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「書評:生命操作を考える市民の会編『生と死の先端医療――いのちが破壊される時代』」

大橋 由香子 1998/11 『インパクション』111号

last update: 20151221


「書評:生命操作を考える市民の会編『生と死の先端医療――いのちが破壊される時代』」(解放出版社,2200円+税金)

大橋由香子 199811

『インパクション』111号
インパクト出版会
(雑誌の問いあわせ、本の注文→impact@jca.ax.apc.org

 この本の一番の意義は、難しい専門用語で煙に巻かれそうになる先端医療技術について、わかりやすく噛み砕いて書かれている点だ。難解さを誇る専門家集団による文書の対極には、脳死・臓器移植や不妊治療を、お涙頂戴ドラマに仕立て、結果的に「患者のニーズ」がある以上は必要だ、と読者に思わせてしまうマスコミ報道がある。この両方に欠けているのが、技術のもつ問題点や実態を当事者から批判的に見る視点であり、技術の社会的・歴史的背景への考察である。本書は、まさにこれらが扱われている。
 さまざまな運動にも携わる8人によって、以下のことが取り上げられる。妊娠中の胎児の状態をチェックする出生前診断(矢野恵子、佐々木和子)、適用範囲をどんどん広げる不妊治療(御輿久美子)、施行1年を迎えた臓器移植法(利光恵子)、延命治療へのねじれた医療批判とも言える安楽死・尊厳死(鶴田博之)、女/男の二分法に疑問を投げかけるインターセックスの人へのルポ(つむらあつこ)、新たな資源開発・生命の商品化につながる遺伝子治療、ヒトゲノム計画、クローンなど(御輿久美子、福本英子)、最先端の医療技術をめぐって鍵となる「自己決定」概念について、ドイツ・ナチズムを例にした論
考(市野川容孝)、最後に執筆者6名による座談会で締めくくられる。
 例えば、妊娠した女性をターゲットにして、ここ数年検査会社が売り込んでいる母体血清検査(商品名はトリプルマーカーなど)がある。この検査は羊水検査や絨毛診断など「侵襲的な」出生前診断と異なり、妊婦の血液をとるだけで簡単ということで、きちんとした説明もないまま「安心のために受けてみましょう」といった言い方で、一部医療機関で進められている。その結果わかるのは、胎児が「ダウン症」等かどうかの「確率」である。でも「何分の1の確率でダウン症かもしれません」という検査結果は、「安心」を得るためのものだろうか。そもそもなぜ「ダウン症」かどうか調べなくてはいけないのだろうか。「安心」を名目に妊婦たちが追いつめられていくさまは、他人に迷惑をかけない「よい子」に育てなきゃという強迫観念のもとでの子育てや、早期発見・早期治療のかけ声で子どもの「異常」を見つけては振り分けていくシステムが、妊娠段階に到達したことを意味する。
 ダウン症児を育てる親の会を作り、本当に必要な情報を伝え(医者からは必要で役立つ情報は提供されなかったという)、支えあってきた佐々木和子さんの文章は、胎児の質を検査する出生前診断がもたらす社会より、いろいろな赤ちゃんを安心して迎えられる社会のほうが、どんなに豊かで気が楽か、という真実を物語っている。「異常」があろうがなかろうが、一人ひとり異なる人間同士、お互いに迷惑をみんなにかけあって生きていく――というほうが、検査してはじきだすことに血眼になって、不安が掻き立てられる人生より、よっぽどいいだろうに、と感じさせてくれる。
 出生前診断だけではない。遺伝子治療も脳死も安楽死も、結局は「生きる価値のある人間/価値のない命」という優生思想・排除の思想と結びついている。先端医療技術の問題は、たまたまその技術に遭遇した人だけが悩むことではなく、すべての人間に、どんな世の中で暮らしたいのかという展望を問うているのだと思う。
 さて、最後の座談会では、これらの先端技術が「患者の自己決定」を錦の御旗にして推進されていることから、自己決定を見直す/考え直す/ほかの言葉をさがす・・・・・・など、自己決定を手放すニュアンスに近い発言が目立った。とくに、そもそも妊娠状態を受け入れられない人工妊娠中絶と、出生前診断の結果による中絶をめぐって、そうした意見が多いように感じたが、後者の中絶は「自己決定」ではないことをこそ、主張していく必要があるのではないだろうか。自己決定を手放す前に、わたしはむしろ、推進側の自己決定と運動側の自己決定の違いを、丁寧に腑分けしていく作業を大切にしたい。そして、いろいろな場で、この座談会が続行されることを期待する。



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