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それでもホスピスに入りたいですか?──「終末期緩和ケア」の抱える問題点

薗田研究室 日本文化論演習発表  1998.11.12

神谷綾子(京都大学大学院 人間・環境学研究科文化・地域環境学専攻 博士課程1年)

last update: 20151221


 はじめに

*ホスピス、ターミナルケアについて、一般向けの書籍が多数出版されている。それらの著者の多くは終末期緩和ケア従事者、もしくは推進者である。
それらの情報から 、緩和ケア・ホスピスについてなんとなくいいものであるというイメージを抱き、私も入りたい、と思う人も多い。一方で、死をタブー視する風潮は根強く、終末期緩和ケアの現場はまだまだ閉ざされた世界である。緩和ケア病棟の見学会などもいくつかの施設でされてはいるが、せいぜい簡単な説明を聞かされ、施設(病室以外)の見学ができるくらいである。「患者さんがいらっしゃるからこれ以上は・・・」という案内者の言葉にはなかなか逆らえない。こういった状況の中で、終末期緩和ケアの抱える問題はなかなか表面化しにくいのが現状である。実際には、必ずしも宣伝文句通りのすばらしい場所ではなく、いろいろな問題を抱えているのである。

*研究者としては、「ホスピスっていいものだ」という流れに無自覚にのってはならず、その負の面も追求せねばならない。従事者や推進論者の言説に乗って研究すれば、安易な推進論に陥りがちである。

*以上のような問題意識から、本発表では、あえて終末期緩和ケアの抱える問題点を浮き彫りにしようと試みた。何事にも、良い面、悪い面の両方があるが、今まで終末期緩和ケアに関しては、良い面ばかりが取り上げられすぎたのではないだろうか。

1.終末期緩和ケアとは

1−1 「終末期緩和ケア」という言葉について

*ここで「終末期緩和ケア」として論じようとしているのは、日本における制度的医療である近代医療に携わる医療者たちによって、医師に末期と診断された(主にガン )患者の苦痛を除去することを主な目的とした医療である。

*全国ホスピス・緩和ケア病棟連絡協議会(会長:柏木哲夫)による、「ホスピス・緩和ケアの基本的な考え方」は以下のとおり。
 「ホスピス・緩和ケアは、治癒不可能な疾患の終末期にある患者および家族のクオリティー・オブ・ライフ(QOL)の向上のために、さまざまな専門家が協力して作ったチームによって行われるケアを意味する。そのケアは、患者と家族が可能な限り人間らしく快適な生活を送れるように提供される。ケアの要件は、以下の5項目である。

  1)人が生きることを尊重し、誰にも例外なく訪れる『死への過程』に敬意を
    はらう。
  2)死を早めることも死を遅らせることもしない。
  3)痛みやその他の不快な身体症状を緩和する。
  4)精神的・社会的な援助を行ない、患者に死が訪れるまで、生きているこ
    とに意味を見いだせるようなケア(霊的ケア)を行なう。
  5)家族が困難を抱えて、それに対処しようとするとき、患者の療養から
    死別したあとまで家族を支える。」(注1)
 
*以上のような医療を表すために、現在さまざまな言葉が使用されている。
病棟の名称も各病院によって異なる。

* 病棟にどんな名前をつけているか(注2)

  緩和ケア病棟承認施設(1998年8月1日現在42施設)(注3)
             国公立病院 キリスト教病院 その他の私立病院 計
「ホスピス」(注4)    0     13     5      18
「緩和ケア病棟(ホスピス)」 1      1     0       2
「緩和ケア病棟」      5       4    11      20
その他(注5)       0      0     2       2
計             6     18    18      42

*冒頭に述べたような内容の「終末期緩和ケア」を表すために、ターミナルケア (terminal care)、ホスピスケア(hospice care)、緩和ケア(palliative care)などという言葉が用いられている。それらは「終末期緩和ケア」のもつ特定の側面にそれぞれ注目した命名といえる。

*清水哲郎はその点に注目し、「〈ターミナル・ケア〉が対象となる患者を限定する概念であるのに対し、〈ホスピス・ケア〉が、ケアが行われる場所の規定を核として成立し、そうした場所を設定する当初の考え方からして治療的医療をしないという含意を元来は含む概念であるのに対し、〈緩和(=パリアティブ)医療〉は言葉の元来の意味からいって、何を目的とする医療かを規定する概念である。(注6)」と整理 している。

