説空間から医学モデル=適応モデル=個人モデルを一掃しようとしたのである。この主張は現在、イギリスにとどまらず、国際的な障害者運動の通奏低音となりつつある。身体を切り捨てること、少なくともそれを括弧に入れて、そのことについて語ることを留保することで、障害者運動は問題の争点を明確化し、それまで個人的な文脈で語られる傾向の強かった障害を、社会問題として政治の俎上にのぼらせることに成功したのである。
 こうしたなかで、障害者身体について言及することには慎重さが要求される。彼ら/彼女らがせっかく政治化した問題を、再び個人的文脈に引き戻すことになりかねないからだ。そのような危険を冒してまで、障害者身体について語ることの必然性はどこにあるのか。オリバーらとともにイギリス障害学を代表するジェニー・モリスは、社会モデルの意義を基本的に承認しつつも、その問題点についてこう指摘する。私たちが経験する障害の核心部分は、確かに障壁と人びとの態度がもたらす社会的不利によるものであるが、そのことにのみ問題が収斂されるわけではない。社会モデルは身体的な制約からくる、私たちにとっての重要な体験を切り捨ててしまっているのではないか[Morris,1991]。このモリスの問いかけは、「できない」ということに執拗にこだわり、己が脳性マヒ者であることへの嫌悪と必至で闘い続けた横塚晃一の姿ともオーバーラップする[横塚,1981](2)。自己否定と自己肯定が綯い交ぜとなった横塚のドロドロした内面とくらべ、モリスのそれにはよりポジティブなものを感じはするが、身体を切り捨てた社会モデル的な発想では解きえない荒野の存在を明示したという点で両者は共通している。
 身体を括弧に入れることで明瞭となる問題もあれば、見えなくなってしまうそれもある。たとえば、第三者である介助者の同行なしでは、友人や恋人と出かけることのできない重度障害者に対し、社会モデルはなにがしかの答を用意しうるだろうか。男性器の勃起不全に悩む脊髄損傷者に、癒しをもたらすことができるだろうか。身体──それはまちがいなくそこにあり、障害者は否応なくそれと向き合うことを求められ続けるのである。
 それでは、身体への再接近はどのようなかたちでなされるべきか。私たちは、個人モデルへの回帰といった反動を招来することなく、障害者身体について語る途をとらなければならない。この点では、身体上の特定の形質や動作に対し割りふられる意味の恣意性や、まなざしによる身体の加工に言及したフーコーやゴッフマン、スコット、デイヴィスらの業績がひとつの参考となろう[フーコー,1975][ゴッフマン,1980,1984][スコット,1992][Davis,1995]。障害の個人モデル=医学モデルが、動く/動かない、できる/できないといったことを「客観的事実」とし、そのことの意味が一義的に決定するかのように主張するとき、私たちはその「客観性」に疑いの目を向け、意味の構築過程に内在する「政治」に光をあてなければならない。「正常」とはどういうことか、「できること」にプラスの意味が与えられるのはなぜか、まずそれらを問い直すことから始める必要があろう。それらを定義する文化を再点検し、問題の相対化をはかること、上述のような課題を個人的文脈に閉じ込めることなく語るためには、そういった作業が不可欠であるように思われる。


3.盲文化と盲人ネットワーク

 一般に、盲の文化といった際、まず想起されるのは、平家語りや箏曲、瞽女といった芸能との関わりや、中世に発し江戸期に興隆の極に至る当道座の存在など、歴史に占める独自な位置ではないだろうか。あるいは、イタコや盲僧など宗教との関わりが思い起こされることがあるかもしれない(4)。一方、現在のそれということなら、点字や盲導犬、鍼灸マッサージといったところだろうか。伴走者とともに走る盲人ランナーの姿を思い描く者もいるかもしれない。これらは確かに盲の文化の一部をなしている。日本の盲文化に取り組む数少ない研究者のひとりである杉野昭博は、盲人固有の文化の代表例として、盲人スポーツ(4)、当事者組織、点字を挙げている。また、近世以来盲人の職業として定着し、現在なお、そこに従事する者の比率が非常に高い三療業(鍼・灸・あんま)が、いまなお、盲人アイデンティティと深く関わっている旨も指摘している[杉野,1997][Sugino,1997]。このほかにも、たとえばつぎのようなものを挙げることができよう。白杖を用いた歩行術や要所要所で道行く人に声をかけ介助を依頼するといった移動法。これから語りかけようとする対象が誰であるかを明示するため、「○○さん」とよびかけた上で自身も名のってから会話に入るなど、視覚に依存しないコミュニケーションのルール。食事の仕方や家事の方法など、くらしの細々とした点にも、盲人独特のスタイルやルールを見て取ることができる。
