おことわり
この記事は、国立国会図書館の承認の下に、
「人権と障害者 ―保障と障壁(三)」
〔『レファレンス』(国立国会図書館調査及び立法調査局編集・発行)
第570号(平成10年7月刊)3〜32頁〕
の全文を転載したものです。
この記事を私的使用又は引用を越える範囲で利用する場合には、
あらかじめ国立国会図書館の許諾を得て下さい。
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本文中の図2〜3および表17〜22は、別に搭載しますので参照して下さい。
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人権と障害者
――
保障と障壁 三
田中
邦夫
目 次
はじめに
一 人権と障害者
二 障害者の定義
三 障害者の統計
四 国際的状況と差別の禁止(以上五五六号)
五 わが国の法と制度による保障と障壁
1 公職選挙法と参政権
2 司法手続及び裁判
3 道路交通法と自動車免許
4 医師法等の「欠格事由」
(付)法令における障害者に関する用語について(以上五六〇号)
5 その他
a 刑法と民法の障害者条項
b 著作権(以上本号)
(以下次号以降)
c 放送法その他
d 「ハートビル法」
e 労働災害補償保険法と障害等級
f 最低賃金法の障害者除外
g 福祉用具の研究開発及び普及の促進に関する法律
h 子供の権利に関する条約と教育権
六 雇用――障害者の生活権保障
五 わが国の法と制度による保障と障壁(承前)
5 その他
a.刑法と民法の障害者条項
国連の「『アジア太平洋障害者の十年』(一九九三年から二〇〇二年)行動課題」(仮訳)(1)には次のようにある。
U 関係分野 2 立法
(a)現行法に関して、
・障害者に制限的な法律条項を確認するための調査を実施すること。
・制限条項を改正し又は廃止することによって、障害者に好ましくない解釈
を排除すること。
これらは本稿の全体としての対象でもあるが、とくにここでは憲法に次いでわが国法体系の根幹をなす基本的な法律である刑法と民法とが、共にかつては直接障害者に触れた条項をもっていたことを述べておきたい。聴覚障害者、言語障害者を対象とする刑法第四〇条と、この両者に視覚障害者を加えたものを対象とする民法第一一条がそれであり、心神喪失者や心神耗弱者について規定した条項とあいまって「『障害者』概念の法的枠組の基底をなして」いた
(2)。
刑法
一九九五年に削除されたが、表17.に示すように刑法にはかつて〓唖者条項があった(〓は病だれに音という字であるが、表外字であるため以下「
<イン>唖者」と記す:本サイト搭載にあたっての注)。これは一八七七年の刑法草案の第九四条(3)、一八八〇年制定の旧刑法において第八二条にあったものが、一九〇七年の現行刑法制定の際に表17に示すように改正されたものである。「
<イン>唖者」は「いんあしゃ」と読み、「生来的又は幼少時に聴覚機能及び言語機能を喪失した人」の意味であった(4)。「<イン>唖者」は「聾唖者」とほぼ等しいと思われるが、聴覚機能、言語機能のうち一つだけを欠いた者とか、後年の疾病や事故で両機能を失った者などはあたらないとされる。しかし言葉の本来の意味では発語能力を欠く者を意味するから、聴能の有無にかかわらず発語能力を欠く者は
<イン>唖者にあたらないという議論もあり、また聴唖者と聾唖者が責任能力の点で同等となるのは第四〇条の趣旨にそぐわないという議論もあった(5)。道路交通法八八条の運転免許の欠格事由中の「口のきけない者」について「発声の機能に障害があるに過ぎない者」はこれにあたらないとした判例もあり(6)、また手術による咽頭切除に起因する発声障害者はこれにあたらないともいう。これらは刑法が改正され運転免許の門戸が広がった今となっては不毛な議論であるが、法による障害者の扱い、とくに資格制限などについて、それが障害による物理的な不都合によるものであるか、あるいは障害の二次的な結果として能力などが不足することによるものであるかが、あいまいなままに放置され、ともすれば○○障害者という分類のみが基準として用いられるのと通じるものがある。すでに一八九二年の刑法原論の書は、「
<イン>唖者ハ耳聞ク能ハス口言フ能ハサルモノニシテ智能ノ発達極メテ緩慢ナルモノナレト必スシモ犯罪ノ責任ヲ負ウノ能力ナキモノニアラス。殊ニ近世<イン>唖者教育ノ道モ整備セル邦国ニ於テハ<イン>唖者ト雖能ク智能ヲ備具モノナキニアラス」。しかるに第八二条では「智能ヲ有スルモノト否トヲ区別スルコトナシ」(7)であると、もっぱら責任能力の面からではあるが、この条項の妥当性のなさを指摘している。同様の意見は少なくなかったようで、改正当時の解説によれば「未だ通常人が受けるほどの知識は無い。種々の手段をしてわずかに教育して居るという有り様であるから、仮令事理が分つた
<イン>唖者たりとも全然之に普通の刑罰を科すると言ふは余り極端の改正であらう。余り激しい改正になるからなとの議論があつて、結局之を罰せない、罰するときは普通の人より刑を軽くするが、先づ改正の程度に於て適当であらうと斯ふ意見からして、斯のごとき規定となつて居るのである」(8)、という考え方で上記の条項が九〇年近く行われることとなった。現在の目でこれらの議論を読み返すと、当時の法学者、ましてや刑法学者に人権とか福祉とかの観念を求めるのはもとより望蜀の言であるが、教育の発達が責任能力の問題につながることを重視した点に、ある意味での合理的な思考を見ることもできるようである。刑罰を免れる余地を少しでも減らすことが国家治安の礎といった考えもあったであろうが、本稿五の4(9)などで述べたような、
<イン>唖者すなわち聴覚障害者や視覚障害者を始めとする障害者の能力を観念的に限定されたものと規定し、資格取得を禁止もしくは限定している医事法を中心とする現在の法体系を是とし、実証的手続きを踏むことなしに新しい法にもそれを持ち込もうとする思考に比べると、明治の法学者は同時代のダイナミズムともいうべきものからの乖離が少なかったとも言えるのである。周知の通りわが国の刑法は一九〇七年の改正以来抜本的な改正は行われていないが、改正草案は何回か作成されている。一九四〇年の「改正刑法仮案」では第四〇条はそのまま第一五条に移されたにすぎないが(10)、戦後の四次にわたる案(11)ではいずれも第四〇条は削除されている。それらの最初のものである「改正刑法準備草案」を説明するにあたって植松正は次のように述べている。当時の刑法学者の認識がどのようなものであったかがうかがわれる発言である。
一七条は格別の変化はございませんが、聾唖者に関する規定が削られたのであります。聾唖者については一五条の精神障害にあたるような事情にあるものが多いであろう。その場合には一五条を適用すれば足りるではないか、聾唖者については特別に規定はいらないではないかという考えによって省いたのであります。なおかつて仮案のさいにこういうことがあつたということも聞き及んでおります。それは聾唖者の利益を代表する方のグループから、聾唖者について現在のような規定があることはかえつて聾唖者をいわば蔑視するといつたような感じになるので削除してもらいたいと陳情してきたことがあつたそうであります。そのときの事情も委員会で披露されました、それも考慮に上がったかと思いますが、そういうわけでこれが削られました。」(12)
