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「現代日本社会における共同体主義的バイオエシックスの可能性と限界──コミュニタリアニズムはプリンシプリズムを超えられるか」

空閑 厚樹・前川 健一
日本生命倫理学会第10回年次大会発表原稿

last update: 20151221


現代日本社会における共同体主義的バイオエシックスの可能性と限界
─コミュニタリアニズムはプリンシプリズムを超えられるか─

日本生命倫理学会第10回年次大会発表原稿

空閑 厚樹・前川 健一(くが あつき・まえがわ けんいち)

 本発表では、標題の通り共同体主義的バイオエシックスなる
ものが現代日本のバイオエシックスに対してどのような貢献を
なしうるのかについて論じます。結論を先に述べれば、現代の
日本で論じられているような共同体主義的バイオエシックスは
既存の医療習慣を無批判に擁護するだけのレトシックとなって
しまっており、共同体主義本来の問題意識にすら達していない
というという点です。本発表での私達の主張は、バイオエシッ
クスとは既存の慣習の延長上に構築されるべきものではないと
いうことであり、むしろバイオエシックスとは公共の議論の中
で練り上げられ、既存の慣習に反することも辞さないという点
にこそ、その存在意義のあることを示したいと思います。
 ではまず日本的な共同体主義的生命倫理学とは何なのか。イ
ンフォームド・コンセントを例にこれを示します。
 インフォームド・コンセントが主張される時、現在でも次よ
うな反論が見られます。すなわち、日本社会では医師患者関係
は原理尊重主義的バイオエシックスが想定しているような契約
関係ではなく信頼関係から成り立っている。患者は医師を信じ
、医師は患者の最善を尽くして医療行為を行うという関係性に
おいてはインフォームド・コンセントはそぐわない。そしてこ
れは人間関係を契約関係のようにドライに扱うことに違和感を
覚える日本文化に根差したものであり、一朝一夕に変わるもの
ではないし、変えていくいく必要があるのか、と問うのです。
そして、そもそもインフォームド・コンセントを行っているの
は世界的に見ればプロテスタンティズムの強い、経済的に豊か
な一部の国に限られているのでありこれら少数の国での実践が
「プリンシプル」の名のもとにあたかも普遍的な価値があるか
のように語られるのはおかしいではないか、と続くわけです。
 このようにな主張には、バイオエシックスとは自律(オート
ノミー)などの原理をあてはめるものであるとの単純化がみら
れ、そして日本という共同体の慣行や伝統を尊重することの要
求がなされます。整理すれば、ここでは、日本的バイオエシッ
クス対米国流バイオエシックスとは共同体主義的バイオエシッ
クス対原理尊重主義的バイオエシックスという議論の構図が見
られるわけです。
 この主張には二つの大きな問題点があります。一つはアメリ
カにおけるバイオエシックスの展開を単純化しすぎている点、
そしてもう一点はアメリカにおける共同体主義の議論の含意が
十分に理解されていない点です。
 第一点目ですが、問題点を明確にするためにアメリカにおけ
るバイオエシックスの学問としての成立背景に遡って考察を進
めます。1970年代に、アメリカにおいて学問としての制度化を
果たしたバイオエシックスは、その主流派において「普遍的な
原理・原則」を確定し、それを具体的な事例に適応することで
有効な決定が得られるという方法論を基盤としていました。ビ
ーチャム・チルドレスの「プリンシプルズ オブ バイオメデ
ィカルエシックス」に見られる「プリンシプリズム」はその典
型といえるでしょう。そして、それはリベラリズム的性格を強
く持っていました。このように初期のバイオエシックスの議論
においてリベラリズムの性格が色濃く見られたのには、この学
問の成立背景に一因があると思われます。
 ナチスの生々しい記憶そしてタスキギー事件など国家そして
医学研究者による人権侵害が暴露され伝統的な医療倫理が問い
直されていた中、現代医療技術によって生みだされた様々な倫
理的問題に直面した時、患者の権利・利益を擁護することを大
きな目的としてバイオエシックスが展開されました。その際、
医療者側の横暴を抑制するものとして要請されたのが「患者の
自己決定権」だったのです。
 初期バイオエシックスが手続きに重点を置いた形式主義的で
あるが故に医療倫理上の具体的な問題の指針にはなりえないと
の指摘がされますが、これはこのようなバイオエシックスの学
問上の成立背景によるものだと思われます。そして、普遍主義
的な原理尊重主義的バイオエシックスに対して80年代以降より
個別的な状況を重視する形で批判が繰り広げられるようになっ
たのです。これは、例えば「決疑論」や「徳倫理学」、「ケア
