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全身性障害者の語る「家族」−主観的家族論の構築へむけて−
土屋葉
お茶の水女子大学人文科学研究科修士論文(1998年1月)570枚(400字詰・本文+註)
プレーンなテキスト・ファイル版もあります。
目次
†序
第一章 日本における家族研究の動向
第1節 家族研究方法論の展開
1.制度論から集団論へ 〜欧米の場合
2.農村研究から家族社会学へ 〜日本の場合
第2節 家族研究における「家族のきずな」
1.「感情的融合」
2.「感情的係わりあい」
3.理論的背景
4.小括
第3節 個人に焦点を当てる家族研究の動向
1.集団論的パラダイムの乗り越え方
2.個人に焦点を当てる家族研究の系譜
2.1 主観的家族論
2.2 構築主義的家族研究
2.3 ライフヒストリー研究
3.小括
4.本論文における研究枠組み
第二章 「障害者と家族」研究の展開
第1節 障害者をとりまく状況の変化
1.国際障害者年に関わる動き
2.障害者への認識と理解の深まり
第2節 「障害者と家族」研究の展開
1.概要
2.福祉論における「家族」
3.福祉政策との関わりを論じたもの
4.「障害者(児)と親」論
4.1 「悲嘆の過程」からの脱出
4.2 「脱家族」論における「親」論
5.小括
第3節 先行研究の批判的検討
1.「脱家族」論
2.「脱家族」論への批判的検討
□小括
第三章 障害者と家族を規定するもの
第1節 戦後の障害者政策
1.「家族への放置」から施設収容へ
2.「在宅福祉」への転換
3.「障害者プラン」による施策の充実
4.小括
第2節 障害者側からの運動
1.施設に対する運動
1.1 施設建設を求める親たちの運動
1.2 施設からの当事者運動
2.「成年後の親からの独立」の主張
2.1 所得保障の要求
2.2 生活の場への要求
3.青い芝の会の運動 〜「親の愛を否定する」
4.自立生活運動
4.1 障害者運動の転換
4.2 アメリカにおける自立生活運動
4.3 日本における自立生活運動
4.4 日本の運動の特殊性
5.小括
第3節 障害者を規定する諸制度
1.所得保障
1.1 障害者基礎年金
1.2 生活保護
2.介護保障
2.1 ホームヘルプ事業
2.2 介護人派遣事業等
3.扶養義務
4.小括
□小括
第四章 障害者が語る「家族」、「ケア」、「自立」
第1節 「障害者」の世界へ
1.障害者への注目
1.1 「障害者」とは
1.2 行為主体としての障害者
2.聞き取りの概要
2.1 対象者の特性
2.2 データを使用する際の基本的な姿勢
2.3「自立」という言葉への注目
2.4 各節におけいて使用する方法
第2節 介助が生み出す親子関係
1.介助をめぐる議論
2.親が一人で担うことのリスク
2.1 僅かなメリット
2.1.1 「ケアのプロ」〜介助技術的なこと
2.1.2 安心感 〜感情的なこと
2.2 閉ざされた空間で
2.2.1 絶対的な権力を握る親
2.2.2 行為主体になれない子ども
2.2.3 相互依存的な関係
2.3 「親」の限界性
2.3.1 「身体規則」の不成立
2.3.2 子どもの「性」
3.親と他人の不協和
3.1 「親密圏としての家族」の逆照射
3.2 親の介助への介入
4.小括
第3節 「家族」を維持する技法
1.場面の設定
2.介助と親と上手くつきあう
2.1 精神的な親子離れ
2.2 自己決定と割り切り
2.3 思いやりと遠慮
3.他者と親との狭間で
3.1 母親の解放
4.介助の介在の拒否
4.1 「甘え」からの脱出
4.2 「娘」を演じる
5.小括
第4節 「問題」とその対処法
1.介助に伴う「問題」構成
2.「問題」への対応としての技法
3.技法により解決され得ない問題
3.1 「性」は「家族」へ持ち込めない
3.2 「他人」は「家族」へ介入できない
第5節 「障害者家庭」と「普通の家族」、そして「私の家族」
1.主観的世界の多層性
2.リアリティの相互作用
2.1 「家族」の位置づけの変更
2.2 「私の家族」の肯定
3.公的な場における家族定義とのズレ
3.1 「限界まで努力する家族」とのズレ
3.2 「一緒にいるのが家族」とのズレ
3.3 「不幸な家族」とのズレ
4.制度が定める「家族」への対処法
4.1 「世帯単位」の壁
4.2 「同一居住」の壁
5.小括
第五章 結論 〜「自立」の意味するもの
第1節 介助という「しがらみ」からの解放
1.「精神的な距離」を保つこと
2.「家族だから辛い」
2.1 「距離」を保てない
2.2 愛情規範のぶつかり合い
第2節 「障害者家庭」から「ケア」の関係への転換
1.親が固持する「家族」からの脱出
2.「ケア」の関係性へ
3.共生へと向かうベクトル
†参考・引用文献一覧
†謝辞
(40字×30行×189頁)
†序
「家族」が注目される時代である。過剰に(といえるほど)「家族」に関する話題は多く、また専門家や研究者やその他大勢の人が、それぞれの立場から「家族」を語る。もっとも典型的に語られる言葉の一つに「家族は安らぎの場」というものがある。
これを人びとがどのように受けとめているかは定かではないが、ある調査結果がその一端を示している。それは「一番大切なもの」として40%強の人が「家族」と答え、「家族に求めるもの」として60%強の人が「心の安らぎを得るという情緒面」を挙げているというものである。無視できない数の人々が「家族」を一番大切なものと考え、「心の安らぎ」の場であると位置づけているようだ*01。
私自身としては直感的に、家族について語られるものの多くが「いまの家族は病んでいる」、あるいは「家族は安らぎの場である(はずなのに)」という類のタームを含んでいることに対して、すっきりしない気持ちの悪さを感じてきた。こうした「家族」という言葉に強制的な響きを感じ、この裏に見え隠れする「情緒的なつながり」や「きずな」という言葉によって、巧妙に隠蔽されるものがあるのではないかと思っていた。これが本論文における問題意識のはじまりである。
例えば高齢者介護の場面において近年よく使われる、「心のケアは、暖かいふれあいのある家族で行われることが望ましい」という提言がある。しかし一見説得力があるこの提言も、「なぜ「家族」なのか」が問われないままに、「家族」にある責任が課せられるという点では、「高齢者介護は(すべて)家族の手で」という従来のものと変わりはない。一体、高齢者の精神面のケアは完全に家族で担えるものなのか、そして家族が担うべきものなのか、その根拠は何もない。もちろん、高齢者自身にとって家族よりも精神的に頼れる、また一緒にいると心が安らぐ人物が存在する可能性もあるだろう。しかし「家族のきずな」という言葉のために、ある行為をなぜ家族が担うのか、が不問にされてしまう。これは高齢者介護の場面に限ったことではない。
家族を否定しているのではない。「家族」という枠を取り払えば、もっと楽に生きることができるのではないか、どの家族もそろって「安らぎの場」でなくてはならないという根拠もないのではないか。本論文はこうした問題意識に基づき、「家族(のきずな)」について考察を行うことを目的とする。
本論文のもう一つの関心として、「障害者」がある。本論における障害者とは、全身性の、日常的な活動に介助を必要とする身体障害者である*02。障害者に焦点を当てるのは、彼ら自身が特別だからではない。彼らのおかれた幾つかの状況が特別だからである。その一つとして、何よりも「きずな」や「情緒的つながり」がもっとも強調される場の一つ、「障害者家庭」におかれた彼らが、「脱家族」というスローガンを掲げ、地域で生活することを目標とした運動を行ったことが挙げられる。「家族」という場所からいったん出て、「家族」という枠をはずしてみないことには何も始まらない、という彼らの主張は、「家族」の規範性と拘束性に疑問を持っていた私と、思いを同じくしているように感じられた。彼らの主張をより深く知ることで、「家族」の別の側面に近づくことができるのではないかと考えたのが、第一の理由である。
また第二に「ケア」に関わることがある。ここで注目する全身性障害者とは、四肢が不自由な人びとである。具体的には(個人差が大きいが)、移動に車椅子を使用し、言語障害があり、起床、洗面、食事、排泄、移動などの日常動作に手助けを必要とする人々をイメージしてもらえればよいだろう。こうした人々の介助を行っているのは、多くの場合家族である。中心的な役割は母親が担っているが、その場所では家族が支え合うことが往々にして求められる。また当事者の側からいえば家族の手がなければ生きてはいけない状態におかれる。時にはほんの数時間人の手がないと生命が脅かされることもある。こうした状況にある人々にとって家族とは良くも悪くも「重要な他者」である。またそうであるからこそ「障害者家庭」という場所は、「家族」や「家族のきずな」の存在の有無とむすびつけて語られやすい。これが彼らに注目する第二の理由である。
本論文では先に述べた問題意識に基づいて、障害当事者への聞き取りを行い、そこから得られた言葉や、家族についての「語り」に注目するという方法をとる。ここでは「家族」や「家族のきずな」を自明なもの、自然なものとして措定するのではなく、個々人の意識や言説の中で組み立てられ、変容を受けるものとして考察する。というのも、先の問題意識には「家族は情緒的結合によって結ばれた集団である」というような、従来の家族社会学がとってきた、「客観的」な家族定義に対する疑義も含まれているからだ。
本論文がとる立場や、使用する方法については本論で詳しく述べることにするが、ここでは「障害者が家族を語る」ということが、ある特別な意味を持つということについて言及しておきたい。ある男性がこれについて、聞き取りの中で次のように語った。少し長いが引用する。
「…仕事とかさ、障害者であって、地域で暮らすためにはってことで話すじゃない。そうするとやっぱり、おのずと自分の母親とか自分の生い立ちを話さないと話が通じないわけじゃない。考えてみるとおかしなことだと思うんだよね。普通の人だと、オブラートに包んで、話したくなきゃ話さなくても済むじゃん、私生活の顔って違うわけじゃん。けど僕らは障害を持ってるってことでいえば、下手に隠しちゃうと話が続かなくなるわけよね。見せなきゃいけないわけ。見せた上で自分が話す言葉として相手に話していかないと、伝わっていかない。そこを抜いて話しちゃうと、解ってもらえないっていう部分がある。僕らだって話したくないことはいっぱいあるわけだよ。ましてや親子関係とかどろどろした人間関係っていうもの…。普通の人だったら話さなくても生活流れていくけど、僕らそれで生活流れていかないから。隠せるものなら隠したいと思うけどね、でもそこを話さないと中身がないようなものだよね。身体に関わること、それを話さないってことは、自分が生きていくことすら否定することだから、居ることすら。それを話さないでいる障害者で、家族の中で包まれている人達も、世の中にはいっぱいいるわけじゃん、一部で子殺しとかになる人達もいるわけ*03。そうすると、僕らみたいに話していくことがやっぱり自分たちを解ってもらう、一つの不可欠なものだと考えるとすれば、話していかなきゃいけないとは思うんだけど。」
この男性は、「親子関係やどろどろした人間関係について話さないと、自分のことを解ってもらえない」と語っている。家族について語ること、すなわち身体に関わる介助という行為に、大きく関与する家族について語ることは、自らの生活が成立するために必要不可欠なことであるという。これを話さないということは、自分の生を否定することであるとも言う。つまり「家族について語ること」が、この男性にとっては非常に大きな意味を持っているといえる。すべての障害者がそうであるということはできない。しかし少なくとも前にも述べたとおり、重度障害者にとって「家族」とは、自らの身体や生を預ける非常に重要な他者であり、他人に「自分」を理解させる時に語る、必要不可欠な要素となっていることは想像に難くない。ここに全身性障害者の「家族についての語り」に注目する大きな意味が見いだせる(またこれまで、当事者の語りに注目したものがほとんどなかったことからも、その意義を見いだすことができる)。
本論文のおおまかな見取り図を示しておこう。
第一章では家族研究の方法論的なレビューを行う。ここでは本論文を、家族研究の流れの中へ位置づけることを目的とする。制度論的研究から集団論的パラダイムへという流れを概観した後、集団論的パラダイムの乗り越えを目指した幾つかの方法論について検討し、本論文がどのような立場を取るかを示す。また家族研究の中で「家族のきずな」がどのように論じられてきたかということにも言及する。
第二章では「障害者と家族」に関する先行研究のレビューを行う。まず福祉論、地域福祉論における「障害者と家族」の位置づけを概観した後で、「障害者と親」論を見ていく。さらに「脱家族」に言及した論文を幾つか取り上げ、批判的に検討を加える。これは第四章へつながる部分である。
第三章では「障害者と家族」を外的に規定するものの一つとして、制度を取り上げる。ここで明示的に「障害者と家族」の状態、行動などが規定されてきたこと、また現在でも規定されていることを示すことは、それだけで重要な作業である。また障害当事者がどのような状態に対して異議申し立てをし、運動を行ってきたか、何に対して「脱家族」の主張がなされたのかをみることも、ここでの目的の一つである。しかしこれのみに留まらず、第四章において、「家族」が法制度上で明示的に規定されるということが、人々の「家族イメージ」とも連動していること、またこれらと個々人が経験する「家族」との関係を論じる伏線となっている。
第四章では、全身性障害者が語る「家族」について論じる。第二章では研究者が措定する、また第三章では制度が定める「障害者と家族」について論じるが、これらがいわば外在的に規定する「家族」の側面であるのに対して、ここではじめて当事者自らが認識し、経験し、生きられる「家族」を論じることになる。ここでは二つの方法を用いる。一つは幾人かの言葉を切り取って断片的に論じる方法、もう一つは個人の「語り」から得られた、彼らのライフストーリーを深く掘り下げて論じる方法である。ここでは「ケア(介護・介助)」、「家族を維持する技法」、「自立」がキーワードとなる。
第五章ではまとめにかえて、障害者という小さな、しかし実は様々なことが見え隠れする窓から、「家族」を見ることで何がいえたのかについて述べる。
この論文を書くにあたって、私は多くの人々との出会いを経験した。そしてたくさんのことを彼らから学んできた。昨年の春から、私に関わって頂いたすべての方と、お話を聞かせて下さった方に大きな感謝の念を抱きつつ、そしてこれからも未熟な私に、多くのことを示唆して頂きたいと願いつつ、彼らが語ってくれた言葉に、改めて耳を傾けることにしたい。
(註)
*01 前者は1993年の文部省統計数理研究所の国民性調査(『朝日新聞94年7月16日付)』。ちなみに「仕事・信用」を挙げたのは4%、「国家・社会」を挙げたのは1%にすぎない。1958年には家族を一番大切と考えたのは11%にすぎなかった。後者は総理府の調査による『婦人政策の指針』総理府編。20代の男女は共に70%を超える割合でこれを指示している。
*02 「障碍」と表記する人もいる。これについてもさまざまな思いがあるのだが、本論文では便宜上「障害」を使用する
*03 親が障害児を殺すという事件70年代後半から80年代にかけてが連続したことがあった。これについては第三章参照。
第一章 日本における家族研究の動向
ここでは本論文を家族研究の流れの中に位置づけるための、土台となる部分について論じる。第1節では欧米および日本における家族研究の方法論の展開を概観する。第2節では、日本の家族研究の流れの中において、「家族のきずな」がどのように語られてきたかに焦点化して論じる。本論文における中心主題である「家族のきずな」は、日本の家族研究においても中心的に語られてきたものでもあり、これを見ていくことも本論文の位置づけを知る上で重要な作業であるといえよう。第3節では、パラダイム転換が唱えられている現在の家族社会学の状況をふまえ、これを乗り越える方法論を提示する、いくつかの論考を検討し、本論文のとる立場を明らかにする。
第1節 家族研究方法論の展開
1.制度論から集団論へ 〜欧米の場合
ここでは欧米における家族研究を概観し、落合[1989]を援用してそのパラダイム転換を見ていく*01。家族社会学は、十九世紀後半の制度論的研究をはじまりとし、二十世紀には科学的な集団論的研究へと移行する。さらに1950年代以降は集団論的研究が通常科学化する時期にあたる*02。この背景には、「近代家族」が先進国において圧倒的に優勢になった社会状況がある。制度論的研究は、近代化にともなう家族変動を共通のテーマとし、家族をマクロな社会変動の中で論じるものであった。その定式化は「伝統的な三世代世帯から二世代世帯へ」(リール)、「家父長家族・直系家族から不安定家族へ」(ル・プレー)、「父系家族から夫婦家族へ」(デュルケーム)と様々であるが、観念的・理論研究が主であり、実証研究の比率は低かった。これに対して集団論的研究は、マクロな制度論とは一変して社会心理学や心理学の方法を取り入れ、小集団としての家族の相互作用や個人の適応という、家族の内的過程に焦点を合わせたものであった*03。
また制度論的研究は、いくつかの家族類型として「近代家族」をとらえるという比較の視点があったのに対し、集団論的パラダイムは、「近代家族」の特長をこれこそが家族というものだと、家族一般の本質に敷衍していくかたちで通常科学化していく。また白人中流家庭の内的構造を扱い、それをしばしば規範的にとらえてもいた。つまり集団論的パラダイムは「近代家族の影」であると同時に「アメリカの影」でもあった*04。1970年代になると、これがさまざまな反証や批判にさらされるようになる。
2.農村研究から家族社会学へ 〜日本の場合
日本においても、1970年代までは集団論的パラダイムが主流を占めていたが、これが危機に陥っているという(野々山他編著[1996:2])。しかし、日本においては戦後の占領政策における政治的な変化の影響があったことを考慮に入れなければならない。ここでは日本の戦前からの家族研究の流れを概観する*05。
