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「2-1-1 世界保健機構(WHO)による遺伝医療に関する倫理ガイドラインと「優生学」:草案の改訂の経緯から」

玉井 真理子・中澤 英之・阿部 史子 19970901 『遺伝医療と倫理』(バイオエシックス資料集 第1集)
信州大学医療技術短期大学部心理学研究室

last update: 20131126

第2章 WHO関連文書

      [資料集p.20]

◇2-1 遺伝医療に関する倫理ガイドライン

◆2-1-1

世界保健機構(WHO)による遺伝医療に関する倫理ガイドラインと「優生学」:草 案の改訂の経緯から
WHO's Guidelines on Medical Genetics and "Eugenics"

玉井真理子

下記に示す新旧ふたつのWHOガイドライン草案(草案のサブファイナルおよびファ イナルバージョン)の改訂の経緯、とくに優生学に関する記述の削除に関しての玉 井論文
・臨床遺伝学および遺伝サービスの提供における倫理的問題に関するガイドライン
D. C. Wertz, J. C. Fletcher, K. Berg, V. Boulyjenkov 1995 Guidelines on Ethical Issues in Medical Genetics and the Provision of Genetics Services (draft).
・世界保健機構による遺伝医療サービスの提供に関する倫理ガイドライン
D. C. Wertz, J. C. Fletcher 1995 WHO Ethical Guidelines for the Provision of Genetics Service(draft).


1. WHOによる遺伝医療に関するガイドライン:ふたつの草案

 世界保健機構WHOが、『臨床遺伝学および遺伝サービスの提供における倫理的問 題に関するガイドラインGuidelines on Ethical Issues in Medical Genetics and the Provision of Genetics Services(draft). Prepared by D. C. Wertz, J. C. Fletcher, K. Berg, V. Boulyjenkov. 1995』1)と題する国際的倫理規定の草案を 提起している。日本国内では、この草案のファイナルバージョンと、この草案を検 討する段階で関係者にのみ配布されたと思われる草案のサブファイナルバージョン とでも言うべきものの、それぞれのコピーがこの問題に関心を持つ関係者の手に渡 っている(注1)。後者のタイトルは『世界保健機構による遺伝医療サービスの提 供に関する倫理ガイドラインWHO Ethical Guidelines for the Provision of Genetics Service(draft). Prepared by D. C. Wertz, J. C. Fletcher. 1995』2) であり、これらを見比べる限りでは、前者への改訂の過程で著者が二人から四人に 増えている。1996年に開催された国際人類遺伝学会Conference of International Society of Human Geneticsで各国の遺伝医学者にコメントを求めるために配られ たのは、公式の草案すなわち草案のファイナルバージョンであり、サブファイナル バージョンはそれ以前から日本国内にあったものと思われる。
 なぜ、このようなふたつのバージョンがそれぞれ日本の関係者の手に渡ったのか、 理由はまったく

      [資料集p.22]

わからないが、筆者は偶然にもこのふたつのバージョンの草案を目にする機会を持 った。そして、いくつかの修正が加えられていることに気付いた。草案起草の段階 で修正が加えられたことそれ自体は当然のことで、とくに驚くべきことではないか もしれないが、筆者に少なからぬ驚きを与えたのは、それらの大幅な削除を含む修 正は、優生学eugenicsに関する記述に集中していたことであった(以上、本章の 2-1-2および2-1-3を参照のこと)。

2. 予防は優生学ではない?(資料を参照のこと)

 まず、章のタイトルが、「優生学についての考察Eugenic Considerations」から 「予防は優生学ではないPrevention is not Eugenics」へと変わっている。また、 全体としての量がかなり減っている。さらに、内容的にも削られている部分がある。 最も大きく変わっているのは、それぞれの章のなかにある「優生学の意味The meaning of eugenics(サブファイナルバージョン)」という項とそれに対応する 「優生学対遺伝医学Medical genetics versus eugenics(ファイナルバージョン)」 の部分であり、以下のような内容である。
 サブファイナルバージョンのこの項は、「現代の遺伝学と優生学との関係を明ら かにするためには、優生学の様々な意味について検討することが肝要であるIn order to clarify the relationship between modern genetics and eugenics ,it is important to examine the various meanings of eugenics」という、遺伝学と 優生学との関係について問題提起をしようとする明確な意図をもった一文ではじめ られていた。ファイナルバージョンではこの部分は削除され、「優生学という言葉 には、大量虐殺の記憶につながることから、今日においては負の意味合いがある。 専門家の多くが、優生学という言葉を遺伝学と関連ある文脈で使うことを極端に避 けているのもそのためであるToday the word eugenics usually has a negative connotation, aligned with genocide(dunstan,1988; paul,1992; Nuffield Council on Bioethics,1993). Most professionals reject the term out right in the context of medical genetics」と、優生学に対する否定的評価 がまず前面に押し出された書き出しになった。しかも、それは優生学そのものに対 する拒否感というよりも、むしろ、それを現代の遺伝学との関連で使用することに 対する拒否感として強調されている。同様の記述はサブファイナルバージョンにも あったが、サブファイナルバージョンのほうでは、あくまでも、その後に続く優生 学と遺伝学との危険な関係について警告を発するための前段であった。
 「19世紀後半から20世紀はじめにかけての時期においてすら、数多くの社会改革 家や政治的自由主義者たちが自らを優生学者と名乗っていたYet in the late nineteenth and early twentieth centuries many social reformers and political liberals called themselves eugenicists」

      [資料集p.23]