しかし戦後の改正案の集大成である一九七一年一一月の「改正刑法草案」は保安処分の規定などが批判を浴び、今に至るも刑法の骨格と文体は一九〇七年のままである。この一世紀近くの間に旧第四〇条がどの程度の頻度で援用されたかについてはつまびらかにしないが、最高裁の統計によれば一九八四年から九三年までの十年間に、刑法犯第一審事件の有罪総人員中同条によって不処罰となりあるいは刑を減刑された人員は、最高が一九八七年の三五名、最低が九三年の二〇名であり、平均して一年に三〇名弱となっている(13)。
聾学校教育ですら満足に受けなかったため手話・筆談の手段も不可能で、裁判の観念も有しない聴覚障害者が十五年後に最高裁決定で公判手続き停止となった事例(14)についてはすでに触れた。この件では訴訟能力や公判手続きが主題となったため、当時有効であった刑法第四〇条についてはとくに言及されていないが、被告には本件の前に窃盗で二犯の前科があったといわれるから、その裁判はどのようなものであったか、刑法第四〇条は適用されたか等、さらに吟味がなされる必要があろう。
一九九五年に刑法第四〇条は削除されたが、これについて法務省参事官の麻生らは次の様に述べている。
その後、特に戦後の聴覚障害者に対する教育の普及・充実は著しく、手話の全国的統一も推進されたため、
これは約四十年前の滝川春雄の見解(16)とほぼ同じものであり、改正が遅れたのには、この条項が一方では聾唖者の保護規定として機能しうるものであったということがどの程度理由になったであろうか。滝川の解説にしても「唖者に普通人と同じ責任能力」という論点であり、それまでの
<イン>唖者可罰論と同様人権とか憲法とかからきた発想ではない。人権と障害者の見地から見てこの旧第四〇条は一面的には扱えないものがある。聴覚障害を持つ弁護士である松本(17)は、削除以前に次のように述べていた。
ろうあ者で教育に恵まれないまま、音声言語も手話も知らない、つまり声での会話はもちろん、筆談でも口話でも手話でもコミュニケーション不能という人がまだいることはたしかです。そのようなろうあ者は、単に未教育というだけ、コミュニケーション不能というだけですから、心神喪失や心神耗弱の中には入りきれないと私は考えています。
心神喪失者でもない、心神耗弱者でもない、しかしその行為を健聴者同様にみて健聴者同様の刑事責任を負わせるわけにもゆかない、そんなろうあ者もたしかに居ると思うのです。
従って、その解釈はキチンとする必要がありますが、刑法四〇条はいちがいに不必要・有害とは言えないのではないか、むしろ必要な規定ではないか、というのが今の考えです。
滝川や麻生らによれば仮に聴覚障害のために精神の発達が著しく遅れている場合は、責任能力に関する一般的な規定を適用すれば足りる。つまりことさらに刑の減軽を規定する必要は認められないとしている。いずれに理があるかは判断できないが、前記の十五年後に公判手続き停止となった事例の被告は明らかに松本のいうコミュニケーション不能の聾唖者であったが、裁判が長引き公判手続停止という不鮮明な結果となったのは刑法第四〇条以前に訴訟手続きがこのような場合を想定していなかったからである。一方で渡辺(18)はこの裁判について以下のように言う。
・・過去多くの聴覚障害者事件では、形だけ手話通訳等を付し訴訟能力を吟味せずしかも有罪・無罪の点、量刑の当否を争う防御の利益も十分に尊重しないまま、刑法四〇条を適用して迅速・効率的に有罪判決をいい渡していたのではないか。事案に照らしそれなりの量刑であれば目くじらを立てないという暗黙の了解が、法曹三者の間になかったか。
結局、裁判所による被告人の懇切な後見機能の信頼を求める運用は、糾問・効率・必罰に支配された裁判を生みかねない。
刑法第四〇条が仮に存続した場合、このような懸念も依然としてありえたと思われる。
民法
民法の準禁治産者条項の変遷は表18に示す通りである。
準禁治産者というのは、正常な判断能力が不十分なため法律行為を自分一人で行えないと裁判所によって宣告されるものであるから、障害をもつということのみでその理由となるのは言うまでもなく差別的な規定である。一八九〇年公布(19)の旧民法の第二三二条第一項からすでに同様の規定があったが、これはボアソナードによるものであり、準禁治産者という制度はフランス民法で浪費家や心神耗弱者に補佐人を付けるというのを継承するものであったという。聾唖者を準禁治産者とすることについてはイタリア・オーストリア・スペイン各国の民法およびベルギーの民法草案等の影響ないし模倣で、それらのルーツとなったローマ法でも聾唖者等に補佐を付けるというのがあり(20)、盲者にまで拡張されたのはドイツ普通法時代であるという(21)。聾唖者の能力をより低いものとした考え方が先行したことには刑法第四〇条の場合と通じるものがある。
しかし聾者、唖者、盲者であること自体を行為能力制限の原因としているのは立法例として珍しいものであり、別に精神障害があるわけではないが、行動能力の不完全なことに着目して、これを保護せんとするのであると説明されているのだという(22)。とすれば知覚障害者を無条件で保護の対象としようとした政策、換言すれば彼らの能力を低く見る政策は諸外国に比してわが国においてとくに強かったことになる。聾唖者、盲者に対する教育が遅れていたことがその理由とされようが、これについてはまた別の立証が必要であろう。いずれにせよわが国の名誉になることではない。
民法起草者の一人梅謙次郎によれば民法第一一条の立法趣旨は次の如くである(23)。
聾者、唖者、盲者ハ各五官ノ一ヲ欠ク者ニシテ其知識多ク常人ニ及ハス動モスレハ他人ノ為ニ欺カルル虞アリ浪費者モ亦一種ノ精神病者ニシテ仮令他ノ智能ニ欠クル所ナキモ理財ノ一事ニ至リテハ夐ニ常人ニ及ハサル者ナリ故ニ此等ノ人ヲ保護セント欲セハ必ス其能力ヲ画限シテ恣ニ法律行為ヲ為スコトヲ得サラシメサルヘカラス是レ準禁治産(demi-interdiction)ノ制度ノ由テ起リタル所以ナリ
これより約八十年後に中川善之助は次のように述べている(24)。
「目あきは不自由なものだ」といって笑ったような盲人もあるが、字が見えないということは、何かと取引上不利だったり危険だったりすることは事実である。聾でも唖でも同じで、そうした身障者が無能力だからではなく、時にだまされたり、ごまかされたりする恐れもあるから、そんな身障者だけは、準禁治産宣告をしてもらって、補佐人の保護をうけることができる、というのが民法一一条の趣旨である。身障者はみんな準禁治産だというのではない。それをやたらに差別だ、差別だと騒ぎ立てるのは、近頃の流行かもしれないが、頂けない」。
一方、聾・唖・盲だけを原因として、準禁治産の申立がなされ、ないしは、これに基づいて準禁治産者宣告がなされる例は、実際には極めて稀であったという(25)。現実には心神耗弱等他の要因があって初めて宣告されることが多いのであり、学説もその方向であった(26)。しかし一方でこれらの知覚障害を有するというだけで準禁治産者の宣告がなされるというのが一般の認識であった。一九七五年の衆議院予算委員会に聴覚障害者団体から出席した参考人は、聾唖者イコール準禁治産者という通念の故に東京や京都で信用金庫から融資を受けられなかった例を述べ、大蔵省は全国地方銀行協会に注意の勧告を行った(27)。しかし同様の事態は後を絶たなかった模様で、一九七七年の第八十一回国会で参議院法務委員会に付託された請願(28)でもこの点を取り上げ、独立して生計を営んでいる聾者が金融機関への融資の申し込みをする際にしばしば保佐人を要求されるのはこのような認識によるものであるとして、あらためて民法第一一条から「聾者及び唖者」の事項の削除を求めている(29)。