日本における家族研究は、二十世紀前半(戦前と戦中の時代)を一応の始まりとすることができる*06。この時期には、やはり制度論的研究と集団論的研究という二つの方法が誕生する。集団論的研究の源流として、日本の社会学的な家族研究の先駆者である戸田貞三の研究が挙げられる。戸田は、大正九年に行われた国勢調査の調査票を抽出し、家族構成の数量的な分析によって、日本の家族の特長を明らかにした(戸田[1937])。一方、家族制度の質的な研究として鈴木栄太郎、有賀喜左衛門、喜多野清一、及川宏などの研究がある。これら戦前の家族研究は、日本の伝統的な家制度や村落の社会構造との関連で、いわば家−家連合としての同族−村落研究−日本文化の特質といった連関の中で研究されるという構造を持っていた。したがって「家族社会学」と「農村社会学」は不可分なものであった。
戦後、家族研究は二つの流れに別れることになる(池岡[1993:67])。一つは、戦前からの家族研究の流れを継承する、農村家族に重心においた伝統家族の研究であり、もう一つは、アメリカの集団論的な家族研究の強い影響のもとに発展した、「都市家族」に重心をおいた研究である。戦前の研究との連続性は農村社会学の方に担われるようになり、家制度の廃止による西欧型夫婦家族制への政策的な転換をもとに、集団論的研究が優勢になる。戦後の家族社会学はこれを中心に展開していくことになる*07。
しかし1950年代は夫婦家族制の実体はともなわず、理念的な把握にとどまっていた。60年代に集団論的パラダイムによって日本の家族社会学が確立され、70年代には定着・拡大していく。しかし80年代に入ると、言説レベルで「家族のゆらぎ」、「家族崩壊」などがいわれ、シングル指向の強まり、離婚率の上昇、同棲や婚外子の増加などの現象が問題になってくる(池岡[1993:71]、篠崎[1996:323-330])。これらは核家族モデルに当てはまらないものであったため、従来の枠組みを相対化してとらえる視点が必要とされた。いわゆる集団論的パラダイムの危機である。80年以降、核家族を普遍的、自然的なものとし、これらの現象を「家族の危機」ととらえる従来の研究枠組みに対して、歴史学的な視点やフェミニズムの研究が取り入れられるなど、新しい方法論が模索されてきた。この展開については第三節で見ていく。
第2節 家族研究における「家族のきずな」
前節では欧米および日本における家族研究の流れを概観してきたが、ここでは日本の家族研究が、「家族のきずな」または「家族の情緒的結合」をどのように扱ってきたか、ということに焦点化して論じていく。これは日本の家族研究がどのような視座に基づき、これを語ってきたか、その立論の背景には何があったかという面から切り取るという、知識社会学的な試みである*08。
これまでの家族社会学者の多くは、その研究を「家族定義」を行うところから始めてきた。戦前において、家族定義に家族成員の「感情的融合」を重要なものとして挙げた戸田貞三がいる。さらに戸田の影響を受けた森岡清美は「感情的係わり」を挙げており、森岡の家族定義は現在でも最もよく引用されるものである。ここでは戦前と戦後に分けて幾人かの論者を見ていく。さらにこの理論展開の背景を考察する。
1.「感情的融合」
日本の家族社会学の基礎を確立したといわれる戸田貞三は、家族を次のように定義している(戸田[1937=1970:37])。
@家族は夫婦親子およびそれらの近親者よりなる集団である。
A家族はこれらの成員の感情的融合にもとづく共同社会である。
B家族的共同をなす人々の間には自然的に存する従属関係がある。
C家族は、その成員の精神的ならびに物質的要求に応じて、それらの人々の生活の安定 を保障し、経済的には共産関係をなしている。
D家族は種族保存の機能を実現する人的結合である。
E家族はこの世の子孫があの世の祖先と融合することにおいて成立する宗教的共同社会 である。
さらに、家族の一般的性質としてはDとEを除くことが必要であると述べ、これをまとめて「《家族は夫婦、親子、ならびにその近親者の愛情にもとづく人格的融合であり、かかる感情的融合を根拠として成立する》」としている(《》は強調のために引用者が用いる。以下同じ)。さらに上の六つの定式の中でも二番目の、「感情的融合にもとづく共同社会」という側面を重視している。戸田はこの「感情的融合」の理論的根拠をコントとリールに依っている*09。彼らの論じる内容の是非はおいておくとしても、ここで重要なことは戸田が家族の特質として家族成員の「感情的融合」*10を挙げ、これを本来的、自然的であるもののように記述していることである*11。
また鈴木栄太郎も、社会的に承認された永続的な性的関係が家族の本質であるとする。そして都市に生活する夫婦生活にそれを見ることができるとし、さらに「感情的融合」は「おのずから生じる」と説く(鈴木[1940→1968])*12。ここでは夫婦の間の「感情的融合」が自然発生的なものとして論じられている。また、福武直はバージェスとロックに依拠してアメリカの友愛家族を理想とし、「家」と正反対の性格を持つ、情緒的結合に基づく民主的な生殖家族を「近代家族」として、これを目指すべき目標としてとらえている*13。
この戸田に代表される、「感情的融合」をアプリオリなものとし、家族の成立の根拠とする立論に関しては幾つかの批判も寄せられている。例えば喜多野清一は、戸田の家族結合の特質規定は、人間の感情的要因を重視しながらも、論究の手順は、心理学的でも経験的でもなく、論理的抽象の手法に依っていると批判する(喜多野[1987=1970:387])。しかし戸田の定義はその反面、現在においてもよく引用されるものでもある。
2.「感情的係わりあい」
次に戦後の、戸田の論に大きく負っている森岡清美の家族定義を少し詳しく追っていく。森岡の定義は次のようなものである。
「家族とは、夫婦・親子・きょうだいなど、少数の近親者を主要な成員とし、《成員相互の深い感情的係わりあいで結ばれた、第一次的な福祉志向の集団》である。」(森岡[1972:3])
これは現在の家族社会学において、もっとも使用されることの多い家族定義である。森岡・望月による『新しい家族社会学』(1983)は教科書としては異例の売れ行きを見せたという(石原[1992:68])。これは二十年来培われてきた集団論パラダイムに基づく家族社会学の、体系化の一つの到達点として位置づけられる。
森岡はこの定義について、戸田[1937]に追随し、家族は感情的融合に支えられた集団であることを強調したものであることを認め、「家族内の人間関係に、全生活的な共同と近親者としての愛着にもとづいた、非打算的な感情融合が支配していること、のみならずそれが家族に希求されていることは明らかである」と述べる。
しかし森岡は、家族における人間関係には、実際には、感情のくい違いや緊張や葛藤が存在することを指摘し、「感情的係わりあい」はこうした点も含めて理解すべきであるとも述べており(森岡[1993:4-5])、家族の間の「感情的融合」をアプリオリなものとする戸田の見方を批判しているようにも見える*14。他方で森岡は自らの家族定義の説明において、「家族においては…人は他では味わい得ない満足感を得る」(森岡[1993:4])と、家族の特殊性を強調する記述を行っている。また「情緒関係」に関する記述において、「愛着関係によって結合し…家族のまとまりもよく、最も家族らしい家族である」(森岡[1993:153-154])と述べるなど、「愛着関係」に「家族」の特徴を見いだしている*15。
こうしたことから、森岡は戸田の「情緒的融合」のとらえ方が一面的であることを批判するに留まっており、家族の間の「感情的係わりあい」は多面性を持つが、その中でも「愛着関係」や「愛情関係」によって、その特殊性を見いだせると説いているといえる。この点において家族の愛情をアプリオリに措定する、戸田の家族定義と大きな違いはないといえるだろう*16
3.理論的背景
日本の家族社会学の問題構成の特徴の一つとして、戦後、欧米の家族が理想的な「家族」としてとらえられたことがある。ここにおいては「家から家族へ」「制度家族から友愛家族へ」等の二項対立的な記述がなされる。鈴木や戸田も、戦前の家族を「イエ」とし、欧米の「家族」を理想化するという立論をとっていたために、「情緒的結合」(鈴木においては「夫婦の間の」結合)が強調されるものであった(千田[1997:2])。
さらに戦後の制度的変革は、「家」制度(家族制度)の廃止、西欧型夫婦一代限りの夫婦家族制への転換がはかられたものであった。「民主化」は政治経済全体の変革課題の一つであり、家制度は天皇制と軍国主義の基礎であったという認識が広まったことから、家族の民主化は日本社会全体の大きな実践的課題として位置づけられることになった(石原[1992:63])。つまりこうした「イエ」を否定し、欧米の「家族」を称揚する同一線上に、福武の「家族」をとらえる視点があったといえる*17。
また、例えば有賀や喜多野が、日本社会の構造的特質を解明する有力な手がかりとして、日本家族に着目したのに対して、戸田は社会学において家の研究を基本的なものとしていた。また森岡は、「よりよい家族生活を営むための指針を得るために家族を研究し、学習することの意義を説いている」という(清水[1984:52])*18。つまり、前二者が社会全体を研究対象とし、その文化の特質を明らかにするための有力な対象として「家族」あるいは「家」を位置づけているのに対し、後二者は家族自体の運動法則を明らかにし、家族生活を一層充実させることに家族研究の価値を見いだしている。
こうしたことから考えると、家族生活を充実させることに研究の価値をおいていた、戸田、ひいては森岡の家族定義は、その中に家族に対する「理想」を暗黙(半意識的に)の前提として取り入れるものであったといえる*19。
4.小括
戦前の戸田や鈴木による「感情的融合」を強調した家族定義は、社会全体の近代化の流れの中で「イエ」を否定し、西欧型の「家族」を志向する中で行われてきたものであった。
さらに家族社会学において1960年代から70年代にかけて、アメリカの集団論的パラダイムの影響が見られ、こうした核家族モデルを「よきもの」「あるべきもの」とする立論に拍車がかかった。この集大成が森岡らによって刊行された『新しい家族社会学』(1983)であり、そこにおいてなされている、「感情的係わりあい」を重視する家族定義であったといえる。
戸田や森岡の家族定義に対して、まったく批判がなされなかったたわけではない。しかし森岡の家族定義はもちろん、戸田までさかのぼって、家族の「感情的融合」を用いた家族定義が、広く援用されるものであることに注意しなくてはならない。1970年代は、「森岡による標準的な家族研究のスタイル」(集団論的アプローチ)が定着し、これが家族社会学を支配した(池岡[1997:4])。現在においても、集団論的アプローチの有効性が問われながらも、森岡の定義にもとづいた家族定義は優勢である*20。つまり日本の家族研究においては長い間、戸田による家族成員の「感情的融合」、これを援用した森岡による「感情的係わりあい」(愛情、愛着関係)といったものが、その両面性を指摘されながらも、自然的・普遍的、あるいは理想的なものとして位置づけられてきているといえる。
第3節 個人に焦点を当てる家族研究の展開
1.集団論的パラダイムの乗り越え方
第1節において、現在家族社会学において「パラダイム転換」が言われており、集団論的アプローチの有効性の再検討、またそれにかわる新しいアプローチの検討が行われていることを指摘した*21。この転換を説いたものとしてまず落合[1985]が挙げられる。落合は家族史の視点から「近代家族」という概念を家族研究に持ち込んだ。これはアナール学派の社会史の影響のもとに近代を問い直すこと、従ってまた、近代家族の歴史的相対化をはかるものでもあった*22。こうした試みにより、それまで自明視されていた家族の形態が、普遍的なものではなく歴史的なものであることが示された*23。これに続き、幾人かの論者が新しいアプローチを提示している。池岡義孝も、現在注目されているものとして、従来からあった発達アプローチと家族周期論に代わって、ライフコース・アプローチを挙げる。また家族を定義するところから出発していた従来の家族研究に代わり、人々のとらえる「家族」に注目する研究(エスノメソドロジー、ファミリィ・アイデンティティ論)の重要さを説いている(池岡[1993:66-68])。また舩橋惠子も同様に、個人を単位とした家族関係の集積として把握する方法が有効になると指摘する*24。
このように、集団論的パラダイムを超える方法論として、「個人」へ注目する必要性が一様に説かれている。この背景には前述したように、従来の枠組みではとらえられない「家族」が出現したことがある。
2.個人に焦点を当てる家族研究の動向
「個人」への注目が説かれるのは、近年に限ったことではないが、以下では1990年代初頭の日本において、個人に焦点を当てる方法論が示されてきた系譜をたどり、幾つかの方法論を詳しく検討する。
2.1 主観的家族論
落合は、解釈学的アプローチを提唱し、その中において「家族定義を行わない立場から出発する試み」を提案している(落合[1989:163])*25。こうした提案を受けて、上野[1991]と山田[1992]が論を展開している。以下では上野によるファミリィ・アイデンティティ論、山田によるエスノメソドロジーへの応用を説いた論考を批判的に検討し、さらにそれらをまとめ、「主観的家族論」の意義を説いた田渕[1996]の論考を見ていく。
上野千鶴子は、予め家族像を設定することを斥け、個々人の「家族を成立させている意識」に注目し、これを「ファミリィ・アイデンティティ Family Identity(FI)」=何を家族と同定するかという「境界の定義」であるとし、ここから議論を始める。
FIという概念を導入する理由として、第一に、家族が実体的な自然性を失って、人為的な構成物と考えられるようになってきたこと、第二に、これまで伝統的に「家族」の実体とみなされてきたものと、FIの間に乖離が見られるようになってきたこと、第三にFIという概念は、その担い手を複眼化することによって、家族メンバー相互のズレを記述することができることの三つを挙げている。またFIが成り立つためのミニマムの根拠を、伝統的な家族の要件(「居住や血縁の共同」)と意識であるとし、さらに伝統/非伝統のダイヤグラムを作成している。
上野らのグループは、三つの象限における家族類型をシミュレーションし、それに該当する経験的な事例を探し、可能な場合は「あなたはどの範囲の人々(モノ・生きものetc.)を「家族」と見なしますか」というFIについての「境界の定義」を尋ねるというインタビューを行っている*26。
ファミリィ・アイデンティティ論は、これまで二次的に扱われてきた個人意識に注目し、特に「家族を成立させている意識」を、FIという用語として導入したという点において新しいものであった。また「集団としての家族」を前提する集団論的アプローチではとらえられない「家族」の側面を描いたという点、意識と「実体」のズレに言及した点において注目すべきものである。
同様に、山田昌弘は落合の解釈学的アプローチに関する問題提起などを受け、家族論にエスノメソドロジーを取り入れる必要性を説く(山田[1992:151-162])。山田は上野も指摘しているように、従来の家族社会学と、日常生活を送る人々の「家族に対するものの見方」の間のずれが問題になっているとする*27。その理由として、(伝統的)家族社会学が、「家族とはこういうものだ」という知識を動員して、家族のリアリティを構成してきたことを挙げる。これに対して、山田は家族という意識を形成させていくプロセスを見ることの必要性を指摘する。さらに、日常生活をしている当人の「どこまで家族とみなすか」というリアリティが重要であると述べ、このリアリティは個人によって異なるし、また時と場合によって変化するものであるとする*28。
また、この家族のリアリティについて試験的な考察を試みている。家族に関する言明を調べていくと、二つのルール(規範)@「家族だから〜する、している、しなければならない」という言明、A「〜しているから家族である」という言明が見いだせるという。こうしたルールと「代替不可能性」と結びつけられたときに、家族のリアリティが生成・維持される。この「代替不可能性」を意識させる事実は、@親族関係、A機能的代替不可能性、B情緒的絆のカテゴリーに分類することができる。つまり、家族であるというリアリティは、これらの三つのリアリティによって支えられている一種のメタ・リアリティであると説く。
山田が提起するのは、エスノメソドロジーの方法論を「家族」に応用することである。この論考の意義は、先の上野同様、当事者のもつ家族の「リアリティ」に注目し、その形成過程に注目する理論を提起したという点にあるといえる。
次に、現象学的研究や「家族言説」、「家族イデオロギー」などの構築主義的なアプローチとの関連から、「主観的家族論」を位置づけ、その意義を検討したものとして田渕六郎[1996]を取り上げる。これは実証研究に向けての理論的枠組みが設定されている点で、注目すべき論考であるため、内容を詳しく見ていくことにする。
主観的家族論は、現象学的な方法論に大きな影響を受けている(「家族はそれが行為者の意識に現れるとおりに、すなわちそれが経験されるとおりに研究されなければならない」(MacLain & Wergert [1979:171]))。田渕六郎は、現象学的社会学者のバーガーとケルナーによって書かれた「結婚とリアリティ構成−知識の微視的社会学における試み」(Berger,P& Kellner,H[1964=1988])を主観的家族論の先駆けであると位置づけ、その後の展開を丁寧に後付けている。また日本における先行研究(山田[1992]、上野[1991])の議論を整理し、批判的に検討を行っている。