 また、盲人のあいだでしばしば用いられることばのなかには、外部の人間には耳慣れないものがいくつもある。たとえば、「晴眼者」ということば。盲人が非盲人を指して使うこのことばには、車いす利用者であろうが、知的障害をもっていようが、盲でさえなければすべての者が含まれる。「健常者」とくらべ、遥かに広い範囲を包摂する概念である。このように、自身が帰属する集団と他集団を区別するにあたって、障害者/健常者という一般的な分節法とは異なる独自なことばを有する障害者集団は、盲人とろう者だけだろう(5)。このことは、彼ら/彼女らが誰を近しい仲間と考え、誰を他者とみなしているかをよく示している。もっとも、最近では、若い世代を中心に盲人のあいだにも、「障害者」としての当事者性の共有といった意識が定着しつつある。ただし、これも、障害者/健常者という認識枠組が盲人/晴眼者というそれにとって代わったというよりは、状況に応じて両者が意識的/無意識的に使いわけられたり、クロスさせられたりして用いられると言った方がよかろう。
 ところで、盲の当事者が自信を指すものとして使うこの「盲人」ということばだが、手話を母語とする人びとが自らを指して用いる「ろう者」とは性格をかなり異にする(6)。杉野は、「盲人」と「視覚障害者」を区別し、前者を文化的カテゴリーとして意識的に用いているが、その方法論的な意図はともかく、当事者のリアリティと必ずしも重なり合うものではない。世代により、どちらの語をより好む/用いるかにちがいはあるものの、「盲人」と「視覚障害者」はほぼ同義の語として使用されるのが普通だ。ろうラディカリストたちが、病理学的なカテゴリーとしての「聴覚障害者」ということばを拒否し、文化的カテゴリーとしての「ろう者」に積極的にアイデンティファイするのとは異なり、大半の盲人は基本的に病理学的な定義を受け入れていると言ってよい。「盲」とはなによりもまず、「目が見えない」「見えにくい」という意味あいをもつことばなのである。ただ、そうであるからといって、それでは「盲人」あるいは「視覚障害者」ということばは単に身体の病理学的特性をのみ表すものとして語られ流通しているかというと、そうとは言えないようにも思える。そこには、身体機能の特性だけには還元しえない、なにがしかの経験/知識を共有する仲間といったニュアンスがともなっているのではないか。このあたり、検討が必要だろう。
 「盲界」ということばも、盲人のあいだで頻繁に用いられることばのひとつである。「盲界の有名人」「今年の盲界をふりかえる」といった具合に使われる。ある地方の盲人会が記念行事の折に会員に配ったしおりには、「心と心のふれあいで明るい盲界を!」との文言が記されていた(原文点字)。盲界とは、要は盲人世界といった意味なのだが、どこまでがそれに含まれるのか、当事者にも定かではない。先の杉野によれば、盲界の軸をなすのは日本に古くから存在する、盲学校、当事者運動、三療業に関わる社会組織だという[杉野,1997]。日本の盲学校は欧米のそれとは異なり、明治政府による当道座の解体後、盲人三療業者養成過程の再編と、それを通じての盲界の存続・利権確保を目的として、その大半を盲人自らが創立している[加藤,1972]。その後、現在に至るまで、その同窓組織を中心とするネットワークは盲界の核として位置づいている。また、盲人会などの当事者組織や三療の職能団体はそれぞれに独立した組織ではあるが、そのかなりの部分は盲学校をキーリングとするネットワークと重なり合ってもいる。これらに関わる人びとをもって盲界の成員とみなすことが、ある時期まではほぼ可能であったと言うことはできよう。