この請願に対する法務省の反応は前向きなものであり(30)、改正案が第八十七回国会に提出され、一九七九年一二月に成立公布、一九八〇年六月より施行された。視聴覚言語障害者の実態やそれらに対する教育制度の整備にかんがみて、障害者の能力が劣るがごとき考え方は到底維持できるものではなくなっていたと述べられているが(31)、しかし振り返ってみるとこの時期に改正が行われた最大の要因は一九八一年に予定されていた国際障害者年であろう。むしろ早くから準備されていたともいう刑法第四〇条の改正よりも先んじたのは、民法第一一条の方がより差別的であり(32)、国際障害者年を契機に障害者の人権状況が国際的に問題となり始めた状況では、改正を急ぐしかないとの考えがあったものと思われる。
ただ、第一一条の改正を取り上げた当時の法律関係者の論考に共通するものは、障害者の能力は劣るわけではないからこの規定はまずいという発想である(33)。もとより関係報文のすべてに目を通したわけではないが、当然中心に据えるべきは障害者の人権の問題であるという視点がほとんど見られなかったことは、現在の目からは奇異に感じられる。
第一一条改正後もなお、知覚障害を有する者が経営し、一定の実績をもつ企業に対する融資を金融機関が忌避するというような話が聞かれる(34)。旧第一一条の曲解から始まった差別が現在も続いているとすれば、他の分野における実情も併せて考えると、米の『障害をもつアメリカ人のための法律』のごとき差別自体を違法とし、法的対抗手段をとる機会を与えるような法律が必要であるといえよう。
民法九六九条問題
上に述べた刑法第四〇条と民法第一一条とは共に障害者を明示して特別な扱いを規定したものであったが、それらの改正後もなお結果的に障害者を差別する条文がある。公正証書による遺言作成にかかわる第九六九条がそれである。
第九六九条【公正証書遺言】公正証書によって遺言をするには、左の方式に従わなければならない。
一 証人二人以上の立会があること。
二 遺言者が遺言の趣旨を公証人に口述すること。
三 公証人が、遺言者の口授を筆記し、これを遺言者及び証人に読み聞かせるこ
と。
四、五 略。
公正証書による遺言は他の遺言方式である自筆証書遺言(35)や秘密証書遺言等に比して法的効力が強く、遺言の対処できる範囲も広い。障害をもつことが理由となって遺言方式を選ぶことに制約があるとすれば、それは明らかに人権の問題であろう。しかし現実に一九九七年一月、ある聾唖者が手話通訳者を帯同して公証人を訪れ公正証書による遺言作成を依頼したところ、第九六九条の「口述」「読み聞かせ」の規定により聾唖者の手話通訳者を介した遺言書作成は不可能であると三カ所の公証役場で拒絶された(36)。
これらの事務取り扱いを違法として同年九月二日に異議申立書(37)が東京法務局に対して提出された。違法とする理由としてあげられたのは次のとおりである(38)。
(1)聾唖者であっても一般的な遺言能力にかけるということはない(39)。
(2)民法第九六九条の解釈上、聾唖者を除外する理由はない。
<1>手話通訳を介しても九六九条二号、三号の「遺言者の口授」及び「読み聞かせ」の要件は満たされる。
<2>同条の立法趣旨は遺言者の自由に表明された意思が直接に公証人や証人に伝えられること、そしてその意思がそのまま遺言書に表示されることを確保することである。「口授」「読み聞かせ」とされたのは明治民法の制定期に文盲者が多かったことに対する弱者救済の趣旨であって、その字義にとらわれて音声言語によってのみなされると解すべきではない。
<3>日本語を解さない外国人については、現に通訳を付して意思確認を行う形での公正証書遺言が行われ、それが有効とされた判例がある。また、言語障害のある遺言者が公正証書遺言を作成するにあたり、聞き取りにくい遺言者の発言を、平生からそれに聞きなれてその意味を理解できる者が通訳する形で意思確認を行い、公正証書遺言が作成されることもある。これについても介添的通訳を認めた判例がある。これに対して手話通訳人を同行した聾唖者の公正証書遺言の作成を拒否することは憲法十四条の法の下の平等その他の規定に違反する。
<4>手話通訳人には手話通訳士という国による認定制度があり、手話倫理綱領も定められているので中立性や守秘義務についての懸念はない。聴覚障害者のために大学の講義、司法研修所の講義、政見放送の通訳、さらには法廷での通訳など、高度な通訳も行っており評価は定まっている。
<5>過去に聾唖者が公正証書遺言を作成した例が複数ある。
<6>民法九六九条は一八九八年に制定された条文をそのまま引き継いでいる。一方一八八六年にできた公証人規則では当時の文盲率の高さを反映して口述、読み聞かせの形で公証人証書が作成されるべきとされていたが、民法九六九条が制定施行されたのはこの公証人規則の時代である。ところが一九〇九年施行の現行の公証人法では二九条で「嘱託人日本語を解せざる場合又は聾者若は唖者其の他言語を発すること能はざる者にして文字を解せざる場合に於いて公証人証書を作成するには通事を立ち会わしむることを要す」とされた。この反対解釈として、公証人は、文字を解する者に対して、筆談・閲覧による意思確認ができる。
現実の公正証書作成の場合にはファクス等で案文を事前に公証人に示し、それを元にして作成した証書を読み聞かせではなく閲覧の形で意思確認がなされている場合が多い。後にできた公証人法によって現実の民法九六九条の運用がなされている。
異義申立て人は筆談に依って意思疎通をすることが可能であるにもかかわらず、公証人が自ら筆談をするなり、手話通訳人を介するなりの形で意思確認ができるかどうかの検討もせずに聾唖者であることをもって公正証書遺言の作成を拒絶したのは以上からみても不当である。
<7>聾唖者であろうとも遺言形式を選ぶ権利がある。
G今回の公証人の各事務取り扱いは聾唖者が手話通訳を通じればコミュニケーションに何らの問題もなく、民法所定の条件を満たすことに気づかなかったことに起因するものであって、是正されなければならないものである。
(3)結論として今回の公証人による公正証書遺言の作成を拒否した事務取り扱いは、憲法に反し、民法、公証人法の立法趣旨にも反する極めて違法なものである。
同年十二月十五日に東京法務局はこの異議申立を棄却する決定をした(40)。
理由としては第九六九条の「口授」を「口頭で述べること」、「読み聞かせ」を「耳で聞くこと」と定義し、秘密証書方式の遺言を規定した第九七〇条および第九七二条との表現の違いを指摘し、また公正証書一般について筆談等の手段を認めていることは否定していないが、公正証書遺言についてはより厳格な方式を定めているのであるとしている。従って筆談又は手話通訳を介しての公正証書遺言の作成を拒否するのは現行法上やむを得ないと結論しているが、以上のような解釈に合理性があることは示すことができず、一方で立法論的には第九六九条に規定に問題があることは認めざるをえなかった(41)。
以上は障害者への認識不足が生んだ法的・制度的障壁とその是正という点で典型的なものと思われるので、やや詳しく紹介した。しかしその後事態の進展は意外に早く、一九九八年一月九日に至り法務大臣談話によって、現行法では認められていない手話通訳や筆談を介した公正証書遺言の作成も有効とするように民法第九六九条を改正するとの方針を明らかにした。一九九九年の通常国会に民法改正案を提出したいという考えで、今後障害者支援団体等から意見を聞き、<1>手話通訳が正確に遺言内容を伝えていることを公証人がどうやって確認するのか。<2>法律用語を手話でどう表現するのか、など詰めた上で改正案を作成するという(42)。
注(1)総理府障害者対策推進本部担当室監修「障害者施策の基本 基本法令・基本計画・関係資料」中央法規出版 一九九五年。
(2)笛木俊一「法における『障害者』概念の展開――社会保障法領域を中心とする試論的考察(上)」『ジュリスト』七四〇号 一九八一年。
