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「グローバル化と人権――国際人権ユースフェスティバルで学んだこと」

松波 めぐみ 1998 アムネスティ・インターナショナル日本支部「ニュースレター」1998年2・3月号

last update: 20151221


グローバル化と人権  〜国際人権ユースフェスティバルで学んだこと〜

松波めぐみ 1998
アムネスティ・インターナショナル日本支部「ニュースレター」1998年2・3月号
(ミニ特集 フィリピン のうち、二つの文章を松波が書いた。 筆者)

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グローバル化と人権  〜国際人権ユースフェスティバルで学んだこと〜

 97年夏に行われた「第2回国際人権ユースフェスティバル(The 2nd Inter-
national Youth Festival for Human Rights)」に、日本から二人が参加。
文字どおりのユース(大学生の舟田さん)と、ユースと呼ぶには怪しい私とのコ
ンビで、英語での会議に四苦八苦しつつも、世界の若者と人権をテーマに語り合
い、またフィリピンという窓から今日の世界を見た10日間でした。
 
●緑したたる湖畔で
 会議の舞台はマニラから南に車で2時間ほど走った山の上にあった。深い緑に
包まれ、眼下には国内最大の湖ラグナ湖が広がる。ここに集まった総勢二百人の
うち、海外からの参加者はアムネスティの会員やスタッフだが、参加者の大半を
占めるフィリピンの参加者には、会員外の学生や国家公務員、教員が多かった。
これはこのお祭が政府の傘下にある人権委員会の中のナショナル・ユース・コミ
ッション(青年諮問機関)と共催だったことと関係がある。アムネスティの呼び
かけで政府系の団体が共催につき、こんなにも大人数の催しを実現させるという
のは、日本では考えにくい。11年前にマルコス政権の崩壊を経験したフィリピン
では、数々の問題はあれNGO活動が活発で、NGOと政府の距離も比較的近い
といえる。多数のNGO中には当然、政府と真っ向から対立する路線をとるもの
もあるが、私が見たところアムネスティ・フィリピン支部は政府とも良好な関係
を保ちながら、人権意識の浸透をめざす機会を大事にしているように思えた。

●食卓の上は人権のフルコース 
 参加者が大人数のため、十数人ずつの小グループに分けられた。毎日違うテー
マでまずゲームを行い、その後全体で講義と質疑応答。その後再び小グループに
戻って討議をする仕組みだ。
 テーマは「フィリピン国内の人権状況」に始まり、「21世紀の世界の潮流」
「古くて新しい人権の課題」「今日の人権の課題に若者はどんな行動を起こせる
か」「市民社会」と続く。テーマ自体は抽象的でも、話の内容は具体的だった。
 フィリピンの状況ではAPECに代表される自由貿易体制の弊害や、開発に伴
う住民の強制移転問題、失業、海外出稼ぎ労働者の無権利状態、麻薬、先住民族
の状況などが次々と出る。国内からの参加者同士でも意見が衝突する場面もあっ
て、その詳しい内容まではわからなかったが、ここでは生の現実が話されている
んだと感じられた。国内問題でも決して国内だけの問題でないことは、外国人の
私にも理解された。原理主義、FGM(女性性器切除)といった世界の問題でも
活発な議論が続く。英語力の限界が恨めしい場面は多々あったが、立場や背景の
異なる参加者が集っている意義は十分に感じられた。アムネスティ主催の行事で
ありながら、これだけ幅広く人権について話し合われることは新鮮な驚きであり、
フィリピン支部の活動の蓄積を感じさせられた。

●切り離せない「グローバル化」 
 全体を通して痛烈に感じたことの一つが、人権問題と「グローバル化」とがい
かに深く結びついているか、ということだった。何せ4日間の会議のあらゆるセ
ッションでこの言葉が聞かれるのだ。
 日本では一般的に、人権というと差別問題のように意識や道徳の問題として捉
えられがちだと思う。またアムネスティの分脈では、法制度や法に違反する人権
侵害という形で人権が語られることが多いようだ。しかしフィリピンで人権に深
い関心を持つ人は、南北問題・経済格差を見過ごせない不公正として、人権の問
題として捉えていた。多国籍企業の進出や外国からの援助が引き起こす人権侵害、
海外出稼ぎ労働者の苦境など、フィリピンの人権事象からは否応なく「世界」が
見えてくることが多い。南北問題と関係が深いのに(いわば足を踏む側)、無関
心でいられてしまう日本とは対象的だ。
 グローバル化とは、私なりの理解では、特に経済や文化の世界規模化が特に米
国主導で行われ(世界中どこでもコカコーラが売られていることや、インターネ
ットの普及が好例)た結果、世界がどんどん狭く、単一市場化していることを指
しているようだった。先進国と開発途上国はもともと出発点が全然違うのに、多
国籍企業や世界銀行によって同じ市場で競争するよう求められている。多国籍企
業を始めとする「力」ある者が大手を振って途上国に押し入った結果、国内産業
は育たず、労働者は保護されず、貧困層の救済はますます置き去りにされる。か
くして、グローバル化の恩恵を被れるのは先進国や途上国の一部特権層の人だけ
で、もとからあった南北や国内のゆがんだ構造はかえって大きくなるばかりとい
うわけだ。こうした構造に鈍感なまま、人権侵害を意識の問題とのみ捉えるのは
危険だと気づいた。