という事実、1985年に19カ国で行われた調査では97%の遺伝学者が「疾病と異常を 防ぐことthe prevention of disease or abnormalityが遺伝学の重要あるいは本質 的な目的である」と答えているという実証的なデータの紹介、またそのことから 「現代の遺伝学者によってとらえられている遺伝学の目的のいくつかは優生学の提 唱者のそれとなんら変わりないのではないかSome of the goals considered important by the majority of today's genetics professionals are those espoused by supporters of the earlier eugenics movement」という厳しい指摘 などが、サブファイナルバージョンではそのあとに続いていた。
 これらの記述にとどまらず、サブファイナルバージョンでは、以下のように優生 学についての説明にかなりのスペースを割いている。
 優生学には「積極的優生学“positive eugenics”」と「消極的優生学“negative eugenics”」があり今日注目しなければならないのは遺伝病の予防という名meaning the prevention of inherited disordersの後者"negative eugenics" の方であるこ とや、優生学は国家が強制する社会計画social program imposed by the state を 指すことがあるが他方で個人や家族の自主的努力voluntary endeavor of individuals or familiesを意味することもあるなど、個人の自発的な選択によって 優生学的な結果がもたらされ得ることが、いくつかの遺伝病が激減した実例ととも に論じられている。
 歴史を見てみても、イギリスにおける優生学運動の多くがその基盤を「教育を受 けた個人による自発的な選択に置いていたvoluntary choices of educated individuals」という例がある。「子どもを持つことに関しては、個人が自発的に 選択するものではあるが、社会の利益と次世代のことを考えてその選択を行うべき であるin deciding to have children individuals should make voluntary choices for the benefit of society and future generations」と、ミルJ. S. Millが主張していたことなども、現代の遺伝学のあり方を考える上ではきわめて重 要な指摘である。また、「優生学の目的は、それが自発的であっても強制的であっ ても、社会のため、あるいは個人のためEugenics(whether voluntary or mandatory) may have as its the good of society or the good of individuals」であるとし、 優生学には「自発的な優生学」・「個人のための優生学」という側面があることを 明らかにしている。さらに、「社会の選択であれ個人や家族のそれであれ、そうし た選択の予期せぬ結果unintended outcome of social or individual/family choice」もまた優生学であるという記述は、この項だけで2回登場していた。そし て、「遺伝性の疾患を有する人へのサポートを十分に行わないことも社会全体とし て優生学を指向することになり得るのだsocial choices favoring a eugenic outcome include failure to provide adequate medical, economic and social support services for people with hereditary disorders」という、踏み込んだ 指摘もあった。これらはいずれも、完全に削除された部分である。

      [資料集p.24]

 また完全に削除されたわけではないが、優生学という用語を文中から排除するこ とでニュアンスが変わっている部分もある。それはひとつは、ベータサラセミアの ようなある特定の重篤な遺伝疾患を減らす目的で行われているスクリーニングの例 を紹介するのに、これをサブファイナルバージョンでは、「優生学は、ある計画的 プログラムplanned programs(その方針が個人によって決められたものであれ社会 が決めたものであれ、また自発的に決められたものであれ強制的に決められたもの であれ)、あるいは、その方針によって選択を迫られた社会・個人・家族が生み出 す予期せぬ結果unintended outcome of social or individual/family choicesを 指すこともあった」と導入しているのに対し、ファイナルバージョンでは単に「自 発的な選択の余地が残されているような計画的プログラムというのもあるPlanned programs can include voluntary choices」となっている。
 なお、ここで言う計画的プログラムplanned programsとは、先述の国家が強制す る社会計画social programの対極をなすものではない。「個人的なものであれ社会 的なものであれ、また自発的なものであれ強制的なものであれsocial or individual, voluntary or mandatory」という但し書きがついていることからすれ ば、一定の意図を持って行われるプログラムではあるが決して強制でない、しかし 強制ではないものの一定の意図を持った教育的はたらきかけが個別にあるいは地域 ぐるみで行われその結果として一定の方向性を持った選択をする個人が増えるなど の可能性は十分にある、という意味が暗にこめられている。したがって、この計画 的プログラムも十分優生学になりうるということなのである。
 優生学という用語を極力使わずに表現しようとする意図をくみとることができる 部分は他にもある。それは、特定の地域においてかつて発症率が高かったテイザッ クスやベータサラセミアそして神経管奇形などの遺伝性疾患の発症が劇的に減少し た例に関して、それらをサブファイナルバージョンでは、「個人や家族の選択の全 体的な結果が優生学となってしまった例Examples of eugenic outcomes resulting from individual/family choices」と紹介しているのに対し、ファイナルバージョ ンでは「個人・カップルの決断が、疾患の発生を減らす結果を招いた例Examples of reduced frequency of disorders resulting from individual/couple choices」 として、それぞれ紹介している部分である。
 さらに、記述のニュアンスの相違というレベルを超えている部分もある。「個人 や家族の選択には、避妊から、ド

      [資料集p.25]