(3)刑法草案註解によれば九四条を設けた理由は次のとおりである(日本立法資料全集8 旧刑法別冊(1) 刑法草按注解 上 信山社 一九九二年による)。
日本ニテハ聾唖ヲシテ暗号ヲ用シムルノ法欧州ノ如キ者アルヲ見ズ」故ニ重罪又ハ軽罪ヲ犯シタル聾唖ヲ宥恕スルハ法律其当ヲ得ルト言フベシ而シテ聾唖ハ年ノ老幼ヲ問ハズ十二歳以下ノ幼者ト斉シク智力ヲ有セザル者トシテ処分スベシ
また、刑法草案の編集会議の記録である「刑法草案編纂日記抜鈔」において、つぎのような下りがある。(日本立法資料全集29 旧刑法〔明治13年〕(1) 信山社 一九九四年所載)。
一聾唖罪ヲ犯セハ宥恕減軽ニ付シ其刑ヲ軽クスル事ヲ此刑法ニ出スヘキヤ如何ト議ヲ起ス者アリ
一各国刑法中現ニ白耳義国ニ於テハ幼者ト同シク其刑ヲ軽クセリ 然ルニ此刑法酌量減軽ノ法ヲ設クル上ニ於テハ聾唖ト雖モ宥恕減軽ノ章ニ入ルルニ及ハス若シ又宥恕減軽ノ章ニ入ルヘシトセハ廃篤疾者ノ部中ニ含ム者トシテモ宜シト謂フ者アリ
一衆議聾唖ノ為メ別ニ減軽法ヲ設ケスト決セリ
一草案第五十七条廃篤疾者ト称スル者本邦旧来支那律ニ依リ定メ来リシ事アリト雖モ此刑法頒布ノ後ハ付録ヲ以テ廃篤疾者ノ限リヲ定メントス依テ此議ヲ残セリ
(4)麻生光洋他「刑法の一部を改正する法律について」『法律のひろば』四八巻六号 一九九五年。
(5)団藤重光編『注釈刑法(2) 総則(3)』有斐閣 一九六九年。
(6)「一、道交法八八条にいう『口がきけない者』の意味。二、右規定にいう『口がきけない者』にあたらないとされた事例」『東京高等裁判所判決時報(刑事)』二三巻一一号 一九七二年。
〔運転免許試験場長が被告人を道路交通法第八八条第一項第二号該当の言語障害者と認定したことについて〕「右条項にいう『口のきけない者』とは、『おし』をいい、言語発声の機能をまったく失っている者を意味し、言語発声の機能に障害があるに過ぎない者は、これにあたらないものと解すべきだからである。前記認定のとおり、被告人には〔先天性脳性小児麻痺により〕言語発声機能にかなりの障害があり、発声はできるが常人には聞取ができないところがある・・」
(7)江木衷『現行刑法原論巻之四』東京法学院 一八九二年。
(8)南雲庄之助『刑法修正理由』 集文館書店・深谷書店 一九〇七年において倉富勇三郎(司法省参事官)の所説として引用されている。倉富はこれよりはるか以前にドイツやイタリアでは<イン>唖者の刑は懲役五年以下であるという例を引いている(『刑法講義』 監獄官練習所 一八九二年)。
(9)田中邦夫「人権と障害者 保障と障壁(二)」『レファレンス』四七巻九号 一九九七年。
(10)「改正刑法仮案」法曹会 一九四〇年。
(11)年代順に、「改正刑法準備草案」(一九六一年一二月 刑法改正準備会)。「参考案(第一次案)」(一九六九年一二月 法制審議会刑事法特別部会小委員会)。「第二次参考案」(一九七一年一〇月 法制審議会刑事法特別部会小委員会)。「改正刑法草案」(一九七一年一一月 法制審議会刑事法特別部会)。
「改正刑法資料(五)改正刑法草案・刑法・改正刑法準備草案・参考案(第一次案)。第二次参考案対照条文」法務省刑事局 一九七三年三月。
(12)「改正刑法準備草案 第一部説明 一犯罪」『刑法雑誌』第一一巻一・二号 一九七一年。
ちなみにこの改正刑法準備草案で第一七条は「(刑事未成年)十四歳に満たない者の行為は、これを罰しない」。第一五条は「(精神障害)<1>精神の障害により、是非を弁別する能力のない者又は是非の弁別にしたがって行動する能力のない者の行為は、これを罰しない。<2>精神の障害により、前項に規定した能力が著しく低いものの行為は、その刑を軽減することが出来る。」であった。一九〇七年刑法と改正刑法準備草案との対照表においては第四〇条はこのあたりに置かれていた。
(13)前掲。「刑法の一部を改正する法律について」。
(14)「耳が聞こえず言葉も話せないことなどから被告人の訴訟能力に疑いがある場合と刑訴法三一四条一項本文による公判手続きの停止(最決平七・二・二八)」判例時報 一五五三号 一九九五年。
(15)前掲。「刑法の一部を改正する法律について」。
(16)「・・唖者教育の発達は唖者に普通人と同じ責任能力を認めることが適当と考えられることも多い。唖者が普通人と比べて精神の発育に差異が生ずることは認められるが、そういう人間の責任能力を考慮するには、心神喪失、心神耗弱に関する規定を活用し、これに準拠するのが適当であろう。従って〓唖に関する規定はむしろ削除することが適当であろう」(滝川幸辰編『刑事法学辞典』有斐閣 一九五七年)。
(17)松本晶行「不当法制改正への課題」『季刊ろうあ運動』四七号 一九九〇年。
(18)渡辺修「聴覚障害者と刑事裁判の限界――最決平成七・二・二八を契機に」『判例タイムズ』八九七号 一九九六年。
(19)結局施行されぬまま現民法の制定、施行となった。
(20)民法第十一条の旧規定は「古いローマ時代において、身体的に大きな欠陥を有するひとを『怪物』(monstrum)と呼んで、その法的人格を否定した、野蛮にして残酷な意識の残滓である、とすら極言することができよう」(石田喜久夫「民法及び民法施行法の一部を改正する法律」『法律時報』五二巻三号 一九八一年)。
(21)鴫谷潤「聾者、唖者、盲者に対する準禁治産制度の改正」『立法と調査』九一号 一九七九年
(22)鈴木ハツヨ「第11条(準禁治産者)」(谷口知平編『注釈民法(一)総則(一)』有斐閣 一九六四年所載)。
(23)梅謙次郎『訂正増補 民法要義巻之一』法政大学 一八九五年。
(24)中川善之助「『身障者差別を助長する法律』?」『法学セミナー』二一二号 一九七三年。
(25)前掲「第11条(準禁治産者)」。
なお第一一条の改正案の出された第八十七回国会の質疑における法務省の答弁によると、一九七五〜七七年の三ヵ年における準禁治産宣告百二十件のうち聾者、唖者、盲者というだけで準禁治産宣告をしたと考えられるのは七件であったという(第八十七回国会衆議院法務委員会議録第十号 一九七九年四月二十七日)。
(26)「家庭裁判所は、なお準禁治産制度の目的からみて、当該の場合にその宣告をする必要があるかどうかを判定すべきである」(我妻栄『民法講義総則』)。
(27)村松孝徳『障害者運動は法を変える 民法第一一条改正要求運動の論理』たいまつ社 一九七九年。
(28)第八十一回国会請願第五四号(一九七七年七月三〇日受理)。「ろうあ者が必要に迫られ、融資の申し込みを銀行・信用金庫等に行うと、保佐人を要求されることがしばしばある。これは、民法第一一条によって、ろうあ者イコール準禁治産者と理解されているからである。独立して世帯をもち社会的に自立して生計を営んでいるろうあ者にとって、この種の理解は屈辱的であるだけでなく、新たな差別と偏見の助長の要素となっている。聾者および唖者をここに掲げる必然性はない。民法第一一条は、前近代的な障害者観を反映したものであり、ろうあ者の生活権利を奪い、差別と偏見を助長する存在であるから、すみやかに請願の趣旨の実現を願う」(前掲「聾者、唖者、盲者に対する準禁治産制度の改正」の要約による)。
(29)第一一条改正時の衆議院法務委員会で提案理由中の「これらの者が社会生活上種々の不利益を受ける懸念もなしとしない」という語句の説明を求められた法務省は、誤解に基づく極端な例と断りながらも、市町村によっては聾者、唖者、盲者が印鑑登録をするにあたって裁判所で準禁治産宣告を受け、保佐人によって行ってもらいたいという条例を制定し、また銀行の中にはやはり準禁治産宣告を受けた上での保佐人によって銀行取り引きをすることを勧誘していたという例をあげている(『第八十七回国会衆議院法務委員会議録』第十三号 一九七九年五月二十二日)。