の倫理学」そして「共同体主義的倫理学」であり、昨日のアン
ダーソン氏の講演でも示されておりました。
 このような背景を考えますとアメリカにおけるバイオエシッ
クスの流れとは必ずしも原理尊重主義の一枚岩ではなく様々な
原理尊重主義批判が見られ、またそれらの批判に対する原理尊
重主義からの応答という形で展開していることがお分かり頂け
ると思います。
 まずここで日本的バイオエシックス対米国流バイオエシック
スとは共同体主義的バイオエシックス対原理尊重主義的バイオ
エシックスという議論の構図にはならないことを第一に押さえ
ておきます。
 さて二つ目の問題点、アメリカにおける共同体主義の議論と
はどのようなものなのか、そしてその含意とはどのようなもの
であるかを示します。
 共同体主義議論は1980年代にアメリカで唱えられるようにな
った政治思想運動です。共同体主義の主張は、その論客によっ
て大きな幅があるため一つにまとめて示すことは困難です。例
えば何をもって「共同体」とするのか、その範囲に関しても様
々な理解、主張が見られます。ただし、最大公約数としてその
主張をまとめるならば西欧近代社会の政治思想において前提と
される「自律した」個人観、「原子論的」個人観に立脚した個
人主義的人間観を批判している、といえます。現代社会の病理
現象、社会のアノミー化やフリーライダー的メンタリティーの
蔓延の原因はこういった人間観に依るものだとし、「共同体的
なるもの」の復権によって現代の社会問題を克服しようとする
問題意識が共同体主義の議論には共通して見ることができます
。しかし、この「個」よりも「共同体」を優先させるアメリカ
における共同体主義議論には注意しておくべき点があります。
それは、アメリカでの議論の中で共同体の価値と言った時には
、自分達の共通伝統の中には個人の権利の尊重が深いところで
組み込まれている、という一種の安心感が見られるという点で
す。共同体主義の主張にリベラリズムと予定調和する含みが見
られるというのは、アメリカの共同体主義議論における特異性
として押さえておく必要があるのです。つまり、このような思
想的背景、伝統のない社会で共同体主義が語られ、それが採用
される時、その内実が全体主義的な傾向をもつことを否定でき
ないのです。アメリカにおけるコミュニタリアニズムの議論に
は個の尊重を前提としている社会的、思想的バックボーンがあ
る、その意味でコミュニタリアニズムは共同体「優先」主義と
訳されるべきです。
 この点を踏まえた上で、日本社会において共同体といった時
の問題点を考えてみます。この点もアメリカとの社会状況との
差異から浮かび上がってくるものですが、共同体の意味するこ
との違いです。アメリカにおいては共同体と個人を対比させ、
個人主義の過剰が共同体の絆、公共的な責任、徳といったもの
を危ういものにしているとの主張が見られました。これは確か
に80年代のアメリカで見られた社会現象です。そこでここで共
同体の復権が訴えられるようになったわけです。しかし、日本
社会における共同体の崩壊、公共性の理念の衰退は個人の権利
要求が過剰になったからでしょうか。この点について、日本社
会における共同体の崩壊、公共性の理念の衰退は、中間共同体
の専制によるものだとの指摘がされています。ここで言う中間
共同体とは、例えば会社であったり防衛庁や厚生省といった省
庁、官庁であったりまたは医師会といった職業集団であったり
します。こういった中間共同体が個人を無力化しそして社会の
公共性をも切り崩しているというのです。例えば「会社人間」
であるとか「国益なくして省益」などという言葉がこの状況を
表わしています。様々な中間団体が自分達の組織された政治力
を使って多様な権利要求を行う、その中には公共性へのコミッ
トメントよりもむしろ既得権益を守るといった主張が強く見ら
れるわけです。このような指摘のなされる日本社会において安
易に共同体主義という言葉が使われる時、これは公共性の見直
しといった本来の共同体主義的な主張を離れ特定の中間団体の
既得権益保護に利用されかねません。その時ますます個人は無
力化しまた公共性への関心も削がれていってしまう危険がある
と思われるのです。
 この点について、やはりインフォームド・コンセントを具体
例として考えてみます。日本においてインフォームド・コンセ
ントが批判の対象として語られるのは、患者からの権利要求が
過剰になったからではありません。このような状況の中で患者
の権利を保障するインフォームド コンセントが共同体主義議
論を用いて批判、骨抜きにされる時、臨床現場での権力構造の
問題や現行の制度上の問題を覆い隠すことになるのです。そし
て結局これは製薬会社や病院などの中間共同体の既得権益を保
護する論理に絡めとられてしまう危険性があるのです。