*現在、「ホスピス・マインデッド・ケア」(一般病棟でも痛みに対するケアや全人的医療の考えを取り入れようという時使われる)、「福祉のターミナルケア」(対象を末期ガン患者に限らず、老人ホームの老人なども対象として考えようという時使われる)などといった考え方もみられるが、ここでは、医師に末期と診断された(主にガン)患者を対象にした痛みの除去を主な目的とした(現在厚生省認可の緩和ケア病棟において行われている)医療について論じるため 、対象と目的を限定した「終末期緩和ケア」という言葉を使う。

*以下引用する文章ではさまざまな言葉が用いられている。それぞれの意味するところは微妙な違いはあるが、簡潔にいって「終末期緩和ケア」であるといって良い。また 、「終末期緩和ケア」が行なわれる病棟については「緩和ケア病棟」と以下統一する。

1−2 「終末期緩和ケア」とその他の医療との関係

*「終末期緩和ケア」は、あくまでも制度的医療である西洋医療の中で成り立つ。

*緩和ケア病棟における伝統医療、民間医療(注7)にたいする態度。

*@伝統医療は追補的アプローチ(注8)にとどまる。
*  ex矢野忠・上村章博・梶山靜夫「ターミナルケアと東洋医学―鍼灸医学
     の立場から―」東方医学雑誌9(4)1993

*A民間医療については、一般病院よりは多少寛容な態度。

*「民間療法や丸山ワクチン、漢方(筆者注:漢方は、本発表における区分では「伝統療法」)などは、ホスピスにより、原則的に受け入れているところと、原則的に受け入れに否定的なところとがあります。数としては、原則的に受け入れる方がやや多くなっています。(注9)」

*容認の条件としては、本人・家族の希望、患者の負担にならない、(近代医学の見地から)有害でない、他の患者に迷惑をかけないなどが主なものである。

*音楽療法やその他の芸術療法、動物介在療法などの研究・実践も行なわれているが、よりよい終末期緩和ケアという目的のために近代医療の補完物として用いられている程度(その療法のみで痛みの緩和を図ろうとする人はいないだろう)。 

2.終末期緩和ケアに関する研究の現状

*出版されている書籍はそのほとんどが、終末期緩和ケアに携わる医師によるもの(注10)。研究者もほとんどが終末期緩和ケア従事者。

*終末期緩和ケアについて社会科学的に分析したものはとても少ない。まとまったものとしては、
 黒田浩一郎「ホスピス」佐藤純一・黒田浩一郎編『医療神話の社会学』世界思想 社。1998,pp.191-216.
 →ホスピスの3つの神話(死の否認、人間的医療、死の医療化)が社会科学的に根拠がないことを証明

*早坂裕子『ホスピスの真実を問う』文眞堂,1995.
 →イギリスのホスピスでのボランティア体験を元に、イギリスにおけるホスピスを批判的に検討

3.日本の終末期緩和ケア推進者の宣伝文句の検討

3−1 「やりすぎの医療」について

*終末期緩和ケアは、近代医療への批判を出発点にしている。例えば柏木哲夫は、病院支の問題点として「やりすぎの医療の中での死」をあげている(注11)。

*柏木のいう「やりすぎの医療」とは、「患者さんが亡くなるその日までかなり副作用の強い抗癌剤が投与される。患者さんは癌そのものからくる苦しみに加えて副作用による苦しみをも味わっている。やせ細った腕の血管から毎日のように検査のための採血がなされる。患者さんのそばにいて、手でも握ってあげて静かに臨終を迎えさせたいと思っている家族を病室から出して、心臓マッサージなどの荒々しい蘇生術が施される。このような、いわゆる『やりすぎの医療』は看護婦さんたちの目からみると、決して患者さんや家族のためになっていないということである。」(注12)

*終末期緩和ケア従事者が「やりすぎの医療」という場合は、延命に向けた過剰な医療行為を言う。しかし、何が「やりすぎ」であるかは論じる立場によって異なる。例えば、セデーション(sedation(注13))は、それは安楽死ではないかと危惧する立場からは「やりすぎの医療」といえる。

3−2 延命行為は誰のためにするのか 

*近代医療を延命主義として批判(実際は延命技術を批判)しながらも、患者の家族が死に目に会えない恐れのある時などは一時的延命が行われることもある。

*終末期緩和ケア従事者は、延命行為は、@「機械などに囲まれ、家族がゆっくり看取ることができない」A「本人の苦痛を長引かせる」として否定する(前掲の柏木の文例など)が、一時的延命が行われる場合はAより@が優先されている。→本当に「患者が主役」?