田渕は主観的家族論を、「個人の「家族」に関わる認知や経験(またはその微表としての、家族に関わる言語表現)を観察者ないし理論家の分析の枠組みの中にとりこむことを方法論上重視する立場である」と定義する。このような方法を採用する場合、従来の家族研究の枠組みが家族を論じる際に、「核家族」などのモデル(理念型)を参照点としつつ、家族が客観的な構造を持つ「集団」であり、それが普遍的な機能を有することを前提としてきたこと、その中で「行為者の視点」に十分な考慮を払ってこなかったことを批判するという意図が存在する。主観的家族論が採用している枠組みは、家族というものを確立した制度や自明な集団のように扱うのではなく、むしろ当事者の意識や言説のなかで組み立てられ、変容を受けていくものとして考察するという視点を強調することになる。
田渕はまた、個人のリアリティ構成と、リアリティの社会的定義との相互作用が、主観的家族論の分析課題となり得るとする。「家族言説」(family discourse)、「家族イデオロギー」(family ideology)という用語を使用した研究が、この二つのリアリティ定義が相互に浸透しあっているという視角を強調してきたという。この先行研究として、田渕は「構築主義的研究法」という言説分析研究に注目している(Gubrium & Holstein[1995]など)。これらは、これまで家族研究の枠外とされていた領域における家族言説の分析を、一つの研究対象として析出したこと、またリアリティが多層的に存在し、相互に作用しているという認識を提示したことにおいて、重要であるとする。
田渕は主観的家族論の理論的意義として、まず、一般的には人々が日常的に行う家族に関する認知や言明そのものが、社会学的な分析課題として有意味であることを示すものであり、従来の家族研究法に対する疑念を提示していることにあるとする。また、個別的には、複数の当事者の視点を重視するという意味で「家族集団」という単一実体の想定を批判していること、及び、個人のリアリティと社会的なリアリティという水準の間における相互関係を問う問題構制が、これまでの研究法にない分析を可能にすることを挙げている。つまり、主観的家族論は従来の「実体的」ないし「客観的」な家族定義に対する疑義を提示し、当事者の与える定義を「家族」の定義として扱うべきことを主張している。
これまでの日本における論者は、「客観的家族定義」の有効性を問い直すという問題意識を内包していた。しかし、田渕はまず上野の論考が、主観的認知の多様性を指摘するに留まっていると批判する。さらに山田が、私たちが用いる概念が行為者の意識と一致しないということから、「客観的家族定義」の無効性を主張していることに対して、こうしたことは概念構成という理論的営為においては当然のことであり、「家族」が他の概念とは異なる「特殊」な概念であることを示すことができない限り、「客観的家族定義」の無効性を説くことはできないと批判する。また、当事者に意識されていない要素が主観的な要素を規定する側面も指摘される。山田の論考への批判的な検討から、田渕は主観的家族論は、「客観的な家族定義」が有効か無効かという判断を行うべきではなく、むしろ客観的と思われている家族定義(個人に認知されたもの)と主観的/個人的な家族像がどのようにズレており、いかにしてそのズレを生じるのかということを考察すべきであると説く。
また田渕は、実証的な研究に向けての分析枠組みを提示している*29。行為者の家族に関わる言明が、自身の家族について述べられたものか、一般的な見解として述べられたものか。または二者間の関係(またはその累積)を述べるものであるのか、それとも複数(通常は3人以上)の成員の持つ相対的な特質について述べるものなのか。この区別を組み合わせると2×2のクロス表ができる。以上の分析枠を採用するならば、ある主体が家族に関する言説を提示する場合、この四つの領域がどのような相互的影響関係にあるのかを分析することが重要になる。この分析枠を採用することによって、「家族概念の社会的定義と個人的定義のズレ」というテーマが提示できることになるとする。
□小括
個人への注目する視角の必要性は以前から提起されていたものの、めざましい発展を遂げてきたわけではなかった*30。また「家族を定義しない」ところから出発する上野、山田の論考の意義は、それまで二次的に扱われていた個人意識に注目し、それを描き出した点にあるが、これらの議論は十分な理論的な裏付けを持っていなかったために、実証的な研究に向けての理論的枠組みを提示するには至らなかった。さらにこれらが「客観的定義」を否定し、「主観的定義」の有効性を主張してきたことも、発展を見なかった原因の一つだろう。当事者に意識されていない要素が主観的な要素を規定する側面もあることを認識し、構造的な文脈を理論の枠組みに取り入れる必要がある。また、これまでの議論には「リアリティの社会的定義」と「個人のリアリティ構成」とを区分する視角を有していなかったために、議論に混乱が生じていた。
田渕の主観的家族論は、現象学的研究からの流れや、「家族言説」や「家族イデオロギー」など、構築主義的なアプローチとの関連からもその意義を論じており、広い範囲をカバーしたものであるといえる。さらに日本における先行研究として、上野、山田の論考をこうした流れの中に位置づけて整理し、批判的な検討を行っている点でも評価される。しかしながら、実証研究に向けて田淵の示した分析枠組みは検討の余地があり、本論文で分析を行う際には、これを部分的に修正して用いることにする(これについては第四章において詳しく述べる)*31。
2.2 構築主義的家族研究
近年、田渕も指摘する社会構築主義的な手法による新しい家族研究が、日本においてもなされている。例えば池岡・木戸らによって、家族研究の新しいアプローチについて、理論的枠組みと実証的研究の可能性の両面から検討を加える試みがなされている。池岡によると、これは前述した落合[1989]、上野[1991]、山田[1992]、田渕[1996]と同じ問題意識を共有するものであるとする(池岡[1997:1])。また池岡はこうした「主観的家族論」が、ファミリーディスコースの研究、構築主義的家族研究の新しい展開(Guburium & Holstein[1990=1997]、苫米地[1996]、赤川[1997])とも呼応するものであるとする。これらは、家族を人々の日常的実践によって構築されるものとしてとらえ、当事者のカテゴリーを重視するという基本的な研究のスタンスを持っており、従来の家族研究の主流が軽視してきた側面に注目する、新しいアプローチであると位置づける。ここではこれらの論考について考察を加える。
まず、Gubrium & Holstein[1997]の内容を詳しく見ていき、その研究の意義を検討する。さらにこうした視点が取り入れられた、日本の近年の家族研究について検討していく。
Gubrium & Holsteinの著作である『家族とは何か』は、社会構築主義(social constructionism)という視点から従来の家族研究を批判的に検討するとともに、実証的な研究を行ったものである*32。社会構築主義から家族を論じることについて、以下のように述べられている。
「(社会構築主義から家族を見るとは)一言でいえば、家族を、所与の具体的で、固定したものではなく、人々の相互作用を通じて社会的に構築される現象としてとらえることである。その際に、言語と現実は分離できないことを認識し、家族の現実とされるものはディスコースを通じて構築されることに着目する。すなわち、構築主義は、人々が家族を解釈する過程に焦点を当て、実践において何が家族と受け取られるかは、流動的で変化するものであることを示す。」(Gubrium & Holstein[1990=1997:333])*33
Gubrium & Holsteinは、「家族は法的に定義されてもいるし、生物学的に定義されてもいる。にもかかわらず、家族に関わるものの日常的な現実は、言説を通じて創り出される」と述べる。また「家族とは、社会的なきずなや感情の具体的な組合せであるだけでなく、関係について考え、語る方法でもある」とし、家族がどのようにして有意味な現実を持つようになるか、その過程を示している。具体的には「家族」、「家」、「世帯」、「家庭」、「プライバシー(私事)」の五つの言葉を取り上げ、その使用のされ方を見ることによって、個々人が「家族」を解釈する過程を綿密に描き出している。また家族をそれを構成するメンバーたちとは別個の、一つの全体性を持った統一体であるとし、独自の「もの」である表象としての家族が、実践を通じて達成されると述べる。
この論考は、ある特定の「場」の言説データを使用した、家族に関する言説分析である。著者たちは自らフィールド調査を行い、ナーシングホームや、情緒障害児のための収容の居住治療センターなどの公的組織において、参与観察、インタビューといった質的調査を行い、そこで得られた言説データを使用している。こうした場所から「家族」に関する言説が抽出されている点に、まずこの研究の意義があるといえる。これは研究者の側で「家族」について想定させる状況を回避できるだけでなく、私的(と思われている)領域における家族言説も「組織に埋め込まれている」ことを示すことを可能にする。また、このことは家族に関するリアリティ構成において、個人的定義と社会的定義の相互作用を明らかにする視角を有していることを示しており、田渕[1996]とその視座を共有するものである。
次に、日本において言説に注目する新しい家族研究を見ていく。
木戸功は、従来の研究のあり方を否定して、人々がそう見なしているところの個々の多様な「主観的家族」をとらえるアイデアを提示する*34。さらに、「家族」の定義および設定を放棄し、当事者の用いる「家族」という言明に注目する〈家族の実践的アプローチ〉を示す。これは「与えられたデータ、つまり言説における「家族」をその対象として家族について考察をしていく」手法である。ここにおいては「家族とは何か」、何を家族とみなすかという問題は研究者にではなく言説の主体に委ねられる*35。
また池岡らのグループは、木戸[1996]などに続き、このアプローチの実証的研究への可能性を探る試みを行っている*36。具体的には、単身者の主観的な家族意識についての調査を行っているが、これは人びとが家族というものに対して付与する意味を明らかにすることを意図したものである(志田・木戸[1997:1])*37。分析の結果、単身者の家族意識に関して、「同居」カテゴリーが相対的にプライオリティをもたないという、特有の傾向が見いだされた。しかしデータから得られたカテゴリーは、一般的に流通している家族イメージに依拠しており、単身者も個々の主観的な家族の解釈を行っていると結論づけられる。ここでは社会的リアリティ定義(「家族イメージ」)と個人的リアリティ定義との相互作用をとらえる視角があり、やはり田渕[1996]と共通する問題意識を有しているといえる。
□小括
木田による、あるものに対して「家族」とラベル貼りを行う際の論理的・抽象的・潜在的な知識の体系(〈知識としての家族〉)を導きだそうとする試みは興味深いものである。木田は、複数の人間による議論からデータを収集するという方法をとっているが、これにより、個人が家族についてラベル貼りを行う「過程」を描き出すことが可能となる。また個々人の言語表現にこだわる姿勢は、より「家族であるもの」をとらえることに対して意識的であるといえる。また池岡らの試みは、単身者の「家族」を対象としたことによって、主観的家族論の可能性が示された。この調査は二回にわたる郵送調査を行い、詳しい「記述的データ」を採集し、さらに「なぜ」かを問うことにより、木戸[1995]と同様に個々人の解釈過程を描き出すことを可能にしている。
二つの論考は共に、人びとの「家族」のリアリティの多層性を描き出そうとする視座を有している。しかし、「家族」という言葉のみに注目することの限界性、つまり研究者の側で「家族」を措定し、「家族」について考えることを強制する状況を作り出しているという問題が残る。人々が自発的に「家族」というカテゴリーを採用し、意味づけを行っているわけではない。そこにおいて得られたデータは、特定の状況における「家族」を、個々人が言葉で表現したものにすぎず、家族を経験する行為者としての個人をとらえきれているとはいえない。これと比較したとき、特定の「場(フィールド)」における言説を収集することの優位性(→Gubrium & Holstein [1990=1997]、)が改めて発見されるだろう*38。
2.3 ライフヒストリー(生活史)研究
行為者としての個人をとらえる視角を有する研究法の一つとして、近年に新しいアプローチではないが、ライフヒストリー研究を挙げることができる*39。ライフヒストリー研究は個人を「複雑で重層的な存在」としてとらえ、「関係が複雑に集積する〈場〉」であるとし、これを研究対象として重視する(佐藤[1995:20])。つまり、これまでみてきた主観的家族論や、構築主義的家族研究とも視座や関心を同じくしている。
この研究法は、主にある特定の個人が、これまで歩んできた人生や遭遇した出来事について述べた口述記録(ライフストーリー)を対象とし、調査者の枠組みではなく、語り手の、個人の主観的現実の構成のあり方を探るという方法をとる。つまり、語り手が自分の人生や過去の体験をどのように意味づけ、解釈しているかを重視するものである(桜井[1992:47])。
これを家族研究に援用する際には、個人が過去の体験や出来事を述べた口述記録(ライフストーリー)を分析対象とし、その中に語られる「家族」についての「語り」を、データとして収集するという方法を用いることになる。
先に、Gubrium & Holstein [1990=1997]が、特定の場をフィールドとして、家族についての言説を収集することによって、「研究者の側で「家族」を措定する」状況を回避できるという優位性があると述べた。これと同様のことが、この手法について言うことができる。つまり、ある「個人」をフィールドと見なし、その個人が、自分の人生や過去の体験を語る「ライフストーリー」の中に登場する、「家族」を抽出するというこの手法は、研究者の枠組みで「家族を考えさせる」状況を作り出すことを避けることができるだけでなく、ある個人が過去の(家族)体験を再構成して語る中に、彼らの「家族」に対する意味づけや、「家族」を解釈する過程を見ることを可能にする。つまり、ある個人がそれまでの人生の経験を語る中に、「家族」が逆照射され、その「語り」の中から、彼あるいは彼女の「家族」を描き出すことが可能になるのである。
この意味においてライフヒストリー研究は、個人に焦点を当てる家族研究の、具体的なアプローチとして有効であるといえるだろう*40。
3.小括
落合が1989年に提示した「家族を定義しない試み」への関心は、まず山田[1992]、上野[1991]へと受け継がれた。田渕[1996]はこれらを批判的に検討し、構築主義的家族研究(「家族言説」「家族イデオロギー」など)とも関連させつつ、「主観的家族論」の可能性を切り開こうとした。ここで田渕が重視したのは、リアリティの個人的定義と、社会的定義との相互作用を記述することであった。
一方で近年、田渕も指摘している構築主義的なアプローチが、日本の家族研究の中にも取り入れられつつある(グブリアムらは、アメリカですでに十年ほど前から実証的研究を行っているが)。「主観的家族」という問題関心から出発し、言説に注目することにより、行為者がいかに「家族」を決定しているかを描く木戸[1996]、志田・木戸[1997]の試みなど、これらは家族に関する当事者の「言説」に、より注目するアプローチであるといえる。しかしこれらの研究は、「家族を人々の日常的実践によって構築されるものとしてとらえ、当事者のカテゴリーを重視する」(池岡[1997:1])という基本的な研究のスタンスを共有している。また「客観的な実体としての家族を想定し、研究者の側で設定した「客観的家族定義」によって行われてきた従来の家族研究の主流が軽視してきた側面に注目する」という同様の視座も有している。またこうした人々がそう見なすところの個々の多様な「主観的家族」をとらえるアイデアは、行為者としての個人へ焦点を当てる、ライフヒストリー研究とも関心を共有するものである*41。
4.本論文における研究枠組み
本論文では、こうした新しいアプローチの潮流を踏まえた上で、基本的には田渕の「主観的家族論」を援用し、「個人の「家族」に関わる認知や経験(またはそれを表すものとしての言語表現)を観察者の分析の枠組みの中に取り込むことを方法上重視する立場」(田渕[1996:20])をとる。つまりここでは、家族を確立した制度や自明な集団として扱うのではなく、当事者の意識や言説の中で組み立てられ、変化するものとして考察することになる。またこれを援用する意義として、家族に関する個人のリアリティ定義と社会的なリアリティ定義との相互作用を分析する視角を有していることが挙げられる。
またここでは、特に人々の語る「ことば」に注目する。またその「語り方」を重視するとき、聞き取りにおいて、対象者が語ったものを「語り手自身が口述した自分の人生あるいは体験についての生の説明」(桜井[1992:46])と位置づけるならば、ライフヒストリー研究に依拠することになる*42
こうした研究枠組みを使用する際、第一に「核家族」などを参照モデルとし、ある構造や、普遍的な機能を持つ集団として「家族」を設定してきた、従来の家族社会学に対する批判を含む。第二にこうした中で、「行為者の視点」に十分な考慮を払ってこなかったことへの批判を含むものでもある。この意味において、「従来の家族研究で前提となっていた家族定義の有効性を疑い、それを留保」(池岡[1997])し、「家族を人々の日常的実践によって構築されるものとしてとらえ、当事者のカテゴリーを重視する」(赤川[1997])という、構築主義的家族研究と関心を共にする(ただしこの時、当事者に意識されていない要素が主観的な要素を規定するという意味において、「構造的な要素」が軽視されるべきではない)。