●希望は「市民社会」 
 そんなグローバル化の弊害に立ち向かうためには、人権を基盤にした地球規模
の「市民社会」を築いていかなければ、というのが会議の一つの結論だったとい
える。市民社会(Civil Society) というのは、私の理解では、それぞれの人が
自分の状況と権利を知って課題を見つけ、国内で或いは国境を越えて権利を行使
し(情報技術や人とのつながりも活用して)、地球規模で状況を改善していける
ような社会である。また、すべての人がその過程に参加できるように促進するこ
とでもある。人権侵害が簡単に国境を越える現代だからこそ、人権に関心をもつ
市民の視野も国境を越えていなければいけない。それは自国に深く目を向けるこ
とでもあるだろう。

●アジアからの参加者  
 中国への返還まもない香港から、香港支部スタッフのアンジェラが参加してい
た。昨年の7月にスタディツア−(日本支部の有志による)で訪ねた際は大学で
演劇を使った人権教育を指導していた人だ。思わぬ再会を喜ぶ。誰とでも話す明
るい彼女は人気者だった。NGOの自由な活動の存続が危ぶまれる香港だが、こ
れまでの活動を続ける決意を淡々と語っていた。
 ソ−・アウンはビルマ人。祖国を追われ現在はバンコクで暮らしている。記者
会見ではビルマの人権状況を訴えていたが、素顔はのんきなお兄さんという風情
だ。会議の合間に近くの植物園を散策するプログラムがあったが、彼があまりに
植物や鳥に詳しいので感心すると、「だって僕は、ジャングルで暮らしていたか
らね」。聞くと彼は9年前にビルマで人権侵害が吹き荒れた時に過酷な経験をし、
しばらくは国境のジャングルにいたのだと言う。彼はリュックにビルマの日常生
活や国境の村を撮った写真をびっしり詰め込んで来ていた。会場の壁にそれらを
黙々と展示している後姿からは、祖国に寄せる思いが伝わってきた。ソー・アウ
ンもアンジェラも、自らを庇護してくれる政府を持たない人々だった。

●マニラの下町で 
 湖畔での会議の後、マニラで5日間のホームステイが組まれていた。私を受け
入れてくれたボランティアのアイオナの家は、マニラの住居密集地の一角にある。
一間と小さな台所のみの家に4人姉妹が文字どおり身を寄せあうように暮らして
いる。父親はサウジアラビアへ15年も出稼ぎに行っている(フィリピンから中東
への出稼ぎは驚くほど多い)。母親は療養中。しかし底抜けに優しくて親切な姉
妹だった。小さな冷蔵庫の中は空っぽ。近所で安いおかずを買って食べるのが、
貧しい家族の食生活だと知る。お店に並ぶ商品の豊富さも飲食店の多さとも無縁
の暮らしがあった。姉妹だけで暮らす彼女らに、近隣の人々は温かかった。家族
や友人が日本で働いているよ、という話を私は近所で何度も聞いた。
 アイオナは私を学校や教会などあちこちに案内してくれた。ある日は労働者の
ストライキ現場へ。巨大多国籍企業ネスレの傘下にあるアイスクリーム工場では、
広大な外壁に沿っていくつもテントが張られていた。テントの中で労働者に聞い
た話では、会社側が一方的に全従業員の「契約社員」化を通告、抗議したリーダ
ー達が解雇され、給料も手当も一切支払われていないという。これは違法なので
裁判に訴えているが、会社は話し合いの席にも現れていないという。日本にもリ
ストラはあるが、雇用の絶対数が少ないフィリピンでは深刻さが段違いだ。裁判
の手ごたえは非常に厳しいらしい。大企業に対して甘く、多少の不正義は目をつ
ぶられてしまうこの構造自体を変えたいんです、という女性労働者の言葉が耳に
残っている。

●フィリピンから世界が見える
 マニラのすさまじい交通渋滞に巻き込まれながら、乗り物に揺られながら、フ
ィリピンの友人達は熱心に自分の思いや夢を話してくれた。デモにも連れて行っ
てもらったが、その迫力には圧倒されぱなしだった。大統領の演説がある日に議
事堂の近くの広場に学生、労働者、NGO、教会関係者、様々な層の人々が集ま
り、時には歌やパフォーマンスを交えて自分たちの思いを表現していた。湖畔の
会議ではまだ実感を伴っていなかったことが、マニラでの5日間のおかげで多少
は肌身にしみた気がする。日本にいると痛くも痒くもないグローバル化の問題に
ももう少し敏感にならなければ、頭でっかちにしか人権のことを考えられなくな
ってしまうと思った。暴力的ともいえるグローバル化に巻き込まれながらも自分
の権利を知って行使している人たちのことを、忘れないでいたい。



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