ナーの配偶子の使用、そして、出生前診断によって疾患を持つ胎児の選択的中絶の 道を用意することまで、様々ある。これらの選択をする本人たちは、優生学のレッ テルを貼られることを嫌がるであろうが、大半の家族が同じ選択をしてしまえば、 全体がもたらす結果は、優生学である。If most families were to make the some choices, the overall outcome would be eugenic, although most participants would reject this label」の部分が、「個人・カップルの選択には、避妊から、ド ナーの配偶子の使用、そして、出生前診断によって疾患を持つ胎児の遺伝的中絶の 道を用意することまで、様々ある。ほとんどのカップルが同じ選択を下してしまう と、全体の結果として疾患の発生率を下げることになりうるが、これをもって“優 生学”のレッテルを貼るのは正当ではない。If most couples were to make the some choices, the overall outcome could be a reduced population frequency of a disorder, but it does not justify the "eugenics" label」と、明らか に意味が異なっているのである。
 次に、ファイナルバージョンのこの項においてあらたに加筆された部分をみてみ ることにする。「遺伝子医学はその目標を、個人と家族の利益に据えている。今日 の遺伝子医学の精神は、人が各々のリプロダクション上の目的に照らし合わせて、 一番良いと思う決断を、それがいかなることであれ、自発的に決められるように支 援することにあるto help people make whatever voluntary decisions are best for them in the light of their own reproductive goals」という遺伝医学の本 質に触れているとも言える部分で、この部分は変わってはいないが、この後に続く 部分に加筆されていた。それは、「この点こそ、今日の遺伝医学をかつての優生学 から決定的に区別できる点であるthis is the decisive difference between present day medical genetics and yesterday's eugenics」と、「今日の遺伝医 学present day medical genetics」と「過去の優生学yesterday's eugenics」との 決別を強調する記述であった。遺伝学の目的を、あくまでも「個人と家族の利益 the good of individuals and families」に据えてはいるものの、この加筆が、 「社会の利益のためではなくnot to promote the benefit of society」という部 分の削除とセットで行われていことは注目に値する。このことは、社会の利益を考 慮した上でのことではあるが個人の名のもとに自発的に選択することであれば、そ れはむしろ歓迎すべきことで、しかもそれをサポートすることは、結果がどうであ れ決して優生学ではないとも解釈できるからである。
 かくして、この項に関しては、文章の量では約半分に、そして、それぞれのタイ トルの中にあるものも含めてサブファイナルバージョンで22個あった優生学という 言葉は、ファイナルバージョンでは、6個に減っていた。
 これ以外の項に関しては、次の通りである。まず、「前文」において、ヒトゲノ ム研究の倫理的問題を、「ヒトゲノム研究の推進は新しい倫理問題を提起している というよりもむしろとりわけプライバシー保護、遺伝情報の開示、そしてリプロダ クションにおける自由という点で従来からある問題が増幅されるのだThe Human Genome Initiative, while not raising generically new ethical issues in medicine, will exacerbate old ones, especially in regard to privacy, disclosure of genetic information, and freedom of reproductive choices」と 特徴づけている点に変わりはないが、それが「かつての“遺伝科学”の優生学的濫 用eugenic abuse of older "genetic science"」を思い起こさ

      [資料集p.26]

せ、「優生学の復活につながるのではないかという恐怖fears about renewal of eugenics」を与えることにもなるという指摘は削除されている。一方、前文で加筆 されたのは、「だれでも自分や子孫の遺伝的リスクについて知る権利right to know genetic risks and risks to potential offspring」があり、また選択的中絶を選 択した人のために「安全に中絶できるという選択肢the option of safe, accessible termination of pregnancy」が保障されなければならない」という部分 である。
 さらに、「遺伝医学の基本的目的Basic Goals of Medical Genetics」の項にも興 味深い変更箇所がある。サブファイナルバージョンでは、「一次予防primary prevention」すなわち環境中の催奇形物質の除去などと、「二次予防secondary prevention」すなわち出生前診断および選択的中絶が、注意深く分けて記述されて いる。そして、遺伝医学の目的はあくまでも「一次予防」のほうであり、「二次予 防は真の予防ではないsecondary prevention is at best a half-way measure. It is not true prevention」という記述まであったのに対し、ファイナルバージョン では単に「予防」という用語で統一されてしまっている。
 「自発的アプローチが不可欠であることVoluntary approach necessary」の項は、 「ある種の優生学を避けることが重要であるIt is important to reject some type of eugenics」という冒頭の一文が削除された以外は、修正は加えられていない。
 「差別防止の必要性Need to avoid discrimination」の項では、「個人の選択も それが積み重なることでもたらされる結果が、当初は分からず考えもしていなかっ たかも知れないが、優生学的な結果となりうることであり、そしてさらにその結果 がその遺伝疾患を持っていても堕胎されることなく生れてきた人たちに対する差別 につながりうるit is important to remember that the latent and unintended collective outcome of such decisions may be eugenic and that the result may be discrimination against persons with hereditary disorders whose births could have been prevented」という重要な指摘(サブファイナルバージョンの本文 中でも、この点は「決断を迫られている個人や家族にサービスを提供するにあたっ て、心に留めておくべき大切なことIn providing services to individuals/ families who will make their own decisions」とされている)が削除されている。
 「遺伝学的な形質向上Genetic enhancement」の項は、ますタイトルが「"積極的 優生学":正常形質の向上"Positive eugenics": Enhancement of normal characteristics」からこのように変わり、ここでも優生学という言葉を可能な限り 避けようとする意図は貫かれている。内容については、「積極的優生学」という言 葉(もっとも「積極的優生学」は「遺伝学的な形質向上」の説明として括弧付きで 控えめに本文中に登場してはいる)だけでなく、「消極的優生学」という言葉も削 除され(しかも、「消極的優生学あるいは遺伝的疾患の予防」というように同列で 扱われていた部分で「消極的優生

      [資料集p.27]

