書評:立岩真也『私的所有論』
稲葉 振一郎 1997/09
last update: 20151221
■稲葉振一郎のインタラクティヴ読書ノート・別館
以下は稲葉振一郎氏のホームページ
http://www.e.okayama-u.ac.jp/~sinaba/inabahp.htmに掲載されているものです。
以下,稲葉氏の御好意により掲載させていただきます。
(更新は月2回以上。)
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こちらはインタラクティヴ読書ノートの別館です。伝言版形式の本館に対して、こ
ちらはすべて稲葉振一郎が作成しており、文責も当然稲葉振一郎個人が全面的に負っ
ています。
モットーは「速報性を重視」ですので、読みこなしてからの書評には必ずしもなり
ません。とりあえず、「この人の本が出た!(出る!)」といった程度で騒ぐ、とい
うことが頻繁にあるかと思います。恐怖の「積ん読ページ」になるおそれもあるやも
しれず。
なお、基本的に「つまらない」と思った本は紹介しません。
読者のみなさんからの情報提供は、インタラクティヴ読書ノート・本館で受け付け
ています。どしどし書き込んで下さい!
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97年9月15日
お待たせしました。
9月のトップはやはり、立岩真也『私的所有論』(勁草書房)である。とりあえず
上っ面の紹介。知らない人は題名に騙されるかもしれない。普通なら「自己決定論」
と名付けられてもよさそうな本だ。実際、扱われているトピックは、いわゆる「生命
倫理学」の領域にかかわるものであるし、内容的にも、例えば森村進『財産権の理
論』(弘文堂)が試みているように、「私的所有」を根本概念とした社会理論を立て
るわけではなく、むしろその相対化が目指されている。だが、「自己決定論」ではな
く『私的所有論』とこの本が名付けらた理由も何となくはわかるのだ。まず、このよ
うな題名を付けることには、「決定」と「所有」は切り離せない問題であること、へ
の注意喚起の効果がある。第二に、より重要なことは、著者は「私的所有」と同様に
「自己決定」をも相対化しようとしている、と言うことだ。
結論から言おう。例えば森村氏が試みているような、「私的所有」の根底に更に
「自己所有」(そして「自己決定」)を見出し、それを我々の現にある道徳の合理的
根拠と解釈し、更にそこから規範的社会構想を紡ぎだしていく試みがある。このよう
な立場への批判は従来、人間の生の共同性を強調する立場から行われていた。しかし
立岩氏はこの立場をとらない。個人には他からは不可侵である(べき)部分があるこ
とを、「自己所有」の概念によってではなく、(適当に言い換えれば)「他者の不可
侵性」(てとこか)の概念によって説明しようとする。
乱暴に言えば、所有権の直覚的な根拠は、「俺が作ったから俺のものだ、だから尊
重しろ」というよりは、「他人様のものにはうっかりさわらん方がいいよな、その人
にとっては何がどの程度大事かこっちにはわかんないもんな、だから俺のものも尊重
してくれ」といった感じなのである。これは意外と面白い捉え方であり、少なくとも
「自己所有」と同程度には我々の直観とも整合すると私は思う。問題はこの立場から
の体系的な社会理論構築がまだほとんどなされていないことである。立岩氏の本書が
その(少なくとも日本では、ひょっとしたら世界的にも)最初の挑戦と言えるのでは
ないか。
で、この本はかなり体系的に書かれているし、決して短くはない。それゆえ読むの
はくたびれるかもしれない。だが、いたずらにわかりにくいことを書いているわけで
はない。論旨を追うためには多少の忍耐力と時間がいるだけのことだ。あるいは、註
と文献リスト、本文中のクロス・リファレンスが充実しているので、生真面目に全部
を読む必要はとりあえずはない。むしろ座右に置いて、気になったらパラパラめくっ
たり、文献を探したり、という風に辞書代わりに使う、という手も考えられる。とに
かく、生命倫理、そして自己決定権の問題については、今後は本書が(日本語圏で
は)必須の基本文献となるであろうことは間違いない。
最後に、氏も書かれているとおり、リンクした立岩氏のページは本書と組み合わせ
て使われたし。註、文献の拡充を中心に、本書のフォローアップがそこでなされてい
る。
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