くりかえしになるが、家族研究においては従来「客観的」な家族定義が優勢であり、それによって、行為者としての個人が営む「家族」の側面が軽視されてきたという経緯がある。これらへの批判を含むという意味での主観的家族論、あるいは構築主義的家族研究の視角を援用することは重要な意味を持つ。つまり、こうした研究枠組みを使用することによって、従来軽視されてきた個人の「家族のリアリティ」をとらえると同時に、「家族」のリアリティが多層的に構成されていることを示すことが可能になるのである。
(註)
*01 落合は「家族社会学という知的営為自体をひとつの社会現象としてとらえて時代の流れの中に位置づける」という、いわば「家族社会学の知識社会学」の試みを行っている(落合[1989:136-165])。落合は学史家トマス・クーンのパラダイム論を援用し、パラダイムとは「ある集団の成員によって共通して持たれる、信念、価値、テクニックなどの全体構成」であるとする。つまり「モデルや例題として使われる具体的なパズル解きを示すものであり、通常科学の未解決のパズルを解く基礎として、自明なルールに取って代わり得るものである」(落合[1989:138])
*02 山根は、十九世紀の家族研究は集団としての面をほとんど無視してきたが、二十世紀になると、家族の安定が加速度的に崩れたため、特にその傾向が強かったアメリカでは集団としての家族の現在志向的研究へと移行したとする(山根[1972:238])。山根はヒルの挙げた五つのアプローチ、すなわち、制度的アプローチ、構造−機能アプローチ、相互作用アプローチ、場アプローチ、発達アプローチの五つのアプローチのうち、制度的アプローチ以外はすべて、集団論的研究として一括している。また、池岡も同様の区分を行っている(池岡[1993:62])。
*03 また膨大な量の実証研究が行われたが、代表的なテーマは、配偶者選択、夫婦関係、親子関係、家族におけるパーソナリティの形成などであった(池岡[1993:63])。
*04 落合は集団論的パラダイム自体の基本的構成を描くために、集団論的パラダイムを標準的に代表する教科書を検討して、それらに共通して含まれている「背後仮説」(グールドナー)を抜き出す作業を行っている。背後仮説として落合が指摘するのは、次の八つである。
@家族は人類社会に普遍的に存在する
A家族は歴史や文化差を超えて変わらない本質を持つ
B家族は集団である
C家族は主に親族からなる
D家族成員は強い情緒的絆で結ばれている
E家族のもっとも基本的な機能は子どもの社会化である
F家族成員は性別により異なる役割をもつ
G家族の基本型は核家族である
落合はこうした試みにより、@〜Gが集団論的パラダイムにおいて暗黙の前提とされていることを明らかにした。それと同時に、集団論的パラダイムは歴史的家族類型である近代家族の特長と重なり合っていることを指摘し、これらから、集団論的パラダイムには、近代家族のマンタリテが暗黙の背後仮説として影を落としていたと述べる(落合[1989:146-154)。
*05 この部分は布施[1992]、池岡[1993]、石原[1992]、正岡[1986]、野々山[1996]、篠崎[1996]に拠っている。
*06 清水浩吉は、昭和十年(1935年)前後に実証的な家族研究が開始されたとする(清水[1984:49])。
*07 布施晶子は、戦後の四十年間の家族研究を貫く特徴として1)研究の視角が巨視的研究から微視的研究へそして再び巨視的研究へという推移をたどっている、2)実証研究が多数を占める、3)都市家族を対象にしたものが多い、4)構造=機能アプローチと発達アプローチが主軸を占める、5)現状の改革・変革を目指す政策科学的姿勢を禁欲することを目指したものが多い、6)アメリカ社会学の学説の援用が多い、7)経済学、哲学、歴史学との接点に欠ける、としている(布施[1987:157-159])。
*08 ここでは家族社会学自体を一つの社会現象としてとらえる落合の視角(落合[1989:136])を援用する。日本の家族社会学がどのような視座に基づき、「家族のきずな」(「情緒的結合」)を語ってきたのかということを省みる、家族社会学の知識社会学的な試みである。
*09 戸田によると、コントは「…家族においては異性者が緊密に合一している。人々はその性的の差(分化)にもとづいて相互に接触結合する場合には、完全に合一化することが困難であるが、《家族においては人々の結合はきわめて緊密に行われている》。他のいかなる社会においても人々の融合は家族におけるほど充分に行われ得ない。ここでは二者は融合して一つのものとなっている。かくのごとき家族の緊密なる合一化は共同の目的を求めんとする自然的力が不断の従属関係の実現と結びついているが故である。人々の形作る社会結合は相互の従属関係にもとづくのであるが、この社会的結合の基本的条件は家族においてよく実現せられている。」と述べている。
またリールも、「家族における愛情と信頼の関係、この関係にもとづく権威と従属とが家族的共同の基本である」としており、コントの説明による家族の意義に近いという。さらにリールは性的・血縁的な愛情が、信頼感・従属感となり、この従属感にもとづいて権威が生じ、従属と権威との関係が家族員と家長との間に生ずると論じている。
*10 「戸田はこの家族共同の緊密な結合の基礎に対し、成員の感情的融和・融合あるいは合一化、相互の全的開放没我的全的一体化を求める内的関係などさまざまな表現を与えているが、成員の感情的融和という場合がもっとも多く、これらの心的態度を一応この表現で代表させることができる。」(喜多野[1937=1970:391])とあるが、ここでは定義に使用されている用語に則り、「感情的融合」を使用する。
*11 例えば戸田は、家族は人々の感情的要求にもとづいて成立するものではなく、人々がその経済的要求などの打算的要求を充たすための集団であるとする説に対して、「…打算的要求を動機として成立する家族結合にあっては、各成員の提供する機能にかなり重き期待が置かれているであろう。しかし…この機能の実現がないとて直ちに夫婦関係が分解し、親子が分離するのではない。かかる機能の実現はないとしても、夫婦の和合、親子の共同は比較的よく維持させられるようである。このような動機にもとづく家族結合においても、夫婦の別離または親子の別居が起るのは、かかる機能実現の有無によるよりは、感情融和の通路の遮断によることが多い。してみれば家族結合の動機が打算的要求にある場合においても、この結合の存続は主として人々の感情的融合にもとづくものであると云われ得る。」とし、家族員の「感情的融和」を、一般的な家族の存立の根拠としている。
また戸田は日常の講義の中でもしばしばこのことについて言及したようだ。昭和初期、戸田のもとに学んだ清水幾太郎が次のように書いている。
「…もう一つ、私たちが飽きるほど聞いたのは、(中略)家族の心理的基礎に関する美しい言葉である。夫婦や親子の間の感情的融合および全人格的信頼−。こういう点に触れるとき、教壇の先生は、必ず眼を半ば閉じて、恍惚と呼びたいような表情になる。それは、多くの学生が気づいていた。そのたびに、“始まったぞ”と私たちは教室でささやきあった。しかし、私のように人生経験が乏しいものでも、こういう先生の言葉が現実の家族の描写と言うより、その一面的な理想化であることを知っていた。感情的融合や全人格的信頼というものの裏側には、家庭生活に固有の、どこにも抜け道のない、煩わしい諸問題が縫いつけられているのではないか。学問とは関係のない、何か特別の事情があって、先生は、ある願いをこめて家族を一面的に理想化し、みずからこれに酔っておられるのではないか。教室で、私はいつもそんなことを考えていた。」(清水[1973:92-95])
*12 鈴木は次のように述べている。「家族の本質は、社会的に承認されたる永続的なる性的関係ということになるだろう…(中略)…かくの如き家族は現代代都市における自由主義的・個人主義的生活態度を持する文化人の夫婦生活のうちに明瞭に示されている。同居する事も、共産的になる事も、そこに従属関係が生ずる事も、《感情的融合》が現れる事も、みなかくの如き性的関係の持続の間におのずから生じる附帯的要素にほかならぬ。現時点の大都市のアパートに住む若夫婦の生活に、もっとも《純化された家族》をみいだす事ができる。」(鈴木[1940→1968:162])
*13 福武は戦後、「封建遺制」をめぐるシンポジウムの記録として出版された『封建遺制』(1951)において、家族について次のように述べている。
「法律や儀礼のような形式的権威的な制度を根底にもつ家族ではなくて、相互の愛情や理解や合意というような人格的相互関係にもとづく友愛に立脚するものとなっている欧米の近代的家族においては、結婚によって家族をつくりあげる当事者にとって家族がアソシエーションと考えられても、それほど不自然ではありません。…」(福武[1951:150])こうした福武による類型論は、戦後日本社会科学における典型的な立論であった(千田[1997:2])。
*14 森岡は次のように述べる。「…しかし、事実は期待を裏切って、しばしば夫婦の間や親と青年期の子、既婚の子との間に感情のくい違いが起こり、緊張・葛藤さらには暴力行為へと発展することさえある。…だから、いちがいに感情融合を家族の人間関係の特色と主張するのは、「甘え」の心性に根ざした日本的発想であるかもしれない。ともあれ、愛であれ、憎しみであれ、夫婦も親子も、感情的に深くからみついた余儀ない結ばれ方をしていることは、疑いいれない。家族員は互いに無関心であること、第三者的な平静な態度をとり続けることができないのである。家族関係をいろどる感情は、非打算的である代わりに、しばしば合理的判断を拒否し、時には理不尽でさえある。家族員は互いにそのような感情的関わり合い(emotional involvement)で結ばれているのである。」(森岡[1993:4-5])
*15 森岡は、愛着関係を反発関係と無関心の三種類に分類し、愛着関係を統合型、反発関係と無関心とを合わせて解体型と呼び、情緒関係のパターンを4つ(統合型、ブリッジ型、スケープゴート型、解体型)に整理している。そのうち統合型が「3人が三つの《愛着関係によって結合しているもので、家族のまとまりもよく、最も家族らしい家族である》」と説明している(森岡・望月[1993:153-154])。
*16 この定義に関する山根常男の批判「家族を福祉追求の集団とみなすのは、現実に基礎づけられた規定というよりは、むしろ、期待、願望、当為に基礎づけられた規定である。」に対しては、「筆者の定義と実体との距離は確かにあるが、現実との距離は理念型である概念のもつ本来的性格ではないだろうか」(森岡[1986:4])と述べる。
*17 有賀喜左衛門によってこうした福武の近代主義が批判されている。有賀は「このような評価は日本の文明が西洋文明に比して遅れており、日本は西洋文明を取り容れることによって、同じ様な発展過程をとるという文明批評に根ざしている。」(有賀1965→1971:63])と述べている。
*18 清水によると、有賀喜左衛門は農村社会学の立場に立ち、「日本民族文化の特質解明とのかかわりのなかで家族(「家」)研究の重要性を指摘した」(清水[1984:52])という。有賀によると「家はきわめて重要な社会関係の一つであることはいうまでもないが、それは決して唯一の重要な社会関係ではない。ただこれは性関係・血縁関係・さらに非血縁関係をも含むことのできる複雑にして、比較的小規模なる、かつ最も普遍的なる社会関係であるという特徴によって、社会関係の本質を極めるには最適のものである。それゆえに家に示された民族的特質の傾向が基本的であるのではない。」(有賀[1947→1969:109]。しかしこの特質は日本民族文化として共通に示現するものであるため、これを究明するために家(家族)を研究することの重要性を説き、「家連合の集合する都市と村落とをこれに関連させて追求することは適正と考える。戸田貞三博士が社会学において家の研究を基本的なものとする意味を深く捉えたい」(同:161)と述べている。
*19 森岡は「家族関係を研究する意義」として次のように述べている。「激動の時代ほど科学的な情報の必要な時代はない。かつての親たちはその親の足跡をモデルとして踏襲すればよかったが、激動期にあたる今の親たちには新しいモデルを創造する課題が課せられている。この課題に立ち向かうためには科学的情報が必要なのである。家族関係を研究し、また研究成果を学習する現代的意義もその辺にあると考えるべきであろう」(森岡[1974:6])
また湯沢正彦も森岡同様、よりよい家庭生活を営むための指針を得るためのものとして「家族」を論じることを位置づけている。それは次のように論じられている。「誰でも、家族についてある種の漠然としたフィロソフィー(哲学的思考)を持つことができるが、本格的なサイエンス(体系だった科学的判断)をもつことは容易にできない。そこで、偏狭な独断を排するために、家族関係についての諸問題を体系的・組織的に研究し、客観的な認識を深める必要があるわけである。これが、家族関係学を学習し、研究しようとする目的に他ならない。」(湯沢[1969:4])
*20 布施晶子も家族を「愛の生活共同体」として定義し、「精神のオアシス」として重要な意味を持っていると説く。一方では「愛情」が不安定なものであり「家族」が矛盾を抱えていることを指摘し、次のように述べる。「愛情というきずなは、ある意味ではこのうえもなく強い関係であるが、ひとたび愛情が喪失したときには脆い関係に変わり、家族の凝集性は弱まる。その意味では、現代家族の、とりわけ夫婦のきずなは、このうえなく強く、また弱い不安定な関係とも言える。」(布施[1992:134])しかし、「異性愛」と「肉親愛」が家族の本質であることが強調されている。
*21 舩橋惠子は、家族が集団としての側面を持つことを指摘し、個人と集団という二重の単位での重層的・多角的な分析が必要であると説く。舩橋は、集団として家族を捉える視点は、家族が社会的行為の主体であるかのような「戦略」を生み出すという事実を指摘したこと、(→ハレーブン[1982])また、「家族福祉」という政策的課題を提起すること(家族生活の実現という人間的欲求に応えようとするもの→「子育て支援」などにも応用展開できるとする)などを指摘し、集団性が本質であるかということは、議論の余地があるが、今後の家族研究にとっても大切な視点になると説く(舩橋[1996:244-246])。
もちろん集団としての家族という側面があることは否定されるべきではなく、こうした視角も重要であろう。ただこうした研究視角の有効性を説く際に、集団論的パラダイムが危機に陥った原因として、欧米型「核家族モデル」を理想としていたという点にあったこと、また従来「集団としての家族」が過度に強調され過ぎたために、見落とされてきた側面(個々人が認識、解釈する「家族」)への注目が言われてきていることに自覚的である必要があるだろう。
*22 ここでは詳しく触れないが、社会史の業績として「子ども期の成立」「子どもを中心とした親密な家族の成立」という変化を指摘したAries[1960=1980]、「感情革命」という言葉で、近代化の中で家族と感情が結びつく過程を表したShorter[1975=1987]、「母性愛」を発見したBadinter[1980=1991]、「夫婦愛」に言及したStone[1979=1991]、Segalen[1981=1987]、さらにその中でもカトリックの変貌に着目したFlandrin[1981=1987]などが挙げられる。ここにおいて拡大家族・大家族制度から核家族・小家族制度へと家族の形態が変わってきたという常識、また家族の情緒的なつながり(「愛情」)が自然的・本質的なものであるという常識が覆えされた。
また近代社会と「親密性」について「ロマンティック・ラブ」と「純粋な関係性」などの概念を提示して論じているものとしてGiddens[1992=1995]。近代家族と「愛」について論じたものとして立岩[1991]参照。
*23 落合はこれが家族研究の、また社会研究の一つのパラダイムとして定着したと位置づける。しかし他のアプローチへの目配り不足や近代家族論万能主義というような、枠組みの強引な適用が見られるとし、この理論の精緻化の混乱をただす試みを行っている(落合[1996:23-53])。1980年代には、落合は「当時学会においても一般の人々の理解においても圧倒的に支配的であった家族観・家族理論を「脱構築」するためにこそ、近代家族の知見を用いる価値があると判断し」、家族を定義することを放棄した。それは当時の一般的な知的状況(従来の知に対する「異議申し立て」がさかんに行われた時代)とも連動するものだった。しかし90年代に入ると、新たな家族理論構築のために近代家族概念を正確に定義しようという動きが現れてきた。落合は、近代家族概念の操作化をめざし、戦後日本家族を@女性の主婦化、A二人っ子化、B人口学的移行期における核家族化という、三つの特徴を持つ「家族の戦後体制」としてとらえることを提案した(落合[1994:97])。これにより、「少子化」「主婦」という指標をつくることが可能になり、解釈のあいまいさが減少する。
また近代家族概念を「脱構築」のためではなく実証的に用いるといった種類の研究が登場してきた。この段階を落合は近代家族論のセカンドステージと呼ぶ。現在、日本の近代家族論者の多くが日本の近代家族をどう考えるかという問題ととりくんでおり、近世近代の日本家族の分析に多くの成果を挙げているという。
*24 木本喜美子は池岡や舩橋とは違う視角からの乗り越え方を提示する。木本は従来の研究は家族と全体社会との関係構造の解明において、十分な力を発揮していないと指摘する(木本[1995:13])。また戦後の日本における家族社会学は、アメリカの影響を受け他の集団には代替しえない家族集団の特徴として「情緒的結合」を強調してきたが、社会変動の波を受け、変質してきている現代の家族をとらえるために、ジェンダー論を視野に入れた視角の可能性を提示する。