*「ターミナルケアというステージでは、主役は常に患者です。家族も主役に近い存在ではありますが、主役にとってかわることはできません。」(注14)などと言われているのに。

3−3 専門家にコントロールされる可能性

*「患者の希望を最優先することが大切であることはもちろんであるが、患者が真実を知らされていないという状況が多いので、患者が真実を知ったうえで何を希望するかを知る努力をせねばならない。家族の希望通りに事を進めるかどうかは別問題ではあるが、とにかく家族の希望を知る努力が必要である。・・・ここで大切なことは、家族に最終的な判断をさせてはいけないということである。患者の死後、家族の心の中に、罪悪感が残る可能性があるからである。家族の希望をよく聴き、しかし最終的には医師が患者にとって最も良いと思われる方法を選ぶという姿勢(たとえ家族の希望に添う方法をとったとしても)を家族に示しておくことが大切である。」(注15)
→医療の専門家であるにすぎない医師が、死の専門家としての力を持っていくのか?

 3−4 患者の意思を第一に尊重?

*患者が主役という終末期緩和ケアにおいても、患者よりも家族の意向が優先されることがある。

* ・家族の意思を尊重する理由として考えられること
@家族にも納得される死を目指すため。「家族の悲嘆ケアは患者の存命中から始まっている」という言い方。
A患者の「その人らしさ」を尊重。患者が「その人らしいか」の判断者としての家族の意見が重視される。
B治癒を目的とした医療と違ってはっきりとした正解がない。良いケアができたかどうかの評価基準に、家族の満足度が大きなウェイトをしめる。

4.カリスマとしてのシシリー・ソンダース

*シシリー・ソンダース:1917年生まれ。ナースの仕事を持って働き始めるが、持病の背中の痛みが悪化、医療ソーシャルワーカーに転職。ロンドンのセント・トーマス病院で末期ガン患者のデイビッド・タスマと出会う。二人の関係は職業的なものを超え、個人的なものに発展する。彼の残した「ぼくはね、君の家の窓になるよ」のことばと500ポンドが、近代ホスピスの草分けセント・クリストファーズ・ホスピスを建てる動機と最初の寄付金となった。医師となったソンダースは、ガン患者から痛みを取り除くことが最も大切だと考え、定期的な投薬法が効果的だということを発見。現在ガンの疼痛除去のために広く行われているブロンプトン・ミクスチャーの定期的投与は、ソンダースの研究がもとになっている。

*ソンダースは、末期ガン患者のケアには身体的な問題のみでなく全人的なアプローチが必要であると説き、ホスピスケアの方法として、以下の5点を強調した。@患者を一人の人間として扱うことA患者の苦しみを和らげることB不適切な治療、必要のない検査はしないことC家族のケアもすることDチームでケアに当たること。(注16)

*James-N; Field-D“The routinization of hospice:charisma and bureaucratization”
Social Science and Medicine. 1992 Jun; 34(12): 1363-75 

*M・ウェーバーのカリスマ(charisma)に関する理論でイギリスにおけるホスピスムーブメントを分析。

*論点
 [ホスピス・ムーブメントにおけるカリスマ的要素
 @目立つ指導者の存在(シシリー・ソンダース)
 A多くの人々を引き付ける spiritual ‘calling’(多くの追従者)
 B運動の焦点を絞っている(ケアの対象を末期癌の患者とした)
 C反体制的であること(近代医療への挑戦)  

*しかし運動の拡大によって、それぞれの地域でリーダーたちが現われ始めると、提唱者ソンダースと必ずしも一致しない理念を掲げ始め、理念への共感よりも自分のキャリア・ステップとしてホスピス・ムーブメントを利用しようとする。

*また対象が主にガン患者だったときは効果的なケアが比較的しやすかったが、エイズ患者などを受け入れ始めるとケアの焦点が分散した。さらに、この動きは反体制派として始められたが、次第に従来のヘルスケアシステムの一部として機能し出している。こうして現在ホスピス・ムーブメントは、当初のカリスマ支配的なものからルーティン化したものになりつつある。] 