学」のみが削除されている)ている。また、ここで興味深いのは「予期せぬ結果を もたらしてしまう行動の多くがそうであるように、遺伝学的な形質向上の追求も、 誰にも気づかれることなく、ゆっくりと、しかも害をもたらすことなく支持者を増 やしていくだろう。はじめのうちは、病気に抵抗するすべを進歩させること improving resistance to diseaseに中心がおかれ、その結果もおおむね好ましい ものであることから、倫理上の問題が取り上げられることもないだろう」という記 述と「“正常な人”の範囲の境界線上にいる人達を異常とみなすようになって、人 間の多様性human diversityに対する耐性toleranceが弱くなる」という記述である。 だからこそ現代においては、あからさまな「積極的優生学」よりもむしろ「消極的 優生学」のほうが注目されている、あるいは注目しなければならないのである。し かし、これらについても、ファイナルバージョンのなかに見つけることはできない。

3.「過去の優生学」と「現代の遺伝学」

 以上、その概略について述べてきたように、このWHO倫理ガイドラインは、その 草案のファイナルバージョンにおいて優生学という用語を記述のなかから注意深く 排除している。そして、「個人の選択」と「社会の選択」の違いを強調し、「過去 の優生学」と「現代の遺伝学」をまったく異質なものとして対比させて描こうとし ている。たしかに記述のしかたを表面的に変えることには成功したかもしれないが、 「個人の選択」と個人の集合体である「社会の選択」、ひいては「過去の優生学」 と「現代の遺伝学」との間に存在する分かちがたい関係性を変えることに果たして 成功しているのだろうか。
 たしかに、社会全体としての、とりわけ政策としての選択が個人に対して強制力 を持つことと、あくまでも個人の自由な意志による選択が一定の方向性を有してお り、それが社会の中で結果的に多数派を占めることとは、その経過においては確か に事情は異なるかもしれない。前者を「社会から個人への拘束」とするなら、後者 は、「個人から社会への」ある意味での「拘束」と言えるかもしれない。すなわち、 マジョリティの選択という形で結果的にその社会全体がある程度拘束されるという 意味において一種の拘束である、という二重構造を見ることができる。WHOのガイ ドラインが強調している「個人」の選択と、個人の集合体である「社会」の選択は、 不可分の関係にあるとも言える。そのような両者の不可分性について言及すること で、「現代の遺伝学」が「過去の優生学」と簡単に決別できない宿命にあることを 論じたサブファイナルバージョンは、示唆に富むものであったと考える。
 「現代の遺伝学」は、「社会政策としての優生学」に積極的に荷担することを目 的にしているようなものでは決してない。したがって、優生学をあくまでも過去の ものとしてのみ扱い、それとの決別を今ここであらためて宣言したい、という意図 は理解はできなくはない。しかし、果たして、単に

      [資料集p.28]

優生学に言及することを避けることで、「現代の遺伝学」が陥りやすい危険に対す る批判をかわせるのだろうか。「現代の遺伝学」のなかにも、「個人の選択」がど の程度の規模になれば「社会の選択」と同様であると言い得るレベルになってしま うのかという量的な問題と、「個人の選択」がいつどのような形で行われたときに 「社会の選択」と区別できなくなってしまうのかという質的な問題は常に存在する。 それは、決して過去だけの問題ではなく、過去の問題でもあり同時に現代の問題で もある。間違った「社会の選択」を支えてしまった「過去の優生学」と、妥当な 「個人の選択」を支えていこうとする「現代の遺伝学」という、単純な構造にはと うていなり得ないと思われる。
 たとえば、個人の選択としての出生前診断と選択的人工妊娠中絶を例にとってみ ても、それらは一定の要件のもとでなら社会的に容認されるものであり、そうした 「個人の決定」をサポートするのが新しい遺伝医療サービスの理念である、という 論旨は理解できる。しかし、「個人の選択」がある方向性をもっており、その選択 が社会全体のなかでのマジョリティを占める、占めつつあるという傾向がある、と いう現実に直面したときに、それはもはや「個人」を越え「社会の選択」として問 題にしなければならないはずである。「個人の選択」であることを全面に出すだけ で、「現代の遺伝医学」に対する批判をかわせるとは思えないのである。
 むしろ、「過去の優生学」との間に宿命的に存在する関係について事実をもって 明らかにし、同時に理論的接点を曖昧にせず、すなわち真摯に向き合う姿勢ことこ そが、今求められているのではないだろうか。現代の遺伝学の名のもとにいかなる 誘惑が潜んでいるかを自覚していなければ、自律的な「個人の選択」を助けること はできないと考える。

4.日本社会の視座から

 さてここで、遺伝医療に関するルールという点から、日本国内の事情に目を向け てみよう。日本には、遺伝子治療gene therapyに関しては、それを研究として行う 場合も臨床clinicalに応用する場合も国のガイドラインがそれぞれ存在しており、 現段階においては一件ごとに国に申請をし認可されてからでないと実施できない。 一方、遺伝子診断genetic testingに関しては、ある程度の公共性を持ったガイド ラインとして、日本人類遺伝学会Japanese Society of Human Geneticsによって作 られたものがふたつある。タイトルは、ひとつが「遺伝カウンセリング・出生前診 断に関するガイドライン(1994年12月)」、もうひとつが「遺伝性疾患の遺伝子診 断に関するガイドライン(1995年9月)」というものである。これらふたつのガイ ドラインはいずれも非常に短いものであるが、国内では他に類を見ないという点と、 理念を簡潔にうたっているという点で一定の評価はできるものの、具体性・実効性 にはやや乏しいと言わざるを得ない。また、遺伝子診断が単一遺伝子病single gene disorder