*25 落合は、解釈学的アプローチとは社会の暗黙の層を<読む>ことであると述べる。その方法として、@社会的ルールを外的視点から事実として観察する方法(人口学、社会統計を用いる方法など)、A内的視点に比重を置いて生きられるルールを意味論的に解読する方法(エスノメソドロジー、記号学など)、B可視化されたルールである法や慣習に注目する方法を挙げている。この方法はあらゆる社会現象は客観的でも、主観的でもなく、間主観的であると考える。内的視点に立てばしたがうべき規範と言え、外的視点に立てば人びとの行為が規則性をもつという事実と見える社会的ルールの文脈にあって、行為ははじめて意味を持つという(落合[1989:162-165])。
*26 上野はFIが伝統型から非伝統型へと移行してきた果てに、現実の家族以上に絶対的で宿命的な関係が構築されているというパラドックスを指摘し、「家族」という言葉で表されるものの一つの本質をついている、とする。つまり自発的で選択的な関係を人は「家族」とは呼ばないということ、従ってある関係が「家族のような」という比喩で呼ばれる時には、その関係の基盤を選択的なものから運命的なものに置き換えたいという動機が働いているということである(このときに宗教やオカルトが力を発揮する)。
*27 また従来の枠組みでは、現代家族に生じているさまざまな経験をとらることができない例として、@ペットを家族とみなす、A夫婦生活はうまく言っていても、「本当の家族ではない」というリアリティを持つ、B「世帯」概念ではとらえられない家族、住民表上は、核家族世帯となっていても、同一敷地内に住んでおり、事実上生活を共同している家族がいるなどをあげている。
*28 山田は家族論にエスノメソドロジーの手法を導入する際の課題を次の三点にまとめている。
@従来の「家族社会学」が使用している家族のとらえ方をあきらかにすること。
A日常生活を送る人びとが使用している家族のとらえ方をあきらかにすること。
B現実の相互作用の中で家族のとらえ方がどのように用いられているかを明らかにすること。
@に関しては、歴史社会学や文化人類学、フェミニズムなどの業績に影響を受け、集団論的家族社会学に対する再検討がさかんになっているという。またAに関しては、データの問題があるとする。家族に関する意識調査は数多く行われているが、質問紙調査は類型的な質問にならざるをえず、家族社会学がもつ家族のとらえ方が影響してしまう。近年、歴史社会学や生活史の分野からの歴史的データが集まりつつある。また、人々の家族の体験を綴った本が相次いで出版されているが、これらのデータを社会学的にまとめたものは少ないという。Bに関しては先行研究はほとんどないが、会話分析などが有効な手段だと思われると述べる。
*29 当事者の有する主観的な家族像は、主として行為者の言明(家族に関わる言明)を指標として推測されねばならず、この言明の水準の区別が必要になると述べる。またこの時に重要なのは、研究主体がどのような水準で分析を行っているか自覚することにあるとする。
*30 田渕はまた従来の家族社会学の方法論的な考察において、「当事者の視点」に対する考慮が払われてこなかったわけではないことを指摘し、野々山が当事者の認知的な側面を考慮すべきことを指摘したこと(野々山[1977:229])、また、家族ストレス論の中に「状況の定義」「凝集性」などの概念で成員が持つ「家族」に関する認知を分析対象にするという視角が見られたこと、また人類学的な文献において当事者が「家族」を定義づけるかという契機が持つ重要性が指摘されていることを挙げる(清水[1987])。しかしこうした指摘は、実際に当事者が「どのようにして」家族に関わる認知を構成していくのかということを理論的および実証的に究明すべき問題として扱ったり、経験的データをもとに検討したりするという作業を生んでこなかった、という点において従来の家族社会学は、当事者が持つ主観的な認知が、家族研究に対して重大な論点を提示すると認識することがなかったと言ってよいと述べ、主観的家族論はこの点に疑義を提示するものであると位置づける(田渕[1996:25])。
*31 立岩真也は、これまでの論者の多くが「感情的包絡」「情緒的充足」「第一次的な福祉追求」といった、行為の質、動機づけの特質、あるいは家族の機能を見いだして、家族(あるいは近代家族)を定義してきたことに対して、第一に家族の存在を情緒的な関係があるという事態そのものだとすると、当事者の現実に則さない「家族」が多々見いだせること、第二に、情緒的な関係を全て家族であるとはいえないこと(これに成員の資格を付け足したところで、事態は変化しない)を挙げ、単に当事者の観念という問題だけではなく、行為の権利・義務に関して社会的な規則が存在することを指摘する。さらに、従来の議論では「誰が設定するのか」という視点の問題が重視されてこなかったとし、「私たちが漠然と家族として知っているものが、何によって構成されているのか、それを規定しているらしい諸要素を取り出し、その各々から帰結する像を確定することが必要」であると述べる(立岩[1992:32])。主観的家族論はこうした「誰が家族を定義するのか」という立岩の問題提起に対する一つの答えを提示するだろう。
*32 社会問題研究における社会構築主義の有名なテーゼとして「社会問題とは、人びとがそれが社会問題だと考えるところのものである」、「社会問題とは、ある状態が存在すると主張し、それが問題であると定義する人びとによる活動である」というものがある。
*33 日本の家族研究との関わりでは、山田[1994](愛情表現と家族との関係)、牟田[1996](言説分析の応用)、坂本[1997](家族イメージの創出という問題意識)と共鳴するという(訳者あとがき:345)。
*34 木戸は、従来の家族社会学は、専門用語(学術用語、操作概念)としての「家族」という概念を用いて、またこうした概念というフィルターを通して把握しうる家族のみをその考察の対象として、一定の成果を挙げてきたとする。木戸はこれを「家族社会学的家族」とでも呼べるような定義づけられた「家族」であるとする。つまり「家族とは何か」に関する明確な選択基準が存在し、それによって経験的現実が科学的に把握されているのだが、これはここから逸脱する事例によって常に批判にさらされることになる(木戸[1995:173]、池岡[1997]、田渕[1996]、立岩[1992]など、このことは幾人かの論者によって指摘されている)。しかし、この操作概念としての「家族」では捉えきることのできない家族が存在することを指摘する。
*35 木戸はこの主体に、あるものを指して「家族」と言わしめる論理的で抽象的、また潜在的な知識の体系、または文節カテゴリーを〈知としての家族〉とよぶ。またこれを山田[1989]の言う「主観的家族像」とぼぼ同義の操作概念であるとする。田渕の「リアリティの社会的定義」(「家族」に関する社会的に許容された知識体系」)とも同様であると思われる。これはその主体にとっての〈家族であるもの〉を確定化するうえで必要な装置であるという。これを操作的に導き出すことで、主体がなぜその時「家族」という言葉を選択するのかを考察することが可能になる。こうした個々人の〈知としての家族〉の行使の仕方を観察するために、操作的に問題状況を設定し、それに対する個人の反応を検証するという試みを行っている例えば以下のような課題、「親が反対している同棲のカップルに子どもが生まれました。彼ら3人は家族でしょうか、家族ではないでしょうか。あなたはどう思いますか。」に対して、二人一組で話し合って結論を出すことを求め、この議論の過程から、話者が対象をどのようなレトリックを使って家族である、あるいは家族ではないと主張するかを考察する。これによって、〈知としての家族〉へアプローチしていく(木戸[1997:5])。これに対して山田が行った「家族の範囲をめぐる意識調査」(1988〜89)は、例えば「長期間一緒に生活しているが、婚姻の届けをしていない男女」について@家族だと思う、Aどちらかというと家族だと思う、Bどちらかというと家族だと思わない、C家族だと思わない、の四つの選択肢から選ぶ形式で行っている。そのため、木戸が行っているような「家族」を解釈する「過程」を描くことはできない。したがって「人びとが家族という言葉を使用して把握している多様なリアリティ」を描くことに留まる。つまり「人々が思うところが家族」であることを示し(ペットを家族だとみなす)、それが何なの?ということになってしまう。こうした意味で木戸などの試みは、個々人の「言語表現」にこだわり、これを踏まえて〈知としての家族〉を考察することを目的にしたものであり、より「家族であるもの」を捉えることに対して自覚的であるといえるのではないか。
*36 池岡は「従来の家族定義を前提とする家族研究は、家族を定義することによって同時に「非家族」をも定義することになり、結果的にあらかじめ家族研究の対象を拡大することになる。それに対して、家族定義を前提としない家族研究は研究対象を限定することがない」と述べ、主観的家族論の可能性を説く(池岡[1997:1])。
*37 志田らの調査はまず、対象者自身によって自らの家族の対象を記述させ、自らの「家族」というラベルを誰に(何に)付与するかを対象者に問うために、「あなたが家族だと思うものを、思いつくままにすべてあげてください」という質問を行う。その結果から、家族としての対象をあげていない対象者と、何らかの家族としての対象をあげた対象者という二つのグループに分類し、それぞれに別個の質問項目を作成している。前者のグループに対しては、両親やきょうだいという、通常「家族」のラベルを付与されてもおかしくない対象に、それが行われなかった理由を尋ねる。後者のグループに対しては、すでに挙げられた対象が家族である理由を尋ね、またさらにそれ以外の、通常「家族」のラベルが付与される対象を挙げなかった理由を尋ねるという方法をとっている。そうして得られた記述から、十のカテゴリー(血縁・戸籍関係、同居、交流、親密性、困難時の相互依存、扶養、死亡、相手が生殖家族をすでに有している、その他)に分類している。
*38 このほかに、言説に注目した家族研究として、赤川[1997]、苫米地[1996]が挙げられる。赤川は、家族を「客観的な実在と言うよりは、むしろ人びとの日常的実践によって構築される現象ととらえる」ような理論的傾向を、家族の構築主義的把握と呼ぶ。こうした把握の仕方により、人びとが「家族」を認知し、意味づけ、日々の活動を行っていくその様相に、より微細な関心を向けることができるとする。また従来の家族社会学では見落とされてきたような、人びとが「家族」に対して抱く多様なリアリティ、リアリティの複数性を分析的に抽出し、処理することが可能になるとする(赤川[1997:106])。赤川は明治期末から大正期にかけての言説的構築について、その時期に出版された女性向け雑誌の言説をデータとして論じている。しかしこうした分析が、個々人が認知し、意味づけする「家族」を描くという、構築主義の利点を生かすものであるのかについては疑問が残る。
また苫米地伸は、構築主義的なレトリック分析を用いて、「夫婦別姓」の言説を再構成する試みを行っている。また「夫婦別姓」問題という言説の中で、どのように家族が扱われているかを考察している。苫米地によると、「夫婦別姓」に賛成する人々(賛成派)が理想とする家族像は、個人がそれぞれに尊重される家族である。「個人が家族をつくるのであって、家族に個人が組み込まれるのではない」。これに対して、反対する人々(反対派)は、社会の最小単位として「夫婦と子供」を措定する。しかしこれは相反するものではなく、「賛成派は愛情を先行させた上で「結婚」、そして「家族」を形成するのを理想とするのに対し、反対派は「結婚」を先行させ、そこから愛情のある「家族」の形成を理想とするという順序が異なっているだけ」と結論づけられる。また、この二つの家族が共に「愛情」を基本としていることを指摘している(苫米地[1996:72])。苫米地の論考は、「夫婦別姓」についてのレトリックの応酬を構築主義的に記述しながら、その中でどのように「家族」が扱われているかを考察した興味深いものである。構築主義的な家族研究の実証的な試みとして評価されるべきものだろう。また、「家族」という言葉だけに拘ることのない、構築主義的家族研究への道を開いたといえるのではないか。
*39 ライフヒストリー研究は、人類学ではすでに方法論として確立されているが、社会学の分野では1950年代(日本においては1970年代)に、それまで主流であった統計的調査法と構造機能主義に対して異議申し立てがなされ、再び光が当てられたものである。主流の社会学への批判は、「個人を正統な対象としてこなかった」という点であり、これに対してライフヒストリー研究が提起するのは「個人の復権」(プラマー)である。このリバイバルには、シンボリック相互作用論はもちろんのこと、文化人類学、歴史社会心理学、歴史社会学、役割理論、理解社会学など、さまざまな理論的枠組みが使われている。また現象学的社会学やエスノメソドロジー、解釈学などが「ライフヒストリー研究を進める際の大きな布石になっている」という(中野・桜井編[1995:9])。
*40 個人に焦点を当てる方法として、ライフコース研究を付け加えることができるだろう。ライフコース研究は、主としてライフパターンの析出を分析の中心に据えたものだが、個々人の人生を対象にすることで、生活史研究との対比や論争が生まれ、ライフサイクル論よりは、事例研究を併用することが多くなるという(池岡[1997:5])。正岡らの一連のライフコース研究でも、人口学的・統計的分析と、生活史(ライフヒストリー)分析の併用が主張され、実施されている(正岡[1992])。また大久保・嶋崎[1995]においても、分析のスタイルとして、現象一般を対象とする統計的分析と具体的な個々の現象を対象とする事例分析があるとし、両者は相互補完的に併用されるべきであるとする。統計的分析として、家族経歴、職業経歴、転機と時間、人生の浮沈感覚、事例分析として転機の類型、戦争と転機が挙げられている(大久保・嶋崎[1995:65])。また佐藤健二はライフコース論が、ライフヒストリーのテクストを切り分けて整理するという一定の役割を果たすと述べる(佐藤[1995:22-23])。ライフコース論に関しては、大久保・嶋崎[1995]など参照。
*41 構築主義的家族研究とライフヒストリー研究の差異はどこにあるのか。まず一つには、前者が歴史学や人類学、あるいは現象学の理論枠組みを使用するものであること。したがって、ライフヒストリー研究は「日常生活世界のリアリティ構成」を主題とする現象学的社会学や、「人びとの方法」を探るエスノメソドロジーと共通する視座を有している(主観的家族論も同様である田渕[1996])。一方で構築主義は社会問題論の分野で発達したものである。従来の社会問題研究の主流は機能的および規範的アプローチであり、社会問題として研究者が措定したものが、研究者の「常識」や「規範」や「判断」によって論じられていたことへの批判から提出されたものである。このため、「問題」の客観的状態を措定するのではなく、メンバーによる「クレイム申し立て活動」などによってそれを「社会問題」だとする姿勢をとる。つまり、これが家族研究に応用されるときには、「家族」とは「人々の言説を通じて社会的に構築される現象」としてとらえられることになり、従って人々の言説に非常な重きを置き、また家族の客観的な定義を否定する視角を持つ(Gubrium & Holstein[1990=1997:330])。後者の点において二つの方法論の相違点が見いだせる。ライフヒストリー研究は、社会を構成する主体としての「個人」へ注目する視角を有しているが、これが家族研究に導入される場合、「個人の認識・解釈」への注目へと変換され、分析者の側が「客観的」な家族定義を分析視角に持ち込む可能性もあり、注意深く扱う必要がある。これらの方法論を援用する第四章において詳しく論じる。
*42 またライフヒストリー研究は、ライフコース研究とも重なり合う面を持ち、相互補完的な役割を持つことが指摘されている。本論文では、障害者が「自立」を語る言葉に注目するが、これは障害者にとっての「自立」が「家族と同居する場から一人暮らしへ」を意味する限りで、ライフコース論の「家族経歴」を辿るという手法に類似したものであるといえる。「自立」を語るときに障害者の「家族」が逆照射され、その「語り」のなかでよりくっきりとした輪郭を描くことが可能になる。実のところ聞き取りをはじめた当初は、障害者へ「自立」の契機やその経緯を尋ねることは、「家族」に関する話題を引き出すきっかけとしていたにすぎなかった。しかし結果的には、「自立」を語るときに登場する「家族」に関する言説を収集することが、本論文の目的に対して有効に働くことになった。というのは、これによって先行研究にみたような、研究者の側で「家族」について考えさせる状況を定義することを回避することが可能になるからである。
第二章 「障害者と家族」研究の展開
ここでは障害者と家族についての先行研究を批判的に検討する中から、本論文の課題と意義を見いだすことを目的とする。第1節では近年の障害者を取り巻く状況を概観し、どのような中でこれらの論考が著されたのかを考察する。第2節で先行研究を具体的に見ていき、第3節において特に「脱家族」論に対して批判的に検討を加える*01。
第1節 障害者をとりまく状況の変化
1.国際障害者年に関わる動き
最近の二十数年の障害者福祉の進展ぶりはめざましいものがあるという。日本における障害者福祉の進展に多大な影響を及ぼしたのは、国連による障害者に関する幾つかの宣言である。1971年に「知的障害者の権利宣言」、1975年には、すべての障害者の権利を擁護するための「障害者の権利宣言」が採択された*02。これを具現化するために、1981年を「国際障害者年」とすることが総会において決議され、1983年からの十年間が「国連・障害者の十年」と定められた。これにあわせて、日本においても「障害者対策に関する長期計画」(1983年からの十年間)が策定される。また、二つの機関、「国際障害者年推進本部」(総理府)、「国際障害者年特別委員会」(中心心身障害者対策協議会)が設置された。さらに国際障害者年のテーマである「完全参加と平等」を実現させようと、1980年国際障害者年日本推進協議会が組織された*03。
