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「福祉国家の優生学」

長瀬 修
『福祉労働』77号 97年12月

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last update: 20151221


福祉国家の優生学
――世界から・7――


長瀬 修

『福祉労働』77号 97年12月

 8月下旬にまずスウェーデン、続いて他の北欧諸国等での知的障害者、精神病者を
中心とする強制不妊手術が国際的に報道された。従来、福祉国家として賞賛されてき
た国々だけに衝撃的だった。イギリスのエコノミスト誌(9月4日)は「よりによっ
て、ここで」("Here, of All Places" )という見出しをつけたが、確かにそういう
感覚はある。私も国連事務局で身近にスウェーデンの積極的な国際的障害者政策推進
を見てきただけに驚いた。
同時に「やっぱり」という気もした。優生学は20世紀のはじめに進歩的な学問、
取り組みだったのである。だからこそ、概して保守派よりも改革派の方が積極的だっ
た経緯がある。そして例えば女性の運動と優生学の深い関係も明らかにされている。
社会進歩に熱心な北欧諸国でこそ優生学が大きな勢力となっていただろうと想像でき
た。現代でも出生前診断は日本と比較にならない普及を欧米でみている。本誌21号
(83年)で河野弘子氏が「子宮をのぞくことが可能な今、女たちは」で報じている
通りである。
 そうした背景を考えても、70年代半ばまで行われていたという報道には不意をつ
かれた思いだった。「スウェーデンでは周知の事実だった。なぜ今ごろになって」と
いう意見を耳にするが、もし周知の事実だったならばなぜ、日本では知られていな
かったのか。そして外電を見ると、知られていなかったのは日本だけではないことが
分かる。例えば、Genethics News という国際的な遺伝と倫理に関するニュースレ
ターはトップで北欧の不妊手術を報じた。
 スウェーデンという福祉国家のモデルであり、人口が現在も900万に満たない国
で同意のない不妊手術が万の単位で行われていたこと、そして少なくとも91年には
スウェーデン語で「優生学と福祉」という本が出版されていたことを知って、なぜこ
ういった面が日本で紹介されてこなかったのか非常に不満を感じた。何があったのか
まず知りたいと思った。
 そして入手できたのが、スウェーデンのルンド大学のグンナル・ブローベリ教授と
ノルウェーの高等教育研究所のニルス・ロール=ハンセン教授が編者の『優生学と福
祉国家』("Eugenics and the Welfare State" 1996, Michigan State University
Press)である。編者は共に、この問題に関して第1人者として見なされている研究者
である。
 ここでは同書から、北欧諸国の中で優生学が制度面でも不妊政策の実施面において
最も成功を収めたとされるスウェーデンに関して以下、紹介する。
*福祉国家の優生学の背景
 19世紀後半からの人口の6分の1の移民流出などによる人口「変質」の危惧があ
り、優生学は社会衛生運動の一部だった。また、優秀な北欧人種の伝説が背景にあっ
た。
 「福祉国家の優生学」は人種主義ではなく、福祉国家を形成していく社会操作の一
環だった。1922年、スウェーデン議会で初の不妊法の議論が行われた。その際も
精神遅滞者、精神病者の施設収容は社会に負担をかけるという経済的側面への関心が
強かった。また精神遅滞者は、その優生上の危険を抜きにして、「子育てには向かな
い」と見なされた。
*34年不妊法
 34年不妊法(35年1月1日施行)では、「精神病、精神遅滞、他の精神的欠
陥」で、患者本人が手術に同意する能力に欠ける(法的無能力)ならば、本人の同意
なしで不妊手術が許可された。不妊手術を受ける人は「子供が育てられない」(社会
的条件)、もしくは遺伝的欠陥で「精神病か精神遅滞を移す」(優生学条件)ことが
前提条件だった。不妊手術への申請は国家保健会議に提出される決まりだったが、精
神遅滞者の場合は医者二人が国家保健会議に諮らずに決定することができた。
 成立の背景にはスウェーデンが34年に世界最低の出生率を記録するという「人口