(30)前記の請願に対し、内閣から参議院に報告された処理経過(一九七七年一二月二六日)は、「民法の規定上、心神耗弱者と並べて聾者、唖者を掲げていることは問題なしとはしないので、聾者・唖者の文言を削除するかどうかは、検討に値する問題である」(法務省主管)と述べる(前掲「聾者、唖者、盲者に対する準禁治産制度の改正」の要約による)。
(31)津田賛平「『民法及び民法施行法の一部を改正する法律』の概要」『法律のひろば』三三巻四号 一九八〇年。
前掲「聾者、唖者、盲者に対する準禁治産制度の改正」。
(32)改正前の時点においてある聴覚障害者は次のように述べている。
民法第一一条と刑法第四〇条を対比すると、聴障者を無能力者とする視点は同一であるが、聴障者の正常な社会人としての生存権、人格に対する差別と制限と侮辱であることにおいて、前者は後者にくらべるべくもなく不当であるといえる。
だが、法学者は理論上は不当であり、疑義ありとしても、自己の利害に直接関わりがないが故に実際に改正の手続きをとることはしない。行政当事者にとっては、それが蔑視的、差別的規定であるかどうかは関心外であり、関心があるのは法執行上の利、不利のみなのである。(村松孝徳「民法第十一条改正問題とは何か」『日本聴力障害新聞』二六四号 一九七三年七月一日)。
(33)改正時点より前のものであるが、「聾者、唖者、盲者は、別に精神能力が劣るわけでなく、目明きより遥かに頭のいい人もいるが、民法はこうしたものを含めているわけで、立法論としてはおかしいといえよう」(星野英一『民法概論T』良書普及会 一九七一年)などはその典型的なものである。
(34)中園秀喜「株式会社ワールド・パイオニアの抱えている問題」『聴問研会報』第一一五号 一九九八年。
(35)視覚障害者の場合点字機によって作成された遺言書は、タイプやワープロによるものと同様、自筆遺言証書ではないとされる(瀬戸正二「遺言能力」『判例タイムズ』六八八号 一九八九年)。この種の遺言の長所である秘密性を保つため、テープ録音との併用、といった方法が考えられてもよいと思われる。
(36)山田裕明「公正証書遺言と聴覚障害者差別」『法学セミナー』五二二号 一九九八年。
(37)『公正証書遺言異議申立書』平成九年九月二日。
(38)民法第九六九条の欠陥について従来の法学者によって指摘されたものは見当たらず、むしろ現在の取り扱いはおかしいと気づいたのは公証人であったという(前掲「公正証書遺言と聴覚障害者差別」)。「『口授』のほかに『筆談・手話』を加えるべきであろう」とする者があり(原島克己「遺言の趣旨の口授 遺言実務ノート(その二)」『判例タイムズ』七三八号 一九九〇年)、筆記が口授に先行してもよいという判例があり、また読み聞かせより閲覧の方が正確であるから、閲覧を排除する理由はないとする者もある(瀬戸正二「遺言事項の筆記及び読み聞かせ」『判例タイムズ』六八八号 一九八九年)。
(39)第百四十国会衆議院法務委員会における法務省民事局長答弁(『第百四十回国会衆議院委員会議録』第九号 一九九七年五月二八日)。
(40)『東京法務局長決定書』平成九年十二月十五日。
(41)前掲「公正証書遺言と聴覚障害者差別」。
(42)『朝日新聞』一九九八年一月九日朝刊、『読売新聞』一九九八年一月九日夕刊。
b.著作権
複写機の普及や、電子メールとインターネットに代表されるような無線および有線による情報伝達手段の発達によって、著作権の問題があらためて取り上げられている。国立国会図書館の雑誌記事データベースを見ても、最近発表される著作権についての論考は、その大部分が電子メディアに関連するものである。
人権と障害者の視点から著作権を考察するにあたっては電子メディアもさることながら、一般的な意味での情報メディアの問題は避けて通れない。ここでは障害者の情報保障をめぐる問題が集約的に表れていると思われる図書館における諸問題を先ず最初に取り上げてみたい。
望月(1)によれば図書館資料にアクセスできないもののケースとして表19のようなものがあるが、これでみられるようにこれらの障害者は本来の形態の資料にアクセスできないということから、活字本の点訳や音訳あるいは電子化、ビデオの音声の字幕や手話による視覚化といったメディアの変換が必然的に要請されることになる。ここに著作物の利用や複製を規制する著作権法との抵触が起こる理由が発生する。
点訳と音訳(録音)
障害者の中では視覚障害者が法制度の中でも比較的配慮されてきたが、表20、21に示すように視覚障害者を対象とした点字図書などを作成する場合、著作権が制限される国がかなりある。日本でも著作権法(昭和四五年法律第四八号)第三七条によって点訳については無許諾で行うことができる。
ただし旧著作権法(明治三二年法律第三九号)にはこのような条文はなかった。新著作権法のこの条項については著作家側の反発もあったようで、審議の際の作家石川達三(当時著作権団体協議会会長)の参考人としての発言(5)として次のようなものが残っている。
「三十七条の盲人のための点字や録音の自由利用、これは非常に問題の多いところでして、前から私ども文部省の当局の方にも申し上げておるのですが、盲人に対する福祉というのは、著作者の権益を政府が取り上げて盲人に与えるというような形であるべきものじゃなくて、盲人に対する福祉は政府がやるべきことであって、政府がわれわれ著作家からその著作物を買い取って盲人に与えるというなら話はわかりますけれども、われわれから無償で取り上げて盲人に与えるというのでは、筋が違う」。
「点字訳をやっておられる盲人の点字図書館ですか、そういうふうなところ、あるいは個人でやっていらっしゃるところから、われわれのところにときどき注文が参ります。これこれの作品を盲人のために点字訳したいがよろしいか、そういう場合には、私たち、私ばかりじゃなく、同業者ほとんど全部ですが、無条件でみんな承諾してまいりました」。
承諾を与えない著作権者は現実にいなかったわけではない。この場合視覚障害者はその作家・作品に対するアクセスを断念せねばならなかったということも考えねばならない。しかし承諾を求める慣行があった以上、三十七条によって無許諾で行うことができるとされた点に著作家が抵抗を感じることは理解できないでもなく、「無償で取り上げて盲人に与えるというのでは、筋が違う」というのは一理はあるかもしれない。
対面朗読についても第三八条一項の「営利を目的としない口述」として認められている。また図書館等における複製について規定した第三一条では「図書館資料の一部を調査・研究の目的で複製する場合」が認められており、その「一部」は半分以下という解釈が定説になっているので、本の一部の拡大コピーや音訳などのリクエストに援用できる(6)。
他の多くの手段についてはおおむね著作権者の許諾が必要である。視覚障害者のためのメディア変換において問題となりやすいのは音訳=録音であって、点字図書館および著作権法施行例第二条に列記して認められている視覚障害者関連の施設(7)においては点字訳の場合と同様無許諾で行えるのであるが、一般の図書館の場合著作権者の許諾を得ることが簡単でないことがままある。
やや古いデータであるが1988年の東京都公立図書館図書館利用に障害のある人々へのサービス研究会の調査(8)によれば、録音図書製作にあたり許諾を求めた際の拒否及び未回答の率は図書館によって異なるが0〜20%の範囲であり、平均して10〜20件に1件程度の拒否または未回答があるようである。拒否の理由としては無料での録音を認めないという他、それまで許諾したものが障害者以外に利用されている、メディアの変換を認めない、内容が陳腐化している、録音技術に不安がある(9)、などがあげられている。