      [資料集p.29]

のみならず癌や糖尿病・高血圧などのcommon diseaseにまでその対象となる疾患を 急速に対象をひろげつつある現在、このガイドラインが見直しを迫られているとも 言われている。
 日本の厚生省も、先端医療に関する政府の諮問委員会を公式に招集し、遺伝医療 にかかわる倫理的問題に取り組みはじめた。そのなかでの重要な現実的かつ急務の 検討課題のひとつが、遺伝子診断に関して一定の公共性をもったルールの整備であ ると考えられている(注2)。また、生殖技術reproductive technologyと遺伝医 療medical geneticsの領域がますます分かちがたくなってきていることから、遺伝 子レベルでの診断を含めた出生前診断全般に関する全国規模の実態調査にも、厚生 省みずからが乗り出すことになった。
 学会および国のこうした最近の動きは、遅きに失した感はあるものの、遺伝医療 全般に関しての何らかのルールの必要性が関係者の間で認識されるようになってき たことの反映であろう。そして、それを策定していくこと、そのために必要な調査 をおこなうことなどを、学会レベルあるいは国レベルで進める動きが活発になって いるのである。
 そのような状況のなか、WHOのガイドラインは、今、日本国内の様々な分野で注 目されている。WHOという権威ある国際機関の遺伝医療に関する倫理ガイドライン が、国内で今後作られることになるかもしれないそれのモデルになる可能性はおお いにある。
 日本だけでなく各国の国内でのルールづくりに影響を及ぼす可能性も当然あるが、 ここでは日本との関係にしぼってひとつ指摘をしたい。日本の社会文化的、あるい は歴史的背景を考えたとき、「現代の遺伝学」は「過去の優生学」とは決定的に違 うものであることを強調することは決して好ましいとは思えないからである。それ は、次のような理由によるものである。
 日本では1996年に、優生保護法(1948年制定)が廃止され、母体保護法としてあ らたに成立した。法律の名前が変わり、「不良な子孫の出生を防止し」という法の 目的を示した第一条前半部分など、いわゆる優生条項が全面的に削除されたことを はじめとし、明らかに差別的かつ非科学的な記述(たとえば、異常性欲や犯罪傾向 を遺伝性疾患としていた)のいくつが削除された。しかし、社会全体の意識が変わ ったわけではなく、遺伝病一般に対するきわめて厳しい差別は依然として存在して おり、法律から「優生」という文字が消えたことで、むしろ問題の所在が見えにく くなってしまったとも言える。
 新しい遺伝学や現代の遺伝医療サービスが社会政策としての優生学に積極的に荷 担することを目的にしているようなものではないし、したがって優生学をあくまで も過去のもとして扱い、その言葉を極力使いたくないという意図は理解できなくは ないが、日本国内においては、むしろ「優生学」という言葉をあえて使ってでも警 告を発しなければならない状況がある。
 そもそも家族の結びつきが強い日本では、「個人」という概念は一般に希薄であ るとも言われてい

      [資料集p.30]

る。例えば、次のような実態がある。個人主義が西欧諸国ほど徹底しているとは思 えない日本社会の日常常識の中では、「第三者」と言った場合に同一家族の構成員 はそれに当てはまらないという感覚も持っている、つまり親子や兄弟姉妹の関係で あればそれはお互いに「第三者」でないと思う人もめずらしくはないだろう。およ そプライバシー権や守秘義務についての感受性は低いと言わなければならない。と りわけ同居している家族内の構成メンバー同士の場合はそれが顕著である。
 一般の人々の日常的なレベルだけでなく、専門家も決して感受性が高いとは言い 難い。たとえば、先述のふたつの人類遺伝学会のガイドラインのうち、先に出され たガイドラインのなかの守秘の解除に関する規定では、「必要性があって本人の同 意が得られた場合、もしくは“公にすることで第三者の危険が防止でき”、その必 要性が十分理にかなっていると判断された場合は守秘義務は解かれる」と記述され ている。その後に出されたふたつめのガイドラインでは、同様の内容を表現した部 分は「情報を伝えることで特定の個人が蒙る重大な被害が防止でき」となってはい るものの、前者の表現は正式に修正されたわけではなく(再検討されるとも伝えら れている)そのままである。前者の中にみられる慎重さを欠いたこの「公にする」 という用語の使い方は、専門家集団の手によって作られたガイドラインのなかにあ るだけに象徴的ですらある。
 この例のように「個人」という概念そのもの、ひいては「個人の選択」という概 念そのものが西欧諸国のそれとは異なっている可能性がある。マジョリティの選択 と異なる選択をすることは西欧社会に比べて相対的に困難であり、サブファイナル バージョンの中で繰り返し指摘された「個人の選択」と「社会の選択」とが分かち がたく結びついているその不可分性の程度に関しては、西欧社会の中で想像される よりもずっと高いはずである。国際的ガイドラインである以上、ガイドラインの中 で使われている言葉が各国の社会的・文化的・歴史的文脈の中でのどのように受け 止められるのかに関しては、可能な限り注意を払うべきであろう。