また同時期、アメリカの自立生活運動(→第三章第2節参照)に代表される障害者パワーの台頭は、新しい自立観と、障害者自身の政策決定過程への主体的参加、参画の必要性を示した。とくに、1983年3月、重度障害者を中心とした実行委員会組織の要請に応え、約二週間にわたって、バークレーとハワイのCIL*04の活動家と介助者の十余名が日本を訪れたことは、日本の障害者に多大な影響をもたらした。彼らは東京(3回)、神奈川、愛知、京都、大阪、福岡で計8回のセミナーを行い、啓蒙と交流の役割を果たした。このアメリカの活動家たちの来日により、日本にも存在していた自立生活を求める運動は、急速に力をつけていった。
また一方で厚生省の側から呼びかけられた、当事者を含めた研究会(「脳性マヒ者等全身性障害者問題研究会」)の成果として、1984年に、はじめて「自立」を扱った『自立生活への道』(全国社会福祉協議会)が刊行される。
2.障害者への認識と理解の深まり
国際障害者年に関わる一連の動きの中で、国・地方自治体による施策の充実、そして障害者福祉の理念の確立において、これまでに例のない程の進展がみられた。このような中で一般市民への「障害者」の認知や理解が飛躍的にすすんだ。「障害者問題についての意識調査」(総理府、1981)によると、東京都民の90%が国際障害者年を知っており、ロサンゼルス市民33%、パリ市民66%を上回り、調査した都市の中では周知度はトップであった(大野[1988:30])。「障害者」に対する認知はともかく「理解」に関しては疑問も出されている。しかし国際障害者年が、多くの人々にとって全く知らない存在であった「障害者」について知るきっかけを与えたことは、確実にいえるだろう。こうした中で、障害者が徐々に外へ出かけるようになり、彼らの著作が幾つか著される*05。
また一方で「施設から地域へ」という障害者に対する施策が(一方では「家族による介護力を期待したものだ」と批判されながらも)行われ、福祉論や地域福祉論という領域において、「障害者(児)と家族」が論じられるようになる*06。さらに自立生活運動への注目が高まる中で、「脱家族」という主張との関わりで「障害者と家族」を論じたものが80年代後半に著される。次節からはこれらを詳しく見ていく。
第2節 「障害者と家族」研究の展開
1.概要
ここでは「障害者と家族」について論じる先行研究を見ていく。障害者に関わる論考は少ないわけではない。医療・リハビリテーション的視点からの研究は多くある。また個人の損傷が問題の核心であるとする「医療モデル」的な見方ではなく、障害者をとりまく環境や人間的・社会科学的側面に注目する研究も多数存在することは、長瀬修によって指摘されている(長瀬[1995])*07。しかし「障害者と家族」という限られた領域になると、それは格段に減少する。久保紘章は障害児に限定してではあるが、「わが国の場合、障害児を持つ親や家族についての研究は、いくつかの先駆的な研究はあるもののまだ本格的なものは少ない。障害児本人に焦点が当てられていて、家族は常に背後に押しやられている」と指摘する*08。
こうした状況と合わせて、ここでは「障害児と親(家族)」についての論考も先行研究に含めて見ていくことにする。その理由は第一に、しばしばこれらの中では障害児と障害者が混同して論じられていること、第二に、本論文で注目する重度の全身性障害者の大半が、成人後も引き続き在宅で、主に家族の介護を受けて生活しており、幼少時からの継続的な問題を有していることが挙げられる。
「障害者と家族」は主に三つの論じ方に分類することができる。一つは福祉論、地域福祉論において福祉の対象として論じるもの、二つめに「障害児の親」を中心に論じるもの、三つめに自立生活運動における「脱家族」に関連して論じるものである。これらの先行研究を批判的に検討し、特に「脱家族」論について詳しく見ていくことにする*09。
ここで触れるのは、筆者が文献をたどった上で重要だと判断した、少数の先行研究に限られるが、注目すべきことは、これらの中で障害者とその家族との関係を主題的に論じたものがほとんどないことである。この理由についても最後に考察を試みる。
2.福祉論における「家族」
まず、福祉論が家族をどのように把握してきたかを見ていく。岡原正幸によると、これまでの福祉論において「家族」のとらえ方は、福祉機能の多くを家族に求めるかどうか、具体的には福祉の対象とされる人々のケアを家族がするのか、それ以外の制度がするのかという論点によって、大きく二つに分けられる。ただし、これらは可能ならば家族が福祉機能を果たすべきだとする点は一致している(岡原[1990a:76-78])。
岡原に依って、これまでの戦後日本における社会福祉の政策的、理論的流れを概観する。まず、大家族制や地域共同体の消滅、都市における核家族化などを背景にして家族機能の弱体化が指摘されていく。その結果、福祉機能は家族にではなく、それを補完すべき公的制度に求めるべきだとするとらえ方が出てくる。ここで重要なのは主にそれが資源論的観点、つまり人的・物的資源の欠如や調達不能の問題からなされた議論であることである。
二つめとして、高度成長期が終わり経済的な停滞が訪れるにつれて、社会福祉責任の主体を公的制度にのみ求めるべきではないというとらえ方、日本型福祉社会の構想が現れる。これは家族に福祉機能を再度求めるものだが、家族の資源的限界が克服されたからではなく、むしろ社会全体の資源的限界が明白になったから登場したものである。これが主張された直接的な原因は、緊縮財政による「福祉切り捨て」といわれた事態であったが、もう一つの理由として「心の問題」が挙げられた。つまり施設がいくら豪華で快適であっても、家族がもつ「暖かさ」はない。「人間的」に成長するには家族の間の情緒的関係が大事だとする主張である*10。特にこの後者の「家族の暖かさ」を重視した立論は、以下に見る論考にも使用されている点で重要である。
3.福祉政策との関わりを論じたもの
次に政策との関わりで「障害者と家族」を論じているものをみていく。これらは「成人した障害者の子ども」と「老齢化した親」の問題を主題として論じている。
川池智子は、「障害者家庭」*11において、介護にあたっているのは大半が家族であることを指摘する。また成人した障害者の子どもがいる家庭について、子どもの「障害者問題」と親たちの「老人問題」を抱えており、状況は深刻であると述べる(川池[1989:169])。また、障害者家庭に対する実態調査に即して、介護者の心身の負担が大きいこと、また障害者の介護だけでなく家事、老人の介護を担っていることが指摘される。
ここで重要なことは、こうした議論の前提として「(要介護障害者は)彼らが家庭にいれば、《当然家族がその生活を支えなければならない》」(川池[1989:158])と述べられていることである。また、1981年の『厚生白書』の次のような一文を引用する。
「人間にとって基本的な生活の場は家庭であり、《障害者においても可能な限り家族の一員として家族との暖かいふれあいの中で生活する》とともに、地域社会にその一員として参加できる方向に今後の施策の重点を移していく必要がある。」
川池はこれについて、施策の方針自体は障害者、家族双方にとって望ましいとする。しかしながら、現在障害者家庭が抱える問題は、家族の限界までの「自助努力」と「受益者負担」を要求する在宅福祉施策に原因があるとする。
この川池の立論は、障害者の介護を、基本的には「家族との暖かいふれあいの中で」行い、それを補うような公的ケアを求める立場を取るものであり、岡原のいう、高度成長期以降の福祉論にほぼ即しているといえる。
また、春日キスヨは川池と同様に、成人した子どもたちの「障害者問題」と、親たちの「老人問題」を共に抱えることの問題を指摘している(春日[1992])。しかし春日はまず、従来の研究が、親や家族が障害児の発達を保障する支援者、もしくはそれを阻害する加害者としてのみとらえられる傾向があったことを批判し、「子どもが障害を持つということは、他の家族成員にとっても問題である」という視角への転換を示す。そして公的サービスは、「障害児(者)を抱えた家族」に対してなされるべきだと主張する。川池が「家族介護の辛さ」を前提として議論に組み込み、「家族が担えない部分について公的サービスを供給すること」を求めるのに対し、春日の「障害児(者)の介護を行う家族の辛さ」を自明視しない視角は、「障害児(者)と家族」論を一歩先に進める可能性を持つものである。
しかし「家族」を基盤におき、その上で論議を行っているという点では、川池も春日も同じ問題性を有している。また、「家族」へのサポート体制(相談事業や支援サービス)を整えることによって解決の道を探るという春日の姿勢は、「家族」の辛さを指摘しながらも、また「家族」ぐるみで解決すべきものとして返していくものである。つまり、障害者(児)の介護は基本的には家族で、それを補うものとして公的サービスを位置づける、従来の福祉論の延長線上にあると言わざるをえない。
4.「障害者(児)と親」論
4.1 「悲嘆の過程」からの脱出
ここでは「障害者(児)と親」を主題として扱った論考として、要田[1986][1996]、石川[1992]を見ていく。要田は「健全者の論理」から、石川は「アイデンティティ論」からそれぞれを論を展開する。
要田洋江は、従来の障害児と家族の問題を扱った研究は、親を“悲劇の主人公”としてとらえ、その悲劇からいかに救出すべきかを議論の前提としたものが一般的であったと指摘する。こうした研究において、親は「慣れる」ことによって悲しみは癒えると論じられているにすぎず、こうした「悲嘆の過程」(Klaus,M.H.)は、「常識」つまり、「健全者」としての親の立場からのみ論じられていたにすぎないと批判する(要田[1986])。
また我々の日常生活には、「健全者」と「障害者」を区別し、「障害者」を周辺に追いやることをとおしてのみ、「健全者」が中心にいることができるという、「健全者」に対する「障害者」への差別の仕組みがある(要田はこれを「障害者差別のメカニズム」と呼ぶ(要田[1996:85]))。要田は、親たちの障害児が生まれた時のショックは、自らが持っていた「健全者の論理」において成立している「常識」から来るものであると指摘する。また親たちの「とまどい」は障害児を持った親たちが、“世間から差別される対象”であると同時に、“差別する主体”でもあるという両義的存在であることに由来していると述べる。そして親達が自らの内にある「常識」と障害児がいる「現実」とのなかで、「健全者の論理」を超えていく過程を記述している。
また石川准も、要田と同様に、親が子供の障害を受容する「悲嘆の過程」という古典的理論を批判する。そして「障害のある子供を育てるという体験を通して親たちが自分の価値観、枠組、存在証明の方法を変更し<健常者の論理>から少しずつ自分を解放していくことで、<悲嘆の過程>の無限ループから脱出していくということを、フィールドワークから得た知見および存在証明の理論、家族と愛情についての理論を根拠に論じる(石川[1995])。
石川によると「存在証明」とは、「自分にとって望ましいアイデンティティを獲得し、望ましくないアイデンティティを返上しようと、日々あらゆる方法を駆使する」ことだという。障害児の親たちは、はじめは「障害児の親」というレッテルをアイデンティティとすることを拒否しようとして、子供の障害を否定する。しかし「障害児の親」は、やがてもっとも中心的なアイデンティティとして、引き受けられていく。「障害児の親」として適切にふるまうことによって、再び存在証明を達成しようとするのである。「障害児の親」としての適切なふるまいとは、愛情深い親であることであるという。また、とくに母親が閉鎖的な空間を作ってしまうことについて、障害児を産んだ責任感を負わされることからくる、罪責感からくるものであると述べる。
要田と石川の論考は、親へのインタビューやフィールドワークで得た知見などから、障害児を持つ親の内面の変容過程に注目し、従来の障害児の親を「悲劇の主人公」ととらえる見方からの転換が示されている点で、「障害者(児)の親」論にインパクトを与えたといえる。また両者はともに「自立生活運動」での「脱家族」という主張にも言及している(これについては後で詳しく論じる)。次に「脱家族」を主題的に扱った岡原[1990a]の中から親について述べている箇所をみてみよう。
4.2 「脱家族」論における「親」論
「脱家族」をごく簡単に説明するならば、主として全身性障害者によってなされた自立生活運動のスローガンの一つである。彼らは施設や家族ではなく地域で、他人に介助を依頼して生活することを主張した。
岡原正幸の論考は、ここで取り上げた中では「障害者(児)の親」だけではなく「障害当事者」の言説を取り入れた唯一のものであるとういう点において、これまでの障害者論に一石を投じたといってよい。ここでは「障害者(児)の親」に関して論じた箇所をみていく。
岡原は、普段われわれが空気のように感じている家族には「愛情」がつきものであるが、さまざまな問題が、「愛情の欠如」として一般的に語られていることを指摘する。また、愛情を母親に強制する構造があり、その愛情の証を求める社会が存在すると述べる。それは、次のような要因によるものだという。
1)障害者の行動や身体について家族、親が責任を負うとされること
2)障害を持つ子を産んでしまったという母親による罪責感が存在すること
この理由として@「障害」が社会や個人から否定的に位置づけられていること、A「障害児」を出産した母親に、障害の原因が現実的にも象徴的にも帰属されるということを挙げる(岡原[1990a:85]))。
岡原は愛情と親の行動の関係を次のように述べている。
「無限の愛情を表すには無限の行動が必要である。この場合、無限の行動は子供のすべてを配慮して、微に入り細に入り介入していくこととして具体化される。これが家族での閉鎖的空間を作ってしまう。親は子供を囲い込んで、すべてを自分の監視下におき、責任をとろうとする。…さらに、そこで行われるすべての行動や介入が「愛ゆえに」という言説で正当化されてしまう。まさに、愛ゆえの「出口なし」である。」(岡原[1990a:93])*12
また、前述した春日によっても同様の、「愛情による母子関係の囲い込み」の構造的要因についての指摘がなされている*13。さきほどの石川の論考をふくめて三者は従来ほとんど論じられていなかったこの「囲い込み」の構造を考察しているという点で重要である。
5.小括
福祉政策との関わりで論じた川池や春日の論考は、基本的には「障害者と家族」を、福祉の対象として、どのような政策が有効であるかという視点から論じたのものであった。それは「家族との暖かいふれあい」を基礎とした、それを補完する形での公的サービスを求めるものであり、「心」の問題を重視する「日本型福祉社会」の福祉論にほぼ即したものであるといえる。こうした立論においては「家族が大変だから、公的ケアで補う」という、家族の労力の限界についての議論に留まる。つまり「家族がみる」ことを前提とした立論においては、家族による介護・介助そのものを問い返す余地がない。
「障害者と家族」を主題とした研究は、重度障害者の「自立」を目指す「自立生活運動」が1980年代後半になって注目されるようになるまでは、ほとんどなかったといってよい。国際障害者年などの契機があり、障害者への認識、理解が進み、重度障害者の「自立」が論じられるようになって十年余が立とうとしている。その間、福祉の対象としての「障害者」や「障害者(児)の親」から、行為主体としての「障害者」や「障害者(児)の親」へ、また「障害者と家族」の問題へも目が向けられるようになってきたといえる。
要田や石川の論考もこうした流れの中にある。これらは従来の「悲劇の主人公」としての「障害児の親」論から、主体としての「障害児の親」論への転換を示したという点、また「成人後の障害児」と親についても言及している点において、注目すべきものである。「成長した障害児」、「成長した子ども」という言葉が使われることからも分かるが、障害児と障害者に関わる問題は、継続性を持つものであり、そうした意味ではこれらの論考も本論文の議論に大きな示唆を与えるものである。
またこれまで見てきた中で、「障害者と家族」を主題的に論じているのは岡原の論考のみである*14。岡原は自立生活運動の「脱家族」からこれを論じている。また要田や石川が「障害者と家族」を主題的に論じた箇所も「脱家族」との関連であることから、「障害者と家族」について考察するとき、この主張は重要な意味を持つものであることがわかる。次節ではこの「脱家族」についての議論を中心に見ていき、これらに批判的検討を加える。
第3節 先行研究の批判的検討
ここでは石川[1995]、要田[1986][1996]から「脱家族」を主題的に論じた箇所、岡原[1990a]を取り上げ、これらが「障害者と家族」について、何を明らかにしたのか、また何を明らかにしていないのか、という視点から批判的検討を加える。そして改めて本論文における問題提起を行う。
1.「脱家族」論
要田は「脱家族」は、障害者が自らの生を肯定するアイデンティティを確立するための手段であるという。それは親たちの持つ「健全者の論理」に絡め取られないようにするためだとする(要田[1986:21-22])。
また石川はこれまでの障害者運動において、親は障害者の自立を阻む存在として描かれてきたと指摘する(石川[1995:36])。しかし「脱家族」という主張は、親を非難したり、拒絶しようとするのではなく、親の「子供を差別・排除する社会の現場監督、エージェントとしての役割」を、批判しようとしたものであるという。しかし石川は、親も子どもたちと関わる体験を通して、自分たちの認識枠組みの差別性を知って、それらからの解放をめざすようになったと述べる。つまり親は、いたずらに社会のエージェントとして子供を愛し、監視し、責任を負い続けるだけの存在ではないと論じる。そして「これまでの障害者運動は親を過小評価しすぎてきたのではないか」という疑問を発している。
両者の論を単純に展開するならば、障害者はこれまで親の担わされてきた「社会のエージェント」としての役割を過剰に否定してきた。しかし親もこうした枠組みからの解放を遂げつつある。もしこれが完全に達成されるならば、障害者は「自らの生を肯定するアイデンティティ」を獲得し、必然的に「脱家族」の主張の必要性はなくなるということになるだろう。これについては後で詳しく論じる。
