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「優生問題を考える(五)──出生前診断と優生学」

松原 洋子 『婦人通信』467(1997-12):42-43

last update: 20151221


優生問題を考える(五)──出生前診断と優生学

 『婦人通信』467(1997-12):42-43
                                松原 洋子

 普段、病気知らずで医者に縁のない人でも、ひとたび妊娠すると産婦人科の「患
者」となります。そして、妊娠初期には月一回、末期には週一回の定期検診で血液
検査や尿検査、超音波診断などを受け母体や胎児の状況がチェックされます。妊婦
は産婦人科医療の検診システムに組み込まれることによって、日常生活も含めて濃
密な医療の監視下に置かれているのです。
 昨年春頃から、こうした妊婦たちの検診生活にさりげなく滑り込んできた新しい
血液検査があります。「母体血マーカーテスト」というもので、妊娠一五〜一八週
に腕から採血し、血液中に含まれた三種類の物質の濃度を基準に、胎児がダウン症
あるいは神経管奇形である確率を算出します。いわゆる出生前診断のひとつです。
ただしこの検査では単に障害の可能性を示すだけで、診断を確定するにはさらに羊
水検査などが必要となります。
 この母体血マーカーテストが今、問題になっています。出生前診断は、胎児の障
害を理由とした中絶(いわゆる選択的中絶)に至る可能性がある重大な検査です。
しかし母体血マーカーテストは、羊水検査などとは違って他の血液検査同様手軽に
行えるので、医師も十分な事前説明を行わないまま、希望者に対して安易に実施す
る傾向がみられます。妊婦の側も結果を深く考えずに、普段の検診の流れで受診し
てしまいます。こうして出生前診断が、医療現場になし崩し的に普及しつつあると
いう異例の事態を迎えていますが、母体保護法には胎児条項(胎児の障害を理由と
した中絶をみとめる規定)がありません。優生保護法以来、ダウン症など胎児の障
害ゆえの中絶は「身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれ」
という条文を拡大解釈して、実施されてきました。こうした灰色決着は、医師にと
っては医療訴訟に発展する危険もあるため、各種医療技術の進展に伴う出生前診断
の急速な大衆化を背景に、母体保護法への胎児条項導入が医療サイドで検討され始
めました。
 実は一九七二・三年に胎児条項新設を含む優生保護法改正案が上程されましたが、
選択的中絶が優生学の実践であるとして障害者の反対運動がおこり、廃案となった
経緯があります。胎児条項導入と選択的中絶が現代版優生学であるという認識が、
日本ではこの頃に生まれたと言われています。ナチズムや人種主義と結びつけられ
てきた戦前型の優生学批判とは異なる、障害をめぐる優生学の「本体」に対する批
判が開始されたのです(立岩真也『私的所有論』)。特に日本の場合、中絶合法化
と優生政策が優生保護法において一体化していたために、現代版優生学に厳しく対
峙せざるをえませんでした。
 しかしWHO(世界保健機関)は、一九九五年に発表した遺伝子医療ガイドライ
ン草案で「予防は優生学ではない」と断言しています。「予防」とは遺伝性疾患の
発生予防、すなわち選択的中絶を意味します。この草案では優生学とは国家が強制
するものであるから、個人や家族が自主的に決定する選択的中絶については、優生
学というレッテルを貼るべきではないと主張しました。もしWHOが最終版ガイド
ラインまでこの姿勢を堅持すれば、日本の胎児条項導入をかなり後押しすることに
なるでしょう。
 個人や家族による自己決定には、問題はないのでしょうか。妊娠・出産は女性の
健康、人生、時には生命の根幹に関わる重大事であり、国の強制によって左右され
るべきでないことは、基本的人権として押さえておく必要があります。しかし特定
の利害関心のもとに「自己決定」という形に人々を誘導していく外部からの力が存
在することも、見落とすことができません。例えば戦後の子供二人の標準家庭。一
九五〇年代半ばから盛んになった「家族計画」の成果ですが、日本政府と財界が強
力にバックアップしていました。いくつかの大企業は、一九五三年頃から子供の扶
養手当節約といった労務管理の一環として「新生活運動」の名のもとで社員家族へ
の避妊指導に取り組んでいました(藤目ゆき『性の歴史学』)。またこの時期、夥
しい数の中絶が行われました。二〇代後半から三〇代後半までの既婚者層が中心で、
一九五五年には公式統計上だけでも三〇代前半の女性の約十人に一人が中絶した計
算になります。母体保護目的の女性の不妊手術や優生目的の強制不妊手術もこの頃
がピークでした。人々が自ら望んで実現したはずのふたりっ子家庭は、「日本株式
会社」の経営戦略の一環でもあり、当座の方策が中絶と不妊手術だったのです。
 「優生」という枠組みに無自覚に中絶の既得権を享受し、胎児条項の有無に関わ
らず出生前診断と選択的中絶を既成事実化してきた私たち。そして、北欧の強制手
術問題が騒がれて初めて、優生保護法という強制断種法の存在を「発見」している
ような私たち。そういう私たちが自己決定をするとは、どういうことなのか、先端
生殖医療のただ中で問われているのです。(完)

                    (早稲田大学人間科学部非常勤講師)


以下by立岩

優生(学) (eugenics)  ◇全文掲載
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