同じ年の参議院文教委員会会議録(10)では録音を拒絶した著作家として読者のきわめて多い三人の小説家(11)の名があげられており、理由としては「読まれるために書いた。音声化で味わいが失われる」、「依頼の文書がお役所的」というようなものとされていたという。この三人の作家はいずれも故人となっているので、その作品がどのような扱いを受けているかはわからないが、視覚障害者が「読む」というアクセス手段を封じられている以上、メディア変換に理解をもつのが作家としての感性であろう。他にもこのような作家は存在するが、著書が図書館に所蔵された場合それがどのように利用されるかについて、著作家が許諾を求められることはないのを想起すべきである。録音図書の場合ダビングが行われる可能性があるというが、図書の場合も館外貸出しを認めている以上全体を複写される可能性は常にある。犯罪行為であることは同じであって、録音図書の場合のみ犯罪者の存在を前提としての議論があるのはいささか理解しがたい。
なお視覚障害者のために点字、録音図書、大活字、デジタル化などの変換を行って提供するボランティア・グループがいくつか存在するが、それぞれが許諾を得るのに苦心している。一方、著作権者があらかじめ録音を始めとする視覚障害者のためのメディア変換を許諾することを著作に明記するEYEマーク運動もある(12)。
IFLA(国際図書館連盟)の盲人図書館部門は一九九三年のバルセロナ総会において八項目からなる「すべての人々の情報アクセスに関する声明」(13)を発表した。その中で著作権に直接関係する部分の大略は次の通りである。
六.よってこの機会にすべての人々のアクセスする権利を受け入れ、著作権及び知的所有権に関する立法を行うことが重要である。
著作権法の起草や改訂にあたる人々に対して、活字メディアを読むことのできない者に対して特別の配慮をなすべきであることへの注意を喚起すべきである。
これを受けて一九九七年に英の王立全国盲人研究所(RNIB:The Royal National Institute for the Blind)が欧州連合(EU)、英語使用国及びノルウェーの図書館関係者や盲人団体関係者に対して活字情報へのアクセスに関する十項目のアンケート調査(14)を行った。表21はその第一設問である「公刊物の代替形態の複製を合法的に行うにあたり、著作権者の許諾は必要か、また事前あるいは事後の通知が必要か、法律ではどうなっているか」への回答を要約したものである。
表20で見るように日本と中国は点訳に関する限り無許諾でよいが、表22によるとそれと同じ、あるいはそれ以上に視覚障害者のためのメディア変換を法的に認めている国はイギリスを除く英語使用国、北欧諸国、ポルトガルといったところで、南アフリカがそれに準じる。もっともこれらは法的に明確な場合であって、スペインやベルギーの例に見られるように従来の慣行や「暗黙の合意」によってメディア変換による複製は行われているようである。なおこの表にはまとめきれなかったが、録音や大活字本、あるいは電子媒体に入力した場合の扱い、代償金の有無など無許諾を認めている国でも一様ではない(15)。
音声情報の変換
テレビや映画は映像と音響を総合したものであり、加えて多数のものが制作に携わっているので聴覚障害者のために字幕を付与するための著作権処理はきわめて煩雑であり、テレビ放送に字幕を付けたビデオを作る場合の著作権処理は、<1>テレビ放送をビデオテープにする。<2>複製を行う。<3>音を文字に変える。<4>文字を映像に重ねる。<5>聴覚障害者に視聴させる。以上の項目についてそれぞれ許諾を得る必要がある他、俳優、脚本家、原作者、音楽作成者、同演奏者、美術担当者などの著作隣接権まで問題になる可能性があるという(16)。
セリフ等を字幕にするにはある程度の要約・改変が避けられない。しかし一九八五年の著作権審議会第7小委員会の報告書(17)によれば、これが著作権法の著作者人格権の中の同一性保持権に抵触する、すなわち第二〇条第一項は「著作者は、その著作権及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする」と規定し、一方同条第二項四号で「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」には第一項の効力は及ばないとしているが、字幕作成の際の要約はこれにあてはまらないという指摘がなされている。なぜ「目的に照らしやむを得ないと認められ」ないかは不明であるが、字幕(手話の挿入もそうであるが)が画面上に出ることによって、画面をそこなうという指摘もあり、日常生活と結びついたテレビ番組を聴覚障害者のためにメディア変換しようとする場合は、活字の音声化等の場合と同様に著作権法が障壁となることがわかる。
聴覚障害者のためにビデオに字幕や手話を付けて貸出すことを目的とする施設に聴力障害者情報文化センターがあり、一九八一年に社会福祉法人として認可を受けている(18)。この事業はやがて地方の施設と連携したものとなり、現在では図2に示すように、著作権についても著作権管理団体や同センターが窓口となって各著作権団体と交渉するという形になっている(19)。つまり現実には字幕ビデオ作成に関する著作権処理の窓口は聴力障害者情報文化センターに一本化されている。これは約三年近くの間放送事業者、権利団体と話あった結果、権利者側の事務の煩雑さ避けるために、申請から受け渡し、報告、費用の請求等すべての窓口を一つにしてほしいとの強い要望により一本化されたものである。ただし法的には図2の上段に示したような各団体ないし事業者との、あるいは下段に示した各地の聴覚障害者情報提供施設との、それぞれ個別の契約の集積からなっているのである(20)。
日本図書館協会や聴覚障害関係諸団体の働き掛けもあり、一九八八年の著作権法改正の際、両院の文教委員会で聴覚障害者のための著作権制限、つまり字幕付与に対する許諾の条文化について論議されたが(21)(22)、文部省側は字幕作成には音声内容の要約には翻案権が働く(23)とか、作成されたものが一般健常者に流用されるのではないか等の理由をあげて消極的であった。しかし字幕付与のための著作権処理機関を一本化するのが望ましいとする方向は示した。ただしこれらの面での著作権法の改正は今に至るも行われていない。ただその時の著作権法改正可決時の「政府は、文化の発展に寄与する著作権保護の重要性にかんがみ、著作権思想の一層の普及に努めるとともに、次の事項について、適切な措置を講ずべきである」とした付帯決議の第六項として、「視聴覚障害等の障害者が、公表された著作物を適切公正に利用することができる方法を検討すること」とされた
(24)
。図2にある聴覚障害者情報提供施設は、一九九〇年に老人福祉法等の一部を改正する法律の一部として、身体障害者福祉法や社会福祉事業法で規定されていた従来の点字図書館等を拡充する形で新たに定められた視聴覚障害者情報提供施設の一つであって、身体障害者福祉法における新しい条文は次の通りである。
第三十三条 視聴覚障害者情報提供施設は、無料又は定額な料金で、点字刊行物、聴覚障害者用の録画物その他各種情報を記録したものであって専ら視聴覚障害者が利用するものを制作し、又はこれらを視聴覚障害者の利用に供する施設とする。
これは福祉法であるためもあってか著作権については触れるところはないが、前記の付帯決議の示した方向上にあるものといえよう。一九九六年二月の資料(25)で一部予定とあるものを含めると、現在では全国にある施設数は約二十である。