また岡原は、「自立生活」という主張に含意された「脱家族」というものが、どのような内実から発せられるのかを、障害者本人や、親への聞き取り、個人的対話などから明らかにし、そうした中で「家族」の輪郭を描く試みを行っている(岡原[1990a])。
岡原は「脱家族」の意味するところを次のようにまとめている。
1)障害者が独自の人格として周囲との対等な関係を作りつつ、自分の責任で自分の望む生活を営むということ。
2)障害を持って生きるという側面を、家族という空間のみに押しつけないこと。
3)障害に関わる否定的観念を排すること。
4)愛情を至上の価値として運営される家族、といった意識がもたらす問題点を顕在化すること。
5)家族関係の多様なあり方を示すこと。
また岡原は、障害者側が「親の愛情を強く否定してきた意味」を次のように説明している。
「社会やそこに住む人々に、母と子どもがひとつの閉鎖的な情緒的空間を作るべきであり、それがいいのだという意識がある限り、「自立」して障害者が一人で生きようなどとするのは論外ということになる。それも普遍的に価値づけられた愛情という形をとるので、それに抵抗するには勢い過激な言葉を必要とすることになる。人々が自然で当然と思っていることに、最初に意義を唱えるには、相当のエネルギーが必要だろうと思う。だから日本における自立生活運動のはしりである青い芝の会が、「愛を否定する」といわざるをえないのには、訳があるのだ。」(岡原[1990a:96])
また、ここで注目すべきものは当事者による「脱家族」論である。青い芝の会の運動のリーダーであった横塚晃一は、自立生活運動に先駆けて、「脳性マヒの親子関係」について言及し、障害者運動はまず、親を通して覆い被さってくる差別意識と戦わなければならず、「親からの独立(精神的にも)ということが先決」であると述べている(横塚[1975→1981:17])*15。こうした論理の展開として、有名な「泣きながらでも親不孝を詫びながらでも、親の偏愛をけっ飛ばさねばならないのが我々の宿命である」という発言がなされることになる。当事者による「脱家族」論は他に磯部[1984]がある*16が、これらは実存的体験に基づく、「愛」への疑義の表明であり、当事者に大きな影響を与えたという点において重要である*17。
2.「脱家族」論への批判的検討
ここでは先に見た「障害者(児)と親」論と合わせて批判的に検討していく。
先に見た石川や岡原や春日は、「愛情による母子関係の囲い込み」の構造的要因について、ほぼ同様の指摘を行っている。この背景には「近代家族論」が、1980年代後半になって日本へ取り入れられたことがある。これは従来圧倒的に支配的であった、親−子の愛情を自明なものとする家族観を脱構築するものであった。こうした「愛情」を自明視しない視角によって「障害者家庭」における「制度としての愛情」の構造が明らかにされたといえる。また特に春日や岡原の論考においては、「母親」や女性のおかれた状況の特殊性が、性別分業などとの関連から論じられており、その背景には、ジェンダーの視点を取り入れた研究の蓄積があったことも忘れてはならない。また横塚のような当事者からの言明も、当然これらの論考に影響を与えているだろう*18。
これらの論考は、確実に従来の「障害者と家族」についての議論を前進させたといえる。しかしながらまず留意すべき点として、岡原の論考を除いて「当事者」の言説や言明を取り入れ、これを主題として論じたものではないということである。もちろん要田、石川の論考において主題とされているのは、「親」の側の障害児に対する意識であり、親の側が「障害」に対する認識枠組みを変更していく過程を示したことの意義は、否定されるものではない。しかしながらこれらの論考から浮かび上がる、「障害者と家族」の関係は、ある側面、ここでは親の視点から見た一面にすぎないことに注意しなくてはならない。
この点において本論文は、聞き取りという手法を用いた、障害者当人の視点からの「障害者と家族」をとらえる試みとして位置づけられ、これらの議論に欠けている面を浮かび上がらせ、さらに展開させることが可能であると思われる。
第二に、これについては後で詳しく述べるが、岡原は介助行為が介在する関係において、そこに構造的な問題が存在することを指摘している(岡原[1990b])。また家族による介護・介助に限界があるという議論も行われてきている(川池[1989]、旭[1993]他)。しかしそれにもかかわらず、これまで見てきたように、ほとんどの論者が母親が子どもと閉鎖的な空間を作ることにより「囲い込み」の構造があることを指摘する際に、「親が障害者の介護・介助を行うこと」、とくに「成人後も親が子どもを介護・介助し続けること」を前提として組み込んだ議論を行っている。「母親の愛情による子どもの囲い込み」の構造が指摘されたことは、もちろん評価されるべきであり、これによって障害者の母子関係の「辛さ」を理論的に明らかにした意義は認められる。しかし、それ以前に「親による子どもの介護・介助」を問い返す試みが行われなければならないのではないか。そしてその際、親と子どもの間に、どのような関係性が創出されるかも問われなくてはならない。介護・介助という行為は、構造的な問題を生じさせるものであるという。しかしながら、これが家族の間に介在するとき、「問題」と見なす視角は失われがちとなる。これは「親が子どもをみる」ことが自明視されているからに他ならない。こうした従来の立論への批判的検討から、「親が子どもの介護・介助を行うこと」自体を問い返すことが、本論文での課題の一つとなる。
第三に、最初のものと関連するが、石川や要田は、親自らが「健全者の論理」を否定し、自らの持つ価値観を変更して、認識枠組みを変更させつつあると論じる。また要田は親が子どもに「利己的な愛情」を注いできたために、障害者である子どもは「人間として生きる」ことを否定されてきたとする。そして親が、自分自身を尊重した家庭生活をとりもどし、「かけがえのないわが子のいのちに向き合うという新しい家族」を建設し、利他的な愛情を注ぐことによって、自立した障害者を育てることができると論じる(要田[1996:96]。こうした両者の立論に基づくと、親の側の認識や、ライフスタイルを変更することによって、障害者と親(家族)の間の問題は解決されることになり、子どもの側の「脱家族」という主張は必要ないということになる。しかしこれはあまりに楽観的な見方であるのではないか。親の認識や意識だけの問題であろうか。それだけでは解決できない問題が多分に残されているのではないだろうか。ここに、「親」の側から論じることの限界を見ることができる。
これらの批判的検討から、第四章において、親ではなく、子どもである障害当事者の視点に立ち、「親による介護・介助」を問い返すという試みを行う。そこにどのような関係性が生じ、これを障害者自身がどのように認識しているかを、彼らの言説から明らかにすることがそこでの課題となる。
□小括
この章では「障害者と家族」を論じた先行研究をみてきたが、ここではまとめにかえて、なぜこれまで家族社会学において「障害者家庭」「脱家族」が論じられてこなかったのかを考察する。
家族社会学という領域において、「障害者」を主題的に論じた研究の蓄積はまったくといってよいほどない。「自立生活運動」や「脱家族」のスローガンがそれほど広く知られているわけではない。また障害者は従来福祉論や、リハビリテーション論において論じられることが多かったという状況もある。しかし、障害者側による「家族」への言及は、さまざまな著作によってなされている。また母親が障害を持つ子供を殺害するなどの事件が、70年代には多数起きており、「家族社会学」がここに注目する土台はできあがっていたといえる。これまでにこの領域において、行為者としての障害者や、障害者と家族の関係、また「脱家族」という主張が主題的に論じられなかった理由を考えなくてはならない。
主な理由として、次のようなものが挙げられる。まず家族社会学の方法論的なことである。従来の家族社会学は、家族内の権力構造や機能を明らかにすることを目的とした、「実証主義的アプローチ」が中心であったため、個々人が営む「家族」に関しての記述に欠ける面があったということ、まして「障害者家庭」における当事者の「脱家族」という主張には注意を向けられてこなかったこと。二つめとして、家族社会学のパラダイムに関わることである(第一章参照)。特に1970年代は「森岡による標準的な家族研究のスタイル」(集団論的アプローチ)が定着し、これが家族社会学を支配した時期であった(池岡[1997:4])。その中でも森岡による「家族は成員相互の深い感情的係わりあいで結ばれた、福祉福祉志向の集団である」という定義が支配的であったために、「障害者家庭」も一括りにとらえられていたこと。またこれに関わることであるが、家族の間の「感情的係わりあい」(愛情)が自明なものとされていたため、家族が障害者の介護を行うのは当然とみなされていたことがある。これが前述したように、「脱家族」論においても、「親が子どもを介護すること」自体は、前提に組み込まれた議論が行われていたことにもつながる*19。つまり、従来の家族社会学の枠組みでは「障害者と家族」や「脱家族」を、主題として論じることが出来なかったのである。
こうした文脈からみると、本論文においては、従来の集団論的研究では軽視されてきた個々人の認識、実践する「家族」に焦点を当て、「家族のきずな」や「感情的かかわりあい」を中心とする家族定義の有効性を疑い、それを留保することによって、障害者と家族の関係や、「脱家族」・「自立」の主張に含まれる別の側面にアプローチし、これを明らかにすることが目指されることになる。
(註)
*01 本論文での「障害者」とは、主に全身性の重度身体障害者のことを指すが、先行研究においてはこの限りではない。また本論文では子どもとしての障害者が認識し、経験(実践)する「家族」を論じることを主題としているため、「障害者と家族」という場合は、障害者が自ら形成する「生殖家族」ではなく、生まれ育ってきた「定位家族」を意味する。前者については基本的には言及を行わない。これはいわゆる「生殖家族を営む」障害者、結婚などをして子どもがいる方に、私が出会う機会が少なかったというだけではない(重度障害者の婚姻率が低いという潜在的な問題もあるが)。これまでの障害者運動において問題とされてきたのは親との関係であったということ、また日常生活に介助を必要とする重度障害者にとって、介助者である親からの「自立」が大きな意味を持つことから、「子ども」としての障害者がとらえる「家族」に注目することが意義があると思われるためである。
*02 この宣言は「障害者の世界人権宣言」ともいうべきもので、障害者福祉の基本理念の原点であるという。第3条には「障害者は、人間としての尊厳が尊重される生まれながらの権利を有している。障害者は、障害の原因、特質及び程度にかかわらず、同年齢の市民と同等の基本的権利を持ち、このことは、まず第一に、出来る限り普通の、また充分に満たされた、相応の生活を送ることができる権利を有することである。」とある。
*03 「完全参加と平等」は、ノーマライゼーションとその思想的基盤を同じくする理念であり、「障害者のいる社会こそが、ノーマルな社会なのであり、障害者を社会における正当で不可欠の一員として位置づけ、障害者と障害者以外の人びとの生活の統合をはかることが大事だ」とする考え方である。1950年代のデンマーク、スウェーデンで誕生したノーマライゼーションの理念は、当初、知的障害者の施設処遇のあり方をめぐって提唱されたが、現在では、障害を持つすべての人に、また高齢者、児童などを含む社会福祉の全領域に共通する理念だといえる。
「ノーマライゼーションとは、知的障害をその障害とともに(障害があっても)受容することであり、彼らにノーマルな生活条件を提供することである。すなわち、最大限に発達できるようにするという目的のために、障害者個人のニーズに合わせた処遇、教育、訓練を含めて、他の市民に与えられているのと同じ条件を彼らに提供することを意味している。」(デンマークの知的障害者サービスを規定した「1959年法」にかかわった社会省の行政官、N.E.Bank Mikkelsenの言葉)
「障害を持つ人も老人も子どもも、すべての人が同じように社会の一員として存在している社会がノーマルであり、日常の生活においては、障害を持つ人たちのいろいろな欲求が、社会の他の人たちと同じように、ごく自然に満たされていくことが当然である。」
「障害を持つ人たちをノーマライズするのではなく、環境をノーマライズしなければならない。」(スウェーデンの知的障害者協会の事務局長であったBengt Nirjeの言葉)
以上は、三ツ木[1997b]より抜粋。また仲村・板山[1984]の「序」参照。
*04 Center for Independent Living:自立生活センター(→第三章参照)
*05 小山内[1981][1988]など。またCILに関連するものも多い。福島[1987]など。
*06 以上の流れは、三ツ木[1997a]、三ツ木[1990b]他、調[1984]、立岩[1990]など参照。
*07 長瀬修は、欧米においては「障害」の社会・経済・政治的側面に目を向ける研究、学問が進んでおり、「医療モデル」や「個人の悲劇モデル」と呼ばれる個人の損傷が問題の核心であるとする従来の視点から、環境や社会の組織自体のほうにこそ問題があるという視点への転換が起こっていると述べる(長瀬[1995])。その背景には1982年の米国における「障害学」学会の結成などによる、障害の研究の進展、障害に関する理論化が進んだことを挙げている。しかし日本においては障害への社会的側面からの取り組みは、組織的、体系的にはなされておらず、医療・リハビリテーション的視点からではない、「障害学」の構築が必要であると説く。しかし、その基盤となるべき蓄積は花田[1990]、安積他[1990]、佐藤[1992]などをはじめ多数存在すると述べる。「障害学」についてはここではこれ以上詳しく触れないが、欧米の先行研究を検討することは今後の課題としたい。また長瀬は「障害」と書くが、ここで注目する「障害者」と意味的に厳密な差はないと考える。
*08 ヒューイット =1990 久保紘章監訳『脳性マヒ児と家族』海鳴社久保による「まえがき」
*09 障害当事者による「家族論」も重要なものであるが、これについては特に「脱家族」論に関連したものが多いことから、その中の一つとして論じることにする。
*10 地域福祉論においても、「障害者と家族」は論じられている。
地域福祉論は、「生活の場」としての地域社会が重視されるようになった、1970年代半ば頃現れてきたものである。また障害者施設中心の施策から、在宅福祉が施策が重点として打ち出され、地域社会を中心にすえた地域福祉政策が展開されるようになったのは80年代であるという(中野[1997:78])。地域福祉論において、「障害者と家族」は「高齢者サービス」と並列される「障害者サービス」または「在宅福祉サービス」という項目において論じられる(これは教科書的な扱いであることに注意しなくてはならないのだが)。この中の「家事援助的サービス」については次のように述べられている。
「日常生活上の家事援助的サービス(非専門的サービス)
朝起きてから次の日の朝起きるまでの間の日常生活上のニーズに対応するもので、衣服着脱、洗面、食事、排泄、外食、買物、移動、洗濯、掃除、布団乾燥、代読、代筆、会話、つめきり、入浴、安否確認等々に対する非専門的な援助サービスをいう。これらのニーズ対応の担い手は、通常は家族であるが、家族ができなかったり、いなかったりの場合、制度としてはホームヘルパーの派遣(家庭奉仕員派遣制度)がある」(沢方[1990:123])。
つまり、公的サービスは、日常生活のケアの通常の担い手が家族であるという前提のもとに行われるものだと説明されている。また在宅ケアに関しては、「(…要介護ケア者は)家族が24時間介護しているのが実態である。在宅ケアは、この家族の私的なケアを前提にしているのである。いわば、家族成員もケアの一端を積極的に担う主体者として期待されているわけである。…だが現状では、一人の家族成員が介護や家事に明け暮れ、社会的な支援もないまま過重な負担に耐えかねている実例も多い。」(牧里[1989:67])と指摘されるのみである。
地域福祉論において、家族と障害者は主題として論じられるものではなく、福祉サービスを受給する対象者として規定され、論じられていると言える。他に調[1984]など。
*11 「一般に障害者家庭は障害者を世帯主とする家庭を指すことが多いが、ここでは障害者とその家族から成る家庭を障害者家庭とした、という(川池[1989:178])。また中途障害者家庭については論じていない。
*12 また家族における障害者の問題は、近代家族一般の問題に通底するものであり、特殊なものではないとする。障害者は「弱者」であり、保護すべき対象であるという思想が、「家族愛」の理念と融合し、親は愛し足るという経験ができない、ということから問題は顕著にあらわれることになると論じる。
*13 春日は、重症心身障害児のいる家族の母子関係を規定している社会的背景について考察する(重症心身障害児とその親で構成されるセルフ・ヘルプグループの会合での会話と個人へのインタビュー記録がデータとして使用されている)中において、母子が家庭内で孤立することを指摘し、それを近代社会の「愛情規範」によって説明している(春日[1992])。「愛情規範」は近代社会だけでなく、母親たち自身にも内在化されている。これは、子どもを障害児として産んだこと、もしくは障害児にしてしまったことについての自責感と、子どもの障害が大きく無力であるため、愛情を注いでも注いでも、まだ愛したりないのではないかという不充足感という二つの感情が絡んで、期待される障害児の母親として生きなければならない、という義務感を強くするという。
