HOME > 全文掲載 >

「21世紀の『医』を考える──「医」と「死」」

高野利実
東京大学医学部同窓会紙『鉄門だより』1997年3月号

last update: 20151221


<死とは何か>
誕生の時にはあなたが泣き
全世界は喜びに沸く
死ぬときには全世界が泣き
あなたは喜びにあふれる
かくのごとく生きることだ
――このインド人のことばには、人生の理想的なあり方が凝集されている。しかし、こ
の短いことばの背後に「死」の深淵をみるとき、私ははっと息を飲む。全世界を泣かせ
るものは何なのか、「喜びにあふれる死」というのはありうるのか、そして、そもそも
「死」とは何なのであろうか。
"Man is mortal."という厳然たる事実は、実感の差こそあれ、全人類に共有されてい
る。そして、この事実につき動かされて、人々は思索し、文化を築き、歴史を刻んでき
たのである。古今東西の人々にとって、「死」は避けることのできない重大なテーマで
あり、思索の跡が様々な形で残されている。以下、いくつかの言葉を挙げながら、死の
深淵にわずかながらの光を当ててみようと思う。
「人間とは死へ向かっての存在である」「人間は、生まれるとすぐ、もう死んでも十分
な存在となっている」と言ったのはハイデガーである。ハイデガーは、人間存在をこの
ように規定し、「現存在の最も自己的な、没交渉な、確実な、追い越し得ない可能性」
である「死」から目を背けず、その可能性の内への先駆として、自己自身を開示するこ
とが「本来的」なあり方であり、日常性を支配する、死や死の不安に直面することから
の逃避を「頽落」と呼んでいる。このように、「死」を人間存在や生に内在するものと
して捉え、それに真正面から向き合うべきだと考えた人々は数多い。
「昔は誰でも、果実の中に核があるように、人間は皆、死が自分の身体の中に宿ってい
るのを知っていた。死をみんなが持っていたのだ。それが彼らに不思議な威厳としずか
な誇りを与えていた」(リルケ)、「人生行路の終点は死である。これがわれわれが必
ず目指さざるをえない目標である」「どこで死がわれわれを待っているかわからない。
だから、いたるところでこれを待とうではないか」(モンテーニュ)、「生きることは
生涯をかけて学ぶべきことである。そして、それ以上に生涯をかけて学ぶべきは、死ぬ
ことである」(セネカ)、「死が生に有限性と一回性を与えているがゆえに、生を意味
あるものにしている」(フランクル)、「私は、死を目指すべき目標と見ることは有益
であり、死を忌むべきものと見ることは、人生の後半を無意味にしてしまうという点
で、不健康かつ病的であると考えている」(ユング)、「現在を楽しみつつ生の甘き夢
に耽る人間主義の人間に覚醒を促しつつ、わが正体、わが真の現実を知らしめるのが死
の意義である」(波多野精一)、「生が終わって死が始まるのではなく、生が終われ
ば、死も終わるのだ。死はまさに、生の中にしか存在しないのだから」(寺山修司)、
「死というものは、ずっと彼方まで続いている生の涯にひそむものではなく、実は生の
裏側につながっている」(北杜夫)。
実感を持って「死」に思いをいたすとき、その「死」は死後の世界においてではなく、
日常の生々しい身体において捉えられるわけである。死について深く思索すればするほ
ど、死は生に深くくいこんでくるのだということを、これらのことばは語っている。し
かし、多くの人間にとって、生にくいこむ死は恐ろしくて正視できるものではない。
「太陽と死は、じっと見つめてはいられない」(ラ・ロシュフコー)、「人間は死と不
幸と無知を癒すことができなかったので、幸福になるためにそれらについて考えないこ
とにした」「われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目を遮るものを前方に
おいた後、安心して絶壁の方へ走っているのである」(パスカル)、「われわれは、自
分達がやがて死ぬことを知っている。けれども、われわれはけっしてそのことを信じな
い」(ボッシュエ)。
このように、多くの人は死に恐怖しながら、それを隠蔽しながら生きているわけだが、
その一方で、死を生からきっぱりと切り離し、死を考えずに生を謳歌すればいいと言う
エピキュリアンもいる。
「死は、諸々の悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが、実はわれわれにと
って何ものでもない。われわれが存するかぎり、死は現に存せず、死が現に存するとき
には、われわれは存しないからである」(エピクロス)、「生は、それが存在を続ける
限り、いかなる死にも汚されぬ自由なものである。なぜなら、ぼくは生きている自分し
か考えることができないからだ。人間は生のために作られた存在であって、死のために
作られた存在ではない」(サルトル)、「われわれは排泄分泌を行うたびに、放出され
た物質のことを嘆き悲しむこともなしに、自分の形を保つことで平生に満足している
が、同じようにわれわれは死についても、排泄分泌と同じことがより高い次元で、全体
的に行われるのだという考えに立つべきである」(ショーペンハウアー)。
しかし、死を無視しようとするこれらの言説には、やはり無理があるように思える。自
分の中に宿る「死」の存在を認める方が素直な態度ではないだろうか。モンテーニュ
は、人間の中の生と死のバランスについて、「自然」が「人間」に語りかける形でこう
説明する。「死はお前たちの創造の条件であり、お前たちの一部分である。お前たちが
現に享受している存在は、死と生に等しく分かれている。もしお前たちが死をもたない
ならば、それを与えられなかったことで、お前たちはたえず私を呪うであろう。私は、
死の経験の安楽さを知っているから、お前たちが無遠慮に死を企てるのを妨げるために
、わざと死にいくらかの苦味をまぜたのだ」。
人間とは生と死を合わせ持つ存在であり、生を侵襲する死は否応なく恐怖をもたらし、
多くの人はそこから目をそらしてしまう。現代において「死」が隠される理由もそこに
あるだろう。しかし、豊かな生を送るためには、人間の文化や歴史を形成する原動力と
しての死を見つめ直すべきではないだろうか。「死の臨床」「死の医学」がさらに広く
語られるようになるための前提としてもそれは重要である。