著作権法で字幕に触れた条項として表22のようなものがある。イギリスの場合を除いては字幕という言葉は明示されていないが、聴覚障害者を対象としているのであるから字幕を意味しているとしてよいであろう(26)。ただここで考えなければならないのは英米等では放送時間の半分以上が字幕番組であり聴覚障害者はそれを見ることができることである。一方我が国では字幕番組が少なく、そのために番組を録画して字幕を付与し、それをあらためて聴覚障害者に見せるという段階を踏まざるをえず、この項の最初に述べたような著作権法上の問題が生じやすいことになる(27)。放送番組そのものに字幕を付けることと、放送された番組に字幕を付けて提供することでは著作権法上の違いが大きい。
著作権法と障害者との関わりは、人権の見地からは著作権の使用を無料にするというよりは、むしろメディアの変換を権利として認めるという点において考察されるべきであろう。障害者は一般に公刊されているメディアではその著作物を享受できない場合があるのであって、その故に点訳、朗読、字幕や手話の付与、電子化といったメディアの変換を必要としているのである。それ以外に手段がないことを考えれば、前記のIFLAの声明にも見られるように、メディアの変換を権利として認めるという考え方も首肯されるであろう。ただその場合著作権者の財産上の権利は尊重されねばならないし、一方で著作権者の恣意が障害者の情報へのアクセス権を侵すようなことがあってはならない。著作権者は自己の著作に関して著作権法の保護を受ける権利を持つのであるから、同時に自己の著作に対するアクセスが可能な限り広く行われるように協力する義務があると考えるべきであろう。
ここで参考となるのは表21に示したスウェーデンの例であって、これは録音図書の場合であるが、著作家連盟へ報告するという制度により著作家個人の介入は避けられ、一方で著作家は代償金を政府から得られる。点字、字幕を含めてこのように事後報告を原則とし、一方で代償金を保証することによって著作家と障害者双方の権利は守られるのではないであろうか。現在無料となっている点訳にも代償金が支払われることになるのは問題であろうが、テレビ番組の字幕については制作費の半額を補助する基金の制度もあり、書籍の印税分ないしはせいぜい1冊分とすれば点訳等に対しても公費の補助があってもおかしくはない。
このような著作権者の意志を無視するような方法には抵抗があろうが、著作権法には実はすでに次のような規定がある。
(著作物の放送)
第六十八条 公表された著作物を放送しようとする放送事業者は、その著作権者に対し放送の許諾につき協議を求めたがその協議が成立せず、又はその協議をすることができないときは、文化庁長官の裁定を受け、かつ、通常の使用料の額に相当するものとして文化庁長官が定める額の補償金を著作権者に支払って、その著作物を放送することができる。
旧著作権法時代から引き続く制度で、放送の果たすべき公共的機能を円滑に発揮しうるよう著作権者側の権利濫用を抑制する旨に出たものとされるが、現実に利用されたこととはないともいう(28)。点訳を無許諾で行えるのを法定許諾というのに対しこれは強制許諾といわれるが、これに似た考えは前記の参議院文教委員会での論議で文化庁側からも紹介されている。専ら障害者を対象とする場合は文化庁長官の裁定に従うという考え方は、諸外国に例のないということがとくに著作権法の場合ネックとなろう。しかし日本の場合特有の事情があるともいえる。例えば用いる文字が複雑であるという事情もあって、先に述べたように字幕番組の放送時間が少なく、同じ理由でアルファベットを使う国々では常識となりつつある活字を直接読みとって音声化するリーディング・マシンの普及も非常に遅れている。一般的に言っても障害者の情報保障が不十分である現状などを考えると、障害者の情報へのアクセス権にもっと配慮した著作権法が望まれるのである。また、元来放送に関しては著作権法を云々する以前に電波という公共物を使用しているという条件もあり、放送が障害者等一部の人に伝わらないと言うことは、その義務を怠っているとも考えられるのである。
なお、建築物についても著作権は成立するが、建築後の改修について著作権者である建築家側から異議の出た例があるという。障害者の便宜のための改修である場合、それに対してこのような異議が出るとどうなるであろうか。障害をもつアメリカ人のための法律(ADA)のあるアメリカでの判例などを注視すべきであろう(29)。
著作権といえども財産権の一つであり、憲法第一二条の権利の保持の責任とその濫用の禁止の埒外に出るものではなく、また第二九条に定められているように財産権は公共の福祉のために制限されることもありうるのである(30)。
注(1)望月優「障害者サービスと著作権」『みんなの図書館』二四〇号 一九九七年
(2)『著作権関係法令実務提要』第一法規。
(3)Copyright laws and the rights of blind people: A review of copyright legislation as it affects access to the written word through alternative formats; A report published by RNIB. (http://www.rnib.org.uk/wesupply/publicat/copyr.htm)
(4)White House Press Release: Statement of the President, September 17, 1996. (http://www.aimnet.com/~carroll/copyright/HR3754-Clinton.html)
(5)『第六三回国会衆議院文教委員会著作権法案審査小委員会議録』第五号 一九七〇年四月二日。
(6)前掲「障害者サービスと著作権」。
(7)著作権法施行例第二条において規定されており、児童福祉法にいう精神薄弱児施設等、身体障害者福祉法による身体障害者更正施設および視聴覚障害者情報提供施設、学校図書館法の学校図書館、老人福祉法による老人福祉施設、学校教育法でいう大学に設置された図書館及びこれに類する施設、以上のうちもっぱら視覚障害者を対象とするものである。
(8)佐藤寿子「録音図書製作における著作権処理の実態」『図書館雑誌』八三巻一二号 一九八九年。
(9)江戸言葉を正確に話す人がいないというものもあったという。許諾拒否ではないようであるが、大阪弁の部分は大阪出身者に読んでほしいという要望もあった由で、そこまでこだわるのであれば、極端に言えばそういう主張をもつ作者の出版はカセット、CDの類に限ればよいのではないかとも言えよう。あるいはコンピュータの機械音声で読み上げるのなら仕方がないということであろうか。著作者が著書の活字や装丁等に対してどの程度発言権を有するのかについての資料はないが、音声の場合いささか過敏のように思われる。
(10)『第百十三回国会参議院文教委員会会議録』第三号 一九八八年十月二十日。
(11)川端康成、松本清張、池波正太郎。
(12)http://member.nifty.ne.jp/eyemark/
図3のような表示を奥付等に印刷するのが普通であるが、許諾を示す文章は一定しておらず、またマークを付さないものもある。著作権者や出版社への連絡は事前というのが原則であるという。
(13)Statement on Access to Information for All. IFLA Journal 19(1993)4.