 では最後に以上の点を踏まえた上で共同体優先主義的バイオ
エシックスにどのようなメリット、デメリットがあるかを考え
てみます。
 社会、共同体の文化、習慣、慣習と深く結び付いた、生命倫
理学の扱う諸問題が普遍的とされる原理や原則のみで割り切れ
るものでないのは当然のことです。しかし日本社会でのバイオ
エシックスの構築を、日本文化や日本の伝統といった閉鎖的な
共同体の論理のみを準拠枠として展開していくのはあまりにも
不毛です。なぜならすでに述べたようにそのような方法論は単
純に現状を擁護し、その裏に隠された権力構造を隠してしまう
傾向があまりにも強いからです。むしろ現在の社会的な制度を
慎重に検討していく過程から日本的バイオエシックスを展開し
ていく必要があるのではないでしょうか。そして、これは法哲
学者、井上達夫氏が既に指摘しているように共同性、公共性と
いったものは開かれた議論を通して錬り上げられていく必要が
あるのです。その結果得られた各共同体の合意に多様性が見ら
れたとしてもその多様性の間には優劣や断絶があるのではなく
、それは理解可能な違いとして対話の契機となるのではないで
しょうか。
 1980年代より活発化したバイオエシックスにおける原理尊重
主義批判は、この新しい分野が実践的な要請を求められるよう
になって起ったものです。そしてこれは初期バイオエシックス
がリベラリズムの影響を受け、手続きに重点を置き一般性を目
指していたが故に突きつけられた当然の批判であると考えるこ
とができます。一般論ではすくいきれない実際上の問題がある
からです。また原理の名のもとに見えなくなっていた権力構図
というものにも私達は敏感である必要があると思います。一方
共同体優先主義的バイオエシックスについては、まず日本で語
られているナショナリスティックな枠組みからこれを解放する
必要があります。その上でバイオエシックスが国際的な規模で
要請されている今日、各共同体の多様性を尊重する上で共同体
優先主義的バイオエシックスは重要な貢献をしていくのではな
いかと思われます。しかし、その時共同体の構築を伝統や文化
といった非実体的な観念にのみ依拠するならばその限界は明ら
かです。なぜならこれは相互に理解不可能な共同体の価値の乱
立を生み、そしてその共同体内部では権力構図の固定化が促進
されるからです。また、クローン技術に典型的にみられるよう
に、医療技術においても世界的な規模での規制が必要とされて
いる現在、このような伝統や文化に依拠した共同体主義議論の
限界は明かです。あくまでも開かれた議論を通しての公共性、
共同性の構築が求められているのです。その時、原理尊重主義
の示唆していた一般性、普遍性も重要な意味を持ってくるので
す。
 さて今回の発表は、前回の筑波での生命倫理学会の大会での
議論に触発され共同発表者の前川氏と準備を進めてきたもので
す。当初は、少なくとも共同体主義議論を整理し、今後の日本
の生命倫理学の議論の展開に貢献したいという目的がありまし
た。しかし、この議論の整理作業を進めていく中で、何かオリ
ジナルな自分達のアイディア、ヴィジョンを示すことはできな
いだろうか、という話になりました。以下に紹介しますのは、
まだ不完全ではありますがそのヴィジョンです。
 それは「だから」のロジックではなく「だけど」のロジック
によって錬り上げられる生命倫理学です。例えば出生前診断に
ついて、これを実施するコストは生まれてくる、他者の援助を
必要とする人達にかけるコストよりも少ない。「だから」この
出生前診断を社会規模で進めていく必要がある、との議論が見
られます。また別の例で言えば、人間には自己決定権がある。
「だから」医療上の決定はすべて患者の意志に委ねるべきだ、
といった議論もなされます。こういった「だから」のロジック
によって構築される論理は一貫性があり説得力があるように見
えます。しかし、その「だから」のロジックの取りこぼしてし
まうものをすくい上げ、それを言語化し、問題化する作業がこ
れからの生命倫理学には求められているのではないでしょうか
。これは、開かれた対話を通して、軋轢や齟齬を抱えながらも
『「だけど」こうすべきではないのか。』という感覚を通して
社会的な理想と当為を示していく作業なのです。
 私達が警戒する必要があるのは、ドグマ化した原理尊重主義
的なものであれ、共同体主義的なものであれ、それが「だから
」のつながりによる氷のような一貫性を誇示する時です。これ
からの生命倫理学の展開には求められているのは、そこにある
「いかがわしさ」を感じ取り、明らかにしていく作業である、
と考えます。
 御静聴ありがとうございました。



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