<現代の死>
柏木哲夫先生は、現代の死の特徴として、「家庭死から病院死へ」「交わりの死から孤
独な死へ」「情緒的な死から科学的な死へ」「現実の死から劇化された死へ」という
4点を挙げている。これはまさに死の医療化であり、死の舞台は病院に追いやられ、死
にゆく者と看取る者との関係は断ち切られ、死は生理現象としての「死亡」に還元さ
れ、現実感の乏しい出来事になってしまっている。小松美彦先生は、こういった死のあ
り方を「個人閉塞した死」として批判し、「共鳴する死」が理想的なあり方だと述べて
いる。「共鳴する死」とは、「死者をめぐる人々に滲み入りながら徐々に到来し、変化
し、流れていく人々の関係の諸総体」であって、死が共鳴するとき、「人々はひとつの
死をともに生きる」のである。西欧中世には、このような死が実際に存在していた。死
のあり方の歴史的変容を考察したアリエスは、「自らの死の接近を察知した人が知人を
呼び寄せ、公開の儀式がごく自然にとり行われ、死にあって生者と死者が共存する」と
いう「飼いならされた死」が前近代まで存在していたと述べている。近代以降、そうい
う身近な人間関係のうちに抱え込まれ公開される「死」は忌み嫌われるようになり、死
にゆく者は単なる医学の処置の対象として病院の中に隔離され、喪の習慣は省略され、
死は「倒立した死」となった。「病院は、死が公開性から確実にのがれることのできる
唯一の場所となり、公開性はその時から、病的な不作法とみなされた。こうして病院は
孤独な死に場所となった」。
約8割の人が病院で死ぬという時代にあって、われわれは医療化された現代の死に慣れ
きってしまっているが、やはりこれは自然なあり方だとは到底言えまい。先日成立した
臓器移植法は、移植医療推進のためには歓迎すべきだとは思うが、人間の「死」を生理
現象としての「死亡」に還元し、それを法律で一律(厳密には脳死と心臓死で二律か
?)に規定するのには違和感を覚えずにはいられない。「死は心臓や脳が機能停止した
瞬間ではなく、死の予感から埋葬の向こう側までの、一連の時間的な流れである。死が
共鳴するとき、死にゆく者とその傍らに集まる者とは、過去・現在・未来を分かち合
い、ひとつの死をともに生きる」(小松美彦)。