5.「うちなる優生思想」との対峙

 WHOのガイドラインは、ほぼ現段階でのファイナルバージョンのまま、まもなく 正式に採択されるであろうと関係者の間では言われている。今後各国での同様のガ イドライン策定にも少なからぬ影響を及ぼすことにもなるであろう。そのような時 期だからこそ、削除されたり修正されてしまった優生学に関する記述が何を警告し ていたかについては、いまいちど謙虚に検討される必要がありはしないだろうか。 それは必然的に、それぞれが「うちなる優生思想」と向き合うことにもなるであろ う、決して容易ではない道のりになるはずである。そこから逃げない真摯な覚悟を、 この分野の専門家たちが持てるかどうかにかかっていると言っても過言ではないか もしれない。

      [資料集p.32]

 遺伝学とは、その研究的側面に関しては、人間の遺伝的多様性を追求するもので ある。一方、臨床的側面に関しては、遺伝情報を個人の健康管理、健康増進、そし て人生設計(ときには遺伝病と共存した上での人生設計)、さらにもっと幅広くと らえるなら、遺伝病との社会的共存に役立てるのが目的である。その目的にかなう ように遺伝学の研究と臨床が行われるよう、この新しいガイドラインが妥当な国際 的指針として運用されることを望むものである。

<注1>
 著者に直接問い合わせたところ、後者はこの草案を検討する段階で関係者にのみ 配布された草案のサブファイナルバージョンとでも言うべきものであると確認され た。

<注2>
http://www.mhw.go.jp/shingi/で公開されている厚生省厚生科学審議会議事録によ る。

<文献>

Wertz D C, Fletcher C J, Berg K, Boulyjenkov V: Guidelines on Ethical Issues in Medical Genetics and the Provision of Genetics Services(draft), WHO, 1995.  Wertz D C, Fletcher C J: WHO Ethical Guidelines for the Provision of Genetics Service(draft), WHO, 1995 

      [資料集p.32]

<資料>

WHOガイドライン草案サブファイナルおよびファイナルバージョンの目次の一部
(原文のまま)

【草案・サブファイナルバージョンsub-final version】

Preamble: The Need for Ethical Guidelines
Part・. General Considerations
(・. としてのタイトルなし;著者注)
A. Basic Goals
B. Eugenic Considerations
The meaning of eugenic
Voluntary approach necessary
Need to avoid discrimination
"Positive eugenics": Enhancement of normal characteristics
C. Facilitating Individual/Family Choices Regarding Parenthood
Freedom of choice
Decision-making in family context
・. General Ethical Principles and Considerations
A. Sources for Ethical Guidance
Principles
An ethics of care
B. The Special Position of Women and Children
C. Respecting Those Whose Views are in the Minority

【草案・ファイナルバージョンfinal version】

Preface
Part・. General Considerations
General Principles
Basic Goals of Medical Genetics
Facilitating Individual/Couple Choices Regarding Parenthood
Freedom of choice
Decision-Making in Family Context
3 Prevention is not Eugenics
Medical Genetics versus Eugenics
Voluntary approach necessary
Need to avoid discrimination
Genetic Enhancement
Resources for Addressing Ethical Issues in Medical Genetics
Major Ethical Issues in Medical Genetics
Needs for Medical Genetics in the Study of Ethics
Resources for Ethical Guidance
Ethical Principles
Knowledge and Use of Prior Cases
Professional Values and an Ethics of Care
The Special Position of Women and Children
Respecting Those Whose Views are in the Minority

      [資料集p.33]

<要約版>

世界保健機構WHOによる遺伝医療に関するガイドラインと「優生学」
WHO's Guidelines on Medical Genetics and "Eugenics"
−なぜ「優生学」という記述を避けるのか?−

1. WHOによる遺伝医療に関するガイドライン:ふたつの草案
 世界保健機構WHOが、「臨床遺伝学および遺伝サービスの提供における倫理的問 題に関するガイドラインGuidelines on Ethical Issues in Medical Genetics and the Provision of Genetics Services(draft). Prepared by D. C. Wertz, J. C. Fletcher, K. Berg, V. Boulyjenkov. 1995」1)と題する国際的倫理規定の草案を 提起している。日本国内では、この草案のファイナルバージョンとでも言うべきも のと、この草案を検討する段階で関係者にのみ配布されたと思われる草案のサブフ ァイナルバージョン、それぞれのコピーがこの問題に関心を持つ関係者の手に渡っ ている。後者のタイトルは「世界保健機構による遺伝医療サービスの提供に関する 倫理ガイドラインWHO Ethical Guidelines for the Provision of Genetics Service(draft). Prepared by D. C. Wertz, J. C. Fletcher. 1995」2)であり、 これらを見比べる限りでは、後者から前者への改訂の過程で著者が二人から四人に 増えている。1996年に開催された国際人類遺伝学会Conference of International Society of Human Geneticsで各国の遺伝医学者にコメントを求めるために配られ たのは後者であり、これが草案として公式のもの、すなわち草案のファイナルバー ジョンであると思われる。したがって、だれがいつどこで手に入れたかという経路 はともかくとして、サブファイナルバージョンは、少なくともそれ以前から日本国 内にあったものと思われる。
 なぜ、このようなふたつのバージョンがそれぞれ、しかもそれらのどちらもが公 式の草案であるかのようにして、日本の関係者の手に渡ったのか、理由はまったく わからない。はっきりしているのは、このふたつのバージョンの草案を目にする機 会を、筆者が最近偶然にも持ったことである。そして、いくつかの修正が加えられ ていることに気付いた。このような文書がその草案起草の段階で修正が加えられる それ自体は当然のことで、とくに驚くべきことではないかもしれないが、筆者に少 なからぬ驚きを与えたのは、それらの大幅な削除を含む修正は、優生学eugenicsに 関する記述に集中していたことであった。