 しかし、現在、盲人が他の盲人と出会いネットワークを形成する可能性のある場はより多岐にわたっている。たとえば、音声ワープロ(7)など機器の使用法や生活技術の習得のために通う福祉施設での出会いが、盲人間のネットワーキングにとって重要な要となってきている。また、後に詳しく見るように、盲人がアクセス可能なメディアの拡大は、盲人ネットワークとしての盲界の構造と文化に少なからぬ変化をもたらしてもいる。ところで、こうした盲人ネットワークに連なるのは全盲者ばかりではない。ろう者のネットワークが、手話という言語を話すかどうかでネットの外部との境界線を比較的明瞭に示しうるのに対し、盲人のそれは非常にあいまいである。少なくとも現在の盲界には、たとえば、点字を読み書きできる者だけがその住人だといったような確固たる線引きは存在しない。点字を使用する強度弱視者はもちろん、不便をおぼえつつも墨字の読み書きを日常とする中度の弱視者や、数こそ多くはないが軽度の弱視者も加わっている。いずれにせよ、人びとはこのネットワークに関わることで、主流社会が配分する支配的な「知」とは別に、メインストリームには存在しない独自な「知」を獲得し、盲文化というもうひとつの文化を構築するのである。


4.盲文化のなかのメディアと身体

 現在の盲文化を特徴づけるひとつが、晴眼者とは異なったメディアの編成・活用法である。盲人が用いる媒体としては、一般に点字がよく知られていよう。しかし、現実には、盲人のなかで点字を読み書きできる者の数はおよそ1割程度と言われる。かつてとくらべ、その割合は相当低下してきている。拡大読書機などの普及にともない、それまで点字を使用してきた強度弱視者の一定部分が墨字使用へと移行したほか、点字の習得が困難な年齢に達してからの中途失明者が増大したことなどがその要因のひとつに挙げられよう。こうした状況を受けて、現在の盲界では、同一の情報を複数のメディアで同時並行して提供するといったスタイルが定着しつつある。盲人団体の機関誌が、必要に応じて点字と墨字の双方で配布されたり、1冊の本が同時に点訳・音訳されるといったことは普通である。最近では、電子メディアの活用もそのなかに含まれてきている。まずは、その実態について整理しておこう。
 盲人が点訳者・音訳者等の媒介者を介在せずアクセス可能なメディアを、それが誰と誰との交通に用いられるかを基準に、a.晴眼者から盲人へ、b.盲人から晴眼者へ、c.盲人から盲人への三つにわけてみよう。aには、テレビやラジオといったマスメディアのほか、電話や録音物、電子化された文字を記録したフロッピィ・ディスク、電子メールなどがあてはまる。拡大された墨字文書や一般の墨字媒体も、全盲者や一部の弱視者を除けばあてはまろう。盲人がテレビを「見る」ことを奇異に思われるむきもあろうが、全盲者であろうとも多くの盲人はテレビの音に耳を傾ける。家族に晴眼者や弱視者がいる場合はもちろん、友人と語らうための「話題」として、そしてただの習慣として、盲人たちはテレビのスイッチを入れる。テレビを「見る」ことの意味や視聴方法の相違を思えば、これもまた盲文化のひとつと言っていいかもしれない。一方、盲人から晴眼者に向けて発信可能なメディアは、ごく例外的な存在(8)を除いてすべてパーソナルなものである。電話や録音物、フロッピィ、電子メール、墨字文書(全盲者等を除く)などがその代表である。
 最後に、盲人間でのやりとりに用いられるcだが、ここには、a・b同様、電話と録音物、フロッピィ、電子メール、墨字文書(全盲者等を除く)が含まれるほか、盲人用文字としての点字が入る。週刊で発行され、盲界に少なからぬ影響力を有する『点字毎日』といった「マスメディア」もそこには存在する。ただし、点字は晴眼者にも読み書き可能な文字である。晴眼者が日常用いる墨字と点字の主な相違点は、@漢字がない、A分かち書きを行う、B原則として表音主義をとるなどであり、墨字の書きことばをいったん習得した者がこれらを理解し、点字と親しむことはそう難しいことではない(9)。点字の習得で最も時間を要するのは指先によるその触読であり、先にも述べたように、中高年齢に達して以降の中途失明者のなかには、実用可能な程度までそれを身につけることができずに終わる者も少なくない。他方、六つの点の組み合わせを基本とするその字形さえおぼえれば、点字の視読は容易にできる。書く方についても、視覚によるフィードバックが可能な晴眼者の方が一定水準に至るまでの習得過程はやはり容易であるように思われる。その意味ではa・bに含まれてもよさそうなものだが、介護福祉士の養成課程や一部高校で点字の授業が開講され、点訳ボランティアの養成講座が盛況であるなどとは言っても、実際に点字が読み書きできる晴眼者の数や通用する範囲は限られている。現実に流通することが困難なものを、そこに含めることは妥当ではないだろう。