*カリスマ支配:支配者の人格、その人が持つ天与の資質に対する情緒的な帰依に依る支配。

*%現在の日本における終末期緩和ケアの考え方は、ソンダースの考えを輸入して始まったものである。

*日本でもカリスマ的存在であるソンダース
@伝記の出版
Shirley du Boulay“Cicely Saunders:The Founder of the Modern Hospice Movement”Hodder and Stoughton,1984(若林一美他訳『シシリー・ソンダース―ホスピス運動の創始者』日本看護協会出版会,1989
A1997年4月ソンダース来日時 雑誌「ターミナルケア」での特集
B終末期緩和ケアの研究・実践においても、よく言及される。

5.カリスマの日常化(veralltaglichung)とこれからのホスピス

5−1 カリスマの日常化がもたらす問題

*イギリスに関してジェイムスとフィールドが分析したのと同様の問題が、日本においても起こりつつあるのではないか。
@パターン化・ルーティン化
*患者に対して:ペットの面会、季節の行事(イベント)、飲酒可、お茶会
*遺族に対して:はがきの郵送、遺族会
Aキャリアステップ、営利目的の終末期緩和ケア
*一人一日当たり3万余円(診療内容には依らない)という診療報酬制(病床を増やし、空きベッドがないようにすれば儲かる)
*レベルの低い緩和ケア病棟が増えていくのを憂慮する声
*医学部教育に終末期緩和ケアの科目を入れようという意見(新しいポスト=出世コース)

5−2 近代医療の問題点をそのまま引きずっていること

@チームアプローチの不備

*コ・メディカルの活用が不十分

*チーム医療がうまくいかない理由(注17)
 1医師がチーム医療の重要性を意識していない。
 2コメディカルスタッフの力不足。
 3コーディネーターがいない。

*チーム内のヒエラルキーの存在
→近代医療の枠組みを超えず、部分的な修正にとどまっている。看護主導のチームアプローチもありえたはず。

A「病を見て病人を見ず」から「痛みを見て病人を見ず」へ。 

*カリスマ革命は、カリスマに対する人々の帰依という情緒的な結合を基盤にしている。近代医療の医師であるソンダースをカリスマとして起こったホスピス・ムーブメントは、近代医療の従事者に支持を得て広まった。その意味で、近代医療そのものを根本的に変えるまでにはいたってないのかもしれない。近代医療の従事者(医師)は、ホスピス・ムーブメントにおける特権階級である。なぜなら、その解釈と、制度上の重要なポストを独占しているからである。

*ソンダースの主張のすべてが受け入れられたわけではない。ソンダース自身は、ホスピスを建てるに当たって、病院とは違うものを作ろうとした。「シシリーは、ホスピスを国民健康保険制度の一部にしたくないとはっきり言っている。『私たちは独立していたいと思います。なぜなら、思考と行動の自由が必要だからです。私たちは独立採算だとしても、宗教的な団体でありたいし、導かれるままに発展し、拡大する自由を持ちたいのです。』」(注18)

5−3 将来は皆が同じ良い死に方をする?

*皆に終末期緩和ケアがいきわたると、違った形での死の隠蔽になるのではないだろうか。→医師にコントロールされた場合、全ての死が「家族に看取られて、静かに息を引き取る」という「良き死」になる危険性がある。多様(個性的)な死は認められなくなるかもしれない。

*波平恵美子が聞き取った戦前(昭和10年代)の死
「最後になりますと、安らかに死なせるということが行われました。安らかというのは現在の考え方とはずいぶん違うのです。立ち上がったまま死ぬとか、あるいは這いつくばったまま死ぬことを非常に嫌うのです。・・・異常なかたちで硬直して死ぬことを非常に嫌うのです。そのために、死が間近になると患者の家族たちが集まって、患者を押さえつけるのです。患者が起きあがろうとするので、肩を一人が、両足を一つずつ、それから、手を持つ人というように六人掛かりで患者を押さえつけ、仰向けで死ぬようにしたそうです。それは患者があまりにも酷い状態で硬直した状態で死なないようにするためです。・・・たまたま自分が肩を押さえる役割をしていた時、ちょうど黒血を吐いたので、頭から腐敗した、すごくにおう血液をあびて、非常に大変だったという人の話を聞いたことがあります。・・・『どういう気持ちがしましたか』と聞きますと、『それは嬉しいですよ、嬉しかったですよ』というのです。なぜ嬉しかったのかというと、『この人はあと一時間ほどで安らかな死を迎えることができるからだ』というのです。」(注19)
→色々な「安らかな死」がある。