2. 予防は優生学ではない?
 まず、ある章のタイトルが、「優生学についての考察Eugenic Considerations」 から「予防は優生学ではないPrevention is not Eugenics」へと変わっていた。ま た、その章全体としての量がかなり減っていた。さらに、内容的にも削られている 部分があった。最も大きく変わっていたのは、それぞれの章のなかにある「優生学 の意味The meaning of eugenics(sub-final version)」という項と、それに対応す る「優生学対遺伝医学Medical genetics versus eugenics(final version)」の部 分であり、以下のような内容である。
 サブファイナルバージョンのこの項は、「現代の遺伝学と優生学との関係を明ら かにするためには、優生学の様々な意味について検討することが肝要であるIn order to clarify the relationship between modern genetics and eugenics ,it is important to examine the various meanings of eugenics」という、遺伝学と 優生学との関係について問題提起をしようとする明確な意図をもった一文ではじめ られていた。ファイナルバージョンではこの部分は削除され、

      [資料集p.34]

「優生学という言葉には、大量虐殺の記憶につながることから、今日においては負 の意味合いがある。専門家の多くが、優生学という言葉を遺伝学と関連ある文脈で 使うことを極端に避けているのもそのためであるToday the word eugenics usually has a negative connotation, aligned with genocide(dunstan, 1988; paul,1992; Nuffield Council on Bioethics,1993).Most professionals reject the term outright in the context of medical genetics」と、 優生学に対する否定的評価がまず前面に押し出された書き出しになった。しかも、 それは優生学そのものに対する拒否感というよりも、むしろ、それを現代の遺伝学 との関連で使用することに対する拒否感としてその後も一貫して強調されている。
 「かつて数多くの社会改革家や政治的自由主義者たちが自らを優生学者と名乗っ ていたYet in the late nineteenth and early twentieth centuries many social reformers and political liberals called themselves eugenicists」という事実、1985年に19カ国で行われた調査では97%の遺伝学者が 「疾病と異常を防ぐことthe prevention of disease or abnormalityが遺伝学の重 要あるいは本質的な目的である」と答えているという実証的なデータの紹介、優生 学には「積極的優生学“positive eugenics”」と「消極的優生学“negative eugenics”」があり今日注目しなければならないのは遺伝病の予防という名 meaning the prevention of inherited disordersの後者"negative eugenics" の 方であることや、優生学は国家が強制する社会計画social program imposed by the state を指すことがあるが他方で個人や家族の自主的努力voluntary endeavor of individuals or familiesを意味することもあるなど、個人の自発的な選択によ って優生学的な結果がもたらされ得ることが、いくつかの遺伝病が激減した実例と ともに論じられている。
 また、歴史を見てみても、イギリスにおける優生学運動の多くがその基盤を「教 育を受けた個人による自発的な選択に置いていたvoluntary choices of educated individuals」という例がある。さらに、「社会の選択であれ個人や家族のそれで あれ、そうした選択の予期せぬ結果unintended outcome of social or individual /family choice」もまた優生学であるという記述は、この項だけで2回登場してい た。そして、「遺伝性の疾患を有する人へのサポートを十分に行わないことも社会 全体として優生学を指向することになり得るのだsocial choices favoring a eugenic outcome include failure to provide adequate medical, economic and social support services for people with hereditary disorders」という、踏み 込んだ指摘もあった。これらはいずれも、完全に削除された部分である。
 また、完全な文章の削除ではないものの、優生学という用語を極力使わずに表現 しようとする意図をくみとることができる記述は他にもある。当然読者に与える印 象は変わってくるだろう。
 さらに、記述の相違あるいは伝わるニュアンスの相違というレベルを超えている 部分もある。「個人や家族の選択には、避妊から、ドナーの配偶子の使用、そして、 出生前診断によって疾患を持つ胎児の選択的中絶の道を用意することまで、様々あ る。これらの選択をする本人たちは、優生学のレッテルを貼られることを嫌がるで あろうが、大半の家族が同じ選択をしてしまえば、全体がもたらす結果は、優生学 である。If most families were to make the some choices, the overall outcome would be eugenic, although most participants would reject this label」の部分が、「個人・カップルの選択には、避妊から、ドナーの配偶子の使 用、そして、出生前診断によって疾患を持つ胎児の遺伝的中絶の道を用意すること まで、様々ある。ほとんどのカップルが同じ選択を下してしまうと、全体の結果と して疾患の発生率を下げることになりうるが、これをもって“優生学”のレッテル を貼るのは正当ではない。If most couples were to make the some choices, the overall outcome could be a reduced population frequency of a

      [資料集p.35]