危機」の意識があった。優生学は社民党の社会政策の一部だった。
 政策面で大きな影響力を持っていた共にノーベル賞受賞者であるミュルダール夫妻
も精神遅滞者の強制不妊の提唱者だった。福祉国家の発展につれて望ましくない子供
の問題が深刻化するという意識で、反人種衛生、反人種主義で、近代社会への適応と
して不妊手術を位置づけた。
*41年不妊法
 34年不妊法の対象が狭すぎるといいう批判を受けて、「優生学的条件」が拡大さ
れ、精神遅滞、精神病に加えて遺伝性の重度の身体的病気、身体的欠陥にも適用され
た。「社会的条件」は精神遅滞と精神病に加え、「反社会的生き方」にも適用され
た。女性の避妊目的の手術を医学的理由として追加したのも重要である。もし優生学
的、社会的条件が満たされると、知的・精神的問題によって法的に有効な承諾をする
ことができない場合には、患者の同意抜きで手術が行われることが可能だった。精神
遅滞者の場合に国家保健会議に諮らずに医者2名が決定することができたが、これは
廃止された。
 この改正を受けて、40年代には実施数が上がり49年にピークを迎える。なお、
精神遅滞者に関しては、優生学、社会的理由両方が用いられていた点に注意が必要で
ある。表に見るように、優生学的理由は50年代に激減する。
 なお、てんかん者は、結婚が禁止されていて、子供を生めないてんかん者だけが結
婚を許されていた。結婚規制が解消されたのはてんかん者が68年、精神遅滞、精神
病が73年である。
 41年法の成立後、精神遅滞者の不妊手術が激増する。42年の総数の70%は精
神遅滞者である。50年代に入り、精神遅滞者の不妊手術は減少を続ける。精神病者
に関しては、不妊手術の理由が優生学から医学への転換している点に留意が必要であ
る。
 42年から45年まで2795人の精神遅滞、精神病の女性が不妊手術を受けた。
そのうち、2733件が優生学的理由とされ、62例(2%)だけが医学的理由だっ
た。それが、55年から58年では、精神遅滞、精神病の女性1672人が不妊手術
を受けるが、1276人(76%)が医学的理由で手術を受けている。理由が優生
学、社会的から医学的理由に名目上、変更されている。
*強制性
 ドイツとの大きな違いは、力による強制の不在である。ドイツとの共通点は精神遅
滞者の不妊手術がねらいであり、国家の視点から社会の利益に望ましい場合に行われ
たことである。
 スウェーデン当局は力ではなく「説得」を重んじた。50年の場合、2176件の
申請のうち、本人以外からの申請は143件にに過ぎない。その半分は学校長や施設
長からだった。本人からの申請が増えた理由の一つは、避妊目的の医学的理由とする
女性の申請が増えたことである。しかし、署名している場合でも、特殊学校生徒、施
設入所者の場合に「自発性」がどれだけあったか疑問である。
 62年の調査では、37年から56年にスウェーデンの特殊学校を卒業した女生徒
の36パーセントは不妊手術を受けていた。不妊手術は病院や施設を出る「条件」で
もあった。
*優生学的不妊手術の終わり
 変化は緩漫だった。社会的議論がなかった理由は、(1)専門家の領域という意
識、(2)法律が存在し、施行されている、(3)「そういうことを口にするもの
じゃない」という意識、(4)第2次世界大戦の残虐行為にスウェーデンが関与しな
かったという「良心に恥じるところがない」という意識があったとされる。
 50年代、60年代と個人と社会の関係の変化に伴って不妊手術は人口政策の道具
ではなく、個人の権利と見なされるようになった。個人中心的な社会が形成されて
いった理由は(1)高度経済成長、(2)スウェーデン福祉が個人に価値を重視した
こと、(3)教育の向上、個人の政治参加、(4)伝統的社会的規制の弱体化があ
り、強制的で大規模な不妊手術の基盤を揺るがした。IUDやピルなどの新しい技術
も不妊手術を時代遅れにした。
 75年に41年不妊法は改正され、全ての同意を得ない不妊手術は終わりを告げ、
避妊の手段としての自発的な不妊手術だけが行われている。
 北欧の優生学研究はまだ始まったばかりであるとロール=ハンセン教授は結んでい
る。


UP: REV: 20151221
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