*在宅ホスピス・・・更なる医療化へ

結論

*終末期緩和ケアの現状には、多くの問題点がある。カリスマ革命としての問題点(近代医療の問題点をそのまま引きずっている)。終末期緩和ケアを、従事者や推進者のみに任せておかずに、より広い議論をしていかなければならない。ソンダースの考え自体も、それを絶対視することなく相対化しなければならない。



1 全国ホスピス・緩和ケア病棟連絡協議会「ホスピス・緩和ケア病棟協議会ニュース No.3」ターミナルケア7(1),1997,p.67.
2 ターミナルケア編集委員会編『ホスピス・緩和ケア白書』ターミナルケア6月号別冊,1998と「ターミナルケア」8(5),1998をもとに、筆者が電話問い合わせ。
3 全756床(一施設あたり病床数:M=18.0床 Me=20.0床)
4 「ホスピス病棟」「ホスピス棟」を含む
5 「ビハーラ病棟」(長岡西病院・新潟県長岡市)など。
6 清水哲郎『医療現場に臨む哲学』勁草書房,1997,p.134.
7 伝統医療と民間医療について。近代医療以外の医療について、ここでは「歴史的正統性」が強調され、かつ近代医療と明らかに対比をなすと考えられているものを「伝統医療」、それ以外の残余を「民間医療」とする。(池田光穂「非西洋医療」黒田浩一郎編『現代医療の社会学―日本の現状と課題―』世界思想社,1995,p.206.)
8 伝統医療を近代西洋医療へ応用する二つの立場として、追補的アプローチ(伝統医学が西洋医学の体系に取り込まれる形)と相補的アプローチ(相互に補完し合う形)がある。鍼灸を例にいえば、西洋医学で診断し鍼灸で治療する場合は前者、中医学的な弁証(診断)が加味されていれば後者といえる。(東洋療法学校協会編・中川米造監修『医療概論』医歯薬出版株式会社,1991,pp80-83.)
9 谷荘吉・錦織葆著『日本のホスピスQ&A』東京書籍,1995,pp.33-34.
10 柏木哲夫(大阪大学人間科学部教授、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長)、山崎章郎(桜町病院聖ヨハネホスピス科部長)などが代表的。
11 柏木哲夫『死を看取る医学―ホスピスの現場から―』NHK人間大学,日本放送出版協会,1997,p18.など。なお、同書の表紙には、「治療と延命を中心に置く日本の医療や看護を根本的に見直し、死を間近にした患者とその家族の苦痛を緩和し、精神的に支える『死を看取る医学』の大切さについて考える。その人がその人らしい生をまっとうできるために。」と書いてある。
12 柏木哲夫『生と死を支える―ホスピス・ケアの実践―』朝日新聞社,1987,p.221.
13 「死亡前に緩和困難な苦痛から末期がん患者を開放するために、患者の意識レベルを意図的に最後まで持続的に低下させること」(恒藤暁「セデーションの現状と課題」ターミナルケア6(4)1996,p.257
14  山崎章郎『ここが僕たちのホスピス』文春文庫,1997,p185.
15  柏木哲夫『死にゆく患者の心に聞く―末期医療と人間理解―』中山書店,1996,pp.243-244.
16 Shirley du Boulay“Cicely Saunders:The Founder of the Modern Hospice Movement”Hodder and Stoughton,1984(若林一美他訳『シシリー・ソンダース―ホスピス運動の創始者』日本看護協会出版会)、日野原重明・山本俊一編『生と死のケア』医学書院,1995.などより。
17 柏木哲夫「コメディカルの現状と今後を考える―チームアプローチを中心に―」ターミナルケア8(4)1998,pp.272-276.
18 Shirley du Boulay“Cicely Saunders:The Founder of the Moder Hospice Movement”Hodder and Stoughton,1984(若林一美他訳『シシリー・ソンダース―ホスピス運動の創始者』日本看護協会出版会,1989,p.116.) 
19 波平恵美子「死と医療―医療人類学からの提言―」斎藤隆雄監修・神山有史編『生命倫理学講義―医学・医療に何が問われているか―』日本評論社,1998,pp.259-260.



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