disorder, but it does not justify the "eugenics" label」と、明らかに意味 が異なっているのである。
 次に、ファイナルバージョンのこの項においてあらたに加筆された部分をみてみ ることにする。「遺伝子医学はその目標を、個人と家族の利益に据えている。今日 の遺伝子医学の精神は、人が各々のリプロダクション上の目的に照らし合わせて、 一番良いと思う決断を、それがいかなることであれ、自発的に決められるように支 援することにあるto help people make whatever voluntary decisions are best for them in the light of their own reproductive goals」という遺伝医学の本 質に触れているとも言える部分で、この部分は変わってはいないが、この後に続く 部分に加筆されていた。それは、「この点こそ、今日の遺伝医学をかつての優生学 から決定的に区別できる点であるthis is the decisive difference between present day medical genetics and yesterday's eugenics」と、「今日の遺伝医 学present day medical genetics」と「過去の優生学yesterday's eugenics」との 決別を強調する記述であった。遺伝学の目的を、あくまでも「個人と家族の利益 the good of individuals and families」に据えてはいるものの、この加筆が、 「社会の利益のためではなくnot to promote the benefit of society」という部 分の削除とセットで行われていたことは注目に値する。
 かくして、この項に関しては、文章の量では約半分に、そして、それぞれのタイ トルの中にあるものも含めてサブファイナルバージョンで22個あった優生学という 用語は、ファイナルバージョンでは、6個に減っていた。
 詳細については別稿に譲るものとするが、これ以外の項に関しても、注意深く見 てみると、サブファイナルバージョンでは、「一次予防primary prevention」すな わち環境中の催奇形物質の除去などと、「二次予防secondary prevention」すなわ ち出生前診断および選択的中絶が、注意深く分けて記述されており、遺伝医学の目 的はあくまでも「一次予防」であり「二次予防は真の予防ではないsecondary prevention is at best a half-way measure. It is not true prevention」とい う記述まであったのに対し、ファイナルバージョンでは単に「予防」という用語で 統一されてしまっているなど、いくつかの修正がある。

3. 「うちなる優生思想」との対峙
 以上、その概略について述べてきたように、このWHO倫理ガイドラインは、その 草案のファイナルバージョンにおいて優生学という用語を記述のなかから注意深く 排除している。そして、「個人の選択」と「社会の選択」の違いを強調し、「過去 の優生学」と「現代の遺伝学」をまったく異質なものとして対比させて描こうとし ている。たしかに記述のしかたを表面的に変えることには成功したかもしれないが、 「個人の選択」と個人の集合体である「社会の選択」、ひいては「過去の優生学」 と「現代の遺伝学」との間に存在する分かちがたい関係性を変えることに果たして 成功しているのだろうか。
 たしかに、社会全体としての、とりわけ政策としての選択が個人に対して強制力 を持つことと、あくまでも個人の自由な意志による選択が一定の方向性を有してお り、それが社会の中で結果的に多数派を占めることとは、その経過においては確か に事情は異なるかもしれない。前者を「社会から個人への拘束」とするなら、後者 は、「個人から社会への」ある意味での「拘束」と言えるかもしれない。すなわち、 マジョリティの選択という形で結果的にその社会全体がある程度拘束されるという 意味において一種の拘束である、という二重構造を見ることができる。WHOのガイ ドラインが強調している「個人」の選択と、個人の集合体である「社会」の選択は、 不可分の関係にあるとも言える。そのような両者の不可分性について言及すること で、「現代の遺伝学」が「過去の優生学」と簡単に決別できない宿命にあることを 論じたサブファイナルバージョンは、示唆に富むものであったと考える。

      [資料集p.36]

 「現代の遺伝学」は、「社会政策としての優生学」に積極的に荷担することを目 的にしているようなものでは決してない。したがって、優生学をあくまでも過去の ものとしてのみ扱い、それとの決別を今ここであらためて宣言したい、という意図 は理解はできなくはない。しかし、果たして、単に優生学に言及することを避ける ことで、「現代の遺伝学」が陥りやすい危険に対する批判をかわせるのだろうか。 「現代の遺伝学」のなかにも、「個人の選択」がどの程度の規模になれば「社会の 選択」と同様であると言い得るレベルになってしまうのかという量的な問題と、 「個人の選択」がいつどのような形で行われたときに「社会の選択」と区別できな くなってしまうのかという質的な問題は常に存在する。それは、決して過去だけの 問題ではなく、過去の問題でもあり同時に現代の問題でもある。間違った「社会の 選択」を支えてしまった「過去の優生学」と、妥当な「個人の選択」を支えていこ うとする「現代の遺伝学」という、単純な構造にはとうていなり得ないと思われる。
 むしろ、「過去の優生学」との間に宿命的に存在する関係について事実をもって 明らかにし、同時に理論的接点を曖昧にせず、すなわち真摯に向き合う姿勢ことこ そが、今求められているのではないだろうか。現代の遺伝学の名のもとにいかなる 誘惑が潜んでいるかを自覚していなければ、自律的な「個人の選択」を助けること はできないと考える。
 WHOのガイドラインは、ほぼ現段階でのファイナルバージョンのまま、まもなく 正式に採択されるであろうと関係者の間では言われている。今後各国での同様のガ イドライン策定にも少なからぬ影響を及ぼすことにもなるであろう。そのような時 期だからこそ、削除されたり修正されてしまった優生学に関する記述が何を警告し ていたかについては、いまいちど謙虚に検討される必要がありはしないだろうか。 それは必然的に、それぞれが「うちなる優生思想」と向き合うことにもなるであろ う、決して容易ではない道のりになるはずである。そこから逃げない真摯な覚悟を、 この分野の専門家がたちが持てるかどうかにかかっていると言っても過言ではない かもしれない。
 遺伝学とは、その研究的側面に関しては、人間の遺伝的多様性を追求するもので ある。一方、臨床的側面に関しては、遺伝情報を個人の健康管理、健康増進、そし て人生設計(ときには遺伝病と共存した上での人生設計)、さらにもっと幅広くと らえるなら、遺伝病との社会的共存に役立てるのが目的である。その目的にかなう ように遺伝学の研究と臨床が行われるよう、この新しいガイドラインが妥当な国際 的指針として運用されることを望むものである。

      [資料集p.37]



*作成:小川 浩史
REV: 20131126
遺伝子治療  ◇遺伝子…  ◇全文掲載 
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