*14 家族を主題にはしていないが旭[1994]もある。旭の論については後述。 *15 横塚は次のように言う。「親の権力下に抱え込まれた脳性マヒ者(児)は…いくつになっても赤ん坊扱いされ、一人前の人間として社会性を育む機会を奪われてしまうというのが今迄我々のおかれてきた現状なのである。我々が社会の不当な差別と闘う場合、我々の内部にある赤ん坊性、つまり親のいうままに従うこと、言い換えれば親に代表される常識化した差別意識に対して無批判に従属してしまうことが問題なのである。我々の運動が真に脳性マヒ者の立場に立ってその存在を主張することにあるならば、先ず親を通して我々の上に覆い被さってくる常識化した差別意識と闘わなければならず、そのためには自ら親の手かせ足かせを断ち切らねばならない。つまり親からの独立(精神的にも)ということが先決なのである(「青い芝」No.78 昭和四十五年六月)」(横塚[1975→1981:17])。*16 当時の青い芝の会で運動を振り返って、磯部真教が次のように述べている。「…ある時期には「親がかりの福祉反対」などといういささかどきついスローガンを掲げ、父母の会などからは「親を軽視するのではないか」といった誤解を招いた面もありました。これは、これまでの施設福祉や在宅福祉は、親きょうだいが面倒を見るのが当然という前提に立って、それを補完し、あるいは負担を軽減するという発想のもとに進められてきたからでした」。また障害者が経験に乏しく、判断力が身についていないことについて、「行動やコミュニケーションの制約に加えて、いくつになっても親から子どもとして扱われ、大事にされすぎ、しかもその関係が成人した後も続くために、社会体験を積極的に培う時期を失してしまう場合が多い」(磯部[1984:31-32])と述べている。
*17 また横塚の論は、「施設さえあれば悲劇(例えば介助疲れからくる子殺し(1970年の重症児殺害事件)のような)は救える」という肉親達(大衆)の要求に対して、「殺人を正当化する論理」であると反論を加えるものであった。ここでは何よりも「障害児は親に殺されてもやむをえない」という論に対して「障害者の生存権の主張」が第一に叫ばれていたことを考慮しなくてはならない。「親がみるのが当たり前」という論理はこれ以降の流れとなる。
*18 さらに「障害児を持つ親」たちの運動が活発化し(親亡きあとの作業所づくり、サークルづくりなどが進められた。石川はそのサークルへ参加し、そのフィールドワークから得た知見を論考に生かしている)、その存在が広く認知されはじめたということもある。それに関する著作も多数発行された。こうした状況があったことも付け加えておく。*19 また「制度が規定する家族像」に対して注意を払ってこなかったために、「障害者と家族」の抱えている問題を扱うことができなかったということがある。つまり、障害者当事者が抱えている問題−公的サービスが「世帯」に対して給付されるなど、制度が規定する「障害者家庭」と障害当事者の家族のリアリティとの間にズレがあることを、従来の家族社会学では発見することができなかった、もしくは発見してもそれを「問題」だとみなす視角が欠けていたということもある。
第三章 障害者と家族を規定するもの
ここでは障害者と家族を外在的に規定するものの一つとして、法、制度、政策などをみていく。第1節では障害者に関する法、制度、政策が、歴史的な変化の中で「障害者と家族」の状態や行動などをどのように規定してきたか、あるいはそうではなかったのかを見る。また第2節では、これに対して障害者側(当事者、親・家族)がどのような要求を行ってきたか、またこれらと「脱家族」の主張との関わりを見る。第3節において、現在の法、制度、政策が「障害者と家族」の状態、行動をどのように規定するものであるかを見ていくことにする。
こうした政策レベルに現れる「家族」をとらえることは、それだけでも意義があることであるが、第四章において、個人の家族に関するリアリティを構成する要素の一つである、「社会的なリアリティ定義」について論じるための伏線となってもいる。
第1節 戦後の障害者政策*01
ここでは戦後の障害者政策(特に身体障害者に限定して)を主に立岩[1990]に依拠して概観する。重度障害者の所得(生活)保障や介護保障、また生活の場について、これらに関わる制度、政策を抜粋し、家族との関連において論じていく。
1.「家族への放置」から施設収容へ
第二次世界大戦前には、傷痍軍人対策を別にすれば障害者に対する固有の施策はない。戦後占領軍の「無差別平等の原則」によって、傷痍軍人優先の対策が打ち切られ、一般の身体障害者を対象としたものに転換する。1949年12月に「身体障害者福祉法」が制定され、十八歳以上の障害者に、身体障害者手帳や補装具が交付されること、またその更生援護などが規定された。これによって戦後の身体障害者福祉行政の制度的基礎がつくられることになる。しかしこの法律は、占領軍の政策によって生活に困窮した傷痍軍人に対する救済策という性格が強かったこと、また占領軍自身がリハビリテーション対策として法を位置づけようとしたことによって、軽度者を対象とする更生援護(特に職業更生)にその目的を限定される*02。
ここでは、職業につく能力のない障害者は、法の適用から除外されることになる。この法に規定された施設も更生のための施設であり、入所施設の場合も期間は限定されたものだった。また、介護を必要とする障害者は入所できなかった。結局のところ、重度の障害を持ち、収入がない者は、家族の扶養か、生活保護、または生活保護法(1950)に規定される数少ない救護施設に頼らなければならなかった。
法解釈上もそのような位置づけがなされた。1960年代前半までのいわゆる「不適応層」、高度成長期による社会構造の変化やその「恩恵」から取り残された階層=高齢者世帯、母子家庭、障害者をかかえた家族などに対する福祉施策は、基本的に公的扶助制度と強く連携する低所得層対策としての性格を有していた(古川[1985:202])。
障害者の生活保障の面では、1959年の「国民年金法」の成立にともない、障害者福祉年金が制定される。これによって先の「身体障害者福祉法」に欠けていた障害者に対する生活保障がなされることになる。しかしこれは対象が重度者に限定されただけでなく、同居家族の所得制限等の厳しい枠がかせられ、きわめて低い額が支給されたにすぎなかった。
また、在宅の障害者への施策は少なくはないが、極めて限定された補助という性格が強く、物の支給や相談員の設置といった制度でしかなく、直接に生活を支えるという方向は希薄であった*03。つまり彼らの生活を、経済的にも日常生活の面においても、直接的に支えていたのは家族であったといえる。
1960年代までの政策は、次のように特徴づけられる。第一に職業的な更生を目的としていたこと、第二に職業的自立、またはそれが困難な人には収容といった意味を持つ、施設の拡充政策であったこと*04、第三に重度障害者に対しては、ほとんど策が講じられず、多くの人達の所属する場所は家族でしかありえなかったことである。
ここで重要なのは三番目の、介護・介助を必要とする重度障害者に対しては「家族への放置」がなされていたことである。つまり、親からの依存を断つような施策は皆無であり、従って彼らが属する場所は家庭でしかなかった。また障害者をかかえた世帯は、「不適応層」のうちの一つであるとみなされ、僅かな額の障害者福祉年金も個人ではなく、世帯を対象に給付された。この結果として経済的にも障害者が家族へ依存することは避けられなかったといえる。
親の側としては、「療育指導もない、生存権も認められていない」重度障害者(児)を家庭に抱え込む役割を担わされたことになる。こうした親たちからは、現状を打破するため、または自分たち亡き後、子どもの面倒を見るための施設の建設、または拡充を求める運動が起こってきた。これによって大規模な施設の建設が進められ*05、1960年代に入ると、職業訓練のためではない、生活の場としての施設(特に重度の心身障害児を対象とする)の建設が社会的に注目を集める。
1970年代から国家の中心的な施策課題とされたのは、引き続き収容施設の拡大であった。1970年の「厚生行政の長期構想」は福祉サービスの充実とともに、社会福祉施設の充実を主張している。また同年、1971年度を初年度とする「社会福祉施設緊急整備五カ年計画」が発表されている。ここでは、重度障害者全員の施設収容が目標として掲げられ、大規模な施設の建設が推進される。
2.「在宅福祉」への転換
1960年代から70年代初頭、高度成長期に伴う国家財政の自然膨張に支えられ、福祉予算の総額は増え続けた。73年には福祉関係の予算の大幅な増額がなされ、この年は福祉元年と呼ばれた。しかし同年11月、第一次石油危機が起こると、低成長経済への移行とともに、「福祉見直し」の論議が生まれる。こうした中で「小さな政府」への志向のもと「活力ある福祉社会」の実現が目指される。それは、福祉の対象を真にそれを必要とするものに限定し、それ以外の人には自立・自助を促すこと、家族の機能を重視し、福祉政策はそれを補完するものとされる(第二次臨時行政委員会1982年「第三次答申(基本答申)」)。
国際障害者年に関わる一連の動き*06の中で、障害者福祉充実を求める動きが強められ、政府の障害者福祉政策は拡充される。これによって1984年までの障害者福祉予算は一直線に増大するが、しかし1985年以降事態は急激に変化する。障害者福祉の「見直し」が、「日本型福祉社会」を建設するという、それ以前から掲げられていた目標に沿って本格的に進められ、一部で在宅福祉や所得保障の拡大がなされたものの、障害者福祉施設関係を中心に国家予算の大幅な減額、地方負担の増大が見られた(西田[1988:301])*07。
国際障害者年をめぐる動きの中でもう一つ重要であるのは、政府によって国連の宣言を基調とした提言がなされたことである。ここにおいては「自立生活」という言葉が使われ、収容施設に対する一定の反省、在宅での生活に対する援助を中心とすべきだと述べられる。
「在宅福祉」という概念が使われるようになったのは、1970年代からである(1971年の中央社会福祉審議会答申『コミュニティ形成と社会福祉』など)が、その必要性が広く認識され、施策として注目されてきたのは1980年代である。1981年の『厚生白書』には次のように述べられている。
「人間にとって基本的な生活の場は家庭であり、障害者においても可能な限り家族の一員として家族との暖かいふれあいの中で生活するとともに、地域社会にその一員として参加できる方向に今後の施策の重点を移していく必要がある。」
また1990年の社会福祉関連八法の改正で、法的にも明確に「在宅福祉」が位置づけられる。この改正以前は「在宅福祉」は、「在宅を余儀なくさせられている」人への「施設入所」までの一時的な対策、といった消極的な側面があった。そこでは家族による「介護力」に左右される生活の実態があり、その「介護力」を支える意味での「在宅福祉」機能への期待もあった(中野[1997:78-79])。しかし、家族内での介助をどのようにとらえるかという視点は、この政策の中でも明確ではない。
所得保障の面で言えば、大規模な年金改革と共に、障害基礎年金制度が1986年から実施されることになった。この結果二十歳以前に障害者となり、拠出制の年金を受けられず、福祉年金しか受けられなかった者も含め、基礎年金が支給されることになった。と同時に、従来の福祉手当は特別障害者手当に移行した(支給額は上がったが、支給の対象者は縮小した)。この背景には国際障害者年に関わる行政に接近した障害者の運動がある。しかし、やはりその支給額は一人の生活を支えるには不十分なものに留まっており、親からの経済的な依存から抜け出すことは困難であった。
3.「障害者プラン」による施策の充実
国際障害者年に関わる「国連・障害者の十年」を主軸としたものが、戦後の第一の転換期であるとすると、第二の転換期は「平成の社会福祉改革」といわれる1990年代からの一連の出来事である(三ツ木[1997a:15])。1990年には福祉関係8法の改正、1993年には「障害者対策に関する新長期計画」の策定、「障害者基本法」の制定、1995年には「障害者プラン」の策定などがなされた。特に注目すべきは、「心身障害者対策基本法」を大幅に改革した「障害者基本法」である。これは第一条(目的)において「障害者の自立と社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動への参加を促進することを目的とする。」と定められたことなどが挙げられる。さらに「障害者プラン〜ノーマライゼーション7か年戦略〜」が、1996年から2002年までの7か年計画であり、新長期計画の重点実施計画として位置づけられている。
障害者プランではその骨格として、次の七つの視点が挙げられている(三ツ木[1997a:17])
@地域で共に生活するために
A社会的自立を促進するために
Bバリアフリーを促進するために
C生活の質(QOL)の向上を目指して
D安全な暮らしを確保するために
E心のバリアを取り除くために
F我が国にふさわしい国際協力・国際交流を
これまでに論じてきた、重度障害者の生活の場、所得(生活)保障、介護保障という面から見てみると、生活の場については@「地域で共に生活するために」という視点のもとに、「ノーマライゼーションの理念の実現に向けて、障害のある人々が社会構成員として地域の中で共に生活を送れるように、ライフステージの各段階で、住まいや働く場ないし活動の場や必要な保険福祉サービスが的確に提供される体制を確立する」と述べられている。また介護保障についてはサービス供給体制の整備や在宅サービスの充実、施設サービスの充実などを掲げ、ホームヘルパーの増員等を目標としている。また所得保障についても具体的な施策は提示されていないが、言及されている(総理府[1996]、三ツ木[1997a])。
しかしここにおいても問題となるのは、「地域」が何を意味しているかである。『障害者白書』においては「在宅サービス・訪問看護サービス」の項目において「障害児(者)が出来る限り住み慣れた過程や地域で生活できるようするためには、その介護に当たる家族の介護負担を軽減するとともに、障害のある人の自立した生活を支援することが重要である。」(総理府[1997:176])と述べられている。このことからは、「地域」とは従来と変わらない、「家族の介護」を前提としたものであるといえる(要田[1994b:66])。
4.小括
障害者福祉予算は、国際障害者年を挟んで1980年代半ばまで増え続ける。70年代までは、重度障害者に対しては全員の施設収容という目的を持つ、施設拡充の政策を中心としていたが、80年代になると「福祉見直し」の論議が生まれ、「自助・自立」の原則や「家族の機能」が強調される。また国際障害者年の宣言を基調とした幾つかの取り組みが行われ(第二章参照)、「施設から地域へ」や「コミュニティケア」が唱えられるようになる。しかしここで重要なことは、「在宅福祉」という言葉の中に「家族の介護力」への期待が含まれていたという点である。つまり、「在宅福祉」や「コミュニティケア」という言葉が、「家族介護」の補完物としての福祉サービスを意味していたのである。いいかえると、「家族」という領域を拡大したものとして「地域」を彼らの住む場所と定めたものであり、「家族介護」を中心とする施策が変革されたわけではなかった。
また年金制度も大幅な改革はなされたものの、一人の生活を支えるに十分なものとしては確立しなかった。このため重度障害者が、家族に経済的に依存する状態から抜け出すことは困難である状態が続くことになった(全国的な制度としては生活保護に「他人介護加算」が定められることになったのであるが。これについては後述)*08。こうした意味において「家族でも施設でもない、地域」を主張した「自立生活運動」は彼らの生活環境を変化させる大きな主張であった。
また90年代に入ってからは、「障害者基本法」の制定や、「障害者プラン」の策定など(これは現在進行中であり、これがどのような結果をもたらすかを現時点で論じることはできないが)、施策はある面では確実に充実されつつあるといえるだろう。しかし、政策における、「地域で生きる」という言葉と、障害者運動など障害者側がとらえてきたものとの間には、ずれが生じているようだ。次節では障害者の側からの運動の展開を見ていくことにする。
第2節 障害者側からの運動
ここでは障害者側からの運動を見ていく。幾つかの運動体があり、ある時期は共に戦ったりするが、その主張や理念は多々すれ違ったりもする。しかしそれについては詳しく触れず、これらの運動によって変化した政策あるいは制度(の一部分)に重点をおいて見ていく。
1,施設に対する運動
1.1 施設建設を求める親たちの運動
戦後まもなくから、民間の運動は少しずつ始まっていた。特に重度の心身障害児を持つ親たちから、子どもを家庭で生活させることが困難なこと、特に親の亡き後の不安が非常に大きいことが切実に語らた。また障害者(児)を抱える家族の横のつながりが求められ、「全国心身障害児を持つ兄弟姉妹の会(BS・つくし会)」(1963)(→1995年「全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会」(略称・きょうだいの会)と名称変更)、「全国重症心身障害児(者)を守る会」(1964)、など、家族全体で、親亡き後も含めて支えていかなければならない不安を乗り越えようとする運動体が多く誕生した。そしてこれはさらに広がり、障害種別をこえて心身障害児の親の会が結束してつくった「心身障害児福祉協議会」(1965年)へと発展していく(中野[1987:133])。
こうした動きはやがて、精神薄弱者を主要な対象とする大規模な収容施設、いわゆる「コロニー」建設へとつながっていく。六十年代の、障害者側の運動は、基本的に施策の不足を補うことを目標としていた。またこれらの運動は、親が主となっていた分だけ、当事者の意向は抑えられることになっていた(立岩[1990:170])。
1.2 施設からの当事者運動
しかし1970年代に入ると、施設に入所している障害者の側から運動が起こる。特に注目すべきは東京都府中療育センターにおける運動である。このセンターは、1968年4月、「東洋一」といわれる「超近代的」な医療施設として開設された。その管理体