 もちろん、点字がそこに含まれない理由は、全盲者や重度の弱視者が墨字にアクセスできないこととは、問題の次元がまったく異なる。全盲者や強度の弱視者が墨字を扱うことができず、そのために晴眼者とのあいだでの文字による交通が制限されるのはその身体の特性によるところのものである。取り扱いが困難な墨字に代えて、盲人は自身の身体に親和的な文字としての点字を考案し普及してきた(10)。しかも、墨字と比較しての機能性等は別として、それは晴眼者の身体にもある程度の適合性をもったメディアなのである。にもかかわらず、点字の流通が阻まれ、晴眼者とのあいだでのやりとりにそれを用いることができないのは、この社会が文字としての点字に妥当な承認を与えてこなかったためである。点字の市民権獲得をめざす盲人運動の成家として、国会議員や自治体の首長・議員選挙における点字投票、点字による郵便物の宛先表示の公認等、その流通範囲は拡大されてきている。しかし、福祉事務所からの連絡や障害年金の通知などをも含め、点字を必要とする盲人に対して、大半の行政当局は未だ墨字の文書を送りつけている。
 ただ、こうした状況下、点字の市民権獲得に意識が集中するあまり、点字を読むことのできない者、あるいは、点字以外のメディアの方がより親しみやすく感じられる者のニーズは、少なくともある時期までなおざりにされてきた感は否めない。文字媒体を代替するメディアとしてテープレコーダーが普及するようになるのが1950年代だというのは理解できる。録音・再生機材の技術水準や市場規模と連動するその利用コストの問題から、その登場がこの時期となることはやむをえなかっただろうからだ。だが、拡大文字の普及は未だ微々たる範囲にとどまっている。駅の券売機に点字表示があることはもはやあたりまえのこととなったが、拡大文字による表示がされていることはごく希である。そのため、普通サイズの墨字を読むことはできず、さりとて点字も読めないという弱視者が、点字の読める全盲者に切符を買ってもらうという興味深い状況がいま生じている[倉本,1997b]。もちろん、点字を読み書きすることのできない現在の多くの弱視者とはちがい、盲界にくらすかつての弱視者のかなりの部分は、盲学校における弱視者教育の方針がいまとは異なっていたことなどから、それを読み書きできるのが普通だった。しかし、それは彼ら/彼女らの身体にとって最も適合的・親和的なメディアだったのだろうか。
 かつて盲文化の中核を担ってきたのは点字使用者たちであった。点字をただ単なるメディアとしてだけではなく、自身のアイデンティティの一部として感じる盲人も少なくない。そのためだけではもちろんないのだが、点字でもなく晴眼者が用いる一般の墨字でもない文字にこそ、親和性を有する身体の持ち主が存在することに、盲界主流が長くのあいだ目を向けてこなかったのは事実である。本節冒頭でみたように、現在盲界の内部では、それぞれの身体に適合的なメディアの選択が可能なよう、複数媒体による情報の同時並行的提供が実現している。だが、そうした存在への気づきの遅れがなにをもたらしたかは、まだまだ不十分であるとはいえ、晴眼社会への点字の普及度と拡大文字などのそれを比較すれば一目瞭然だろう。また、いまでも、盲界のリーダーと目される人びとの一部には、点字を読めぬ者、それを自在に操れぬ者を蔑視する傾向がなくもない。特定のメディアに特権的な位置を与え、それ以外を無視ないし排斥するといった構図は晴眼社会のそれと相似をなすものではないか。盲人身体との親和性を確保しつつ、文字の文化への参入を可能としたはずの点字という媒体を生み出した盲文化が、そのうちに潜在したもうひとつの「盲文化」の可能性をつい最近まで抑圧し続けてきたことは記憶されて然るべきだろう。