(14)前掲 Copyright laws and the rights of blind people: A review of copyright legislation as it affects access to the written word through alternative formats; A report published by RNIB.
(15)例えばアメリカの追加一二一条も、その条文発表に付けられた想定問答に、大活字が「盲人及び障害をもつ人々のための特殊形態」には含まれないと明記してある。(Copyright Law Amendment, 1996: PL 104-197.)(http://www.loc.gov/nls/reference/facts-cop.html)
(16)中博一、下出隆史、亀田桂子、小峰一晃他「字幕を取り巻く状況」『字幕専門分科会・第十五回全国要約筆記問題研究集会(東京)報告集』 一九九八年。。
かつて著者がテレビのあるドキュメント・シリーズに字幕を付けられないかとNHKに問うたところ、BBCなどから提供されたものを多く含んでいるので著作権上難しいとの返事であった。考えてみると映像の編集、解説の翻訳などは行われている。これらは契約上当然のものとして含まれていたのであろうが、今後は障害者のための種々の形でのメディア変換の許可をも当然のものとして含むようになるべきであろう。表22のイギリス著作権法からは、放送時の字幕付与は著作権の侵害とはならないとも考えられる。
(17)『著作権審議会第7小委員会(データベース及びニューメディア関係)報告書』文化庁 一九八五年。
ボストンの字幕制作施設で筆者が、「画面が字幕によって損なわれるというような苦情はないか」と質問したところ「クローズド・キャプションであるので選択したときのみしか字幕は出ないから、そういう議論はない」という回答であった。クローズド・キャプションとはテレビで特定の機器を用いた場合のみ字幕が出るシステムであるが、この報告書や(23)に述べるユネスコとWIPOの作業部会の時点では、このシステムの概念が必ずしも一般的でなかったことは想起されねばなるまい。日本で字幕放送が開始されたのは一九八五年である。
(18)山城秀雄「情報文化センターの役割(平成5年度みみより会総会講演)」『みみより』四二七号 一九九六年。
(19)中博一「聴覚障害者と著作権問題」『ノーマライゼーション』一六巻五号 一九九六年。
(20)中博一「字幕ビデオ制作に係る著作権」群馬県聴覚障害者コミュニケーションプラザ 字幕要約研修会資料 一九九八年。
(21)『第一一二回国会衆議院文教委員会議録』第十一号 一九八八年五月十八日。
(22)『第一一三回国会参議院文教委員会会議録』第三号 一九八八年十月二十日。
(23)文部省の見解は、万国著作権条約政府委員会とベルヌ同盟執行委員会の合同会議(一九八一年十一〜十二月、パリ)の勧告に従って開催されたユネスコ及びWIPO(世界知的所有権機関)の共催による視聴覚障害者の著作権問題に関する作業部会(一九八二年十月二五日〜二七日、パリ)における議論を理由としていると思われる。同部会では字幕と著作権に関する問題も討議されたが、次のような報告が残っている。
視聴覚障害者のためにフィルムや他の視聴覚的著作に字幕を付けるということに関して、このような字幕を付けることは翻案権の問題を含むという見解に作業部会は同意した。大多数の国の国内法及び国際著作権条約の両方におけるどの種類の例外とも、あるいは任意によらない許諾とも、このような字幕を付けることは相容れない。
"Working Group on Access by the Visually and Auditory Handicapped to Material Reproducing Works Protected by Copyright (Paris, October 25 to 27, 1982): Report. Copyright 18(12) 1982.
当時と今とでは著作権法をめぐる環境も異なり、マルティメディアの発達からメディア変換も日常的なものとなっている。マルティメディア的情報においては視覚とか聴覚とかいった情報の態様による変形や欠落や付加がある程度は避けられないものなのであって、これはマルティメディアという以前にむしろ自然というべきである。著作権法上の議論は議論として、人々はそういったズレをも含んだ情報に接しているのが現実であり、情報がマルティメディア的に伝達されるようになった現在はなおさらである。情報の意味内容への総合的アクセスと言った見地から、上記報告のような厳格主義的な議論は考え直す時期になっていると思われる。
(24)JLA障害者サービス委員会聴覚障害者に対する図書館サービスを考えるワーキンググループ「聴覚障害者と著作権法改正 『著作権法の一部を改正する法律案に対する付帯決議」 『図書館雑誌』八三巻四号 一九八九年。
なおこれは参議院における決議であり、衆議院文教委員会での可決時には「視聴覚障害者」が「聴覚障害者」であった。
(25)『全国の情報提供施設一覧表』(http://galaga.jaist.ac.jp:8000/~tokuda/deaf/iservice/list.html)
(26)アメリカのこの条項の存在を指摘された当時の文化庁次長は、「…百十条の八項に障害者に対する規定がある。これはただその字幕に関しては規定していないというふうに私は考えますけれど、視聴覚障害者あるいは身体障害者に対しての規定があることは事実でございます」と答弁している。字幕以外を送信することと解するとすれば手話の挿入でも想定していたのであろうか。
前掲『「第一一三国会参議院文教委員会会議録』第三号。
(27)(23)で述べたユネスコとWIPOの作業部会で、視聴覚障害者の著作権問題に関して次のようなモデル規定が提案されている。
A案
(1)国際条約による義務に従うことにより、[規則で定めた]個人又は組織は、視覚障害者のアクセスに供することを目的とする場合は、著作者の許諾を得ることなく、また代償を支払うことなく、公刊された著作物又はその正式の翻訳物を点字によって複製することが許される。ただし商業的利益を目的とするものであってはならない。
(2)[規則で定めた]権限を持つ機関は、[規則で定めた]個人又は組織は、専ら視覚障害者のために用いられるという適正な保障がある場合は、(1)の目的及び条件によって、公刊された著作物又はその正式の翻訳物を、著作者の許諾を得ることなく、また代償を支払うことなく、大活字若しくは録音により複製し、あるいは朗読により放送することを許可することができる。
B案
(1)国際条約による義務に従うことにより、[規則で定めた]個人又は組織は、視覚障害者のアクセスに供することを目的とする場合は、〔規則で定める手続きに従い〕代償を支払うことにより、公刊された著作物又はその正式の翻訳物を点字によって複製することが許される。ただし商業的利益を目的とするものであってはならない。
(2)[規則で定めた]権限を持つ機関は、[規則で定めた]個人又は組織が、専ら視覚障害者のために用いられるという適正な保障がある場合は、(1)の目的及び条件によって、公刊された著作物又はその正式の翻訳物を、〔規則で定める手続きに従い〕代償を支払うことにより、大活字若しくは録音により複製し、あるいは朗読により放送することを許可することができる。
すなわちA案は無許諾・無報酬を、B案は法定許諾・有報酬をそれぞれ原則としている。
(28)加戸守行『著作権法逐条講義 改訂新版』著作権情報センター 一九六四年。
前掲『第一一三回国会参議院文教委員会会議録』第三号。
(29)アメリカでADAを専門とする弁護士に聞いたところでは、「建築物アクセス委員会」という組織があり、これらを通してADAの優位性が確立されているようである。
(30)憲法第一二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力に
よって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。
憲法第二九条<1> 財産権は、これを侵してはならない。
<2> 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
<3> 私有財産は、正当な保障の下に、これを公共のために用ひることができる。