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「優生問題を考える(四)──国民優生法と優生保護法」

松原 洋子 『婦人通信』466(1997-11):42-43

last update: 20151221



      優生問題を考える(四)──国民優生法と優生保護法

                      『婦人通信』466(1997-11):42-43
                      松原 洋子


 「優生学」という言葉はナチズムを連想させます。優生保護法もしばしば「ナチ
ス断種法をまねた戦前の国民優生法の優生思想をひきついだ」と言われてきました。
しかし、優生学はナチスの専売特許ではありません。今年八月末にセンセーショナ
ルに報道された,北欧諸国の強制不妊手術問題をみても明らかです。
 遺伝的に「劣った階層」には子供を産ませず「優れた階層」の産児を奨励する優
生学は、一九世紀末にイギリスとドイツでほぼ同時に提唱されました。その後、欧
米諸国や南米、東アジアを中心に優生運動がまきおこり、日本では、優生保護法の
前身である国民優生法が成立しました。確かに、一九四〇年に制定された国民優生
法のモデルはナチス断種法です。しかし、断種法はドイツ以前に米国、カナダ、メ
キシコなどで既に成立しており、ナチス断種法自体、米国のカリフォルニア州断種
法をモデルにしていたのです。
 また、優生保護法では、戦前よりもむしろ優生政策の規定が強化されたことに注
意しなければなりません。国民優生法は、優生目的の断種(不妊手術)の対象を
「遺伝性精神病」等、遺伝性疾患という概念枠内に限定しており、強制断種(公益
上の必要から医師等が断種を申請し国が実施する断種)は終戦まで実施されません
でした。ところが、戦後の優生保護法(一九四八年公布)では遺伝性疾患の他に、
感染症である「らい病」(ハンセン病)が、また一九五二年の改正では「遺伝性の
もの以外の精神病又は精神薄弱」が、断種対象に新たに加えられました。強制断種
も実施されたのは戦後になってからのことです。
 このように優生学や優生思想はナチズムや全体主義、軍国主義、人種差別だけか
ら説明することはできません。ここでは、日本の優生法が戦時中よりも戦後強化さ
れた背景を考えてみたいと思います。でもその前に、まず、優生保護法の原型とな
った国民優生法の成立事情についてみておきましょう。
 一九四〇年三月、総力戦体制のもとで成立した国民優生法でしたが、断種法制定
の是非をめぐっては法案が議会に提出される以前から賛否両論がありました。当時
のマスコミや論壇は、断種法を時局に適った政策として歓迎する一方で、各界の識
者による反対論も積極的に取り上げました。反対論者は様々で、子種を絶つ断種は、
日本の「国是」である家族国家主義や多産奨励に反するという国体論者もいれば、
社会悪の生物学的側面を誇張するものだという社会主義者、断種政策は実効性に乏
しいとする遺伝学者、精神病は遺伝だという世間の偏見を助長するという精神科医
もありました。この意見の対立は帝国議会に持ち込まれて国民優生法案の審議では
反対意見が相次ぎ、法案通過が危ぶまれました。そのため、政府は譲歩を余儀なく
され、強制断種条項は残すものの当面実施はしないことにしたのです。優生学的理
由による中絶条項も法文から削除されました。ほとんどの人々は総論としては優生
政策の導入に賛成でした。ただ、この頃はまだ、日独軍事同盟や戦争の方針等をめ
ぐって議会が割れていました。またナチス・ドイツの一党独裁制や民族政策への反
発もあり、ナチス断種法を模倣した政府案への風当たりは意外に強かったのです。
 一方、優生保護法案は敗戦直後の占領期に、産婦人科医と産児制限運動家である
議員たちによって提出されました。法律制定の最も切実な動機が、中絶規制の緩和
にあったことはもちろんですが、彼らは大正期以来の優生運動の影響を受けた優生
主義者でもありました。まだ保守的な倫理観が支配的であった当時は、「母体保護」
と共に「優生保護」、すなわち「不良な子孫の出生を防止する」という建前が、中
絶を合法化する論理として動員されたのです。その結果、優生保護法案では、断種
対象が非遺伝性疾患にまで拡大されるとともに、強制断種の条項も確保されました。
しかも不思議なことですが、国会では、戦前とは対照的に断種政策に対する批判は
なく、優生保護法案は無修正で通過したのです。なぜ、このようなことになったの
でしょう。
 敗戦による社会の混乱と国民の疲弊は、国民資質の低下への危機感を煽る新たな
理由となりました。民主制への移行と人口過剰問題の浮上によって、かつての家族
国家論や多産奨励論による反対が息をひそめたのはもちろんです。さらに、DDT
散布や性病取り締まりで知られているように、GHQの指揮下で占領軍保護を第一
の目的とする公衆衛生政策が推進され、優生保護法もその流れのなかで成立しまし
た。一九五〇年には精神衛生法が、一九五三年にはらい予防法が制定されています。
終戦直後の社会防衛と予防医学の強力な結合が、「生殖の医療化」としての優生政
策の支持基盤を強化したといえましょう。
 終戦までの五年間に、国民優生法の下で行われた断種手術は四五四件。一方、優
生保護法による強制断種(第四条)は、ピークの一九五五年には年間一二六〇件を
数えています。


……以上(以下by立岩)

優生(学) (eugenics)  ◇優生保護法 (Eugenics Protction Law, Japan 1948)  ◇子宮摘出手術・関連文献  ◇人工妊娠中絶/優生保護法  ◇不妊手術/断種  ◇全文掲載
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