[注]

1)ICIDHとそれへの批判については[佐藤,1992]に詳しい。医学モデルおよび折衷モデルに関する記述が中心ではあるが、社会モデルへの言及もみられる。ただし、佐藤の社会モデル理解はオリバーらの意図を正確に理解したものとは言いがたい。
2)横塚が属した青い芝の会は、「内なる健全者幻想」との闘いを通じ自己定義の革新をめざす自己変革の運動、保護=監視装置としての施設や親元でのくらしを拒否し自律した生活をめざす運動、障害児殺しや障害を事由とする選択的中絶などに反対する反優生思想の運動等々、多面的な性格を有する運動体である[立岩,1990,1998][荒川/鈴木,1996][倉本,1997a]。横塚の思想も多岐にわたるが、私はその核心が、障害者身体へのこだわり=「内なる健全者幻想」との闘いにあるとみている。
3)芸能・宗教などを含む日本の盲文化史については、[中山,1934,1936][加藤,1974][谷合,1989][杉野,1990][広瀬,1997]などを参照。
4)盲人スポーツとして代表的なものに、本文中に挙げた盲人マラソンのほか、盲人柔道、盲人バレーボール、盲人野球、盲人卓球などがある。前二者が援助者の随伴やルールの変更などにより健常者スポーツを盲人向けにアレンジしたといった感が強いのに対し、後三者は健常者のそれと相当趣を異にする。ちなみに盲人は、これらをただ、「マラソン」「バレー」「野球」…とだけよぶ。したがって盲人間の会話では、「野球」ということばは文脈によって、盲人野球とプロ野球等の晴眼者の野球の二通りの意で用いられる。
5)たとえば、脳性マヒ者の一部は、自らと他者を区別するにあたって、障害者/健常者といった一般的な図式とは異なる脳性マヒ者/脳性マヒでない者という分節法をとる。しかし、後者は、全体集合から自集団を差し引くことで初めて得られるものであり、「晴眼者」「聴者(健聴者)」といった他者を指し示す即自的カテゴリーを有する盲人やろう者のそれとは異なるものと考えるべきだろう。
6)「ろう者」の定義については、[Lane,1992][木村/市田,1995][木村/米内山,1995][木村ほか,1996][ましこ,1996a,1996b][森,1998]などを参照。
7)音声ワープロとは、盲人が墨字(晴眼者が用いる一般の文字)文書を作成するための機器。通常、市販のパソコンと専用のソフトウェア、ヴォイス・シンセサイザを使用する。入力した文字は音声でモニタする。キーボードは晴眼者と共通のものを用いるが、ソフト側の設定により「6点入力」「8点入力」といった独自の入力方法を選択可能な製品もある。
8)一般の有線放送にチャンネルを有する日本福祉放送はその例外のひとつ。新聞記事の朗読や盲界の話題に大きな時間をさく同放送にチャンネルを合わす晴眼者がそれほどいるとは考えにくいが、有線のケーブル設備さえ整えていれば、他チャンネル同様晴眼者も利用できる。また、NHKラジオが週1回30分の枠で盲人向けに放送する番組は晴眼者の手になる制作ではあるが、盲界の話題について盲人が解説を加えるなど、盲人発のマスメディアとしての性格を有する。ただし、日本福祉放送同様、晴眼リスナーがどれほどいるかは疑わしい。
9)@については、厳密にはやや異なる。点字でも「漢点字」(8点)や「6点漢字」といった墨字漢字を表現するための文字が考案されている。音声ワープロの入力にあたって、これらを用いる者はいるが、通常の点字文書のなかでこれを使うことはほとんどない。また、Bだが、墨字の助詞「は」「へ」をそれぞれ「わ」「え」と発音どおりに表記するほか、「こうえん(公園)」を「こーえん」、「そうぞう(想像)」を「そーぞー」と表記する。ただし、助詞の「を」は墨字同様使い分けられる。なお、漢字かな混じりで表記される日本語書きことばの問題点との関わりで点字を論じたものに[ましこ,1993,1994]がある。
10)点字は、19世紀フランスの盲人ルイ・ブライユにより考案され、同世紀末には石川倉次(晴眼者)の手で日本語に移植されている。


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