<私と死>
阿部薫先生から「若い人には自分が死ぬという実感はないだろう」と言われたときはハ
ッとした。これまで私も死についていろいろ考えてきたが、はたしてどれほど実感をも
って考えていたのだろうか。本稿でここまで論じてきたことも、読み返してみれば、単
に本の受け売りであって、「私の死」というのは微塵も感じられない。ここでは、若い
者なりに、私にとっての死について考えてみる。
思えば、私はほとんど「死」に接したことがない。葬式というのに参列したのは、曾祖
母と祖母が亡くなったときの2回だけであり、死にゆく人を看取った経験はない。救急
の病院実習で「蘇生限界」まで心臓マッサージをやったことはあるが、肋骨が折れる感
触以外に死にゆく人と私との関係性は実感できなかった。しかし、こんな私に、人間・
死について考えさせるきっかけを与えた「死者」がいる。3年前の解剖実習で半年間関
わりをもった男性と、2年前の夏、私が日本で初めて企画した「人体展」で、仙台まで
一緒に行ったプラスティネーション標本のドイツ人男性である。養老孟司先生は、解剖
をする遺体が、最初は他人だったのが、そのうち感情移入していき、30年も経つと同一
化して、「これは自分だ」と思うようになる、と言っているが、私も、同一化まではい
かないにしても、関わりを持った彼らには言い様のない親近感を覚えている。プラステ
ィネーションの彼は、今も全国各地を巡っていて、この夏には横浜に来るというから、
また会いに行こうと思っている。
私のまわりにある「死」とはこんなものであって、それが「私の死」に切実に結びつい
ているとは思えない。子どものとき、「眠ったまま目覚めることなく死んでしまった
ら」と「私の死」を恐怖して眠れなくなったことはあるが、今は、まだ当分死なないだ
ろうという漠然とした確信が「私の死」の実感を妨げているように思う。山本俊一先生
が言うように、「幼稚園から大学までの長い教育課程で教えられるのは山の上り方だけ
であって、下山のやり方に関しては、だれも教えてくれない」のであって、私には山を
上っているという実感しかないのである。ハイデガーは「死は確かに来る。しかし当分
の間はまだ来ない。この『しかし』ということによって、ひとは死の確実性から眼をそ
むけてしまうのである」と書いているが、私はまさにそういう「頽落」した人間であ
る。こんな私が「死」を論じるのは全くおこがましい話ではあるが、医療者としての思
索のイニシエーションとして受け止めていただければ幸いである。
「私の死」は私にとってかくもつかみにくいものであるが、そんな私に、山本俊一先生
の著書「死生学」は、「自己の死」との関係の持ち方について貴重な示唆を与えてくれ
る。山本先生によれば、人間が9歳頃に初めて認識する「自己の死」は、無意識の領域
内で、生涯にわたって存在し続け、絶えず隙をねらって意識の中にもぐり込もうとする
ものである。人間は厄介な「自己の死」を無意識に押し込んで、なるべく考えないよう
にするが、中年期になると、「自己の死」が意識に入り込むことが多くなり、老年期に
なると、意識に長く停滞して無意識の中に押し戻すことは困難になる。山本先生は、自
己保存とは逆転した、自ら死へと進む本能に由来する潜在力を「モリドー」と名付け、
こう言う。「モリドーを無理矢理に無意識の中に押し込めてしまおうとしたり、あるい
は逆に、全く放任して意識内への自由な侵入を許すようなこともせず、無意識の中のモ
リドーを時々意識の方に誘導し、蓄積したエネルギーを適度に拡散させ、絶えず調和の
とれた平衡状態を保たせるように調整しなければならない」。なるほど、リビドーによ
って生(性)の欲求に生きるだけでなく、バランスよく自己の死を見つめることも生き
る上で重要なことだろう。その意味で、30年以上も死の臨床に関わり、他者の死ととも
に自己の死を見つめてきた末に、「最近になってようやく死の恐怖を克服した」と言う
河野博臣先生の言葉は私の心に重く響いた。私と「自己の死」とのつき合いが今後どれ
だけ続くかわからないが、そこから目をそらすことなく、過度に恐怖することなく、生
涯をかけてよい関係を築いていきたいと思う。

<人称と死>
最近の死をめぐる文章では、しばしば「死」を人称によって捉えた議論が登場する。村
上陽一郎先生は、「死」には、誰もが知っている、絶対確実な「人間一般の死」と、誰
も決して知ることのない、絶対不確実な「私の死」の二つの極相があると述べ、前者を
第三人称の死、後者を第一人称の死と呼ぶ。われわれが語りうるのは、第三人称の死で
あり、それは、一つの生理的現象であり、消滅であるにすぎない。第一人称の死は弧絶
性の中にあり、それゆえ人々は迎えるべき「私の死」を恐怖する。そして、この死の二
つの極相を結びつけるのが第二人称の死である。第二人称の死は、確かに他者の死であ
るが、自己の死に限りなく近づくものである。人は、第一人称と第二人称的他者に分極
する以前の「われわれ」の記憶を引きずっており、その記憶において第二人称の死を自
分の死であるかのように掴むことができるのである。このような第二人称と第一人称の
関わりを多くの人が様々な形で表現している。
「我々が『自分の死』として考えるものは、まさしくこの自分が『死なれた』他者との
間における、『自分』の死なのである」(大庭健)、「愛する者の死は、自分にとって
もやはり死である。ただし、これは肉体的ではなく精神的な死であり、また、完全では
なくて『部分死』である」(山本俊一)、「死とは個体の意識と身体の消滅であり、共
同性の地平からの個体の永久的な脱落であるという認識は、ただ他の人の死を、やがて
めぐってくるべきわがこととして強く感じとるという、人間に特異な能力によってのみ
可能となった」(小浜逸郎)、「一人の人が死ぬということは、その人に対し二人称の
立場にある人の心の中でも同時に、共有していた何かが失われ、死んでいく」(柳田邦
男)。
こうして考えてみると、「死」への距離というのは、人称や場面によって様々でありう
るというのがよくわかる。ところが、近代科学は、この距離感を無視して、全ての死を
第三人称の死として一律に捉えようとする。第一人称の死の恐怖、第二人称の死の悲し
み、といった人間性の「どろどろした」側面はタブー視され、現代の病院では徹底的に
排除される。これでは死にゆく人との豊かな人間関係は望むべくもない。これからの医
療に求められるのは、ありのままの死を抱え込むことであり、医者も、第一人称の死を
抱える人間として、死にゆく人の第二人称の死と向き合いつつ、自己の死をを見つめる
必要がある。

<死の文化>
「死」が科学や法律によって規定できる事象ではないとすれば、もっと広く「死」を語
る視点が必要である。「死の文化」とはその一つであろう。以下、「死の文化」に関す
る二つの講演の概要を紹介する。
アルフォンス・デーケン先生、鉄門総会記念講演「新しい死の文化の創造」
――文明と文化は混同されることが多いが、文明が、物質的・技術的で、進歩を前提と
しているのに対し、文化とは、精神的な価値実現のあり方であって、進歩とは相容れな
い。文明論的に延命医療を行い、死と闘うのではなく、人間らしい死に方を目指すのが
「死の文化」である。死には、肉体的な死(狭義の「死」)、心理的な死(生きる意欲
の喪失)、社会的な死(社会的な存在意義の喪失)、文化的な死(文化的生物としての
役割の喪失)、という4つの側面があり、医療は、肉体的生命の延命から総体的生命の
延命へ発想を転換すべきである。治る患者にはdoingが必要だが、治らない患者にはそ
れよりもbeing(そばにいること)が重要である。「助け人自身が助けである」(キエ
フ)、「ともに喜ぶのは2倍の喜び、ともに悲しむのは半分の悲しみ」(ドイツのこと
わざ)。死の文化においては、コミュニケーションとともに、心と心のふれあいとして
のユーモアが重要な意味を持つ。「ユーモアとは『にもかかわらず笑うこと』である」
(ドイツの定義)。
立川昭二先生、日本サイコオンコロジー学会・緩和医療学会合同大会記念講演「『死を
まもる』ということ」
――「尊厳ある死」というのは、人の「生をまもる」ことだけでなく、いかに人の「死
をまもる」かということでもある。人が生より死へ向かって歩み始めたとき、それをよ
り自然に歩ませることができれば、それこそ尊厳ある生と死の実現であろう。医療が今
日のよう高度化・病院化していなかった時代には、むしろ人の死がまもられていた。た
とえば、斉藤茂吉は、大正2年、母の死の枕辺にかけつけて、「いのちある人あつまり
て我が母のいのち死行くを見たり死ゆくを」と歌ったが、ここには、死にゆく人があれ
ば、親しい者たちが集まり、死に水をとり、死への旅立ちに立ち会う、という古くから
の日本人の心性が表れている。「いのち死行く」というのは、連続的に生から死へと移
りゆくものであり、その「死ゆく」過程をしっかりと「見たり」でなければならなかっ
た。こうした「死の作法」によって、死にゆく人は自分の死と和解し、死を看取る人は
愛する者の死を了解したのである。

死にゆく人といかに接するかを考えるとき、デーケン先生の「死の文化」、立川先生の
「死をまもる」は大いに示唆的である。現代医療は、「死」の深層にあるどろどろとし
た人間的・文化的な部分を切り捨て、「死」の徹底的な合理化をはかってきたよう思う
が、これからの医療は、豊かな文化が繰り広げられるべき「死」をありのままに受け止
めるべきである。生の哲学が「死」を弁証法的に捉えることによって成り立つように、
生は「死」をまもることによってより豊かになりうる。医療が生を守ることを使命とす
るならば、必然的に、死をまもり、死の文化を抱え込むことも求められるのである。

<医と死>
1994年の1年間の総死亡者数は、約88万人、うち76.8%が病院などの施設で亡くなって
いる。厚生省推計によれば、亡くなる人の数は、1999年に100万人を超え、2012年に
140万人を超えるとされており、「医」が直面する「死」の数は明らかに急増する。高
齢社会において、高齢者介護の問題が頻繁に取り上げられているが、死者の数が急増す
るというのも大問題である。病院の容量の増加が望めない現状から考えて、自宅や介護
施設での死など多様な死のあり方を考えるのが急務であり、「医」は、今まで以上に柔
軟に多様な「死」に対応することが求められるのである。今のまま「死」の合理化を進
めて、より多くの「死」を手際よく処理する、という形での解決を図るならば、未来は
末恐ろしいことになってしまうだろう。21世紀の「医」は、「死」にいかに向き合って
いくべきなのだろうか。
私は、高校生の時、NHKスペシャル「人体」に衝撃を受けた。「免疫システムは老化と
ともに崩壊し、やがて免疫細胞は自己を攻撃し始める」という説明は、医師を志してい
た少年にとってあまりにも重かった。「人間は死ぬようにつくられている」――。それ
まで、「人間はやがて死ぬ」というのは理解していたが、「いつか遭遇するであろう
死」と「人間に内在し必然的、積極的に起こる死」というのは全く違うものである。外
からやってくる死を近づけないようにするのが医の仕事だと漠然と理解していた私は、
「医」の意味づけを根本的に失い、以来、「医は、死を内在させる人間に対して何をな
すべきか」というのが、私にとって大きな命題となったのである。
実は、私のこのまなざしの転換は、フーコーの言う「臨床医学の誕生」、特に19世紀初
めの病理解剖学の確立による「死」の視点の獲得と同様の構造をなしている。フーコー
によれば、生-病-死は、18世紀以前には、健康な生が事故として病となり、それによっ
てやがて死ぬ、という時間的関係として捉えられていたが、「死」からのまなざしの獲
得によって、「死」を頂点とする三角形となり、現実に持続する「生」と、逸脱の可能
性としての「病」が、同一空間の中にとらえられるようになったのである。「人間が死
ぬのは、彼が病気になったからではない。人間が病気になることがあるのは、根本的に
いって、彼が死にうるものだからである」「今や死は、その存在自体において、病の源
泉としてあらわれる。つまり、生命に内在する可能性であって、しかも生命よりも強
く、生命を消耗させ、歪め、ついに消滅させる可能性としてあらわれる」。死は生に内
在するものであって、病になるのは事故ではなく、生と同じく必然なのである。
19世紀初めに獲得されたはずのこのまなざしであるが、現代医療ではあまりこれが感じ
られない。病は事故であり異常であって体の外に排除すべきものである、と頑なに信じ
ていれば、病や死を自然に受け止められないのは当然であり、そういう信念に基づいて
行われる延命至上医療は、結局のところ、患者の「生」をも傷つけるのである。充実し
た「生」を提供するために、医療者は、病も死も、生に内在する必然であるという現実
を見つめ直し、それを前提に医療を展開するべきではなかろうか。「医」は人間の生老
病死をすべて抱え込むことで初めて成り立つものである。



全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)